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「折口信夫」の版間の差分

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そして柳田も「(折口君という人は)真似と受け売りの天性嫌いな、幾分か時流に逆らっていくような、今日の学者としては珍しい資質を具えている」とその点では認めていた。ただし「[[まれびと|マレビト]]」を認めない柳田と折口の間に論争があったのも事実である<ref>折口信夫『古代研究I』12~13頁</ref>。二人は[[国学]]の先輩方に当たる[[賀茂真淵]]・[[本居宣長]]師弟のように、教えを受けながらも正当だと思ったところは譲らず、真理の追求を磨く学者の関係を持っていたといえる。

そして柳田も「(折口君という人は)真似と受け売りの天性嫌いな、幾分か時流に逆らっていくような、今日の学者としては珍しい資質を具えている」とその点では認めていた。ただし「[[まれびと|マレビト]]」を認めない柳田と折口の間に論争があったのも事実である<ref>折口信夫『古代研究I』12~13頁</ref>。二人は[[国学]]の先輩方に当たる[[賀茂真淵]]・[[本居宣長]]師弟のように、教えを受けながらも正当だと思ったところは譲らず、真理の追求を磨く学者の関係を持っていたといえる。



柳田は、折口より12歳年上であったが共に[[1945年]](昭和20年)の[[敗戦]]時には、60歳を既に迎えていた。その戦後のことを、重い口調で柳田は折口に話しかけたという。「折口君、戦争中の[[日本人]]は[[桜]]の[[散華|花が散る]]ように潔く死ぬことを美しいとし、われわれもそれを若い人に強いたのだが、これほどに潔く死ぬ事を美しいとする[[民族]]が他にあるだろうか。もしあったとしてもそういう民族は早く滅びてしまって、[[海]]に囲まれた日本人だけが辛うじて残ってきたのではないだろうか。折口君、どう思いますか」その問いにしばらく両者深く思い沈んでいたという。折口には、18年間共にした養嗣[[藤井春洋]]の[[硫黄島の戦い|硫黄島玉砕]]という重い出来事があった。その追悼の念は徹底的で、[[玉音放送|敗戦の詔]]を聞くと四十日間[[喪]]に服し、自分の死ぬまで[[遺影]]前の供養を欠かさなかったという。[[第二次世界大戦|第二次大戦]]で失った戦死者の[[鎮魂]]は大きな課題で、[[戦没者]]が生前に殉じる価値を見出そうとした[[皇国]]などといった概念も[[天皇]]の[[人間宣言]]とともに潰え果てたのである。柳田も日本人の[[神]]や[[魂]]といった問題意識は共有していて、折口は後その問題を「民族史観における他界観念」という著に収斂させていくこととなる<ref>折口信夫『古代研究I』14~20頁</ref>。

柳田は、折口より12歳年上であったが共に[[1945年]](昭和20年)の[[敗戦]]時には、60歳を既に迎えていた。その戦後のことを、重い口調で柳田は折口に話しかけたという。「折口君、戦争中の[[日本人]]は[[桜]]の[[散華|花が散る]]ように潔く死ぬことを美しいとし、われわれもそれを若い人に強いたのだが、これほどに潔く死ぬ事を美しいとする[[民族]]が他にあるだろうか。もしあったとしてもそういう民族は早く滅びてしまって、[[海]]に囲まれた日本人だけが辛うじて残ってきたのではないだろうか。折口君、どう思いますか」その問いにしばらく両者深く思い沈んでいたという。折口には、18年間共にした養嗣[[藤井春洋]]の[[硫黄島の戦い|硫黄島玉砕]]という重い出来事があった。その追悼の念は徹底的で、[[玉音放送|敗戦の詔]]を聞くと四十日間[[喪]]に服し、自分の死ぬまで[[遺影]]前の供養を欠かさなかったという。[[第二次世界大戦|第二次大戦]]で失った戦死者の[[鎮魂]]は大きな課題で、[[戦没者]]が生前に殉じる価値を見出そうとした[[皇国]]などといった概念も[[天皇]]の[[人間宣言]]とともに潰え果てたのである。柳田も日本人の[[神]]や[[魂]]といった問題意識は共有していて、折口は後その問題を「民族史観における他界観念」という著に収斂させていくこととなる<ref>折口信夫『古代研究I』14~20頁</ref>。



柳田が民俗現象を比較検討することによって合理的説明をつけ、[[日本文化]]の[[起源]]に遡ろうとした[[帰納]]的傾向を所持していたのに対し、折口はあらかじめマレビトや[[依り代|ヨリシロ]]という独創的概念に日本文化の起源があると想定し、そこから諸現象を説明しようとした[[演繹]]的な性格を持っていたとされる。なお『[[遠野物語]]』に折口の跋文がある(現:[[角川ソフィア文庫]])。

柳田が民俗現象を比較検討することによって合理的説明をつけ、[[日本文化]]の[[起源]]に遡ろうとした[[帰納]]的傾向を所持していたのに対し、折口はあらかじめマレビトや[[依り代|ヨリシロ]]という独創的概念に日本文化の起源があると想定し、そこから諸現象を説明しようとした[[演繹]]的な性格を持っていたとされる。なお『[[遠野物語]]』に折口の跋文がある(現:[[角川ソフィア文庫]])。


2022年12月24日 (土) 11:10時点における版

折口 信夫
(おりくち しのぶ)
誕生 1887年2月11日
大阪府西成郡木津村
死没 (1953-09-03) 1953年9月3日(66歳没)
東京都新宿区信濃町
墓地 石川県羽咋市
職業 民俗学者国語学者歌人
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 國學院大學国文科卒業
ジャンル 民俗学詩歌
ウィキポータル 文学
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  [ 1]188720211 - 19532893 

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退192413

西1

1887211西西1

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189618994西

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190115[ 3][3]稿

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190719107調191110

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19484[5]121949719501953783193

柳田國男との関係




1915434-5

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1219452060調18[7]


人物




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3

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1947

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西西西132144 19712

1931620[13]

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7[15]

[3]
先妻                  ┏あゐ
 ┃                  ┃
 ┣━━━彦次郎     秀太郎    ┣静
 ┃            ┃     ┃
彦七            ┣━━━━━╋順
 ┃            ┃     ┃
 ┣━━━造酒ノ介    ┏こう    ┣進
 ┃     ┃     ┃      ┃
とよ     ┣━━━━━╋ゆう    ┣信夫
       ┃     ┃      ┃
      つた     ┗えい    ┣親夫
                    ┃
                    ┗和夫


19482322

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  20002020

I 2002

  2019

西 1999ISBN 412002878X

西 1985ISBN 4273020351

  1979 

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7  1979

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2   1978 

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  19782009 

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  西19935

 西19881998ISBN 4469012580

 20002ISBN 458506012X


   1974 - 

19 2   20083ISBN 4902385546

  
200550910 ISBN 4273033631

  19721989

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   19761984 -   

 100 19873 -  

 20144


319751978
123- 

 2013ISBN 4062901978

 1972  - 

 1972 - 

  2001

   1997

   199711ISBN 4096261165 - 

   2000 ISBN 4120030121

    1994

   1999

  20001020067ISBN 4006021062

  2013ISBN 4906791166

   2004ISBN 4062126907

  2014ISBN 4062192047

  2016ISBN 4864881073

 2018

   2016ISBN 4585230475

   2007ISBN 4305703556

   2003

  100 20038ISBN 4585051635

    20082016

  2008
  2014ISBN 4044092141

 2018

  2009ISBN 4582855032

   2017ISBN 4121024583

  ︿2019


26  1985 - 

  1992

 2009
 ︿2017

  1999 ISBN 4048530968 

17   2000
DVD   2007

  2019 















(一)^ [1]

(二)^ [1]

(三)^ 18001233

出典


(一)^ ab6911196811 p.25

(二)^ 

(三)^ ab 2009

(四)^  118

(五)^ 19484292

(六)^ I1213

(七)^ I1420

(八)^   (2009)

(九)^ 19822004

(十)^ 100 2006

(11)^   204-205

(12)^   208

(13)^  53

(14)^ P230, , 1996P76, 1977

(15)^ ab26

(16)^ 195722811

(17)^ 38192812

(18)^ 11-219188

(19)^ 119319

(20)^ 

(21)^ 7193112

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(23)^ ]14119331

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(25)^ 19466

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(29)^ 31946

(30)^ 271947

(31)^ 

(32)^ 271947

(33)^ 1195210

関連項目

外部リンク