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東京の両国国技館で開催される一月場所(初場所)・五月場所(夏場所)・九月場所(秋場所)は総称して東京場所と呼ばれ、それ以外の場所で開催される三月場所(春場所・大阪場所)・七月場所(名古屋場所)・十一月場所(九州場所)は総称して地方場所と呼ばれる。 |
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⚫ | 三月場所(大阪)<ref>{{Cite web|和書|url= |
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三月場所︵大阪︶<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sumo.or.jp/Watching/isolate/|title=大阪場所 観戦案内|publisher=日本相撲協会|accessdate=2018-07-25}}</ref>と七月場所︵名古屋︶<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sumo.or.jp/Watching/isolate/|title=名古屋場所 観戦案内|publisher=日本相撲協会|accessdate=2018-07-25}}</ref>の会場では[[命名権|施設命名権]]が売却されており、主催者である日本相撲協会では上記のように施設命名権に基づく名称と正式名称を併記して使用している。施設名の扱いに関してはメディアごとに対応が分かれている。[[大相撲中継|本場所のテレビ・ラジオ中継]]を行う[[日本放送協会|NHK︵日本放送協会︶]] は本場所の会場名について正式名称のみを使用している<ref>NHKでも[[Bリーグ中継 (NHK)|Bリーグ中継]]など他のスポーツや、音楽ライブなどの中継では、命名権名称で案内する場合がある。</ref>。一方、新聞報道などでは報道機関により施設命名権による名称を使用する場合<ref>例として、{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK00296_S8A720C1000000/|title=優勝の御嶽海が2敗目 名古屋場所千秋楽|newspaper=日本経済新聞|date=2018-07-22|accessdate=2018-07-25}}、{{Cite news|url=https://web.archive.org/web/20180725214339/https://www.jiji.com/jc/article?k=2018072200270&g=spo|title=優勝の御嶽海が2敗目 名古屋場所千秋楽|newspaper=時事通信|date=2018-07-22|accessdate=2018-07-25}}</ref>、正式名称を使用する場合<ref>例として、{{Cite news|url=https://www.yomiuri.co.jp/sports/sumo/20180722-OYT1T50067.html|title=初優勝の御嶽海、豊山に敗れ2敗…豪栄道10勝|newspaper=読売新聞|date=2018-07-22|accessdate=2018-07-25}}。なお、読売新聞は紙面ではウェブサイトと異なり両名称を併記する場合がある。</ref>、両名称を併記する場合<ref>例として、{{Cite news|url=https://www.sankei.com/sports/news/180722/spo1807220020-n1.html|title=︻大相撲名古屋場所︼優勝の御嶽海は13勝2敗 来場所、大関へ挑戦|newspaper=産経新聞|date=2018-07-22|accessdate=2018-07-25}}</ref>に分かれている。近年の[[番付表]]では﹁エディオンアリーナ大阪﹂﹁ドルフィンズアリーナ﹂と記されている。
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七月場所については[[愛知県体育館]]の老朽化に伴い、2025年からは[[愛知国際アリーナ]]に会場を移転する予定<ref>{{Cite web|和書|title=◎25年本場所日程を発表=大相撲 |url=https://sp.m.jiji.com/article/show/2955469 |website=時事通信ニュース |access-date=2023-08-30 |language=ja}}</ref>。 |
七月場所については[[愛知県体育館]]の老朽化に伴い、2025年からは[[愛知国際アリーナ]]に会場を移転する予定<ref>{{Cite web|和書|title=◎25年本場所日程を発表=大相撲 |url=https://sp.m.jiji.com/article/show/2955469 |website=時事通信ニュース |access-date=2023-08-30 |language=ja}}</ref>。 |
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[[明治時代]]になると各地の相撲集団は法人化して個別の力士を抱えるようになり、[[大正時代]]には相撲集団は東京と大阪に収斂し、それぞれ常設の国技館で年2回興行、さらに合同でも興行するようになる。[[昭和時代]]になると東西協会が合同して日本相撲協会となり、戦後には大阪・名古屋・福岡でそれぞれ興行を行うようになって現在に至る。 |
[[明治時代]]になると各地の相撲集団は法人化して個別の力士を抱えるようになり、[[大正時代]]には相撲集団は東京と大阪に収斂し、それぞれ常設の国技館で年2回興行、さらに合同でも興行するようになる。[[昭和時代]]になると東西協会が合同して日本相撲協会となり、戦後には大阪・名古屋・福岡でそれぞれ興行を行うようになって現在に至る。 |
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1場所は江戸時代は晴天10日間興行だったが |
1場所は江戸時代から1909年︵明治42年︶1月場所までは晴天10日間興行だったが、1909年︵明治42年︶6月場所からは晴雨にかかわらず10日興行となり、昭和戦前から終戦直後の11日や13日等の時期を経て︵詳細は[[取組#概要]]を参照︶、現在は15日間連続で行われる。1日目は﹁初日︵しょにち︶﹂、8日目は﹁中日︵なかび︶﹂、最終日にあたる15日目は﹁[[千秋楽]]︵せんしゅうらく︶﹂と呼ばれる。初日は1場所15日制になって以降、[[昭和天皇]]崩御に伴い1日延期された[[1989年]]一月場所を除き、[[日曜日]]に設定されている。原則として初日は第2日曜日だが、3月・5月・9月・11月場所では日曜日が5週ある時は第3週から始まることもある。7月場所は夏巡業の期間確保のため6月から行われていたこともあり、現在も第1週から始まることがある。
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番付は各場所初日の約半月前に日本相撲協会より発表される。[[1970年]]頃に、年末年始を挟む一月場所を除いては初日の13日前の月曜日と定められた。ほかのスポーツ行事の少ない[[曜日]]を選んだということである。例外として一月場所の番付発表については、直前が年末年始の期間に当たるため近年は前年[[12月]]下旬頃に行われている<ref>{{Cite web|和書|url= |
番付は各場所初日の約半月前に日本相撲協会より発表される。[[1970年]]頃に、年末年始を挟む一月場所を除いては初日の13日前の月曜日と定められた。ほかのスポーツ行事の少ない[[曜日]]を選んだということである。例外として一月場所の番付発表については、直前が年末年始の期間に当たるため近年は前年[[12月]]下旬頃に行われている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sumo.or.jp/Kansen/year_schedule |title=本場所の年間日程表 |publisher=財団法人日本相撲協会 |accessdate=2017-03-03}}</ref>。 |
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{{See|本場所の一覧}} |
{{See|本場所の一覧}} |
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序ノ口、[[序二段]]、[[三段目]]、[[幕下]]と取組が進み、幕下の相撲が残り5番︵幕下上位五番︶になった時点で、[[十両]]力士の[[土俵入り]]が行われる。かつては幕下取組終了後に行われていたが、[[昭和]]40年代末の[[第一次オイルショック|オイルショック]]の際に光熱費節減のため、土俵入り後の休憩時間省略を目的に時間が変更された。この時点で14:20頃になる。その後十両の取組に入るが、初日と千秋楽は十両残り3番を残して日本相撲協会理事長からの挨拶︵協会御挨拶︶が入る。
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序ノ口、[[序二段]]、[[三段目]]、[[幕下]]と取組が進み、幕下の相撲が残り5番︵幕下上位五番︶になった時点で、[[十両]]力士の[[土俵入り]]が行われる。かつては幕下取組終了後に行われていたが、[[昭和]]40年代末の[[第一次オイルショック|オイルショック]]の際に光熱費節減のため、土俵入り後の休憩時間省略を目的に時間が変更された。この時点で14:20頃になる。その後十両の取組に入るが、初日と千秋楽は十両残り3番を残して日本相撲協会理事長からの挨拶︵協会御挨拶︶が入る。
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十両取組終了後の概ね15:50頃に[[幕内]]力士の土俵入り・[[横綱土俵入り]]が行われる。千秋楽では十両以下各段の優勝決定戦および優勝力士の表彰が行われる。土俵入り後は中入の休憩時間に入り、初日は[[賜杯]]・[[優勝旗]]返還式が行われる。また、1・5・9月場所初日では[[優勝額]]除幕式、1月場所初日では[[年間最優秀力士賞|年間最優秀力士]]の表彰式も行われる。2日目から |
十両取組終了後の概ね15:50頃に[[幕内]]力士の土俵入り・[[横綱土俵入り]]が行われる。千秋楽では十両以下各段の優勝決定戦および優勝力士の表彰が行われる。土俵入り後は中入の休憩時間に入り、初日は[[賜杯]]・[[優勝旗]]返還式が行われる。また、1・5・9月場所初日では[[優勝額]]除幕式、1月場所初日では[[年間最優秀力士賞|年間最優秀力士]]の表彰式も行われる。2日目から12日目まで︵以前は13日目・14日目にも行われていたが、14日目・千秋楽の取組編成は13日目・14日目の打ち出し後に行われるようになったため、時間的に不可能になっている。13日目の打ち出し後に14日目の取組編成を行うようになったのは2023年11月場所以降︶は、時間に余裕がある時は翌日の幕内取組を紹介する﹁顔触れ言上﹂が行われる。幕内取組が半分消化したところで、時間調節のための小休止がある︵17:00頃︶。
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幕内取組終了後に[[弓取式]]が行われ打出となり、1日の興行はすべて終了となる。時刻はこの時点で[[大相撲中継]]終了の18:00になるように調節されている。千秋楽は弓取式後に[[幕内最高優勝]]の表彰式(11月場所は[[年間最多勝]]表彰も、場所によっては先立って優勝決定戦)が行われるため、全日程が30分ほど繰り上がる。 |
幕内取組終了後に[[弓取式]]が行われ打出となり、1日の興行はすべて終了となる。時刻はこの時点で[[大相撲中継]]終了の18:00になるように調節されている。千秋楽は弓取式後に[[幕内最高優勝]]の表彰式(11月場所は[[年間最多勝]]表彰も、場所によっては先立って優勝決定戦)が行われるため、全日程が30分ほど繰り上がる。 |
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== 電光掲示板について == |
== 電光掲示板について == |
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大相撲の本場所における電光掲示板は、上下2段に四股名が入る欄があり、その上下に赤いランプがある |
大相撲の本場所における電光掲示板は、上下2段に四股名が入る欄があり、その上下に赤いランプがある。奇数日には上段に東方力士、下段に西方力士が、偶数日には逆に上段に西方力士、下段に東方力士が書かれる。電光掲示板には十両と幕内(中入後)(以前は幕下上位五番も)の取組が書かれ、最も左側には十両以上の休場力士の四股名が表示される。また近年では右側に決まり手も表示されるようになった。 |
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本場所の進行に伴う電光掲示板の表示の変化としては、十両最初の一番から赤いランプの点灯が始まり、これから取組を行う両力士の赤いランプが同時に点灯する。勝負が決まると、行司が勝ち名乗りの声を上げると共に、この取組の勝者の赤いランプが点灯したまま残り、敗者の赤いランプが消灯し、次の取組を行う両力士の赤いランプが同時に点灯する。十両最後の一番の終了時は敗者の赤いランプが消灯するだけとなり、ここから幕内土俵入り・横綱土俵入り・中入りを挟んで、幕内最初の取組を行う両力士が土俵に上がるときにその両力士の赤いランプが同時に点灯する。そして結びの一番の終了時も、敗者の赤いランプが消灯するだけとなる。 |
本場所の進行に伴う電光掲示板の表示の変化としては、十両最初の一番から赤いランプの点灯が始まり、これから取組を行う両力士の赤いランプが同時に点灯する。勝負が決まると、行司が勝ち名乗りの声を上げると共に、この取組の勝者の赤いランプが点灯したまま残り、敗者の赤いランプが消灯し、次の取組を行う両力士の赤いランプが同時に点灯する。十両最後の一番の終了時は敗者の赤いランプが消灯するだけとなり、ここから幕内土俵入り・横綱土俵入り・中入りを挟んで、幕内最初の取組を行う両力士が土俵に上がるときにその両力士の赤いランプが同時に点灯する。そして結びの一番の終了時も、敗者の赤いランプが消灯するだけとなる。 |
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電光掲示板を操作するのは[[世話人]]の仕事である。 |
電光掲示板の四股名等の文字を書くのは[[行司]]の仕事であり、手書きで書かれる。また電光掲示板を操作するのは[[世話人]]の仕事である。 |
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== かつて使われていた会場 == |
== かつて使われていた会場 == |
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: この場所絶対本命と目された北の富士が不振で14日目に休場。14日目を終え3人が4敗でトップに並ぶ混戦で千秋楽を迎えるも、4敗だった[[福の花孝一|福の花]]と[[琴櫻傑將|琴櫻]]が相次いで敗れ、結びで栃東が敗れると8人が5敗で並ぶ異常事態だったが、栃東は上手出し投げで清國を破り、15日制になってから最低となる11勝4敗の成績で幕内優勝を飾った。 |
: この場所絶対本命と目された北の富士が不振で14日目に休場。14日目を終え3人が4敗でトップに並ぶ混戦で千秋楽を迎えるも、4敗だった[[福の花孝一|福の花]]と[[琴櫻傑將|琴櫻]]が相次いで敗れ、結びで栃東が敗れると8人が5敗で並ぶ異常事態だったが、栃東は上手出し投げで清國を破り、15日制になってから最低となる11勝4敗の成績で幕内優勝を飾った。 |
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* [[1981年]]千秋楽 横綱[[北の湖敏満|北の湖]] - 関脇[[千代の富士貢|千代の富士]](優勝決定戦) |
* [[1981年]]千秋楽 横綱[[北の湖敏満|北の湖]] - 関脇[[千代の富士貢|千代の富士]](優勝決定戦) |
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:ウルフフィーバーの巻き起こった場所。14連勝の千代の富士を1敗で追う北の湖が吊り出しに破って決定戦に持ち込んだが、この時北の湖の左足首が悪いのを見破った千代の富士が[[上手出し投げ]]で決定戦を制し初優勝。大関昇進も果たす。 |
: ウルフフィーバーの巻き起こった場所。14連勝の千代の富士を1敗で追う北の湖が吊り出しに破って決定戦に持ち込んだが、この時北の湖の左足首が悪いのを見破った千代の富士が[[上手出し投げ]]で決定戦を制し初優勝。大関昇進も果たす。 |
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* [[2015年]]13日目 横綱[[白鵬翔|白鵬]] - 大関[[稀勢の里寛|稀勢の里]] |
* [[2015年]]13日目 横綱[[白鵬翔|白鵬]] - 大関[[稀勢の里寛|稀勢の里]] |
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:この前の取り組みで、[[日馬富士公平|日馬富士]]が敗れ、白鵬がこの取り組みに勝てば、大相撲の日本新記録となる33回の優勝が決まる一番だったが、本割では両者同体となり、物言い・協議の上取り直し。その取り直しで白鵬が勝ち、日本新記録の33回優勝が決定した。白鵬はこの場所を15連勝の全勝で、新記録達成に花を添えた。 |
: この前の取り組みで、[[日馬富士公平|日馬富士]]が敗れ、白鵬がこの取り組みに勝てば、大相撲の日本新記録となる33回の優勝が決まる一番だったが、本割では両者同体となり、物言い・協議の上取り直し。その取り直しで白鵬が勝ち、日本新記録の33回優勝が決定した。白鵬はこの場所を15連勝の全勝で、新記録達成に花を添えた。 |
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=== 3月場所(春場所) === |
=== 3月場所(春場所) === |
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: 45連勝中だった大鵬を新鋭戸田が破り大金星を挙げるが、実際は戸田の右足が先に土俵を割っていた。この一番は「世紀の大誤審」と呼ばれ、のちに勝負判定にビデオを導入するきっかけとなった。 |
: 45連勝中だった大鵬を新鋭戸田が破り大金星を挙げるが、実際は戸田の右足が先に土俵を割っていた。この一番は「世紀の大誤審」と呼ばれ、のちに勝負判定にビデオを導入するきっかけとなった。 |
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* [[1975年]]千秋楽 横綱北の湖 - 大関貴ノ花(優勝決定戦) |
* [[1975年]]千秋楽 横綱北の湖 - 大関貴ノ花(優勝決定戦) |
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:本割で北の湖に敗れた貴ノ花が、決定戦では寄り切りで北の湖を破り初優勝。この時期の北の湖は優勝決定戦に弱く、同年の秋場所でも貴ノ花に敗れ、決定戦4連敗となった、 |
: 本割で北の湖に敗れた貴ノ花が、決定戦では寄り切りで北の湖を破り初優勝。この時期の北の湖は優勝決定戦に弱く、同年の秋場所でも貴ノ花に敗れ、決定戦4連敗となった、 |
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* [[1978年]]7日目 大関[[旭國斗雄|旭國]] - 前頭4枚目[[魁傑将晃|魁傑]] |
* [[1978年]]7日目 大関[[旭國斗雄|旭國]] - 前頭4枚目[[魁傑将晃|魁傑]] |
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: 水入り10分後、結びの一番の後に取り直しを行い、計11分に渡る熱戦の末魁傑が掬い投げで勝利。打ち出しは18時20分。魁傑は前日にも大関[[若乃花幹士 (2代)|若三杉]]と水入りの一番を取っている。
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: 水入り10分後、結びの一番の後に取り直しを行い、計11分に渡る熱戦の末魁傑が掬い投げで勝利。打ち出しは18時20分。魁傑は前日にも大関[[若乃花幹士 (2代)|若三杉]]と水入りの一番を取っている。
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* 2011年は前場所の開催中止に引き続き八百長問題の影響で、通常の興行としてではなく[[技量審査場所]]として開催された(成績は正式記録として残る)。この場所は無料公開され、NHKはこの場所の生中継を行わず、総合テレビと衛星放送でのダイジェスト放送も行わない(ニュースでの報道は行う)。優勝額もなし。一方で[[ニコニコ生放送]]・[[ひかりTV]]等のネット配信で、前相撲から結びの一番まで完全生放送が行われた(詳しくは[[技量審査場所]]を参照)。 |
* 2011年は前場所の開催中止に引き続き八百長問題の影響で、通常の興行としてではなく[[技量審査場所]]として開催された(成績は正式記録として残る)。この場所は無料公開され、NHKはこの場所の生中継を行わず、総合テレビと衛星放送でのダイジェスト放送も行わない(ニュースでの報道は行う)。優勝額もなし。一方で[[ニコニコ生放送]]・[[ひかりTV]]等のネット配信で、前相撲から結びの一番まで完全生放送が行われた(詳しくは[[技量審査場所]]を参照)。 |
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* [[2012年]]は、関脇[[鶴竜力三郎|鶴竜]]の大関昇進で1横綱6大関時代と話題になったが、[[前頭]]7枚目の[[旭天鵬勝|旭天鵬]]が同4枚目[[栃煌山雄一郎|栃煌山]]との史上初の[[平幕]]同士の[[優勝決定戦 (相撲)|優勝決定戦]]を制すると同時に初優勝の最年長記録を更新した。 |
* [[2012年]]は、関脇[[鶴竜力三郎|鶴竜]]の大関昇進で1横綱6大関時代と話題になったが、[[前頭]]7枚目の[[旭天鵬勝|旭天鵬]]が同4枚目[[栃煌山雄一郎|栃煌山]]との史上初の[[平幕]]同士の[[優勝決定戦 (相撲)|優勝決定戦]]を制すると同時に初優勝の最年長記録を更新した。 |
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*[[令和]]最初の大相撲開催となった[[2019年]]は千秋楽に[[要人|国賓]]として来日していた[[アメリカ合衆国大統領]]の[[ドナルド・トランプ]]が国技館に来場し、[[メラニア・トランプ]]夫人や[[安倍晋三]][[内閣総理大臣]]、[[安倍昭恵]]夫人と共に相撲を観戦。幕内優勝力士となった[[朝乃山英樹|朝乃山]]に特別杯「アメリカ合衆国大統領杯」を贈呈した<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20190526142645/https://www.jiji.com/jc/article?k=2019052600260&g=pol|title=日米首脳、大相撲を観戦=トランプ氏が大統領杯授与|accessdate=2019年6月2日|publisher=時事通信(2019年5月26日作成)}}</ref>。なお、この大統領杯は来年以降も夏場所の幕内最高優勝力士に贈呈する予定となっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/05/27/kiji/20190526s00005000538000c.html|title=来年以降の夏場所も米大統領杯授与へ 力士に大きな励み|accessdate=2019年6月2日|publisher=スポーツニッポン(2019年5月27日作成)}}</ref>。 |
* [[令和]]最初の大相撲開催となった[[2019年]]は千秋楽に[[要人|国賓]]として来日していた[[アメリカ合衆国大統領]]の[[ドナルド・トランプ]]が国技館に来場し、[[メラニア・トランプ]]夫人や[[安倍晋三]][[内閣総理大臣]]、[[安倍昭恵]]夫人と共に相撲を観戦。幕内優勝力士となった[[朝乃山英樹|朝乃山]]に特別杯「アメリカ合衆国大統領杯」を贈呈した<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20190526142645/https://www.jiji.com/jc/article?k=2019052600260&g=pol|title=日米首脳、大相撲を観戦=トランプ氏が大統領杯授与|accessdate=2019年6月2日|publisher=時事通信(2019年5月26日作成)}}</ref>。なお、この大統領杯は来年以降も夏場所の幕内最高優勝力士に贈呈する予定となっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/05/27/kiji/20190526s00005000538000c.html|title=来年以降の夏場所も米大統領杯授与へ 力士に大きな励み|accessdate=2019年6月2日|publisher=スポーツニッポン(2019年5月27日作成)}}</ref>。 |
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* 2020年は、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため当初は日程を2週間遅らせることとして、その日程で番付も発表されたが、その後緊急事態宣言の延長を受けて開催中止を決定<ref name="release20200504">{{Cite press release|和書|url= |
* 2020年は、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため当初は日程を2週間遅らせることとして、その日程で番付も発表されたが、その後緊急事態宣言の延長を受けて開催中止を決定<ref name="release20200504">{{Cite press release|和書|url=https://www.sumo.or.jp/IrohaKyokaiInformation/detail?id=364|title=理事会発表事項|publisher=公益財団法人日本相撲協会|date=2020-05-04|accessdate=2020-05-04}}</ref>。本場所の中止は1946年(昭和21年)夏場所、2011年(平成23年)春場所に続き3回目<ref name="sankei20200504">{{Cite news|url=https://www.sankei.com/article/20200504-YJFPIWN6DFJ3DHM7FGDRIC5OMU/|title=夏場所中止、7月の名古屋場所は東京で無観客開催へ 日本相撲協会|newspaper=産経新聞|date=2020-05-04|accessdate=2020-05-04}}</ref>。 |
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; 名勝負 |
; 名勝負 |
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* [[1938年]]千秋楽 横綱双葉山 - 横綱玉錦 |
* [[1938年]]千秋楽 横綱双葉山 - 横綱玉錦 |
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: ここまで65連勝中の双葉山に対し玉錦が執念を見せ水入りの熱戦となるが、最後は双葉山が寄り倒した。玉錦はこの年の12月に急逝し、これが現役最後の一番となった。 |
: ここまで65連勝中の双葉山に対し玉錦が執念を見せ水入りの熱戦となるが、最後は双葉山が寄り倒した。玉錦はこの年の12月に急逝し、これが現役最後の一番となった。 |
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* [[1940年]]11日目 横綱双葉山 - 関脇[[五ツ嶋名良男|五ツ嶋]] |
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: この日とったりで敗れ4敗目を喫した双葉山は取組後に「信念の歯車が狂った」と発言し引退を示唆、その後引退は撤回したものの翌日より休場した。一方前場所に続き双葉山を破った五ツ嶋はこの場所、優勝した安藝ノ海に次ぐ13勝を挙げ、場所後に安藝ノ海と共に大関に昇進したのだが… |
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* [[1941年]]千秋楽 大関五ツ嶋 - 関脇[[照國萬藏|照國]] |
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: 新大関で迎えた前場所を両膝の故障で途中休場し、いきなり角番を迎えた五ツ嶋は9日目まで2敗も10日目から5連敗で7勝7敗となり、千秋楽に照國と対戦。寄り切りで勝った照國が入幕5場所で当時の最年少記録となる大関昇進を決めたのに対し、五ツ嶋は史上最短となる在位2場所で大関から陥落すると、翌場所も全休し、そのまま廃業してしまった。 |
: 新大関で迎えた前場所を両膝の故障で途中休場し、いきなり角番を迎えた五ツ嶋は9日目まで2敗も10日目から5連敗で7勝7敗となり、千秋楽に照國と対戦。寄り切りで勝った照國が入幕5場所で当時の最年少記録となる大関昇進を決めたのに対し、五ツ嶋は史上最短となる在位2場所で大関から陥落すると、翌場所も全休し、そのまま廃業してしまった。 |
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* [[1942年]]14日目 横綱双葉山 - 大関照國 |
* [[1942年]]14日目 横綱双葉山 - 大関照國 |
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* [[1975年]]8日目 小結[[麒麟児和春|麒麟児]] - 前頭筆頭[[富士櫻栄守|富士櫻]] |
* [[1975年]]8日目 小結[[麒麟児和春|麒麟児]] - 前頭筆頭[[富士櫻栄守|富士櫻]] |
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: 天覧相撲に組まれたこの一番で、両者は27秒に渡り計54発の突っ張り合いを展開した。 |
: 天覧相撲に組まれたこの一番で、両者は27秒に渡り計54発の突っ張り合いを展開した。 |
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* [[1986年]]8日目 大関[[北尾光司|北尾]] - 関脇[[小錦八十吉 (6代)|小錦]] |
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: 取り直しの一番で当時約150キロの北尾が全体重を預けて小錦を鯖折りで下す。小錦は自らの230キロの体重も加わって右膝を痛め、その後の力士人生に大きく影を落とす重傷となった。 |
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* [[1988年]]初日 前頭7枚目[[霧島一博|霧島]] - 前頭8枚目[[水戸泉政人|水戸泉]] |
* [[1988年]]初日 前頭7枚目[[霧島一博|霧島]] - 前頭8枚目[[水戸泉政人|水戸泉]] |
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: いずれもうっちゃりで3度も取り直しとなり、最後は水戸泉がまたもうっちゃりを狙う霧島を寄り倒し、4回目で決着が付いた。 |
: いずれもうっちゃりで3度も取り直しとなり、最後は水戸泉がまたもうっちゃりを狙う霧島を寄り倒し、4回目で決着が付いた。 |
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=== 7月場所(名古屋場所) === |
=== 7月場所(名古屋場所) === |
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[[画像:Oozumo_nagoya01.jpg|thumb|200px|right|平成21年大相撲名古屋場所開催中の模様。画面右上に中日新聞社社旗が見える。午前中の撮影につき観客はまばらである。(撮影日2009.07. |
[[画像:Oozumo_nagoya01.jpg|thumb|200px|right|平成21年大相撲名古屋場所開催中の模様。画面右上に中日新聞社社旗が見える。午前中の撮影につき観客はまばらである。(撮影日2009.07.14)]] |
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* 本場所となったのは[[1958年]]で、6場所の中では一番後である。 |
* 本場所となったのは[[1958年]]で、6場所の中では一番後である。 |
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* [[日本相撲協会]]と[[中日新聞社]]の共催となっている。九州場所が相撲協会の完全自主興行に移行した1974年以降(後述)、相撲協会以外の団体が本場所の主催元になっているのは名古屋場所だけである。中日新聞社関連では以下の特記事項がある。 |
* [[日本相撲協会]]と[[中日新聞社]]の共催となっている。九州場所が相撲協会の完全自主興行に移行した1974年以降(後述)、相撲協会以外の団体が本場所の主催元になっているのは名古屋場所だけである。中日新聞社関連では以下の特記事項がある。 |
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* 2010年は[[大相撲野球賭博問題]]の為[[日本放送協会|NHK]]の生中継が中止となり(ダイジェスト版のみ放送)、協会が外部からの表彰を辞退した為表彰式は優勝旗と賞状のみとなった。 |
* 2010年は[[大相撲野球賭博問題]]の為[[日本放送協会|NHK]]の生中継が中止となり(ダイジェスト版のみ放送)、協会が外部からの表彰を辞退した為表彰式は優勝旗と賞状のみとなった。 |
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* 2020年は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、大人数での移動を避けるため、名古屋での開催を取りやめ、特別に東京の両国国技館での開催となった{{R|release20200504}}{{R|sankei20200504}}。初日は従来より2週間遅い[[7月19日]]で、千秋楽は[[8月2日]]となり、1965年7月場所以来に本場所が月をまたぐこととなった。当初無観客での開催を予定していたものの、観客を入れてのイベント制限が緩和されたことで2500人程度の観客を入れて開催が行われている。主催については、通常通り中日新聞社との共催で行われ<ref>[https://www.chunichi.co.jp/article/91216 19日に大相撲7月場所初日 名古屋から離れても…] - 中日新聞、2020年7月19日 5時00分配信、5時01分更新。</ref>、報道などでも正式名の「七月場所」が使用された。 |
* 2020年は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、大人数での移動を避けるため、名古屋での開催を取りやめ、特別に東京の両国国技館での開催となった{{R|release20200504}}{{R|sankei20200504}}。初日は従来より2週間遅い[[7月19日]]で、千秋楽は[[8月2日]]となり、1965年7月場所以来に本場所が月をまたぐこととなった。当初無観客での開催を予定していたものの、観客を入れてのイベント制限が緩和されたことで2500人程度の観客を入れて開催が行われている。主催については、通常通り中日新聞社との共催で行われ<ref>[https://www.chunichi.co.jp/article/91216 19日に大相撲7月場所初日 名古屋から離れても…] - 中日新聞、2020年7月19日 5時00分配信、5時01分更新。</ref>、報道などでも正式名の「七月場所」が使用された。 |
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*[[2021年]]は[[2020年東京オリンピック|五輪]]開催に伴い第1日曜日([[7月4日]])が初日となった。 |
* [[2021年]]は[[2020年東京オリンピック|五輪]]開催に伴い第1日曜日([[7月4日]])が初日となった。 |
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*[[2022年]]は新型コロナウイルスの影響により休場者が相次ぎ、千秋楽までに全力士の3割が休場(同じ部屋の力士が陽性認定されたことに伴う者も含む)し、幕内42名中16名が休場(怪我人1名を含む)した<ref>[https://web.archive.org/web/20220801015514/https://nordot.app/926615722008739840 大相撲コロナ休場続出の異常事態 番付に影響、運営に課題も] - 共同通信、2022年8月1日 8時22分配信、10時26分更新。</ref>。 |
* [[2022年]]は新型コロナウイルスの影響により休場者が相次ぎ、千秋楽までに全力士の3割が休場(同じ部屋の力士が陽性認定されたことに伴う者も含む)し、幕内42名中16名が休場(怪我人1名を含む)した<ref>[https://web.archive.org/web/20220801015514/https://nordot.app/926615722008739840 大相撲コロナ休場続出の異常事態 番付に影響、運営に課題も] - 共同通信、2022年8月1日 8時22分配信、10時26分更新。</ref>。 |
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*2025年からは会場を[[愛知国際アリーナ]]に移す予定。 |
* 2025年からは会場を[[愛知国際アリーナ|IGアリーナ]]に移す予定。 |
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; 名勝負 |
; 名勝負 |
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* [[1983年]]千秋楽 横綱千代の富士 - 横綱[[隆の里俊英|隆の里]] |
* [[1983年]]千秋楽 横綱千代の富士 - 横綱[[隆の里俊英|隆の里]] |
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: 史上4度目となる全勝同士での楽日決戦は隆の里が吊り出しで勝利し、隆の里は双葉山以来となる新横綱での全勝優勝を達成した。 |
: 史上4度目となる全勝同士での楽日決戦は隆の里が吊り出しで勝利し、隆の里は双葉山以来となる新横綱での全勝優勝を達成した。 |
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* [[1984年]]11日目 前頭6枚目 |
* [[1984年]]11日目 前頭6枚目小錦 - 横綱隆の里 |
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* 1984年12日目 大関[[若嶋津六夫|若嶋津]] - 前頭6枚目小錦 |
* 1984年12日目 大関[[若嶋津六夫|若嶋津]] - 前頭6枚目小錦 |
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* 1984年13日目 前頭6枚目小錦 - 関脇[[大乃国康|大乃国]] |
* 1984年13日目 前頭6枚目小錦 - 関脇[[大乃国康|大乃国]] |
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* [[週刊少年ジャンプ]](集英社)が2014年九州場所の懸賞として掲出され、話題となった。 |
* [[週刊少年ジャンプ]](集英社)が2014年九州場所の懸賞として掲出され、話題となった。 |
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* 九州場所が開催される「福岡国際センター」は、地方3本場所の中でもチケットが売れ残る状態が長く続いていたが、2017年(平成29年)の場所で久しぶりに前売りが完売。 |
* 九州場所が開催される「福岡国際センター」は、地方3本場所の中でもチケットが売れ残る状態が長く続いていたが、2017年(平成29年)の場所で久しぶりに前売りが完売。 |
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* 集客が悪い状態が長年続いており、「不入の場所」とよく言われており満員御礼の連続記録が途切れるのも九州場所が多い。主な原因として九州には[[相撲茶屋]]が無く、チケット手配は「大相撲売店」と呼ばれる商店とプレイガイド委託による販売が主でありそれに伴う大手の顧客、贔屓筋が無いのも要因である。時期的にも一年の締めくくりであるがゆえにこの一年の相撲人気、または優勝争いの行方が売上に直接影響する場所でもある。<ref>[ |
* 集客が悪い状態が長年続いており、「不入の場所」とよく言われており満員御礼の連続記録が途切れるのも九州場所が多い。主な原因として九州には[[相撲茶屋]]が無く、チケット手配は「大相撲売店」と呼ばれる商店とプレイガイド委託による販売が主でありそれに伴う大手の顧客、贔屓筋が無いのも要因である。時期的にも一年の締めくくりであるがゆえにこの一年の相撲人気、または優勝争いの行方が売上に直接影響する場所でもある。<ref>[https://number.bunshun.jp/articles/-/291893 不入りが続く九州場所。その打開策はあるのか?~販売力改善と、土俵内の充実を~] - 2015年1月14日閲覧。</ref> |
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* 2020年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、大人数での移動を避けるため、福岡での開催を取りやめ、特別に東京の両国国技館での開催となり、マスコミ報道などでの通称も正式名称と同じ「十一月場所」が使用された。 |
* 2020年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、大人数での移動を避けるため、福岡での開催を取りやめ、特別に東京の両国国技館での開催となり、マスコミ報道などでの通称も正式名称と同じ「十一月場所」が使用された。 |
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<!--*近年<!--2014年以降-->は[[福岡マラソン]]<!--国際マラソンとは違う方-->の開催日を同場所の初日にするなど、福岡市内全体で(相撲・マラソン両方の)盛り上げに躍起である。--> |
<!--* 近年<!--2014年以降-->は[[福岡マラソン]]<!--国際マラソンとは違う方-->の開催日を同場所の初日にするなど、福岡市内全体で(相撲・マラソン両方の)盛り上げに躍起である。--> |
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; 名勝負 |
; 名勝負 |
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* [[1945年]]千秋楽 前頭10枚目[[千代の山雅信|千代ノ山]] - 前頭17枚目[[大ノ海久光|大ノ海]] |
* [[1945年]]千秋楽 前頭10枚目[[千代の山雅信|千代ノ山]] - 前頭17枚目[[大ノ海久光|大ノ海]] |
2024年5月29日 (水) 08:08時点における最新版
概要[編集]
1958年︵昭和33年︶以降は年6回の興行で固定されている︵下表︶。開催地の命名権名称は2018年︵平成30年︶時点のもの。開催月 | 正式名称[注釈 1] | 通称 | 会場 | 開催地 | 初日 | 定員 |
---|---|---|---|---|---|---|
1月 | 一月場所 | 初場所 | 両国国技館 | 東京都墨田区 | 第1もしくは 第2日曜日 |
10816人(2016年) |
3月 | 三月場所 | 春場所 大阪場所 |
エディオンアリーナ大阪 (大阪府立体育会館) |
大阪府大阪市浪速区 | 第2もしくは 第3日曜日 |
7414人(2018年) |
5月 | 五月場所 | 夏場所 | 両国国技館 | 東京都墨田区 | 第1もしくは 第2日曜日 | |
7月 | 七月場所 | 名古屋場所 | ドルフィンズアリーナ (愛知県体育館) |
愛知県名古屋市中区 | 第1もしくは 第2日曜日 |
7448人(2022年) |
9月 | 九月場所 | 秋場所 | 両国国技館 | 東京都墨田区 | 第1もしくは 第2日曜日 |
|
11月 | 十一月場所 | 九州場所 | 福岡国際センター | 福岡県福岡市博多区 | 第1もしくは 第2日曜日 |
6976人(2022年) |
-
両国国技館
-
エディオンアリーナ大阪
(大阪府立体育会館) -
ドルフィンズアリーナ
(愛知県体育館) -
福岡国際センター
本場所の進行[編集]
本場所は毎日8:00頃、呼出が会場前に設営された高櫓から打ち出す寄せ太鼓で始まる。この後序ノ口から順番に取組が始まるが、3日目︵新弟子が多い3月場所は2日目から︶から中盤にかけては、その前に前相撲が行われる。 序ノ口、序二段、三段目、幕下と取組が進み、幕下の相撲が残り5番︵幕下上位五番︶になった時点で、十両力士の土俵入りが行われる。かつては幕下取組終了後に行われていたが、昭和40年代末のオイルショックの際に光熱費節減のため、土俵入り後の休憩時間省略を目的に時間が変更された。この時点で14:20頃になる。その後十両の取組に入るが、初日と千秋楽は十両残り3番を残して日本相撲協会理事長からの挨拶︵協会御挨拶︶が入る。 十両取組終了後の概ね15:50頃に幕内力士の土俵入り・横綱土俵入りが行われる。千秋楽では十両以下各段の優勝決定戦および優勝力士の表彰が行われる。土俵入り後は中入の休憩時間に入り、初日は賜杯・優勝旗返還式が行われる。また、1・5・9月場所初日では優勝額除幕式、1月場所初日では年間最優秀力士の表彰式も行われる。2日目から12日目まで︵以前は13日目・14日目にも行われていたが、14日目・千秋楽の取組編成は13日目・14日目の打ち出し後に行われるようになったため、時間的に不可能になっている。13日目の打ち出し後に14日目の取組編成を行うようになったのは2023年11月場所以降︶は、時間に余裕がある時は翌日の幕内取組を紹介する﹁顔触れ言上﹂が行われる。幕内取組が半分消化したところで、時間調節のための小休止がある︵17:00頃︶。 幕内取組終了後に弓取式が行われ打出となり、1日の興行はすべて終了となる。時刻はこの時点で大相撲中継終了の18:00になるように調節されている。千秋楽は弓取式後に幕内最高優勝の表彰式︵11月場所は年間最多勝表彰も、場所によっては先立って優勝決定戦︶が行われるため、全日程が30分ほど繰り上がる。電光掲示板について[編集]
大相撲の本場所における電光掲示板は、上下2段に四股名が入る欄があり、その上下に赤いランプがある。奇数日には上段に東方力士、下段に西方力士が、偶数日には逆に上段に西方力士、下段に東方力士が書かれる。電光掲示板には十両と幕内︵中入後︶︵以前は幕下上位五番も︶の取組が書かれ、最も左側には十両以上の休場力士の四股名が表示される。また近年では右側に決まり手も表示されるようになった。 本場所の進行に伴う電光掲示板の表示の変化としては、十両最初の一番から赤いランプの点灯が始まり、これから取組を行う両力士の赤いランプが同時に点灯する。勝負が決まると、行司が勝ち名乗りの声を上げると共に、この取組の勝者の赤いランプが点灯したまま残り、敗者の赤いランプが消灯し、次の取組を行う両力士の赤いランプが同時に点灯する。十両最後の一番の終了時は敗者の赤いランプが消灯するだけとなり、ここから幕内土俵入り・横綱土俵入り・中入りを挟んで、幕内最初の取組を行う両力士が土俵に上がるときにその両力士の赤いランプが同時に点灯する。そして結びの一番の終了時も、敗者の赤いランプが消灯するだけとなる。 電光掲示板の四股名等の文字を書くのは行司の仕事であり、手書きで書かれる。また電光掲示板を操作するのは世話人の仕事である。かつて使われていた会場[編集]
●東京 - 蔵前国技館︵1950年~1984年 1954年落成するまでは仮設国技館だった︶ ●大阪 - 大阪国技館、︵旧︶大阪市中央体育館︵1986年に、大阪府立体育会館の全面改修工事のために1度だけ開催された︶ ●名古屋 - 名古屋市金山体育館︵1958年~1964年 ﹁会場は飛行機の格納庫を改造して建設されたが、空調がなかったため、室内でも猛暑の中で開かれ、支度部屋には氷柱が置かれ、中入りの時には場内に酸素の放出が行われた﹂と記録にある︶ ●福岡 - 福岡スポーツセンター︵1957年~1973年︶、九州電力記念体育館︵1974年~1980年︶[10] 1909年6月場所以前は回向院での晴天時興行の形を取っており、雨天中止となった場合その後2日続けて晴天とならなければ開始できない規則となっていた。 戦前は戦時戦後の一時期を除き旧両国国技館が使われ、1927年から1932年までの地方本場所は大阪市・京都市・名古屋市・福岡市・広島市で開催の実績がある。第二次世界大戦中には軍による接収、空襲による被災、そして戦後アメリカ軍による接収で国技館が使用できずに後楽園球場︵番付上の表記は﹁小石川後樂園球場﹂︶や神宮外苑相撲場等で晴天時限定で開催、その後仮設国技館︵当時の表記は﹁假設國技館﹂︶時代を経て蔵前仮設国技館へと本場所開催地を移した。場所ごとの逸話など[編集]
1月場所︵初場所︶[編集]
●古くは1月場所は﹁春場所﹂と呼ばれた。1953年に大阪場所が出来て年4場所制となった時には1月場所は﹁初場所﹂か﹁春場所﹂かで協会発表に混乱があり、騒動になった。後で当時責任者だった年寄楯山︵元幡瀬川︶の明かしたところでは、マスコミを利用した話題づくりだった。 ●この場所で大関や横綱への昇進を果たした力士は多く、﹁祝儀場所﹂の異名もある。 ●中日8日目は天覧相撲になることが多い。特に平成31年初場所8日目における平成最後の天覧相撲において明仁天皇、美智子皇后︵いずれも当時︶が退席するときに、自然発生的に観衆による万歳が行われた。 ●1989年の初場所︵=平成最初の場所︶は1月8日︵日曜日︶に初日の予定であったが、昭和天皇の崩御の関係で翌日の1月9日︵月曜日︶に変更。初日が日曜日以外の曜日に行われたのは戦後の15日制復活後、初めてのことであった。 ●マーガレットコミックス﹃ベルサイユのばら第13巻﹄︵集英社︶が2017年初場所の懸賞として掲出し、話題となった。 ●2016年の琴奨菊から2021年の大栄翔まで6年連続で初優勝が続いていた。2022年は優勝経験のある御嶽海が優勝し、初優勝が続いたのは6年で止まった。 名勝負 ●1933年8日目 関脇沖ツ海 - 別席男女ノ川 前年の春秋園事件で協会を脱退した力士の多くがこの場所に帰参してきたため、協会は通常の番付とは別に帰参力士のために﹁別席﹂の枠を設けたが、そのうちの一人である男女ノ川が横綱玉錦や大関武蔵山を破りただ一人全勝の快進撃。8日目に対戦した沖ツ海は付け人に﹁今日は戸板を持って迎えに来い﹂と命じるなど相当の覚悟で臨んだが、男女ノ川はそれを退け、そのまま11戦全勝で初優勝。 ●1939年4日目 横綱双葉山 - 前頭4枚目安藝ノ海 入幕2場所目の新鋭安藝ノ海が双葉山を外掛けで下し、双葉山の連勝が69で止まった。 ●1960年12日目 小結柏戸 - 前頭13枚目大鵬 新入幕で連勝する大鵬に、小結柏戸が﹁止め男﹂として当てられた柏鵬初顔合わせ。後の柏鵬戦とは逆に攻めまくる大鵬を、柏戸が逆転の出し投げで下した。 ●1964年千秋楽 関脇大豪 - 前頭13枚目清國 入幕2場所目の清國が14日目を終えて大鵬と共に14戦全勝の快進撃。同期の大鵬との優勝決定戦の期待がかかる中で千秋楽に大豪と対戦するも敗れ、結びで大鵬が柏戸に勝ったため優勝はならなかった。この場所綱取りがかかった大関栃ノ海は13勝2敗で優勝次点にもならなかったが、場所後に49代横綱に推挙された。 ●1965年初日 横綱大鵬 - 小結玉乃島 この場所から﹁部屋別総当たり制﹂が導入され、その初日の結びに同じ一門の大鵬と新小結玉乃島が初めて対戦し、玉乃島が内掛けで大鵬を破る波乱の幕開けとなった。 ●1971年千秋楽 横綱玉の海 - 横綱大鵬︵優勝決定戦︶ 3場所連続で全勝で千秋楽を迎え、この場所こそ全勝優勝を目指した玉の海を大鵬が寄り切りで破り1敗で並ぶと、優勝決定戦では水入りの熱戦の末、再び大鵬が寄り切り、最後となる32回目の優勝。一方全勝どころか優勝を逃した玉の海は、その日の深夜に神宮外苑でランニングしているところを、部屋の打ち上げから帰宅途中の小結貴ノ花が目撃し、横綱の姿を見て自身の不甲斐なさを反省した。 ●1972年8日目 横綱北の富士 - 関脇貴ノ花 北の富士の外掛けを貴ノ花が爪先立ちで弓なりの体勢でうっちゃりを狙い、北の富士の右手が先についた。行司軍配は貴ノ花に上がったが、物言いの結果北の富士の右手は﹁かばい手﹂とみなされ、軍配差し違えで北の富士の勝ちとなった。貴ノ花の勝ちを主張した25代木村庄之助は責任を取り退職。 ●1972年千秋楽 前頭5枚目栃東 - 大関清國 この場所絶対本命と目された北の富士が不振で14日目に休場。14日目を終え3人が4敗でトップに並ぶ混戦で千秋楽を迎えるも、4敗だった福の花と琴櫻が相次いで敗れ、結びで栃東が敗れると8人が5敗で並ぶ異常事態だったが、栃東は上手出し投げで清國を破り、15日制になってから最低となる11勝4敗の成績で幕内優勝を飾った。 ●1981年千秋楽 横綱北の湖 - 関脇千代の富士︵優勝決定戦︶ ウルフフィーバーの巻き起こった場所。14連勝の千代の富士を1敗で追う北の湖が吊り出しに破って決定戦に持ち込んだが、この時北の湖の左足首が悪いのを見破った千代の富士が上手出し投げで決定戦を制し初優勝。大関昇進も果たす。 ●2015年13日目 横綱白鵬 - 大関稀勢の里 この前の取り組みで、日馬富士が敗れ、白鵬がこの取り組みに勝てば、大相撲の日本新記録となる33回の優勝が決まる一番だったが、本割では両者同体となり、物言い・協議の上取り直し。その取り直しで白鵬が勝ち、日本新記録の33回優勝が決定した。白鵬はこの場所を15連勝の全勝で、新記録達成に花を添えた。3月場所︵春場所︶[編集]
●呼称については1月場所も参照。 ●地元大阪を中心にほかの地方場所と同じく﹁大阪場所﹂の名称を使用することもあり、中継を行うメディアにおいてはAbemaTVが﹁大阪場所﹂を主に名称に使っている。 ●1973年に中学生力士が禁止されて以降、中学卒業見込みの入門者が多い関係で6場所の中で最も初土俵を踏む新弟子が多く、﹁就職場所﹂の異名がある[11]。平成以降では1992年の151人が最多、2000年代に入ってからは100人を超えない年が続いている。 ●﹁荒れる春場所﹂と呼ばれ[12]、番付上位が負けるいわゆる波乱の結果が多いとされる。 ●もともと大阪には大坂相撲の歴史があって相撲人気の根強い土地であり、毎年大いに盛り上がる場所である。 ●3代目朝潮がこの場所で強く1956年から3連覇するなど通算5回の優勝のうち4回を大阪で達成、﹁大阪太郎﹂と呼ばれた。他に北勝海が通算8回優勝のうち4回が大阪での優勝。 ●初の女性大阪府知事となった太田房江が在任中に幾度となく﹁大阪府知事賞の贈呈を自らの手で贈りたい﹂と土俵上は女人禁制と決めている協会と悶着を起こし、ファンや国民の間で議論を呼んだ。 ●2011年の開催は、力士の八百長メール問題の外部委員会調査に時間がかかることと、世論動向から不祥事による初の開催中止となった。 ●2014年は場所期間中に、大阪市長選挙が執行された︵告示が初日、投票日が千秋楽と同じ︶ため、﹁もう一つの春場所﹂とも言われ、︵優勝力士に贈られる︶市長賞が職務代行者によって贈られた。 ●2020年の開催は、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため無観客で開催。本場所が一般公開されないのは戦時中に傷病軍人を招待して開かれた1945年6月の夏場所以来75年ぶりで、観客を一切入れない興業は初︵テレビ中継があったので﹁完全非公開﹂ではない︶。 ●2021年の開催は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、大人数での移動を避けるため、大阪での開催を取りやめ、特別に東京の両国国技館での開催となった。 名勝負 ●1960年千秋楽 横綱栃錦 - 横綱若乃花 史上初めて、全勝力士同士が千秋楽結びの一番で優勝を争う形になった。栃錦が無理にまわしをきりにいったところを若乃花が一気に寄り、自身初の全勝優勝。栃若最後の一番にもなった。 ●1967年14日目 大関北の冨士 - 横綱佐田の山 九重親方が北の冨士らを連れて出羽海部屋から独立し、出羽一門を破門されて迎えた最初の場所で、ここまで1敗の北の冨士が部屋の先輩だった佐田の山と初対戦。取り直しの末勝利した北の冨士は千秋楽も柏戸を破り初優勝、大鵬の7連覇を阻止した。 ●1968年4日目 横綱佐田の山 - 前頭4枚目高見山 ハワイ出身で入幕2場所目の高見山がここまで2連覇中の佐田の山を突き出しで破り初金星。佐田の山はこの2日後に突然現役を引退。 ●1969年2日目 横綱大鵬 - 前頭筆頭戸田 45連勝中だった大鵬を新鋭戸田が破り大金星を挙げるが、実際は戸田の右足が先に土俵を割っていた。この一番は﹁世紀の大誤審﹂と呼ばれ、のちに勝負判定にビデオを導入するきっかけとなった。 ●1975年千秋楽 横綱北の湖 - 大関貴ノ花︵優勝決定戦︶ 本割で北の湖に敗れた貴ノ花が、決定戦では寄り切りで北の湖を破り初優勝。この時期の北の湖は優勝決定戦に弱く、同年の秋場所でも貴ノ花に敗れ、決定戦4連敗となった、 ●1978年7日目 大関旭國 - 前頭4枚目魁傑 水入り10分後、結びの一番の後に取り直しを行い、計11分に渡る熱戦の末魁傑が掬い投げで勝利。打ち出しは18時20分。魁傑は前日にも大関若三杉と水入りの一番を取っている。 ●2017年千秋楽 横綱稀勢の里 - 大関照ノ富士 稀勢の里が新横綱として迎えたこの場所。13日目に日馬富士戦に敗れて初黒星を喫した際に肩を負傷し、傷めながらも本割と優勝決定戦で照ノ富士に連勝し、逆転で連覇を果たした。5月場所︵夏場所︶[編集]
●1946年の夏場所は戦争によって被災した国技館の修理が工事の遅延によって完了しなかったため、戦後初の開催中止となった︵番付は発表されなかった︶。 ●2001年、首相就任直後の小泉純一郎が内閣総理大臣杯の授与を行い前日の負傷を押して出場し22回目の幕内最高優勝を勝ち取った横綱貴乃花に対して﹁痛みに耐えてよく頑張った!感動したっ!おめでとう!﹂との賛辞を送った。小泉の﹁感動したっ!﹂は流行語ともなった。なおこの負傷が原因となり、貴乃花はこの優勝を最後として2003年に現役を引退し、貴乃花親方を経て2018年に日本相撲協会を退職した。 ●2011年は前場所の開催中止に引き続き八百長問題の影響で、通常の興行としてではなく技量審査場所として開催された︵成績は正式記録として残る︶。この場所は無料公開され、NHKはこの場所の生中継を行わず、総合テレビと衛星放送でのダイジェスト放送も行わない︵ニュースでの報道は行う︶。優勝額もなし。一方でニコニコ生放送・ひかりTV等のネット配信で、前相撲から結びの一番まで完全生放送が行われた︵詳しくは技量審査場所を参照︶。 ●2012年は、関脇鶴竜の大関昇進で1横綱6大関時代と話題になったが、前頭7枚目の旭天鵬が同4枚目栃煌山との史上初の平幕同士の優勝決定戦を制すると同時に初優勝の最年長記録を更新した。 ●令和最初の大相撲開催となった2019年は千秋楽に国賓として来日していたアメリカ合衆国大統領のドナルド・トランプが国技館に来場し、メラニア・トランプ夫人や安倍晋三内閣総理大臣、安倍昭恵夫人と共に相撲を観戦。幕内優勝力士となった朝乃山に特別杯﹁アメリカ合衆国大統領杯﹂を贈呈した[13]。なお、この大統領杯は来年以降も夏場所の幕内最高優勝力士に贈呈する予定となっている[14]。 ●2020年は、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため当初は日程を2週間遅らせることとして、その日程で番付も発表されたが、その後緊急事態宣言の延長を受けて開催中止を決定[15]。本場所の中止は1946年︵昭和21年︶夏場所、2011年︵平成23年︶春場所に続き3回目[16]。 名勝負 ●1936年9日目 横綱玉錦 - 関脇双葉山 ともに全勝で迎えたこの一番で双葉山は寄り倒しで玉錦に初勝利。双葉山はこの場所を11戦全勝で初優勝しその後5連覇を達成、この一番は覇者交代の一番と言われた。 ●1938年千秋楽 横綱双葉山 - 横綱玉錦 ここまで65連勝中の双葉山に対し玉錦が執念を見せ水入りの熱戦となるが、最後は双葉山が寄り倒した。玉錦はこの年の12月に急逝し、これが現役最後の一番となった。 ●1940年11日目 横綱双葉山 - 関脇五ツ嶋 この日とったりで敗れ4敗目を喫した双葉山は取組後に﹁信念の歯車が狂った﹂と発言し引退を示唆、その後引退は撤回したものの翌日より休場した。一方前場所に続き双葉山を破った五ツ嶋はこの場所、優勝した安藝ノ海に次ぐ13勝を挙げ、場所後に安藝ノ海と共に大関に昇進したのだが… ●1941年千秋楽 大関五ツ嶋 - 関脇照國 新大関で迎えた前場所を両膝の故障で途中休場し、いきなり角番を迎えた五ツ嶋は9日目まで2敗も10日目から5連敗で7勝7敗となり、千秋楽に照國と対戦。寄り切りで勝った照國が入幕5場所で当時の最年少記録となる大関昇進を決めたのに対し、五ツ嶋は史上最短となる在位2場所で大関から陥落すると、翌場所も全休し、そのまま廃業してしまった。 ●1942年14日目 横綱双葉山 - 大関照國 当時東西対抗戦が行われていた中、前の場所に出羽一門中心の陣営の総帥・横綱男女ノ川が引退し、戦力の均衡を図るためもう片方の方屋である双葉山中心の陣営から照國が移籍。初顔合わせとなったこの日の対戦で照國は下手投げで双葉山を破り、優勝は逃したものの13勝を挙げた照國は双葉山からの1勝が決め手となり、大関在位2場所で場所後横綱に昇進。 ●1947年千秋楽 横綱羽黒山 - 大関前田山︵優勝決定戦︶ 接収中の両国国技館が使えなくなり、明治神宮外苑での晴天10日間興行は4人が9勝1敗で並び、人気回復策として優勝決定戦が初めて実施された。トーナメントで行われた決定戦は力道山を下した羽黒山と東富士を破った前田山が決勝で対戦し、羽黒山が勝って3連覇を達成した。 ●1961年4日目 十両筆頭清ノ森 - 前頭13枚目佐田の山 入幕3場所目で初優勝を飾った佐田の山だが、4日目にこの場所十両優勝の清ノ森に敗れており、十両に負けた力士が幕内優勝という珍しい例となった。 ●1971年5日目 小結貴ノ花 - 横綱大鵬 貴ノ花に寄り倒された大鵬はこの一番を最後に現役を引退した。 ●1975年8日目 小結麒麟児 - 前頭筆頭富士櫻 天覧相撲に組まれたこの一番で、両者は27秒に渡り計54発の突っ張り合いを展開した。 ●1986年8日目 大関北尾 - 関脇小錦 取り直しの一番で当時約150キロの北尾が全体重を預けて小錦を鯖折りで下す。小錦は自らの230キロの体重も加わって右膝を痛め、その後の力士人生に大きく影を落とす重傷となった。 ●1988年初日 前頭7枚目霧島 - 前頭8枚目水戸泉 いずれもうっちゃりで3度も取り直しとなり、最後は水戸泉がまたもうっちゃりを狙う霧島を寄り倒し、4回目で決着が付いた。 ●1991年初日 前頭筆頭貴花田 - 横綱千代の富士 1980年代、昭和最後の大横綱・千代の富士と後に貴乃花として平成の名横綱になる貴花田の初顔合わせの一番。この一番で、千代の富士は寄り切られて完敗。貴花田は初金星を獲得。一方、千代の富士は2日後に現役引退。力士の世代交代の時を世間に知らしめた一番となった。 ●2001年千秋楽 横綱貴乃花 - 横綱武蔵丸︵優勝決定戦︶ 上述のとおり、強行出場して22回目の優勝をもぎ取った一番。本割では武蔵丸にあっけなく敗れたものの、決定戦では最後の力を振り絞って右四つからの上手投げで武蔵丸を投げ飛ばした。7月場所︵名古屋場所︶[編集]
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