「将棋」の版間の差分
編集の要約なし タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
→序盤戦: 細部 タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
||
486行目: | 486行目: | ||
{{Wikibooks|将棋/▲7六歩}}{{Wikibooks|将棋/▲2六歩}}{{Wikibooks|将棋/▲5六歩}} |
{{Wikibooks|将棋/▲7六歩}}{{Wikibooks|将棋/▲2六歩}}{{Wikibooks|将棋/▲5六歩}} |
||
プロ棋戦における初手は、角道を開ける▲7六歩が最も多く、飛車先の歩を突く▲2六歩がそれに次ぎ、ほとんどの対局はこのどちらかで開始される |
プロ棋戦における初手は、角道を開ける▲7六歩が最も多く、飛車先の歩を突く▲2六歩がそれに次ぎ、ほとんどの対局はこのどちらかで開始される。{{要出典範囲|date=2024年5月|プロ公式戦では▲7六歩がかなり多かったが、近年は▲2六歩が急増している。それでも▲2六歩の採用率が▲7六歩の採用率を上回るまでには至っていない。新しい指し方の研究も進んでいて、これら二大初手と比較すると採用率は圧倒的に少ないものの、他の初手についてもいろいろと試みられている}}。3番目に採用率の多い初手は、現在のところ先手ゴキゲン中飛車などで用いられる▲5六歩とされている。公式戦全体では︵一年の︶総対局数が約2300局あり、そのおよそ7割が初手▲7六歩と指している将棋であり、次いで約2割が▲2六歩、残り1割の大部分が▲5六歩となっている。﹃イメージと読みの将棋観﹄︵日本将棋連盟、2008︶では、2007年度統計で初手▲7六歩の出現率が78.5パーセントで先手勝率は5割2分7厘、▲2六歩の出現率は17.3パーセントで勝率は5割4分6厘、▲5六歩の出現率は4.0パーセントで、勝率は5割3分2厘であるという。初手については棋士の見解もさまざまであり、居飛車党の[[羽生善治]]や[[佐藤康光]]、[[谷川浩司]]、[[渡辺明 (棋士)|渡辺明]]、[[森内俊之]]らは、初手で▲7六歩ならば矢倉もしくは角換わりでたまに振り飛車志向、▲2六歩ならば相掛かり志向としている。佐藤はゲン担ぎもあり、どちらかで負けたら違う初手に変えるなどとしている。
|
||
現在では[[ |
上記の他に指されている初手としては、▲9六歩や▲7八飛、▲1六歩などがある。森内は初手に▲1六歩や▲9六歩の他、▲3六歩も1回ずつ指しており、いずれも勝利している。現在では[[b:将棋#▲4八飛|4八飛]]や[[b:将棋#▲5八飛|5八飛]]といった、先に振り飛車を明示する指し方も多い。初手▲5八飛は小学生時代に森内が羽生相手に指し、対して羽生は△5二飛と指したことが知られている。また基本的に[[嬉野流]]は[[b:将棋#▲6八飛|初手▲6八銀]]、[[英春流]]は[[b:将棋#▲4八飛|初手▲4八銀]]である。 |
||
羽生や谷川は両者とも[[先崎学]]に[[b:将棋#▲3六歩|初手3六歩]]を試みられている。渡辺も初手▲3六歩を指したことがある他、藤井猛が[[b:将棋#▲6六歩|初手▲6六歩]]を6局指しており、1勝4敗1戦千日手の戦績を残している。藤井によれば6六歩を指す意味は、相手が飛車先を伸ばさない居飛車戦法の場合▲7六歩の一手を省略でき、先手もその分他の手を先に指すことができるからだとしている。つまり早く△8六歩を突いて形を決めさせる意味があるという。 |
羽生や谷川は両者とも[[先崎学]]に[[b:将棋#▲3六歩|初手3六歩]]を試みられている。渡辺も初手▲3六歩を指したことがある他、藤井猛が[[b:将棋#▲6六歩|初手▲6六歩]]を6局指しており、1勝4敗1戦千日手の戦績を残している。藤井によれば6六歩を指す意味は、相手が飛車先を伸ばさない居飛車戦法の場合▲7六歩の一手を省略でき、先手もその分他の手を先に指すことができるからだとしている。つまり早く△8六歩を突いて形を決めさせる意味があるという。 |
2024年5月17日 (金) 08:18時点における版
将棋 |
---|
ゲームの詳細 歴史と組織 棋戦と棋士 |
各年度の将棋界 |
2022 - 2023 - 2024 - 2025 |
総説
チェスやシャンチーなどと区別するためルール
将棋は2人の競技者︵対局者︶によって行われる。ここでは便宜的に自分と相手と呼ぶことにする。将棋盤と駒
|
駒の種類
●将棋の駒は玉将︵玉︶及び王将︵王︶、飛車︵飛︶、角行︵角︶、金将︵金︶、銀将︵銀︶、桂馬︵桂︶、香車︵香︶、歩兵︵歩︶の8種類であり、それぞれ動ける範囲が決まっている[5]。 ●一般的に一組の将棋駒には玉将と王将が1枚ずつ入って構成されている。慣例としては上位者が王将、下位者が玉将を用いる[6]。ただし、2つとも玉将である﹁双玉﹂と呼ばれる場合もある[7]。 ●なお、駒の種類である玉将の﹁玉﹂、金将の﹁金﹂、銀将の﹁銀﹂はいずれも宝物の意味であり[7]、本来は2つとも玉将で構成されている双玉であったと考えられている[7]。したがって、将棋で﹁王様﹂と呼ぶのは厳密には正しくないとされる[7]︵一般的に棋譜の読み上げでも玉将と王将を区別せず﹁ぎょく﹂と読み上げる︶ ●また、一般的に自分側の玉将︵王将︶のことを﹁自玉﹂、相手側の玉将︵王将︶のことは﹁相手玉﹂あるいは﹁敵玉﹂という。ただし、玉将︵王将︶に利きのかかる手は﹁王手﹂と言い、﹁玉手﹂と言うことは普通ない︶。 ●将棋駒のうち、玉︵王︶と金以外の、飛、角、銀、桂、香、歩については敵陣内への移動・敵陣内での移動・敵陣内からの移動の際に成ること︵後述︶を選択することができ、これによって以下のように駒の動きが変化する︵成りを選択した時点で駒を裏返す︶。 ●将棋駒のうち一方向に向かって何マスでも進めることのできる飛車、竜︵成った飛車︶、角、馬︵成った角︶、香のことを総称して﹁走り駒﹂︵跳び駒ともいう︶という。 ●玉、王以外の大きな駒である飛車、角行はまとめて﹁大駒︵おおごま︶﹂と呼ばれ、金将、銀将をまとめて﹁金駒︵かなごま︶﹂と呼ぶことがある。それぞれ、戦術において似た役割の駒をまとめた言い方でもある。 ●﹁駒の利き﹂とは盤上にある各駒の効力が及んでいる範囲︵機能している範囲︶を言い、各駒が移動・攻撃できる範囲に相当する。駒の動き
(駒の動きの注意事項) ●盤上の駒を動かす際には、いかなる駒も、盤外の位置には移動できない。 ●移動できる位置に自陣の駒がいる場合は、その位置には移動できない。 ●移動できる位置に相手の駒がいる場合は、相手の駒を﹁持ち駒﹂として捕獲した上で、その位置に移動できる。 ●走り駒︵飛車、竜、角、馬、香︶の進行方向に他の駒︵自陣または相手の駒︶がいる場合、そのマスから先には移動できない。 ●走り駒の進行方向に自陣の駒がいる場合、その手前のマスまで移動できる。 ●走り駒の進行方向に相手の駒がいる場合、相手の駒を﹁持ち駒﹂として捕獲した上で、そのマスまで移動できる。表示 | 動きの解説 |
---|---|
○ | 当該マスへ移動可 |
| | マス数の制限なく縦方向へ移動可 |
― | マス数の制限なく横方向へ移動可 |
\ / | マス数の制限なく斜め方向へ移動可 |
☆ | 当該マスへ移動可(駒の飛び越え可) |
移動不可 |
元の駒 | 動き | 成駒 | 動き | |||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
玉将(ぎょくしょう) - 玉(ぎょく) 王将(おうしょう) - 王(おう)
|
|
全方向に1マス動ける。 | なし | - | - | |||||||||||||||||||||
飛車(ひしゃ) 飛(ひ) 《車(しゃ)》[8] 【英語圏表記:R(Rook)】 |
|
縦横に何マスでも動ける。 駒を飛び越えてはいけない。 |
龍王・竜王(りゅうおう) 龍・竜(りゅう) 《王(おう)》[注 1] 【 +R(Promoted Rook)/ D(Dragon)】 |
|
飛車と同じ動きに加えて斜めにも1マスだけ動ける。 | |||||||||||||||||||||
角行(かくぎょう) 角(かく) 【英語圏表記: B(Bishop)】 |
|
斜めに何マスでも動ける。 駒を飛び越えてはいけない。 |
龍馬・竜馬(りゅうめ、りゅうま) 馬(うま) 【 +B(Promoted Bishop)/ H(Horse)】 |
|
角行と同じ動きに加えて縦横にも1マスだけ動ける。 | |||||||||||||||||||||
金将(きんしょう) 金(きん) 【英語圏表記:G(Gold)】 |
|
斜め後ろ以外に1マス動ける。 | なし | - | - | |||||||||||||||||||||
銀将(ぎんしょう) 銀(ぎん) 【英語圏表記:S(Silver)】 |
|
前と斜めに1マス動ける。 | 成銀(なりぎん) (代替表記の例:全) 【 +S(Promoted Silver)】 |
|
金将と同じ。 | |||||||||||||||||||||
桂馬(けいま) 桂(けい) 【英語圏表記: N(Knight)】 |
|
前へ2、横へ1の位置に移動できる。別の駒が隣接している場合でも、飛び越えて移動できる。 ※敵陣1-2段目への打ち桂は不可。 |
成桂(なりけい) (代替表記の例:圭、今) 【 +N(Promoted Knight)】 |
|
金将と同じ。 | |||||||||||||||||||||
香車(きょうしゃ、きょうす) 香(きょう) 【英語圏表記:L(Lance)】 |
|
前に何マスでも動ける。 駒を飛び越えてはいけない。 ※敵陣1段目への打ち香は不可。 |
成香(なりきょう) (代替表記の例:杏、仝) 【 +L(Promoted Lance)】 |
|
金将と同じ。 | |||||||||||||||||||||
歩兵(ふひょう) 歩(ふ) 《兵(ひょう)》[9] 【英語圏表記: P(Pawn)】 |
|
前に1マス動ける。 ※敵陣1段目への打ち歩は不可。 ※二歩・打ち歩詰めの反則あり。 |
と金(ときん) と(と) (代替表記の例:个) 【 +P(Promoted Pawn)/ T(Tokin)】 |
|
金将と同じ。 | |||||||||||||||||||||
表中の駒の一文字による略称については、《》はかつて用いられたが、現在ではほとんど用いられない呼び方である。 |
対局の進行
将棋は対局者が相互に自らの駒を動かすことによってゲームが進められる。 ●対局において先に駒を動かし始める側の対局者を先手、そうでない側の対局者を後手という。 ●将棋では一局を通じて先手と後手が交互に手番が巡り、自分の手番においては、盤上にある自分の駒のいずれか1つを一度動かす、あるいは、持ち駒︵相手から取って自分の駒となった駒。後述︶を1つ盤上に置く。自分の手番が終わると相手の手番となり、これを終局まで繰り返す。 ●この手順における一回の動作︵盤上の駒を動かす、または持ち駒を盤上に置く︶を﹁一手﹂と呼び、動詞としては盤上の駒を動かす場合には﹁指す﹂、持ち駒を盤上に置く場合には﹁打つ﹂という[10]。一局を通して﹁指す﹂﹁打つ﹂といった対局者の駒の動き全般を﹁指し手﹂と呼ぶ。 ●囲碁との混用で﹁将棋を打つ﹂という表現が使われることがある[10]。逆に囲碁において﹁囲碁を指す﹂という表現が使われることもある[11]。チェスなどの将棋類も日本語では﹁指す﹂と表現する[11]︵なぜ﹁指す﹂という表現が使われるようになったのかは不明とされる[10]︶。駒の配置
将棋の対局において駒は対局者各20枚ずつの計40枚を用いる。対局者間の棋力の差によって手合割︵ハンデ︶を考慮する必要もあり、対局者間の棋力にかなりの差がある場合には駒落ち︵棋力で上回る側に属する駒の一部を盤上から除外した状態での対局︶となるが、基本的には駒を落さずに対局者各20枚ずつ対等に駒を持つ﹁平手︵ひらて︶﹂で指される︵手合割の詳細については後述︶。 平手戦の場合、開始時には駒を次のように並べる。9 | 8 | 7 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 | |
香 | 桂 | 銀 | 金 | 王 | 金 | 銀 | 桂 | 香 | 一 |
飛 | 角 | 二 | |||||||
歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 三 |
四 | |||||||||
五 | |||||||||
六 | |||||||||
歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 七 |
角 | 飛 | 八 | |||||||
香 | 桂 | 銀 | 金 | 玉 | 金 | 銀 | 桂 | 香 | 九 |
大橋流 | 伊藤流 |
---|---|
手番における動作
自分の番︵手番︶が来たら、必ず盤上の自分の駒のいずれか1つを1回動かすか、持ち駒を1つだけ盤上に打たなければならない。二手続けて指したり︵二手指し︶、パスしたりすること︵自分の駒をまったく移動せず、持ち駒も打たないこと︶はできない。盤上の駒の移動
盤上にある自分の駒は、その駒の種類に応じて駒の動きに書かれている範囲内に存在するマスであれば、どこにでも移動させることができる。ただし、以下のような制限がある。 ●盤上に存在しないマスには移動できない。それぞれの駒の利きも盤上にあるマスの範囲に限られる。 ●すでに自分の他のコマが存在するマスには移動できない。相手のコマが存在するマスに移動する場合、相手のコマは必ず自分の﹁持ち駒﹂として捕獲することになる。 ●桂馬以外の駒は、自分と相手どちらの他の駒も飛び越して移動することができない。 ●飛、角、香などの走り駒は、他のコマの奥にあるマスに移動することもできない。すなわち走り駒の移動範囲と駒の利きは、盤の端のマス・相手の駒があるマス・自分のほかの駒から一つ手前…の中で最も近いマスが限界となる。 ●桂馬は周囲マスの駒に関わらず、あくまで移動先となるマス︵先述の駒の動きを参照︶に、自分の他のコマが存在していない状態であれば移動できる。 ●玉将と相手の走り駒などとの位置関係により、自分の駒を移動させることによって自玉を相手駒の利きにさらすことになる場合には、後述する禁じ手に該当することとなり移動できない。駒の成・不成の選択
前述のように盤上の相手側3段を敵陣と呼ぶが、玉︵王︶と金以外の駒︵飛、角、銀、桂、香、歩︶は移動前後のマスが敵陣内だった場合、﹁成る﹂か否かの選択によって成駒へと変化することができる。 ●成駒は元の駒を裏返して配置することで表示される。 ●銀、桂、香の駒の裏面には﹁金﹂の字が崩して書いてある︵歩の裏面の﹁と﹂も、本来は﹁金﹂あるいは同音の﹁今﹂の字を崩したもの︶が、もともとの駒の種類が分からなくならないように各駒の種類に応じて裏面の﹁金﹂の字体は異なる。 ●成駒は移動可能な範囲が異なる。 ●飛は竜王︵竜︶、角は竜馬︵馬︶となり、それぞれ飛・角のもともとの駒の動きに加えて、全方向1マスの範囲にも動けるようになる。 ●銀は成銀、桂は成桂、香は成香、歩はと金となり、それらはすべて金と同様に扱われる。 ●と金と歩は区別される。すなわち、同じ縦の列に歩と成った歩︵と金︶が並んでも二歩︵後述︶にはならない。 ●成りは強制ではなく、成らないこと︵﹁不成︵ならず・ふなり[注 2]︶﹂と称する︶を選択することもできる。 ●不成を選択した場合、それ以後は、敵陣に入るときだけでなく、敵陣の中で動くとき、敵陣から出るときそれぞれで、その都度、成るか成らないかを選択することができる。 ●ただし、不成では駒がそれ以上動けなくなってしまう場合︵歩兵や香車を敵陣の一番奥の段に移動させる場合、桂馬を相手側2段目以内に動かす場合︶は、成りが強制される。 ●成駒は相手に取られて相手の持ち駒となった時点で、成る前の状態に戻る。 ●持ち駒を成った状態で打つこと︵持ち駒を打つと同時に成ること︶はできない。 ●一度成駒にした駒は、盤上にある限り自分で元に戻すことはできない。 上述のように、成りは強制ではなく、成るか成らないかを選択することができる。特に銀、桂、香は、成ることによって移動できなくなるマスがあるため、不都合を生じることがある︵例えば、銀が成ると斜め後ろに動かせなくなる︶。そのため、これらの駒で成るか成らないかについて慎重な検討を要することもある。これに対して飛、角、歩は、成ると移動できるマスが単純に増加するのみの︵駒の性能が上がる︶ため、成りが選択されることがほとんどである。 ただし、ごくまれに、反則である打ち歩詰め︵後述︶になる局面を回避する、または逆に成ることによって自玉に詰みが生じる局面︵大抵は、成ってしまうと自玉の打ち歩詰めが解消されてしまう局面︶を回避するなどの理由で、あえて駒を成らない場合もある。持ち駒の使用
持ち時間
プロの公式戦では持ち時間を定め、ストップウオッチまたは対局時計(チェスクロック)を用い、時間切れによる勝敗を厳正に定める。
公式戦では、名人戦では9時間、NHK杯では10分というように棋戦ごとに対局者それぞれの累計時間が決められており、その分を使い果たして以降は1手当たりの制限時間(30秒から1分)が課される「秒読み」が主である。プロの公式戦以外では持ち時間なしで最初から1手当たり○秒以内で指す対局も存在する他、一般的な対局では持ち時間がなくなった瞬間に負け(切れ負け)となる「指し切り」も普及している。
手合割
9 | 8 | 7 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 | |
香 | 桂 | 銀 | 金 | 王 | 金 | 銀 | 桂 | 香 | 一 |
二 | |||||||||
歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 三 |
四 | |||||||||
五 | |||||||||
六 | |||||||||
歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 七 |
角 | 飛 | 八 | |||||||
香 | 桂 | 銀 | 金 | 玉 | 金 | 銀 | 桂 | 香 | 九 |
勝敗の決め方
原則として互いに自らの駒で相手の玉将︵王将︶を捕獲することを目指す。しかし将棋は伝統的に﹁実際に王を取る﹂ことは忌避されたため、最も遅い場合でも一方の玉将︵王将︶が相手の駒に捕獲されてしまうことが不可避な状態︵詰み︶となった時点で勝敗が決まる他、どちらか一方が逆転不可能と判断した時点で投降することにより対局を終了する習慣になっている︵投了︶。 投了のタイミングは、ルール上は自分の手番であればいつ行ってもよいが、実際に投了する局面としては、自玉が詰まされることが確定的となったとき︵自玉が即詰みになることが判明した場合、自玉に必至がかかり敵玉が詰まないとき︶がまず挙げられ、相手の攻めを受け切れず、自玉が一手一手の寄り筋となった場合、攻め合いで相手より早く玉を詰ますことができない場合も該当すると考えられる。このほか、自玉に具体的な詰み筋・寄り筋は見えなくても、到底勝ち目がないと判断して戦意喪失した場合、すなわち相手の受けが強くて一連の攻めが続かなくなった場合︵指し切り︶や、攻防に必要な駒を相手にほとんど取られてしまった場合、一方的に入玉されて敵玉が寄る見込みのない形になってしまったなどの場合に投了することもある。特にプロの公式戦では完全に詰むまで指すことはきわめて稀である。 原則的には詰みまたは投了によって勝敗が確定するが、勝敗の決し方には以下のようなものがある。 ●どちらかの対局者が以下の状態になった場合には、その対局者の負けとなり、もう一方の対局者の勝ちとなる。 ●詰み︵自玉に王手がかかり、かつ王手放置が確定しており合法な指し手が存在しない︶[注 3] ●投了︵勝利不可能と判断して負けを認めた︶ ●時間切れ︵持ち時間中に手を指せなかった︶ ●反則行為︵反則を行ったことを指摘された︶ ●ルール違反︵基本ルールに反する動作を行った︶ ●禁じ手︵ルールで禁止された手を指した︶ ●連続王手の千日手︵相手玉への王手の連続によって千日手が成立した︶ ●相入玉の点数不足︵相入玉に対局者同士が合意し、点数計算で基準点数に満たない場合。﹁24点法﹂の場合は24点未満︶ ●被入玉宣言︵条件を満たした状態で対戦相手が入玉を宣言した︶ ●以下の状態になった場合には、引き分けとなる。 ●連続王手以外の千日手︵連続王手以外で同一局面が4回現れた場合︶ ●持将棋︵相入玉に対局者同士が合意し、点数計算で両者ともに基準点数を満たす場合。﹁24点法﹂の場合は両者ともに24点以上︶千日手
同一局面が4回現れた場合千日手となる。同一局面とは、﹁盤面・両者の持駒・手番﹂がすべて同一の場合のことをいう。千日手は原則として無勝負・指し直しだが、一方が王手の連続で千日手となった場合は、王手をかけていた側の負けである。これは、千日手が成立した手番に関係ないため、自身が指した手で千日手が成立して負けが決まることもあれば、相手が指した手で千日手が成立して負けが決まることもある。 通常の禁手のように、自分が指した手で負けが決まるとは限らないため、ルールでは﹁禁じられた手﹂ではなく﹁禁じられた局面﹂と表記している。連続王手の千日手は通常の禁手とは異なる特殊な規定のため、双方連続王手の千日手や最後の審判︵詰将棋作品︶といった状況においてルールの不備が指摘されている。持将棋
先後両者の玉︵王︶が互いに入玉し、互いの玉を詰ますことが困難になった場合、両者の合意の上で判定により勝敗を決める場合がある。この判定法により引き分けとなる場合を持将棋という。プロの公式戦においては﹁24点法﹂が用いられる。この場合、大駒1枚につき5点、小駒1枚につき1点として、互いに24点以上であれば引き分けとなる。アマチュアの大会の場合はそれぞれの規定による。一般に採用されることが多い﹁27点法﹂では、﹁24点法﹂と同様の点数計算を行ない、点数が多い方が勝ち、同点の場合は後手勝ちとしている。反則行為
次に挙げる行為は反則と決められており、着手した場合ただちに負けとなる。対局中であれば、反則行為が行われた時点ではそれに気付かずに手が進められても、終局前に反則が指摘された場合、反則した時点に戻して反則した側の負けとなる。対局中の助言は一切禁止されるが、反則行為が行われた場合に限り第三者がそれを指摘してもよい。 終局後に反則が判明した場合も、原則として反則をした側の負けとなる。たとえば、対局者が反則に気づかずに手を進め、反則された側が投了したとしても、反則を行った対局者の負けとして勝負結果が変更されることになる︵棋戦の運営による例外の対応もあり。以前は投了優先であったが、2019年6月10日および同年10月1日に将棋連盟対局規定の一部変更が行われている[15]︶。 ●ルール違反 以下の例を含む、基本ルールに反する行為。 ●駒の初期配置を間違えたまま対局開始︵角と飛を左右逆配置、駒を裏返したまま成り駒で配置等) ●2手続けて指す︵二手指し︶、後手が誤って初手を指す ●ルール上移動できない位置に駒を移動する︵特に、角︵馬︶を遠い位置に移動させるときに間違えやすい︶ ●駒を成れない状況で成ってしまう、玉や金を成ってしまう、成り駒を盤上で裏返し元の駒に戻す、成り駒を打つ︵持ち駒を裏返して打つ︶ ●持ち駒を駒台に乗せず手に隠し持つあるいは将棋盤や駒台の陰に置く︵隠し駒︶など。 ●いったん着手した手を元に戻し、変える行為︵待った︶も基本的には即負けである。駒から手を離した時点で着手が完了となるため、いったん駒を動かしても手を離さなければ、その時点では元に戻して別の手を指してかまわない。 仲間同士の気楽な対局や駒落ちなど指導を目的とする対局の場合は、例外的に﹁待った﹂は許可される場合もあるが、多くの人は﹁待った﹂をマナー違反とみなすため、注意が必要である。 ●禁じ手 基本ルールには反していないが、特別に禁止されている手のこと。 ●連続王手の千日手 連続王手での千日手は王手している側が指し手を変更しなければならないが、これを行わずに千日手が成立してしまった場合。千日手が成立した時点で反則になるため、対戦相手が指した手によって反則が確定する場合もある。 ●二歩 歩兵を2枚以上同じ縦の列に配置することはできない。ただし、なった歩兵︵と金︶は何枚同じ列にあっても構わない。 ●行き所のない駒の禁止 盤上の駒を行き先のない︵動けない︶状態にしてはいけない。味方の駒に進路を塞がれて一時的に動けない場合はこれにあたらない。 打つ場合、不成で進む場合ともに敵陣1、2段目の桂馬、1段目の香車・歩兵は配置してはいけない。したがって盤上の桂馬・香車・歩兵がその場所に進む場合は強制的に成らなければならない。 ●打ち歩詰め 持ち駒の歩を打つことで、直接、相手の王を詰ませてはいけない。 ただし、歩による王手が詰め手順の最終手でなければ、歩を打つことによる王手そのものは反則ではない。したがって、歩を打って王手をかけたのちの連続王手で最終的に﹁詰み﹂が成立することは問題がない。 ●ただし、最後に盤上の歩を突いて玉を詰ます突き歩詰めは反則ではない。 ●自玉を相手駒の利きにさらす手︵王手放置︶ 自らの着手の後、自らの王が王手のかかった状態にあってはいけない。すなわち、 (一)相手に王手された場合は、次の手番で直ちに王手を回避しなければならない。 (二)王を相手の駒の利きに移動してはならない。 (三)王以外の駒を移動させた結果、王が相手の駒︵香車、飛車︵龍王︶、角行︵龍馬︶︶の利きにさらされるようにしてはならない。 プロの棋戦で発生した反則は、記録に残っているもので回数が多い順に下記のとおり︵2018年10月20日現在︶[16]。プロの棋戦において、打ち歩詰め・行き所のない駒によって反則負けになった例は現時点では1例もない。1位 | 二歩 | 86回 | (2018年10月20日時点)[16][注 4] |
---|---|---|---|
2位 | 二手指し | 28回 | (2018年10月20日時点)[16] |
3位 | ルール違反の手を指す[注 5] | 25回 | (2018年10月20日時点)[16][注 6] |
4位 | 王手放置、自らの王を相手の駒の利きにさらす | 14回 | (2018年10月20日時点)[16][注 7] |
5位 | 後手が初手を指す | 7回 | (2022年12月22日時点)[注 8] |
6位 | 連続王手の千日手 | 2回 | (2018年10月20日時点)[16] |
公式戦ルールの不備
打ち歩によって、連続王手の千日手でしか王手を解除できない状態を作った場合、打ち歩詰めに該当するのか否かが不明である。連続王手の千日手でしか王手を解除できない状態は詰みとみなすのかどうかに依存し、現行ルールではどちらの解釈も可能である。公式戦での前例は存在しないとされるが、﹁最後の審判﹂という詰将棋の問題において、発生する可能性が指摘されている。 この他に、歩を打った後の局面が﹁ステイルメイト﹂状態︵次に動かせる駒が反則手以外にない局面︶になった場合に、﹁打ち歩詰めの反則規定﹂に該当するのかについて、﹁一方が玉以外に盤上の駒や持ち駒がない﹂などの極端な勢力差にならない限り局面が出現せず、プロの実戦上は相当前の段階で投了による決着となるため、特に正式な見解は出されていない。また、両者が連続王手で千日手となった場合については定義されていないが、いまだ局面や手順として再現できておらず、公式戦でも前例が存在しないがゆえ、特に問題視されていない。 公式戦ルールの不備が改正された例としては、1983年に千日手の規定が﹁同一手順を3回繰り返した場合﹂から﹁同一局面が4回現れた場合﹂に変更された例がある。旧規定では、千日手になることなく無限に指し続ける手順の存在が数学を用いて簡単に証明でき、実際に千日手模様の無限ではないが、かなり長手数の対局が見られたことから改正された。また、相入玉の将棋で、一方が持将棋の合意や投了を拒否した場合、詰みによる決着の見込みがないまま延々と指し続けることになりかねないため、入玉宣言法や500手指了ルールが暫定導入されている。場面ごとの戦い方
序盤戦
序盤戦は、攻撃・守備に適した駒組みを目指す段階である。将棋では長年の研究により効果的な駒組みのパターン︵戦法︶が数多く考案されており、それぞれの戦法について効果的な駒組みの手順︵や分岐した手順︶が研究され定跡が整備されている。序盤戦では戦法ごとの定跡をベースに、相手の駒組みを見ながらときには独自の工夫を加えて作戦勝ちを目指すことになる。 基本のセオリーは、盤面を左・右に分け、どちらかで攻撃の陣形を構築し、反対側で守備の陣形を構築する。居飛車はおもに右側を攻撃に使い左側を守備に使う戦法、振り飛車はおもに左側を攻撃に使い右側を守備に使う戦法になる。攻撃面では、強力な駒である大駒を中心に敵陣の突破を図る体制を築き、相手玉を詰ましにいくことを狙う。これに対して守備面では、自玉を飛車の位置とは反対側に移動させ、2枚の金および攻撃には使われない小駒などを用いて自玉が詰まされるのを阻止する囲いを築く。もっとも、これはあくまで基本のセオリーであり、このセオリーをあえて外す戦法も数多くある。 将棋の初手は30通りあり、各初手について﹁ウィキブックス/将棋/定跡書﹂のページおよびそのリンク先に詳しい解説がある。中盤戦
駒組みが完成して駒がぶつかりあい始めるのが中盤戦の始まりである。中盤戦の攻撃面では相手の駒を取ったり、敵陣に切り込んでいくことを考え、終盤戦へ向けて持ち駒を増やして攻撃力を増すために相手の駒をとったり、敵陣を崩し敵陣内部に攻めの拠点を作ったりすることが目標となる。当然相手のほうも同様のことを考え目標としているので、防御面では相手に駒を取らせない、相手に自陣への侵入を許さないということも重要である。攻防どちらに主眼を置くかによって個人の棋風が現れる部分である。駒のやりとりが生じるので、駒の損得の計算も重要になる︵これについては#駒の損得︵戦力差︶の節で説明する︶。中盤戦で役に立つことが多い駒、次に終盤戦に入った段階で役に立つ駒はどれか、ということも考慮しつつ駒のやりとりをする。 なお、駒組みが未完成のままいきなり互いの玉に迫る激しい展開となることもあり、この場合は中盤戦がなく、序盤戦から急に終盤戦に入ったと評価される。 また、特にプロやアマ高段者などの対局では、時として中盤で形勢に大差がついたために、一方が攻防共に見込みがないと判断して投了することもあり、この場合は終盤戦がなく、中盤戦で終局となったと評価される。終盤戦
どちらかの守りの陣が崩れ、玉の囲いも崩れ始めたころから終盤戦になる。 終盤戦は、勝利条件である詰みを目指して相手の玉に迫っていく。 終盤戦では、以下のような概念が使われる。 ●王手‥Bが受けなければ次のターンでAがBの玉を取れる状態。ルール上、Bは何らかの方法で受けなければ負けとなる。 ●逆王手‥Aにかかっている王手を受けると同時に、Bに王手をかけること。 ●詰むや詰まざるや‥終盤は持ち時間も足りなくなるので、自玉や敵玉が自分も相手もすぐに詰みとわかる状態以外は、実際に王手を進めてみないと分からない状態。 ●一手前の受け‥次に王手や詰めろ、必死を掛けられる前に一手先に防御の手を指しておく。 ●玉の早逃げ‥詰まされる前、詰めろを掛けられる前に先に玉を逃がしておく。 ●顔面受け‥玉将自身を直接相手の攻撃に対しての受け駒として使うこと。 ●粘り‥終盤詰めろや、隙きを突いて攻めてくる相手に対し、とにかく受けの手を指して相手のミスを誘ってチャンスをうかがうこと。 ●一手隙き‥攻められてもあと一手余裕がある状態。この間に相手を詰ませれば勝ちになる。 ●攻防の一手‥一手前の受けや早逃げなど防御用の手であるとともに、攻撃の手にもなっている。飛車や角打ちなどで生じることが多い。 ●詰み‥Bがどのように受けても次のターンでAがBの玉を取れる状態。ルール上、Bは投了しなければならない。 ●即詰み‥Bがどのように受けても王手の連続で詰みまで到達できる状態。この状態になれば、Aが間違えない限り詰みと同様となる。 ●詰めろ‥Bが受けなければ次のターンで即詰みになる状態。Bは何らかの方法で受けるか、この瞬間にAの玉を即詰みにしなければ負けてしまう。 ●詰めろ逃れの詰めろ‥Aにかかっている詰めろを受けると同時に、Bに詰めろをかけること。 ●必至‥Bがどのように受けても次のターンで即詰みになる状態。Bはこの瞬間にAの玉を即詰みにしない限り負けてしまう。 ●一手一手の寄り‥Bがどのように受けても王手または詰めろの連続で必至まで到達できる状態。この状態になれば、Aが間違えない限り必至と同様となる。 ●ゼット‥Aが持ち駒を何枚持っていたとしても絶対にBの玉が即詰みにならない状態。 これらの概念を使って自玉と敵玉の状態を把握し、受けるべきか攻めるべきかなどを判断していくことになる。 最後の詰みに至る手順を寄せという。︵中盤戦では駒のやりとりの損得計算が重要だったが︶寄せの段階では駒の損得計算はさほど重要ではなくなり、それよりも﹁詰むか詰まないか﹂が最重要となり、正確な読みの力が重要となる。相手の玉を詰むことができるかできないかを見極めることも重要であるし、また自玉が詰むか詰まないかを見極めることも重要である。︵なお、寄せの読みの力は普段から詰将棋のトレーニングをすることで養うことができる。また詰将棋問題を自作することで﹁詰むか詰まないか﹂の感覚を一層磨くことができる︶。 王手には強制力があり、王手をかけた側は一応は一種の﹁先手﹂となり、王手をかけ続ける限りは︵逆王手を除けば︶自らが攻め続けることができる。だが実戦での寄せは、将棋の格言で﹁王手するより縛りと必至﹂﹁玉は包むように寄せよ﹂﹁王手は追う手﹂というように、敵玉が即詰みでない場合の安易な王手は、かえって敵玉を安全地帯に逃がして勝ちを逃してしまう結果を生むことのほうが多いので、むしろ相手の玉にじわじわと縛りをかけ、つまり相手玉の周囲のマス目に自分の駒を効かせて相手玉の動ける方向を制限してゆき必至を狙う方が勝利につながることが多いとされている。 中盤戦で形勢に大差がつき片方だけが敵陣を切り崩しなおかつ持ち駒の種類も多い状態で終盤戦に入ったような場合は、終盤戦でもその勢いのまま優勢側が一方的に寄せてゆき、劣勢側は防戦で最善をつくしても防戦むなしく勝負がつくという展開が多い。 ただしそういう状況に陥ってしまったと劣勢側が気づいた場合は、そうはさせまじと、﹁一発逆転﹂を狙って、﹁狙うは相手玉のみ﹂とばかりに、持ち駒も守備に使うことは諦め攻撃のみに使う覚悟で、なりふりかまわずともかく相手玉とその周辺だけに集中して一気に攻撃をしかける場合もある。﹁一発逆転﹂などということは簡単にできるものではないが、それでも、そのまま生真面目に防戦ばかりしていては勝つ可能性は限りなくゼロに近いことが分かっているので、たとえ博打のような選択であるにしても、相手が﹁うっかりミス﹂などをしてくれて自分が勝てる可能性を残したほうがまだマシだ、という計算をしたうえでの作戦である。 時には、互いに詰めろを掛けては受ける攻防を繰り返し、最終的にAがBの玉に必至をかけ、その瞬間にBがAの玉を即詰みにする手順を見つければBの勝ち、見つけられなければAの勝ちになる、といったきわどいゲーム展開になることもある。 お互いに玉に迫りあっている場合では、相手への詰めろを1手外すと逆に自玉にかけ返されてしまうことが多々ある。また詰めろや必至で敵玉に迫っていったとしても、そのときに自玉に詰めろがかかっていることを見落としていたり、あるいは相手が王手をかけてきたところで正しく対応していれば詰まなかったところを対応を誤ったりで、自玉が即詰みの筋に入ってしまってからではそれに気づいても手遅れである︵このようなケースを﹁頓死︵とんし︶﹂という︶。このように終盤戦は、1手のミスで勝敗がひっくり返ってしまうことも多い重要な局面である。 この他に、一方的に攻められている場合などでは、相手陣に玉が侵入する入玉を目指す方法もある。先読みと形勢判断
将棋の形勢とは、駒の損得や囲いや駒の働きなどを総合した有利不利の差のこと。形勢を指す語は次のように数多く存在しており、同程度の形勢を表す語であってもニュアンスが異なる。形勢の悪いほうから、 ●﹁必敗/投了級﹂ ●﹁敗勢/ほぼ負け/非常に苦しい﹂ ●﹁劣勢/不調/厳しい﹂ ●﹁不利/苦戦/悪い﹂ ●﹁不満/指しにくい/つまらない/やや悪い﹂ ●﹁互角/五分/難解/これから﹂ ●﹁有望/指しやすい/指せる/持ちたい/不満なし/やや良し﹂ ●﹁有利/十分/満足/良し﹂ ●﹁優勢/好調/大成功﹂ ●﹁勝勢/あと一歩﹂ ●﹁必勝﹂ となる。この他に﹁形勢不明﹂というのもある。 コンピュータ将棋では、形勢判断は評価値︵形勢値︶と呼ばれる数値で表す。それには得点方式とパーセンテージ方式があり、概ね次のような目安となる。 ただし、2023年のコンピュータ将棋大会で上位に入るソフト同士の対戦では評価値+300から逆転しない確率は約97%であるとされる[25]。形勢 | 得点方式 | パーセンテージ方式 |
---|---|---|
完全に互角 | 0点 | 50% |
ほぼ互角 | 絶対値300点以内 | 45-55% |
指しやすい(指しにくい) | 絶対値300-500点 | 55-60%(45-40%) |
有利(不利) | 絶対値500-1000点 | 60-75%(40-25%) |
優勢(劣勢) | 絶対値1000-2000点 | 75-90%(25-10%) |
勝勢(敗勢) | 絶対値2000点以上 | 90%以上(10%以下) |
事実上勝敗が 決している状態 [注 14] |
99%(1%) | |
その他 特殊な場合 |
|
- |
駒の損得(戦力差)
駒 | Ponanza | Bonanza | 羽生善治 | 谷川浩司 |
---|---|---|---|---|
歩兵 | 0.9 | 1.2 | 1 | 1 |
香車 | 3.2 | 3.2 | 3 | 3 |
桂馬 | 4.1 | 3.6 | 4 | 4 |
銀将 | 5.2 | 5.1 | 5 | 5 |
金将 | 5.5 | 6.2 | 6 | 6 |
角行 | 9.3 | 7.9 | 9 | 8 |
飛車 | 10.6 | 8.9 | 10 | 10 |
と金 | 5.9 | 7.4 | 8 | 7 |
成香 | 5.5 | 6.8 | 6 | 6 |
成桂 | 5.6 | 7.1 | 6 | 6 |
成銀 | 5.7 | 6.9 | 6 | 6 |
竜馬 | 10.8 | 11.5 | 13 | 10 |
竜王 | 15.2 | 13.2 | 15 | 12 |
駒の効率︵駒の働き︶
盤上の駒がその価値を発揮できるかどうかは、局面やその駒の位置によって大きく変わってくる。そこで、自分の駒がどの程度働いているかの判断基準を﹁駒の効率﹂と呼んで、形勢判断の一要素としている。 例えば両者がと金を1枚ずつ作った場合、相手玉により近いと金のほうが脅威的で効率が良いと判断されることが多い。と金に限らず、敵玉に圧力を加えていたり、自玉を安全にしている駒は働いていると評価される。また、攻め駒は盤上にあるよりも持ち駒として残っている状態のほうが、一般的には価値が高い。特に大駒は持ち駒状態を維持することにより、いつでも相手陣に打ち込んで成駒にするチャンスがあり、相手に打ち込みの隙を作らせないという制約を課すことができる。そのため、盤上に打たれた生駒状態の大駒より効率が良いと判断される場合がある。 この他に、持ち駒の歩兵が0枚から1枚に増えた場合と、1枚から2枚に増えた場合とを比べると、形式的な点数計算︵羽生式や谷川式︶ではどちらも1点であるが、実質的には前者のほうが価値が高いと判断されることが多い。これは、歩切れ︵持ち駒の歩兵がない状態︶は、何かと入り用になる歩兵を好きなタイミングで使うことができずに不利とされているためである。玉形︵玉の安全度︶
玉形とは、玉将︵王将︶の位置とその周りの駒の配置のことである。遠さ・堅さ・広さなどの要素で判断される。 遠さ 基本的に、玉は戦場から遠いほど良いとされる。例えば対抗型では互いの飛車のいる側が戦場となるため、玉は反対側に行けば行くほど安泰となる。また、端にある桂馬や香車などを玉の守りに使いやすくなるという長所もある。ただし、端に寄ることで逃げる場所が少なくなるという短所もあるため、一概に端にいれば安全というわけではない。 堅さ 玉の周りを金将や銀将などで覆った守りの陣形を囲い︵かこい︶と呼ぶ。囲いの堅さは、駒の枚数や位置関係によって変わってくる。例えば金銀が連結している︵相互に利きを及ぼしている︶状態は、相手に取られても自身の駒で取り返すことができるため、崩されにくい囲いとなる。 広さ 広さは玉の逃げる場所の多さである。囲いが突破されたとしても、逃げ場所が多ければ詰まされるまでの手数稼ぎになったり、相手に持ち駒をたくさん使わせたりすることができる。そのため、自玉が詰まされる前に相手玉を詰ませることができる場合がある。 玉形の良し悪しは勝敗に深く関わってくる。駒の損得で勝っている場合は穏やかな局面にすると良いのに対し、玉形で上回っている場合は激しい展開が望ましいとされる。例えば駒損でも玉形の評価が良いとき、こちらは玉形を生かして激しく攻めまくり、相手は必死に耐えて反撃を狙ったりする。 なお、玉形の評価は相手の攻めの形や方向に大きく影響される。例えば矢倉囲いは上からの攻めに強い囲いであるため、互いに居飛車ならば堅いと評価されるが、相手が振り飛車ならば玉形の評価は悪くなる。手番︵主導権︶
一方的に攻め続けている状態のことを﹁手番を持つ﹂又は﹁先手をとる﹂と呼ぶ。極終盤では寄せる速度が勝負を分けるため、主導権を得ることが重要となる。攻防に必要な駒さえあれば、全体的な駒の損得はほとんど形勢に影響しない。手番を得るために駒を捨てるということも行われる。これを表す格言として﹁終盤は駒の損得より速度﹂がある。また、戦略・戦術以前の問題として、そもそも対局において先手番が有利か否かという点が話題となることがある(ある局面での手番を意味する「先手」「後手」ではなく、一つの対局の最初の手を指す側か否かの「先手」「後手」)。
歴史
この節の内容の信頼性について検証が求められています。 |
古将棋
日本への伝来
平安将棋
将棋の存在を知る文献資料として最古のものに、南北朝時代に著された﹃麒麟抄﹄があり、この第7巻には駒の字の書き方が記されているが、この記述は後世に付け足されたものであるという考え方が主流である。藤原明衡︵ふじわらのあきひら︶の著とされる﹃新猿楽記﹄︵1058年 - 1064年︶にも将棋に関する記述があり、こちらが最古の文献資料と見なされている。 考古資料としての発掘は1980年代から相次いだ[38]。現状、最古の駒は奈良県の興福寺境内から発掘された駒16点で[39][40]、同時に天喜6年︵1058年︶と書かれた木簡が出土したことから、その時代のものであると考えられている。この当時の駒は、木簡を切って作られ、直接その上に文字を書いたとみられる簡素なものであるが、すでに現在の駒と同じ五角形をしていた。また、前述の﹃新猿楽記﹄の記述と同時期のものであり、文献上でも裏づけが取られている。 三善為康によって作られたとされる﹃掌中歴﹄﹃懐中歴﹄をもとに、1210年 - 1221年に編纂されたと推定される習俗事典﹃二中歴﹄に、大小2種類の将棋が取り上げられている。後世の将棋類と混同しないよう、これらは現在では平安将棋︵または平安小将棋︶および平安大将棋と呼ばれている[注 20]。平安将棋は現在の将棋の原型となるものであるが、相手を玉将1枚にしても勝ちになると記述されており、この当時の将棋には持ち駒の概念がなかったことがうかがえる。ただし平安将棋は持ち駒使用になっていたとする木村義徳の説もある。 最古期の駒が発掘されるのは寺院に多く、僧が関わっていたとみられるが[41]、一方で正倉院に囲碁・双六はあっても将棋は無いことから貴族への普及はその後と推測され、日記に登場するのは平安後期である[36]。平安時代の駒は近畿だけでなく全国から発掘されている[38]。これらの将棋に使われていた駒は、平安将棋にある玉将・金将・銀将・桂馬・香車・歩兵と平安大将棋のみにある銅将・鉄将・横行・猛虎・飛龍・奔車・注人である。平安将棋の駒はチャトランガの駒︵将・象・馬・車・兵︶をよく保存しており、上に仏教の五宝と示しているといわれる玉・金・銀・桂・香の文字を重ねたものとする説がある[42]。 古将棋においては桂馬の動きは、チャトランガ︵インド︶、シャンチー︵中国象棋︶、チェスと同様に八方桂であったのではないかという説がある。持ち駒のルールが採用されたときに、ほかの駒とのバランスをとるために八方桂から二方桂に動きが制限されたといわれている。将棋の発展︵種類︶
これは世界の将棋類で同様の傾向が見られるようだが、時代が進むにつれて必勝手順が見つかるようになり、駒の利きを増やしたり駒の種類を増やしたりして、ルールを改めることが行われるようになった。日本将棋も例外ではない。 13世紀ごろには平安大将棋に駒数を増やした大将棋が遊ばれるようになり、大将棋の飛車・角行・醉象を平安将棋に取り入れた小将棋も考案された。15世紀ごろには複雑になりすぎた大将棋のルールを簡略化した中将棋が考案され、現在に至っている。15世紀から16世紀ごろ︵室町時代︶には小将棋から醉象が除かれて本将棋になったと考えられる[43]。このころに﹁将棋を指す﹂という表現が定着したとされる[10]。元禄年間の1696年に出版された﹃諸象戯図式﹄によると、天文年中︵1532年 - 1555年︶に後奈良天皇が日野晴光と伊勢貞孝に命じて、小将棋から醉象の駒を除かせたとあるが、真偽のほどは定かではない[44]。室町末の厩図屏風には、将棋に興ずる人々が描かれている。 16世紀後半の戦国時代のものとされる一乗谷朝倉氏遺跡から、174枚もの駒が出土している。その大半は歩兵の駒であるが、1枚だけ醉象の駒が見られ、この時期は醉象︵象︶を含む将棋と含まない将棋とが混在していたと推定されている。1707年出版の赤県敦庵著作編集の将棋書﹁象戯網目﹂に﹁象︵醉象︶﹂の入った詰め将棋が掲載されている。ほかのルールは現在の将棋とまったく同一である。持ち駒の利用
将棋の発展のうち特筆すべきものとして、﹁相手側から取った駒を自分側の駒として盤上に打って再利用できるルール﹂、すなわち﹁持ち駒﹂の使用制度が考案されたことが挙げられる。もっとも、このルールがいつごろできたものかのかは分かっていない。現在、提唱されている説としてはおもに以下の3つがある。 ●15世紀から16世紀ごろとする説…15世紀から16世紀に本将棋が成立した際の駒の数が持ち駒ルールに関連すると考える説である。将棋の駒の数は上述したように徐々に減って現代の本将棋になった。この説では、駒の減少は互いに駒が足りなくなって相手玉を詰められなくなるなどのゲーム性の低下を伴うことから、これを補うために持ち駒制度が考案されたのだと説明する。これを前提に、駒の数が現代と同じになった16世紀頃が持ち駒制度の考案時期であるとする。 ●13世紀以前とする説…1300年ごろに書かれた﹃普通唱導集﹄に、将棋指しへの追悼文として﹁桂馬を飛ばして銀に替ふ﹂との文句がある[45]ことを根拠とする説である。これは持ち駒ルールを前提にした駒の交換を言っているものであると理解し、この時期には持ち駒の概念があったものと考えるものである[46]。 ●11世紀以前とする説…銀の裏面の﹁全﹂に似た字や歩の裏面の﹁と﹂に似た字などは﹁金﹂の崩し字であると考えられているが、これらがそれぞれ異なる崩し字を使う理由を持ち駒制度と関連づける説である。これらが単に﹁金﹂ではなく、あえて区別できるように書かれている理由を、取って持ち駒とした場合に元の銀や歩に戻ることが分かるようにするためだと理解すれば、成駒が区別可能か否かで持ち駒ルールの有無が分かるということになる。そのうえで、上記奈良県で出土した最古の駒について、成駒の文字が区別可能であるからこの時期には持ち駒ルールがあったとする。 持ち駒ルールが生まれた理由もよく分かっていない。上述した駒の数の減少に伴うゲーム性低下を補うため、将棋の駒に色分けが無いためという説明が一般的になされる。また、や、金・銀・桂︵馬︶・香はいずれも資産または貿易品を表していることから、将棋は戦争という殺し合いをテーマにしたゲームではなく、資産を取り合う貿易や商売をテーマにしたゲームという側面があり、相手から奪った資産は消滅するのではなく自分のものになるのが自然であるため、持ち駒使用ルールが生まれたのだとする考察もある。本将棋
本将棋は上述の通り15世紀から16世紀︵室町時代︶ごろに小将棋から醉象を除き持ち駒の再使用ルールを加える形で成立していたとされる。御城将棋と家元
17世紀初頭、1612年︵慶長17年︶ごろ、幕府は将棋と囲碁の達人であった大橋宗桂︵大橋姓は没後︶・加納算砂︵本因坊算砂︶らに俸禄︵宗桂は50石5人扶持を賜わっている︶を支給することを決定し、将棋︵なお、初期の将棋指したちは中将棋も得意としていた︶は、囲碁とともに、江戸時代の公認となった。宗桂と算砂は将棋でも囲碁でも達人であったが、やがてそれぞれの得意分野︵宗桂は将棋、算砂は囲碁︶に特化していき、彼らの後継者は、それぞれ将棋所・碁所を名乗るようになった[注 21]。 宗桂の後継者である大橋家・大橋分家・伊藤家の3家は、将棋の家元となり、そのうち最強の者が名人を称した。現在でも名人の称号は﹁名人戦﹂というタイトルに残されている。名人の地位は世襲のものであったが、その権威を保つためには高い棋力が求められた︵たとえば、家元の地位に不満を持つ在野の強豪からの挑戦をたびたび受け、尽く退けている︶ため、門下生の中で棋力の高い者を養子にして家を継がせ、名人にすることも多かった。 寛永年間︵1630年ごろ︶には家元3家の将棋指しが将軍御前で対局する﹁御城将棋﹂が行われるようになった。八代将軍徳川吉宗のころには、年に1度、11月17日に御城将棋を行うことを制度化し、現在ではこの日付︵11月17日︶が﹁将棋の日﹂となっている。 江戸時代中期までの将棋指しは、指し将棋だけでなく、詰将棋の能力も競い合った。特に伊藤家の伊藤看寿の作品である﹃将棋図巧﹄は現在でも最高峰の作品として知られている︵なお、伊藤看寿は早逝したため存命中に名人とならなかったが、没後に名人位を贈られた︶。名人襲位の際には、江戸幕府に詰将棋の作品集を献上するのが慣例であった。 江戸時代後期には、近代将棋の父と呼ばれる大橋宗英が名人となり、現代につながるさまざまな戦法を開発した。さらに、大橋家の門下生であった天野宗歩は、当時並ぶ者のいない最強の棋士として知られ、﹁実力十三段﹂と恐れられ、のちに﹁棋聖﹂と呼ばれるようになった。名人位が期待されたものの素行不良のために大橋家の養子となれなかった宗歩は、家元3家とは独立して活動するようになり、関西で多数の弟子を育成した。 現在のプロ棋士はほぼ全員が江戸時代の将棋家元の弟子筋にあたり、将棋家元は現代将棋界の基礎となっている。なお、現在では伊藤家に連なる一門が多数であるが、関西を中心に天野宗歩の系譜に属する棋士も多い。江戸時代の棋譜は﹁日本将棋大系﹂にまとめられている。新聞将棋・将棋連盟の結成
将棋禁止の危機
第二次世界大戦後、日本将棋連盟に連合国軍最高司令官総司令部︵GHQ︶より呼び出しがかかった[50]。これは武道などを含めた封建的思想の強い競技や娯楽の排除を狙ったものだが、連盟は知識豊富で勝負勘に優れた関西本部長代理の升田幸三を派遣する[50]。その席でGHQは﹁将棋はチェスとは違い、敵から奪った駒を自軍の兵として使う。これは捕虜虐待という国際法違反である野蛮なゲームであるために禁止にすべきである﹂と述べた[50]。それに対して升田は﹁チェスは捕虜を殺害している。これこそが捕虜虐待である。将棋は適材適所の働き場所を与えている。常に駒が生きていて、それぞれの能力を尊重しようとする民主主義の正しい思想である﹂﹁男女同権といっているが、チェスではキングが危機に陥ったときにはクイーンを盾にしてまで逃げようとする﹂と反論[50]。この発言により将棋は禁止されることを回避することができた[50]。現代棋界の動向
現代の将棋は定跡が整備され、高度に精密化された。将棋自身も賭博の対象から純粋なマインドスポーツへと変化している。
各年度の将棋界の詳細は各項目に譲るが、1935年の名人戦を皮切りに8つのタイトル戦を含む10以上の棋戦が開催されている(2018年現在)。
女性のプロ(女流棋士)も誕生し、1974年には最初の女流棋戦である女流名人位戦(現・女流名人戦)が開始された。2018年現在、6つのタイトル戦と1つの公式棋戦が行われている。
プロの発展とともに、将棋のアマチュア棋戦も整備され、日本全国からアマチュアの強豪選手が集まる大会が年間に数回開催されている。公式棋戦においてアマチュアトップや奨励会員とプロの実力下位者の対局が年間複数回指され、前者が後者を破ることも珍しくない。
コンピュータ将棋
インターネット将棋
インターネットの普及を通じて盤駒を利用しなくとも対局ができるネット将棋が普及。それによって将棋センターは次々閉鎖されていったが、取って代わるように1996年ごろからJava将棋やザ・グレート将棋、将棋倶楽部24、近代将棋道場、Yahoo!ゲームの将棋などのサイトが次々と登場した。2010年代には英語が公用語の国際サイト81Dojo、twitterと連動できるshogitter、カジュアルな作りで人気を伸ばした将棋ウォーズなどが登場した。2022年1月に変則将棋の1つフリーズ将棋も遊べるようになった。将棋と放送
将棋がテレビなどで一般的に話題になった代表的なものでは、内藤國雄﹁おゆき﹂大ヒット︵1976年︶、谷川浩司史上最年少名人︵1983年︶、羽生世代の活躍︵1980年代から平成初期︶、中高年の星米長邦雄名人獲得︵1993年︶、羽生善治の七冠達成︵1996年︶、将棋を題材としたNHK朝の連続テレビ小説﹃ふたりっ子﹄の放送︵1996年︶、中原誠と林葉直子の不倫報道、村山聖の早逝︵1998年︶、瀬川晶司のプロ編入試験︵2005年︶、名人戦の移管問題︵2006年︶、コンピューター将棋ソフトBonanzaの躍進︵2006年︶、羽生善治の最年少で1000勝︵2007年︶、将棋電王戦によるプロとコンピューターの対決の配信︵2012年︶、今泉健司のプロ編入試験︵2014年︶、将棋もの作品の流行︵平成末期︶、将棋ソフト不正使用疑惑︵2016年︶、藤井聡太の史上最年少デビューと無敗のままでの歴代連勝記録更新︵2016年 - 2017年︶、羽生善治の永世七冠達成︵2017年︶と国民栄誉賞授与︵2018年︶などがある。 将棋の対局放送は長丁場であることもあり一般的ではなく、長年NHK杯やNHK BSの特別番組、CS放送の専門チャンネルなどに限られていた。地上波民放で数少ない例としてテレビ東京主催の﹃早指し将棋選手権﹄があったが2003年に終了している。1995年頃の羽生フィーバーでは観戦するファン︵観る将︶の萌芽があったが、当時のインターネット環境では活かすことができなかった[53]。2010年代になってから無料インターネット動画サイトを通じた配信が定着したことで、2017年からの藤井フィーバーに繋がった[54]。将棋人口
﹃レジャー白書﹄︵財団法人社会経済生産性本部︶による、1年に1回以上将棋を指すいわゆる﹁将棋人口﹂。調査時期は発表年の前年。 2009年の急増は調査方法切り替えによる[55]。なおデータは16歳から79歳までのため実際はより多いと考えられている[54]。 2017年からの藤井フィーバーにより﹁観る将﹂は増加したが、競技人口である﹁指す将﹂は減少を続けており、大会参加者や道場へ通う子供も増えていないという[54]。調査年度 | 人口(万人) |
---|---|
2004年 | 840[56] |
2005年 | 710[56] |
2008年 | 690[55] |
2009年 | 1,270[55] |
2010年 | 1,200[55] |
2011年 | 830[57] |
2012年 | 850[57] |
2013年 | 670[57] |
2014年 | 850[58] |
2015年 | 530[58] |
2016年 | 530[58] |
2017年 | 700[58] |
2018年 | 680[58] |
2019年 | 620[58] |
2020年 | 530[58] |
2021年 | 500[59] |