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| 地図国コード = 392 |
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| 河川=[[球磨川]][[水系]][[川辺川]] |
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| ダム湖= |
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| ダム形式=[[ |
| ダム形式=[[重力式コンクリートダム]]、[[治水ダム#流水型ダム|流水型ダム]] |
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([[洪水調節]]専用) |
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| 堤高=107.5 |
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| 堤 |
| 堤高=107.5 m |
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| 堤 |
| 堤頂長=約300 m |
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| 総貯水容量= |
| 総貯水容量=約13,000万m<sup>3</sup> |
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| 湛水面積=3.91 km<sup>2</sup> |
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| 有効貯水容量=106,000,000 |
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| 利用目的=洪水調節 |
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| 流域面積=470.0 |
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| 湛水面積=391.0 |
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| 利用目的=[[洪水調節]]・[[放流 (ダム)#不特定利水|不特定利水]] |
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| 事業主体=[[国土交通省]][[九州]][[地方整備局]] |
| 事業主体=[[国土交通省]][[九州]][[地方整備局]] |
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| 電気事業者=なし |
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| 発電所名(認可出力)=なし |
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| 施工業者=未定 |
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| 着工年=1966年 |
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| 竣工年=未定 |
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| 備考=各諸元は計画されていたもの |
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'''川辺川ダム'''︵かわべがわダム︶ |
'''川辺川ダム'''︵かわべがわダム︶は、[[熊本県]]を流れる[[一級河川]][[球磨川]][[水系]]の[[川辺川]]上流、[[球磨郡]][[相良村]]に堤体建設が計画されている[[ダム]]である<ref name=毎日新聞20240422>﹁[https://mainichi.jp/articles/20240422/ddm/041/040/092000c 五木村長 川辺川ダム同意/熊本 建設計画本格化]﹂﹁川辺川のダム計画﹂﹃毎日新聞﹄朝刊2024年4月22日︵社会面︶同日閲覧</ref><ref>{{Cite news | author = 山下真 | title= 球磨川は急峻な山縫う暴れ川 1965年には家屋1281戸が損壊・流失 | url= https://www.nishinippon.co.jp/item/n/623138/ | newspaper = [[西日本新聞]]ニュース | publisher = [[西日本新聞社]] | date = 2020-07-05 |accessdate=2020-07-06 }}</ref>。大雨が降った時だけ水を貯めて[[洪水]]被害を減らす流水型ダムとして予定されているが、湛水時の水没地域は相良村の上流に位置する[[五木村]]の旧中心部にも及ぶ<ref name=毎日新聞20240422/>。
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1966年︵[[昭和]]41年︶年の計画策定<ref name=毎日新聞20240422/>から50年余りを経ても完成に至っていないため、[[群馬県]]の[[八ッ場ダム]]︵[[吾妻川]]、[[2020年]]運用開始︶と双璧を成す'''[[ダム建設の是非|長期化したダム事業]]の代表格'''として知られていた。これは地元や球磨川流域、全国の環境保護団体などによる反対運動が続き、[[熊本県知事]][[蒲島郁夫]]が2008年︵[[平成]]20年︶に白紙撤回を表明したためである<ref name=毎日新聞20240422/>。
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2020年に発生した[[令和2年7月豪雨]]で球磨川流域などで大きな被害が出たことをきっかけとして、同年11月に蒲島知事はダム建設推進へ転換<ref name=毎日新聞20240422/>。2022年8月策定の河川整備計画において[[治水]]専用の[[治水ダム#流水型ダム|流水型ダム]]として位置づけられ、整備が図られることとなった。堤体の高さは107.5メートル、2027年度に着工し、2035年度の完成を目指している<ref name=毎日新聞20240422/>。
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== 概要 == |
== 概要 == |
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[[国土交通省]]と[[熊本県庁]]では2022年、球磨川の今後概ね30年間の具体的な河川整備の目標や内容を示す﹃球磨川水系河川整備計画︵原案︶﹄を公表し<ref>[https://www.qsr.mlit.go.jp/yatusiro/river/kasenseibi.html 皆様のご意見をお聞かせください] 国土交通省 九州地方整備局 八代河川国道事務所︵2022年4月4日︶</ref>、2022年4月4日から5月6日まで、公聴会と意見募集を実施した<ref>[https://www.qsr.mlit.go.jp/yatusiro/site_files/file/river/kasenseibi/20220404_press.pdf 皆様のご意見をお聞かせください~球磨川水系河川整備計画︵原案︶の公表~] 九州地方整備局・熊本県︵2022年4月4日︶</ref>。この原案は、一部修正されて2022年8月9日に﹃球磨川水系河川整備計画﹄が策定された<ref>[https://www.qsr.mlit.go.jp/yatusiro/site_files/file/news/r4/20220809kisya.pdf 球磨川水系河川整備計画の策定] 九州地方整備局・熊本県︵2022年8月9日︶</ref><ref>[https://www.qsr.mlit.go.jp/yatusiro/site_files/file/river/kasenseibi/seibikeikaku.pdf 球磨川水系河川整備計画(国管理区間)] 国土交通省 九州地方整備局︵2022年8月︶
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[[国土交通省]][[九州地方整備局]]が施工を予定していた[[国土交通省直轄ダム]]で、高さ107.5[[メートル]]の[[アーチ式コンクリートダム]]として[[1966年]]([[昭和]]41年)から事業が開始された。当初は川辺川、球磨川の[[治水]]と[[人吉盆地]]への[[かんがい]]及び[[水力発電]]を目的とした[[多目的ダム#特定多目的ダム|特定多目的ダム]]であったが、後に治水に目的を絞った[[治水ダム]]として計画された。 |
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</ref>。この中で、川辺川ダムについては次のように記述されていた<ref>国土交通省九州地方整備局『[https://www.qsr.mlit.go.jp/yatusiro/site_files/file/river/kasenseibi/seibikeikaku.pdf 球磨川水系河川整備計画(国管理区間)]』(2022年8月)p.107</ref>。 |
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* 形式:流水型ダム([[洪水調節]]専用) |
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事業着手後からダム計画にかかる賛否が相次ぐ中、対象地域の立ち退き移転先への移転等の事業は進んだものの、計画発表から40年余りが過ぎ、受益地とされた球磨川中下流域で住民、農家、漁民などから反対の声が高まり、農家による利水訴訟の原告勝訴、[[漁業権]]等の収用裁決申請取り下げなどにより計画が停滞。さらに、[[2008年]]3月に就任した[[蒲島郁夫]]熊本県知事が﹁'''ダムに頼らない治水'''﹂を目指すとして、県としてダム反対を表明。[[2009年]]に﹁'''コンクリートから人へ'''﹂を標榜した[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]政権によって建設事業が休止された︵[[#事業中止とその後|後述]]︶。
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* 位置:相良町四浦(さがらちょう ようら)、既往計画と同じ。 |
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* ダム形式:[[重力式コンクリートダム]] |
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* ダム高:107.5 m |
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* 堤頂長:約300 m |
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* 総貯水容量:約13,000万 m<sup>3</sup> |
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* 湛水面積:3.91 km<sup>2</sup> |
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注:ダムの諸元については、検討の進捗により変わる可能性がある。 |
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== ダム事業の進捗状況 == |
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計画策定から50年余りを経ても完成に至らなかったため、[[群馬県]]の[[八ッ場ダム]]([[吾妻川]]、[[2020年]]4月1日運用開始)と双璧を成す'''[[ダム建設の是非|長期化したダム事業]]の代表格'''として知られていた。 |
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2013年3月末時点の用地取得、家屋移転、代替道路、ダム関連工事などの進捗は次の通りであった<ref>[https://www.qsr.mlit.go.jp/kawabe/ 川辺川ダム砂防事務所]ホームページ→CONTENTSの「川辺川ダム」→事業の進捗状況【PDF】平成30年3月末時点</ref>。 |
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* 用地取得(1,190件):98パーセント完了 |
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* 家屋移転(549世帯):99パーセント完了 |
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* 代替地(宅地):100パーセント完了 |
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* 付替道路(36.2 km):90パーセント完了 |
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* ダム本体及び関連工事:仮排水トンネルが1999年7月に完成。現在、本体着工に向けた調査・工事は実施されていない。 |
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== 地理 == |
== 地理 == |
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{{出典の明記| date = 2022年2月| section = 1}} |
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'''川辺川'''は球磨川水系における最大の[[支流]]である。[[九州山地]]である熊本県・[[宮崎県]]境の[[国見岳 (熊本県・宮崎県)|国見岳]]に[[水源]]を発し、[[平家]の落人|平家落人]]の里として知られる[[五家荘]]を流れ、北から流れてくる谷内川を併せる。その後は概ね南西に流れ五木五家荘渓谷を形成して﹁[[五木の子守唄]]﹂で知られる[[五木村]]中心部に入り、ここで五木小川と合流して後南下。旧・川辺川ダム建設予定地を通過し、相良村を縦貫して[[人吉市]]と[[球磨郡]][[錦町]]の境で球磨川に合流する。流路延長は約67[[キロメートル]]、[[流域面積]]は約542[[平方キロメートル]]で、球磨川水系全流域面積︵1,882平方キロメートル︶の三分の一を占めている。ダムは川辺川の中流部、五木村と相良村の村境付近に建設が予定されている。
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川辺川は球磨川水系における最大の[[支流]]である。[[九州山地]]である熊本県・[[宮崎県]]境の[[国見岳 (熊本県・宮崎県)|国見岳]]に[[水源]]を発し、[[平家の落人|平家落人]]の里として知られる[[五家荘]]を流れ、北から流れてくる谷内川を併せる。その後は概ね南西に流れ五木五家荘渓谷を形成して、﹃[[五木の子守唄]]﹄で知られる五木村中心部に入り、ここで五木小川と合流して後南下。旧・川辺川ダム建設予定地を通過し、相良村を縦貫して[[人吉市]]と[[球磨郡]][[錦町]]の境で球磨川に合流する。流路延長は約67[[キロメートル]]、[[流域面積]]は約542[[平方キロメートル]]で、球磨川水系全流域面積︵1,882平方キロメートル︶の三分の一を占めている。ダムは川辺川の中流部、五木村と相良村の村境付近に建設が予定されている。
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== 令和2年7月豪雨後の計画再始動 == |
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<!-- この節名は[[令和2年7月豪雨]]からリンクされているので、修正する場合は注意 --> |
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{{main|令和2年7月豪雨}} |
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[[2020年]]︵令和2年︶[[7月4日]]の豪雨︵[[令和2年7月豪雨]]︶では、人吉市で河川[[氾濫]]が発生するなど、人吉市・球磨村など中流域で多くの死者が発生した。球磨川の被害としては、国直轄区間だけで2箇所での決壊・11箇所での氾濫を確認。12箇所のうち、水害の危険性が極めて高い﹁Aランク﹂が1箇所、堤防の高さは想定水位を上回っているものの十分な余裕がない﹁Bランク﹂が6箇所、堤防に壊れた跡などがみられる﹁要注意﹂が5箇所で、堤防の整備率は昨年3月現在、76%にとどまっていた<ref>{{Cite news | title = 決壊・氾濫は﹁重要水防箇所﹂ 球磨川12カ所の危険性、事前に指摘 | newspaper = ﹃[[西日本新聞]]﹄ | date = 2020-07-06 | url = https://www.nishinippon.co.jp/item/n/623344/ | accessdate = 2020-07-08 }}</ref>。また、[[熊本大学]]くまもと水循環・減災研究教育センターの現地調査によれば、豪雨で広く浸水した熊本県人吉市の市街地の浸水高が、昭和40年代にあった二つの水害よりもはるかに高かったことが分かった<ref>{{Cite news | title = 熊本・人吉の水害﹁過去最大級﹂55年前の浸水高超え | newspaper = ﹃朝日新聞﹄ | date = 2020-07-07 | url = https://www.asahi.com/articles/ASN775606N76ULBJ015.html | accessdate = 2020-07-08 }}</ref><ref>[https://cwmd.kumamoto-u.ac.jp/wp/wp-content/uploads/2020/07/report_20200706.pdf 調査速報]</ref>。
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[[市房ダム]]の洪水調節については、中鶴橋下流の多良木観測所<ref>{{ウィキ座標|32|16|10.8|N|130|56|28.1|E||多良木観測所の位置}}</ref>において、最大流入時において流入量の53%にあたる650m³/秒を貯留して下流河川の水位を低減したという発表があった<ref>{{Cite press release |和書| title = 令和2年7月3日からの豪雨に関する熊本県管理ダムの洪水調節効果 | publisher = 熊本県 | date =2020-07-04 | url =https://www.pref.kumamoto.jp/kiji_34120.html | accessdate = 2020-07-13 }}</ref>が、[[京都大学防災研究所]]の災害調査報告によれば、市房ダムによって洪水被害の抑制効果は大きかったものの、市房ダムよりも下流域での流入と川辺川からの流入によって人吉市で氾濫が発生したと分析した<ref>{{Cite report | author = 京都大学防災研究所 | date = 2020-07-07 | title = 2020年7月球磨川水害速報(市房ダムに着目して)第2報 | url = http://ecohyd.dpri.kyoto-u.ac.jp/content/files/DisasterSurvey/2020/report_KumaRiverFloods2020_v2.pdf | format = pdf | accessdate = 2020-07-13 }}</ref>。 |
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被害状況を受けて、蒲島知事は7月5日の時点で「ダムによらない治水を12年間でできなかったことが非常に悔やまれる」と述べた<ref name="mainichi20200706">{{Cite news | title = 蒲島知事「『ダムなし治水』できず悔やまれる」 熊本豪雨・球磨川氾濫 | newspaper = 『毎日新聞』 | date = 2020-07-06 | url = https://mainichi.jp/articles/20200706/k00/00m/040/011000c | accessdate = 2020-07-07 }}</ref>上で、「(ダム建設)反対は民意を反映した。私が知事の間は計画の復活はない」「私自身は極限まで、もっと他のダムによらない治水方法はないのかというふうに考えていきたい」<ref>{{Cite news|url=https://web.archive.org/web/20200708230933/https://this.kiji.is/652693329621304417|title=川辺川ダム「復活ない」 熊本県の蒲島知事 球磨川治水で|newspaper=熊本日日新聞|date=2020-07-06|accessdate=2020-07-15}}</ref>とコメントした。しかしその翌6日の記者会見では、球磨川の治水策について「今回の災害対応を国や流域市町村と検証し、どういう治水対策をやっていくべきか、新しいダムのあり方についても考える」と述べ<ref>{{Cite news | title = 熊本県知事「ダムのあり方も考える」 球磨川の治水対策巡り発言 | newspaper = 『西日本新聞』 | date = 2020-07-06 | url = https://www.nishinippon.co.jp/item/n/623617/ | accessdate = 2020-07-08 }}</ref>、県が今後進める球磨川の治水対策の検証対象に、中止された川辺川ダムによる治水効果の有無を含めることが報じられている<ref>{{Cite news|url=https://web.archive.org/web/20200715090101/https://this.kiji.is/653475971650962529|title=川辺川ダム議論再燃も 熊本県、球磨川治水で検証対象|newspaper=『熊本日日新聞』|date=2020-07-08|accessdate=2020-07-15}}</ref>。蒲島知事は2020年8月26日の記者会見で「川辺川ダムも選択肢の一つ」と発言した。なお、計画中止後も流域12市町村で構成する「川辺川ダム建設促進協議会」は活動しており、同年8月20日にダム計画復活を含めた抜本的な治水対策を要望している<ref name="毎日新聞20200826">[https://mainichi.jp/articles/20200826/k00/00m/040/285000c 熊本知事「川辺川ダムも選択肢の一つ」 2008年に白紙撤回「新たな決断必要」]『毎日新聞』ネット版(2020年8月26日)2020年8月28日閲覧</ref>。 |
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一方、この被害を受けて、2009年のダム建設中止の判断とその後の治水計画に対する県の対応に対して様々な論調も見られる。2001年-2003年に国土交通省国土計画局特別調整課長を務めた経済学者の[[高橋洋一 (経済学者)|高橋洋一]]は、2010年発行の自著﹃日本の大問題が面白いほど解ける本 シンプル・ロジカルに考える﹄︵[[光文社新書]]︶で﹁[[埋没費用|サンク・コスト]]論で言えば︵川辺川ダム事業は残事業費1200億円をかければ便益5200億円程度となるので︶工事続行が正しい﹂と記していたことを挙げ、﹁この川辺川ダムがあったらどうかということをぜひ検証してもらいたい﹂﹁ダムのない治水というのはあり得ない﹂﹁﹃ダムによらない治水﹄の方法はあるにはあるが、いずれもコストパフォーマンスではダムの代替にはなり得ない﹂と、コスト論の観点からダム建設中止の判断を批判している<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.1242.com/article/233499|title=川辺川ダムが建設されていたら災害は防げたか~九州豪雨|website=[[ニッポン放送]]NEWS ONLINE|date=2020-07-08|accessdate=2020-07-15}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://gendai.media/articles/-/74031|title=九州水害で露わになった民主党政権﹁ダム建設中止﹂の大きすぎる代償|website=現代デジタル|date=2020-07-13|accessdate=2020-07-15}}</ref>。また、元[[大阪府知事]]の[[橋下徹]]は﹁川辺川ダムが本当に必要なのかどうかについて、僕はこの段階で言う立場にはない﹂と前置きし、蒲島知事によるダム中止を表明するまでのプロセスと以後の行動を﹁政治と行政の役割分担﹂の面から評価した上で、ダム建設中止という政治判断に﹁行政の裏付け﹂が整っていなかったと、ダム中止後の計画の不在に対する問題点を指摘<ref>{{Cite web|和書|url=https://president.jp/articles/-/36698|title=橋下徹﹁知事を経験したからわかる熊本・蒲島知事の後悔﹂|website=プレジデント・オンライン|date=2020-07-08|accessdate=2020-07-15}}</ref>、自身の[[Twitter]]では、府知事時代に槇尾川ダム︵[[大津川 (大阪府)|大津川]]水系槇尾川︶事業と[[安威川ダム]]︵[[淀川]]水系[[安威川]]︶事業の是非判断に関わった経緯を引用し、﹁槙尾川ダムについてはダムによらない治水計画をしっかり作成し、ダムよりも水害に強い街になることが確信できたのでダムを中止した﹂﹁安威川ダムについてはダムによらない治水計画は作れなかった︵ので、ダム建設の判断をした︶﹂と述べた上で﹁ダムによらない治水計画が実行できないのであれば、ダムを進めるしかない﹂と述べている<ref>{{Cite news|url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/197734|title=橋下徹氏がダム建設の是非に言及﹁NOというだけで済むのは無責任なインテリと運動体﹂|newspaper=﹃[[東京スポーツ]]﹄|date=2020-07-09|accessdate=2020-07-15}}</ref>。
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これに対し、ダム建設反対の立場を取った市民グループ「子守唄の里・五木を育む清流川辺川を守る県民の会」代表の中島康は「今回の豪雨は想像を超える水量で、(川辺川)ダムが造られていても意味は無かったと思う」とダム建設議論再燃を牽制するようなコメントを残している<ref>{{Cite news|url=https://web.archive.org/web/20200712022432/https://www.jiji.com/jc/article?k=2020071100391&g=soc|title=ダム計画、11年前に中止 熊本・球磨川水系、県など反対―議論再燃可能性も|newspaper=[[時事通信]]|date=2020-07-12|accessdate=220-07-15}}</ref>。また、河川行政問題に取り組んできた弁護士の西島和は「川辺川ダムの中止により被害が拡大したとの意見もあるが、実際には想定された雨量や流量を越えた豪雨であり、検証もまだ不十分であることから、ダムがあれば氾濫は防げたかどうかを判断することはできない」とコメントしている<ref>{{Cite news | title = 熊本・球磨川水害に専門家提言「ダムではなく流す対策を」 | newspaper = 『[[日刊ゲンダイ]]』 | date = 2020-07-06 | url = https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/275744 | accessdate = 2020-07-13 }}</ref>。 |
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一方、評論家の[[冷泉彰彦]]はダム建設中止から災害発生後までの一連の流れに対して、蒲島知事の発災後の謝罪コメントに違和感を感じること、地域が「高価であってもダムではない方策で治水を」という判断を選んだこと、([[平成30年7月豪雨]]での[[肱川]]における洪水被害を念頭に)ダムさえ作れば安心かというと決してそうではないということの3点の疑問を挙げ、この球磨川の問題は「脱ダム」か「ダム建設」といった単純な選択肢の問題におさまる問題ではないと指摘している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2020/07/3-6.php|title=脱ダム政策への賛否が問題ではない 球磨川治水議論への3つの疑問|website=[[ニューズウィーク]]日本版 コラム|author=冷泉彰彦|date=2020-07-14|accessdate=2020-07-15}}</ref>。 |
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[[京都大学防災研究所]]は、仮にこのダムが計画通りに建設されていた場合、氾濫を避けることは不可能でも市内中心部に溢れ出る水量を一割以下に抑えられたであろうと試算した<ref>{{Cite news|title=川辺川ダムに関する考え方︵異常洪水時防災操作に対する正しい理解のために︶|newspaper=京都大学|date=2021-05|author=京都大学防災研究所 角 哲也教授|url=http://ecohyd.dpri.kyoto-u.ac.jp/content/files/news/%E6%AF%8E%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E8%A8%98%E4%BA%8B%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E8%A3%9C%E8%B6%B3%E8%AA%AC%E6%98%8E.pdf}}</ref>。
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=== 球磨川豪雨検証委員会 === |
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国土交通省九州地方整備局と熊本県庁は、2020年8月に﹁令和2年7月球磨川豪雨検証委員会﹂を設置し、球磨川豪雨の被害、洪水流量の推定、検討してきた治水対策などとともに、川辺川ダムが存在した場合の効果について検証することとなった<ref>[https://www.qsr.mlit.go.jp/site_files/file/n-kisyahappyou/r2/20081901.pdf ﹁令和2年7月球磨川豪雨検証委員会﹂の開催について] ﹁令和2年7月球磨川豪雨検証委員会﹂の設置について 、3.検証内容、九州地方整備局・熊本県︵2020年8月19日︶</ref>。
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この委員会の第一回委員会(2020年8月25日)において、川辺川ダムが計画通りに建設されていた場合、今回の洪水の流量 概ね7500トン/秒が、概ね4700トン/秒に抑えられ、2800トン/秒(37パーセント)を減らすことができたとの試算が示された<ref>[https://www.qsr.mlit.go.jp/yatusiro/site_files/file/bousai/gouukensho/20200825shiryou3.pdf 説明資料(3/3)]6.治水対策について(川辺川ダムにより想定される効果)、78ページ/八代河川国道事務所(2020年8月25日)</ref><ref>[https://www.asahi.com/articles/ASN8T6T4DN8TTLVB00W.html 熊本)川辺川ダムの「効果」めぐり国と反対派が見解]『朝日新聞』2020年8月26日</ref>。この約4割の水量の減少により、人吉市での浸水被害が防げた可能性が指摘された<ref>{{Cite news | title = 川辺川ダムあれば「水量4割減」 7月豪雨で国交省試算 | newspaper = 『朝日新聞』 | date = 2020-08-25 | url = https://www.asahi.com/articles/ASN8T71Z8N8TTLVB00H.html?iref=sp_new_news_list_n | accessdate = 2020-08-27 }}</ref><ref>[https://mainichi.jp/articles/20200825/k00/00m/040/253000c 国交省「ダムがあれば球磨川の流量4割減らせた」 知事が08年に計画白紙]『毎日新聞』2020年8月25日</ref>。この委員会での議論を受けて、熊本県の蒲島知事は、「流域の首長が一致してダム計画を進めてほしいとしていることを真摯に受けとめる」と述べた<ref>[https://news.yahoo.co.jp/articles/b6d21d0d71532ba355c55609bd690ab6523d4b9b 「川辺川ダムは選択肢」知事表明(熊本県)][[熊本県民テレビ]]、2020年8月25日</ref><ref name="毎日新聞20200826"/>。 |
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=== 知事による意見聴取会 === |
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2020年10月15日、蒲島知事による被災地の声を直接聞く意見聴取会が始まる。聴取会は、熊本県の球磨川流域の関係者から治水策や復旧・復興についての意見を聞くもので、7市町村で20回を計画。第1回は球磨地域の農林水産8団体の代表者らが発言を行い、球磨地域農協など5団体がダム建設を早急に進めるよう求めたほか、人吉球磨地域[[土地改良区]]連絡協議会からは﹁遊水池案は農家の心を踏みにじるもの。理解は得られない﹂との意見が出された。過去にダムの是非を議論する中で内部対立が生じた球磨川[[漁業協同組合]]は、現時点の賛否の表明を避けるなど様々な意見が出された<ref>{{Cite web|和書|date=2020-10-16|url=https://www.nishinippon.co.jp/item/n/654801/ |title=﹁早急にダム建設を﹂農業者ら要望 熊本知事が被災地で意見聴取 |publisher=西日本新聞 |accessdate=2020-10-16}}</ref>。
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=== 五木村によるダム建設同意 === |
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国と熊本県庁は2023年1月、川辺川ダムによる水没予定地を抱える五木村の振興に約100億円を支援することを表明し、国・県・市は同年5月に振興計画に同意<ref name=毎日新聞20240422/>。2024年4月21日、五木村は村民集会を開いて、木下丈二村長がダム建設受け入れを正式表明した<ref name=毎日新聞20240422/>。
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== 歴史 == |
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以下は、2020年7月以前の川辺川ダムに関する歴史的経緯である。 |
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=== 過去のダムの概要 === |
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[[国土交通省]][[九州地方整備局]]が施工を予定していた[[国土交通省直轄ダム]]で、高さ107.5[[メートル]]の[[アーチ式コンクリートダム]]として[[1966年]](昭和41年)から事業が開始された。当初は川辺川、球磨川の治水と[[人吉盆地]]への[[灌漑]]及び[[水力発電]]を目的とした[[多目的ダム#特定多目的ダム|特定多目的ダム]]であったが、後に治水に目的を絞った[[治水ダム]]として計画された。 |
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事業着手後からダム計画にかかる賛否が相次ぐ中、対象地域の立ち退き移転先への移転等の事業は進んだ︵[[#ダム事業の進捗状況]]︶ものの、計画発表から40年余りが過ぎ、受益地とされた球磨川中下流域で住民、農家、漁民などから反対の声が高まり、農家による利水訴訟の原告勝訴、[[漁業権]]等の収用裁決申請取り下げなどにより計画が停滞。さらに、[[2008年]]3月に就任した蒲島郁夫熊本県知事が﹁'''ダムに頼らない治水'''﹂を目指すとして、県としてダム反対を表明。[[2009年]]に﹁'''コンクリートから人へ'''﹂を標榜した[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]政権によって建設事業が休止された︵[[#事業中止とその後|後述]]︶。ただし、事業中止決定後も計画廃止の法的手続きは取られていない<ref>{{Cite news|url=https://web.archive.org/web/20201111040513/https://www.jiji.com/jc/article?k=2020111100654&g=eco|title=川辺川ダム建設容認へ調整7月豪雨受け―熊本県|newspaper=時事通信|date=2020-11-11|accessdate=2020-11-13}}</ref>。
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令和2年︵2020年︶7月豪雨を踏まえた流域治水検討の中で川辺川へのダム建設案が復活しているが、その原案︵2022年4月発表︶では、過去の貯留形ダムではなく、[[治水ダム#流水型ダム|流水型ダム]]を想定している︵[[#概要|新しいダムの原案]]︶。
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川辺川は[[アユ]]の漁場としても名高く、[[四万十川]]などと並んで「'''[[清流|日本最後の清流]]'''」とも称されている。 |
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== 沿革 == |
=== 沿革 === |
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{{出典の明記| date = 2022年2月| section = 1}} |
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{{Maplink2|zoom=9|id=Q1358183|text=球磨川流域図(強調線は球磨川本流を表す)|frame=yes|plain=yes|frame-align=right|frame-width=300|frame-height=300|frame-lat=32.35|frame-long=130.80 |
{{Maplink2|zoom=9|id=Q1358183|text=球磨川流域図(強調線は球磨川本流を表す)|frame=yes|plain=yes|frame-align=right|frame-width=300|frame-height=300|frame-lat=32.35|frame-long=130.80 |
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}}熊本県南部を流れ、[[最上川]]や[[富士川]]と並んで「'''[[日本三大急流]]'''」とも称される日本有数の急流河川・球磨川水系は、年間[[降水量]]が2,000~3,000ミリに及ぶ日本有数の多雨地域で[[台風]]の常襲地帯であること及び球磨川の持つ地形的要因により、古くから |
}}熊本県南部を流れ、[[最上川]]や[[富士川]]と並んで「'''[[日本三大急流]]'''」とも称される日本有数の急流河川・球磨川水系は、年間[[降水量]]が2,000~3,000ミリに及ぶ日本有数の多雨地域で[[台風]]の常襲地帯であること及び球磨川の持つ地形的要因により、古くから洪水の被害を度々受けていた。 |
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[[File:Hitoyoshi Basin Relief Map, SRTM-1.jpg|thumb|人吉盆地の地形図(向かって右が上流側、左が下流側)]] |
[[File:Hitoyoshi Basin Relief Map, SRTM-1.jpg|thumb|人吉盆地の地形図(向かって右が上流側、左が下流側)]] |
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球磨川は中流部の人吉市から[[八代市]]に掛けてのおよそ60キロメートル区間が狭い[[峡谷]]を形成し、その上流部に[[人吉盆地]]がある。このため大雨が降ると球磨川上流部及び川辺川流域の洪水は人吉盆地に集まるが、中流部の渓谷によって洪水の流下が阻害され、人吉盆地に洪水が滞留するという「'''[[背水|バックウォーター現象]]'''」が起こる。こうした地形は例えば[[北上川]]流域の[[岩手県]][[一関市]]など全国に多く、洪水常襲地帯となっており、人吉盆地も度々浸水被害を受けてきた。一方、人吉盆地は[[肥後国|肥後]]南部の[[穀倉地帯]]ではあったが土壌は「イモゴ」と呼ばれる[[火山灰]]性の地質であり、かつ[[扇状地]]でもあったことで農業用水の確保が困難な地域でもあった。[[江戸時代]]の[[人吉藩]]政期には第二代藩主[[相良頼寛]]、第三代藩主[[相良頼喬]]の時に[[幸野溝]]や[[百太郎溝]]が整備されたが、[[旱魃]]の際には用水不足が深刻となった。 |
球磨川は中流部の人吉市から[[八代市]]に掛けてのおよそ60キロメートル区間が狭い[[峡谷]]を形成し、その上流部に[[人吉盆地]]がある。このため大雨が降ると球磨川上流部及び川辺川流域の洪水は人吉盆地に集まるが、中流部の渓谷によって洪水の流下が阻害され、人吉盆地に洪水が滞留するという「'''[[背水|バックウォーター現象]]'''」が起こる。こうした地形は例えば[[北上川]]流域の[[岩手県]][[一関市]]など全国に多く、洪水常襲地帯となっており、人吉盆地も度々浸水被害を受けてきた。一方、人吉盆地は[[肥後国|肥後]]南部の[[穀倉地帯]]ではあったが土壌は「イモゴ」と呼ばれる[[火山灰]]性の地質であり、かつ[[扇状地]]でもあったことで農業用水の確保が困難な地域でもあった。[[江戸時代]]の[[人吉藩]]政期には第二代藩主[[相良頼寛]]、第三代藩主[[相良頼喬]]の時に[[幸野溝]]や[[百太郎溝]]が整備されたが、[[旱魃]]の際には用水不足が深刻となった。 |
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[[1928年]]︵ |
[[1928年]]︵昭和3年︶に[[物部長穂]]が[[河川総合開発事業#河水統制計画|河水統制計画案]]を発表し、水系一貫の治水・利水計画を提唱。これが[[内務省 (日本)|内務省]]によって採用されて国策として推進されたが、第70回[[帝国議会]]において河水統制調査予算が可決されたのを機に[[利根川]]、[[淀川]]など全国主要64河川において河水統制計画の調査が行われた。球磨川水系は[[1937年]]︵昭和12年︶に内務省下関土木出張所において調査が開始され、[[太平洋戦争]]による中断を挟んで戦後も継続された。球磨川では[[八代平野]]と人吉盆地において[[堤防]]の建設を主体とした河川改修を実施していたが、[[1949年]]︵昭和24年︶の[[デラ台風]]と[[ジュディス台風]]、[[1950年]]︵昭和25年︶の[[キジア台風]]で当初予定していた[[治水|計画高水流量]]{{Efn|河川改修計画において定められる、計画で防御できる限界の洪水流量。概ね過去最悪の洪水を基準に定められる。}} を突破する洪水が襲い、人吉盆地は再び浸水被害に遭遇した。一方で球磨川は急流で水量も多いこともあり[[水力発電]]には絶好の河川として注目されており、{{要出典範囲 |date=2020-07 |[[日本発送電]]{{Efn|[[1939年]]︵昭和14年︶に発足した[[戦時体制]]を維持するため国家による電力管理を行う目的で設立された[[特殊法人]]。戦後[[1948年]]︵昭和23年︶に[[過度経済力集中排除法]]の指定を受け[[1951年]]︵昭和26年︶の[[日本発送電#電力事業再編令|電力事業再編令]]で九つの[[電力会社]]に分割・民営化された。[[九州電力]]の前身。}} は球磨郡[[水上村]]に[[ダム式発電所]]の計画を進めていた。これを'''新橋ダム計画'''と呼ぶ}}が[[建設省]]九州地方建設局︵現・国土交通省]九州地方整備局︶は新橋ダム計画に参入する形で新たな治水対策を講じることとした。また用水不足を解消し人吉盆地の農業を活性化させて戦後の食糧不足を解消するという目的も加えられ、[[1951年]]︵昭和26年︶に球磨川[[河川総合開発事業|総合開発事業]]が策定された。
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[[ファイル:Ichibusa-2661-r1.JPG|thumb|250px |
[[ファイル:Ichibusa-2661-r1.JPG|thumb|right|250px|[[市房ダム]]︵球磨川︶。球磨川水系初の[[多目的ダム]]だが放流被害を生んだという批判がある。]]
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[[ファイル:Kouno-2662-r1.JPG|thumb| |
[[ファイル:Kouno-2662-r1.JPG|thumb|right|250px|[[幸野ダム]]︵球磨川︶。市房ダム直下にある市房第一発電所の逆調整池であるが[[幸野溝]]の水源でもある。]]
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この計画で新橋ダム計画は[[多目的ダム]]事業として大きく計画変更され、[[1960年]]︵昭和35年︶に完成し、その後熊本県に移管されたのが'''[[市房ダム]]'''である。この市房ダムと直下流に同時に建設された'''[[幸野ダム]]'''によって治水と |
この計画で新橋ダム計画は[[多目的ダム]]事業として大きく計画変更され、[[1960年]]︵昭和35年︶に完成し、その後熊本県に移管されたのが'''[[市房ダム]]'''である。この市房ダムと直下流に同時に建設された'''[[幸野ダム]]'''によって治水と灌漑、及び水力発電を行って球磨川の治水・利水は達成されたかに見えた。
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だが[[1963年]](昭和38年)から[[1965年]](昭和40年)に |
だが[[1963年]](昭和38年)から[[1965年]](昭和40年)にかけて三年連続で球磨川流域は水害に見舞われ<ref name=毎日新聞20240422/>、特に1965年の「'''[[昭和40年7月豪雨]]'''」では人吉市や八代市萩原で最大毎秒7,000[[トン]]{{Efn|球磨川の通常における流量は平均で毎秒86.73トンであるので、この豪雨では通常の約85倍という水量が押し寄せたことになる。}}というかつてない洪水が襲い、流域は大きな被害を受けた。 |
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この豪雨被害を受け、[[熊本県議会]]と[[人吉市議会]]は球磨川治水の抜本的対策を要求する議決を同年採択。建設省に対策を迫った。翌[[1966年]](昭和41年)、[[河川法#新河川法|新河川法制定]]に伴い球磨川水系は'''[[一級水系]]'''に指定され、国による水系一貫管理{{Efn|球磨川本流は球磨郡[[湯前町]]から河口までの区間が国土交通省直轄管理区間である。川辺川は川辺川ダム湛水予定区域と球磨川合流点付近が直轄管理区間となる。その他は概ね熊本県が管理する指定区間である。}} が行われ、この際に球磨川水系の治水計画の基本となる「'''球磨川水系工事実施基本計画'''」が策定された。この中で計画高水流量を昭和40年7月梅雨前線豪雨の洪水量に修正し、これを達成させるために球磨川支流の川辺川に対する治水対策が必要であるとの見解がまとまった。 |
この豪雨被害を受け、[[熊本県議会]]と[[人吉市議会]]は球磨川治水の抜本的対策を要求する議決を同年採択。建設省に対策を迫った。翌[[1966年]](昭和41年)、[[河川法#新河川法|新河川法制定]]に伴い球磨川水系は'''[[一級水系]]'''に指定され、国による水系一貫管理{{Efn|球磨川本流は球磨郡[[湯前町]]から河口までの区間が国土交通省直轄管理区間である。川辺川は川辺川ダム湛水予定区域と球磨川合流点付近が直轄管理区間となる。その他は概ね熊本県が管理する指定区間である。}} が行われ、この際に球磨川水系の治水計画の基本となる「'''球磨川水系工事実施基本計画'''」が策定された。この中で計画高水流量を昭和40年7月梅雨前線豪雨の洪水量に修正し、これを達成させるために球磨川支流の川辺川に対する治水対策が必要であるとの見解がまとまった。 |
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こうした経緯もあって、建設省は1966年の球磨川水系工事実施基本計画において川辺川に[[特定多目的ダム法]]に基づく多目的ダムを建設する計画を発表。'''川辺川総合開発事業'''としてダム建設に着手した。これが'''川辺川ダム'''である。
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こうした経緯もあって、建設省は1966年の球磨川水系工事実施基本計画において川辺川に[[特定多目的ダム法]]に基づく多目的ダムを建設する計画を発表。'''川辺川総合開発事業'''としてダム建設に着手した。これが'''川辺川ダム'''である。
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== 当初の計画 == |
=== 当初の計画 === |
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{{出典の明記| date = 2022年2月| section = 1}} |
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川辺川ダムは特定多目的ダム法に基づく'''特定多目的ダム'''として当初は計画された。また、型式である[[アーチ式コンクリートダム]]としては、川辺川ダム以外に計画されているダムでアーチダムがないことから「'''日本最後のアーチダム'''」とも言われている。当初の目的では[[洪水調節]]、[[放流 (ダム)#不特定利水|不特定利水]]、灌漑、水力発電の四つの目的があった。 |
川辺川ダムは特定多目的ダム法に基づく'''特定多目的ダム'''として当初は計画された。また、型式である[[アーチ式コンクリートダム]]としては、川辺川ダム以外に計画されているダムでアーチダムがないことから「'''日本最後のアーチダム'''」とも言われている。当初の目的では[[洪水調節]]、[[放流 (ダム)#不特定利水|不特定利水]]、灌漑、水力発電の四つの目的があった。 |
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洪水調節については1965年7月梅雨前線豪雨を基準として、毎秒7,000トンの洪水を市房ダムとの連携によって毎秒3,000トン調節し、残りを堤防の新設・改修や河道の拡張・掘削によって賄う。不特定利水については川辺川がアユの豊富な漁場であること、また球磨川が人吉の観光の目玉でもある[[球磨川下り]]を行うことから下流の相良村柳瀬地点においてアユ漁が盛んになる毎年7月から10月までの間毎秒7トン、それ以外の期間は毎秒4トンの[[放流 (ダム)#河川維持放流|河川維持放流]]を行い渇水によるアユ生育阻害を防ぐと共に、人吉市において球磨川下りのシーズンである毎年4月から[[11月10日]]に掛けては毎秒22トン、それ以外の期間は毎秒18トンを放流して球磨川下りの運行を補助し、かつ球磨川の河川環境を一定に保つ。これらの目的は現在においても基本的には変わっていない。 |
洪水調節については1965年7月梅雨前線豪雨を基準として、毎秒7,000トンの洪水を市房ダムとの連携によって毎秒3,000トン調節し、残りを堤防の新設・改修や河道の拡張・掘削によって賄う。不特定利水については川辺川が[[アユ]]の豊富な漁場であること、また球磨川が人吉の観光の目玉でもある[[球磨川下り]]を行うことから下流の相良村柳瀬地点においてアユ漁が盛んになる毎年7月から10月までの間毎秒7トン、それ以外の期間は毎秒4トンの[[放流 (ダム)#河川維持放流|河川維持放流]]を行い渇水によるアユ生育阻害を防ぐと共に、人吉市において球磨川下りのシーズンである毎年4月から[[11月10日]]に掛けては毎秒22トン、それ以外の期間は毎秒18トンを放流して球磨川下りの運行を補助し、かつ球磨川の河川環境を一定に保つ。これらの目的は現在においても基本的には変わっていない。 |
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かんがいについては人吉市および[[球磨郡]][[錦町]]、[[あさぎり町]]、[[多良木町]]、[[湯前町]]、相良村、[山江村]]の農地3,400[[ヘクタール]]に対して、毎秒5.13トンの農業用水を新規に補給する。これによって既設の市房ダムと幸野ダムを水源とする幸野溝や百太郎溝に加えて水源を確保し、農業生産力の向上を図るとしている。 |
かんがいについては人吉市および[[球磨郡]][[錦町]]、[[あさぎり町]]、[[多良木町]]、[[湯前町]]、相良村、[[山江村]]の農地3,400[[ヘクタール]]に対して、毎秒5.13トンの農業用水を新規に補給する。これによって既設の市房ダムと幸野ダムを水源とする幸野溝や百太郎溝に加えて水源を確保し、農業生産力の向上を図るとしている。 |
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水力発電については[[電源開発 |
水力発電については[[電源開発]]株式会社がダム直下にダム式発電所である'''相良発電所'''を建設、最大で16,500[[ワット|キロワット]]を発電するとしていた。球磨川は先に述べたとおり水力発電には絶好の条件を備えた河川であり、球磨川本流にはすでに市房ダムや幸野ダムに加え、最下流の八代市坂本に熊本県企業局が[[荒瀬ダム]]を[[1955年]](昭和30年)に完成させ、電源開発も[[瀬戸石ダム]]を[[1958年]](昭和33年)に完成させていた。{{要出典範囲 |date=2020-07 |電源開発は瀬戸石ダムに続く大規模水力発電事業を川辺川に求め、1960年代に川辺川に大規模[[電力会社管理ダム|発電専用ダム]]の建設を計画していた。この計画に建設省が加わったことで事業主体からは外れたが、電気事業者として参画し、相良発電所の建設に携わった}}。 |
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また、川辺川ダムは九州地方のダムの中では[[ダム#諸元|総貯水容量]]が1億3300万トンと宮崎県の[[一ツ瀬ダム]]([[一ツ瀬川]])・[[鹿児島県]]の[[鶴田ダム]]([[川内川]])に次ぐ規模の大[[人造湖]]を形成することから放流による下流への影響を抑制するため、{{要出典範囲 |date=2020-07 |下流の相良村田代に放流水を調節して下流への水量を一定に整える'''逆調整池'''{{Efn|一ツ瀬ダムには[[杉安ダム]]、鶴田ダムには[[川内川第二ダム]]という逆調整池がそれぞれ直下流に建設されている。}} とダムを建設する予定にしていた(諸元などの詳細は不明)}}。 |
また、川辺川ダムは九州地方のダムの中では[[ダム#諸元|総貯水容量]]が1億3300万トンと宮崎県の[[一ツ瀬ダム]]([[一ツ瀬川]])・[[鹿児島県]]の[[鶴田ダム]]([[川内川]])に次ぐ規模の大[[人造湖]]を形成することから放流による下流への影響を抑制するため、{{要出典範囲 |date=2020-07 |下流の相良村田代に放流水を調節して下流への水量を一定に整える'''逆調整池'''{{Efn|一ツ瀬ダムには[[杉安ダム]]、鶴田ダムには[[川内川第二ダム]]という逆調整池がそれぞれ直下流に建設されている。}} とダムを建設する予定にしていた(諸元などの詳細は不明)}}。 |
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このように当初は多目的ダムとして計画が進められていたが、後述する諸々の事情によって現在は洪水調節と不特定利水を目的とする治水ダムに'''目的が事実上縮小されている'''。{{要出典範囲 |date=2020-07 |また逆調整池ダムは建設計画自体が立ち消えとなっている。}}
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このように当初は多目的ダムとして計画が進められていたが、後述する諸々の事情によって現在は洪水調節と不特定利水を目的とする治水ダムに'''目的が事実上縮小されている'''。{{要出典範囲 |date=2020-07 |また逆調整池ダムは建設計画自体が立ち消えとなっている。}}
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=== 建設の遅れと反対運動 === |
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2013年3月末の用地取得、家屋移転、代替道路、ダム関連工事などの進捗は次の通りである<ref>[http://www.qsr.mlit.go.jp/kawabe/ 川辺川ダム砂防事務所]ホームページ→CONTENTSの「川辺川ダム」→事業の進捗状況【PDF】平成30年3月末時点</ref>。 |
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* 用地取得(1,190件) 98パーセント完了 |
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* 家屋移転(549世帯) 99パーセント完了 |
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* 代替地(宅地) 100パーセント完了 |
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* 付替道路(36.2 km) 90パーセント完了 |
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* ダム本体及び関連工事 仮排水トンネルが1999年7月に完成。現在、本体着工に向けた調査・工事は実施されていない。 |
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== 五木ダム == |
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{{ダム |
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| font-size=small |
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| align=right |
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| margin-right=13px |
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| margin-left=0 |
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| ダム名=五木ダム |
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| 画像= |
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| 所在地=左岸:[[熊本県]][[球磨郡]][[五木村]][[大字]]上荒地<br />右岸:熊本県球磨郡五木村大字上荒地 |
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<!--右上座標表記のバグ回避のためコメントアウト |
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| 緯度=32| 緯分=27| 緯秒=56 |N(北緯)及びS(南緯) = N |
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| 経度=130| 経分=52| 経秒=25 |E(東経)及びW(西経) = E |
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| 地図国コード = 392 |
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--> |
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| 河川=[[球磨川]][[水系]][[川辺川]] |
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| ダム湖=(名称未定) |
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| ダム形式=[[重力式コンクリートダム]] |
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| 堤高=61.0 |
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| 堤頂長=132.0 |
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| 堤体積=417,000 |
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| 総貯水容量=3,500,000 |
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| 有効貯水容量=2,200,000 |
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| 流域面積=214.0 |
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| 湛水面積=35.0 |
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| 利用目的=[[洪水調節]] |
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| 事業主体=熊本県 |
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| 電気事業者=なし |
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| 発電所名(認可出力)=なし |
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| 施工業者=未定 |
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| 着工年=1968年 |
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| 竣工年=2014年 |
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| 備考=[[治水ダム#穴あきダム|穴あきダム]]。現在凍結中。 |
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}} |
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川辺川ダムの上流部においては、川辺川ダムの洪水調節機能を補完・増強するために'''五木ダム'''(いつきダム)の事業も同時に進められていた。高さ61.0メートルの[[重力式コンクリートダム]]であるが、洪水調節のみを目的とする治水ダムであり、かつ平常時には貯水を行わない'''[[治水ダム#穴あきダム|穴あきダム]]'''である。事業者は熊本県であり[[国庫]]の補助を受けて建設される[[治水ダム#補助治水ダム|補助治水ダム]]ではあるが、川辺川ダムとして連携して行われる事業として位置付けられた。 |
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五木ダムは川辺川ダムと連携して事業を行うという建前から川辺川ダムとは異なり、事業が一切進捗していない。ただし、五木村は仮に川辺川ダムの事業が中止になったとしても、五木ダムだけは必ず建設して欲しいと要望している。
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== 建設の遅れと反対運動 == |
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{{出典の明記|section=1|date=2015-07-03}} |
{{出典の明記|section=1|date=2015-07-03}} |
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川辺川ダムは当初[[1976年]](昭和51年)の完成を目標としていたが、その後の事業変更で[[1981年]](昭和56年)、[[1993年]]([[平成]]5年)、[[2000年]](平成12年)そして[[2008年]](平成20年)の完成目標へと四度も完成予定を延期させていった。 |
川辺川ダムは当初[[1976年]](昭和51年)の完成を目標としていたが、その後の事業変更で[[1981年]](昭和56年)、[[1993年]]([[平成]]5年)、[[2000年]](平成12年)そして[[2008年]](平成20年)の完成目標へと四度も完成予定を延期させていった。 |
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137行目: | 140行目: | ||
=== ダム事業により生じる補償案への賛否 === |
=== ダム事業により生じる補償案への賛否 === |
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{{出典の明記|section=1|date=2020-12-07}} |
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1966年に川辺川ダム計画が発表されたが、水没予定となる五木村は即座に﹁ダム絶対反対﹂の意思を表明した。ダムは相良村に建設されるが水没予定地のほとんどは五木村であり、かつ町役場など主要公共機関が集中する中心[[集落|部落]]の頭地部落など'''403[[戸]]・528[[世帯]]'''が水没する。この水没世帯数は[[東京都]]の[[小河内ダム]]︵[[多摩川]]︶の945世帯、[[岩手県]]の[[湯田ダム]]︵和賀川︶の622世帯、奈良県の[[池原ダム]]︵[[北山川]]︶の529戸、[[岐阜県]]の[[徳山ダム]]︵[[揖斐川]]︶の466戸に次ぐ日本では5番目の大規模な水没対象となる。また、ダム自体は相良村に建設されることから、ダム完成後の莫大な[[固定資産税]]は相良村に払われ、五木村には払われない。こうしたことから五木村の存亡に関わり、かつ村には何のメリットもないダム計画であることから、計画の発表と同時に五木村と五木村議会は決議を以ってダム計画に反対する姿勢を明確にした。これ以後、五木村は[[建設省]]︵現‥[[国土交通省]]︶との交渉を拒絶し、建設省関係者の立ち入りも一切拒んだ。
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1966年に川辺川ダム計画が発表されたが、水没予定となる五木村は即座に﹁ダム絶対反対﹂の意思を表明した。ダムは相良村に建設されるが水没予定地のほとんどは五木村であり、かつ町役場など主要公共機関が集中する中心[[集落|部落]]の頭地部落など'''403[[戸]]・528[[世帯]]'''が水没する。この水没世帯数は[[東京都]]の[[小河内ダム]]︵[[多摩川]]︶の945世帯、[[岩手県]]の[[湯田ダム]]︵和賀川︶の622世帯、奈良県の[[池原ダム]]︵[[北山川]]︶の529戸、[[岐阜県]]の[[徳山ダム]]︵[[揖斐川]]︶の466戸に次ぐ日本では5番目の大規模な水没対象となる。また、ダム自体は相良村に建設されることから、ダム完成後の莫大な[[固定資産税]]は相良村に払われ、五木村には払われない。こうしたことから五木村の存亡に関わり、かつ村には何のメリットもないダム計画であることから、計画の発表と同時に五木村と五木村議会は決議を以ってダム計画に反対する姿勢を明確にした。これ以後、五木村は建設省︵現‥国土交通省︶との交渉を拒絶し、建設省関係者の立ち入りも一切拒んだ。
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以後4年間は全く進展がないダム事業であったが、[[1970年]]︵昭和45年 |
以後4年間は全く進展がないダム事業であったが、[[1970年]]︵昭和45年︶6月に初めての動きがあった。五木村は独自の立村計画を策定して建設省に55項目に及ぶ要望書を提出した。建設省はここにおいて五木村との交渉を行うことができ、55項目についての話し合いが行われた。[[1973年]]︵昭和48年︶には国会で'''[[水源地域対策特別措置法]]'''︵水特法︶が成立し、翌[[1974年]]︵昭和49年︶に施行。同年7月20日に政府は全国20のダムを対象として新しい補償対策を講じた。これは水没戸数30戸以上または水没農地面積30ヘクタール以上のダムに対して、道路、電気・ガス、上下水道などの[[インフラ]]や砂防・公園施設などの周辺整備及び補償額を国庫より補助するというものである。川辺川ダムは当時の[[内閣総理大臣]][[田中角栄]]によって20ダムの一つに指定されたが、水没世帯数403戸であったことから﹁'''水特法第9条等指定ダム'''﹂の対象になった。これは水没戸数200戸以上または水没農地面積200ヘクタール以上のダムを対象に、前述の補助をさらに厚くするという施策であった。川辺川ダムは他の6ダム1湖沼{{Efn|川辺川ダムの他[[青森県]]の[[浅瀬石川ダム]]︵浅瀬石川︶、岩手県の[[御所ダム]]︵[[雫石川]]︶、[[栃木県]]の[[川治ダム]]︵[[鬼怒川]]︶、[[石川県]]の[[手取川ダム]]︵[[手取川]]︶、奈良県の大滝ダム︵紀の川︶、熊本県の[[竜門ダム]]︵迫間川︶と[[茨城県]]の[[霞ヶ浦]]。川辺川ダム以外は何れも既に完成︵大滝ダムは一部運用︶している。}} とともに指定され、通常のダムよりも手厚い補償対策が行われることになった。
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こうした政府の動きもあり、五木村は少しずつではあるが態度を軟化。従来一切認めていなかった地質調査などの立ち入りを認める姿勢を採った。ところが1976年に特定多目的ダム法に基づき[[三木内閣]]が川辺川ダムの建設事業基本計画を[[閣議決定]]して建設省が告示すると、補償交渉が妥結していない中での計画策定に住民が反発。五木村の水没住民で組織する'''五木村水没者地権者協議会'''が﹁'''川辺川ダム建設に関する基本計画取消訴訟'''﹂などを[[熊本地方裁判所]]に提訴、ダム建設計画が法廷に持ち込まれる事態となった。これにより好転しつつあった補償交渉は建設省の行為によって振り出しに戻り、法廷闘争などを含めて8年もの間、再度膠着状態となった。
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こうした政府の動きもあり、五木村は少しずつではあるが態度を軟化。従来一切認めていなかった地質調査などの立ち入りを認める姿勢を採った。ところが1976年に特定多目的ダム法に基づき[[三木内閣]]が川辺川ダムの建設事業基本計画を[[閣議決定]]して建設省が告示すると、補償交渉が妥結していない中での計画策定に住民が反発。五木村の水没住民で組織する'''五木村水没者地権者協議会'''が﹁'''川辺川ダム建設に関する基本計画取消訴訟'''﹂などを[[熊本地方裁判所]]に提訴、ダム建設計画が法廷に持ち込まれる事態となった。これにより好転しつつあった補償交渉は建設省の行為によって振り出しに戻り、法廷闘争などを含めて8年もの間、再度膠着状態となった。
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事態が再度動き出すのは[[1984年]]︵昭和59年︶のことである。先に五木村が提出した55項目の要望について大筋で合意が得られ、協議会との間で遂に'''補償交渉を妥結'''する運びとなった。﹁取消訴訟﹂は一審の熊本地方裁判所で協議会側の敗訴となり、[[福岡高等裁判所]]で[[控訴審]]が争われていたが、協議会は交渉妥結に伴い、[[控訴]]を取り下げた。同時期相良村との補償交渉も合意に至り、住民との補償交渉は18年目にして全て終了した。[[1986年]]︵昭和61年︶には水特法に伴う水源地域の指定及び水源整備計画の告示が行われ、コミュニティ維持を図るための代替地建設が開始され、頭地部落は水没予定地から山腹へそのまま集落を移転させる方式で整備が開始された。また、国道でありながら車一台が通れるほどの幅員しかない[[国道445号]]の整備が開始され、片側一車線の整備された道路が五木村中心部{{Efn|現在でも五木村上荒地~五箇荘間、及び五箇荘以遠は未整備である。}} から人吉市までの間で建設され始めた。[[1989年]]︵平成元年︶には五木村によって |
事態が再度動き出すのは[[1984年]]︵昭和59年︶のことである。先に五木村が提出した55項目の要望について大筋で合意が得られ、協議会との間で遂に'''補償交渉を妥結'''する運びとなった。﹁取消訴訟﹂は一審の熊本地方裁判所で協議会側の敗訴となり、[[福岡高等裁判所]]で[[控訴審]]が争われていたが、協議会は交渉妥結に伴い、[[控訴]]を取り下げた。同時期相良村との補償交渉も合意に至り、住民との補償交渉は18年目にして全て終了した。[[1986年]]︵昭和61年︶には水特法に伴う水源地域の指定及び水源整備計画の告示が行われ、コミュニティ維持を図るための代替地建設が開始され、頭地部落は水没予定地から山腹へそのまま集落を移転させる方式で整備が開始された。また、国道でありながら車一台が通れるほどの幅員しかない[[国道445号]]の整備が開始され、片側一車線の整備された道路が五木村中心部{{Efn|現在でも五木村上荒地~五箇荘間、及び五箇荘以遠は未整備である。}} から人吉市までの間で建設され始めた。[[1989年]]︵平成元年︶には五木村によって﹃'''川辺川ダム建設に伴う立村計画'''﹄を発表。建設省はこの計画に沿った代替地整備を進めた。そして代替地・付け替え道路の整備が概ね終了した[[1996年]]︵平成8年︶、熊本県庁と五木村、相良村はダム本体工事の着工に同意。30年の歳月を経て漸く本体工事に取り掛かることになった。
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=== ダム事業そのものに対する賛否 === |
=== ダム事業そのものに対する賛否 === |
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また、この時期は[[公共事業]]に対する国民の視線が厳しくなった時代でもあり、特にダム事業に付いては「ダム反対派」と呼ばれる[[市民団体]]のダム反対運動が盛んになった時期でもあった<ref>{{Cite web|title=川辺川ダム {{!}} 水源連|url=http://suigenren.jp/damlist/dammap/kawabegawadam/|website=水源連(水源開発問題全国連絡会)|accessdate=2020-07-06|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|title=「吉野川第十堰(徳島県)、川辺川ダム(熊本県)、 |
また、この時期は[[公共事業]]に対する国民の視線が厳しくなった時代でもあり、特にダム事業に付いては「ダム反対派」と呼ばれる[[市民団体]]のダム反対運動が盛んになった時期でもあった<ref>{{Cite web|和書|title=川辺川ダム {{!}} 水源連|url=http://suigenren.jp/damlist/dammap/kawabegawadam/|website=水源連(水源開発問題全国連絡会)|accessdate=2020-07-06|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=「吉野川第十堰(徳島県)、川辺川ダム(熊本県)、清津川ダム(新潟県)には、抜本的な見直しを」|url=https://www.nacsj.or.jp/archive/2000/08/875/|website=オフィシャルPro|NACS-J|date=2000-08-24|accessdate=2020-07-06}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会 {{!}} 資料集|ダムによらない治水を検討する場|url=http://tewatasukai.com/data/kento.html|website=tewatasukai.com|accessdate=2020-07-06}}</ref>。 |
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当時は[[長良川河口堰]]︵[[長良川]]︶に対する賛否が全国的に渦巻き、[[第2次橋本内閣]]の[[建設大臣]]であった[[亀井静香]]が[[徳島県]]の[[細川内ダム計画]]︵[[那賀川]]︶を凍結してダム行政の一大転換を図ったことから全国的に未だ建設途上にあるダム事業への風当たりが強まっていた。またこうした運動に対して[[日本共産党]]{{Efn|委員長の[[志位和夫]]が自らダム予定地を視察するなど、特に力を入れている<ref>{{Cite web|title=川辺川ダム 知事反対/国、中止迫られる/熊本|url=https://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-09-12/2008091201_02_0.html|website=日本共産党[[しんぶん赤旗]]|accessdate=2020-07-06|publisher=}}</ref>。}}や、いわゆる[[進歩的文化人]]、﹃[[朝日新聞]]﹄などの一部[[報道機関|マスコミ]]が積極的に関与し、あるいは連携して運動を拡大させていった。また、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]も[[マニフェスト]]において﹁川辺川ダム計画中止﹂を公約に掲げるなど、川辺川ダムに否定的な見解を取っていた<ref>{{Cite web|title=民主党‥菅幹事長が川辺川ダム建設問題で委員会質問﹁違法運営の漁協相手の補償交渉はやめよ﹂︵2001年11月9日︶|url=http://210.135.97.116/news/?num=2412|website= 民主党アーカイブ|accessdate=2020-07-06}}</ref><ref>{{Cite web|title=民主党‥川辺川ダム計画と五木村について|url=http://archive.dpj.or.jp/news/?num=11085|website=archive.dpj.or.jp|accessdate=2020-07-06}}</ref>。
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当時は[[長良川河口堰]]︵[[長良川]]︶に対する賛否が全国的に渦巻き、[[第2次橋本内閣]]の[[建設大臣]]であった[[亀井静香]]が[[徳島県]]の[[細川内ダム計画]]︵[[那賀川]]︶を凍結してダム行政の一大転換を図ったことから全国的に未だ建設途上にあるダム事業への風当たりが強まっていた。またこうした運動に対して[[日本共産党]]{{Efn|委員長の[[志位和夫]]が自らダム予定地を視察するなど、特に力を入れている<ref>{{Cite web|和書|title=川辺川ダム 知事反対/国、中止迫られる/熊本|url=https://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-09-12/2008091201_02_0.html|website=日本共産党[[しんぶん赤旗]]|accessdate=2020-07-06|publisher=}}</ref>。}}や、いわゆる[[進歩的文化人]]、﹃[[朝日新聞]]﹄などの一部[[報道機関|マスコミ]]が積極的に関与し、あるいは連携して運動を拡大させていった。また、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]も[[マニフェスト]]において﹁川辺川ダム計画中止﹂を公約に掲げるなど、川辺川ダムに否定的な見解を取っていた<ref>{{Cite web|和書|title=民主党‥菅幹事長が川辺川ダム建設問題で委員会質問﹁違法運営の漁協相手の補償交渉はやめよ﹂︵2001年11月9日︶|url=http://210.135.97.116/news/?num=2412|website= 民主党アーカイブ|accessdate=2020-07-06}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=民主党‥川辺川ダム計画と五木村について|url=http://archive.dpj.or.jp/news/?num=11085|website=archive.dpj.or.jp|accessdate=2020-07-06}}</ref>。
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川辺川ダムも当初350億円の予算だった事業費が事業の長期化に伴い1984年に1130億円、[[1998年]]︵平成10年︶には約2200億円にまで跳ね上がった{{Efn|その大部分は水没する五木村・相良村への移転補償費、代替地造成や付け替え道路の建設費用に充てられている。ダム自体の工費は本体工事が行われていないので少ない。}} ことから格好の標的となり、[[天野礼子]]や[[まさのあつこ]]など著名なダム反対活動家が川辺川ダムを﹁'''壮大な税金の無駄遣い'''﹂として反対運動を全国的に広めていった。彼らダム反対派は川辺川ダムの目的について逐一検証し、﹁川辺川ダムは無用の長物﹂として建設中止を強固に求めた。
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川辺川ダムも当初350億円の予算だった事業費が事業の長期化に伴い1984年に1130億円、[[1998年]]︵平成10年︶には約2200億円にまで跳ね上がった{{Efn|その大部分は水没する五木村・相良村への移転補償費、代替地造成や付け替え道路の建設費用に充てられている。ダム自体の工費は本体工事が行われていないので少ない。}} ことから格好の標的となり、[[天野礼子]]や[[まさのあつこ]]など著名なダム反対活動家が川辺川ダムを﹁'''壮大な税金の無駄遣い'''﹂として反対運動を全国的に広めていった。彼らダム反対派は川辺川ダムの目的について逐一検証し、﹁川辺川ダムは無用の長物﹂として建設中止を強固に求めた。
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地元熊本県内でのダムに対する疑問も、この時期起こり始めた。『[[毎日新聞]]』記者の福岡賢正が[[1991年]](平成3年)8月から[[1995年]](平成7年)6月まで同紙熊本版に断続的に掲載した「'''再考川辺川ダム'''」連載であった。当時、流域で圧倒的なシェアを誇る地元紙『[[熊本日日新聞]]』の論調は、ダムに対する否定的な記事は一切見られず、むしろ川辺川ダムのPRを大々的に行う全面広告企画特集を組むなど「ダム肯定」とも取れる風潮にあった。その中で福岡は独自に科学的なデータを集めて検証し、建設省が訴えるダム建設理由の不合理性を次々と指摘した。基本高水流量の妥当性、森林保水力の有無、球磨川本流と川辺川の水質の差異などについて、具体的な数値を示して国の主張に真っ向から反論した。これらの論点は、今日に至るまで国土交通省と反対派による主要な争点として議論され続けており、川辺川ダム反対運動における福岡の影響は、その先鞭を付けたという意味で極めて大きい。同連載は後に「国が川を壊す理由」(葦書房)として出版され、この連載をきっかけに[[1992年]](平成4年)には地元で「清流球磨川・川辺川を未来に手渡す会」が発足。翌[[1993年]](平成5年)には「清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会」として改組し、今日に至っている。 |
地元熊本県内でのダムに対する疑問も、この時期起こり始めた。﹃[[毎日新聞]]﹄記者の福岡賢正が[[1991年]]︵平成3年︶8月から[[1995年]]︵平成7年︶6月まで同紙熊本版に断続的に掲載した﹁'''再考川辺川ダム'''﹂連載であった。当時、流域で圧倒的なシェアを誇る地元紙﹃[[熊本日日新聞]]﹄の論調は、ダムに対する否定的な記事は一切見られず、むしろ川辺川ダムのPRを大々的に行う全面広告企画特集を組むなど﹁ダム肯定﹂とも取れる風潮にあった。その中で福岡は独自に科学的なデータを集めて検証し、建設省が訴えるダム建設理由の不合理性を次々と指摘した。基本高水流量の妥当性、[[森林]]保水力の有無、球磨川本流と川辺川の水質の差異などについて、具体的な数値を示して国の主張に真っ向から反論した。これらの論点は、今日に至るまで国土交通省と反対派による主要な争点として議論され続けており、川辺川ダム反対運動における福岡の影響は、その先鞭を付けたという意味で極めて大きい。同連載は後に﹁国が川を壊す理由﹂︵葦書房︶として出版され、この連載をきっかけに[[1992年]]︵平成4年︶には地元で﹁清流球磨川・川辺川を未来に手渡す会﹂が発足。翌[[1993年]]︵平成5年︶には﹁清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会﹂として改組し、今日に至っている。
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さらに地元の住民の中には昭和40年7月[[梅雨前線]]豪雨の被害を市房ダムの放流が原因であるとする住民も多く、かつ清流で名高い川辺川の環境を破壊するとして﹁'''清流川辺川を守る県民の会'''﹂など複数の市民団体が誕生。県内外の反対派と連携して反対活動を広げた。これら一連の活動は書籍やマスコミなどを通じて全国に知れ渡り、川辺川ダム問題を広く世に問う役割を果たした。このような経緯から、当初猛烈な反対運動が展開された五木、相良両村の水没予定地域が補償交渉に軟化姿勢を示し始めた後に、ダムの受益地とも言える下流域、及び流域外において本格的な反対運動が始まるという皮肉な結果となった。
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さらに地元の住民の中には昭和40年7月[[梅雨前線]]豪雨の被害を市房ダムの放流が原因であるとする住民も多く、かつ清流で名高い川辺川の環境を破壊するとして﹁'''清流川辺川を守る県民の会'''﹂など複数の市民団体が誕生。県内外の反対派と連携して反対活動を広げた。これら一連の活動は書籍やマスコミなどを通じて全国に知れ渡り、川辺川ダム問題を広く世に問う役割を果たした。このような経緯から、当初猛烈な反対運動が展開された五木、相良両村の水没予定地域が補償交渉に軟化姿勢を示し始めた後に、ダムの受益地とも言える下流域、及び流域外において本格的な反対運動が始まるという皮肉な結果となった。
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==== 治水 ==== |
==== 治水 ==== |
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{{出典の明記|section=1|date=2020-12-07}} |
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最大の論点となったのは治水効果についてである。反対派は国土交通省が定めた計画高水流量が過大であるとし、川辺川ダム建設を前提にした空論であると指摘した。また昭和40年の豪雨は市房ダムの放流が被害を拡大させたとして、﹁ダムが水害を招いた﹂と非難した。実際人吉市では市房ダム完成以前はせいぜい膝までしか浸水しなかったのが、ダム完成以後人の背丈以上に浸水するようになったという被災住民の話を紹介し、水害を招くダムは不要であると説いた。また、下流の八代市についても萩原にある通称﹁萩原堤防﹂は200年以上も破堤していないとし、球磨川の治水にはダムは不要であると論じた。そして球磨川のこれからの治水については[[ヨーロッパ]]型のダムに拠らない治水対策{{Efn|河川の原状復帰や[[洪積平野]]︵日本では大多数の平野がこれにあたる︶から住居を撤去させて[[遊水池]]化することによる治水対策。これにより[[テムズ川]]や[[ドナウ川]]では1,000年から10,000年に一度の洪水に対応できる治水整備が完成した。}} を図るのが最良として[[森林]]の整備による保水力の増強で計画高水流量が30[[パーセント]]減少するとしたほか、未改修部分への堤防整備と河岸補強、[[遊水池]]の人吉盆地への建設、そして球磨川水系における全てのダム撤去を行うべきと主張した。最終的には球磨川は熊本県だけを流れていることから、国の管理ではなく熊本県が管理する、すなわち一級水系から[[二級水系]]へ変更させるというのが彼らの到達目標でもある。
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最大の論点となったのは治水効果についてである。反対派は国土交通省が定めた計画高水流量が過大であるとし、川辺川ダム建設を前提にした空論であると指摘した。また昭和40年の豪雨は市房ダムの放流が被害を拡大させたとして、﹁ダムが水害を招いた﹂と非難した。実際人吉市では市房ダム完成以前はせいぜい膝までしか浸水しなかったのが、ダム完成以後人の背丈以上に浸水するようになったという被災住民の話を紹介し、水害を招くダムは不要であると説いた。また、下流の八代市についても萩原にある通称﹁萩原堤防﹂は200年以上も破堤していないとし、球磨川の治水にはダムは不要であると論じた。そして球磨川のこれからの治水については[[ヨーロッパ]]型のダムに拠らない治水対策{{Efn|河川の原状復帰や[[洪積平野]]︵日本では大多数の平野がこれにあたる︶から住居を撤去させて[[遊水池]]化することによる治水対策。これにより[[テムズ川]]や[[ドナウ川]]では1,000年から10,000年に一度の洪水に対応できる治水整備が完成した。}} を図るのが最良として森林の整備による保水力の増強で計画高水流量が30[[パーセント]]減少するとしたほか、未改修部分への堤防整備と河岸補強、[[遊水池]]の人吉盆地への建設、そして球磨川水系における全てのダム撤去を行うべきと主張した。最終的には球磨川は熊本県だけを流れていることから、国の管理ではなく熊本県庁が管理する、すなわち一級水系から[[二級水系]]へ変更させるというのが彼らの到達目標でもある。
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一方、国土交通省は計画高水流量については過去の降雨量や洪水量、地形を分析した結果算出したとしてデータを提示して反論。また、ダムによる水害増幅についてはダム単独での治水には限界があると認めながらもそれを防止するために川辺川ダムの建設は必要とし、その上で堤防の増強や河岸補強を実施するとしており、河川改修だけでは洪水被害を回避できないとした。また森林整備については間伐の必要性は認めたが森林整備だけでは水害を防止できないとした。そして遊水地建設とダム撤去については多大な費用や補償案件の発生、環境への影響が未知数であるとして非現実的と一蹴した。 |
一方、国土交通省は計画高水流量については過去の降雨量や洪水量、地形を分析した結果算出したとしてデータを提示して反論。また、ダムによる水害増幅についてはダム単独での治水には限界があると認めながらもそれを防止するために川辺川ダムの建設は必要とし、その上で堤防の増強や河岸補強を実施するとしており、河川改修だけでは洪水被害を回避できないとした。また森林整備については間伐の必要性は認めたが森林整備だけでは水害を防止できないとした。そして遊水地建設とダム撤去については多大な費用や補償案件の発生、環境への影響が未知数であるとして非現実的と一蹴した。 |
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==== 発電 ==== |
==== 発電 ==== |
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{{出典の明記|section=1|date=2020-12-07}} |
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水力発電について反対派は、川辺川ダムに水没する水力発電所の総出力数は15,900キロワット、一方川辺川ダムによって新たに生み出される電力は16,500キロワットでありダム建設によって生まれる新しい電力はわずか600キロワットにしかならず、電源開発を行う意味がないと主張した。また水力発電用ダムが球磨川の環境を破壊していると指摘、ダムを撤去してよりクリーンな[[太陽光発電]]や[[風力発電]]を積極的に導入すべきだとした。しかしながら上記の発電所とは、チッソが水俣工場に送電するための私企業の発電所であり住民用の物ではない。また太陽光発電にはコスト・発電効率の面でまだ難があり、風力発電にしても常時かなり強い風が吹いていなければ電力を賄うことは容易ではない。 |
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水力発電について反対派は、川辺川ダムに水没する水力発電所の総出力数は15,900キロワット、一方、川辺川ダムによって新たに生み出される電力は16,500キロワットでありダム建設によって生まれる新しい電力はわずか600キロワットにしかならず、電源開発を行う意味がないと主張した。また水力発電用ダムが球磨川の環境を破壊していると指摘、ダムを撤去してよりクリーンな[[太陽光発電]]や[[風力発電]]を積極的に導入すべきだとした。しかしながら上記の発電所とは、[[チッソ]]が水俣工場に送電するための私企業の発電所であり住民用の物ではない。また太陽光発電にはコスト・発電効率の面でまだ難があり、風力発電にしても常時かなり強い風が吹いていなければ電力を賄うことは容易ではない。 |
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==== 環境 ==== |
==== 環境 ==== |
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{{出典の明記|section=1|date=2020-12-07}} |
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環境については反対派が最も強調するところであり、ダム建設は河川環境・[[生態系]]を根本的に破壊し、川辺川のアユを死滅させると非難した。また[[アメリカ合衆国内務省]]開拓局長官であったウィリアム・ビアードの言を引き合いに﹁アメリカではダム建設の時代は終わり、ダム撤去が主流になっている{{Efn|ビアードの発言およびアメリカのダム撤去詳細については[[ダム建設の是非#米国のダム事情]]を参照。}}。日本でもダム撤去を促進すべきだ﹂と主張。川辺川ダム建設などもってのほかとした。この時期の[[熊本県知事]]であった[[潮谷義子]]が[[2010年]]︵平成22年︶に[[水利権]]が失効する荒瀬ダムを、失効後撤去すると発表した{{Efn|2008年6月4日に蒲島熊本県知事が﹁撤去に伴う費用が増大し、費用対効果に疑問がある﹂として撤去を凍結する方針に転換したが、2010年の水利権失効を契機としてダム撤去方針に再転換し、2018年に撤去が完了した。}}ことから反対派はさらに勢いづき、次は瀬戸石ダムを撤去して最終的に球磨川からダムをなくすべきと現在でも主張している。
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環境については反対派が最も強調するところであり、ダム建設は河川環境・[[生態系]]を根本的に破壊し、川辺川のアユを死滅させると非難した。また[[アメリカ合衆国内務省]]開拓局長官であったウィリアム・ビアードの言を引き合いに﹁アメリカではダム建設の時代は終わり、ダム撤去が主流になっている{{Efn|ビアードの発言およびアメリカのダム撤去詳細については[[ダム建設の是非#米国のダム事情]]を参照。}}。日本でもダム撤去を促進すべきだ﹂と主張。川辺川ダム建設などもってのほかとした。この時期の熊本県知事であった[[潮谷義子]]が[[2010年]]︵平成22年︶に[[水利権]]が失効する荒瀬ダムを、失効後撤去すると発表した{{Efn|2008年6月4日に蒲島熊本県知事が﹁撤去に伴う費用が増大し、費用対効果に疑問がある﹂として撤去を凍結する方針に転換したが、2010年の水利権失効を契機としてダム撤去方針に再転換し、2018年に撤去が完了した。}}ことから反対派はさらに勢いづき、次は瀬戸石ダムを撤去して最終的に球磨川からダムをなくすべきと現在でも主張している。
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一方、国土交通省は川辺川ダムによる河川維持放流によって異常渇水によるアユのへい死を防止できるとし、また定期的な維持放流は河川環境を維持するのに役立つと反論。またアメリカのダム撤去についてはその多くが日本では[[堰]]と呼ばれる高さ5メートル未満のダム{{Efn|この条件に照らし合わせた場合、日本でも200箇所以上が撤去されている。}} であり、しかも民間所有であると主張。また[[カリフォルニア州]]を中心に40箇所以上でダムが建設されているとしてアメリカの事情を説明した。 |
一方、国土交通省は川辺川ダムによる河川維持放流によって異常渇水によるアユのへい死を防止できるとし、また定期的な維持放流は河川環境を維持するのに役立つと反論。またアメリカのダム撤去についてはその多くが日本では[[堰]]と呼ばれる高さ5メートル未満のダム{{Efn|この条件に照らし合わせた場合、日本でも200箇所以上が撤去されている。}} であり、しかも民間所有であると主張。また[[カリフォルニア州]]を中心に40箇所以上でダムが建設されているとしてアメリカの事情を説明した。 |
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==== 双方の問題点 ==== |
==== 双方の問題点 ==== |
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{{出典の明記|section=1|date=2020-12-07}} |
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こうした議論などにおいて双方の問題点も浮き彫りになった。国土交通省については八代市の萩原堤防について当初﹁'''フロンティア堤防建設事業'''﹂として堤防の補強を事業計画に据えていたところ、突然事業を中止し、その理由についても明確な説明がされていない。また川辺川[[漁業権]]収用申請における漁民からの同意書提出に際して、既に死亡した人間などの氏名記載や捺印を行うといった捏造を行っていたことが発覚。激しい非難を浴びた。[[蜂の巣城紛争]]に際し運動を主導した[[室原知幸]]は﹁公共事業は法に叶い、理に叶い、情に叶わなければならない﹂と公共事業の在り方について建設省に問い、その反省として水特法などが施行されたがこれら一連の事件はこの思想を根本から否定する行為であった。こうした行政側の強引な姿勢も、川辺川ダム問題を一層複雑にした要因であると各方面から指摘されている。ダムによる﹁水害被害増幅﹂に対する住民への不信については、一般へのダム事業への啓蒙が不足していたことの表れでもある。一部からは電源開発が事業をそのまま行っていれば、川辺川ダムは既に完成していたという見方すらある{{Efn|規模や水没戸数が川辺川ダムと同等以上で、施工時期が同時期であった石川県の手取川ダムは、川辺川ダムと同時期の[[1967年]]︵昭和42年︶に計画が発表されたが、完成したのは[[1979年]]︵昭和54年︶である。電源開発は初代総裁の[[高碕達之助]]以来、補償交渉には特に住民の意思を尊重する対策を採っていた。}}。
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こうした議論などにおいて双方の問題点も浮き彫りになった。国土交通省については八代市の萩原堤防について当初﹁'''フロンティア堤防建設事業'''﹂として堤防の補強を事業計画に据えていたところ、突然事業を中止し、その理由についても明確な説明がされていない。また川辺川[[漁業権]]収用申請における漁民からの同意書提出に際して、既に死亡した人間などの氏名記載や捺印を行うといった捏造を行っていたことが発覚。激しい非難を浴びた。[[蜂の巣城紛争]]に際し運動を主導した[[室原知幸]]は﹁公共事業は法に叶い、理に叶い、情に叶わなければならない﹂と公共事業の在り方について建設省に問い、その反省として水特法などが施行されたがこれら一連の事件はこの思想を根本から否定する行為であった。こうした行政側の強引な姿勢も、川辺川ダム問題を一層複雑にした要因であると各方面から指摘されている。ダムによる﹁水害被害増幅﹂に対する住民への不信については、一般へのダム事業への啓蒙が不足していたことの表れでもある。一部からは電源開発が事業をそのまま行っていれば、川辺川ダムは既に完成していたという見方すらある{{Efn|規模や水没戸数が川辺川ダムと同等以上で、施工時期が同時期であった石川県の手取川ダムは、川辺川ダムと同時期の[[1967年]]︵昭和42年︶に計画が発表されたが、完成したのは[[1979年]]︵昭和54年︶である。電源開発は初代総裁の[[高碕達之助]]以来、補償交渉には特に住民の意思を尊重する対策を採っていた。}}。
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=== ダム建設に基づく利水計画への賛否 === |
=== ダム建設に基づく利水計画への賛否 === |
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{{出典の明記|section=1|date=2020-12-07}} |
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かんがい目的は川辺川ダムの目的の一つであった。本格的に動き出したのは1984年に[[農林水産省]]が'''国営川辺川総合土地改良事業'''を発表したことによる。しかしこのかんがい目的が、川辺川ダムの必要性を問う最大の原因になった。
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かんがい目的は川辺川ダムの目的の一つであった。本格的に動き出したのは1984年に[[農林水産省]]が'''国営川辺川総合土地改良事業'''を発表したことによる。しかしこの灌漑目的が、川辺川ダムの必要性を問う最大の原因になった。
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国営川辺川総合土地改良事業は川辺川ダムを水源として農地増産を行う事業であったが、既にこの頃は[[減反政策]]によって農地自体の減少と農家の減少が顕在化していた。このため当初から不要な事業ではないかという疑問が呈されていた。また参加する農家も川辺川ダム事業費の増大によって負担額が増大、これに疑問を呈する農家も次第に現れてきた。こうした経緯から[[1994年]]︵平成6年︶に対象農家の一部は川辺川ダムを水源に求めるという事業変更を取り消すように[[農林水産大臣]]に異議を申し立てたが却下されたため、[[1996年]]︵平成8年︶に農家は熊本地裁に無効申し立てを行う訴訟を起こした。このいわゆる﹁'''川辺川利水訴訟'''﹂は[[2000年]]︵平成12年︶に地裁で原告敗訴となるが、原告は福岡高裁に控訴した。この頃には参加する原告数は2,000人と対象農家の半数に上り、問題の大きさを物語った。そして三年後の[[2003年]]︵平成15年︶5月福岡高裁控訴審判決で﹁異議申し立て取り消しは無効﹂とする原告勝訴の逆転判決となった。被告である農林水産省は[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]に[[上告]]せず、判決は確定した。
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国営川辺川総合土地改良事業は川辺川ダムを水源として農地増産を行う事業であったが、既にこの頃は[[減反政策]]によって農地自体の減少と農家の減少が顕在化していた。このため当初から不要な事業ではないかという疑問が呈されていた。また参加する農家も川辺川ダム事業費の増大によって負担額が増大、これに疑問を呈する農家も次第に現れてきた。こうした経緯から[[1994年]]︵平成6年︶に対象農家の一部は川辺川ダムを水源に求めるという事業変更を取り消すように[[農林水産大臣]]に異議を申し立てたが却下されたため、[[1996年]]︵平成8年︶に農家は熊本地裁に無効申し立てを行う訴訟を起こした。このいわゆる﹁'''川辺川利水訴訟'''﹂は[[2000年]]︵平成12年︶に地裁で原告敗訴となるが、原告は福岡高裁に控訴した。この頃には参加する原告数は2,000人と対象農家の半数に上り、問題の大きさを物語った。そして三年後の[[2003年]]︵平成15年︶5月福岡高裁控訴審判決で﹁異議申し立て取り消しは無効﹂とする原告勝訴の逆転判決となった。被告である農林水産省は[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]に[[上告]]せず、判決は確定した。
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これ以降国営川辺川総合土地改良事業における川辺川ダムの立ち位置は次第に変化した。2005年農林水産省は水源を求める案として従来の﹁川辺川ダム案﹂と相良村に[[可動堰]]を建設してこれを水源とする﹁'''相良穴藤堰案'''﹂を呈示。原告やダム反対派は﹁堰案﹂を支持した。さらに翌[[2006年]]︵平成18年︶5月には従来の両案に加え川辺川ダムに水没予定となっているチッソ所有の川辺川第二ダムから取水する﹁'''川辺川第二ダム取水案'''﹂を呈示。熊本県は﹁第二ダム案﹂に沿った事業認定手続きを始めると表明した。一方この事業はかんがい受益地の人吉市など球磨川流域の自治体が参加しているが、農家と同様に川辺川ダム事業費の増加による負担増に難渋していた。この中で8月、相良村村長であった[[矢上雅義]]は第三の道を求めて利水事業からの離脱を表明、11月には従来賛成の立場であった川辺川ダムについても反対の姿勢を採ると表明した。12月には村で行われたダム反対集会に後援するなど﹁反ダム﹂を明確にし、2008年3月には村長を辞職して熊本県知事選挙に無所属で立候補{{Efn|矢上の辞職に伴う相良村長選挙ではダム事業に﹁保留﹂の立場を示す徳田正臣前町議が﹁ダム反対﹂﹁ダム推進﹂の2候補を破って当選している}}、ダム反対を訴えた。
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これ以降国営川辺川総合土地改良事業における川辺川ダムの立ち位置は次第に変化した。2005年農林水産省は水源を求める案として従来の﹁川辺川ダム案﹂と相良村に[[可動堰]]を建設してこれを水源とする﹁'''相良穴藤堰案'''﹂を呈示。原告やダム反対派は﹁堰案﹂を支持した。さらに翌[[2006年]]︵平成18年︶5月には従来の両案に加え川辺川ダムに水没予定となっているチッソ所有の川辺川第二ダムから取水する﹁'''川辺川第二ダム取水案'''﹂を呈示。熊本県は﹁第二ダム案﹂に沿った事業認定手続きを始めると表明した。一方この事業はかんがい受益地の人吉市など球磨川流域の自治体が参加しているが、農家と同様に川辺川ダム事業費の増加による負担増に難渋していた。この中で8月、相良村村長であった[[矢上雅義]]は第三の道を求めて利水事業からの離脱を表明、11月には従来賛成の立場であった川辺川ダムについても反対の姿勢を採ると表明した。12月には村で行われたダム反対集会に後援するなど﹁反ダム﹂を明確にし、2008年3月には村長を辞職して熊本県知事選挙に無所属で立候補{{Efn|矢上の辞職に伴う相良村長選挙ではダム事業に﹁保留﹂の立場を示す徳田正臣前町議が﹁ダム反対﹂﹁ダム推進﹂の2候補を破って当選している}}、ダム反対を訴えた。
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[[2008年]]の熊本県知事選挙では、立候補した5候補のうちダム事業推進を明言するものはおらず、矢上を含む4候補が﹁ダム事業反対﹂を明言。結果的に[[自由民主党 (日本)|自民党]]の推薦を受けダム計画に﹁保留﹂の立場を示した |
[[2008年]]の熊本県知事選挙では、立候補した5候補のうちダム事業推進を明言するものはおらず、矢上を含む4候補が﹁ダム事業反対﹂を明言。結果的に[[自由民主党 (日本)|自民党]]の推薦を受けダム計画に﹁保留﹂の立場を示した蒲島郁夫が大差で勝利したものの、人吉市も従来ダム推進の立場をとっていた市長退陣後の選挙で当選した[[田中信孝]]市長がダム問題に中立姿勢を示すなど、自治体の対応に変化が起こっている。
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こうした流れを受けて農林水産省は2007年1月、事業の水源について﹁川辺川ダムに依存した形での水源案を取りまとめない﹂と表明。事実上、川辺川ダム事業からの撤退を表明した。さらに同年6月には電源開発も長引くダム事業に電力開発の費用対効果が成り立たないとして水力発電事業からの撤退を表明。ここにおいて'''川辺川ダムの利水目的は喪失'''した。また球磨川[[漁業協同組合]]との漁業権交渉不調による国土交通省の[[土地収用法]]に基づく収用についても、先に述べた捏造などが発覚して2005年に熊本県収用委員会より漁業権収用申請を取り下げるよう勧告され、従わない場合は却下すると最後通告されたことから国土交通省は収用を断念。ここにおいて川辺川ダム計画は事実上白紙の状態に陥った。
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こうした流れを受けて農林水産省は2007年1月、事業の水源について﹁川辺川ダムに依存した形での水源案を取りまとめない﹂と表明。事実上、川辺川ダム事業からの撤退を表明した。さらに同年6月には電源開発も長引くダム事業に電力開発の費用対効果が成り立たないとして水力発電事業からの撤退を表明。ここにおいて'''川辺川ダムの利水目的は喪失'''した。また球磨川[[漁業協同組合]]との漁業権交渉不調による国土交通省の[[土地収用法]]に基づく収用についても、先に述べた捏造などが発覚して2005年に熊本県収用委員会より漁業権収用申請を取り下げるよう勧告され、従わない場合は却下すると最後通告されたことから国土交通省は収用を断念。ここにおいて川辺川ダム計画は事実上白紙の状態に陥った。
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このように、川辺川ダム事業においては、住民側と行政側が計画論で対立し、計画策定から40年たってもなおダム本体の着手︵あるいは計画の抜本的見直し︶にめどが立たない状況にある。この状況は、[[文部科学省]]の外郭団体である[[科学技術振興機構]] (JST) のまとめた﹁失敗百選﹂において﹁'''︵住民と行政の︶合意形成の軽視による失敗例'''﹂として、[[諫早湾干拓事業]]等と共に選出されている<ref>[http://www.sozogaku.com/fkd/hf/HD0000140.pdf ﹁失敗知識データベース﹂失敗百選・川辺川ダム]</ref>{{Efn|なお、この﹁失敗百選﹂はこうした公共事業の失敗 |
このように、川辺川ダム事業においては、住民側と行政側が計画論で対立し、計画策定から40年たってもなおダム本体の着手︵あるいは計画の抜本的見直し︶にめどが立たない状況にある。この状況は、[[文部科学省]]の外郭団体である[[科学技術振興機構]] (JST) のまとめた﹁失敗百選﹂において﹁'''︵住民と行政の︶合意形成の軽視による失敗例'''﹂として、[[諫早湾干拓事業]]等と共に選出されている<ref>[http://www.sozogaku.com/fkd/hf/HD0000140.pdf ﹁失敗知識データベース﹂失敗百選・川辺川ダム]</ref>{{Efn|なお、この﹁失敗百選﹂はこうした公共事業の失敗に限らず、[[日本航空123便墜落事故]]のような大規模事故や[[三菱リコール隠し]]のような企業の不祥事も選ばれている。}}。
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== 事業中止とその後 == |
=== 事業中止とその後 === |
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=== 蒲島知事の意見表明と関係者の反応 === |
==== 蒲島知事の意見表明と関係者の反応 ==== |
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このように川辺川ダムは相次ぐ共同事業者の事業撤退により、多目的ダムから治水ダムへの計画変更を余儀無くされた。だが八代市をはじめ人吉市と相良村を除く市町村はダム推進の姿勢を崩しておらず、﹁例え利水目的がなくなったとしても、川辺川ダムを治水ダムとして建設して欲しい﹂と要望している。この背景には[[2006年]]の[[平成18年7月豪雨]]による九州南部の未曾有の被害があり、球磨川流域でも[[市房ダム]]で総降水量が746ミリを記録し[[球磨村]]や八代市で浸水被害が続発、川辺川も道路損壊や農地浸水の被害が生じた。だがこの時市房ダムは洪水調節機能を発揮していることからダムの再評価も始まっている。山一つ越えた川内川流域での甚大な被害により流域住民が鶴田ダムの治水ダム化を要求しているのも背景にあった。こうしたことから国土交通省は2007年に定めた﹁'''球磨川河川整備基本方針'''﹂<ref>{{Cite report | author =国土交通省 | title =球磨川水系河川整備基本方針 | url =https://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/seibi/pdf/kumagawa101-1.pdf | format = pdf | accessdate = 2020-07-07 }}</ref>においても、川辺川ダムを重要な事業として引き続き推進する方針を採っている。2008年に入ると国土交通省は川辺川ダムの﹁穴あきダム﹂化にも言及した。
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このように川辺川ダムは相次ぐ共同事業者の事業撤退により、多目的ダムから治水ダムへの計画変更を余儀無くされた。だが八代市をはじめ人吉市と相良村を除く市町村はダム推進の姿勢を崩しておらず、﹁例え利水目的がなくなったとしても、川辺川ダムを治水ダムとして建設して欲しい﹂と要望している。この背景には[[2006年]]の[[平成18年7月豪雨]]による九州南部の未曾有の被害があり、球磨川流域でも[[市房ダム]]で総降水量が746ミリを記録し[[球磨村]]や八代市で浸水被害が続発、川辺川も道路損壊や農地浸水の被害が生じた。だがこの時市房ダムは洪水調節機能を発揮していることからダムの再評価も始まっている。山一つ越えた川内川流域での甚大な被害により流域住民が鶴田ダムの治水ダム化を要求しているのも背景にあった。こうしたことから国土交通省は2007年に定めた﹁'''球磨川河川整備基本方針'''﹂<ref>{{Cite report | author =国土交通省 | title =球磨川水系河川整備基本方針 | url =https://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/seibi/pdf/kumagawa101-1.pdf | format = pdf | accessdate = 2020-07-07 }}</ref>においても、川辺川ダムを重要な事業として引き続き推進する方針を採っている。2008年に入ると国土交通省は川辺川ダムの﹁穴あきダム﹂化にも言及した。
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このような状況において、[[2008年]]8月には川辺川利水事業は推進としながらも川辺川ダムへの対応を保留にしていた相良村の[[徳田正臣]]村長が﹁現状のダム建設には反対﹂とする姿勢を明らかにしており<ref>[http://kyushu.yomiuri.co.jp/news-spe/20080707-3239816/news/20080830-OYS1T00205.htm 熊本・相良村長、川辺川ダム﹁現時点では﹂反対]﹃[[読売新聞]]﹄2008年8月30日付</ref>、人吉市の田中市長も﹁ダムは自然環境悪化につながりかねず、市民の多くが否定的だ﹂として反対の意思表明を行っている<ref>[http://kyushu.yomiuri.co.jp/news-spe/20080707-3239816/news/20080902-OYS1T00510.htm 川辺川ダム、人吉市長が撤回要求﹁市民の多く否定的﹂]﹃読売新聞﹄2008年9月2日付</ref>。
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このような状況において、[[2008年]]8月には川辺川利水事業は推進としながらも川辺川ダムへの対応を保留にしていた相良村の[[徳田正臣]]村長が﹁現状のダム建設には反対﹂とする姿勢を明らかにしており<ref>[http://kyushu.yomiuri.co.jp/news-spe/20080707-3239816/news/20080830-OYS1T00205.htm 熊本・相良村長、川辺川ダム﹁現時点では﹂反対]﹃[[読売新聞]]﹄2008年8月30日付</ref>、人吉市の田中市長も﹁ダムは自然環境悪化につながりかねず、市民の多くが否定的だ﹂として反対の意思表明を行っている<ref>[http://kyushu.yomiuri.co.jp/news-spe/20080707-3239816/news/20080902-OYS1T00510.htm 川辺川ダム、人吉市長が撤回要求﹁市民の多く否定的﹂]﹃読売新聞﹄2008年9月2日付</ref>。
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[[2008年]][[9月11日]]の県議会において蒲島熊本県知事は、「住民のニーズに求めうる『'''ダムによらない治水'''』のための検討を極限まで追求すべき」<ref>{{ |
[[2008年]][[9月11日]]の県議会において蒲島熊本県知事は、「住民のニーズに求めうる『'''ダムによらない治水'''』のための検討を極限まで追求すべき」<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pref.kumamoto.jp/sec_img/0141/200811120707032.pdf|title=川辺川ダム事業に関する知事の臨時記者会見要旨|accessdate=2020-12-07|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120729114208/http://www.pref.kumamoto.jp/sec_img/0141/200811120707032.pdf|archivedate=2008-11-12}}</ref>として、現行計画を白紙撤回することを求め、球磨川河川整備基本方針への不同意の方針を表明した。{{要出典範囲|date=2020年7月|この発表は、直後の世論調査で県民の85%が支持した}}。 |
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{{Quotation|そもそも治水とは、流域住民の生命・財産を守ることを目的としています。日本三大急流のひとつ球磨川は、時として猛威をふるい、そこに住む人たちの生命・財産を脅かすことのある川です。だからこそ治水が必要となります。そして、河川管理者である国は、その責任を全うするため、計画的に河川整備に取り組んでいます。このことは、まぎれもなく政治と行政が責任をもって果たすべきものです。
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{{Quotation|そもそも治水とは、流域住民の生命・財産を守ることを目的としています。日本三大急流のひとつ球磨川は、時として猛威をふるい、そこに住む人たちの生命・財産を脅かすことのある川です。だからこそ治水が必要となります。そして、河川管理者である国は、その責任を全うするため、計画的に河川整備に取り組んでいます。このことは、まぎれもなく政治と行政が責任をもって果たすべきものです。
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しかし、守るべきものはそれだけでしょうか。私たちは、﹁生命・財産を守る﹂というとき、財産を﹁個人の家や持ち物、公共の建物や設備﹂と捉えがちです。しかし、いろいろな方々からお話を伺ううちに、人吉・球磨地域に生きる人々にとっては、球磨川そのものが、かけがえのない財産であり、守るべき﹁宝﹂なのではないかと思うに至ったのです。|蒲島熊本県知事|[https://www.pref.kumamoto.jp/kiji_4560.html 熊本県平成20年9月定例県議会 -3.私の判断]}}
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しかし、守るべきものはそれだけでしょうか。私たちは、﹁生命・財産を守る﹂というとき、財産を﹁個人の家や持ち物、公共の建物や設備﹂と捉えがちです。しかし、いろいろな方々からお話を伺ううちに、人吉・球磨地域に生きる人々にとっては、球磨川そのものが、かけがえのない財産であり、守るべき﹁宝﹂なのではないかと思うに至ったのです。|蒲島熊本県知事|[https://www.pref.kumamoto.jp/kiji_4560.html 熊本県平成20年9月定例県議会 -3.私の判断]}}
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この判断について、蒲島知事は﹁﹃洪水を治める﹄発想から脱却し﹃洪水と共生する﹄という新たな考え方に立脚すべき﹂と述べており、ダム事業のみならず球磨川流域における治水事業への新たな指針を示すものであった。なお、蒲島知事は国土交通省から提示された穴あきダム案については﹁ダムによらない治水案を追求した結果提示されたものかどうか疑問﹂として、ダム事業の是非の判断材料とはしなかったとしている。
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この判断について、蒲島知事は﹁﹃洪水を治める﹄発想から脱却し﹃洪水と共生する﹄という新たな考え方に立脚すべき﹂と述べており、ダム事業のみならず球磨川流域における治水事業への新たな指針を示すものであった。なお、蒲島知事は国土交通省から提示された穴あきダム案については﹁ダムによらない治水案を追求した結果提示されたものかどうか疑問﹂として、ダム事業の是非の判断材料とはしなかったとしている。
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こうした人吉市・相良村の姿勢は従来﹁ダム推進﹂で一本化していた球磨川流域自治体の動向にも影響を与えた。[[山江村]]は﹁賛成﹂から﹁中立﹂へと態度を変え、[[あさぎり町]]や[[錦町]]は﹁人吉・相良の考えを尊重する﹂として同調する姿勢を見せた。推進を表明していた下流最大の受益地・[[八代市]]も[[2009年]]︵平成21年︶8月に行われた市長選挙で当選した[[福島和敏]]市長が﹁ダム建設反対﹂方針を明確にし<ref>﹃毎日新聞﹄熊本地方版8月25日付記事 |
こうした人吉市・相良村の姿勢は従来﹁ダム推進﹂で一本化していた球磨川流域自治体の動向にも影響を与えた。[[山江村]]は﹁賛成﹂から﹁中立﹂へと態度を変え、[[あさぎり町]]や[[錦町]]は﹁人吉・相良の考えを尊重する﹂として同調する姿勢を見せた。推進を表明していた下流最大の受益地・[[八代市]]も[[2009年]]︵平成21年︶8月に行われた市長選挙で当選した[[福島和敏]]市長が﹁ダム建設反対﹂方針を明確にし<ref>﹃毎日新聞﹄熊本地方版8月25日付記事</ref>、流域はダム建設に否定的になりつつあった。一方で最大の水没予定地となる五木村は熊本県や人吉市・相良村の対応に猛反発し、従来どおりダム建設の推進を五木村民大会において全会一致で訴えている。この中で﹁仮にダム建設が中止となった場合、五木村の立村計画を県が肩代わりしてくれるのか、財政の厳しい県が行えるのか甚だ疑問だ﹂として蒲島知事の姿勢を厳しく批判している。その一方で国土交通省が﹁ダム中止となれば、村再建対策を行うことが難しくなる﹂と発言したことにも村民から反発の声が挙がった。また[[球磨村]]は﹁慢性的に水害の被害を受けており、対策としてはダムによる水位低下しかない﹂として人吉市などに反発。[[水上村]]も﹁ダム推進で長年一致してきたのに、この一ヶ月で全てが崩れるのは悲しいことだ﹂と懸念を示している。徳田相良村長は五木村に対し﹁ダム反対﹂の姿勢に同調するよう訴えているが五木村との溝は深く、ダム問題は地域間に新たな対立を生み出す可能性も秘めている<ref>﹁[http://kyushu.yomiuri.co.jp/news-spe/20080707-3239816/news/20080905-OYS1T00362.htm 人吉市長・相良村長の川辺川ダム反対表明、流域自治体に波紋]﹂﹃読売新聞﹄2008年9月5日付</ref>。
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=== 民主党政権による事業中止決定 === |
==== 民主党政権による事業中止決定 ==== |
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2008年の知事の意見表明を受け、川辺川ダムは現行の計画を進めることが極めて難しくなった。当時の[[国土交通事務次官]]である春田謙は知事の意見表明を受けた記者会見で「ダムがなくても治水対策がとれるかどうか詰めなければならない」として治水計画の抜本的見直しに言及し、当時の[[内閣総理大臣]]であった[[福田康夫]]も「地元の考え方は尊重されるべきこと」と発言する<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080911-OYT1T00925.htm 川辺川ダム、国交省が見直し方針…首相も「地元を尊重」] - [[読売新聞]]2008年9月11日付電子版</ref> など、現在のダム計画から大きくシフトした治水計画となることは必至と見られていた。しかし一方で春田事務次官は同じ会見の席で「河川環境も大事だが、治水の問題が第一」とも述べており、この時点で川辺川ダム事業を完全に放棄したわけではないという立場も示していた。 |
2008年の知事の意見表明を受け、川辺川ダムは現行の計画を進めることが極めて難しくなった。当時の[[国土交通事務次官]]である春田謙は知事の意見表明を受けた記者会見で「ダムがなくても治水対策がとれるかどうか詰めなければならない」として治水計画の抜本的見直しに言及し、当時の[[内閣総理大臣]]であった[[福田康夫]]も「地元の考え方は尊重されるべきこと」と発言する<ref>[https://web.archive.org/web/20080914161321/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080911-OYT1T00925.htm 川辺川ダム、国交省が見直し方針…首相も「地元を尊重」] - [[読売新聞]]2008年9月11日付電子版</ref> など、現在のダム計画から大きくシフトした治水計画となることは必至と見られていた。しかし一方で春田事務次官は同じ会見の席で「河川環境も大事だが、治水の問題が第一」とも述べており、この時点で川辺川ダム事業を完全に放棄したわけではないという立場も示していた。 |
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そのような中、[[2009年]]に行われた[[第45回衆議院議員総選挙]]において[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]は[[マニフェスト]]に「'''八ッ場ダムと川辺川ダムの建設中止'''」を明記。選挙の結果、民主党が第一党となって政権交代となり[[鳩山由紀夫内閣]]が発足、国土交通大臣に就任した[[前原誠司]]は9月17日の記者会見で「(利水、発電、治水という)当初の3つの大きな目的のうち(利水、発電の)2つがなくなった。事業を見直すのが当たり前」と述べ、川辺川ダム建設事業の中止の意向を明言<ref>「[http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date1&k=2009091700918 川辺川、八ツ場ダムの建設中止=首相、国交相が明言]」[[時事通信]](2009年9月17日)</ref>、[[鳩山由紀夫]]首相も同様の意見表明を行った<ref>「[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090917-OYT1T01004.htm 八ッ場・川辺川ダム建設中止、首相が表明]」『読売新聞』2009年9月17日付</ref>。その後の国交大臣に就任した[[馬淵澄夫]]も川辺川ダム中止方針を踏襲したことにより、川辺川総合開発事業の全面的見直し、すなわち'''川辺川ダム建設事業の中止'''が決定した。 |
そのような中、[[2009年]]に行われた[[第45回衆議院議員総選挙]]において[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]は[[マニフェスト]]に﹁'''八ッ場ダムと川辺川ダムの建設中止'''﹂を明記。選挙の結果、民主党が第一党となって政権交代となり[[鳩山由紀夫内閣]]が発足、国土交通大臣に就任した[[前原誠司]]は9月17日の記者会見で﹁︵利水、発電、治水という︶当初の3つの大きな目的のうち︵利水、発電の︶2つがなくなった。事業を見直すのが当たり前﹂と述べ、川辺川ダム建設事業の中止の意向を明言<ref>﹁[http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date1&k=2009091700918 川辺川、八ツ場ダムの建設中止=首相、国交相が明言]﹂[[時事通信]]︵2009年9月17日︶</ref>、[[鳩山由紀夫]]首相も同様の意見表明を行った<ref>﹁[https://web.archive.org/web/20090924034244/http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090917-OYT1T01004.htm 八ッ場・川辺川ダム建設中止、首相が表明]﹂﹃読売新聞﹄2009年9月17日付</ref>。その後の国交大臣に就任した[[馬淵澄夫]]も川辺川ダム中止方針を踏襲したことにより、川辺川総合開発事業の全面的見直し、すなわち'''川辺川ダム建設事業の中止'''が決定した。
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=== 事業中止による影響 === |
==== 事業中止による影響 ==== |
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一方で、生活再建に関する補償法や特措法の国会での成立は、前原大臣による事業中止直後から度々延期が繰り返されてきた。建設中に地元で進められていたダム本体以外の生活再建事業は、多目的ダム法や水特措法、河川法の下に進められているが、ダム計画中止によって現在進捗中のインフラ整備等の典拠となる法がなくなるため、ハード・ソフト両面での事業進捗の遅延が懸念されていた。
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一方で、生活再建に関する補償法や特措法の国会での成立は、前原大臣による事業中止直後から度々延期が繰り返されてきた。建設中に地元で進められていたダム本体以外の生活再建事業は、多目的ダム法や水特措法、河川法の下に進められているが、ダム計画中止によって現在進捗中のインフラ整備等の典拠となる法がなくなるため、ハード・ソフト両面での事業進捗の遅延が懸念されていた。
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かつて五木村はダム中止を受け入れがたいという姿勢を示しており、補償法案見送りに対しても﹁信頼をなくすもの﹂として早急な法整備と、道路整備など現行法で対応できる事業の先行実施<ref>﹁[http://kumanichi.com/feature/kawabegawa/kiji/20110205001.shtml ダム中止に伴う補償法案見送り 五木村が国交省に抗議]﹂﹃熊本日日新聞﹄2011年2月5日付電子版</ref> を求めているほか、周辺自治体、熊本県、地元選出議員、ダム反対市民グループ等から政府に対しても、補償法や特別措置法等早急な法整備を求める要望が度々提出されていた。
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=== ダムによらない治水の検討 === |
==== ダムによらない治水の検討 ==== |
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川辺川ダムの建設が中止となった2009年以降、球磨川水系を管理する国土交通省は、川辺川ダム以外の治水対策の現実的な手法について﹁極限まで検討し、地域の安全に責任を負う者の間で認識を共有する場﹂として国・県・流域市町村による﹁'''ダムによらない治水を検討する場'''﹂を設け、12回にわたって検討を行った<ref name="mlit-kyogikai">{{Cite web|url= |
川辺川ダムの建設が中止となった2009年以降、球磨川水系を管理する国土交通省は、川辺川ダム以外の治水対策の現実的な手法について﹁極限まで検討し、地域の安全に責任を負う者の間で認識を共有する場﹂として国・県・流域市町村による﹁'''ダムによらない治水を検討する場'''﹂を設け、12回にわたって検討を行った<ref name="mlit-kyogikai">{{Cite web|和書|url=https://www.qsr.mlit.go.jp/yatusiro/river/damuyora/index.html|title=球磨川治水対策協議会・ダムによらない治水を検討する場|website=国土交通省九州地方整備局八代河川国道事務所|accessdate=2020-07-09}}</ref>が、ダム以外に検討されうる﹁直ちに実施する対策﹂による治水手法では実施後に得られる治水安全度が現状よりは向上するものの、︵ダム建設を前提とした︶河川整備基本方針で想定した﹁80年確率﹂より明らかに低い﹁5年確率﹂ないし﹁10年確率﹂にならざるを得ないことが示されたことに住民説明会での懸念が相次ぎ議論がまとまらなかったことも踏まえ、2015年に﹁検討する場﹂を終了させ、新たに﹁'''球磨川治水対策協議会'''﹂を開催し{{R|mlit-kyogikai}}、以下の9つの治水案を示した<ref>{{PDFlink|[https://www.qsr.mlit.go.jp/yatusiro/site_files/file/activity/ikenbosyu/20170105shiryou2.pdf 球磨川治水対策協議会の検討に関する意見募集9つの治水対策案のとりまとめ]}} - 国土交通省九州地方整備局・熊本県</ref>。
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# 中流部(八代市、芦北町、球磨村)・上流部(相良村、錦町、あさぎり町、多良木町、湯前町、水上村)において大規模な引堤(堤防を[[セットバック (土地利用)|セットバック]]し河川そのものを拡幅する)を実施する。 |
# 中流部(八代市、芦北町、球磨村)・上流部(相良村、錦町、あさぎり町、多良木町、湯前町、水上村)において大規模な引堤(堤防を[[セットバック (土地利用)|セットバック]]し河川そのものを拡幅する)を実施する。 |
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# 中流部・上流部において大規模な河道掘削を行う。 |
# 中流部・上流部において大規模な河道掘削を行う。 |
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# 宅地のかさ上げ等を実施する。 |
# 宅地のかさ上げ等を実施する。 |
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# [[輪中]]堤を建設する。 |
# [[輪中]]堤を建設する。 |
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しかし、一つの案で治水対策が完結しないことから複数の案を組み合わせを検討する必要があり、現実的な組み合わせ10案の中で最も安い「堤防嵩上げを中心対策案とした組み合わせ」でも(ダムの残事業費を大幅に上回る)2800億円を要し、最短で効果を発現する放水路建設案でも45年の工期が見込まれること<ref>{{Cite news|url=https://mainichi.jp/articles/20190609/ddl/k43/040/354000c|title=球磨川治水対策協議会 会合で国と県、10案示す 知事・流域首長会議で検討へ /熊本|newspaper=毎日新聞|date=2019-06-09|accessdate=2020-07-15}}</ref>、さらには「清流川辺川を守る県民の会」などの市民団体が(住民説明会ではなく)[[パブリックコメント]]を実施したことに強く抗議し<ref>{{PDFlink|[ |
しかし、一つの案で治水対策が完結しないことから複数の案を組み合わせを検討する必要があり、現実的な組み合わせ10案の中で最も安い「堤防嵩上げを中心対策案とした組み合わせ」でも(ダムの残事業費を大幅に上回る)2800億円を要し、最短で効果を発現する放水路建設案でも45年の工期が見込まれること<ref>{{Cite news|url=https://mainichi.jp/articles/20190609/ddl/k43/040/354000c|title=球磨川治水対策協議会 会合で国と県、10案示す 知事・流域首長会議で検討へ /熊本|newspaper=毎日新聞|date=2019-06-09|accessdate=2020-07-15}}</ref>、さらには「清流川辺川を守る県民の会」などの市民団体が(住民説明会ではなく)[[パブリックコメント]]を実施したことに強く抗議し<ref>{{PDFlink|[https://www.qsr.mlit.go.jp/yatusiro/site_files/file/activity/kaisaisiryo/20170321kougibun.pdf 球磨川治水対策協議会パブリックコメントに関する抗議文]}} - 子守唄の里・五木を育む清流川辺川を守る県民の会、清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会 2017年1月20日</ref>、球磨川水系の既存4ダム([[荒瀬ダム]]・[[瀬戸石ダム]]・[[幸野ダム]]・[[市房ダム]])の撤去を引き続き主張するなど、案がなかなかまとまらず、9回の議論を経て令和になっても、球磨川水系の河川整備計画が策定できない状況が続いている{{R|mlit-kyogikai}}。 |
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2020年︵ |
2020年︵令和2年︶1月1日時点で一級水系で河川整備計画が策定されていないのは球磨川水系と[[熊野川|新宮川︵熊野川︶]]水系だけである<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/seibi/index.html#map4|title=一級︵大臣管理区間︶河川整備計画策定状況︵令和2年1月1日現在︶|website=国土交通省水管理・国土保全局|accessdate=2020-07-09}}</ref>。なお、河川整備計画が策定されない中でも、国及び県は球磨川・川辺川で河道掘削・護岸補強など局所的な防災対策を継続して実施していた<ref>{{PDFlink|[https://www.qsr.mlit.go.jp/yatusiro/site_files/file/activity/kaisaisiryo/20190607shiryou6.pdf ﹁検討する場﹂で積み上げた対策の進捗状況]}} - 第9回 球磨川治水対策協議会説明資料</ref>。
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<!--川辺川(球磨川)と足羽川を対比させた第三者資料がないためコメントアウト |
<!--川辺川(球磨川)と足羽川を対比させた第三者資料がないためコメントアウト |
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=== 他地域での検討例 === |
=== 他地域での検討例 === |
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[[2004年]]7月の福井豪雨で[[福井市]]を始め足羽川流域は甚大な被害を受けたが、同じ九頭竜川水系で[[真名川ダム]]が建設されている[[大野市]]を始めとした[[真名川]]流域は、足羽川流域と同じ雨量を計測していたにも拘らず浸水被害は皆無に等しかった。ダムの有無で被害状況が大きく変わることが証明された事から、足羽川ダムは福井市等流域自治体・住民の強い要望を受け、2012年(平成24年)7月に足羽川ダム建設事業は継続とする国土交通省の対応方針が決定され<ref>{{Cite report | title =足羽川ダム建設事業の検証に係る検討資料(平成24年6月) | url =https://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/tisuinoarikata/dai24kai/dai24kai_ref1-1.pdf | publisher = 国土交通省[[近畿地方整備局]] | accessdate = 2020-07-13 }}</ref>、[[治水ダム|治水専用ダム]]として[[足羽川|部子川]]に[[2006年]](平成18年)建設を再開している。 |
[[2004年]]7月の福井豪雨で[[福井市]]を始め足羽川流域は甚大な被害を受けたが、同じ九頭竜川水系で[[真名川ダム]]が建設されている[[大野市]]を始めとした[[真名川]]流域は、足羽川流域と同じ雨量を計測していたにも拘らず浸水被害は皆無に等しかった。ダムの有無で被害状況が大きく変わることが証明された事から、足羽川ダムは福井市等流域自治体・住民の強い要望を受け、2012年(平成24年)7月に足羽川ダム建設事業は継続とする国土交通省の対応方針が決定され<ref>{{Cite report | title =足羽川ダム建設事業の検証に係る検討資料(平成24年6月) | url =https://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/tisuinoarikata/dai24kai/dai24kai_ref1-1.pdf | publisher = 国土交通省[[近畿地方整備局]] | accessdate = 2020-07-13 }}</ref>、[[治水ダム|治水専用ダム]]として[[足羽川|部子川]]に[[2006年]](平成18年)建設を再開している。 |
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== 令和2年7月豪雨 == |
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<!-- この節名は[[川辺川#災害史]]からリンクされているので、修正する場合は注意 --> |
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{{main|令和2年7月豪雨}} |
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== 五木ダム == |
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ダム以外の治水策が定まらぬ中、平成後期から[[線状降水帯]]と呼ばれる<!--引用元不明なうえ詳細はリンク先で調べられるのでコメントアウト 「次々と発生する発達した雨雲(積乱雲)が列をなした組織化した積乱雲群によって、数時間にわたってほぼ同じ場所を通過または停滞することで作り出される、線状に伸びる長さ50〜300 km程度、幅20〜50 km程度の強い降水をともなう雨域」-->雨域が度々発生し、[[平成21年7月中国・九州北部豪雨]]、[[平成24年7月九州北部豪雨]]、[[平成29年7月九州北部豪雨]]といった豪雨災害をもたらした。 |
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{{出典の明記|section=1|date=2020-12-07}} |
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{{ダム |
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| font-size=small |
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| align=right |
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| margin-right=13px |
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| margin-left=0 |
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| ダム名=五木ダム |
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| 画像= |
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| 所在地=左岸:熊本県球磨郡五木村大字上荒地<br />右岸:熊本県球磨郡五木村大字上荒地 |
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<!--右上座標表記のバグ回避のためコメントアウト |
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| 緯度=32| 緯分=27| 緯秒=56 |N(北緯)及びS(南緯) = N |
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| 経度=130| 経分=52| 経秒=25 |E(東経)及びW(西経) = E |
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| 地図国コード = 392 |
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--> |
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| 河川=球磨川水系川辺川 |
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| ダム湖=(名称未定) |
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| ダム形式=重力式コンクリートダム |
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| 堤高=61.0 |
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| 堤頂長=132.0 |
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| 堤体積=417,000 |
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| 総貯水容量=3,500,000 |
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| 有効貯水容量=2,200,000 |
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| 流域面積=214.0 |
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| 湛水面積=35.0 |
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| 利用目的=洪水調節 |
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| 事業主体=熊本県 |
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| 電気事業者=なし |
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| 発電所名(認可出力)=なし |
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| 施工業者=未定 |
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| 着工年=1968年 |
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| 竣工年=2014年 |
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| 備考=[[治水ダム#流水型ダム|穴あきダム]]。現在凍結中。 |
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}} |
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川辺川ダムの上流部においては、川辺川ダムの洪水調節機能を補完・増強するために'''五木ダム'''(いつきダム)の事業も同時に進められていた。高さ61.0メートルの[[重力式コンクリートダム]]であるが、洪水調節のみを目的とする治水ダムであり、かつ平常時には貯水を行わない'''[[治水ダム#流水型ダム|穴あきダム]]'''である。事業者は熊本県であり[[国庫]]の補助を受けて建設される[[治水ダム#補助治水ダム|補助治水ダム]]ではあるが、川辺川ダムとして連携して行われる事業として位置付けられた。 |
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[[2020年]]︵令和2年︶[[7月4日]]以降の豪雨︵[[令和2年7月豪雨]]︶では、人吉市で河川氾濫が発生するなど、人吉市・球磨村など中流域で多くの死者が発生した。球磨川の被害としては、国直轄区間だけで1箇所での決壊・11箇所での氾濫を確認︵後に決壊箇所1箇所を発見<ref>{{Cite press release | title = 球磨川水系球磨川の堤防決壊を新たに発見︵第1報︶ | publisher = 国土交通省九州地方整備局八代河川国道事務所 | date = 2020-07-08 | url =http://www.qsr.mlit.go.jp/yatusiro/site_files/file/news/r2/20200708koumu.pdf | accessdate = 2020-07-13 }}</ref>︶。12箇所のうち、水害の危険性が極めて高い﹁Aランク﹂が1箇所、堤防の高さは想定水位を上回っているものの十分な余裕がない﹁Bランク﹂が6箇所、堤防に壊れた跡などがみられる﹁要注意﹂が5箇所で、堤防の整備率は昨年3月現在、76%にとどまっていた<ref>{{Cite news | title = 決壊・氾濫は﹁重要水防箇所﹂ 球磨川12カ所の危険性、事前に指摘 | newspaper = ﹃[[西日本新聞]]﹄ | date = 2020-07-06 | url = https://www.nishinippon.co.jp/item/n/623344/ | accessdate = 2020-07-08 }}</ref>。また、[[熊本大学]]くまもと水循環・減災研究教育センターの現地調査によれば、豪雨で広く浸水した熊本県人吉市の市街地の浸水高が、昭和40年代にあった二つの水害よりもはるかに高かったことが分かった<ref>{{Cite news | title = 熊本・人吉の水害﹁過去最大級﹂55年前の浸水高超え | newspaper = ﹃朝日新聞﹄ | date = 2020-07-07 | url = https://www.asahi.com/articles/ASN775606N76ULBJ015.html | accessdate = 2020-07-08 }}</ref><ref>[https://cwmd.kumamoto-u.ac.jp/wp/wp-content/uploads/2020/07/report_20200706.pdf 調査速報]</ref>。
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五木ダムは川辺川ダムと連携して事業を行うという建前から川辺川ダムとは異なり、事業が一切進捗していない。ただし、五木村は仮に川辺川ダムの事業が中止になったとしても、五木ダムだけは必ず建設して欲しいと要望している。
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[[市房ダム]]の洪水調節については、中鶴橋下流の多良木観測所<ref>{{ウィキ座標|32|16|10.8|N|130|56|28.1|E||多良木観測所の位置}}</ref>において、最大流入時において流入量の53%にあたる650m³/秒を貯留して下流河川の水位を低減したという発表があった<ref>{{Cite press release | title = 令和2年7月3日からの豪雨に関する熊本県管理ダムの洪水調節効果 | publisher = 熊本県 | date =2020-07-04 | url =https://www.pref.kumamoto.jp/kiji_34120.html | accessdate = 2020-07-13 }}</ref>が、[[京都大学防災研究所]]の災害調査報告によれば、市房ダムによって洪水被害の抑制効果は大きかったものの、市房ダムよりも下流域での流入と川辺川からの流入によって人吉市で氾濫が発生したと分析した<ref>{{Cite report | author = 京都大学防災研究所 | date = 2020-07-07 | title = 2020年7月球磨川水害速報(市房ダムに着目して)第2報 | url = http://ecohyd.dpri.kyoto-u.ac.jp/content/files/DisasterSurvey/2020/report_KumaRiverFloods2020_v2.pdf | format = pdf | accessdate = 2020-07-13 }}</ref>。 |
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被害状況を受けて、蒲島知事は7月5日の時点で「ダムによらない治水を12年間でできなかったことが非常に悔やまれる」と述べた<ref name="mainichi20200706">{{Cite news | title = 蒲島知事「『ダムなし治水』できず悔やまれる」 熊本豪雨・球磨川氾濫 | newspaper = 『毎日新聞』 | date = 2020-07-06 | url = https://mainichi.jp/articles/20200706/k00/00m/040/011000c | accessdate = 2020-07-07 }}</ref>上で、「(ダム建設)反対は民意を反映した。私が知事の間は計画の復活はない」「私自身は極限まで、もっと他のダムによらない治水方法はないのかというふうに考えていきたい」<ref>{{Cite news|url=https://this.kiji.is/652693329621304417|title=川辺川ダム「復活ない」 熊本県の蒲島知事 球磨川治水で|newspaper=熊本日日新聞|date=2020-07-06|accessdate=2020-07-15}}</ref>とコメントした。しかしその翌6日の記者会見では、球磨川の治水策について「今回の災害対応を国や流域市町村と検証し、どういう治水対策をやっていくべきか、新しいダムのあり方についても考える」と述べ<ref>{{Cite news | title = 熊本県知事「ダムのあり方も考える」 球磨川の治水対策巡り発言 | newspaper = 『西日本新聞』 | date = 2020-07-06 | url = https://www.nishinippon.co.jp/item/n/623617/ | accessdate = 2020-07-08 }}</ref>、県が今後進める球磨川の治水対策の検証対象に、中止された川辺川ダムによる治水効果の有無を含めることが報じられている<ref>{{Cite news|url=https://this.kiji.is/653475971650962529|title=川辺川ダム議論再燃も 熊本県、球磨川治水で検証対象|newspaper=『熊本日日新聞』|date=2020-07-08|accessdate=2020-07-15}}</ref>。蒲島知事は2020年8月26日の記者会見で「川辺川ダムも選択肢の一つ」と発言した。なお、計画中止後も流域12市町村で構成する「川辺川ダム建設促進協議会」は活動しており、同年8月20日にダム計画復活を含めた抜本的な治水対策を要望している<ref name="毎日新聞20200826">[https://mainichi.jp/articles/20200826/k00/00m/040/285000c 熊本知事「川辺川ダムも選択肢の一つ」 2008年に白紙撤回「新たな決断必要」]『毎日新聞』ネット版(2020年8月26日)2020年8月28日閲覧</ref>。 |
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一方、この被害を受けて、2009年のダム建設中止の判断とその後の治水計画に対する県の対応に対して様々な論調も見られる。2001年-2003年に国土交通省国土計画局特別調整課長を務めた経済学者の[[高橋洋一 (経済学者)|高橋洋一]]は、2010年発行の自著﹃日本の大問題が面白いほど解ける本 シンプル・ロジカルに考える﹄︵[[光文社新書]]︶で﹁[[埋没費用|サンク・コスト]]論で言えば︵川辺川ダム事業は残事業費1200億円をかければ便益5200億円程度となるので︶工事続行が正しい﹂と記していたことを挙げ、﹁この川辺川ダムがあったらどうかということをぜひ検証してもらいたい﹂﹁ダムのない治水というのはあり得ない﹂﹁﹃ダムによらない治水﹄の方法はあるにはあるが、いずれもコストパフォーマンスではダムの代替にはなり得ない﹂と、コスト論の観点からダム建設中止の判断を批判している<ref>{{Cite web|url=https://news.1242.com/article/233499|title=川辺川ダムが建設されていたら災害は防げたか~九州豪雨|website=[[ニッポン放送]]NEWS ONLINE|date=2020-07-08|accessdate=2020-07-15}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74031|title=九州水害で露わになった民主党政権﹁ダム建設中止﹂の大きすぎる代償|website=現代デジタル|date=2020-07-13|accessdate=2020-07-15}}</ref>。また、元[[大阪府知事]]の[[橋下徹]]は﹁川辺川ダムが本当に必要なのかどうかについて、僕はこの段階で言う立場にはない﹂と前置きし、蒲島知事によるダム中止を表明するまでのプロセスと以後の行動を﹁政治と行政の役割分担﹂の面から評価した上で、ダム建設中止という政治判断に﹁行政の裏付け﹂が整っていなかったと、ダム中止後の計画の不在に対する問題点を指摘<ref>{{Cite web|url=https://president.jp/articles/-/36698|title=橋下徹﹁知事を経験したからわかる熊本・蒲島知事の後悔﹂|website=プレジデント・オンライン|date=2020-07-08|accessdate=2020-07-15}}</ref>、自身の[[Twitter]]では、府知事時代に槇尾川ダム︵[[大津川 (大阪府)|大津川]]水系槇尾川︶事業と[[安威川ダム]]︵[[淀川]]水系[[安威川]]︶事業の是非判断に関わった経緯を引用し、﹁槙尾川ダムについてはダムによらない治水計画をしっかり作成し、ダムよりも水害に強い街になることが確信できたのでダムを中止した﹂﹁安威川ダムについてはダムによらない治水計画は作れなかった︵ので、ダム建設の判断をした︶﹂と述べた上で﹁ダムによらない治水計画が実行できないのであれば、ダムを進めるしかない﹂と述べている<ref>{{Cite news|url=https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/1965636/|title=橋下徹氏がダム建設の是非に言及﹁NOというだけで済むのは無責任なインテリと運動体﹂|newspaper=﹃[[東京スポーツ]]﹄|date=2020-07-09|accessdate=2020-07-15}}</ref>。
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これに対し、ダム建設反対の立場を取った市民グループ「子守唄の里・五木を育む清流川辺川を守る県民の会」代表の中島康は「今回の豪雨は想像を超える水量で、(川辺川)ダムが造られていても意味は無かったと思う」とダム建設議論再燃を牽制するようなコメントを残している<ref>{{Cite news|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2020071100391&g=soc|title=ダム計画、11年前に中止 熊本・球磨川水系、県など反対―議論再燃可能性も|newspaper=[[時事通信]]|date=2020-07-12|accessdate=220-07-15}}</ref>。また、河川行政問題に取り組んできた弁護士の西島和は「川辺川ダムの中止により被害が拡大したとの意見もあるが、実際には想定された雨量や流量を越えた豪雨であり、検証もまだ不十分であることから、ダムがあれば氾濫は防げたかどうかを判断することはできない」とコメントしている<ref>{{Cite news | title = 熊本・球磨川水害に専門家提言「ダムではなく流す対策を」 | newspaper = 『[[日刊ゲンダイ]]』 | date = 2020-07-06 | url = https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/275744 | accessdate = 2020-07-13 }}</ref>。 |
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一方、評論家の[[冷泉彰彦]]はダム建設中止から災害発生後までの一連の流れに対して、蒲島知事の発災後の謝罪コメントに違和感を感じること、地域が「高価であってもダムではない方策で治水を」という判断を選んだこと、([[平成30年7月豪雨]]での[[肱川]]における洪水被害を念頭に)ダムさえ作れば安心かというと決してそうではないということの3点の疑問を挙げ、この球磨川の問題は「脱ダム」か「ダム建設」といった単純な選択肢の問題におさまる問題ではないと指摘している<ref>{{Cite web|url=https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2020/07/3-6.php|title=脱ダム政策への賛否が問題ではない 球磨川治水議論への3つの疑問|website=[[ニューズウィーク]]日本版 コラム|author=冷泉彰彦|date=2020-07-14|accessdate=2020-07-15}}</ref>。 |
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京都大学は、仮にこのダムが計画通りに建設されていた場合、氾濫を避けることは不可能でも市内中心部に溢れ出る水量を一割以下に抑えられたであろうと試算した<ref>{{Cite news | title = ︻独自︼球磨川氾濫 ダムあれば…水量1割以下に 京大試算 | newspaper = ﹃読売新聞﹄ | date = 2020-08-02 | url = https://www.yomiuri.co.jp/science/20200802-OYT1T50072/ | accessdate = 2020-08-02 }}</ref>。
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=== 球磨川豪雨検証委員会 === |
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国土交通省九州地方整備局と熊本県は、2020年8月に﹁平成2年7月球磨川豪雨検証委員会﹂を設置し、球磨川豪雨の被害、洪水流量の推定、検討してきた治水対策などとともに、川辺川ダムが存在した場合の効果について検証することとなった<ref>[http://www.qsr.mlit.go.jp/site_files/file/n-kisyahappyou/r2/20081901.pdf ﹁令和2年7月球磨川豪雨検証委員会﹂の開催について] ﹁令和2年7月球磨川豪雨検証委員会﹂の設置について 、3.検証内容、九州地方整備局・熊本県、2020年8月19日</ref>。
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この委員会の第一回委員会(2020年8月25日)において、川辺川ダムが計画通りに建設されていた場合、今回の洪水の流量 概ね7500トン/秒が、概ね4700トン/秒に抑えられ、2800トン/秒(37パーセント)を減らすことができたとの試算が示された<ref>[http://www.qsr.mlit.go.jp/yatusiro/site_files/file/bousai/gouukensho/20200825shiryou3.pdf 説明資料(3/3)]6.治水対策について(川辺川ダムにより想定される効果)、78ページ、八代河川国道事務所、2020年8月25日</ref><ref>[https://www.asahi.com/articles/ASN8T6T4DN8TTLVB00W.html 熊本)川辺川ダムの「効果」めぐり国と反対派が見解]『朝日新聞』2020年8月26日</ref>。この約4割の水量の減少により、人吉市での浸水被害が防げた可能性が指摘された<ref>{{Cite news | title = 川辺川ダムあれば「水量4割減」 7月豪雨で国交省試算 | newspaper = 『朝日新聞』 | date = 2020-08-25 | url = https://www.asahi.com/articles/ASN8T71Z8N8TTLVB00H.html?iref=sp_new_news_list_n | accessdate = 2020-08-27 }}</ref><ref>[https://mainichi.jp/articles/20200825/k00/00m/040/253000c 国交省「ダムがあれば球磨川の流量4割減らせた」 知事が08年に計画白紙]『毎日新聞』2020年8月25日</ref>。この委員会での議論を受けて、熊本県の蒲島知事は、「流域の首長が一致してダム計画を進めてほしいとしていることを真摯に受けとめる」と述べた<ref>[https://news.yahoo.co.jp/articles/b6d21d0d71532ba355c55609bd690ab6523d4b9b 「川辺川ダムは選択肢」知事表明(熊本県)][[熊本県民テレビ]]、2020年8月25日</ref><ref name="毎日新聞20200826"/>。 |
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== 脚注 == |
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=== 注記 === |
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=== 出典 === |
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== 参考文献・ウェブサイト == |
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* [[建設省]][[河川局]]編集『日本における多目的ダムの概要』(全国河川総合開発促進期成同盟会、1954年) |
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* 建設省河川局開発課『河川総合開発調査実績概要』第一巻(1955年) |
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* 建設省河川局監修『多目的ダム全集』(国土開発調査会、1957年) |
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* 建設省河川局監修・全国河川総合開発促進期成同盟会編『日本の多目的ダム』1963年版([[山海堂 (出版社)|山海堂]]、1963年) |
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* 建設省河川局監修・全国河川総合開発促進期成同盟会編『日本の多目的ダム』1972年版(山海堂、1972年) |
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* 建設省河川局監修・全国河川総合開発促進期成同盟会編『日本の多目的ダム 直轄編』1980年版(山海堂、1980年) |
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* 建設省河川局監修・[[財団法人]][[ダム技術センター]]『日本の多目的ダム』1990年版(山海堂、[990年) |
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* 財団法人[[日本ダム協会]]『ダム年鑑』1991年版 |
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* [[社団法人]][[日本河川協会]]監修『河川便覧』2004年版(国土開発調査会) |
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* [https://www.qsr.mlit.go.jp/kawabe/ 国土交通省九州地方整備局川辺川ダム砂防事務所] |
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* [https://www.pref.kumamoto.jp/hpkiji/pub/List.aspx?c_id=3&class_set_id=2&class_id=2622 熊本県地域振興部川辺川ダム総合対策課]{{リンク切れ|date=2020-12-07}} |
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* [http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=2677 財団法人日本ダム協会『ダム便覧』川辺川ダム] |
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* [http://kawabegawa.jp/ 清流川辺川を守る県民の会] |
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== 関連項目 == |
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** [[五木村]]・[[相良村]]・[[人吉市]]・[[八代市]] |
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** [[荒瀬ダム]] |
** [[荒瀬ダム]] |
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* [[防災]] |
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** [[洪水]] |
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* [[日本のダム]] |
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* [[金子恭之]] |
* [[金子恭之]] |
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* [[築地魚河岸三代目]] |
* 『[[築地魚河岸三代目]]』:「尺アユの涙」で川辺川ダム問題を取りあげている。 |
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== 参考文献 == |
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* [[建設省]][[河川局]]編集『日本における多目的ダムの概要』(全国河川総合開発促進期成同盟会、[[1954年]]) |
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* 建設省河川局開発課『河川総合開発調査実績概要』第一巻([[1955年]]) |
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* 建設省河川局監修『多目的ダム全集』(国土開発調査会、[[1957年]]) |
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* 建設省河川局監修・全国河川総合開発促進期成同盟会編『日本の多目的ダム』1963年版(山海堂、[[1963年]]) |
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* 建設省河川局監修・全国河川総合開発促進期成同盟会編『日本の多目的ダム』1972年版(山海堂、[[1972年]]) |
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* 建設省河川局監修・全国河川総合開発促進期成同盟会編『日本の多目的ダム 直轄編』1980年版(山海堂、[[1980年]]) |
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* 建設省河川局監修・[[財団法人]][[ダム技術センター]]『日本の多目的ダム』1990年版(山海堂、[[1990年]]) |
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* 財団法人[[日本ダム協会]]『ダム年鑑』1991年版([[1991年]]) |
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* [[社団法人]][[日本河川協会]]監修『河川便覧』2004年版(国土開発調査会、[[2004年]]) |
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* [http://www.qsr.mlit.go.jp/kawabe/ 国土交通省九州地方整備局川辺川ダム砂防事務所] |
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* [https://www.pref.kumamoto.jp/hpkiji/pub/List.aspx?c_id=3&class_set_id=2&class_id=2622 熊本県地域振興部川辺川ダム総合対策課] |
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* [http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=2677 財団法人日本ダム協会『ダム便覧』川辺川ダム] |
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* [http://kawabegawa.jp/ 清流川辺川を守る県民の会] |
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== 外部リンク == |
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2024年5月23日 (木) 01:50時点における最新版
この項目は中長期的なダム開発に関する内容を扱っています。 |
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川辺川ダム | |
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建設予定地(2008年5月撮影) | |
所在地 |
左岸:熊本県球磨郡相良村大字四浦字藤田 右岸:熊本県球磨郡相良村大字四浦字堂迫 |
位置 |
北緯32度20分13.9秒 東経130度50分28.2秒 / 北緯32.337194度 東経130.841167度座標: 北緯32度20分13.9秒 東経130度50分28.2秒 / 北緯32.337194度 東経130.841167度 |
河川 | 球磨川水系川辺川 |
ダム諸元 | |
ダム型式 | (洪水調節専用) |
堤高 | 107.5 m m |
堤頂長 | 約300 m m |
湛水面積 | 3.91 km2 ha |
総貯水容量 | 約13,000万m3 m³ |
利用目的 | 洪水調節 |
事業主体 | 国土交通省九州地方整備局 |
着手年/竣工年 | ?/? |
概要[編集]
国土交通省と熊本県庁では2022年、球磨川の今後概ね30年間の具体的な河川整備の目標や内容を示す﹃球磨川水系河川整備計画︵原案︶﹄を公表し[3]、2022年4月4日から5月6日まで、公聴会と意見募集を実施した[4]。この原案は、一部修正されて2022年8月9日に﹃球磨川水系河川整備計画﹄が策定された[5][6]。この中で、川辺川ダムについては次のように記述されていた[7]。 ●形式‥流水型ダム︵洪水調節専用︶ ●位置‥相良町四浦︵さがらちょう ようら︶、既往計画と同じ。 ●ダム形式‥重力式コンクリートダム ●ダム高‥107.5 m ●堤頂長‥約300 m ●総貯水容量‥約13,000万m3 ●湛水面積‥3.91 km2 注‥ダムの諸元については、検討の進捗により変わる可能性がある。ダム事業の進捗状況[編集]
2013年3月末時点の用地取得、家屋移転、代替道路、ダム関連工事などの進捗は次の通りであった[8]。- 用地取得(1,190件):98パーセント完了
- 家屋移転(549世帯):99パーセント完了
- 代替地(宅地):100パーセント完了
- 付替道路(36.2 km):90パーセント完了
- ダム本体及び関連工事:仮排水トンネルが1999年7月に完成。現在、本体着工に向けた調査・工事は実施されていない。
地理[編集]
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令和2年7月豪雨後の計画再始動[編集]
球磨川豪雨検証委員会[編集]
国土交通省九州地方整備局と熊本県庁は、2020年8月に﹁令和2年7月球磨川豪雨検証委員会﹂を設置し、球磨川豪雨の被害、洪水流量の推定、検討してきた治水対策などとともに、川辺川ダムが存在した場合の効果について検証することとなった[28]。 この委員会の第一回委員会︵2020年8月25日︶において、川辺川ダムが計画通りに建設されていた場合、今回の洪水の流量 概ね7500トン/秒が、概ね4700トン/秒に抑えられ、2800トン/秒︵37パーセント︶を減らすことができたとの試算が示された[29][30]。この約4割の水量の減少により、人吉市での浸水被害が防げた可能性が指摘された[31][32]。この委員会での議論を受けて、熊本県の蒲島知事は、﹁流域の首長が一致してダム計画を進めてほしいとしていることを真摯に受けとめる﹂と述べた[33][19]。知事による意見聴取会[編集]
2020年10月15日、蒲島知事による被災地の声を直接聞く意見聴取会が始まる。聴取会は、熊本県の球磨川流域の関係者から治水策や復旧・復興についての意見を聞くもので、7市町村で20回を計画。第1回は球磨地域の農林水産8団体の代表者らが発言を行い、球磨地域農協など5団体がダム建設を早急に進めるよう求めたほか、人吉球磨地域土地改良区連絡協議会からは﹁遊水池案は農家の心を踏みにじるもの。理解は得られない﹂との意見が出された。過去にダムの是非を議論する中で内部対立が生じた球磨川漁業協同組合は、現時点の賛否の表明を避けるなど様々な意見が出された[34]。五木村によるダム建設同意[編集]
国と熊本県庁は2023年1月、川辺川ダムによる水没予定地を抱える五木村の振興に約100億円を支援することを表明し、国・県・市は同年5月に振興計画に同意[1]。2024年4月21日、五木村は村民集会を開いて、木下丈二村長がダム建設受け入れを正式表明した[1]。歴史[編集]
以下は、2020年7月以前の川辺川ダムに関する歴史的経緯である。過去のダムの概要[編集]
国土交通省九州地方整備局が施工を予定していた国土交通省直轄ダムで、高さ107.5メートルのアーチ式コンクリートダムとして1966年︵昭和41年︶から事業が開始された。当初は川辺川、球磨川の治水と人吉盆地への灌漑及び水力発電を目的とした特定多目的ダムであったが、後に治水に目的を絞った治水ダムとして計画された。 事業着手後からダム計画にかかる賛否が相次ぐ中、対象地域の立ち退き移転先への移転等の事業は進んだ︵#ダム事業の進捗状況︶ものの、計画発表から40年余りが過ぎ、受益地とされた球磨川中下流域で住民、農家、漁民などから反対の声が高まり、農家による利水訴訟の原告勝訴、漁業権等の収用裁決申請取り下げなどにより計画が停滞。さらに、2008年3月に就任した蒲島郁夫熊本県知事が﹁ダムに頼らない治水﹂を目指すとして、県としてダム反対を表明。2009年に﹁コンクリートから人へ﹂を標榜した民主党政権によって建設事業が休止された︵後述︶。ただし、事業中止決定後も計画廃止の法的手続きは取られていない[35]。 令和2年︵2020年︶7月豪雨を踏まえた流域治水検討の中で川辺川へのダム建設案が復活しているが、その原案︵2022年4月発表︶では、過去の貯留形ダムではなく、流水型ダムを想定している︵新しいダムの原案︶。沿革[編集]
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![地図](https://maps.wikimedia.org/img/osm-intl,9,32.35,130.8,300x300.png?lang=ja&domain=ja.wikipedia.org&title=%E5%B7%9D%E8%BE%BA%E5%B7%9D%E3%83%80%E3%83%A0&revid=100464123&groups=_b696e3097ff716b98b8cdb2bcacc262c26595791)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f1/Hitoyoshi_Basin_Relief_Map%2C_SRTM-1.jpg/220px-Hitoyoshi_Basin_Relief_Map%2C_SRTM-1.jpg)
当初の計画[編集]
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建設の遅れと反対運動[編集]
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ダム事業により生じる補償案への賛否[編集]
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ダム事業そのものに対する賛否[編集]
また、この時期は公共事業に対する国民の視線が厳しくなった時代でもあり、特にダム事業に付いては﹁ダム反対派﹂と呼ばれる市民団体のダム反対運動が盛んになった時期でもあった[36][37][38]。 当時は長良川河口堰︵長良川︶に対する賛否が全国的に渦巻き、第2次橋本内閣の建設大臣であった亀井静香が徳島県の細川内ダム計画︵那賀川︶を凍結してダム行政の一大転換を図ったことから全国的に未だ建設途上にあるダム事業への風当たりが強まっていた。またこうした運動に対して日本共産党[注釈 9]や、いわゆる進歩的文化人、﹃朝日新聞﹄などの一部マスコミが積極的に関与し、あるいは連携して運動を拡大させていった。また、民主党もマニフェストにおいて﹁川辺川ダム計画中止﹂を公約に掲げるなど、川辺川ダムに否定的な見解を取っていた[40][41]。 川辺川ダムも当初350億円の予算だった事業費が事業の長期化に伴い1984年に1130億円、1998年︵平成10年︶には約2200億円にまで跳ね上がった[注釈 10] ことから格好の標的となり、天野礼子やまさのあつこなど著名なダム反対活動家が川辺川ダムを﹁壮大な税金の無駄遣い﹂として反対運動を全国的に広めていった。彼らダム反対派は川辺川ダムの目的について逐一検証し、﹁川辺川ダムは無用の長物﹂として建設中止を強固に求めた。 地元熊本県内でのダムに対する疑問も、この時期起こり始めた。﹃毎日新聞﹄記者の福岡賢正が1991年︵平成3年︶8月から1995年︵平成7年︶6月まで同紙熊本版に断続的に掲載した﹁再考川辺川ダム﹂連載であった。当時、流域で圧倒的なシェアを誇る地元紙﹃熊本日日新聞﹄の論調は、ダムに対する否定的な記事は一切見られず、むしろ川辺川ダムのPRを大々的に行う全面広告企画特集を組むなど﹁ダム肯定﹂とも取れる風潮にあった。その中で福岡は独自に科学的なデータを集めて検証し、建設省が訴えるダム建設理由の不合理性を次々と指摘した。基本高水流量の妥当性、森林保水力の有無、球磨川本流と川辺川の水質の差異などについて、具体的な数値を示して国の主張に真っ向から反論した。これらの論点は、今日に至るまで国土交通省と反対派による主要な争点として議論され続けており、川辺川ダム反対運動における福岡の影響は、その先鞭を付けたという意味で極めて大きい。同連載は後に﹁国が川を壊す理由﹂︵葦書房︶として出版され、この連載をきっかけに1992年︵平成4年︶には地元で﹁清流球磨川・川辺川を未来に手渡す会﹂が発足。翌1993年︵平成5年︶には﹁清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会﹂として改組し、今日に至っている。 さらに地元の住民の中には昭和40年7月梅雨前線豪雨の被害を市房ダムの放流が原因であるとする住民も多く、かつ清流で名高い川辺川の環境を破壊するとして﹁清流川辺川を守る県民の会﹂など複数の市民団体が誕生。県内外の反対派と連携して反対活動を広げた。これら一連の活動は書籍やマスコミなどを通じて全国に知れ渡り、川辺川ダム問題を広く世に問う役割を果たした。このような経緯から、当初猛烈な反対運動が展開された五木、相良両村の水没予定地域が補償交渉に軟化姿勢を示し始めた後に、ダムの受益地とも言える下流域、及び流域外において本格的な反対運動が始まるという皮肉な結果となった。 こうした活動は熊本県民の世論形成を促進し、川辺川ダムに対する様々な反応を呼んだ。熊本県はこうした世論の盛り上がりを見て川辺川ダムについて県民が考え、発言する場を設けるべく2001年︵平成13年︶12月、川辺川ダム住民討論集会を開催した。第二回目からは国土交通省も参加し、川辺川ダムの目的について賛成派と反対派が鋭い論戦を交わした。双方の主張とは概ねこのようなものであった。治水[編集]
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発電[編集]
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水力発電について反対派は、川辺川ダムに水没する水力発電所の総出力数は15,900キロワット、一方、川辺川ダムによって新たに生み出される電力は16,500キロワットでありダム建設によって生まれる新しい電力はわずか600キロワットにしかならず、電源開発を行う意味がないと主張した。また水力発電用ダムが球磨川の環境を破壊していると指摘、ダムを撤去してよりクリーンな太陽光発電や風力発電を積極的に導入すべきだとした。しかしながら上記の発電所とは、チッソが水俣工場に送電するための私企業の発電所であり住民用の物ではない。また太陽光発電にはコスト・発電効率の面でまだ難があり、風力発電にしても常時かなり強い風が吹いていなければ電力を賄うことは容易ではない。
環境[編集]
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双方の問題点[編集]
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ダム建設に基づく利水計画への賛否[編集]
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事業中止とその後[編集]
蒲島知事の意見表明と関係者の反応[編集]
このように川辺川ダムは相次ぐ共同事業者の事業撤退により、多目的ダムから治水ダムへの計画変更を余儀無くされた。だが八代市をはじめ人吉市と相良村を除く市町村はダム推進の姿勢を崩しておらず、﹁例え利水目的がなくなったとしても、川辺川ダムを治水ダムとして建設して欲しい﹂と要望している。この背景には2006年の平成18年7月豪雨による九州南部の未曾有の被害があり、球磨川流域でも市房ダムで総降水量が746ミリを記録し球磨村や八代市で浸水被害が続発、川辺川も道路損壊や農地浸水の被害が生じた。だがこの時市房ダムは洪水調節機能を発揮していることからダムの再評価も始まっている。山一つ越えた川内川流域での甚大な被害により流域住民が鶴田ダムの治水ダム化を要求しているのも背景にあった。こうしたことから国土交通省は2007年に定めた﹁球磨川河川整備基本方針﹂[43]においても、川辺川ダムを重要な事業として引き続き推進する方針を採っている。2008年に入ると国土交通省は川辺川ダムの﹁穴あきダム﹂化にも言及した。 熊本県はこの基本方針に対し、川辺川ダムの必要性について県民への説明が不十分として説明を要求しており、2008年3月に熊本県知事に就任した蒲島郁夫は河川法に基づく基本方針への同意を判断するにあたって、川辺川ダムの費用対効果や生態系への影響を検証する有識者会議の設置を表明、半年後をめどに知事としての態度を明らかにするとした。有識者会議は8回の会議を経て﹁川辺川ダムに関する有識者会議報告書﹂[44] がとりまとめられたが、報告書では川辺川ダムによる治水対策について﹁地球温暖化を踏まえ、抜本的にはダムによる治水対策が有力な選択肢﹂[注釈 18]としつつも、現行の計画の見直しの必要性に言及している。結果として賛成・反対双方の意見を取りまとめたものの、委員会として賛否を明確にしないものであった。有識者会議の意見書は国土交通省・反対派団体のどちらにも与するものではない評価であったが、反対派はこのような態度も厳しく批判し、従来通り川辺川ダム中止を求めていた。 このような状況において、2008年8月には川辺川利水事業は推進としながらも川辺川ダムへの対応を保留にしていた相良村の徳田正臣村長が﹁現状のダム建設には反対﹂とする姿勢を明らかにしており[45]、人吉市の田中市長も﹁ダムは自然環境悪化につながりかねず、市民の多くが否定的だ﹂として反対の意思表明を行っている[46]。 2008年9月11日の県議会において蒲島熊本県知事は、﹁住民のニーズに求めうる﹃ダムによらない治水﹄のための検討を極限まで追求すべき﹂[47]として、現行計画を白紙撤回することを求め、球磨川河川整備基本方針への不同意の方針を表明した。この発表は、直後の世論調査で県民の85%が支持した[要出典]。 そもそも治水とは、流域住民の生命・財産を守ることを目的としています。日本三大急流のひとつ球磨川は、時として猛威をふるい、そこに住む人たちの生命・財産を脅かすことのある川です。だからこそ治水が必要となります。そして、河川管理者である国は、その責任を全うするため、計画的に河川整備に取り組んでいます。このことは、まぎれもなく政治と行政が責任をもって果たすべきものです。 しかし、守るべきものはそれだけでしょうか。私たちは、﹁生命・財産を守る﹂というとき、財産を﹁個人の家や持ち物、公共の建物や設備﹂と捉えがちです。しかし、いろいろな方々からお話を伺ううちに、人吉・球磨地域に生きる人々にとっては、球磨川そのものが、かけがえのない財産であり、守るべき﹁宝﹂なのではないかと思うに至ったのです。 — 蒲島熊本県知事、熊本県平成20年9月定例県議会 -3.私の判断 この判断について、蒲島知事は﹁﹃洪水を治める﹄発想から脱却し﹃洪水と共生する﹄という新たな考え方に立脚すべき﹂と述べており、ダム事業のみならず球磨川流域における治水事業への新たな指針を示すものであった。なお、蒲島知事は国土交通省から提示された穴あきダム案については﹁ダムによらない治水案を追求した結果提示されたものかどうか疑問﹂として、ダム事業の是非の判断材料とはしなかったとしている。 こうした人吉市・相良村の姿勢は従来﹁ダム推進﹂で一本化していた球磨川流域自治体の動向にも影響を与えた。山江村は﹁賛成﹂から﹁中立﹂へと態度を変え、あさぎり町や錦町は﹁人吉・相良の考えを尊重する﹂として同調する姿勢を見せた。推進を表明していた下流最大の受益地・八代市も2009年︵平成21年︶8月に行われた市長選挙で当選した福島和敏市長が﹁ダム建設反対﹂方針を明確にし[48]、流域はダム建設に否定的になりつつあった。一方で最大の水没予定地となる五木村は熊本県や人吉市・相良村の対応に猛反発し、従来どおりダム建設の推進を五木村民大会において全会一致で訴えている。この中で﹁仮にダム建設が中止となった場合、五木村の立村計画を県が肩代わりしてくれるのか、財政の厳しい県が行えるのか甚だ疑問だ﹂として蒲島知事の姿勢を厳しく批判している。その一方で国土交通省が﹁ダム中止となれば、村再建対策を行うことが難しくなる﹂と発言したことにも村民から反発の声が挙がった。また球磨村は﹁慢性的に水害の被害を受けており、対策としてはダムによる水位低下しかない﹂として人吉市などに反発。水上村も﹁ダム推進で長年一致してきたのに、この一ヶ月で全てが崩れるのは悲しいことだ﹂と懸念を示している。徳田相良村長は五木村に対し﹁ダム反対﹂の姿勢に同調するよう訴えているが五木村との溝は深く、ダム問題は地域間に新たな対立を生み出す可能性も秘めている[49]。民主党政権による事業中止決定[編集]
2008年の知事の意見表明を受け、川辺川ダムは現行の計画を進めることが極めて難しくなった。当時の国土交通事務次官である春田謙は知事の意見表明を受けた記者会見で﹁ダムがなくても治水対策がとれるかどうか詰めなければならない﹂として治水計画の抜本的見直しに言及し、当時の内閣総理大臣であった福田康夫も﹁地元の考え方は尊重されるべきこと﹂と発言する[50] など、現在のダム計画から大きくシフトした治水計画となることは必至と見られていた。しかし一方で春田事務次官は同じ会見の席で﹁河川環境も大事だが、治水の問題が第一﹂とも述べており、この時点で川辺川ダム事業を完全に放棄したわけではないという立場も示していた。 そのような中、2009年に行われた第45回衆議院議員総選挙において民主党はマニフェストに﹁八ッ場ダムと川辺川ダムの建設中止﹂を明記。選挙の結果、民主党が第一党となって政権交代となり鳩山由紀夫内閣が発足、国土交通大臣に就任した前原誠司は9月17日の記者会見で﹁︵利水、発電、治水という︶当初の3つの大きな目的のうち︵利水、発電の︶2つがなくなった。事業を見直すのが当たり前﹂と述べ、川辺川ダム建設事業の中止の意向を明言[51]、鳩山由紀夫首相も同様の意見表明を行った[52]。その後の国交大臣に就任した馬淵澄夫も川辺川ダム中止方針を踏襲したことにより、川辺川総合開発事業の全面的見直し、すなわち川辺川ダム建設事業の中止が決定した。事業中止による影響[編集]
一方で、生活再建に関する補償法や特措法の国会での成立は、前原大臣による事業中止直後から度々延期が繰り返されてきた。建設中に地元で進められていたダム本体以外の生活再建事業は、多目的ダム法や水特措法、河川法の下に進められているが、ダム計画中止によって現在進捗中のインフラ整備等の典拠となる法がなくなるため、ハード・ソフト両面での事業進捗の遅延が懸念されていた。 かつて五木村はダム中止を受け入れがたいという姿勢を示しており、補償法案見送りに対しても﹁信頼をなくすもの﹂として早急な法整備と、道路整備など現行法で対応できる事業の先行実施[53] を求めているほか、周辺自治体、熊本県、地元選出議員、ダム反対市民グループ等から政府に対しても、補償法や特別措置法等早急な法整備を求める要望が度々提出されていた。ダムによらない治水の検討[編集]
川辺川ダムの建設が中止となった2009年以降、球磨川水系を管理する国土交通省は、川辺川ダム以外の治水対策の現実的な手法について﹁極限まで検討し、地域の安全に責任を負う者の間で認識を共有する場﹂として国・県・流域市町村による﹁ダムによらない治水を検討する場﹂を設け、12回にわたって検討を行った[54]が、ダム以外に検討されうる﹁直ちに実施する対策﹂による治水手法では実施後に得られる治水安全度が現状よりは向上するものの、︵ダム建設を前提とした︶河川整備基本方針で想定した﹁80年確率﹂より明らかに低い﹁5年確率﹂ないし﹁10年確率﹂にならざるを得ないことが示されたことに住民説明会での懸念が相次ぎ議論がまとまらなかったことも踏まえ、2015年に﹁検討する場﹂を終了させ、新たに﹁球磨川治水対策協議会﹂を開催し[54]、以下の9つの治水案を示した[55]。 (一)中流部︵八代市、芦北町、球磨村︶・上流部︵相良村、錦町、あさぎり町、多良木町、湯前町、水上村︶において大規模な引堤︵堤防をセットバックし河川そのものを拡幅する︶を実施する。 (二)中流部・上流部において大規模な河道掘削を行う。 (三)中流部・上流部において堤防の嵩上げを行う。 (四)中流部・上流部に複数の遊水池を設ける。 (五)市房ダムを再開発する。 (六)五木村・相良村から八代市・球磨村にかけて放水路を建設する。 (七)流域の保全・流域における対策を実施する。 (八)宅地のかさ上げ等を実施する。 (九)輪中堤を建設する。 しかし、一つの案で治水対策が完結しないことから複数の案を組み合わせを検討する必要があり、現実的な組み合わせ10案の中で最も安い﹁堤防嵩上げを中心対策案とした組み合わせ﹂でも︵ダムの残事業費を大幅に上回る︶2800億円を要し、最短で効果を発現する放水路建設案でも45年の工期が見込まれること[56]、さらには﹁清流川辺川を守る県民の会﹂などの市民団体が︵住民説明会ではなく︶パブリックコメントを実施したことに強く抗議し[57]、球磨川水系の既存4ダム︵荒瀬ダム・瀬戸石ダム・幸野ダム・市房ダム︶の撤去を引き続き主張するなど、案がなかなかまとまらず、9回の議論を経て令和になっても、球磨川水系の河川整備計画が策定できない状況が続いている[54]。 2020年︵令和2年︶1月1日時点で一級水系で河川整備計画が策定されていないのは球磨川水系と新宮川︵熊野川︶水系だけである[58]。なお、河川整備計画が策定されない中でも、国及び県は球磨川・川辺川で河道掘削・護岸補強など局所的な防災対策を継続して実施していた[59]。五木ダム[編集]
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五木ダム | |
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所在地 |
左岸:熊本県球磨郡五木村大字上荒地 右岸:熊本県球磨郡五木村大字上荒地 |
河川 | 球磨川水系川辺川 |
ダム湖 | (名称未定) |
ダム諸元 | |
ダム型式 | 重力式コンクリートダム |
堤高 | 61.0 m |
堤頂長 | 132.0 m |
堤体積 | 417,000 m³ |
流域面積 | 214.0 km² |
湛水面積 | 35.0 ha |
総貯水容量 | 3,500,000 m³ |
有効貯水容量 | 2,200,000 m³ |
利用目的 | 洪水調節 |
事業主体 | 熊本県 |
電気事業者 | なし |
発電所名 (認可出力) | なし |
施工業者 | 未定 |
着手年/竣工年 | 1968年/2014年 |
備考 | 穴あきダム。現在凍結中。 |
脚注[編集]
注記[編集]
出典[編集]
参考文献・ウェブサイト[編集]
●建設省河川局編集﹃日本における多目的ダムの概要﹄︵全国河川総合開発促進期成同盟会、1954年︶ ●建設省河川局開発課﹃河川総合開発調査実績概要﹄第一巻︵1955年︶ ●建設省河川局監修﹃多目的ダム全集﹄︵国土開発調査会、1957年︶ ●建設省河川局監修・全国河川総合開発促進期成同盟会編﹃日本の多目的ダム﹄1963年版︵山海堂、1963年︶ ●建設省河川局監修・全国河川総合開発促進期成同盟会編﹃日本の多目的ダム﹄1972年版︵山海堂、1972年︶ ●建設省河川局監修・全国河川総合開発促進期成同盟会編﹃日本の多目的ダム 直轄編﹄1980年版︵山海堂、1980年︶ ●建設省河川局監修・財団法人ダム技術センター﹃日本の多目的ダム﹄1990年版︵山海堂、[990年︶ ●財団法人日本ダム協会﹃ダム年鑑﹄1991年版 ●社団法人日本河川協会監修﹃河川便覧﹄2004年版︵国土開発調査会︶ ●国土交通省九州地方整備局川辺川ダム砂防事務所 ●熊本県地域振興部川辺川ダム総合対策課[リンク切れ] ●財団法人日本ダム協会﹃ダム便覧﹄川辺川ダム ●清流川辺川を守る県民の会関連項目[編集]
●熊本県の歴史 ●球磨川 ●五木村・相良村・人吉市・八代市 ●荒瀬ダム ●日本のダム ●多目的ダム ●治水ダム ●日本のダムの歴史 ●日本ダム史年表 ●日本の長期化ダム事業 ●ダム建設の是非 ●アーチ式コンクリートダム ●国土交通省直轄ダム ●水源地域対策特別措置法 ●金子恭之 ●﹃築地魚河岸三代目﹄‥﹁尺アユの涙﹂で川辺川ダム問題を取りあげている。外部リンク[編集]
- 川辺川ダム - 失敗知識データベース