メキシコ
- メキシコ合衆国
- Estados Unidos Mexicanos
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(国旗) (国章) - 国の標語:なし
- 国歌:Himno Nacional Mexicano(スペイン語)
メキシコ国歌 -
公用語 スペイン語(メキシコスペイン語)(事実上)
68の先住民諸言語[1]首都 メキシコシティ 最大の都市 メキシコシティ - 政府
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大統領 アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール 元老院議長 アナ・リリア・リベラ・リベラ 代議院議長 マルセラ・ゲラ・カスティージョ - 面積
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総計 1,972,550km2(13位) 水面積率 2.5% - 人口
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総計(2020年) 1億2893万3000[2]人(10位) 人口密度 66.3[2]人/km2 - GDP(自国通貨表示)
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合計(2020年) 23兆737億2700万[3]メキシコ・ペソ (ヌエボ・ペソ) - GDP(MER)
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合計(2020年) 1兆739億1500万[3]ドル(16位) 1人あたり 8403.602[3]ドル - GDP(PPP)
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合計(2020年) 2兆4394億7000万[3]ドル(11位) 1人あたり 1万9089.335[3]ドル
独立
- 宣言
- 承認スペインより
1810年9月16日
1821年9月27日通貨 メキシコ・ペソ (ヌエボ・ペソ)(MXN) 時間帯 UTC-5 から -8 (DST:-5 から -7) ISO 3166-1 MX / MEX ccTLD .mx 国際電話番号 52
国名[編集]
正式名称は、Estados Unidos Mexicanos︵ 発音、エスタドス・ウニドス・メヒカーノス︶、略称は、México︵[ˈme̞.xi.ko̞] ( 音声ファイル)、メヒコ︶。 公式の英語表記は、United Mexican States︵ユナイテッド・メクスィカン・ステイツ︶、略称は、Mexico︵[ˈmɛksɨˌkoʊ] ( 音声ファイル)、メクスィコゥ︶。 日本語訳はメキシコ合衆国で、通称はメキシコである。当て字は日本語・中国語ともに墨西哥で、墨と略される。﹁合衆国﹂という表記の由来や意味については、同項目を参照のこと。 国名は独立戦争の最中の1821年に決定したものであり、アステカの一言語であるナワトル語で﹁メヒクトリの地﹂を意味する﹁Mēxihco﹂に由来する。メヒクトリはアステカ族の守護神であり、太陽と戦いと狩猟の神であるウィツィロポチトリの別名で、﹁神に選ばれし者﹂の意味がある。アステカでもっとも信仰されたこの神の名に、場所を表す接尾辞﹁コ﹂をつけて、この地における国家の独立と繁栄に対する願いを込めた。 ﹁合衆国﹂という政体名について、同じものを名乗る隣国、アメリカ合衆国が経済と軍事の両面で影響力が強大であり、単に﹁合衆国﹂だけでも同国を指すため、自国が米国の弟分のように見られてしまうとの不満が国民の一部に存在し、国名を﹁メキシコ共和国﹂に変更しようという動きがある。その一方で、伝統と歴史的背景を尊重する意見も多く、国名を変更することに対する賛否は分かれている。この意識は、19世紀末の米墨戦争敗戦直後から特に見られるようになり、以来長年にわたり議論が繰り返されているが、変更には至っていない[4]。歴史[編集]
先コロンブス期[編集]
アステカ帝国[編集]
スペイン植民地時代[編集]
メキシコ独立革命[編集]
相次ぐ対外戦争[編集]
ディアスの独裁とメキシコ革命[編集]
この隙を突いて1876年に、フランス干渉戦争の英雄ポルフィリオ・ディアスがクーデター(Revolución de Tuxtepec)を起こし、大統領に就任した。ディアスは30年以上に亘る強権的な独裁体制を敷き、外資が導入されて経済は拡大したものの、非民主的な政体は国内各地に不満を引き起こした。
PRIの一党独裁[編集]
メキシコ麻薬戦争[編集]
中流層の増加[編集]
一方、原油価格の高騰やNAFTA締結後の輸出量の増加、さらに内需拡大傾向を受けて中流層が増加し、﹁ネクスト11﹂の一国に挙げられている。経済政策では原油価格高騰に伴いガソリン価格を連続して値上げして、国民から不満の声が上がっている。 2009年に入ってからはカナダやアメリカ合衆国とともに、新型インフルエンザ︵H1N1︶の発祥地とされている。2010年7月4日、全国32州のうち14州で地方選挙が実施された。2000年まで政権党だった野党の制度的革命党︵PRI︶が前進︵知事選が実施された12州のうち10州でほぼ当選︶した。PRI政権[編集]
2012年7月、大統領選挙が実施され、当日投開票された。保守系制度的革命党(PRI)のエンリケ・ペーニャ・ニエト(任期:2012年12月1日 - 2018年11月30日)が選出され、同年12月から大統領に就任した。
政治[編集]
大統領[編集]
国家元首は大統領である。大統領は国民の直接選挙によって選出され、任期は6年で再選は禁止されている。 大統領の権限は大きく、行政府の長も兼ねており、憲法では三権分立が規定されているものの、事実上司法府も統制下にあり、イギリスの新聞﹃エコノミスト﹄傘下の研究所エコノミスト・インテリジェンス・ユニットからは﹁混合政治体制﹂と評されている︵民主主義指数の項目も参照︶。また、軍部も大統領下でのシビリアンコントロールが制度的に確立している。 大統領は、行政各省の大臣を指名する。ただし、司法相のみは上院の承認が必要である。各大臣は大統領直属の地位にあり、大統領に対し責任を負うのみで、議会や国民に対して責任は負わない。副大統領や首相などの次席の役職はなく、大統領が死亡などで欠ける場合は、議会が暫定大統領を選出する。2019年より大統領を国民投票によって解任できる制度が導入され、大統領への反対票が過半数かつ投票率が有権者の40%を超えた場合は解任できる[9][10]。立法[編集]
行政[編集]
現在、連邦政府には15の省が設けられ、各種行政を担っている。
法律[編集]
世界最多の憲法改正国で、建国以来2007年までに175回改正している。
2003年、隣国・アメリカにおいて著作権の保護期間を死後70年・公表後95年に延長した法律が最高裁判所において合憲となったことを受けて、それまで「死後または公表後75年」であった規定を「100年」に延長した。この規定は、コートジボワールの99年を抜いて世界でもっとも長い保護期間である。
政党[編集]
司法[編集]
司法権は最高裁判所に属している。
国際関係[編集]
多元外交[編集]
19世紀において、隣国のアメリカ合衆国によってテキサス、カリフォルニアを奪われる戦争を行ったものの、その後は同盟関係を結んだアメリカの強い影響下にありながら、歴史と文化を生かした多元外交を行っている。その一例として、第二次世界大戦後の冷戦当時から、隣国のアメリカとの深い関係を保ちつつも、ソビエト連邦やキューバなどの東側諸国との関係を維持してきた。特に隣国であるキューバとは、1959年のキューバ革命以降近隣のラテンアメリカ・カリブ海諸国が国交断絶した中、汎米主義に基づいて国交を継続していた。
スペインとの関係[編集]
スペインからの独立以降も元の宗主国であるスペインとの関係は、文化や経済面を中心に非常に強い。しかし、1975年9月にカレロ・ブランコ前首相の暗殺に関わったとされる活動家5人がフランシスコ・フランコ政権によって処刑された際に、抗議して一時国交を断絶したことがある。
アメリカ合衆国との関係[編集]
エクアドルとの関係[編集]
グラス元副大統領との関係がこじれたため、2024年4月6日で国交を断絶した[14]。日本との関係[編集]
現在[編集]
メキシコシティへの進出は減っているが、メキシコ中央高原都市では日系企業が増えている。日系の自動車3社︵日産第二工場、ホンダ、マツダ︶が進出を決めたほか、200社以上が自動車部品工場や大規模倉庫などを建設中である。日本からの投資の90パーセント近くがこの地域に集中しており、一大進出ラッシュとなっている。なかでもアグアスカリエンテスは、1982年から日産の工場が進出したこともあり、大規模な新工場ができつつある。アメリカの平均よりも犯罪発生件数が少なく、真夜中にも多くの飲食店が開いており、日本人の家庭には人気の移動先になってきた。日系企業進出の遠因は、賃金も安く未開発な部分の多い魅力的なフロンティアであること、複雑な外交関係にない親日国であることなどである。犯罪の多いところではあるが、地方都市や州では軍隊や警察組織を駆使して独自の治安維持をしているところもあるので、進出には州単位、町単位での安全チェックが必須である。 2021年10月現在、メキシコへ進出している日系企業は1,272社となっている。これは前年(2020年)の1,300社から減少しているものの、中南米地域では最多の進出数となっている[15]。また同年の在留邦人は11,390人であり、中南米地域ではブラジルに次いで2番目であり、国別邦人数においても21位につけている[16]。日本からの輸出額は138億9700万米ドル、メキシコからの輸出額は36億52万米ドルであり、メキシコからアジア地域の貿易相手国としては中国、韓国に次ぐ規模となっている[17]。日本からの主要な輸出品として輸送機械(鉄道以外)や電気・電子機器などが挙げられる。要因としてメキシコの地理的要因(例として米国・メキシコ・カナダ協定が挙げられる)、人件費の安さ、メキシコ国内におけるサプライヤーの不足がある[18]。メキシコ国外から輸入した部品をメキシコの現地工場で製品を組み立て、国内及び北米向けに販売を行うことで、低コストで生産できる利点から進出する日系企業が多い。日産自動車の関係[編集]
特に、日本企業︵現在はフランスのルノー傘下︶としては最初期の1966年7月に現地工場での自動車生産を開始した日産自動車は、同国日系自動車生産工場としても初ということもあり、関わりも深く、サッカー中継番組でもスポンサーになるほどの深さでもある。日産AD︵現地名ツバメ︶を生産していた時代は、日本への輸出︵いわば逆輸入︶も行っていた。ルノー傘下に入ったあとの2009年時点で、販売台数ベースで同国市場最大手である[19]。同社は現在、アメリカとの国境地帯とメキシコシティとの中間点に位置するアグアスカリエンテスや、メキシコシティ郊外のクエルナバカに工場を構えているが、NAFTA発効後は当国のみならずアメリカおよびカナダ向け車種の主要な生産拠点となっており、近隣のチリやアルゼンチン、さらにヨーロッパなどにも輸出が行われている。おもな生産車種は﹁ティーダ︵北米ではヴァーサ︶﹂﹁ツル﹂﹁セントラ﹂﹁NP300フロンティア﹂で、日産自動車メキシコシティ事業所︵日産メキシカーナS.A de C.V.︶が取り扱う車種でもこのほかに﹁マキシマ﹂﹁アルティマ﹂﹁370Z︵フェアレディZ︶﹂﹁エクストレイル﹂﹁パスファインダー﹂﹁アーバン︵キャラバン︶﹂﹁キャブスター︵アトラス︶﹂と新たに﹁リーフ﹂も販売を開始した。また、ニューヨークのイエローキャブ向け仕様NV200もこの国で生産されている。以前は﹁サクラ︵シルビア︶﹂﹁サムライ︵バイオレット︶﹂﹁280C︵後のセドリック︶﹂も販売していた。さらには、メキシコ連邦警察専用向けとしてY30セドリックセダン︵グレード的にはブロアム︶をベースとしたセドリックパトロールも納めたほどである。 フィエスタ・メヒカナ 独立記念日の前日の9月15日に、大阪市のメキシコ総領事館の主催で、フィエスタ・メヒカナという祭を領事館の入居している梅田スカイビルのワンダースクエアで開催する。メキシコ政府が国外で行う文化交流としての祭事としての規模は最大のものである。MIKTA[編集]
MIKTA︵ミクタ︶は、メキシコ︵Mexico︶、インドネシア︵Indonesia︶、大韓民国︵Korea, Republic of︶、トルコ︵Turkey︶、オーストラリア︵Australia︶の5か国によるパートナーシップである。国家安全保障[編集]
成人男子には1年間の選抜徴兵制が採用されている。現在、大きな対外脅威はなく、おもな敵は国内の麻薬カルテル(メキシコ麻薬戦争)、次いでサパティスタ民族解放軍である。
地理[編集]
気候[編集]
地下資源[編集]
地下資源に恵まれた世界でも有数の国である。まず、銀の埋蔵量については現在でも世界第2位であり、16 - 19世紀初期までの銀の埋蔵量は世界の生産量の半分を占めた。ほかには銅の埋蔵量世界第3位、鉛と亜鉛は第6位、モリブデンは第8位、金が第11位であり、世界有数の生産量を誇っている。さらに鉄鉱石、石炭のほか、マンガン、ストロンチウム[注釈 2][21]などの希少金属も産出する。そして、地下資源のなかでも石油が国内経済を支えている[21]。ただし、2017年の原油生産量は222万バレルで2004年の最大383万バレルから漸減している。地方行政区分[編集]
第一級行政区画は32の州に分かれる。首都メキシコシティの全域は、どの州にも属さない連邦区(Distrito Federal)とされていたが、2016年に憲法が改正されて32番目の州になった。
各州には、知事(メキシコシティは政府長官)と一院制の議会があり、それぞれ住民の直接選挙によって選出される。任期は6年。
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主要都市[編集]
- メキシコシティ (México)
- グアダラハラ (Guadalajara)
- モンテレイ (Monterrey)
- プエブラ (Puebla)
- トルーカ (Toluca)
- ティフアナ (Tijuana)
- トレオン (Torreón)
- ケレタロ (Querétaro)
- シウダー・フアレス (Ciudad Juárez)
- メリダ (Mérida)
- サン・ルイス・ポトシ (San Luis Potosí)
- アグアスカリエンテス (Aguascalientes)
- メヒカリ (Mexicali)
- クエルナバカ (Cuernavaca)
- チワワ(Chihuahua)
- カンクン(Cancún)
- アカプルコ (Acapulco)
経済[編集]
二度の通貨危機[編集]
1982年メキシコ債務危機[編集]
1970年代、石油価格高騰を受け、石油投資ブームが発生した。また、賃金がアメリカよりも安いことから、製造業の工場移転による投資も増えていた。国際金融市場を行き交うマネーが急増し、利益を得るために発展途上国への融資をどんどん行っていた。ちょうど1995年前後、1ドル100円水準の円高を受け、日本から東南アジアへ工場が移転し、東南アジア諸国に投資が急増したのに似ている。投資は、アメリカの金融機関にとって、比較的安全なものと判断されていた。ドルとメキシコ・ペソは固定相場であり、当時、当国の石油公社や電力会社は国営であったため、メキシコ政府による債務保証がつけられていた。国家が破産するはずがないと信じられていた時代である。アメリカより金利が高いため、アメリカで資金を調達し、当国に投資をすれば、濡れ手に粟のように儲けることができた。そういう事情により、メキシコの対外債務は急増していった。債務の利払いは石油や輸出による代金で賄われていた。ところが、1980年代になるとアメリカの金利が上昇したため、対外債務の利払いが増大し、さらなる融資が必要となったが、財政負担能力を超えていた。1982年8月、利払いの一時停止︵モラトリアム︶を宣言する羽目になり、国民は急激なインフレーションと失業の増大によって苦しんだ。 当時の対外債務は870億ドルであった。メキシコ危機が特にアメリカのメガバンクに与える影響が大きいため、IMFとアメリカ合衆国財務省、メガバンク・シンジケートにより救済措置がとられた。﹁大きすぎて潰せない﹂有名な事件となった。ネルソン・バンカー・ハントを破産させたばかりの出来事であった。1982年の利払い分に相当する80億ドルを緊急融資が実行され、翌年には70億ドルの追加融資が行われた。さらに、債務を返済するため、厳しい措置がなされた。石油公社や電力会社の民営化はもちろん、貿易自由化などを強要する条件で、IMFをはじめとする国際金融機関との合意がなされた。このメキシコ債務危機以降に同様の措置が、発展途上国で債務危機の発生した場合に適用されることとなる。 危機脱出後は再び資金が戻ってきたが、新規投資の資金ではなく、カルロス・スリムのようなメキシコ人富裕層がアメリカに流出させたマネーであった。このマネーが民営化された国営企業や銀行の購入資金となった。売却された国営企業の資産価値は売却額よりもはるかに高かったため、メキシコ債務危機が終わって見ると、一部の富裕層がさらに裕福となり、大半の国民がより貧乏になるという結果をもたらした。ここで大もうけした人たちが、経済改革を徹底的に行い、再びアメリカや日本などの外国から資金を集めることに成功し、再び対外債務は増加していった。1994年メキシコ通貨危機[編集]
1986年関税および貿易に関する一般協定︵GATT︶に参加した。外国から資金を呼ぶため、金利は高く設定され、ペソは過大評価されていた︵この点はアジア通貨危機直前の状況と似ている︶。その結果、輸入が急増し輸出は不振となり、貿易赤字が増大していった。1990年の貿易赤字は1,000億ドルに達し、さらに1992年12月、北米自由貿易協定が調印され、アメリカからの投資ブームが起こった。1982年の債務危機のことは忘れ去られ、安い労働力を求めて、アメリカの製造業が大挙して工場を建設し、空前の好景気に沸いていた。 しかし、バブルの崩壊は突然であった。1994年2月、南部で先住民による武装反乱が発生。3月には大統領選挙の候補が暗殺された。この事件をきっかけにして信頼が一時失墜し、カントリーリスクの懸念が表面化した。その結果、メキシコ・ペソが暴落し、ペソ売りドル買い圧力の増加に対抗するためにメキシコ政府はドル売りペソ買いで為替介入したが、力尽きて国家は財政破綻。その結果、12月に固定相場から変動相場への移行を余儀なくされた。 その一方で、メキシコ通貨危機を防衛するために、政府は額面がペソで元利金の支払いがドルで行う政府短期証券﹁テソボンド﹂を大量に発行した。この債権がメキシコ通貨危機が治まったあとに事実上のドル建てで取り戻せたため、皮肉にもこれを購入した富裕層はたいへん儲かったという。1982年のメキシコ債務危機に続いて、1994年のメキシコ通貨危機でも、経済破綻を通して富裕層がさらに富を増やしたが、投資した投資家たちは巨額の損失を被り、国民は急激なインフレと貧困に大量失業という苦しみを味わうことになった。税制[編集]
企業への法人税は、毎年といっていいほど制度が変わる。また、ミニマムタックス制度を導入しているため、非常に煩雑なものとなっている[23]。企業は税金を回避するために﹁新しい税制は憲法により保障された権利を侵している﹂として訴訟を起こすのが毎年恒例となっている[23]。この訴訟では、行政が敗訴となることがしばしばある[23]。ただし、訴訟期間中は税金を払うことが望ましい[23]。 国民の7割が肥満となっていることから、対策として菓子などの高カロリー食品に特別税を設定している[24]。NEXT11[編集]
メキシコは米投資銀行のゴールドマン・サックスおよびエコノミストのジム・オニールが研究論文において、BRICs諸国に次いで21世紀有数の経済大国に成長する高い潜在能力があるとしたNEXT11に含まれている。メキシコは1994年の通貨危機以降、アメリカの景気拡大や国際石油価格の高騰、新興国への資金流入の活発化に支えられ[25]、2022年現在、順調な回復軌道を辿っている[26]。特に製造業が好調であるが、最大の輸出相手であるアメリカの経済に左右されやすい特徴を持っている。交通[編集]
南北アメリカ間、太平洋とカリブ海を結ぶラテンアメリカの交通の要所として、メキシコシティが航空の要所として、ベラクルス港やアカプルコ港が海運の要所として、また、国土を縦断するパンアメリカン・ハイウェイや国土を網羅する鉄道網が陸運の要として機能している。沿岸部の主要港には多くのクルーズ船が寄港する。
また、国内最大の航空会社であるアエロメヒコのほかに、国内には格安航空会社を含む航空網と、高速バスが走る高速道路網が整備されているほか、貨物を含む鉄道も整備されている。
メキシコシティやグアダラハラなどの大都市には充実した地下鉄網が整備されているほか、ベラクルスやアグスカリエンテス、アカプルコなどの中規模の都市には市バス網が完備されている。
国民[編集]
- 人口:1億2,920万人(2017)
- 人口増加率: 1.18%(年率)
民族[編集]
言語[編集]
結婚[編集]
一般的に夫婦別姓であり、婚姻時に女性が改姓することはない[28]。2012年より、同性同士の結婚︵同性婚︶を認める州が出てくるようになった。宗教[編集]
教育[編集]
保健[編集]
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社会[編集]
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貧困問題[編集]
治安[編集]
メキシコの治安は非常に危険な状況に陥っている。特にアメリカとの北部国境地帯の治安悪化はマフィアなどの抗争も相まって顕著だが、首都として人の集まるメキシコシティや、それ以外の地域においても失業者の増加と社会的・経済的不安定要因が治安情勢の一層の悪化を招いており、強盗、窃盗、誘拐、レイプ、薬物などの犯罪は昼夜を問わず発生している。 カルテルの麻薬絡みの殺人、暴力事件が後を絶たない。麻薬組織の抗争などにより毎月約1,000人が死亡しており、2007年から2013年10月現在までに約8万人が命を落としているという。また警官や軍人、官僚、政治家がこれらの麻薬がらみの犯罪の当事者、肩代わり、後見人となっているケースが多く、大統領さえ例外ではない。また、拳銃の携帯は国防省の許可が必要だが、実際は許可を得ずに拳銃を所持している国民が多く、同国の犯罪のほとんどには拳銃が使用されている[35]。
治安・市民保護省などの統計に基づく国立統計地理情報院の2023年5月24日付発表によれば、ロペス・オブラドール大統領政権下(2018年12月~2023年5月24日)の累計故意殺人件数は、過去最高値を記録したペニャ・ニエト政権の殺人件数を上回り、156,136件に上った[36]。
治安維持[編集]
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警察[編集]
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人権[編集]
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マスコミ[編集]
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文化[編集]
先スペイン期のアステカ族やマヤ族の文化に根を持ち、16世紀のスペイン人による征服後はスペイン文化と融合して築き上げられている。独立後しばらくはヨーロッパの文化の模倣に終始したが、革命後の1920年代から1930年代にかけてインディヘナに国民文化の根源を求めて先住民文化の再評価が始まり、インディヘニスモという一大文化運動を確立した。古くから音楽や絵画、彫刻、建築など芸術面で世界的に有名な人物を輩出している。
食文化[編集]
文学[編集]
音楽[編集]
当国で生まれた伝統的な音楽様式としては、マリアッチやランチェーロ、ノリード、ノルテーニョ、バンダなどが挙げられ、メキシコのフォルクローレではパラグアイやベネズエラのようにアルパが多用される。南部のグアテマラ国境付近では、マヤ系住人によってアフリカ伝来のマリンバが用いられる音楽が盛んである。
また、1960年代以降はアメリカ合衆国に渡ったメキシコ人移民(チカーノ)によってアメリカ合衆国のポピュラー音楽が行われ、ロックはラテン・ロックになり、ヒップ・ホップはチカーノ・ラップとなって在米メキシコ人市場で消費されたものが当国にも逆流入している。メキシコ・ロック(ロック・メヒカーノ)はラテンアメリカ市場でも成功しており、特に有名な音楽家としてはカフェ・タクーバなどが挙げられる。
クラシック音楽の分野ではカルロス・チャベスの名が特筆され、メキシコ国立交響楽団はチャベスによって設立された。
美術[編集]
絵画に特化している面を持つ。メキシコ革命以前では、19世紀後期から20世紀初頭にて活躍した、政治漫画家のホセ・グアダルーペ・ポサダの版画が有名である。
革命後、インディヘニスモ運動の文脈の中で1930年代から始まったディエゴ・リベラ、ダビッド・アルファロ・シケイロス、ホセ・クレメンテ・オロスコなどの壁画家たちによるメキシコ壁画運動(メキシコ・ルネサンス)は世界の美術史の中でも特出している。ディエゴ・リベラの妻のフリーダ・カーロも女流画家として世界中で紹介されている。
映画[編集]
ブラジル、アルゼンチンとともにラテンアメリカの3大映画制作国であり、多くの映画が製作されている。
被服・ファッション[編集]
現在、一般的に認知されている古代メキシコ人の服装や衣服は、メキシコの先住民族であるナワ族の服飾の一例である。メキシコにおける女性の伝統的な服装にはラ・チャイナと呼ばれるものが挙げられることがあるが、実際にはメキシコ中南部地域の一部の都市圏にのみ存在しており、19世紀後半には消滅したものと見られている。
最も賞賛されている地方衣装としてはテワナが挙げられる。
建築[編集]
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世界遺産[編集]
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古代都市パレンケと国立公園(1987年)
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メキシコシティ歴史地区とソチミルコ(1987年)
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古代都市テオティワカン(1987年)
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プエブラ歴史地区(1987年)
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シアン・カアン(1987年)
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古都グアナフアトとその銀鉱群(1988年)
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古代都市チチェン・イッツァ(1988年)
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古代都市エル・タヒン(1992年)
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サンフランシスコ山地の岩絵(1993年)
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エル・ビスカイノ生物圏保護区(1993年)
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古代都市ウシュマル(1996年)
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ケレタロの歴史史跡地区(1996年)
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グアダラハラのオスピシオ・カバーニャス(1997年)
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トラコタルパンの歴史遺跡地帯(1998年)
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ショチカルコの古代遺跡地帯(1999年)
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カンペチェ歴史的要塞都市(1999年)
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ケレタロ州シエラ・ゴルダのフランシスコ会伝道所群(2003年)
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ルイス・バラガン邸と仕事場(2004年)
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カリフォルニア湾の島嶼および保護地区群(2005年)
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メキシコ国立自治大学の大学都市の中央キャンパス(2007年)
祝祭日[編集]
労働法第74条で定められた祝日は以下の8日(ただし大統領就任日は6年に1度なので、普通は7日)である[38]。これ以外に慣習的な祝日がある。
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
1月1日 | 元日 | Año Nuevo | |
2月5日 | 憲法記念日 | Aniversario de la Constitución Mexicana | 1857年と1917年の憲法がともに2月5日に批准された |
3月21日 | ベニート・フアレス生誕記念日 | Natalicio de Benito Juárez | もとは3月21日 |
5月1日 | メーデー | Día del Trabajo | |
5月5日 | プエブラ戦勝記念日 | Batalla de Puebla | シンコ・デ・マヨの名で知られる |
9月16日 | 独立記念日 | Día de la Independencia | ドロレスの叫び |
11月2日 | 死者の日 (メキシコ) | Día de Muertos | 死者の日 (メキシコ) |
11月の第20日 | 革命記念日 | Aniversario de la Revolución Mexicana | 1910年のメキシコ革命開始を記念する。もとは11月20日 |
12月1日 | 大統領就任日 | Transmisión del Poder Ejecutivo Federal | 6年に1回祝日になる |
12月25日 | クリスマス | Navidad |
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
5月10日 | 母の日 | Dia de las Madres |
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スポーツ[編集]
メキシコで開催された著名な国際大会としては、夏季オリンピックの1968年メキシコシティオリンピックや、FIFAワールドカップ(サッカー)の1970年大会と1986年大会が行われている。なお、2026年にはアメリカやカナダとともに2026 FIFAワールドカップの共同開催国となっている[39]。またメキシコでは伝統的に闘牛が盛んに行われており、大都市には必ず闘牛場がある。
サッカー[編集]
野球[編集]
ルチャリブレ[編集]
ボクシング[編集]
ボクシングもまた、メキシコで人気スポーツのひとつでもある。世界最大の団体であるWBCの本部が置かれており、3階級制覇を達成したフリオ・セサール・チャベスを筆頭にアメリカで活躍するマルケス兄弟やイスラエル・バスケス、日本でもなじみの深いルーベン・オリバレスやリカルド・ロペスら世界王者も数多く輩出している。なお、チャベスがエスタディオ・アステカに、グレグ・ホーゲンを迎えたWBC世界ジュニアウェルター級タイトルマッチは、世界最多の有料入場者となる13万人を記録した。 コミッションは﹁CBLL﹂であり、タイ同様にプロボクサーライセンスは存在しない。プロモーターとの契約が成立した時点でプロ活動が可能になる。ナショナル王座も管理・監督している。2000年代後半に、本部があるWBCが創設した同国内王座﹁FECOMBOX﹂と並存している。 さらに女子プロボクシングもあり、2階級制覇を達成したジャッキー・ナバを筆頭に、多くの女子世界王者も輩出している。アマチュアボクシングも盛んで、2007年のグアンテス・デ・オロには亀田和毅が出場している。オリンピックでは2021年東京大会まで13個のメダルを獲得し、競技別では飛込競技に次いで2番目に多い数字でもあるが、金メダルは自国開催の1968年メキシコシティー大会で獲得した2個のみで、女子に至ってはメダル未獲得のままである。その他の競技[編集]
ブラジルやアルゼンチンなど他の中南米の主要国同様、富裕層を中心にモータースポーツもメキシコでは人気スポーツのひとつである。1950年代に行われた国内を縦断する公道レースのカレラ・パナメリカーナ・メヒコや、カリフォルニア半島を縦断するオフロード・レースのバハ1000は世界的に有名で、F1・メキシコグランプリがメキシコシティ国際空港の近くにあるエルマノス・ロドリゲス・サーキットにて開催されている。さらに2004年からはWRCがメキシコ北部を舞台に毎年開催され、人気を博している。
著名な出身者[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
学術[編集]
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●メキシコ関係記事の一覧 ●メソアメリカ ●メキシコの関連する戦争一覧 ●プエブロ・マヒコ ●カリフォルニア州 ●ニューメキシコ州 ●テキサス州 ●トラフィック ●UFO ●クリッパートン島 ●チワワ ●メキシコ系フィリピン人︵英語版︶ ●フィリピン系メキシコ人︵英語版︶ ●マニラ・ガレオン外部リンク[編集]
- 政府
- 日本政府
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- 日本外務省 - メキシコ (日本語)
- 在メキシコ日本国大使館 (日本語)(スペイン語)
- 観光
- その他
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- JETRO - メキシコ (日本語)
- "Mexico". The World Factbook (英語). Central Intelligence Agency. (英語)
- メキシコ - Curlie(英語) (英語)
- メキシコに関連する地理データ - オープンストリートマップ
- メキシコのウィキメディア地図 (英語)
- 地図 - Google マップ
- 黒潮が結んだメキシコとの絆 日墨交流400周年記念稀覯書展示会 京都外国語大学付属図書館、2009年(平成21年)
- 移民史講座 Historia de la emigración del Japón a México y Cuba.
- 『メキシコ』 - コトバンク
- あはっん