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| キャンパス = [[中央大学多摩キャンパス|多摩]](東京都八王子市)<br />後楽園(東京都文京区)<br />茗荷谷(東京都文京区)<br />市ヶ谷田町(東京都新宿区)<br />駿河台(東京都千代田区)<br />小石川(東京都文京区) |
| キャンパス = [[中央大学多摩キャンパス|多摩]](東京都八王子市)<br />後楽園(東京都[[文京区]])<br />茗荷谷(東京都文京区)<br />市ヶ谷(東京都[[新宿区]])<br />市ヶ谷田町(東京都[[新宿区]])<br />駿河台(東京都千代田区)<br />小石川(東京都文京区) |
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| 学部 = [[中央大学法学部|法学部]]<br />経済学部<br />商学部<br />[[中央大学大学院理工学研究科・理工学部|理工学部]]<br />文学部<br>総合政策学部<br />国際経営学部<br />国際情報学部 |
| 学部 = [[中央大学法学部|法学部]]<br />経済学部<br />商学部<br />[[中央大学大学院理工学研究科・理工学部|理工学部]]<br />文学部<br>総合政策学部<br />国際経営学部<br />国際情報学部 |
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| 研究科 = [[中央大学大学院法学研究科|法学研究科]]<br />[[中央大学大学院法務研究科|法務研究科(ロースクール)]]<br />経済学研究科<br />商学研究科<br />理工学研究科<br />文学研究科<br />総合政策研究科<br />[[中央大学ビジネススクール|戦略経営研究科(ビジネススクール)]] |
| 研究科 = [[中央大学大学院法学研究科|法学研究科]]<br />[[中央大学大学院法務研究科|法務研究科(ロースクール)]]<br />経済学研究科<br />商学研究科<br />理工学研究科<br />文学研究科<br />総合政策研究科<br />国際情報研究科<br />[[中央大学ビジネススクール|戦略経営研究科(ビジネススクール)]] |
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| 大学の略称 = '''中央大'''(ちゅうおうだい)<ref name=朝日新聞20240330/>、'''中大'''(ちゅうだい)。8[[学部]]26[[学科]]と[[大学院]]各[[研究科]]を擁する[[単科大学と総合大学|総合大学]]である<ref>東京12大学オフィシャルサイト内「[https://www.tokyo12univ.com/chuo-u/ 中央大学]」(2024年4月6日閲覧)</ref> |
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| 大学の略称 = 主に'''中大'''(ちゅうだい) |
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| ウェブサイト = |
| ウェブサイト = {{Official URL}}}} |
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{{Infobox world university ranking|THE_W=1501+}} |
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[[東京大学 (1877-1886)|東京大学]]法学部生と卒業生︵1880年。中列右端が合川正道、4人目が[[山田喜之助]]、5人目が[[土方寧]]、8人目が[[岡山兼吉]]、後列右から2人目が[[増島六一郎]]、8人目が渡辺安積︶]]
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[[東京大学 (1877-1886)|東京大学]]法学部生と卒業生︵1880年。中列右端が合川正道、4人目が[[山田喜之助]]、5人目が[[土方寧]]、8人目が[[岡山兼吉]]、後列右から2人目が[[増島六一郎]]、8人目が渡辺安積︶]]
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[[1885年]](明治18年)7月8日に[[増島六一郎]]、[[菊池武夫 (法律家)|菊池武夫]]、[[穂積陳重]]、[[藤田隆三郎]]ら18人の[[法曹|法律家]]により'''[[英吉利法律学校]]'''として設立され、この日が創立記念日となっている。 |
[[1885年]]︵[[明治]]18年︶7月8日に[[増島六一郎]]、[[菊池武夫 (法律家)|菊池武夫]]、[[穂積陳重]]、[[藤田隆三郎]]ら18人の[[法曹|法律家]]により'''[[英吉利法律学校]]'''として設立され、この日が創立記念日となっている。校地に関しては[[三菱商業学校]]の跡地を[[三菱]]から購入し、[[英吉利法律学校]]と[[日本学園中学校・高等学校|東京英語学校]]<ref>幾多の変遷を経て2026年4月より明治大学付属世田谷中学校・高等学校となる</ref>が共同使用した。なお、6月27日に[[東京府]]知事に最初の出願を行ったが書類不備で下げ戻しとなっている。当初は[[英国法]]に関する教育機関であったが、日本でも近代法が整備されると順次、国内法も教授するようになり、校名も東京法学院、東京法学院大学と変更した。[[1905年]]︵明治38年︶8月に経済学科の設置によって中央大学と改称。[[1920年]]︵[[大正]]9年︶に日本の私立大学では同年大学に昇進した[[慶應義塾大学]]や[[早稲田大学]]に続いて、最も古い段階で[[大学令]]に基づく[[大学]]となった︵詳しくは﹁[[旧制大学]]﹂参照︶。
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2015年11月に中長期事業計画「Chuo Vision 2025」を策定、法学部を第一候補とする都心移転計画や多摩キャンパスでの新学部開設計画、グローバル化推進などを発表した。この計画をもとに2019年4月には国際経営学部 |
2015年11月に中長期事業計画﹁Chuo Vision 2025﹂を策定、[[中央大学法学部|法学部]]を第一候補とする都心移転計画や多摩キャンパスでの新学部開設計画、グローバル化推進などを発表した。この計画をもとに2019年4月には国際経営学部︵多摩キャンパス︶と国際情報学部︵市ヶ谷田町キャンパス︶を設置。2021年度までに、多摩キャンパスにおいて新棟︵グローバル館・国際教育寮、Forest Gateway Chuo︶を整備した。また、2023年に法学部と法学研究科を新設の茗荷谷キャンパスへ、同年に法科大学院とビジネススクールを駿河台キャンパスへ、それぞれ移転した。
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法学部は「'''法科の中央'''(中央の法科)」とも呼ばれ、日本の私立大学を代表する法学部として名高く、これまで法曹界、官界、政界、財界、言論界をはじめ幅広い分野に多くの人材を輩出してきた<ref name="名前なし-20231105132959">「東大首位に返り咲く 司法試験の合格者中大抜き20年ぶり」『[[朝日新聞]]』朝刊1971年10月2日付第23面</ref>。 |
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=== 建学の精神(校訓・校是) === |
=== 建学の精神(校訓・校是) === |
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英吉利法律学校設立時の建学の精神は'''實地應用ノ素ヲ養フ'''であり、これをもとに建学の精神と[[学風]]をまとめて現在では'''個人の自由の尊重と実証的・合理主義の学風'''と |
英吉利法律学校設立時の建学の精神は「'''實地應用ノ素ヲ養フ'''」であり、これをもとに建学の精神と[[学風]]をまとめて現在では「'''個人の自由の尊重と実証的・合理主義の学風'''」と表現している。また'''質実剛健'''を校是としている。さらに、2010年の創立125周年に際して「'''行動する知性。-Knowledge into Action-'''」という[[校訓|ユニバーシティ・メッセージ]]を定めている。 |
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=== 教育および研究 === |
=== 教育および研究 === |
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創立当初から実学教育重視の姿勢を取り、現在でも[[インターンシップ]]などの実践的教育に力を入れている。2003年度からは各学部の教育に加えて、学籍は各学部に置きながらも学部横断的に設置された課程に所属するファカルティリンケージプログラム (FLP) を導入し、学際分野でも実践的教育を行うようになった。現在、欧米・東アジアの大学を中心に209校の派遣留学協定大学がある。 |
創立当初から[[実学]]教育重視の姿勢を取り、現在でも[[インターンシップ]]などの実践的教育に力を入れている。2003年度からは各学部の教育に加えて、学籍は各学部に置きながらも学部横断的に設置された課程に所属するファカルティリンケージプログラム (FLP) を導入し、学際分野でも実践的教育を行うようになった。現在、欧米・東アジアの大学を中心に209校の派遣[[留学]]協定大学がある。 |
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=== 通信教育課程 === |
=== 通信教育課程 === |
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{{main|中央大学法学部通信教育課程}} |
{{main|中央大学法学部通信教育課程}} |
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通信教育部は、法学部の通信教育課程の実施に当たる組織であり、通信教育課程そのものは法学部に属する。 |
通信教育部は、法学部の通信教育課程の実施に当たる組織であり、通信教育課程そのものは法学部に属する。[[第二次世界大戦]]後、[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ)の[[民間情報教育局]](CIE)により、[[イギリス]]の [[:en:University of London External System|University of London International Programmes]]([[ロンドン大学]]通信教育課程)にならって、日本においても[[通信教育]]の制度を行うことが推奨され設置された。公益財団法人私立大学通信教育協会に加盟し、大学本部のある多摩キャンパスに事務局がある。 |
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戦後、[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ)の[[民間情報教育局]](CIE)により、[[イギリス]]の [[:en:University of London External System|University of London International Programmes]]([[ロンドン大学]]通信教育課程)にならって、日本においても[[通信教育]]の制度を行うことが推奨され設置された。 |
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公益財団法人私立大学通信教育協会に加盟し、大学本部のある多摩キャンパスに事務局がある。 |
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大学通信教育の嚆矢と見なされているのは、英吉利法律学校が |
大学通信教育の嚆矢と見なされているのは、英吉利法律学校が1885年(明治18年)の創設時に、通学できない人々のために講義録を郵送する校外生制度であるとされる。現在では、通年スクーリングや地方スクーリングなども行われている。 |
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現在では、通年スクーリングや地方スクーリングなども行われている。 |
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なお、卒業までの平均学習年数は、1年生から入学した場合6年 - 8年、3年生からの編入学は4年 - 6年で、卒業率は7%程度(4年次以上の在籍者数のうち、卒業者数の占める割合)となっている。 |
なお、卒業までの平均学習年数は、1年生から入学した場合6年 - 8年、3年生からの編入学は4年 - 6年で、卒業率は7%程度(4年次以上の在籍者数のうち、卒業者数の占める割合)となっている。 |
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[[名古屋市 |
[[愛知県]][[名古屋市]]にある[[中京法律専門学校]]が提携校となっており、専門学校に在籍しながら、ダブルスクールで[[中央大学法学部通信教育課程]]の卒業も目指すことができる。 |
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=== 偏差値 === |
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[[ベネッセコーポレーション]]のデータによると、中央大学の入学難易度は、2024年現在「59~74」となっている<ref>「[ https://manabi.benesse.ne.jp/daigaku/school/3275/hensachi/index.html#12 中央大学/偏差値・入試難易度【2023年度入試・2022年進研模試情報最新】|マナビジョン|Benesseの大学受験・進学情報]」</ref>。同じく東京都内に本部を置く私立大学で同程度の偏差値帯の主な大学としては、 |
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* [[上智大学]]「59~74」 |
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* [[明治大学]]「60~74」 |
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* [[立教大学]]「60~75」 |
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* [[青山学院大学]]「56~73」 |
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* [[法政大学]]「59~74」 |
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* [[早稲田大学]]「64~78」 |
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* [[学習院大学]]「57~72」 |
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* [[武蔵大学]]「60~67」 |
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* [[東京理科大学]]「50~70」 |
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* [[國學院大學]]「48~69」 |
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* [[成蹊大学]]「52~65」 |
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* [[明治学院大学]]「56~71」 |
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* [[成城大学]]「57~64」 |
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* [[専修大学]]「52~65」 |
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* [[東洋大学]]「47~66」 |
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* [[日本大学]]「47~68」 |
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* [[駒沢大学]]「47~65」 |
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などが上げられる<ref>「[https://manabi.benesse.ne.jp/daigaku/school/3275/hensachi/hensachi.html 中央大学に偏差値の近い大学|マナビジョン|Benesseの大学受験・進学情報]」</ref>。 |
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== 沿革 == |
== 沿革 == |
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=== 略歴 === |
=== 略歴 === |
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1885年(明治18年)に[[増島六一郎]]、[[菊池武夫 (法律家)|菊池武夫]]、[[穂積陳重]]、[[藤田隆三郎]]ら当時の青年法律家有志18名によって[[英吉利法律学校]]として創立された。 |
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=== 年表 === |
=== 年表 === |
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[[File:創立20周年記念講堂(1905年).jpg|thumb|220px|right|創立20周年記念講堂(1905年)]] |
[[File:創立20周年記念講堂(1905年).jpg|thumb|220px|right|創立20周年記念講堂(1905年)]] |
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[[File:創立25周年記念増築校舎.jpg|thumb|220px|right|創立25周年記念増築校舎(1910年)]] |
[[File:創立25周年記念増築校舎.jpg|thumb|220px|right|創立25周年記念増築校舎(1910年)]] |
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* [[1884年]](明治17年)7月 |
* [[1884年]](明治17年)7月:[[増島六一郎]]がイギリスから帰国。 |
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* [[1885年]](明治18年) |
* [[1885年]](明治18年) |
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** 4月 |
** 4月:[[東京府]][[神田区]][[神田錦町]]の[[明治義塾]]跡地を三菱から購入。 |
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** 6月 |
** 6月27日:英吉利法律学校設置を[[東京都知事一覧|東京府知事]]に出願したものの書類不備で下げ戻し。 |
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** 7月 |
** 7月8日:英吉利法律学校設置を東京府知事に再出願(現在の創立記念日)、11日に英吉利法律学校設置認可。 |
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** 9月 |
** 9月:'''英吉利法律学校'''開校。初代校長増島六一郎、初代幹事渋谷慥爾が就任。 |
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** 10月 |
** 10月:講義録の刊行開始([[大学通信教育#歴史|校外生制度]]の始まり)。 |
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* [[1886年]](明治19年) |
* [[1886年]](明治19年) |
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** 7月 |
** 7月:第1回卒業式。 |
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** 12月 |
** 12月:私立法律学校特別監督条規により、英吉利法律学校など[[法律学校 (旧制)|五大法律学校]]が帝国大学特別監督下に入る。 |
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* 1887年(明治20年) |
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**7月‥英吉利法律学校の新設校舎が着工<ref>清水建設兼喜会[https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=540&query=&class=&d=all&page=7 ﹃清水建設兼喜会五十年﹄︵1969.02︶]渋沢社史データベース</ref>。施工は清水組{{efn|当時の[[清水満之助]]︵4代目︶は9才だったため事実上は後見の母ウメと渋沢栄一。}}。
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* [[1888年]](明治21年) |
* [[1888年]](明治21年) |
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** 3月 |
** 3月:五大法律学校連合大討論会に参加{{refnest|group="注釈"|同討論会は1890年7月まで13回開催された<ref>『専修大学百年史』上巻(専修大学出版局、1981年)607-621頁</ref>。}}。 |
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** 10月 |
** 10月:[[校友会]]を結成(翌年「院友会」へ改称)。 |
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* [[1889年]](明治22年) |
* [[1889年]](明治22年) |
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** 1月 |
** 1月:[[煉瓦]]造2階建て新校舎が完成。『法理精華』創刊(翌年発行禁止)。 |
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** 10月 |
** 10月:'''東京法学院'''と改称。[[杉浦重剛]]の東京文学院、樫村清徳の東京医学院とともに東京学院連合構想を公表{{refnest|group="注釈"|民法・商法をめぐる論争のため実現しなかった。<ref group="PR">[https://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/history/history_01/ 中央大学のあゆみ | 中央大学]</ref>}}。 |
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* [[1891年]]︵明治24年︶4月 |
* [[1891年]](明治24年)4月:『法学新報』創刊。増島六一郎院長辞任{{refnest|group="注釈"|代言業が多忙になったのと、東京学院連合構想が頓挫したことなどが理由とされる<ref group="PR">『中央大学百年史 通史編 上巻』220-221頁</ref>。}}。 |
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* [[1892年]](明治25年) |
* [[1892年]](明治25年) |
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** 4月 |
** 4月:[[神田の大火#猿楽大火|神田大火]]により校舎を全焼。 |
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** 5月 |
** 5月:[[第3回帝国議会]]に民法・商法施行延期法案上程。12月に民法・商法施行延期法案可決。 |
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* [[1893年]](明治26年)12月:[[司法省 (日本)|司法省]]から[[判事検事登用試験]]の指定校となる。 |
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** 12月 - 同議会で民法・商法施行延期法案可決。 |
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* [[ |
* [[1894年]](明治27年)1月:第1回訴訟実習会(模擬裁判)を開催。 |
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* [[1894年]](明治27年)1月 - 第1回訴訟実習会(模擬裁判)を開催。 |
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* [[1896年]](明治29年) |
* [[1896年]](明治29年) |
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** 8月 |
** 8月:高等法学科開設。特待生および貸費生の制度を設ける。 |
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** 9月 |
** 9月:外国人留学生が初めて入学。 |
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* [[1897年]](明治30年)8月 |
* [[1897年]](明治30年)8月:海外留学生制度を創設(1899年に最初の留学生を派遣)。 |
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* [[1901年]](明治34年 |
* [[1901年]](明治34年):生徒練弁会(のちの[[中央大学辞達学会|辞達学会]])発足<ref group="PR">[https://zitatsugakkai.wixsite.com/zitatsugakkai/about-2-c1e5y 会史|中央大学文化連盟所属 中央大学辞達学会]</ref>。 |
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* [[1902年]](明治35年)9月 |
* [[1902年]](明治35年)9月:実習科を開設。 |
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* [[1903年]]︵明治36年︶8月 |
* [[1903年]]︵明治36年︶8月‥'''東京法学院大学'''と改称。本科・予科・専門科・研究科を設置。学長制を新設し、菊池武夫が就任。
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* [[1905年]](明治38年) |
* [[1905年]](明治38年) |
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** 8月 |
** 8月‥'''中央大学'''と改称。経済学科を開設。中央高等予備校を設立。
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** 9月 |
** 9月:創立20周年記念講堂竣工。 |
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** 11月 |
** 11月:院友会を学員会と改称。 |
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* [[1909年]](明治42年)9月 |
* [[1909年]](明治42年)9月:商業学科開設。 |
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* [[1910年]](明治43年) |
* [[1910年]](明治43年) |
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** 2月 |
** 2月:新聞研究科を開設{{refnest|group="注釈"|同科は7人の卒業生を出しただけで間もなく閉鎖された<ref>『[https://www.chuo-u.ac.jp/uploads/2018/10/26.pdf?1584279584454 タイムトラベル中大125:1885→2010]』56-57頁</ref>。}} |
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** 11月 |
** 11月:創立25周年記念増築校舎竣工。 |
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* [[1911年]](明治44年)9月 |
* [[1911年]](明治44年)9月:中央大学学友会を結成。 |
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[[File:再築校舎(1918年).jpg|thumb|220px|right|再築校舎(1918年)]] |
[[File:再築校舎(1918年).jpg|thumb|220px|right|再築校舎(1918年)]] |
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[[ファイル:六大学昇格決定(『東京朝日新聞』 1920年4月2日付朝刊3面).jpg|thumb|220px|[[明治大学|明治]]、[[日本大学|日本]]、中央、[[法政大学|法政]]、[[國學院大學|國學院]]、[[同志社大学|同志社]]6校の昇格決定を報じる『[[東京朝日新聞]]』(1920年4月2日付朝刊3面)]] |
[[ファイル:六大学昇格決定(『東京朝日新聞』 1920年4月2日付朝刊3面).jpg|thumb|220px|[[明治大学|明治]]、[[日本大学|日本]]、中央、[[法政大学|法政]]、[[國學院大學|國學院]]、[[同志社大学|同志社]]6校の昇格決定を報じる『[[東京朝日新聞]]』(1920年4月2日付朝刊3面)]] |
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[[File:Chuo University Surugadai Building.jpg|thumb|220px|right|駿河台校舎(のちの2号館)]] |
[[File:Chuo University Surugadai Building.jpg|thumb|220px|right|駿河台校舎(のちの2号館)]] |
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[[File:中央大学駿河台講堂.jpg|thumb|220px|right|創立50周年記念講堂<br/ >(のちの3号館)]] |
[[File:中央大学駿河台講堂.jpg|thumb|220px|right|創立50周年記念講堂<br/ >(のちの3号館)]] |
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* [[1913年]]︵[[大正]] 2年︶8月 |
* [[1913年]]︵[[大正]] 2年︶8月‥本科を大学部、専門科を[[専門部]]、法律学科を法科、経済学科を経済科、商業学科を商科と改称。
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* [[1917年]](大正6年) |
* [[1917年]](大正6年) |
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** 5月 |
** 5月:失火のため再び校舎・図書館を全焼、奥田文庫(ビルクマイヤー文庫)を失う。 |
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** 7月 |
** 7月:中央大学同窓而立会発足<ref group="PR">『中央大学百年史 通史編 上巻』386頁</ref>。 |
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* [[1918年]](大正7年) |
* [[1918年]](大正7年) |
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** 5月 |
** 5月:予科の[[修業年限]]を2年に延長。 |
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** 8月 |
** 8月:再築校舎竣工。 |
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* [[1919年]](大正8年) |
* [[1919年]](大正8年) |
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** 5月 |
** 5月:学校組織を社団法人から[[財団法人]]に改める<ref group="PR">『[http://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/history/history_07/time_travel/ タイムトラベル中大125:1885→2010]』292ページ</ref>。 |
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** 12月 |
** 12月:中央大学設立認可を申請。 |
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* [[1920年]](大正9年) |
* [[1920年]](大正9年) |
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** 3月 |
** 3月:中央高等予備校廃止。 |
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** 4月 |
** 4月‥[[大学令]]に基づき中央大学の設立認可。[[中央大学法学部|法学部]]・[[経済学部]]・[[商学部]]、[[大学院]]、[[大学予科]]を設け、予科を第1部︵法・経済︶と第2部︵商︶に分ける。
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** 6月 |
** 6月:予科校舎竣工。 |
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* [[1921年]](大正10年)9月 |
* [[1921年]](大正10年)9月:学位規程と教員会規則認可。 |
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* [[1922年]](大正11年)5月 |
* [[1922年]](大正11年)5月:図書館再建。 |
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* [[1923年]](大正12年) |
* [[1923年]](大正12年) |
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** 4月 |
** 4月:大学令による中央大学最初の卒業式を挙行。増築校舎竣工。 |
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** 9月 |
** 9月:[[関東大震災]]により図書館と増築校舎を除き焼失。 |
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** 11月 |
** 11月:授業再開。 |
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* [[1924年]](大正13年) |
* [[1924年]](大正13年) |
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** 4月 |
** 4月:[[大学専門部 (旧制)|専門部]]の昼間授業開始。 |
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** 5月 |
** 5月:専門部が[[旧制高等学校|高等学校]][[大学予科]]と同等以上と指定される<ref>『官報』 1924年5月22日</ref>。 |
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** 6月 |
** 6月:[[神田駿河台|駿河台南甲賀町]]の[[戸田氏共]][[伯爵]]邸地を大学移転用地として購入。 |
||
* [[1926年]](大正15年)8月 |
* [[1926年]](大正15年)8月:駿河台校舎完成(錦町校舎は[[東京電機大学|電機学校]]に売却)。 |
||
* [[1929年]]([[昭和]]4年)4月 |
* [[1929年]]([[昭和]]4年)4月:夜間第二予科を開設。 |
||
* [[1930年]](昭和5年)4月 |
* [[1930年]](昭和5年)4月:[[中央大学硬式野球部|中央大学野球部]]発足<ref group="PR">『中央大学百年史』 年表・索引編、166頁</ref>。 |
||
* [[1931年]](昭和6年) |
* [[1931年]](昭和6年) |
||
** 4月 |
** 4月:[[夜間学部]]開設。[[東都大学野球連盟|五大学野球連盟]](東都の前身)結成。 |
||
** 大学令によって義務づけられた供託金 |
** 大学令によって義務づけられた供託金(70万円)納付完了<ref group="PR">『中央大学百年史 通史編 上巻』386頁</ref>。 |
||
* [[1932年]](昭和7年)10月 |
* [[1932年]](昭和7年)10月:中央大学法学会主催の刑法学講演会が発端となって[[滝川事件]]が起こる<ref group="PR">『中央大学百年史 通史編 下巻』49-52頁</ref>。 |
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* [[1933年]](昭和8年)6月 |
* [[1933年]](昭和8年)6月:[[秋元春朝]][[子爵]]邸地を購入。 |
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* [[1935年]](昭和10年) |
* [[1935年]](昭和10年) |
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** 4月 |
** 4月:[[天皇機関説事件]]により講師の[[美濃部達吉]]辞職{{refnest|group="注釈"|美濃部は中央大学では評議員を兼ねていた<ref group="PR">『中央大学百年史 通史編 下巻』71頁</ref>。}}。 |
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** 8月 |
** 8月:創立50周年記念講堂(のちの3号館)完成(旧秋元邸跡地)。 |
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** 11月 |
** 11月:創立50周年記念式典を挙行([[梨本宮守正王|梨本宮]]台臨)。 |
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* [[1938年]](昭和13年)5月 |
* [[1938年]](昭和13年)5月:[[練馬総合運動場|練馬運動場]]開設。 |
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* [[1940年]](昭和15年) |
* [[1940年]](昭和15年) |
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** 7月 |
** 7月:[[西園寺公望]][[公爵]]邸地を購入。 |
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** 10月 |
** 10月:[[高等文官試験]]司法科で中央大学関係者が71名合格、初めて第1位となる<ref group="PR">『中央大学百年史 通史編 下巻』122頁</ref>。 |
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* [[1941年]](昭和16年)9月 |
* [[1941年]](昭和16年)9月:中央大学報国隊を結成。当時は[[日中戦争]]下で、12月には[[太平洋戦争]]が始まった。 |
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* [[1942年]](昭和17年)9月 |
* [[1942年]](昭和17年)9月:学友会を中央大学奉公団に改組。 |
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* [[1943年]](昭和18年)10月 |
* [[1943年]](昭和18年)10月:[[学徒出陣|出陣学徒]]壮行会を挙行。 |
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* [[1944年]](昭和19年) |
* [[1944年]](昭和19年) |
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** 4月 |
** 4月:中央工業専門学校(機械科・航空機科)設立。 |
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** 6月 |
** 6月:『法学新報』休刊(戦後の1947年に復刊)。 |
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* [[1945年]](昭和20年) |
* [[1945年]](昭和20年) |
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** 10月 |
** 10月:[[日本の降伏|終戦]]を受けて授業再開。 |
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** 11月 |
** 11月:中央工専の航空機科廃止、工業物理科設置。 |
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* [[1946年]](昭和21年)4月 |
* [[1946年]](昭和21年)4月:女子学生3名が初めて入学。 |
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* [[1948年]](昭和23年) |
* [[1948年]](昭和23年) |
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** 4月 |
** 4月:旧制予科・専門部の学生募集停止。通信教育部開設。 |
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** 12月 |
** 12月:[[中央大学経理研究所|経理研究所]]開設。 |
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* [[1949年]](昭和24年) |
* [[1949年]](昭和24年) |
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** 4月 |
** 4月‥[[新制大学]]1部の法学部、経済学部、商学部、[[中央大学大学院理工学研究科・理工学部|工学部]]︵土木工学・精密工学・電気工学・工業化学科︶を開設。2部の法学部と経済学部を開設。中央工業専門学校を廃止。
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** 6月 |
** 6月:日本比較法研究所開設。 |
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[[File:中央大学の学生募集広告.jpg|thumb|220px|right|昭和25年度の学生募集広告]] |
[[File:中央大学の学生募集広告.jpg|thumb|220px|right|昭和25年度の学生募集広告]] |
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[[file:中央大学駿河台第二図書館.jpg|thumb|right|220px|駿河台第二図書館(1955年)]] |
[[file:中央大学駿河台第二図書館.jpg|thumb|right|220px|駿河台第二図書館(1955年)]] |
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[[File:Gthumb.svg|180px|thumb|駿河台1号館・画像募集中]] |
[[File:Gthumb.svg|180px|thumb|駿河台1号館・画像募集中]] |
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* [[1950年]](昭和25年) |
* [[1950年]](昭和25年) |
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** 4月 |
** 4月:旧制学部の学生募集停止。 |
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** 8月 |
** 8月:現[[校歌]]『草のみどり』を制定。 |
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* [[1951年]](昭和26年) |
* [[1951年]](昭和26年) |
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** 3月 |
** 3月:旧制専門部廃止。工学部用地として東京都[[文京区]][[小石川|小石川町]]の8,043[[坪]](現・後楽園キャンパス)を購入。 |
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** 4月 |
** 4月‥[[文学部]]開設︵1部文学科・史学科・2部文学科︶。 [[同和鉱業]]ビルを購入︵水道橋校舎︶。新制[[大学院]][[修士課程]]に[[法学研究科]]民事法・刑事法・政治学・英米法専攻を、経済学研究科に経済学専攻・商学研究科に商学専攻を開設。
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||
** 12月 |
** 12月:工学部が水道橋校舎へ移転。 |
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* [[1953年]](昭和28年) |
* [[1953年]](昭和28年) |
||
** 3月 |
** 3月:旧制学部最後・新制学部最初の卒業式を挙行。 |
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** 4月 |
** 4月:文学部、工学部教養課程、後楽園キャンパスで授業開始。 |
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* [[1954年]](昭和29年) |
* [[1954年]](昭和29年) |
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** 7月 |
** 7月:旧千代田区立駿河台図書館を購入。 |
||
** 通信教育部が後楽園キャンパスに移転。 |
** 通信教育部が後楽園キャンパスに移転。 |
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* [[1957年]](昭和32年)11月 |
* [[1957年]](昭和32年)11月:大学祭を白門祭と改称して開催。 |
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* [[1958年]](昭和33年)8月 |
* [[1958年]](昭和33年)8月:駿河台校舎本館(1号館)完成。 |
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* [[1959年]](昭和34年)7月 |
* [[1959年]](昭和34年)7月:聖橋通り沿いに駿河台校舎正門(いわゆる白門)完成。 |
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* [[1960年]](昭和35年)3月 |
* [[1960年]](昭和35年)3月:[[由木村]]校地(現在の[[中央大学多摩キャンパス|多摩校地]])購入開始(67年まで)。 |
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* [[1962年]](昭和37年) |
* [[1962年]](昭和37年) |
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** 3月 |
** 3月:旧制中央大学廃止。 |
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** 4月 |
** 4月:工学部を[[中央大学大学院理工学研究科・理工学部|理工学部]]に改組。 |
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* [[1963年]](昭和38年)5月 |
* [[1963年]](昭和38年)5月:創立80周年記念事業の一環として、理工学部校舎竣工。 |
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* [[1964年]](昭和39年) |
* [[1964年]](昭和39年) |
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** 4月 |
** 4月:駿河台4号館完成。 |
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** 6月 |
** 6月:経済研究所開設。 |
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** 8月 |
** 8月:駿河台5号館完成。文学部が後楽園キャンパスから移転。 |
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* [[1965年]](昭和40年)12月 |
* [[1965年]](昭和40年)12月:建設中の[[学生会館]]の管理運営方法をめぐって学生と大学側が対立(中大紛争の発端)<ref group="PR">『中央大学百年史 通史編 下巻』397-401頁</ref>。 |
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* [[1966年]](昭和41年)5月 |
* [[1966年]](昭和41年)5月:評議員会で教養課程と体育施設の多摩校地への移転方針を決議<ref>『中央大学百年史 通史編 下巻』508-509頁</ref>。 |
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[[file:Chuo Unv Tama.JPG|thumb|right|220px|多摩キャンパス(東門付近から3号館〈文学部棟〉を望む)]] |
[[file:Chuo Unv Tama.JPG|thumb|right|220px|多摩キャンパス(東門付近から3号館〈文学部棟〉を望む)]] |
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[[file:Hakumon20130815.jpg|thumb|right|220px|中央大学創立100周年記念ステージ]] |
[[file:Hakumon20130815.jpg|thumb|right|220px|中央大学創立100周年記念ステージ]] |
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[[file:Chuomeiseistation.jpg|thumb|right|220px|中央大学・明星大学駅]] |
[[file:Chuomeiseistation.jpg|thumb|right|220px|中央大学・明星大学駅]] |
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[[File:DNP Ichigaya-tamachi building-2017.11.16.jpg|thumb|right|150px|市ヶ谷田町キャンパス]] |
[[File:DNP Ichigaya-tamachi building-2017.11.16.jpg|thumb|right|150px|市ヶ谷田町キャンパス]] |
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* [[1967年]](昭和42年)5月 |
* [[1967年]](昭和42年)5月:駿河台中央図書館完成。 |
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* [[1969年]](昭和44年 |
* [[1969年]](昭和44年):学費値上げ反対運動で自治会の要求が通る。[[全共闘運動]]で全国でも珍しく学生が勝利。 |
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* [[1973年]](昭和48年)12月 |
* [[1973年]](昭和48年)12月:評議員会で法・経・商・文学部の昼間部の多摩校地への移転方針を決議{{refnest|group="注釈"|この時点で駿河台校舎は夜間部校舎として残す方針だった<ref>『中央大学百年史 通史編 下巻』522-525頁</ref>。}} |
||
* [[1976年]](昭和51年)8月 |
* [[1976年]](昭和51年)8月:駿河台校舎の[[三井住友海上火災保険|大正海上火災保険]]への売却決定。 |
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* [[1977年]](昭和52年)11月 |
* [[1977年]](昭和52年)11月:[[中央大学多摩キャンパス|多摩キャンパス]]完成。 |
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* [[1978年]](昭和53年)4月 |
* [[1978年]](昭和53年)4月:文系4学部、多摩キャンパスで授業開始。 |
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* [[1979年]](昭和54年)4月 |
* [[1979年]](昭和54年)4月:社会科学研究所、企業研究所、人文科学研究所、保健体育研究所開設。 |
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* [[1980年]](昭和55年)3月 |
* [[1980年]](昭和55年)3月:駿河台校舎完全閉鎖、後楽園キャンパスに8号館竣工。 |
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* [[1985年]](昭和60年)11月 |
* [[1985年]](昭和60年)11月:創立100周年記念式典。 |
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* [[1988年]](昭和63年)11月 |
* [[1988年]](昭和63年)11月:駿河台記念館落成式典。 |
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* [[1992年]]([[平成]]4年)7月 |
* [[1992年]]([[平成]]4年)7月:工学研究所開設。 |
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* [[1993年]](平成5年)4月 |
* [[1993年]](平成5年)4月:[[中央大学総合政策学部・大学院総合政策研究科|総合政策学部]] (政策科学科、国際政策学科) 開設。 |
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* [[1996年]](平成8年)4月 |
* [[1996年]](平成8年)4月:政策文化総合研究所開設。 |
||
* [[1999年]](平成11年)12月 |
* [[1999年]](平成11年)12月:[[アジア経済研究所]]の旧庁舎を購入。翌年4月から市ヶ谷キャンパスとして大学院の授業を開始。 |
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* [[2000年]](平成12年) |
* [[2000年]](平成12年) |
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** 1月 |
** 1月:[[多摩都市モノレール線|多摩モノレール]][[中央大学・明星大学駅]]開業。 |
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** 4月 |
** 4月:法学部・経済学部・商学部・理工学部2部募集停止。法学部・商学部・総合政策学部でフレックス制開設。 |
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* [[2001年]](平成13年)4月 |
* [[2001年]](平成13年)4月:文学部2部の募集を停止。 |
||
* [[2002年]](平成14年)4月 |
* [[2002年]](平成14年)4月:文学部に中国言語文化学科を設置。国際会計研究科を[[会計大学院]](アカウンティングスクール)として開設。 |
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* [[2003年]](平成15年)4月 |
* [[2003年]](平成15年)4月:Faculty-Linkage Program(FLP)プログラム開設、創立125周年記念事業として後楽園キャンパスに新3号館竣工。 |
||
* [[2004年]](平成16年)4月 |
* [[2004年]](平成16年)4月:法務研究科を[[法科大学院]](ロースクール)として開設。 |
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* [[2005年]](平成17年)4月 |
* [[2005年]](平成17年)4月:公共政策研究科(公共政策大学院)開設。総合政策学部フレックス制廃止。 |
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* [[2007年]](平成19年)3月 |
* [[2007年]](平成19年)3月:法学部・経済学部・商学部・理工学部2部廃止。商学部フレックス制廃止。 |
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* [[2008年]](平成20年) |
* [[2008年]](平成20年) |
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** 3月 |
** 3月:文学部2部廃止。 |
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** 4月 |
** 4月:理工学部に生命科学科を設置、戦略経営研究科戦略経営専攻(経営大学院;ビジネススクール)を開設、FLPに地域・公共マネジメントプログラムを開設。 |
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* [[2009年]](平成21年) |
* [[2009年]](平成21年) |
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** 4月 |
** 4月:理工学部の土木工学科を都市環境学科に改称。法学部フレックス制廃止。 |
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** 8月 |
** 8月:[[学生援護会]]の旧本社を購入。翌年4月から市ヶ谷田町キャンパス(中央大学ミドルブリッジ)として大学院の授業を開始。 |
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* [[2010年]](平成22年)4月 |
* [[2010年]](平成22年)4月:公共政策研究科、国際会計研究科を市ヶ谷田町キャンパス(中央大学ミドルブリッジ)に移設。戦略経営研究科にビジネス科学専攻([[博士後期課程]])を開設。 |
||
* [[2015年]](平成27年)11月 |
* [[2015年]](平成27年)11月:中長期事業計画「Chuo Vision 2025」において、都心拠点の後楽園キャンパス集約と法学部を第一候補とする後楽園移転、多摩キャンパスでの新学部学科開設の計画を発表<ref group="PR">{{Cite web|和書|url=http://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/news/2015/11/37202/ |title=中央大学中長期事業計画「Chuo Vision 2025」を策定 |accessdate=2018/10/14 |publisher=中央大学}}</ref>。 |
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* [[2016年]](平成28年)4月 |
* [[2016年]](平成28年)4月:公共政策研究科の学生募集停止。 |
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* [[2017年]](平成29年 |
* [[2017年]](平成29年):アカウンティングスクール(国際会計研究科)国際会計専攻の学生募集停止。 |
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** 6月 - 公共政策研究科を廃止。 |
** 6月 - 公共政策研究科を廃止。 |
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* [[2018年]](平成30年)6月 |
* [[2018年]](平成30年)6月:アカウンティングスクール(国際会計研究科)国際会計専攻を廃止。 |
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* [[2019年]](平成31年) |
* [[2019年]](平成31年) |
||
** 3月 |
** 3月:文京区[[大塚 (文京区)|大塚]]一丁目の都有地([[都営バス大塚支所]]跡地)の定期借地契約締結(2019年4月から40年間。都が40年後に使用することがなければ、更に10年間延長)。 |
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** 4月 |
** 4月:国際経営学部(多摩キャンパス)・国際情報学部(市ヶ谷田町キャンパス)を開設。 |
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* [[2020年]](令和2年)3月 |
* [[2020年]]([[令和]]2年)3月:グローバル館・国際教育寮竣工。 |
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* [[2021年]](令和3年) |
* [[2021年]](令和3年) |
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** 3月 |
** 3月:FOREST GATEWAY CHUO(仮称 学部共通棟)竣工。 |
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** 8月 |
** 8月:「Chuo Vision 2025」の当初の計画からの変更が生じる(当初:法学部1年生は後楽園キャンパス、法学部2年生~4年生は茗荷谷キャンパスだったが、変更後は法学部全学年を茗荷谷キャンパスへ収容) |
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* [[2023年]](令和5年) |
* [[2023年]](令和5年) |
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** 2月 |
** 2月:駿河台キャンパス竣工式を挙行<ref group="PR">[https://www.chuo-u.ac.jp/news/2023/02/64510/ 中央大学の伝統の地 駿河台キャンパスが竣工 | 中央大学] 2023年2月3日閲覧。</ref>。 |
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** 3月 |
** 3月‥茗荷谷キャンパス・駿河台キャンパス・小石川キャンパスの合同開校式を挙行<ref>{{Cite web|和書|title=新キャンパス︵茗荷谷キャンパス・駿河台キャンパス・小石川キャンパス︶の合同開校式を挙行 {{!}} |url=https://www.chuo-u.ac.jp/news/2023/03/65410/ |website=中央大学 |access-date=2023-05-24 |language=ja}}</ref>。
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** 4月 |
** 4月‥国際情報研究科︵市ヶ谷田町キャンパス︶を開設。法学部および大学院法学研究科が茗荷谷キャンパスへ、ロースクールとビジネススクールが駿河台キャンパスに移転。また、後楽園キャンパス1号館の建て替え工事に伴う[[地鎮祭]]を挙行。
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* [[2024年]](令和6年)4月1日:多摩キャンパスで「大学史資料館」「法と正義の資料館」の一般公開を開始<ref name=朝日新聞20240330>「[https://www.asahi.com/articles/ASS3Z3R4GS3ZOXIE01JM.html 法曹界の偉人顕彰/英吉利法律学校からの大学史 中央大が2資料館新設/多摩キャンパス 来月から公開]」『朝日新聞』朝刊2024年3月30日(東京面)2024年4月6日閲覧</ref>。 |
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** 5月 - 市ヶ谷キャンパスを売却。 |
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=== 歴代校長・学長 === |
=== 歴代校長・学長 === |
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[[File:Late Baron Yoshito Okuda, president of the Chuo University.jpg|thumb|160px|right|質実剛健の校風を確立した[[奥田義人]]]] |
[[File:Late Baron Yoshito Okuda, president of the Chuo University.jpg|thumb|160px|right|質実剛健の校風を確立した[[奥田義人]]]] |
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[[File:Keijirō Okano 1921.jpg|thumb|160px|right|大学令による中央大学の昇格に尽力した[[岡野敬次郎]]]] |
[[File:Keijirō Okano 1921.jpg|thumb|160px|right|大学令による中央大学の昇格に尽力した[[岡野敬次郎]]]] |
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[[File:Raizaburō Hayashi 2 cropped.jpg|thumb|160px|right|検事総長、大審院長、司法大臣を歴任した[[林頼三郎]]]] |
[[File:Raizaburō Hayashi 2 cropped.jpg|thumb|160px|right|[[検事総長]]、[[大審院|大審院長]]、[[法務大臣#司法大臣|司法大臣]]を歴任した[[林頼三郎]]]] |
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{| class="wikitable" |
{| class="wikitable" |
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!代!!氏名!!就任時期 |
!代!!氏名!!就任時期 |
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== 基礎データ == |
== 基礎データ == |
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=== 所在地 === |
=== 所在地 === |
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* [[中央大学多摩キャンパス|多摩キャンパス]](東京都八王子市東中野742-1) |
* [[中央大学多摩キャンパス|多摩キャンパス]](東京都[[八王子市]][[東中野 (八王子市)|東中野]]742-1) |
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* 後楽園キャンパス(東京都文京区春日1-13-27) |
* 後楽園キャンパス(東京都[[文京区]][[春日 (文京区)|春日]]1-13-27) |
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* 市ヶ谷田町キャンパス(東京都新宿区市谷田町1-18) |
* 市ヶ谷田町キャンパス(東京都[[新宿区]][[市谷田町]]1-18) |
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* 茗荷谷キャンパス(東京都文京区大塚1-4-1) |
* 茗荷谷キャンパス(東京都文京区[[大塚 (文京区)|大塚]]1-4-1) |
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* 駿河台キャンパス(東京都千代田区神田駿河台3-11-5) |
* 駿河台キャンパス(東京都[[千代田区]][[神田駿河台]]3-11-5) |
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* 小石川キャンパス(東京都文京区春日1-4-11) |
* 小石川キャンパス(東京都文京区春日1-4-11) |
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=== 象徴 === |
=== 象徴 === |
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; 校歌 |
; 校歌、応援歌、学生歌 |
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:* |
:* 校歌『草のみどり』 (作詞:[[石川道雄]]、作曲:[[坂本良隆]]) |
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:** [[1950年]]︵昭和25年︶8月15日発表。現在歌われている |
:** [[1950年]](昭和25年)8月15日発表。現在歌われている校歌で、歴代3番目のものである。 |
||
:::中央大学では終戦後の[[1949年]](昭和24年)から新校歌募集を行ったが当選作なしの結果に終わったため、作詞を独文学者の石川道雄、作曲を山田耕筰門下の坂本良隆に依頼した。歌詞は実質的には[[大場俊助]](当時の教授で校歌審査委員)との合作であり、石川の原案になかった「白門」を加えたのは大場である。また、 |
:::中央大学では終戦後の[[1949年]](昭和24年)から新校歌募集を行ったが当選作なしの結果に終わったため、作詞を独文学者の石川道雄、作曲を[[山田耕筰]]門下の坂本良隆に依頼した。歌詞は実質的には[[大場俊助]](当時の教授で校歌審査委員)との合作であり、石川の原案になかった「白門」を加えたのは大場である。また、『草のみどり』の語句は当時の[[中央大学#旧:駿河台校舎|駿河台校舎]]の情景とは必ずしも合致しないが、未来のあるべきキャンパスの理想を語ったものと解釈されている<ref group="PR">『[https://www.chuo-u.ac.jp/uploads/2018/10/124.pdf?1685997626370 タイムトラベル中大125:1885→2010]』288-289頁</ref>。 |
||
:::* 第一校歌 - [[中央大学#旧:錦町校舎|錦町校舎]]時代の[[1921年]]制定。作詞‥宮脇信介、作曲‥[[中田章]]。大学の[[駿河台]]移転によって﹁[[神田錦町|錦の街]]に﹂の歌詞が実情と合わなくなったため歌われなくなった<ref group="PR">﹃中央大学百年史﹄ 通史編下巻、52-53頁</ref>。
|
:::* 第一校歌 - [[中央大学#旧:錦町校舎|錦町校舎]]時代の[[1921年]]制定。作詞‥宮脇信介、作曲‥[[中田章]]。大学の[[駿河台]]移転によって﹁[[神田錦町|錦の街]]に﹂の歌詞が実情と合わなくなったため歌われなくなった<ref group="PR">﹃中央大学百年史﹄ 通史編下巻、52-53頁</ref>。
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||
{{wikisource|中央大学校歌|中央大学校歌(第二校歌)}} |
{{wikisource|中央大学校歌|中央大学校歌(第二校歌)}} |
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:::* 第二校歌 - 駿河台移転後の[[1926年]]制定。作詞‥小林一郎、作曲‥ |
:::* 第二校歌 - 駿河台移転後の[[1926年]]制定。作詞:小林一郎、作曲:山田耕筰。「[[皇国]]の礎」の歌詞は[[国民主権|主権在民]]の世にふさわしくないとの理由で戦後は歌われなくなった<ref group="PR">『中央大学百年史 通史編 下巻』53-54頁</ref><ref group="PR">『[http://sschems.chem.chuo-u.ac.jp/kawasaki/pdf/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%AE%E6%AD%8C%EF%BC%8D%E7%99%BD%E9%96%80%E3%81%AB%E6%A0%84%E5%85%89%E3%81%82%E3%82%8C%EF%BC%8D.pdf 中央大学の歌-白門に栄光あれ-]』中央大学広報部、2017年(初版1995年)7-11頁</ref>。 |
||
:* 中央大学応援歌 |
:* 中央大学応援歌『あゝ中央の若き日に』(歌詞選定:中央大学学友会、作曲:[[古関裕而]]) |
||
:** 代表的な[[応援歌]] |
:** 代表的な[[応援歌]]で、応援歌としては歴代2番目のものである。 |
||
:* |
:* 『惜別の歌』(作詞:[[島崎藤村]]、作曲:藤江英輔) |
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:** 旧制中央大学予科生だった藤江が、1944年召集令状を受け取った学友のために島崎の詩にメロディーをつけて作曲した<ref name="asahi20151027">朝日新聞 |
:** 旧制中央大学予科生だった藤江が、1944年召集令状を受け取った学友のために島崎の詩にメロディーをつけて作曲した<ref name="asahi20151027">※記事名不明※『朝日新聞』朝刊2015年10月27日38ページ</ref>。今も大学の卒業式で歌われ、[[小林旭]]のヒット曲としても知られる<ref name="asahi20151027"/>。 |
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:* 『首途の歌』 |
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:* 『中大健児の歌』(作詞:河尾俊雄、作曲:中央大学音楽研究会) |
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:* 『若き血潮』 |
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:* 『伊豆逍遙歌』(作詞作曲:村上道太郎) |
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:* 『中大節』 |
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:** [[近畿大学]]の近大節を元にしている。 |
:** [[近畿大学]]の『近大節』を元にしている。 |
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: <!-- この「:」は削除しないでください。[[Help:箇条書き]]参照 --> |
: <!-- この「:」は削除しないでください。[[Help:箇条書き]]参照 --> |
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; スクールカラー |
; スクールカラー |
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:* 中央大学ブルー([[藍色]])とレッド([[赤]])の2色を[[スクールカラー]]として定めている<ref group="PR">{{Cite web|和書|date=2009-02-23|url=http://www.chuo-u.ac.jp/visitor_alumni/kinkyo/vol_01/pdf/36p.pdf|title=中央大学の近況 創刊号|format=PDF|publisher=中央大学|accessdate=2014-06-22}}</ref>。 |
:* 中央大学ブルー([[藍色]])とレッド([[赤色]])の2色を[[スクールカラー]]として定めている<ref group="PR">{{Cite web|和書|date=2009-02-23|url=http://www.chuo-u.ac.jp/visitor_alumni/kinkyo/vol_01/pdf/36p.pdf|title=中央大学の近況 創刊号|format=PDF|publisher=中央大学|accessdate=2014-06-22}}</ref>。 |
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: |
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; 校章とシンボルマーク |
; 校章とシンボルマーク |
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:* 白門を表す[[ |
:* 白門を表す[[白色]]で、大学と中央の文字をあしらった[[校章]]のほか、「C」の[[シンボルマーク]]もよく知られている。 |
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== 教育及び研究 == |
== 教育及び研究 == |
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** 情報工学専攻{{Efn|name="ele_info1"}} |
** 情報工学専攻{{Efn|name="ele_info1"}} |
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** 生命科学専攻 |
** 生命科学専攻 |
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** 情報セキュリティ科学専攻 |
** 情報セキュリティ科学専攻:博士後期課程のみ{{Efn|name="ele_info2"|2017年入学生より募集停止し、電気・情報系専攻に統合<ref group="PR" name="2017g-sci" />。}} |
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** 電気・情報系専攻 |
** 電気・情報系専攻:博士後期課程のみ |
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*** 電気・情報系の博士後期課程3専攻(電気電子情報通信工学専攻、情報工学専攻、情報セキュリティ科学専攻)を統合し、2017年4月開設 |
*** 電気・情報系の博士後期課程3専攻(電気電子情報通信工学専攻、情報工学専攻、情報セキュリティ科学専攻)を統合し、2017年4月開設<ref group="PR" name="2017g-sci" />。 |
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** 副専攻 |
** 副専攻 |
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*** 環境・生命副専攻 |
*** 環境・生命副専攻 |
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* [[中央大学総合政策学部・大学院総合政策研究科|総合政策研究科]] |
* [[中央大学総合政策学部・大学院総合政策研究科|総合政策研究科]] |
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** 総合政策専攻 |
** 総合政策専攻 |
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* 戦略経営研究科 |
* 戦略経営研究科博士:博士後期課程のみ |
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** ビジネス科学専攻(ビジネススクールのDBAプログラムとして開設) |
** ビジネス科学専攻(ビジネススクールのDBAプログラムとして開設) |
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* 国際情報研究科 |
* 国際情報研究科:修士課程のみ |
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** 政策文化総合研究所 |
** 政策文化総合研究所 |
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* 研究開発機構(後楽園キャンパス) |
* 研究開発機構(後楽園キャンパス) |
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* 産学官連携・知的財産戦略本部 (CLIP)(後楽園キャンパス) |
* [[産学官連携]]・知的財産戦略本部 (CLIP)(後楽園キャンパス) |
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* [[大学図書館|図書館]] |
* [[大学図書館|図書館]] |
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** 多摩キャンパス |
** 多摩キャンパス |
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* 保健センター |
* 保健センター |
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* 寮(セミナーハウス) |
* 寮(セミナーハウス) |
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** 野尻湖セミナーハウス |
** [[野尻湖]]セミナーハウス |
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** 富浦臨海寮 |
** 富浦臨海寮([[千葉県]][[南房総市]][[富浦町]]) |
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===== 附属図書館 ===== |
===== 附属図書館 ===== |
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多摩キャンパスに中央図書館、後楽園キャンパスに中央図書館理工学部分館を設置している。特に多摩キャンパスの中央図書館には17万冊の開架書庫と1685席の閲覧席を設けた大規模なものである。なおこのほかに各学部(文学部は各専攻・理工学部は各学科)にも図書館が設置されている。また[[1979年]](昭和54年)にはEC資料センター(現在は[[EU情報センター]])、[[1994年]](平成6年)には[[国連寄託図書館]]にそれぞれ指定されており、国際機関資料を一般に公開している。 |
多摩キャンパスに中央図書館、後楽園キャンパスに中央図書館理工学部分館を設置している。特に多摩キャンパスの中央図書館には17万冊の開架書庫と1685席の閲覧席を設けた大規模なものである。なおこのほかに各学部(文学部は各専攻・理工学部は各学科)にも図書館が設置されている。また[[1979年]](昭和54年)にはEC資料センター(現在は[[EU情報センター]])、[[1994年]](平成6年)には[[国連寄託図書館]]にそれぞれ指定されており、国際機関資料を一般に公開している。 |
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*大学史資料館(多摩キャンパス学生研究棟「炎の塔」2階) |
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*法と正義の資料館(同) |
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以下に関しては2006年1月特に特記すべき組織はないのでコメントアウト |
以下に関しては2006年1月特に特記すべき組織はないのでコメントアウト |
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===== 附属病院 ===== |
===== 附属病院 ===== |
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附属病院は… |
附属病院は… |
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○○博物館は… |
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* [[中央大学学友会サッカー部|サッカー部]]は、関東大学1部リーグ優勝5回、[[全日本大学サッカー選手権大会|全日本大学サッカー選手権]]優勝8回、[[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]優勝1回を誇る。また、関連チームの中大クラブも天皇杯優勝を1回している。 |
* [[中央大学学友会サッカー部|サッカー部]]は、関東大学1部リーグ優勝5回、[[全日本大学サッカー選手権大会|全日本大学サッカー選手権]]優勝8回、[[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]優勝1回を誇る。また、関連チームの中大クラブも天皇杯優勝を1回している。 |
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* [[中央大学ラグビー部|ラグビー部]]は、[[関東大学ラグビーリーグ戦グループ]]で1回の優勝経験がある。 |
* [[中央大学ラグビー部|ラグビー部]]は、[[関東大学ラグビーリーグ戦グループ]]で1回の優勝経験がある。 |
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* [[中央大学ラクーンズ|アメリカンフットボール部]]は1967年創部で、愛称はラクーンズ。2023年現在、[[関東学生アメリカンフットボール連盟|関東学生リーグTOP8]]に属している。 |
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* ボート部は、毎年'''グリーンレガッタ'''等に参戦している。グリーンレガッタとは、中 |
* ボート部は、毎年'''グリーンレガッタ'''等に参戦している。グリーンレガッタとは、中大・法大・日体大・東京経済大の4大学の[[ボート競技]]の対校定期戦である。1991年の[[みどりの日]](現 [[昭和の日]])に始まったのが名称の由来で、毎年[[戸田漕艇場]]で実施されている。ボート競技の主流である男子エイトは、1983年に東大の全日本選手権の連勝記録を止めて以降2000年代初頭まで、全日本選手権優勝5回、全日本大学選手権優勝13回(4連覇・3連覇を含む)を数えた強豪。<!--2012年全日本選手権エイト準優勝。--> |
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* 水泳部は、1994年の第70回[[日本学生選手権水泳競技大会]]で男子が初の総合優勝をして以来、歴代最多の11連覇を達成し日大や早大の連覇記録を更新した。 |
* 水泳部は、1994年の第70回[[日本学生選手権水泳競技大会]]で男子が初の総合優勝をして以来、歴代最多の11連覇を達成し日大や早大の連覇記録を更新した。 |
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* [[中央大学バスケットボール部|バスケットボール部]]は、[[全日本学生バスケットボール選手権大会]]で3度優勝を果たしている。なお、同大学バスケ部はサッカーやラグビー同様男子部のみで女子部門がない。 |
* [[中央大学バスケットボール部|バスケットボール部]]は、[[全日本学生バスケットボール選手権大会]]で3度優勝を果たしている。プロレスラーの[[ジャンボ鶴田]]は、同バスケ部→レスリング部に在籍した。なお、同大学バスケ部はサッカーやラグビー同様男子部のみで女子部門がない。 |
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* バレーボール部(男子部)は、全国タイトルを全国大学最多の計23回([[全日本6人制バレーボール総合選手権|全日本総合(6人制)]]6回・[[NHK杯全日本6人制バレーボール選抜男女優勝大会|NHK杯]]1回・[[全日本バレーボール大学男女選手権大会|インカレ]]15回・[[全日本大学男子バレーボール東西選抜優勝大会|東西インカレ]]1回)獲得している。また、[[東日本大学バレーボール選手権大会|東日本インカレ]]も5回制している。 |
* バレーボール部(男子部)は、全国タイトルを全国大学最多の計23回([[全日本6人制バレーボール総合選手権|全日本総合(6人制)]]6回・[[NHK杯全日本6人制バレーボール選抜男女優勝大会|NHK杯]]1回・[[全日本バレーボール大学男女選手権大会|インカレ]]15回・[[全日本大学男子バレーボール東西選抜優勝大会|東西インカレ]]1回)獲得している。また、[[東日本大学バレーボール選手権大会|東日本インカレ]]も5回制している。 |
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* 剣道部︵男子部︶は、[[全日本学生剣道優勝大会]]で歴代最多14回の優勝を誇る。<br />同部︵女子部︶は、2021年の第40回[[全日本女子学生剣道優勝大会]]で初優勝し、同時に男子部の優勝で男女アベック優勝を果たした。
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* 剣道部︵男子部︶は、[[全日本学生剣道優勝大会]]で歴代最多14回の優勝を誇る。<br />同部︵女子部︶は、2021年の第40回[[全日本女子学生剣道優勝大会]]で初優勝し、同時に男子部の優勝で男女アベック優勝を果たした。
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== 大学関係者と組織 == |
== 大学関係者と組織 == |
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=== 大学関係者組織 === |
=== 大学関係者組織 === |
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{{出典の明記|section=1|date=2024年2月}} |
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中央大学のOB会・親睦会に「○○白門会」または「白門○○会」という名前が付いた組織がある。OB組織は一般的に'''「白門会」'''と呼ばれるが、白門会はあくまでも任意の団体である。中央大学の正式な[[同窓会]]は中央大学学員会である<ref group="PR">[https://www.chuo-u.ac.jp/visitor_alumni/gakuinkai/outline/objective/ 中央大学学員会 学員会の目的・沿革]</ref>。学員会費を支払っている学員(会員)が100名以上在籍する白門会が、学員会の正式な支部として認定される資格を持つ。支部には、地域支部、年次支部、職域等支部の3種類がある。白門会という名称は付いていないが、法曹の親睦団体である中央大学法曹会や中央大学出身の財界人による南甲倶楽部も白門会である。 |
中央大学のOB会・親睦会に「○○白門会」または「白門○○会」という名前が付いた組織がある。OB組織は一般的に'''「白門会」'''と呼ばれるが、白門会はあくまでも任意の団体である。中央大学の正式な[[同窓会]]は中央大学学員会である<ref group="PR">[https://www.chuo-u.ac.jp/visitor_alumni/gakuinkai/outline/objective/ 中央大学学員会 学員会の目的・沿革]</ref>。学員会費を支払っている学員(会員)が100名以上在籍する白門会が、学員会の正式な支部として認定される資格を持つ。支部には、地域支部、年次支部、職域等支部の3種類がある。白門会という名称は付いていないが、法曹の親睦団体である中央大学法曹会や中央大学出身の財界人による南甲倶楽部も白門会である。 |
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* 使用研究科:理工学研究科 |
* 使用研究科:理工学研究科 |
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* 敷地面積:29,283㎡。 |
* 敷地面積:29,283㎡。 |
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理工学部が設置されているキャンパスで中央大学発祥の地である神田に近い。所在地は、東京都[[文京区]][[春日 (文京区)|春日]]である。キャンパス内には[[中央大学高等学校]]、日本比較法研究所なども併設されており、3号館などの一部の施設は共用となっている。[[2010年]](平成22年)3月までは文系大学院教室も設置されていたが、市ヶ谷田町キャンパスの開校に伴い移転した(跡地は法学部教員研究室や日本比較法研究所が入った)。敷地面積は27,141[[平方メートル|m<sup>2</sup>]]である。[[東京ドーム]]や[[文京区役所]]に非常に近いほか、都心にありながら、[[礫川公園]]に隣接し、[[後楽園]]に近いこともあり、キャンパス周囲は緑が多い。 |
理工学部が設置されているキャンパスで、中央大学発祥の地である神田に近い。所在地は、東京都[[文京区]][[春日 (文京区)|春日]]である。キャンパス内には[[中央大学高等学校]]、日本比較法研究所なども併設されており、3号館などの一部の施設は共用となっている。[[2010年]](平成22年)3月までは文系大学院教室も設置されていたが、市ヶ谷田町キャンパスの開校に伴い移転した(跡地は法学部教員研究室や日本比較法研究所が入った)。敷地面積は27,141[[平方メートル|m<sup>2</sup>]]である。[[東京ドーム]]や[[文京区役所]]に非常に近いほか、都心にありながら、[[礫川公園]]に隣接し、[[後楽園]]に近いこともあり、キャンパス周囲は緑が多い。 |
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詳細は「[[中央大学大学院理工学研究科・理工学部]]」を参照。 |
詳細は「[[中央大学大学院理工学研究科・理工学部]]」を参照。 |
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* 使用研究科:法学研究科 |
* 使用研究科:法学研究科 |
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* 敷地面積:7,255.56㎡ |
* 敷地面積:7,255.56㎡ |
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中央大学は中長期事業計画「Chuo Vision 2025」における二大キャンパス体制の形成の一環として、法学部の都心展開およびそれに係るキャンパス整備を目指した。法学部は当初、後楽園キャンパスに移転される予定であったが、中央大学が[[東京都]]より[[都営バス]][[都営バス大塚支所|大塚車庫跡地]]を[[2018年]](平成30年)12月に取得(借地)したことで、当該地での「茗荷谷キャンパス」の新設が決定した。[[コロナ禍]]の影響もあり、着工が多少遅れたが、[[2020年]](令和2年)7月に着工し、[[2023年]](令和5年)2月に竣工、同年4月に開校した。 |
中央大学は中長期事業計画﹁Chuo Vision 2025﹂における二大キャンパス体制の形成の一環として、法学部の都心展開およびそれに係るキャンパス整備を目指した。法学部は当初、後楽園キャンパスに移転される予定であったが、中央大学が[[東京都庁]]より[[都営バス]][[都営バス大塚支所|大塚車庫跡地]]を[[2018年]]︵平成30年︶12月に取得︵借地︶したことで、当該地での﹁茗荷谷キャンパス﹂の新設が決定した。[[コロナ禍]]の影響もあり、着工が多少遅れたが、[[2020年]]︵令和2年︶7月に着工し、[[2023年]]︵令和5年︶2月に竣工、同年4月に開校した。
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茗荷谷キャンパスの外観は中央大学の前身である[[英吉利法律学校]]の赤レンガ造り校舎をモチーフとし、低層階には旧駿河台校舎と同じ尖頭型アーチを取り入れている。玄関には、[[テミス]]像や[[増島六一郎]]並びに[[花井卓蔵]]の銅像が飾られている。また、地上8階・地下2階のキャンパス内には、通常教室に加えて遠隔授業やハイブリッド型授業にも対応した教室を配置するほか、[[大学図書館|図書館]]や[[学生食堂]]はイギリスの[[ミドル・テンプル]]をモチーフとしたインテリアを採用している。また、茗荷谷キャンパスは、地域貢献の観点からも大学施設のほか、 |
茗荷谷キャンパスの外観は中央大学の前身である[[英吉利法律学校]]の赤レンガ造り校舎をモチーフとし、低層階には旧駿河台校舎と同じ尖頭型アーチを取り入れている。玄関には、[[テミス]]像や[[増島六一郎]]並びに[[花井卓蔵]]の銅像が飾られている。また、地上8階・地下2階のキャンパス内には、通常教室に加えて遠隔授業やハイブリッド型授業にも対応した教室を配置するほか、[[大学図書館|図書館]]や[[学生食堂]]はイギリスの[[ミドル・テンプル]]をモチーフとしたインテリアを採用している。また、茗荷谷キャンパスは、地域貢献の観点からも大学施設のほか、文京区の地域活動センターや保育所などが併設されている。[[郵便局]]や[[カフェ]]も併設され、周辺住民や[[茗荷谷駅|茗荷谷]]駅利用者にとっても利便性の高いキャンパスを目指している。 |
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* アクセス |
* アクセス |
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** 東京メトロ丸ノ内線 |
** [[東京メトロ丸ノ内線]] 茗荷谷駅(1番出口)下車 徒歩1分 |
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** 東京メトロ有楽町線 |
** [[東京メトロ有楽町線]] [[護国寺駅]](5番出口)下車 徒歩12分 |
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==== 駿河台キャンパス ==== |
==== 駿河台キャンパス ==== |
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* 敷地面積:1,942㎡。 |
* 敷地面積:1,942㎡。 |
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[[2023年]](令和5年)4月に設置され、法務研究科及び戦略経営研究科が使用するキャンパス。地上 |
[[2023年]](令和5年)4月に設置され、法務研究科及び戦略経営研究科が使用するキャンパス。地上19階・地下1階の高層ビルであり、駿河台記念館を建て替える形で同年2月に竣工した。 |
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なお、同地に[[2019年]](令和元年)まで存在した旧駿河台記念館は、かつてのメインキャンパスだった旧・[[中央大学#旧:駿河台校舎|駿河台キャンパス]]内の旧大学会館跡地に、[[1988年]](昭和63年)に建設された施設だった。 |
なお、同地に[[2019年]](令和元年)まで存在した旧駿河台記念館は、かつてのメインキャンパスだった旧・[[中央大学#旧:駿河台校舎|駿河台キャンパス]]内の旧大学会館跡地に、[[1988年]](昭和63年)に建設された施設だった。 |
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777行目: | 799行目: | ||
* アクセス |
* アクセス |
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** JR中央・総武線 |
** JR[[中央本線|中央]]・[[総武線]] [[御茶ノ水駅]]下車 徒歩3分 |
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** 東京メトロ丸ノ内線 |
** 東京メトロ丸ノ内線 御茶ノ水駅下車 徒歩6分 |
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** 東京メトロ千代田線 |
** [[東京メトロ千代田線]] [[新御茶ノ水駅]]下車 (B1出口)徒歩3分・(B3b出口) |
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** 都営地下鉄新宿線 |
** [[都営地下鉄新宿線]] [[小川町駅 (東京都)|小川町]]駅下車 (B5出口)徒歩5分 |
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==== 市ヶ谷田町キャンパス(中央大学ミドルブリッジ) ==== |
==== 市ヶ谷田町キャンパス(中央大学ミドルブリッジ) ==== |
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* アクセス |
* アクセス |
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** 東京メトロ有楽町線・南北線 |
** 東京メトロ有楽町線・南北線 [[市ケ谷駅]](6番出口)下車 徒歩1分 |
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** JR総武線・都営地下鉄新宿線 |
** JR総武線・都営地下鉄新宿線 市ケ谷駅(A1出口)下車 徒歩5分 |
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==== 小石川キャンパス ==== |
==== 小石川キャンパス ==== |
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茗荷谷キャンパスの開校に合わせて、2023年4月に開校した。体育館と付属棟(多目的室)で構成されており、所属キャンパスに十分な体育施設を持たない法学部・国際情報学部における体育授業、法学部・国際情報学部の学生のサークル活動に利用される。 |
茗荷谷キャンパスの開校に合わせて、2023年4月に開校した。体育館と付属棟(多目的室)で構成されており、所属キャンパスに十分な体育施設を持たない法学部・国際情報学部における体育授業、法学部・国際情報学部の学生のサークル活動に利用される。 |
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* アクセス |
* アクセス |
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** JR総武線 |
** JR総武線 飯田橋駅(東口)下車 徒歩10分 |
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** 東京メトロ丸ノ内線・南北線 |
** 東京メトロ丸ノ内線・南北線 後楽園駅(1番出口)下車 徒歩5分 |
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=== 海外拠点 === |
=== 海外拠点 === |
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特に明記がないものについては、中央大学ウェブサイトを参照<ref>{{Cite web|和書|url=http://globalization.chuo-u.ac.jp/network/worldhub/|title=中央大学海外拠点|accessdate=2018/07/13|publisher=}}</ref>。 |
特に明記がないものについては、中央大学ウェブサイトを参照<ref>{{Cite web|和書|url=http://globalization.chuo-u.ac.jp/network/worldhub/|title=中央大学海外拠点|accessdate=2018/07/13|publisher=}}</ref>。 |
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* 中央大学パシフィック・オフィス ([[アメリカ合衆国]] |
* 中央大学パシフィック・オフィス ([[アメリカ合衆国]][[ハワイ州]]) |
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** 2013年12月にハワイ大学マノア校に設立。海外拠点第一号となる。 |
** 2013年12月に[[ハワイ大学]]マノア校に設立。海外拠点第一号となる。 |
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* 中央大学・[[タンマサート大学|タマサート大学]]コラボレーションセンター 「中央大学タイ・オフィス」([[タイ王国 |
* 中央大学・[[タンマサート大学|タマサート大学]]コラボレーションセンター 「中央大学タイ・オフィス」([[タイ王国]][[バンコク|バンコク市]]) |
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** 2014年12月にタマサート大学法学部に設立。海外拠点第二号となる。 |
** 2014年12月にタマサート大学法学部に設立。海外拠点第二号となる。 |
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* 中央大学上海オフィス([[中華人民共和国|中国]] |
* 中央大学上海オフィス([[中華人民共和国|中国]][[上海市]]) |
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** 2016年10月に[[上海理工大学]]日本文化交流センターに設立。海外拠点第三号となる。 |
** 2016年10月に[[上海理工大学]]日本文化交流センターに設立。海外拠点第三号となる。 |
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[[File:中央大学錦町校舎.jpg|thumb|220px|right|錦町校舎(1915年)]] |
[[File:中央大学錦町校舎.jpg|thumb|220px|right|錦町校舎(1915年)]] |
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[[1885年]](明治18年)7月の英吉利法律学校創設時より使用されたキャンパス。[[東京府]][[神田区]][[神田錦町]]2丁目2番地に所在していた。 |
[[1885年]](明治18年)7月の英吉利法律学校創設時より使用されたキャンパス。[[東京府]][[神田区]][[神田錦町]]2丁目2番地に所在していた。 |
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{{Quotation|そのころの[[東京法学院]]は[[神田錦町]]にあって、街路に面して建てられた、[[ネオルネッサンス建築|ルネサンス式]]の[[煉瓦|赤煉瓦]]の二階建てで、[[イオニア式|アイオニア式]]の[[柱頭 (建築)|柱頭]]をもった[[付柱|附柱]]の並んだ、そのころの学校としてはすばらしく宏壮でもあり、装飾的でもある立派な建物だった。|[[長谷川如是閑]]|『ある心の自叙伝』 |
{{Quotation|そのころの[[東京法学院]]は[[神田錦町]]にあって、街路に面して建てられた、[[ネオルネッサンス建築|ルネサンス式]]の[[煉瓦|赤煉瓦]]の二階建てで、[[イオニア式|アイオニア式]]の[[柱頭 (建築)|柱頭]]をもった[[付柱|附柱]]の並んだ、そのころの学校としてはすばらしく宏壮でもあり、装飾的でもある立派な建物だった。|[[長谷川如是閑]]|『ある心の自叙伝』([[講談社学術文庫]])163ページ}} |
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{{Quotation|神田錦町二丁目は[[神田警察署]]の隣、アノ辺には珍しき赤煉瓦の建物がならむでゐる。安倉庫然たりなど、皮肉を申す奴があるも、羨ましさの悪口に違ひなし。一寸見ると警察署の煉瓦塀迄此の建物の中かと見へて、壮麗(?)よく田舎漢の魂を抜き得べし。これなむ。法学界一方の重鎮中央大学の校舎である。|河岡潮風|『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812643/92 東都遊学学校評判記]』 |
{{Quotation|神田錦町二丁目は[[神田警察署]]の隣、アノ辺には珍しき赤煉瓦の建物がならむでゐる。安倉庫然たりなど、皮肉を申す奴があるも、羨ましさの悪口に違ひなし。一寸見ると警察署の煉瓦塀迄此の建物の中かと見へて、壮麗(?)よく田舎漢の魂を抜き得べし。これなむ。法学界一方の重鎮中央大学の校舎である。|河岡潮風|『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812643/92 東都遊学学校評判記]』(博文館)137-138ページ}} |
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[[1923年]](大正12年)9月1日の[[関東大震災]]で大打撃を受け、応急復旧は施したものの、震災後の大学再建計画のためには校地移転が不可欠と判断されたため、[[1926年]](大正15年)[[8月]]に駿河台キャンパスを完成させ、移転した。同地は電機学校(現:[[東京電機大学]])に売却され、同大学が北千住に移転する2012年3月まで神田キャンパスとなっていた。2012年4月以降は住友商事による再開発が行われる。 |
[[1923年]](大正12年)9月1日の[[関東大震災]]で大打撃を受け、応急復旧は施したものの、震災後の大学再建計画のためには校地移転が不可欠と判断されたため、[[1926年]](大正15年)[[8月]]に駿河台キャンパスを完成させ、移転した。同地は電機学校(現:[[東京電機大学]])に売却され、同大学が北千住に移転する2012年3月まで神田キャンパスとなっていた。2012年4月以降は住友商事による再開発が行われる。 |
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[[File:Meiji University Hijiribashi Campus.jpg|thumb|160px|聖橋校舎]] |
[[File:Meiji University Hijiribashi Campus.jpg|thumb|160px|聖橋校舎]] |
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1926年8月から[[1980年]](昭和55年)3月まで使用されたキャンパス。東京都心の神田駿河台地区(現[[三井住友海上駿河台ビル]]及びその周辺)に所在していた。 |
1926年8月から[[1980年]](昭和55年)3月まで使用されたキャンパス。東京都心の神田駿河台地区(現[[三井住友海上駿河台ビル]]及びその周辺)に所在していた。 |
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* 1号館 |
* 1号館:[[1958年]]8月完成、施工は[[大成建設]]<ref>衛生工業協会 [https://dl.ndl.go.jp/pid/2289220/1/36 『衛生工業協会誌 第32巻 第11号』] 1958年11月、60頁</ref>、地下1階・地上7階建て、塔屋3階付(のちに10階建てに増築。大学院および研究室、総長室をはじめとする教職員関係施設、学生ホール、学食など) |
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* 2号館 |
* 2号館:[[1926年]]8月完成、施工は[[大成建設|大倉土木]]、地下1階・地上3階建て(のちに4階建てに増築。法・経・商3学部校舎) |
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* 3号館 |
* 3号館:[[1935年]]8月完成、施工は大倉土木、地下1階・地上4階建て(創立50周年記念講堂) |
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* 4号館 |
* 4号館:[[1964年]]4月完成、施工は[[清水建設]]、地下1階・地上6階建て(法・経・商3学部校舎) |
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* 5号館 |
* 5号館:1964年8月完成、施工は清水建設、地下2階・地上10階建て(文学部校舎) |
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* 大学院分室図書館 |
* 大学院分室図書館:[[1930年]]11月完成、施工は[[清水建設|清水組]]、地下1階・地上3階建て |
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* 駿河台中央図書館 |
* 駿河台中央図書館:[[1967年]]5月完成、施工は清水建設<ref>建築ジャーナリズム研究所 [https://dl.ndl.go.jp/pid/2526421/1/221 『建築年鑑 1968年版』]217-218頁</ref>、地下2階・地上10階建て |
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* 中央大学会館 |
* 中央大学会館:[[1956年]]8月完成、地下1階・地上5階建て(現在の新・駿河台キャンパスの場所) |
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* 錦町校舎 |
* 錦町校舎:旧千代田区役所庁舎を[[1955年]]に購入し、学生会館および[[中央大学高等学校]]として使用した([[1964年]]12月売却)。 |
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* 聖橋校舎 |
* 聖橋校舎:明治大学から[[1965年]]4月に購入(経理研究所、中央大学高等学校、サークル施設として使用)<ref group="PR">『中央大学百年史 通史編 下巻』344頁</ref> |
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* 小川町校舎 |
* 小川町校舎:[[1966年]]6月完成(学生会館として使用。なお、この建物は[[シェアードオフィス|シェアオフィス]]として現存している)<ref group="PR">[https://www.chuo-u.ac.jp/visitor_alumni/homecomingday/news/2021/11/57309/ 第30回中央大学ホームカミングデーのアーカイブ配信について] 2023年1月15日閲覧</ref> |
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※各施設の名称は[[1964年]]4月以降のもの<ref group="PR">『中央大学百年史 |
※各施設の名称は[[1964年]]4月以降のもの<ref group="PR">『中央大学百年史 通史編 下巻』320-321頁</ref>。 |
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[[高度経済成長|高度経済成長期]]に入学者が増加して校舎が手狭となり、当時都心部にあった大学の郊外への移転が推進されていたこともあり、[[1978年]](昭和53年)4月に多摩キャンパスに移転した。ただし新入生と在学生のうち2年生、3年生が多摩に移り、4年生は引き続き駿河台キャンパスでの就学が継続されたため、[[1980年]](昭和55年)まで授業が行われた。その後、[[1988年]](昭和63年)には、旧・駿河台キャンパスの一部敷地(旧:大学会館跡)に駿河台記念館が建設された。[[2023年]](令和5年)には、法務研究科(ロースクール)等への使用を目的として、地上18階・地下1階の高層ビルに建て替えられ、43年ぶりに駿河台キャンパスが復活した。 |
[[高度経済成長|高度経済成長期]]に入学者が増加して校舎が手狭となり、当時都心部にあった大学の郊外への移転が推進されていたこともあり、[[1978年]](昭和53年)4月に多摩キャンパスに移転した。ただし新入生と在学生のうち2年生、3年生が多摩に移り、4年生は引き続き駿河台キャンパスでの就学が継続されたため、[[1980年]](昭和55年)まで授業が行われた。その後、[[1988年]](昭和63年)には、旧・駿河台キャンパスの一部敷地(旧:大学会館跡)に駿河台記念館が建設された。[[2023年]](令和5年)には、法務研究科(ロースクール)等への使用を目的として、地上18階・地下1階の高層ビルに建て替えられ、43年ぶりに駿河台キャンパスが復活した。 |
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地上1階から3階は[[講堂]]に充てられ、座席数2,326席、最大収容人員5,324人。1階座席に机を設けて講義に使用できるようになっていた。 |
地上1階から3階は[[講堂]]に充てられ、座席数2,326席、最大収容人員5,324人。1階座席に机を設けて講義に使用できるようになっていた。 |
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この講堂は音響効果にすぐれ、[[マイクロフォン|マイク]]なしでも隅々まで声が届いたため演説会などによく利用された<ref group="PR">『[http://sschems.chem.chuo-u.ac.jp/kawasaki/pdf/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%AE%E6%AD%8C%EF%BC%8D%E7%99%BD%E9%96%80%E3%81%AB%E6%A0%84%E5%85%89%E3%81%82%E3%82%8C%EF%BC%8D.pdf 中央大学の歌-白門に栄光あれ-]』 |
この講堂は音響効果にすぐれ、[[マイクロフォン|マイク]]なしでも隅々まで声が届いたため演説会などによく利用された<ref group="PR">『[http://sschems.chem.chuo-u.ac.jp/kawasaki/pdf/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%AE%E6%AD%8C%EF%BC%8D%E7%99%BD%E9%96%80%E3%81%AB%E6%A0%84%E5%85%89%E3%81%82%E3%82%8C%EF%BC%8D.pdf 中央大学の歌-白門に栄光あれ-]』中央大学広報部、2017年(初版1995年)11頁</ref>。[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の結成大会は[[1955年]](昭和30年)[[11月15日]]に中央大学講堂で実施された。[[日本社会党]]も党大会を同講堂で実施することが多かった。 |
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講堂の隣には教室や事務室など十数室が設けられ、[[大学予科]]全部の教室に充用された。道路を挟んで反対側の校舎(2号館)との間には幅員2.7mの[[地下道]]が設けられていた<ref group="PR">『中央大学誌』 |
講堂の隣には教室や事務室など十数室が設けられ、[[大学予科]]全部の教室に充用された。道路を挟んで反対側の校舎(2号館)との間には幅員2.7mの[[地下道]]が設けられていた<ref group="PR">『中央大学誌』229-232頁</ref><ref group="PR">『中央大学百年史 通史編 下巻』72-76頁</ref>。 |
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同講堂は多摩への移転時に取り壊されており、現存しない。 |
同講堂は多摩への移転時に取り壊されており、現存しない。 |
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設計者の[[阿部美樹志]]は中央大学とかかわりの深い建築家で、駿河台校舎<ref group="PR">『中央大学百年史 |
設計者の[[阿部美樹志]]は中央大学とかかわりの深い建築家で、駿河台校舎<ref group="PR">『中央大学百年史 通史編 下巻』22頁</ref>(のちの2号館)、図書館<ref>『東京朝日新聞』朝刊1930年11月20日付3面</ref>(のちの大学院分室図書館)、駿河台校舎新館<ref group="PR">『中央大学百年史 通史編 下巻』265頁</ref>(のちの1号館)、中央大学会館<ref group="PR">『中央大学百年史 通史編 下巻』261-262頁</ref>の設計も担当した。 |
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==== 中央大学駿河台校舎跡之碑 ==== |
==== 中央大学駿河台校舎跡之碑 ==== |
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=== 旧グラウンド === |
=== 旧グラウンド === |
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[[file:Tateno park nerima 2.jpg|thumb|right|200px|立野公園(旧吉祥寺運動場)]] |
[[file:Tateno park nerima 2.jpg|thumb|right|200px|立野公園(旧吉祥寺運動場)]] |
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* 中野運動場 |
* 中野運動場:[[1911年]]に[[東京府]][[豊多摩郡]][[中野町 (東京府)|中野町]]の2375坪余の土地を借地。しかし、[[運動会]]以外で使用されることはほとんどなく、[[陸上競技|陸上競技部]]、[[テニス部|庭球部]]、[[サッカー部|蹴球部]]は学外施設を借用して練習に励んだという<ref group="PR">『中央大学百年史』 通史編上巻、324-325頁</ref>。大正末期には運動場周辺の宅地化が進み、土地の返還期も迫ったため、新たな運動場を取得することになった<ref group="PR">『中央大学百年史』 通史編下巻、24頁</ref>。 |
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* 所沢運動場 |
* 所沢運動場:[[1926年]]に[[埼玉県]][[入間郡]][[吾妻村 (埼玉県)|吾妻村]]の9912坪の土地を購入<ref group="PR">『中央大学百年史 通史編 下巻』24頁</ref>。 |
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* 吉祥寺運動場 |
* 吉祥寺運動場:[[1935年]]に[[練馬区]][[立野町 (練馬区)|石神井立野町]]の約5424坪の土地を購入し、硬式野球場とした<ref group="PR">『中央大学百年 通史編 下巻』76-77頁</ref>。現在は[[立野公園]]となっている。 |
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* 練馬運動場 |
* 練馬運動場:[[1937年]]に[[板橋区]]練馬南町4丁目の約1万5000坪の土地を購入<ref group="PR">『中央大学百年史 通史編 下巻』96頁</ref>。400mトラックと蹴球場1面、テニスコート3面、クラブハウスを有する本格的な総合グラウンドだった<ref>『東京朝日新聞』朝刊1939年3月3日付8面</ref>。現在は練馬区体育協会が管理する[[練馬総合運動場]]となっている。 |
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=== 駿河台記念館 === |
=== 駿河台記念館 === |
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[[Image:CUSurugadai.jpg|thumb|right|160px|駿河台記念館]] |
[[Image:CUSurugadai.jpg|thumb|right|160px|駿河台記念館]] |
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[[1985年]](昭和60年)の創立100周年記念事業の一環として、[[1988年]](昭和63年)、旧・駿河台キャンパス内の旧大学会館跡地に建設された施設である。設計は[[石本建築事務所]]。地下2階、地上7階建で、建築面積1,652.562m<sup>2</sup>、延床面積9,989.245m<sup>2</sup><ref group="PR">『中央大学百年史 |
[[1985年]](昭和60年)の創立100周年記念事業の一環として、[[1988年]](昭和63年)、旧・駿河台キャンパス内の旧大学会館跡地に建設された施設である。設計は[[石本建築事務所]]。地下2階、地上7階建で、建築面積1,652.562m<sup>2</sup>、延床面積9,989.245m<sup>2</sup><ref group="PR">『中央大学百年史 通史編 下巻』619-622頁</ref>。 |
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館内には施設として、レストラン・喫茶店・キャリアセンター支部などが入り、卒業生組織である[[同窓会|学員会]]本部事務局が置かれたほか、[[大学入試]]や[[中央大学経理研究所|経理研究所]]の社会人講座などで利用されていた。また、[[OB・OG|学員]]以外の一般団体へも貸し出されており、研修会・講演会などに利用されていた。 |
館内には施設として、レストラン・喫茶店・キャリアセンター支部などが入り、卒業生組織である[[同窓会|学員会]]本部事務局が置かれたほか、[[大学入試]]や[[中央大学経理研究所|経理研究所]]の社会人講座などで利用されていた。また、[[OB・OG|学員]]以外の一般団体へも貸し出されており、研修会・講演会などに利用されていた。 |
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作家の[[司馬遼太郎]]は『[[街道をゆく]]36 本所深川散歩・神田界隈』の中で駿河台記念館を「いい感じの建造物」と賞賛した。1階の喫茶店も気に入っていたが、実際の利用者は中大生よりも近隣の[[日本大学|日大生]]の方が多かったという<ref>司馬遼太郎 |
作家の[[司馬遼太郎]]は『[[街道をゆく]]36 本所深川散歩・神田界隈』の中で駿河台記念館を「いい感じの建造物」と賞賛した。1階の喫茶店も気に入っていたが、実際の利用者は中大生よりも近隣の[[日本大学|日大生]]の方が多かったという<ref>司馬遼太郎『街道をゆく36 本所深川 散歩・神田界隈(ワイド版)』(朝日新聞社、2005年)404頁</ref>。 |
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新たな駿河台キャンパスを建設するため、[[2019年]](令和元年)11月に閉場し、翌年解体された。 |
新たな駿河台キャンパスを建設するため、[[2019年]](令和元年)11月に閉場し、翌年解体された。 |
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==== 旧司法試験 ==== |
==== 旧司法試験 ==== |
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旧司法試験において1951年から1970年までの20年間、[[東京大学]]を抑え一位を保持していた<ref name="名前なし-20231105132959"/>。その後、いわゆる[[神田カルチェ・ラタン闘争]]にみる[[日本の学生運動|学生運動]]の激化や多摩キャンパス移転の影響もあって低迷期を迎え、1970年代から1980年代にかけて東京大学と1位を争うようになった。この間、[[法曹|法曹界]]における[[中央大学法学部]]と[[東京大学大学院法学政治学研究科・法学部|東京大学法学部]]との主導権争いは「'''中東戦争'''」とまで形容された<ref group="注釈">当時激化していた「[[中東戦争]]」に掛けた[[語呂合わせ]]。<br />「東大首位に返り咲く |
旧司法試験において1951年から1970年までの20年間、[[東京大学]]を抑え一位を保持していた<ref name="名前なし-20231105132959"/>。その後、いわゆる[[神田カルチェ・ラタン闘争]]にみる[[日本の学生運動|学生運動]]の激化や多摩キャンパス移転の影響もあって低迷期を迎え、1970年代から1980年代にかけて東京大学と1位を争うようになった。この間、[[法曹|法曹界]]における[[中央大学法学部]]と[[東京大学大学院法学政治学研究科・法学部|東京大学法学部]]との主導権争いは「'''中東戦争'''」とまで形容された<ref group="注釈">当時激化していた「[[中東戦争]]」に掛けた[[語呂合わせ]]。<br />「東大首位に返り咲く 司法試験の合格者中大抜き20年ぶり」『朝日新聞』朝刊1971年10月2日付第23面</ref>。1990年代半ば以降は東大京大早慶等とランキングを争い、合格者ランキングの常連としての地位を確立していた。 |
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==== 新司法試験 ==== |
==== 新司法試験 ==== |
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第1回目︵2006年度︶の司法試験では、[[中央大学大学院法務研究科|中央大学法科大学院]]出身者︵受験者数239名、最終合格者数131名︶が合格者数1位であった<ref group="PR">[https://www.moj.go.jp/SHIKEN/SHINSHIHOU/h18kekka.html 平成18年新司法試験の結果] [[法務省]]</ref>。その後は、2012年度及び2015年度に1位の座を獲得している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bengo4.com/c_23/n_8279/ |title=大学別の司法試験合格者数データ|accessdate=2019-03-28}}</ref>。
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第1回目︵2006年度︶の司法試験では、[[中央大学大学院法務研究科|中央大学法科大学院]]出身者︵受験者数239名、最終合格者数131名︶が合格者数1位であった<ref group="PR">[https://www.moj.go.jp/SHIKEN/SHINSHIHOU/h18kekka.html 平成18年新司法試験の結果] [[法務省]]</ref>。その後は、2012年度及び2015年度に1位の座を獲得している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bengo4.com/c_23/n_8279/ |title=大学別の司法試験合格者数データ|accessdate=2019-03-28}}</ref>。
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合格率では |
合格率では68.07%と、全法科大学院中第6位(平成17年-平成29年)<ref>[https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/041/siryo/__icsFiles/afieldfile/2018/10/11/1410102_007.pdf 法科大学院別司法試験累計合格者数等(累計合格率順)|文部科学省]</ref>。 |
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令和4年度司法試験では、合格率26.18%、全法科大学院中第22位、また合格者数は50名、全法科大学院中第8位となった<ref>[https://studying.jp/shihou/about-more/result-publication.html 2022年 法科大学院別 司法試験合格者率ランキング/2022年 法科大学院別 司法試験合格者数ランキング(スタディング司法試験・予備試験講座)]</ref><ref>[https://www.moj.go.jp/content/001380388.pdf 令和4年司法試験法科大学院等別合格者数等(法務省)]</ref>。 |
令和4年度司法試験では、合格率26.18%、全法科大学院中第22位、また合格者数は50名、全法科大学院中第8位となった<ref>[https://studying.jp/shihou/about-more/result-publication.html 2022年 法科大学院別 司法試験合格者率ランキング/2022年 法科大学院別 司法試験合格者数ランキング(スタディング司法試験・予備試験講座)]</ref><ref>[https://www.moj.go.jp/content/001380388.pdf 令和4年司法試験法科大学院等別合格者数等(法務省)]</ref>。 |
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=== 職業会計人養成 === |
=== 職業会計人養成 === |
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[[公認会計士試験]]合格者数は、試験開始年から[[1970年]]頃まで1位であった。しかし1970年代に[[慶應義塾大学]]、80年代前半に[[早稲田大学]]に抜かれ、80年代後半から90年代には[[東京大学]]や[[一橋大学]]に抜かれ、5位 - 7位にまで順位を下げていた。その後、[[中央大学経理研究所|経理研究所]]の強化(専任講師の増員、WEB授業の導入)や試験制度変更により、2000年代以降は3位前後をキープしている。また、[[税理士試験]]に関しては例年合格者数1位となっている。 |
[[公認会計士試験]]合格者数は、試験開始年から[[1970年]]頃まで1位であった。しかし1970年代に[[慶應義塾大学]]、80年代前半に[[早稲田大学]]に抜かれ、80年代後半から90年代には[[東京大学]]や[[一橋大学]]に抜かれ、5位 - 7位にまで順位を下げていた。その後、[[中央大学経理研究所|経理研究所]]の強化︵専任講師の増員、WEB授業の導入︶や試験制度変更により、2000年代以降は3位前後をキープしている。また、{{要出典範囲|date=2024年5月19日 (日) 15:22 (UTC)|[[税理士試験]]に関しては例年合格者数1位となっている}}。
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=== 白門 === |
=== 白門 === |
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{{Double image aside|right|Kinenstage.jpg|220|白門‐後楽園.jpg|220|多摩キャンパス 100周年記念ステージ|後楽園キャンパス 正門(白門)}} |
{{Double image aside|right|Kinenstage.jpg|220|白門‐後楽園.jpg|220|多摩キャンパス 100周年記念ステージ|後楽園キャンパス 正門(白門)}} |
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''[https://www.chuo-u.ac.jp/uploads/2018/10/%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A021.pdf?1558615908147 『タイムトラベル中大125:1885→2010』 |
''[https://www.chuo-u.ac.jp/uploads/2018/10/%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A021.pdf?1558615908147 『タイムトラベル中大125:1885→2010』コラム(21)「白門の由来」も参照]'' |
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「白門(はくもん)」という異称が大学の文献に初めて登場するのは、[[1928年]](昭和3年)に学生サークルである政治学会と[[辞達学会]](弁論部)が共同主催で募集した、学生歌の一節であるという。後に中大職員となる同歌の作者は、[[朝日新聞]]の取材に対して、「(正確には記憶していないが)大学の徽章が白かった(から白門では)」と回顧している<ref> |
「白門(はくもん)」という異称が大学の文献に初めて登場するのは、[[1928年]](昭和3年)に学生サークルである政治学会と[[辞達学会]](弁論部)が共同主催で募集した、学生歌の一節であるという。後に中大職員となる同歌の作者は、『[[朝日新聞]]』の取材に対して、「(正確には記憶していないが)大学の徽章が白かった(から白門では)」と回顧している<ref>『朝日新聞』夕刊1961年(昭和36年)3月1日付4面</ref>。 |
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「白門」の考案者は実はその職員で、東大の赤門、早大の稲門、日大の桜門などからヒントを得たとも語っている<ref group="PR">『[http://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/history/history_07/time_travel/ タイムトラベル中大125:1885→2010]』 |
「白門」の考案者は実はその職員で、東大の赤門、早大の稲門、日大の桜門などからヒントを得たとも語っている<ref group="PR">『[http://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/history/history_07/time_travel/ タイムトラベル中大125:1885→2010]』292ページ</ref>。 |
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ただし、実際に「白門」が多用されるようになったのは戦後からで、戦前世代にはそれほど浸透していなかったとの証言もある。 |
ただし、実際に「白門」が多用されるようになったのは戦後からで、戦前世代にはそれほど浸透していなかったとの証言もある。 |
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{{Quotation|老教授は(OB会を)錦会、中堅クラスは南甲クラブといって“白門”はピッタリこないといいますね。いずれも古い時代の校舎のあった町の名です。|中央大学職員| |
{{Quotation|老教授は(OB会を)錦会、中堅クラスは南甲クラブといって“白門”はピッタリこないといいますね。いずれも古い時代の校舎のあった町の名です。|中央大学職員|『朝日新聞』夕刊1961年(昭和36年)3月1日付4面}} |
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実際の建造物としての白門は、[[1959年]](昭和34年)7月に当時の |
実際の建造物としての白門は、[[1959年]](昭和34年)7月に当時の駿河台校舎に幅1.2m、高さ3.6mの白御影つくりの正門が建設されている(現存せず)。また、白門をイメージしたもの(かつての駿河台校舎の南門門柱・2号館玄関)は、多摩キャンパス内に移設され「100周年記念ステージ」として保存されている。現存する後楽園キャンパス正門の色も白であり、「白門」と呼ばれている。 |
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=== その他 === |
=== その他 === |
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==== 李登輝元 |
==== 李登輝元中華民国総統講演会 ==== |
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[[2003年]](平成15年)12月12日、中央大学の学内施設の貸出許可が取消されたことにより、中央大学の学生団体が急遽「[[よみうりランド]]会館」に会場を変更、[[台湾]]とを繋いだ[[李登輝]]元[[ |
[[2003年]](平成15年)12月12日、中央大学の学内施設の貸出許可が取消されたことにより、中央大学の学生団体が急遽「[[よみうりランド]]会館」に会場を変更、[[台湾]]とを繋いだ[[李登輝]]元[[中華民国総統]]による[[インターネット]]講演会が行われた。 |
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=== 企業・社会からの評価 === |
=== 企業・社会からの評価 === |
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* |
*2006年年9月23日発行のビジネス誌『[[週刊ダイヤモンド]]』94巻36号(通巻4147号)「出世できる大学」と題された特集の出世力ランキング(日本の全上場企業3,800社余の代表取締役を全調査<ref>[https://www.otaru-journal.com/2006/11/5_25/ 小樽ジャーナル]</ref><ref>[http://univrank2.blog.shinobi.jp/ランキング/出世できる大学ランキング 週間ダイヤモンド「大学出世ランキング」]</ref><ref>[https://mazba.com/10369/ 週刊ダイヤモンド「出世できる大学」 神戸商科大学は5位、大阪市立大学は27位 大阪府立大学は14位]</ref>)で、中央大学は、2006年時点で存在する744大学<ref>[https://www.janu.jp/univ/gaiyou/20180130-pkisoshiryo-japanese_2.pdf 大学数・学生数|国立大学協会]</ref>中、第23位<ref>[http://www.businesshacks.com/2006/09/post_65bb.html 週刊ダイヤモンド 出世できる大学ランキング]</ref>にランキングされた。 |
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*『[[週刊エコノミスト]]』 |
*『[[週刊エコノミスト]]』2010年8月31日号に掲載された、「卒業生数の割に役員・管理職の人数が多い度合い」で、中央大学は、2010年時点で存在する全国の778大学<ref name="reform">[https://www.kantei.go.jp/jp/singi/jinsei100nen/dai5/siryou1.pdf 日本の人口推移と大学数の推移|大学改革 参考資料 平成30年2月 内閣官房人生100年時代構想推進室 14/17頁]</ref>中、第24位(全私立大学中では第5位)にランキングされた<ref>[https://www.r-agent.com/guide/news/20120105_1_2.html 「有名大学卒ほど出世しやすい」はもはや昔の話?小樽商科、滋賀、大阪市立――地方の意外な実力校|週刊エコノミスト(2010年8月31日号)より]</ref>。 |
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== 附属学校 == |
== 附属学校 == |
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* [[文京区立第三中学校]] |
* [[文京区立第三中学校]] |
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** 文京区教育委員会より2009年度から中央大学高等学校と隣接する区立第三中学校での[[中高一貫]]教育(教員派遣と、一定数の生徒の中大高校への受け入れ等)の提案を受け、協議を行っている。どのような関係になるのかはまだ決定していない。 |
** 文京区教育委員会より2009年度から中央大学高等学校と隣接する区立第三中学校での[[中高一貫]]教育(教員派遣と、一定数の生徒の中大高校への受け入れ等)の提案を受け、協議を行っている。どのような関係になるのかはまだ決定していない。 |
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== 企業からの評価 == |
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=== 出世力 === |
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*2006年年9月23日発行の『週刊ダイヤモンド』94巻36号(通巻4147号)「出世できる大学」と題された特集の出世力ランキング(日本の全上場企業3,800社余の代表取締役を全調査<ref>{{Cite news|和書|url=https://www.otaru-journal.com/2006/11/5_25/|title=小樽商大を経済誌が高評価!出世できる大学全国第5位!|newspaper=[[小樽ジャーナル]]|publisher=小樽ジャーナル社|date=2006年11月6日}}</ref><ref>[https://mazba.com/10369/ 週刊ダイヤモンド「出世できる大学」 神戸商科大学は5位、大阪市立大学は27位 大阪府立大学は14位]</ref>)で、中央大学は、2006年時点で存在する全国の744大学中、第23位にランキングされた<ref>[http://univrank.blog.shinobi.jp/ランキング/出世できる大学ランキング 出世できる大学ランキング 週間ダイヤモンド「大学出世ランキング」] 2024年4月閲覧</ref>。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
2024年5月28日 (火) 11:30時点における版
中央大学 | |
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大学設置 | 1920年 |
創立 | 1885年 |
創立者 | 増島六一郎、菊池武夫、穂積陳重、藤田隆三郎など |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人中央大学 |
本部所在地 |
東京都八王子市東中野742-1 北緯35度38分28.99秒 東経139度24分20.66秒 / 北緯35.6413861度 東経139.4057389度座標: 北緯35度38分28.99秒 東経139度24分20.66秒 / 北緯35.6413861度 東経139.4057389度 |
学生数 | 31,739 |
キャンパス |
多摩(東京都八王子市) 後楽園(東京都文京区) 茗荷谷(東京都文京区) 市ヶ谷(東京都新宿区) 市ヶ谷田町(東京都新宿区) 駿河台(東京都千代田区) 小石川(東京都文京区) |
学部 |
法学部 経済学部 商学部 理工学部 文学部 総合政策学部 国際経営学部 国際情報学部 |
研究科 |
法学研究科 法務研究科(ロースクール) 経済学研究科 商学研究科 理工学研究科 文学研究科 総合政策研究科 国際情報研究科 戦略経営研究科(ビジネススクール) |
ウェブサイト |
www |
大学ランキング | |
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全世界 | |
Times[3] | 1501+ |
建学の精神︵校訓・校是︶
英吉利法律学校設立時の建学の精神は﹁實地應用ノ素ヲ養フ﹂であり、これをもとに建学の精神と学風をまとめて現在では﹁個人の自由の尊重と実証的・合理主義の学風﹂と表現している。また質実剛健を校是としている。さらに、2010年の創立125周年に際して﹁行動する知性。-Knowledge into Action-﹂というユニバーシティ・メッセージを定めている。教育および研究
創立当初から実学教育重視の姿勢を取り、現在でもインターンシップなどの実践的教育に力を入れている。2003年度からは各学部の教育に加えて、学籍は各学部に置きながらも学部横断的に設置された課程に所属するファカルティリンケージプログラム (FLP) を導入し、学際分野でも実践的教育を行うようになった。現在、欧米・東アジアの大学を中心に209校の派遣留学協定大学がある。通信教育課程
偏差値
ベネッセコーポレーションのデータによると、中央大学の入学難易度は、2024年現在﹁59~74﹂となっている[6]。同じく東京都内に本部を置く私立大学で同程度の偏差値帯の主な大学としては、 ●上智大学﹁59~74﹂ ●明治大学﹁60~74﹂ ●立教大学﹁60~75﹂ ●青山学院大学﹁56~73﹂ ●法政大学﹁59~74﹂ ●早稲田大学﹁64~78﹂ ●学習院大学﹁57~72﹂ ●武蔵大学﹁60~67﹂ ●東京理科大学﹁50~70﹂ ●國學院大學﹁48~69﹂ ●成蹊大学﹁52~65﹂ ●明治学院大学﹁56~71﹂ ●成城大学﹁57~64﹂ ●専修大学﹁52~65﹂ ●東洋大学﹁47~66﹂ ●日本大学﹁47~68﹂ ●駒沢大学﹁47~65﹂ などが上げられる[7]。沿革
略歴
1885年︵明治18年︶に増島六一郎、菊池武夫、穂積陳重、藤田隆三郎ら当時の青年法律家有志18名によって英吉利法律学校として創立された。年表
歴代校長・学長
英吉利法律学校校長代 | 氏名 | 就任時期 |
---|---|---|
初代 | 増島六一郎 | 1885年9月 - 1889年10月 |
- 東京法学院院長
代 | 氏名 | 就任時期 |
---|---|---|
初代 | 増島六一郎 | 1889年10月 - 1891年4月 |
第二代 | 菊池武夫 | 1891年4月 - 1903年8月 |
- 東京法学院大学学長
代 | 氏名 | 就任時期 |
---|---|---|
初代 | 菊池武夫 | 1903年8月 - 1905年8月 |
- 1903年(明治36年)より「専門学校令」による大学。
- 学長
代 | 氏名 | 就任時期 |
---|---|---|
初代 | 菊池武夫 | 1905年8月 - 1912年7月 |
第二代 | 奥田義人 | 1912年7月 - 1913年3月 |
第三代 | 岡村輝彦 | 1913年3月 - 1914年6月 |
第四代 | 奥田義人 | 1914年6月 - 1917年8月 |
第五代 | 岡野敬次郎 | 1917年8月 - 1923年9月 |
第六代 | 馬場愿治 | 1923年9月 - 1924年2月 |
第七代 | 岡野敬次郎 | 1924年3月 - 1925年12月 |
第八代 | 馬場愿治 | 1925年12月 - 1930年5月 |
第九代 | 原嘉道 | 1930年5月 - 1939年3月 |
第十代 | 林頼三郎 | 1939年3月 - 1947年3月 |
第十一代 | 加藤正治 | 1948年7月 - 1949年3月 |
第十二代 | 片山金章 | 1958年9月 - 1961年10月 |
第十三代 | 升本喜兵衛 | 1961年10月 - 1967年3月 |
第十四代 | 井上達雄 | 1967年4月 - 1968年4月 |
第十五代 | 戸田修三 | 1968年12月 - 1969年3月 |
第十六代 | 原田鋼 | 1969年5月 - 1969年8月 |
第十七代 | 嶋崎昌 | 1969年11月 - 1972年11月 |
第十八代 | 戸田修三 | 1972年11月 - 1981年11月 |
第十九代 | 川口弘 | 1981年11月 - 1984年11月 |
第二十代 | 川添利幸 | 1984年11月 - 1990年11月 |
第二十一代 | 髙木友之助 | 1990年11月 - 1993年11月 |
第二十二代 | 外間寛 | 1993年11月 - 1999年11月 |
第二十三代 | 鈴木康司 | 1999年11月 - 2002年11月 |
第二十四代 | 角田邦重 | 2002年11月 - 2005年11月 |
第二十五代 | 永井和之 | 2005年11月 - 2011年11月 |
第二十六代 | 福原紀彦 | 2011年11月 - 2014年11月 |
第二十七代 | 酒井正三郎 | 2014年11月 - 2018年5月 |
第二十八代 | 福原紀彦 | 2018年5月 - 2021年5月 |
第二十九代 | 河合久 | 2021年5月 - |
基礎データ
所在地
●多摩キャンパス︵東京都八王子市東中野742-1︶ ●後楽園キャンパス︵東京都文京区春日1-13-27︶ ●市ヶ谷田町キャンパス︵東京都新宿区市谷田町1-18︶ ●茗荷谷キャンパス︵東京都文京区大塚1-4-1︶ ●駿河台キャンパス︵東京都千代田区神田駿河台3-11-5︶ ●小石川キャンパス︵東京都文京区春日1-4-11︶象徴
校歌、応援歌、学生歌 ●校歌﹃草のみどり﹄ ︵作詞‥石川道雄、作曲‥坂本良隆︶ ●1950年︵昭和25年︶8月15日発表。現在歌われている校歌で、歴代3番目のものである。 中央大学では終戦後の1949年︵昭和24年︶から新校歌募集を行ったが当選作なしの結果に終わったため、作詞を独文学者の石川道雄、作曲を山田耕筰門下の坂本良隆に依頼した。歌詞は実質的には大場俊助︵当時の教授で校歌審査委員︶との合作であり、石川の原案になかった﹁白門﹂を加えたのは大場である。また、﹃草のみどり﹄の語句は当時の駿河台校舎の情景とは必ずしも合致しないが、未来のあるべきキャンパスの理想を語ったものと解釈されている[PR 14]。 ●第一校歌 - 錦町校舎時代の1921年制定。作詞‥宮脇信介、作曲‥中田章。大学の駿河台移転によって﹁錦の街に﹂の歌詞が実情と合わなくなったため歌われなくなった[PR 15]。教育及び研究
組織
学部
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大学院
特記のない専攻は博士前期課程・博士後期課程を開設している。
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専門職大学院
主な附属機関・施設
●研究所 ●日本比較法研究所︵後楽園キャンパス︶ ●経理研究所 ●経済研究所 ●社会科学研究所 ●企業研究所 ●人文科学研究所 ●保健体育研究所 ●理工学研究所︵後楽園キャンパス︶ ●政策文化総合研究所 ●研究開発機構︵後楽園キャンパス︶ ●産学官連携・知的財産戦略本部 ︵CLIP︶︵後楽園キャンパス︶ ●図書館 ●多摩キャンパス ●中央図書館 ●経済学部学生図書室 ●商学部学生図書室 ●文学部専攻別図書室 ●総合政策学部図書室 ●大学院図書室 ●後楽園キャンパス ●理工学部分館 ●茗荷谷キャンパス ●法学部図書室、書庫 ●市ヶ谷田町キャンパス ●国際情報学部図書室 ●駿河台キャンパス ●専門職大学院図書室 ●映像言語メディアラボ ●情報環境整備センター ●多摩ITセンター ●都心ITセンター︵後楽園、茗荷谷、駿河台︶ ●キャリアセンター︵多摩、都心‥後楽園、茗荷谷キャンパス Myogadani Student Hub内に設置︶ ●国際センター ●入学センター ●体育施設運営センター ●保健センター ●寮︵セミナーハウス︶ ●野尻湖セミナーハウス ●富浦臨海寮︵千葉県南房総市富浦町︶附属図書館
多摩キャンパスに中央図書館、後楽園キャンパスに中央図書館理工学部分館を設置している。特に多摩キャンパスの中央図書館には17万冊の開架書庫と1685席の閲覧席を設けた大規模なものである。なおこのほかに各学部︵文学部は各専攻・理工学部は各学科︶にも図書館が設置されている。また1979年︵昭和54年︶にはEC資料センター︵現在はEU情報センター︶、1994年︵平成6年︶には国連寄託図書館にそれぞれ指定されており、国際機関資料を一般に公開している。資料館
●大学史資料館︵多摩キャンパス学生研究棟﹁炎の塔﹂2階︶ ●法と正義の資料館︵同︶研究
21世紀COEプログラム
21世紀COEプログラムとして、1件のプロジェクトが採択された。 ●2002年︵平成14年︶ 情報・電気・電子 電子社会の信頼性向上と情報セキュリティ教育
●現代的教育ニーズ取組支援プログラム ●﹁中大・八王子方式﹂による地域活性化支援︵2004年採択︶ ●産学連携教育による女性研究者・技術者育成︵2006年採択︶ ●特色ある大学教育支援プログラム ●アカデミックインターンシップの全学的展開︵2003年採択︶ ●実学理念に基づく高大接続教育の展開︵2004年採択︶ ●大学教育の国際化推進プログラム ●中央大学長期海外留学支援プログラム︵2006年採択︶ ●法科大学院等専門職大学院形成支援プログラム ●法曹養成のための国際教育プログラムの形成︵2004年採択︶ ●知的財産に関する先端的映像教材の開発︵2004年採択︶ ●実務基礎教育の在り方に関する調査研究︵2004年採択︶ ●国際的に活躍できる会計専門家の育成︵2004年採択︶ ●会計大学院教育課程の国際水準への向上︵2005年採択︶ ●先導的ITスペシャリスト育成推進プログラム ●先導的ITスペシャリスト育成プログラム︵2006年採択︶ ●専門職大学院等における高度専門職業人養成教育推進プログラム ●グローバル化に対応した法曹養成プログラム︵2008年採択︶ ●グローバル人材育成推進事業 ●グローバル人材育成推進事業︵タイプA・全学型︶︵2012年採択︶情報処理技術者試験
中央大学の国際情報学部では、国家資格の情報処理技術者試験の合格に力を入れている。特定の科目を単位を取得し、かつ、修了試験に合格することで、基本情報技術者試験︵FE︶の午前の部の受験が1年間免除される制度が導入されている[16][17][18]。また、国際情報学部の特定の科目の単位を取得して卒業すると、情報処理安全確保支援士︵登録情報セキュリティスペシャリスト︶試験の午前II試験の受験が2年間免除される。学生生活
学友会
中央大学では、公認部会︵サークル︶及び公認を目指す未公認部会︵サークル︶は、すべて中央大学学友会に所属している。学友会は、大学側と学生側の双方から選出された委員により構成される中央委員会によって運営されている。会長は学長が就任している。学友会には以下の組織・機関が存在する。また、公認を目指さず、学友会に所属しないサークルも多数存在する。たとえば、学生赤十字奉仕団 は日本赤十字社から公認されているものの学友会には所属していない。学園祭
学園祭は﹁白門祭﹂と呼ばれ、以下の3種類が存在し、多摩キャンパスにおいては白門祭実行委員会が、後楽園キャンパスにおいては理工白門祭実行委員会が、それぞれ運営する。- 新入生歓迎白門祭(5月中旬、多摩キャンパス)
- 新入生歓迎文化祭・スポーツ大会(4月初旬、後楽園キャンパス)
- 白門祭(11月初旬、多摩キャンパス/後楽園キャンパス/市ヶ谷田町キャンパス)
スポーツ
校歌
中央大学校歌 作詞 石川道雄 作曲 坂本良隆 (一)草のみどりに風薫る 丘に目映き白門を 慕い集える若人が 真理の道にはげみつつ 栄ある歴史を承け伝う ああ中央 われらが中央 中央の名よ光あれ (二)よしや嵐は荒ぶとも 揺るがぬ意気ぞいや昻く 春の驕奢の花ならで みのりの秋やめざすらむ 学びの園こそ豊かなれ ああ中央 われらが中央 中央の名よ誉あれ (三)いざ起て友よ時は今 新しき世のあさぼらけ 胸に血潮の高鳴りや 湧く歌声も晴れやかに 自由の天地ぞ展けゆく ああ中央 われらが中央 中央の名よ栄あれ大学関係者と組織
大学関係者組織
大学関係者一覧
●中央大学の人物一覧施設
キャンパス
多摩キャンパス
後楽園キャンパス
- 使用学部:理工学部、法学部(一部の研究室)
- 使用研究科:理工学研究科
- 敷地面積:29,283㎡。
茗荷谷キャンパス
駿河台キャンパス
市ヶ谷田町キャンパス︵中央大学ミドルブリッジ︶
小石川キャンパス
●使用学部‥法学部・国際情報学部 ●使用研究科‥なし 茗荷谷キャンパスの開校に合わせて、2023年4月に開校した。体育館と付属棟︵多目的室︶で構成されており、所属キャンパスに十分な体育施設を持たない法学部・国際情報学部における体育授業、法学部・国際情報学部の学生のサークル活動に利用される。 ●アクセス ●JR総武線 飯田橋駅︵東口︶下車 徒歩10分 ●東京メトロ丸ノ内線・南北線 後楽園駅︵1番出口︶下車 徒歩5分海外拠点
特に明記がないものについては、中央大学ウェブサイトを参照[21]。 ●中央大学パシフィック・オフィス ︵アメリカ合衆国ハワイ州︶ ●2013年12月にハワイ大学マノア校に設立。海外拠点第一号となる。 ●中央大学・タマサート大学コラボレーションセンター ﹁中央大学タイ・オフィス﹂︵タイ王国バンコク市︶ ●2014年12月にタマサート大学法学部に設立。海外拠点第二号となる。 ●中央大学上海オフィス︵中国上海市︶ ●2016年10月に上海理工大学日本文化交流センターに設立。海外拠点第三号となる。学生寮
一般学生および留学生を対象とする寮として2011年に多摩平国際寮を、2012年に聖蹟国際交流寮を設置している。2020年には多摩キャンパス内に国際教育寮を設置した。 国際教育寮の設置に伴い、2020年度をもって多摩平国際寮を閉寮した。 国際教育寮 モノレール駅前に位置する。個室6室とシャワーブースやミニキッチンなどの共有設備を1つの単位とするルームシェア方式をとっている︵6人1ユニット︶。また、寮全体での共有設備として、キッチン、浴室、コインランドリーやシアタールーム、トランクルームがある。 ユニットのあるいは国際教育寮全体のリーダー役となった学生は、他の学生のサポート役として責任ある立場で寮運営に関わることとなる代わりに、パートタイム職員として、入寮時の新寮生のサポートに費やした時間に応じた給与などが支給される。[22] 聖蹟国際交流寮 京王線聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩8分の場所にある。他の国際寮とは異なり、個室タイプで一室に1名の学生が入居している。 多摩平国際寮 ︵廃止︶ JR豊田駅から北へ徒歩約8分の位置にあるUR都市機構の旧多摩平団地一棟︵64戸︶を借り上げたもので、1戸(3DK)に3人︵留学生、交換留学生、日本人学生︶で入居していた。 対抗運動会を秋に開催し、国際寮と国際交流寮の両寮間の交流が図られていた。 また、学友会体育連盟に所属部員のために下記の寮が設置されている。 一部専用の寮・合宿所を設置している部もあるが、スポーツ推薦入試制度を導入している部のほとんどの部員が南平寮で生活をしている。体育連盟として共同寮を設置されることも、これほどの規模で運営されることも極めて稀である。- 南平寮
- 東豊田寮
- 堀之内硬式野球部合宿所
- 戸田ボート部合宿所
- 葉山ヨット部合宿所
かつて存在していた施設
旧:錦町校舎
旧:駿河台校舎
中央大学講堂︵駿河台キャンパス3号館︶
中央大学駿河台校舎跡之碑
中央大学創立100周年を記念して1985年︵昭和60年︶7月8日に駿河台校舎南門跡地に設置された。ブロンズ仕上げの碑面には村上茂利による碑文が刻まれており、現存している。旧グラウンド
駿河台記念館
市ヶ谷キャンパス
対外関係
他大学との協定
●東京12大学広報連絡協議会︵神田五大学広報会議︶ ●学術・文化・産業ネットワーク多摩 ●首都大学院コンソーシアム ●大学情報サミット ●2005年︵平成17年︶に発足させた情報機関協定。他の加盟校は、五十音順に慶應義塾大学、法政大学、明治大学、立教大学、早稲田大学。2010年︵平成22年︶に一度脱退したが、2014年︵平成26年︶に復帰している。 ●全国私立大学FD連携フォーラム ●2008年︵平成20年︶に発足させたFDに関する日本で初の私立大学連携協定。発足当初からの連携校は関西大学、関西学院大学、慶應義塾大学、立命館大学、同志社大学、法政大学、明治大学、立教大学、早稲田大学。 ●スーパー連携大学院 ●2007年︵平成19年︶に発足させた共同大学院設置を目的とする協定。2008年度に文部科学省の﹁戦略的大学連携支援事業︵教育研究高度化型︶﹂に採択された。他の加盟校は電気通信大学、北見工業大学、秋田県立大学、長岡技術科学大学、富山大学、信州大学、三重大学、大分大学、熊本大学。 ●個別に単位互換協定、図書館相互利用協定などを結んでいる大学一覧 ●日本医科大学 ●東京都立大学 ●東京外国語大学 ●恵泉女学園大学海外協定校
●中国大陸 ●雲南大学 ●雲南師範大学 ●昆明理工大学 ●吉林大学 ●南開大学 ●北京大学 ●中国政法大学 ●中国人民大学 ●清華大学 ●中国社会科学院法学研究所 ●重慶大学 ●大連大学 ●北京理工大学 ●中国社会科学院研究生院 ●復旦大学 ●浙江大学 ●蘇州大学 ●陝西師範大学 ●北京科技大学 ●中央民族大学 ●上海理工大学 ●大連外国語大学 ●河海大学 ●中山大学 ●四川大学 ●上海交通大学 ●対外経済貿易大学 ●天津理工大学 ●香港大学 ●香港城市大学 ●大連理工大学 ●北京師範大学 ●厦門大学 ●同済大学 ●華東政法大学 ●武漢大学 ●首都師範大学 ●浙江工業大学 ●台湾 ●台湾國立中正大学犯罪防治研究所 ●国立政治大学 ●東呉大学 ●国立中山大学 ●国立中央大学 ●南台科技大学 ●国立台湾大学 ●国立台北大学 ●国立曁南国際大学人文学院 ●アメリカ合衆国 ●カールトン大学 ●チュレーン大学ロースクール ●ベネディクティン大学 ●メアリヴィル大学 ●アメリカン大学 ●イリノイ州立大学 ●アリゾナ大学 ●レークフォレスト大学 ●ミシシッピ州立大学 ●ボストン大学 ●インディアナ大学-パデュー大学インディアナポリス ●セント・トーマス大学 ●カリフォルニア州立大学モントレーベイ校 ●東テネシー州立大学 ●パデュー大学ウエスト・ラファイエット校 ●カリフォルニア大学バークレー校 ●サンディエゴ州立大学 ●カリフォルニア大学デイヴィス校 ●ハワイ大学マノア校 ●ワシントン・センター ●テネシー大学ノックスヴィル校 ●ハワイ大学ヒロ校 ●ミシシッピ大学 ●ノースカロライナ大学アシュビル校 ●パデュー大学カルメット校 ●ドイツ ●ヴュルツブルク大学︵バイエルン・ユリウス・マクシミリアン・ヴュルツブルク大学︶ ●テュービンゲン大学︵テュービンゲン・エーベルハルト・カールス大学︶ ●ミュンスター大学︵ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学ミュンスター︶ ●ベルリン自由大学 ●オスナブリュック大学 ●ベルリン・フンボルト大学 ●フランクフルト金融経営大学 ●ミュンヘン大学︵ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン︶法学部 ●トルコ ●中東工科大学社会との関わり
法曹養成
高等文官試験司法科
﹁法科の中央﹂と呼ばれ[5]、行政科・司法科・外交科に分かれていた高等文官試験において、全私立大学中で最多の合格者を輩出した。旧司法試験
旧司法試験において1951年から1970年までの20年間、東京大学を抑え一位を保持していた[5]。その後、いわゆる神田カルチェ・ラタン闘争にみる学生運動の激化や多摩キャンパス移転の影響もあって低迷期を迎え、1970年代から1980年代にかけて東京大学と1位を争うようになった。この間、法曹界における中央大学法学部と東京大学法学部との主導権争いは﹁中東戦争﹂とまで形容された[注釈 12]。1990年代半ば以降は東大京大早慶等とランキングを争い、合格者ランキングの常連としての地位を確立していた。新司法試験
第1回目︵2006年度︶の司法試験では、中央大学法科大学院出身者︵受験者数239名、最終合格者数131名︶が合格者数1位であった[PR 38]。その後は、2012年度及び2015年度に1位の座を獲得している[28]。 合格率では68.07%と、全法科大学院中第6位︵平成17年-平成29年︶[29]。 令和4年度司法試験では、合格率26.18%、全法科大学院中第22位、また合格者数は50名、全法科大学院中第8位となった[30][31]。職業会計人養成
公認会計士試験合格者数は、試験開始年から1970年頃まで1位であった。しかし1970年代に慶應義塾大学、80年代前半に早稲田大学に抜かれ、80年代後半から90年代には東京大学や一橋大学に抜かれ、5位 - 7位にまで順位を下げていた。その後、経理研究所の強化︵専任講師の増員、WEB授業の導入︶や試験制度変更により、2000年代以降は3位前後をキープしている。また、税理士試験に関しては例年合格者数1位となっている[要出典]。白門
その他
李登輝元中華民国総統講演会
2003年︵平成15年︶12月12日、中央大学の学内施設の貸出許可が取消されたことにより、中央大学の学生団体が急遽﹁よみうりランド会館﹂に会場を変更、台湾とを繋いだ李登輝元中華民国総統によるインターネット講演会が行われた。企業・社会からの評価
●2006年年9月23日発行のビジネス誌﹃週刊ダイヤモンド﹄94巻36号︵通巻4147号︶﹁出世できる大学﹂と題された特集の出世力ランキング︵日本の全上場企業3,800社余の代表取締役を全調査[33][34][35]︶で、中央大学は、2006年時点で存在する744大学[36]中、第23位[37]にランキングされた。 ●﹃週刊エコノミスト﹄2010年8月31日号に掲載された、﹁卒業生数の割に役員・管理職の人数が多い度合い﹂で、中央大学は、2010年時点で存在する全国の778大学[38]中、第24位︵全私立大学中では第5位︶にランキングされた[39]。附属学校
学校法人中央大学では、中央大学の附属学校として4校の高等学校と2校の中学校を設置していることが特徴である。 初めて中等教育に進出したのは1928年︵昭和3年︶の中央大学商業学校設置からである。この中央大学商業学校を前身として1948年︵昭和23年︶に中央大学高等学校が設置された。また1952年︵昭和27年︶には学校法人杉並学園と合併して杉並高等学校を中央大学杉並高等学校に改称するとともに杉並中学校は廃止した。この中央大学杉並高等学校は1963年︵昭和38年︶に小金井市に移転したのを期に中央大学附属高等学校に改称した。なおこの移転と同時に、校名と校地・校舎を引き継いで改めて中央大学杉並高等学校が設置された。 2010年︵平成22年︶、はじめての附属中学校として中央大学附属高等学校に中学校を併設している。さらに同2010年には、学校法人横浜山手女子学園と合併して横浜山手女子中学・高等学校を中央大学横浜山手中学・高等学校に改称した。附属校
協議中
- 文京区立第三中学校
- 文京区教育委員会より2009年度から中央大学高等学校と隣接する区立第三中学校での中高一貫教育(教員派遣と、一定数の生徒の中大高校への受け入れ等)の提案を受け、協議を行っている。どのような関係になるのかはまだ決定していない。
企業からの評価
出世力
- 2006年年9月23日発行の『週刊ダイヤモンド』94巻36号(通巻4147号)「出世できる大学」と題された特集の出世力ランキング(日本の全上場企業3,800社余の代表取締役を全調査[40][41])で、中央大学は、2006年時点で存在する全国の744大学中、第23位にランキングされた[42]。
脚注
注釈
出典
一次資料または記事主題の関係者による情報源
関連文献
- 天野徳也 『中央大学三十年史』 法学新報社、1915年
- 中央大学 『中央大学五十年史』 1935年
- 中央大学 『中央大学誌』 1935年
- 中央大学七十年史編纂所 『中央大学七十年史』 中央大学、1955年
- 大久保次夫 『風霜三代 中央大学八十年小史』 中央評論編集部、1965年
- 中央大学百年史編集委員会専門委員会 『中央大学百年史』 学校法人中央大学、全四巻、2001-2005年
Wiki関係他プロジェクトリンク
外部リンク
関連項目 |
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