鎌倉仏教

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鎌倉新仏教から転送)

: Kamakura Buddhism 使使

西6

105250303

  

[]


12136426

[1][1][2]

6[]


6
宗派 開祖 教理の特色 支持層
浄土宗 法然(源空)
1133年-1212年
難しい教義を知ることも、苦しい修行も、造寺・造塔・造仏も必要ない。ただひたすらに「南無阿弥陀仏」を唱えることが大切だと説く。 公家、武士、庶民
浄土真宗
(真宗・一向宗)
親鸞
1173年-1262年
師である法然の教えを継承、展開、深化させる[3]。一念発起(一度信心をおこして念仏を唱えれば、ただちに往生が決定する)や悪人正機説を説く。 地方武士や農民、とくに下層民
時宗
(時衆・遊行宗)
一遍(智真)
1239年-1289年
賦算(念仏を記した札を配り、受けとった者を往生させる)→男女の区別や浄・不浄、信心の有無さえ問わず、万人は念仏を唱えれば救われると説く。 全国の武士・農民
法華宗
日蓮宗
日蓮
1222年-1282年
法華経こそが唯一の釈迦の教えであり、その他の経典は未完成もしくは誤りの法であるとして、題目(「南無妙法蓮華経」)唱和により救われると説く。辻説法で布教した。 下級武士、商工業者
臨済宗 栄西
1141年-1215年
坐禅を組みながら、師の与える問題を1つ1つ解決しながら(公案問答)、悟りに到達すると説く。政治に通じ、幕府の保護と統制を受ける。 公家、京・鎌倉の上級武士、地方有力武士
曹洞宗 道元
1200年-1253年
ただひたすら坐禅を組むこと(只管打坐)で悟りにいたることを主眼とし、世俗に交わらずに厳しい修行をおこない、政治権力に接近しないことを説く。 地方の中小武士・農民



[2]6











12[4]

浄土系諸宗の開宗[編集]

法然と浄土宗[編集]

法然(源空)

1133-12129[5]11473[2][ 1] [5][6][7]5[5][8]

11755寿[5][6][ 2]48[8]48[8][6][9]退[5]

1186220300[7][7]

[6][8]11895119011989[ 3][5]

[5]姿[10]

[6]120412072[6]10[5]1211[5]

便[6][ 4][11]

西西[12]西西[12]

12273[12][5]

親鸞と浄土真宗[編集]

親鸞

1173-12629[13]201201[12][13]

120741214242[13]

[3][12]

姿[14][14][14]

[14][14]宿[9][13]1230-1231[9]宿宿[15]

12313[13]1256姿[13]90[13]

12729[9]132113322[16]

承元の法難と信仰の自由[編集]


1207西4775[5]34禿禿[13][10]

一遍と時宗[編集]

一遍

1239-1289[17][ 5]1012502西[2]12633[2][17]西[17]

127411100[17][17]

15

[17][17]

12792[17][18][18]

25[17]

[17][17]

[ 6] [16]13252

法華宗とその広がり[編集]

日蓮と法華宗[編集]

日蓮

1222-1282[19][ 7]

16[19][19][2][19][19]

1253510[19]1259[19]1260[19][20]1[ 8]2

12685退[19][10]

127181272[21]127411[21]

12762姿姿[20]

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[22][22]12[23]

[20]

[21][21]1414[21]

[21][ 9][20][21][21]

[21]

禅宗の広がりと幕府による保護[編集]

禅宗の広まりと日本達磨宗[編集]


西[24]

西[25]

栄西と臨済宗[編集]

栄西

西1141-12151154寿2111683西60[26]11873西511912[2][26][26]5119475[26][27]

[ 10] 西6西[27]

西11989[25][28]

西[29][ 11]西[29]1199[25]

[26]

西[25]12002寿12022[25]

西[9]西[25]1211

西西1213[2][ 12]西西[25]

西1202-12801212-12921235-1309[30]1282-13381277-13611275-1351

1213-1278[ 13]1226-1286[9][ 14]

1278-13461290-13471292-13481329[31][ 15][ 16][ 17]

道元と曹洞宗[編集]

道元

1200-1253[ 18]13[32]西122325[25][33][32]

[30][33][33][33]



1227[25][32]123021234[32][32]
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[34]1243[ 19] [25][32]

[ 20][ 21][33][34][33]調[33]西[9][32]

[33][33][33]

[32]2[32][ 22]

宿[35]

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宗派 僧侶 おもな事跡
法相宗 貞慶(解脱)
1155年-1213年
興福寺の僧の堕落をきらって笠置山に隠棲、戒律の護持・普及につとめ、法然専修念仏を攻撃した。
華厳宗 高弁(明恵
1173年-1232年
京都の栂尾に高山寺を開いた。戒律を重視し、『摧邪輪』を著して法然を批判した。
律宗 俊芿(我禅)
1166年-1227年
渡宋して戒律を学び、京都に泉涌寺をひらいて台・密・禅・律兼学の道場とした。真言宗泉涌寺派の祖といわれる。
叡尊(思円)
1201年-1290年
大和の西大寺を復興し、戒律の護持・普及や民衆の教化につとめた。架橋や道路建設などの社会事業も熱心におこなった。
忍性(良観)
1217年-1303年
叡尊の弟子で鎌倉に極楽寺をひらいた。病人や貧民救済につとめ、奈良に救らい施設北山十八間戸を設営した。
凝然(示観)
1240年-1321年
学問即行の立場で仏教史はじめ多数の著述をおこない、華厳、戒律の宣揚に努めた。特に『八宗綱要』は日本仏教史上重要である。
真言宗 覚鑁(正覚)
1095年-1143年
諸流細分した真言宗の修行を大成し、大伝法院流を創唱して、新義真言宗の祖といわれた。
天台宗 恵鎮(円観
1281年-1356年
叡尊らの活動に刺激を受けて戒律「復興」運動をおこす。後醍醐天皇の討幕運動に参画、『太平記』編集の責任者でもあった。

法相宗[編集]


1155-1213119341205212082

便[36][36]


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1173-1232[2][ 23]

11884[2]211206[9][ 24]

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1166-1227[ 25] 西[37]

1201-1290[2]1217517[2]12362[2]西[38][ 26]

[36][39][36][39]126221,6946[37][40][ 27]西[38]調

13

1217-130316123923西1240西宿[41]12431252412674宿宿[41][42]姿[41]西[42][ 28]

1221-12771240-1321[43][ 29]

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1095-1143退[37]

1226-130412869[37][ 30]

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1281135612953[2]130313053[2][2]

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[10]

[43][43]

[46] 寿[46][18][46][20][30]

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1898-1899

西66

6西

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2[2][47]61[2][ 31]

西[36]退

西

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西6[48]

194722[48]調[49]

195631[48][50]1946[50][50]

八宗体制論と顕密体制論[編集]


1969441970[48][51]

[2]
項目 家永・井上・田村らの定説による説明
新仏教 法然・親鸞・栄西・道元・日蓮・一遍をそれぞれ祖師とする教団の仏教。
旧仏教と旧仏教改革派 八宗(南都六宗・平安二宗)は旧仏教。華厳宗の高弁(明恵)・律宗の叡尊は旧仏教のなかの改革派。
新仏教の特色 選択・専修・易行。民衆救済の仏教。
旧仏教の特色 兼学・雑信仰・戒律重視。国家仏教・貴族仏教。
中世仏教 新仏教
布教対象 武士・農民・都市民
社会経済史とのかかわり 荘園制を古代的制度ととらえる。荘園領主である寺社もまた古代的である。

[48]

197550[52][53][2][50][54][ 32][2][54][54][55]

[56][56][2]
項目 黒田説(顕密体制論)による説明
新仏教 法然・親鸞・日蓮・道元による異端の仏教(弾圧を受けた一握りの弟子たちの仏教も含める)。
旧仏教と旧仏教改革派 南都六宗・平安二宗は旧仏教。高弁・叡尊・栄西・一遍は旧仏教改革派。法然・親鸞・日蓮・道元らの大部分の弟子の仏教も改革派に属する。
新仏教の特色 密教の否定。世俗権力と対決したため、異端として弾圧される。
旧仏教の特色 密教化・世俗権力との癒着。中世仏教における正統。
中世仏教 変質した旧仏教(新仏教は異端で少数派)
布教対象 荘園農民
社会経済史とのかかわり 荘園制を中世的制度ととらえる。荘園領主である寺社もまた中世的である。

[52][57][ 33]

[58][58]退[58]

[]


6[2][2][2]
項目 松尾説による説明
新仏教 法然、親鸞、日蓮、栄西、道元、一遍、高弁、叡尊、恵鎮などの遁世僧を祖師とする教団の仏教。
旧仏教 官僧僧団(天皇より鎮護国家を祈る資格を認められた僧侶の集団)による仏教。
新仏教の特色 「個人」救済を第一義とする個人宗教。祖師信仰を有する。
旧仏教の特色 鎮護国家の祈祷を第一義とする共同体宗教。
中世仏教 新仏教
布教対象 都市的な場での「個人」[注釈 34]
踊り念仏のようすが描かれた絵巻物『一遍上人絵伝』(国宝)

西[2][2][2][2][2][59][59]

[60] [61][62][42] [2]

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[36][36][ 35]

910[63][36][36]

[64][36][57]


[52]

脚注[編集]

注釈[編集]



(一)^ 1995p.30

(二)^ 119011751204

(三)^ 西西

(四)^ 

(五)^ 

(六)^ 121979p.226

(七)^ 1981p.981981p.981991p.2942000p.1061995p.33

(八)^ 127181981p.101

(九)^ 2000p.109

(十)^ 

(11)^ 西1965pp.94-95

(12)^ 1283西1995p.33

(13)^ 21197-12761992

(14)^ 

(15)^ 124014100302002004pp.67-69

(16)^ 2004pp.83-86

(17)^ 

(18)^ 

(19)^ 124422

(20)^ 1981p.97

(21)^ 7520

(22)^ 1981p.98

(23)^ 

(24)^ 1995p.37

(25)^ 

(26)^ 1995p.38

(27)^ 751995p.180

(28)^ 1181152774661995p.70

(29)^ 

(30)^ 13便14[44][45]20001981pp.107-10821[44]#

(31)^ 1995p.159

(32)^ 197519801991p.97

(33)^ 91991p.92

(34)^ 1995p.165

(35)^ (2)2008 (PDF) 

出典[編集]

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[]


西︿19656 

7︿1974 2004

8︿19791 

︿19813ISBN 4005000274 

︿19823ISBN 4-00-420187-X 

3I198412ISBN 4-13-025053-1 

- 4I19894ISBN 4-02-380007-4 

麿 5 19899ISBN 4-642-00505-6 

419913ISBN 4-404-01777-4 

7︿199112ISBN 4-08-195007-5 

 19921ISBN 4-490-10303-4 

, , 西, 19956ISBN 4-490-10389-1 

西 19956ISBN 4-490-10389-1 

︿199510ISBN 4-06-149273-X 

︿19977ISBN 4-00-430501-2 

4︿20001ISBN 4-00-500334-6 

︿20005ISBN 4-00-430668-X 

4200412ISBN 4-634-47440-9 

627︿22620099 

  2003ISBN 4-7952-8718-X 

67812018331144 

[]


151971
 3 1995 

19951ISBN 4642027440

<>200911ISBN 4062919680

[]





















[]


(1) (PDF) No.65200710

(2) (PDF) No.6620082

 

 - ISIS