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== 沿革 ==

== 沿革 ==

=== 略歴 ===

=== 略歴 ===

[[ファイル:二條家邸跡石碑.jpg|thumb|140px|left|二條家邸跡石碑]]


[[1876]]9 [[]][[|]][[|J.D.]]<ref>{{Cite book||author=|title=|publisher=|year=1965|page=247}}</ref>

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[[ファイル:開校当初の同志社女学校正門.jpg|200px|サムネイル|開校当初の同志社女学校正門]]

[[ファイル:Hisa Hoshina's lecture on sewing.jpg|thumb|200px|1930年(昭和5年)洋裁の授業の様子]]

[[ファイル:Mary Florence Denton's 80th birthday.jpg|thumb|200px|同窓会主催[[メリー・フローレンス・デントン|M.F.デントン]]80歳の祝会(1937年)]]

[[ファイル:EstherLowellHibbard1924.png|thumb|130px|{{仮リンク|エスター・ローウェル・ヒバード|en|Esther Lowell Hibbard}}]]

[[ファイル:Neesima_memorial_auditorium.jpg|thumb|right|200px|新島記念講堂]]


宿Kioto Home<ref>{{Cite web|title=|url=https://www.dwc.doshisha.ac.jp/about/history/overview|website=|accessdate=2021-06-12}}</ref>

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[[学制改革|新学制]]への移行に際しては、[[学校法人同志社|同一法人]]下に男女共学の[[同志社大学]]と女子大学を並存させる必要はないとの意見はあったが、米国の五大女子大学([[ウェルズリー大学|ウェルズリー]]、[[スミス大学|スミス]]、[[マウント・ホリヨーク大学|マウント・ホリヨーク]]、[[ヴァッサー大学|ヴァッサー]]、[[ブリンマー大学|ブリンマー]])のような特色ある[[リベラル・アーツ・カレッジ]]として発展させたいという[[湯浅八郎]]総長の決断により4年制の新制女子大学として発足し、前述のE.L.ヒバートが初代学長に就任した<ref name="doshisha90" />。

[[学制改革|新学制]]への移行に際しては、[[学校法人同志社|同一法人]]下に男女共学の[[同志社大学]]と女子大学を並存させる必要はないとの意見はあったが、米国の五大女子大学([[ウェルズリー大学|ウェルズリー]]、[[スミス大学|スミス]]、[[マウント・ホリヨーク大学|マウント・ホリヨーク]]、[[ヴァッサー大学|ヴァッサー]]、[[ブリンマー大学|ブリンマー]])のような特色ある[[リベラル・アーツ・カレッジ]]として発展させたいという[[湯浅八郎]]総長の決断により4年制の新制女子大学として発足し、前述のE.L.ヒバートが初代学長に就任した<ref name="doshisha90" />。



[[ファイル:開校当初の同志社女学校正門.jpg|200px|サムネイル|開校当初の同志社女学校正門]]

[[ファイル:Hisa Hoshina's lecture on sewing.jpg|thumb|200px|1930年(昭和5年)洋裁の授業の様子]]

[[ファイル:Mary Florence Denton's 80th birthday.jpg|thumb|200px|同窓会主催[[メリー・フローレンス・デントン|M.F.デントン]]80歳の祝会(1937年)]]

[[ファイル:EstherLowellHibbard1924.png|thumb|130px|{{仮リンク|エスター・ローウェル・ヒバード|en|Esther Lowell Hibbard}}]]

[[ファイル:Neesima_memorial_auditorium.jpg|thumb|right|200px|新島記念講堂]]

=== 柳原家(設立当時の学舎) ===

=== 柳原家(設立当時の学舎) ===


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*[[1941年]](昭和16年) - [[太平洋戦争]]勃発。大半の外国人教員は帰国したが、[[メリー・フローレンス・デントン|M.F.デントン]]は日本滞在を許された。

*[[1941年]](昭和16年) - [[太平洋戦争]]勃発。大半の外国人教員は帰国したが、[[メリー・フローレンス・デントン|M.F.デントン]]は日本滞在を許された。


*[[1949]]24 - ''''''{{||en|Esther Lowell Hibbard}}

*[[1949]]24 - ''''''{{||en|Esther Lowell Hibbard}}

*[[1952年]](昭和27年) - 旧制同志社女子専門学校廃止。

*[[1967年]](昭和42年) - 家政学部家政学科・食物学科設置。

*[[1967年]](昭和42年) - 家政学部家政学科・食物学科設置。

*[[1986年]](昭和51年) - 田辺キャンパス(現・京田辺キャンパス)を開設、[[同志社女子大学短期大学部|短期大学部]](英米語科・日本語日本文学科)を設立。

*[[1986年]](昭和51年) - 田辺キャンパス(現・京田辺キャンパス)を開設、[[同志社女子大学短期大学部|短期大学部]](英米語科・日本語日本文学科)を設立。


2023年4月4日 (火) 00:25時点における版

学校法人同志社 > 同志社女子大学
同志社女子大学
京田辺キャンパス友和館(2010年6月)
大学設置 1949年
創立 1876年
学校種別 私立
設置者 学校法人同志社
本部所在地 京都府京田辺市興戸
北緯34度48分13.5秒 東経135度46分18.6秒 / 北緯34.803750度 東経135.771833度 / 34.803750; 135.771833座標: 北緯34度48分13.5秒 東経135度46分18.6秒 / 北緯34.803750度 東経135.771833度 / 34.803750; 135.771833
キャンパス 京田辺(京都府京田辺市)
今出川(京都府京都市上京区
学部 学芸学部
現代社会学部
薬学部
表象文化学部
生活科学部
看護学部
研究科 文学研究科
国際社会システム研究科
薬学研究科
生活科学研究科
ウェブサイト https://www.dwc.doshisha.ac.jp/
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同志社女子大学の位置(日本内)
同志社女子大学
同志社女子大学

: Doshisha Women's College of Liberal ArtsDWCLA

概観

大学全体


18769[1]19492419294[2][3]6115[4]

西2

建学の精神

1949年昭和24年)2月17日制定の『同志社女子大学学則』では、「キリスト教主義」を基本に、「国際主義」、「リベラル・アーツ」を教育理念として定めている。

教育および研究


Doshisha Women's College of Liberal ArtsD.W.C.L.A.



2015188619[5]

2009

沿革

略歴


18769 J.D.[6]

宿Kioto Home[7]

 J.D.A.J.[8]188316188821M.F.[9][10][11][12][13]

4E.L.[2]
開校当初の同志社女学校正門
1930年(昭和5年)洋裁の授業の様子
同窓会主催M.F.デントン80歳の祝会(1937年)
エスター・ローウェル・ヒバード英語版
新島記念講堂

柳原家(設立当時の学舎)





年表


187508 - 

187609 - J.D.[14]

187710 - 4 9

188821 - 2

188922 - 

190134 - 

190437 - 

191245 - 

191403 - 

192413 - [15]

193005 - 

193207 - 

194116 - M.F.

194924 - 

195227 - 

196742 - 

198651 - 

1989 - 

200012 - 

200214 - 

200315 - 

200416 - 

200517 - 

200618 - 66

200719 - 

200921 - 

201527 -  

201830 - 

基礎データ

所在地

象徴

徽章

同志社女子大学の徽章

徽章は、同志社の徽章である正三角形を3つ寄せたものの下に、「D W C L A」(「Doshisha Women's College of Liberal Arts」の略)の文字を入れたマークである。

スクールカラー

ロイヤル・パープルと白の2色。創立者新島襄の母校、アマースト大学のスクールカラーと同色。

校歌

江森國友作詞、原嘉壽子作曲。

教育および研究

組織

学部

研究科

専攻科

  • 音楽専攻科
    • 声楽専攻
    • 鍵盤楽器専攻(ピアノ・オルガン・チェンバロ)
    • 管弦打楽器専攻

附属機関

  • 同志社女子大学図書館
  • 教育・研究推進センター

学生生活

大学祭

大学祭は同志社大学と同様に、同志社の創立記念日である11月29日を前に3日間の前夜祭「同志社EVE」が今出川キャンパスで開かれる。

かつては同志社全学校でEVEを開催してきたが、1950年代頃より独自のEVEを開催するようになり、1962年昭和37年)から正式の大学祭として位置づけられるようになった。

大学関係者と組織

大学関係者組織


Vine- 2002Vine

 - 26 ()624[16]

  - 

  - 

大学関係者一覧

施設

キャンパス

京田辺キャンパス

  • 使用学部:学芸学部・現代社会学部・薬学部・看護学部(2015年開設)
  • 使用研究科:文学研究科情報文化専攻・国際社会システム研究科国際社会システム専攻、薬学研究科医療薬学専攻
  • 使用附属施設:京田辺図書館、新島記念講堂(礼拝堂)
  • 交通アクセス:片町線(学研都市線)同志社前駅近鉄京都線興戸駅

198661西199911[17] 

今出川キャンパス

栄光館
純正館
  • 使用学部:表象文化学部・生活科学部
  • 使用研究科:文学研究科英語英文学専攻・日本語日本文化専攻、生活科学研究科生活デザイン専攻・食物栄養科学専攻
  • 使用附属施設:今出川図書館
  • 交通アクセス:京都市営地下鉄烏丸線今出川駅京阪鴨東線出町柳駅



19142008201

対外関係

地方自治体との協定

京田辺市の地学連携事業の一環として、同志社大学同志社国際中学校・高等学校とともに広範な分野での連携を目的とした協定。

企業との協定

医療機関との協定

他大学との協定

単位互換制度

国内留学制度

学術交流に関する包括協定

海外協定大学

アメリカ合衆国
カナダ
イギリス
オーストラリア
ニュージーランド
ドイツ
中国
台湾
韓国
フィリピン
ベトナム
タイ
マレーシア

高校との協定[24]

系列校



大学

中高一貫校

小学校

幼稚園

各種学校

関係校

社会との関わり

文化財

国登録有形文化財

  • 建築物
    • 同志社女子大学ジェームズ館
    • 同志社女子大学栄光館

脚注

注釈

出典



(一)^ . . 2022923

(二)^ ab 284-286

(三)^  . . 2023314

(四)^ . . 202331

(五)^ Q&A. . 2021528

(六)^ 1965247 

(七)^ . . 2021612

(八)^ VIVI.net. VIVI.net. 2021612

(九)^  . DWCLA Campus map. 2021612

(十)^  . bunka.nii.ac.jp. 2021612

(11)^ . DWCLA Campus map. 2021612

(12)^  . bunka.nii.ac.jp. 2021612

(13)^ VIVI.net. VIVI.net. 2021612

(14)^ .  . 2021612

(15)^ .  . 201973

(16)^  |  . dojo-doso.org. 20211115

(17)^ . DWCLA Campus map. 2021528

(18)^ ANA. . 2021612

(19)^ JAL. . 2021612

(20)^ . . 2021612

(21)^ . . 2021612

(22)^ . . 2021612

(23)^ . . 2021612

(24)^ . . 2021527

(25)^ . . 20211110

参考文献

  • 同志社々史々料編纂所 『同志社九十年小史』 学校法人同志社、1965年
  • 同志社社史史料編集所 『同志社百年史』 全4巻、学校法人同志社、1979年

外部リンク