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→大学全体: 『中央大学百年史』 通史編下巻、2003年11月1日発行 510頁には公認会計士試験への言及箇所がない。 タグ: 曖昧さ回避ページへのリンク |
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[[東京大学 (1877-1886)|東京大学]]法学部生と卒業生︵1880年。中列右端が合川正道、4人目が[[山田喜之助]]、5人目が[[土方寧]]、8人目が[[岡山兼吉]]、後列右から2人目が[[増島六一郎]]、8人目が渡辺安積︶]]
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[[東京大学 (1877-1886)|東京大学]]法学部生と卒業生︵1880年。中列右端が合川正道、4人目が[[山田喜之助]]、5人目が[[土方寧]]、8人目が[[岡山兼吉]]、後列右から2人目が[[増島六一郎]]、8人目が渡辺安積︶]]
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[[1885年]]([[明治]]18年)7月8日に[[増島六一郎]]、[[菊池武夫 (法律家)|菊池武夫]]、[[穂積陳重]]、[[藤田隆三郎]]ら18人の[[法曹|法律家]]により'''[[英吉利法律学校]]'''として設立され、この日が創立記念日となっている。尚、6月27日に[[東京府]]知事に最初の出願を行ったが書類不備で下げ戻しとなっている。当初は[[英国法]]に関する教育機関であったが、日本でも近代法が整備されると順次、国内法も教授するようになり、校名も東京法学院、東京法学院大学と変更した。[[1905年]](明治38年)8月に経済学科の設置によって中央大学と改称。[[1920年]]([[大正]]9年)に日本の私立大学では同年大学に昇進した[[慶應義塾大学]]や[[早稲田大学]]に続いて、最も古い段階で[[大学令]]に基づく[[大学]]となった(詳しくは「[[旧制大学]]」参照)。 |
[[1885年]]︵[[明治]]18年︶7月8日に[[増島六一郎]]、[[菊池武夫 (法律家)|菊池武夫]]、[[穂積陳重]]、[[藤田隆三郎]]ら18人の[[法曹|法律家]]により'''[[英吉利法律学校]]'''として設立され、この日が創立記念日となっている。校地に関しては[[三菱商業学校]]の跡地を[[三菱]]から購入し、[[英吉利法律学校]]と[[日本学園中学校・高等学校|東京英語学校]]<ref>幾多の変遷を経て2026年4月より明治大学付属世田谷中学校・高等学校となる</ref>が共同使用した。尚、6月27日に[[東京府]]知事に最初の出願を行ったが書類不備で下げ戻しとなっている。当初は[[英国法]]に関する教育機関であったが、日本でも近代法が整備されると順次、国内法も教授するようになり、校名も東京法学院、東京法学院大学と変更した。[[1905年]]︵明治38年︶8月に経済学科の設置によって中央大学と改称。[[1920年]]︵[[大正]]9年︶に日本の私立大学では同年大学に昇進した[[慶應義塾大学]]や[[早稲田大学]]に続いて、最も古い段階で[[大学令]]に基づく[[大学]]となった︵詳しくは﹁[[旧制大学]]﹂参照︶。
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2015年11月に中長期事業計画「Chuo Vision 2025」を策定、[[中央大学法学部|法学部]]を第一候補とする都心移転計画や多摩キャンパスでの新学部開設計画、グローバル化推進などを発表した。この計画をもとに2019年4月には国際経営学部(多摩キャンパス)と国際情報学部(市ヶ谷田町キャンパス)を設置。2021年度までに、多摩キャンパスにおいて新棟(グローバル館・国際教育寮、Forest Gateway Chuo)を整備した。また、2023年に法学部と法学研究科を新設の茗荷谷キャンパスへ、同年に法科大学院とビジネススクールを駿河台キャンパスへ、それぞれ移転した。 |
2015年11月に中長期事業計画「Chuo Vision 2025」を策定、[[中央大学法学部|法学部]]を第一候補とする都心移転計画や多摩キャンパスでの新学部開設計画、グローバル化推進などを発表した。この計画をもとに2019年4月には国際経営学部(多摩キャンパス)と国際情報学部(市ヶ谷田町キャンパス)を設置。2021年度までに、多摩キャンパスにおいて新棟(グローバル館・国際教育寮、Forest Gateway Chuo)を整備した。また、2023年に法学部と法学研究科を新設の茗荷谷キャンパスへ、同年に法科大学院とビジネススクールを駿河台キャンパスへ、それぞれ移転した。 |
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法学部は「'''法科の中央'''(中央の法科)」とも呼ばれ、日本の私立大学を代表する法学部として名高く、これまで法曹界、官界、政界、財界、言論界をはじめ幅広い分野に多くの人材を輩出してきた<ref name="名前なし-20231105132959">「東大首位に返り咲く 司法試験の合格者中大抜き20年ぶり」『[[朝日新聞]]』朝刊1971年10月2日付第23面 |
法学部は「'''法科の中央'''(中央の法科)」とも呼ばれ、日本の私立大学を代表する法学部として名高く、これまで法曹界、官界、政界、財界、言論界をはじめ幅広い分野に多くの人材を輩出してきた<ref name="名前なし-20231105132959">「東大首位に返り咲く 司法試験の合格者中大抜き20年ぶり」『[[朝日新聞]]』朝刊1971年10月2日付第23面</ref>。 |
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=== 建学の精神(校訓・校是) === |
=== 建学の精神(校訓・校是) === |
2024年5月19日 (日) 06:18時点における版
中央大学 | |
---|---|
大学設置 | 1920年 |
創立 | 1885年 |
創立者 | 増島六一郎、菊池武夫、穂積陳重、藤田隆三郎など |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人中央大学 |
本部所在地 |
東京都八王子市東中野742-1 北緯35度38分28.99秒 東経139度24分20.66秒 / 北緯35.6413861度 東経139.4057389度座標: 北緯35度38分28.99秒 東経139度24分20.66秒 / 北緯35.6413861度 東経139.4057389度 |
学生数 | 31,739 |
キャンパス |
多摩(東京都八王子市) 後楽園(東京都文京区) 茗荷谷(東京都文京区) 市ヶ谷(東京都新宿区) 市ヶ谷田町(東京都新宿区) 駿河台(東京都千代田区) 小石川(東京都文京区) |
学部 |
法学部 経済学部 商学部 理工学部 文学部 総合政策学部 国際経営学部 国際情報学部 |
研究科 |
法学研究科 法務研究科(ロースクール) 経済学研究科 商学研究科 理工学研究科 文学研究科 総合政策研究科 国際情報研究科 戦略経営研究科(ビジネススクール) |
ウェブサイト |
www |
大学ランキング | |
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全世界 | |
Times[3] | 1501+ |
建学の精神︵校訓・校是︶
英吉利法律学校設立時の建学の精神は﹁實地應用ノ素ヲ養フ﹂であり、これをもとに建学の精神と学風をまとめて現在では﹁個人の自由の尊重と実証的・合理主義の学風﹂と表現している。また質実剛健を校是としている。さらに、2010年の創立125周年に際して﹁行動する知性。-Knowledge into Action-﹂というユニバーシティ・メッセージを定めている。教育および研究
創立当初から実学教育重視の姿勢を取り、現在でもインターンシップなどの実践的教育に力を入れている。2003年度からは各学部の教育に加えて、学籍は各学部に置きながらも学部横断的に設置された課程に所属するファカルティリンケージプログラム (FLP) を導入し、学際分野でも実践的教育を行うようになった。現在、欧米・東アジアの大学を中心に209校の派遣留学協定大学がある。通信教育課程
偏差値
ベネッセコーポレーションのデータによると、中央大学の入学難易度は、2024年現在﹁59~74﹂となっている[6]。同じく東京都内に本部を置く私立大学で同程度の偏差値帯の主な大学としては、 ●上智大学﹁59~74﹂ ●明治大学﹁60~74﹂ ●立教大学﹁60~75﹂ ●青山学院大学﹁56~73﹂ ●法政大学﹁59~74﹂ ●早稲田大学﹁64~78﹂ ●学習院大学﹁57~72﹂ ●武蔵大学﹁60~67﹂ ●東京理科大学﹁50~70﹂ ●國學院大學﹁48~69﹂ ●成蹊大学﹁52~65﹂ ●明治学院大学﹁56~71﹂ ●成城大学﹁57~64﹂ ●専修大学﹁52~65﹂ ●東洋大学﹁47~66﹂ ●日本大学﹁47~68﹂ ●駒沢大学﹁47~65﹂ などが上げられる[7]。沿革
略歴
1885年︵明治18年︶に増島六一郎、菊池武夫、穂積陳重、藤田隆三郎ら当時の青年法律家有志18名によって英吉利法律学校として創立された。年表
歴代校長・学長
英吉利法律学校校長代 | 氏名 | 就任時期 |
---|---|---|
初代 | 増島六一郎 | 1885年9月 - 1889年10月 |
- 東京法学院院長
代 | 氏名 | 就任時期 |
---|---|---|
初代 | 増島六一郎 | 1889年10月 - 1891年4月 |
第二代 | 菊池武夫 | 1891年4月 - 1903年8月 |
- 東京法学院大学学長
代 | 氏名 | 就任時期 |
---|---|---|
初代 | 菊池武夫 | 1903年8月 - 1905年8月 |
- 1903年(明治36年)より「専門学校令」による大学。
- 学長
代 | 氏名 | 就任時期 |
---|---|---|
初代 | 菊池武夫 | 1905年8月 - 1912年7月 |
第二代 | 奥田義人 | 1912年7月 - 1913年3月 |
第三代 | 岡村輝彦 | 1913年3月 - 1914年6月 |
第四代 | 奥田義人 | 1914年6月 - 1917年8月 |
第五代 | 岡野敬次郎 | 1917年8月 - 1923年9月 |
第六代 | 馬場愿治 | 1923年9月 - 1924年2月 |
第七代 | 岡野敬次郎 | 1924年3月 - 1925年12月 |
第八代 | 馬場愿治 | 1925年12月 - 1930年5月 |
第九代 | 原嘉道 | 1930年5月 - 1939年3月 |
第十代 | 林頼三郎 | 1939年3月 - 1947年3月 |
第十一代 | 加藤正治 | 1948年7月 - 1949年3月 |
第十二代 | 片山金章 | 1958年9月 - 1961年10月 |
第十三代 | 升本喜兵衛 | 1961年10月 - 1967年3月 |
第十四代 | 井上達雄 | 1967年4月 - 1968年4月 |
第十五代 | 戸田修三 | 1968年12月 - 1969年3月 |
第十六代 | 原田鋼 | 1969年5月 - 1969年8月 |
第十七代 | 嶋崎昌 | 1969年11月 - 1972年11月 |
第十八代 | 戸田修三 | 1972年11月 - 1981年11月 |
第十九代 | 川口弘 | 1981年11月 - 1984年11月 |
第二十代 | 川添利幸 | 1984年11月 - 1990年11月 |
第二十一代 | 髙木友之助 | 1990年11月 - 1993年11月 |
第二十二代 | 外間寛 | 1993年11月 - 1999年11月 |
第二十三代 | 鈴木康司 | 1999年11月 - 2002年11月 |
第二十四代 | 角田邦重 | 2002年11月 - 2005年11月 |
第二十五代 | 永井和之 | 2005年11月 - 2011年11月 |
第二十六代 | 福原紀彦 | 2011年11月 - 2014年11月 |
第二十七代 | 酒井正三郎 | 2014年11月 - 2018年5月 |
第二十八代 | 福原紀彦 | 2018年5月 - 2021年5月 |
第二十九代 | 河合久 | 2021年5月 - |
基礎データ
所在地
●多摩キャンパス︵東京都八王子市東中野742-1︶ ●後楽園キャンパス︵東京都文京区春日1-13-27︶ ●市ヶ谷田町キャンパス︵東京都新宿区市谷田町1-18︶ ●茗荷谷キャンパス︵東京都文京区大塚1-4-1︶ ●駿河台キャンパス︵東京都千代田区神田駿河台3-11-5︶ ●小石川キャンパス︵東京都文京区春日1-4-11︶象徴
校歌、応援歌、学生歌 ●校歌﹃草のみどり﹄ ︵作詞‥石川道雄、作曲‥坂本良隆︶ ●1950年︵昭和25年︶8月15日発表。現在歌われている校歌で、歴代3番目のものである。 中央大学では終戦後の1949年︵昭和24年︶から新校歌募集を行ったが当選作なしの結果に終わったため、作詞を独文学者の石川道雄、作曲を山田耕筰門下の坂本良隆に依頼した。歌詞は実質的には大場俊助︵当時の教授で校歌審査委員︶との合作であり、石川の原案になかった﹁白門﹂を加えたのは大場である。また、﹃草のみどり﹄の語句は当時の駿河台校舎の情景とは必ずしも合致しないが、未来のあるべきキャンパスの理想を語ったものと解釈されている[PR 14]。 ●第一校歌 - 錦町校舎時代の1921年制定。作詞‥宮脇信介、作曲‥中田章。大学の駿河台移転によって﹁錦の街に﹂の歌詞が実情と合わなくなったため歌われなくなった[PR 15]。教育及び研究
組織
学部
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大学院
特記のない専攻は博士前期課程・博士後期課程を開設している。
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専門職大学院
主な附属機関・施設
●研究所 ●日本比較法研究所︵後楽園キャンパス︶ ●経理研究所 ●経済研究所 ●社会科学研究所 ●企業研究所 ●人文科学研究所 ●保健体育研究所 ●理工学研究所︵後楽園キャンパス︶ ●政策文化総合研究所 ●研究開発機構︵後楽園キャンパス︶ ●産学官連携・知的財産戦略本部 ︵CLIP︶︵後楽園キャンパス︶ ●図書館 ●多摩キャンパス ●中央図書館 ●経済学部学生図書室 ●商学部学生図書室 ●文学部専攻別図書室 ●総合政策学部図書室 ●大学院図書室 ●後楽園キャンパス ●理工学部分館 ●茗荷谷キャンパス ●法学部図書室、書庫 ●市ヶ谷田町キャンパス ●国際情報学部図書室 ●駿河台キャンパス ●専門職大学院図書室 ●映像言語メディアラボ ●情報環境整備センター ●多摩ITセンター ●都心ITセンター︵後楽園、茗荷谷、駿河台︶ ●キャリアセンター︵多摩、都心‥後楽園、茗荷谷キャンパス Myogadani Student Hub内に設置︶ ●国際センター ●入学センター ●体育施設運営センター ●保健センター ●寮︵セミナーハウス︶ ●野尻湖セミナーハウス ●富浦臨海寮︵千葉県南房総市富浦町︶附属図書館
多摩キャンパスに中央図書館、後楽園キャンパスに中央図書館理工学部分館を設置している。特に多摩キャンパスの中央図書館には17万冊の開架書庫と1685席の閲覧席を設けた大規模なものである。なおこのほかに各学部︵文学部は各専攻・理工学部は各学科︶にも図書館が設置されている。また1979年︵昭和54年︶にはEC資料センター︵現在はEU情報センター︶、1994年︵平成6年︶には国連寄託図書館にそれぞれ指定されており、国際機関資料を一般に公開している。資料館
●大学史資料館︵多摩キャンパス学生研究棟﹁炎の塔﹂2階︶ ●法と正義の資料館︵同︶研究
21世紀COEプログラム
21世紀COEプログラムとして、1件のプロジェクトが採択された。 ●2002年︵平成14年︶ 情報・電気・電子 電子社会の信頼性向上と情報セキュリティ教育
●現代的教育ニーズ取組支援プログラム ●﹁中大・八王子方式﹂による地域活性化支援︵2004年採択︶ ●産学連携教育による女性研究者・技術者育成︵2006年採択︶ ●特色ある大学教育支援プログラム ●アカデミックインターンシップの全学的展開︵2003年採択︶ ●実学理念に基づく高大接続教育の展開︵2004年採択︶ ●大学教育の国際化推進プログラム ●中央大学長期海外留学支援プログラム︵2006年採択︶ ●法科大学院等専門職大学院形成支援プログラム ●法曹養成のための国際教育プログラムの形成︵2004年採択︶ ●知的財産に関する先端的映像教材の開発︵2004年採択︶ ●実務基礎教育の在り方に関する調査研究︵2004年採択︶ ●国際的に活躍できる会計専門家の育成︵2004年採択︶ ●会計大学院教育課程の国際水準への向上︵2005年採択︶ ●先導的ITスペシャリスト育成推進プログラム ●先導的ITスペシャリスト育成プログラム︵2006年採択︶ ●専門職大学院等における高度専門職業人養成教育推進プログラム ●グローバル化に対応した法曹養成プログラム︵2008年採択︶ ●グローバル人材育成推進事業 ●グローバル人材育成推進事業︵タイプA・全学型︶︵2012年採択︶情報処理技術者試験
中央大学の国際情報学部では、国家資格の情報処理技術者試験の合格に力を入れている。特定の科目を単位を取得し、かつ、修了試験に合格することで、基本情報技術者試験︵FE︶の午前の部の受験が1年間免除される制度が導入されている[16][17][18]。また、国際情報学部の特定の科目の単位を取得して卒業すると、情報処理安全確保支援士︵登録情報セキュリティスペシャリスト︶試験の午前II試験の受験が2年間免除される。学生生活
学友会
中央大学では、公認部会︵サークル︶及び公認を目指す未公認部会︵サークル︶は、すべて中央大学学友会に所属している。学友会は、大学側と学生側の双方から選出された委員により構成される中央委員会によって運営されている。会長は学長が就任している。学友会には以下の組織・機関が存在する。また、公認を目指さず、学友会に所属しないサークルも多数存在する。たとえば、学生赤十字奉仕団 は日本赤十字社から公認されているものの学友会には所属していない。学園祭
学園祭は﹁白門祭﹂と呼ばれ、以下の3種類が存在し、多摩キャンパスにおいては白門祭実行委員会が、後楽園キャンパスにおいては理工白門祭実行委員会が、それぞれ運営する。- 新入生歓迎白門祭(5月中旬、多摩キャンパス)
- 新入生歓迎文化祭・スポーツ大会(4月初旬、後楽園キャンパス)
- 白門祭(11月初旬、多摩キャンパス/後楽園キャンパス/市ヶ谷田町キャンパス)
スポーツ
校歌
中央大学校歌 作詞 石川道雄 作曲 坂本良隆 (一)草のみどりに風薫る 丘に目映き白門を 慕い集える若人が 真理の道にはげみつつ 栄ある歴史を承け伝う ああ中央 われらが中央 中央の名よ光あれ (二)よしや嵐は荒ぶとも 揺るがぬ意気ぞいや昻く 春の驕奢の花ならで みのりの秋やめざすらむ 学びの園こそ豊かなれ ああ中央 われらが中央 中央の名よ誉あれ (三)いざ起て友よ時は今 新しき世のあさぼらけ 胸に血潮の高鳴りや 湧く歌声も晴れやかに 自由の天地ぞ展けゆく ああ中央 われらが中央 中央の名よ栄あれ大学関係者と組織
大学関係者組織
大学関係者一覧
●中央大学の人物一覧施設
キャンパス
多摩キャンパス
後楽園キャンパス
- 使用学部:理工学部、法学部(一部の研究室)
- 使用研究科:理工学研究科
- 敷地面積:29,283㎡。
茗荷谷キャンパス
駿河台キャンパス
市ヶ谷田町キャンパス︵中央大学ミドルブリッジ︶
小石川キャンパス
●使用学部‥法学部・国際情報学部 ●使用研究科‥なし 茗荷谷キャンパスの開校に合わせて、2023年4月に開校した。体育館と付属棟︵多目的室︶で構成されており、所属キャンパスに十分な体育施設を持たない法学部・国際情報学部における体育授業、法学部・国際情報学部の学生のサークル活動に利用される。 ●アクセス ●JR総武線 飯田橋駅︵東口︶下車 徒歩10分 ●東京メトロ丸ノ内線・南北線 後楽園駅︵1番出口︶下車 徒歩5分海外拠点
特に明記がないものについては、中央大学ウェブサイトを参照[21]。 ●中央大学パシフィック・オフィス ︵アメリカ合衆国ハワイ州︶ ●2013年12月にハワイ大学マノア校に設立。海外拠点第一号となる。 ●中央大学・タマサート大学コラボレーションセンター ﹁中央大学タイ・オフィス﹂︵タイ王国バンコク市︶ ●2014年12月にタマサート大学法学部に設立。海外拠点第二号となる。 ●中央大学上海オフィス︵中国上海市︶ ●2016年10月に上海理工大学日本文化交流センターに設立。海外拠点第三号となる。学生寮
一般学生および留学生を対象とする寮として2011年に多摩平国際寮を、2012年に聖蹟国際交流寮を設置している。2020年には多摩キャンパス内に国際教育寮を設置した。 国際教育寮の設置に伴い、2020年度をもって多摩平国際寮を閉寮した。 国際教育寮 モノレール駅前に位置する。個室6室とシャワーブースやミニキッチンなどの共有設備を1つの単位とするルームシェア方式をとっている︵6人1ユニット︶。また、寮全体での共有設備として、キッチン、浴室、コインランドリーやシアタールーム、トランクルームがある。 ユニットのあるいは国際教育寮全体のリーダー役となった学生は、他の学生のサポート役として責任ある立場で寮運営に関わることとなる代わりに、パートタイム職員として、入寮時の新寮生のサポートに費やした時間に応じた給与などが支給される。[22] 聖蹟国際交流寮 京王線聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩8分の場所にある。他の国際寮とは異なり、個室タイプで一室に1名の学生が入居している。 多摩平国際寮 ︵廃止︶ JR豊田駅から北へ徒歩約8分の位置にあるUR都市機構の旧多摩平団地一棟︵64戸︶を借り上げたもので、1戸(3DK)に3人︵留学生、交換留学生、日本人学生︶で入居していた。 対抗運動会を秋に開催し、国際寮と国際交流寮の両寮間の交流が図られていた。 また、学友会体育連盟に所属部員のために下記の寮が設置されている。 一部専用の寮・合宿所を設置している部もあるが、スポーツ推薦入試制度を導入している部のほとんどの部員が南平寮で生活をしている。体育連盟として共同寮を設置されることも、これほどの規模で運営されることも極めて稀である。- 南平寮
- 東豊田寮
- 堀之内硬式野球部合宿所
- 戸田ボート部合宿所
- 葉山ヨット部合宿所
かつて存在していた施設
旧:錦町校舎
旧:駿河台校舎
中央大学講堂︵駿河台キャンパス3号館︶
中央大学駿河台校舎跡之碑
中央大学創立100周年を記念して1985年︵昭和60年︶7月8日に駿河台校舎南門跡地に設置された。ブロンズ仕上げの碑面には村上茂利による碑文が刻まれており、現存している。旧グラウンド
駿河台記念館
市ヶ谷キャンパス
対外関係
他大学との協定
●東京12大学広報連絡協議会︵神田五大学広報会議︶ ●学術・文化・産業ネットワーク多摩 ●首都大学院コンソーシアム ●大学情報サミット ●2005年︵平成17年︶に発足させた情報機関協定。他の加盟校は、五十音順に慶應義塾大学、法政大学、明治大学、立教大学、早稲田大学。2010年︵平成22年︶に一度脱退したが、2014年︵平成26年︶に復帰している。 ●全国私立大学FD連携フォーラム ●2008年︵平成20年︶に発足させたFDに関する日本で初の私立大学連携協定。発足当初からの連携校は関西大学、関西学院大学、慶應義塾大学、立命館大学、同志社大学、法政大学、明治大学、立教大学、早稲田大学。 ●スーパー連携大学院 ●2007年︵平成19年︶に発足させた共同大学院設置を目的とする協定。2008年度に文部科学省の﹁戦略的大学連携支援事業︵教育研究高度化型︶﹂に採択された。他の加盟校は電気通信大学、北見工業大学、秋田県立大学、長岡技術科学大学、富山大学、信州大学、三重大学、大分大学、熊本大学。 ●個別に単位互換協定、図書館相互利用協定などを結んでいる大学一覧 ●日本医科大学 ●東京都立大学 ●東京外国語大学 ●恵泉女学園大学海外協定校
●中国大陸 ●雲南大学 ●雲南師範大学 ●昆明理工大学 ●吉林大学 ●南開大学 ●北京大学 ●中国政法大学 ●中国人民大学 ●清華大学 ●中国社会科学院法学研究所 ●重慶大学 ●大連大学 ●北京理工大学 ●中国社会科学院研究生院 ●復旦大学 ●浙江大学 ●蘇州大学 ●陝西師範大学 ●北京科技大学 ●中央民族大学 ●上海理工大学 ●大連外国語大学 ●河海大学 ●中山大学 ●四川大学 ●上海交通大学 ●対外経済貿易大学 ●天津理工大学 ●香港大学 ●香港城市大学 ●大連理工大学 ●北京師範大学 ●厦門大学 ●同済大学 ●華東政法大学 ●武漢大学 ●首都師範大学 ●浙江工業大学 ●台湾 ●台湾國立中正大学犯罪防治研究所 ●国立政治大学 ●東呉大学 ●国立中山大学 ●国立中央大学 ●南台科技大学 ●国立台湾大学 ●国立台北大学 ●国立曁南国際大学人文学院 ●アメリカ合衆国 ●カールトン大学 ●チュレーン大学ロースクール ●ベネディクティン大学 ●メアリヴィル大学 ●アメリカン大学 ●イリノイ州立大学 ●アリゾナ大学 ●レークフォレスト大学 ●ミシシッピ州立大学 ●ボストン大学 ●インディアナ大学-パデュー大学インディアナポリス ●セント・トーマス大学 ●カリフォルニア州立大学モントレーベイ校 ●東テネシー州立大学 ●パデュー大学ウエスト・ラファイエット校 ●カリフォルニア大学バークレー校 ●サンディエゴ州立大学 ●カリフォルニア大学デイヴィス校 ●ハワイ大学マノア校 ●ワシントン・センター ●テネシー大学ノックスヴィル校 ●ハワイ大学ヒロ校 ●ミシシッピ大学 ●ノースカロライナ大学アシュビル校 ●パデュー大学カルメット校 ●ドイツ ●ヴュルツブルク大学︵バイエルン・ユリウス・マクシミリアン・ヴュルツブルク大学︶ ●テュービンゲン大学︵テュービンゲン・エーベルハルト・カールス大学︶ ●ミュンスター大学︵ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学ミュンスター︶ ●ベルリン自由大学 ●オスナブリュック大学 ●ベルリン・フンボルト大学 ●フランクフルト金融経営大学 ●ミュンヘン大学︵ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン︶法学部 ●トルコ ●中東工科大学社会との関わり
法曹養成
高等文官試験司法科
﹁法科の中央﹂と呼ばれ[5]、行政科・司法科・外交科に分かれていた高等文官試験において、全私立大学中で最多の合格者を輩出した。旧司法試験
旧司法試験において1951年から1970年までの20年間、東京大学を抑え一位を保持していた[5]。その後、いわゆる神田カルチェ・ラタン闘争にみる学生運動の激化や多摩キャンパス移転の影響もあって低迷期を迎え、1970年代から1980年代にかけて東京大学と1位を争うようになった。この間、法曹界における中央大学法学部と東京大学法学部との主導権争いは﹁中東戦争﹂とまで形容された[注釈 12]。1990年代半ば以降は東大京大早慶等とランキングを争い、合格者ランキングの常連としての地位を確立していた。新司法試験
第1回目︵2006年度︶の司法試験では、中央大学法科大学院出身者︵受験者数239名、最終合格者数131名︶が合格者数1位であった[PR 38]。その後は、2012年度及び2015年度に1位の座を獲得している[28]。 合格率では68.07%と、全法科大学院中第6位︵平成17年-平成29年︶[29]。 令和4年度司法試験では、合格率26.18%、全法科大学院中第22位、また合格者数は50名、全法科大学院中第8位となった[30][31]。職業会計人養成
公認会計士試験合格者数は、試験開始年から1970年頃まで1位であった。しかし1970年代に慶應義塾大学、80年代前半に早稲田大学に抜かれ、80年代後半から90年代には東京大学や一橋大学に抜かれ、5位 - 7位にまで順位を下げていた。その後、経理研究所の強化︵専任講師の増員、WEB授業の導入︶や試験制度変更により、2000年代以降は3位前後をキープしている。また、税理士試験に関しては例年合格者数1位となっている。白門
その他
李登輝元中華民国総統講演会
2003年︵平成15年︶12月12日、中央大学の学内施設の貸出許可が取消されたことにより、中央大学の学生団体が急遽﹁よみうりランド会館﹂に会場を変更、台湾とを繋いだ李登輝元中華民国総統によるインターネット講演会が行われた。企業・社会からの評価
●2006年年9月23日発行のビジネス誌﹃週刊ダイヤモンド﹄94巻36号︵通巻4147号︶﹁出世できる大学﹂と題された特集の出世力ランキング︵日本の全上場企業3,800社余の代表取締役を全調査[33][34][35]︶で、中央大学は、2006年時点で存在する744大学[36]中、第23位[37]にランキングされた。 ●﹃週刊エコノミスト﹄2010年8月31日号に掲載された、﹁卒業生数の割に役員・管理職の人数が多い度合い﹂で、中央大学は、2010年時点で存在する全国の778大学[38]中、第24位︵全私立大学中では第5位︶にランキングされた[39]。附属学校
学校法人中央大学では、中央大学の附属学校として4校の高等学校と2校の中学校を設置していることが特徴である。 初めて中等教育に進出したのは1928年︵昭和3年︶の中央大学商業学校設置からである。この中央大学商業学校を前身として1948年︵昭和23年︶に中央大学高等学校が設置された。また1952年︵昭和27年︶には学校法人杉並学園と合併して杉並高等学校を中央大学杉並高等学校に改称するとともに杉並中学校は廃止した。この中央大学杉並高等学校は1963年︵昭和38年︶に小金井市に移転したのを期に中央大学附属高等学校に改称した。なおこの移転と同時に、校名と校地・校舎を引き継いで改めて中央大学杉並高等学校が設置された。 2010年︵平成22年︶、はじめての附属中学校として中央大学附属高等学校に中学校を併設している。さらに同2010年には、学校法人横浜山手女子学園と合併して横浜山手女子中学・高等学校を中央大学横浜山手中学・高等学校に改称した。附属校
●中央大学附属中学校・高等学校 ●中央大学附属横浜中学校・高等学校 ●中央大学杉並高等学校 ●中央大学高等学校協議中
●文京区立第三中学校 ●文京区教育委員会より2009年度から中央大学高等学校と隣接する区立第三中学校での中高一貫教育︵教員派遣と、一定数の生徒の中大高校への受け入れ等︶の提案を受け、協議を行っている。どのような関係になるのかはまだ決定していない。企業からの評価
出世力
●2006年年9月23日発行の﹃週刊ダイヤモンド﹄94巻36号︵通巻4147号︶﹁出世できる大学﹂と題された特集の出世力ランキング︵日本の全上場企業3,800社余の代表取締役を全調査[40][41]︶で、中央大学は、2006年時点で存在する全国の744大学中、第23位にランキングされた[42]。脚注
注釈
出典
一次資料または記事主題の関係者による情報源
関連文献
- 天野徳也 『中央大学三十年史』 法学新報社、1915年
- 中央大学 『中央大学五十年史』 1935年
- 中央大学 『中央大学誌』 1935年
- 中央大学七十年史編纂所 『中央大学七十年史』 中央大学、1955年
- 大久保次夫 『風霜三代 中央大学八十年小史』 中央評論編集部、1965年
- 中央大学百年史編集委員会専門委員会 『中央大学百年史』 学校法人中央大学、全四巻、2001-2005年
Wiki関係他プロジェクトリンク
外部リンク
関連項目 |
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