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一般的でない雅称。あるいは内大臣のことであって総理大臣を指すわけではない。
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{{政治家

{{政治家

| 人名 = 高橋 是清

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| 各国語表記 = たかはし これきよ

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| 画像 = Korekiyo Takahashi 2.jpg

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| 画像サイズ = 220px

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| 画像説明 = 肖像

| 画像説明 = 肖像

| 国略称 = {{JPN}}

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| 退任日4 = 1925年[[4月17日]]

| 退任日4 = 1925年[[4月17日]]

| 国旗5 = JPN

| 国旗5 = JPN

| 職名5 = [[衆議院|衆議院議員]]

| 職名5 = 第24代 [[農商務省 (日本)|農商務大臣]]

| 内閣5 =

| 内閣5 = [[加藤高明内閣]]

| 就任日5 = [[1924年]][[510日]]

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| 国旗6 = JPN

| 国旗6 = JPN

| その他職歴1 = [[貴族院 (日本)|貴族院議員]]

| その他職歴1 = [[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]]<br /> '''[[岩手県第1区 (戦前中選挙区)|旧岩手1区]]<br/>当選回数 1回''' '' ''

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}}

'''高橋 是清'''(たかはし これきよ、[[1854年]][[9月19日]]〈[[嘉永]]7/[[安政]]元年[[閏]][[7月27日 (旧暦)|7月27日]]<ref>国立公文書館「特許局長兼東京農林学校長高橋是清臨時叙勲ノ件」明治22年10月25日の添付履歴書の記載「東京府士族旧仙臺藩 旧名和喜次/安政元年甲寅閏七月廿七日生」に依る。安政への改元は嘉永7年11月であるが、凶事を避ける災異改元として当該年の元日に遡って元年とみなされたため、嘉永7年=安政元年とされた。</ref>〉 - [[1936年]]〈[[昭和]]11年〉[[2月26日]])は、[[日本]]の[[政治家]]<ref>[https://kotobank.jp/word/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E6%98%AF%E6%B8%85-18871 日本大百科全書(ニッポニカ)「高橋是清」]</ref>。[[日本銀行]][[総裁]]。

'''高橋 是清'''(たかはし これきよ、{{旧字体|'''高橋 是淸'''}}、[[1854年]][[9月19日]]〈[[嘉永]]7/[[安政]]元年[[閏]][[7月27日 (旧暦)|7月27日]]<ref>国立公文書館「特許局長兼東京農林学校長高橋是清臨時叙勲ノ件」明治22年10月25日の添付履歴書の記載「東京府士族旧仙臺藩 旧名和喜次/安政元年甲寅閏七月廿七日生」に依る。安政への改元は嘉永7年11月であるが、凶事を避ける災異改元として当該年の元日に遡って元年とみなされたため、嘉永7年=安政元年とされた。</ref>〉 - [[1936年]]〈[[昭和]]11年〉[[2月26日]])は、[[日本]]の[[政治家]]<ref>[https://kotobank.jp/word/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E6%98%AF%E6%B8%85-18871 日本大百科全書(ニッポニカ)「高橋是清」]</ref>。[[日本銀行]][[総裁]]。




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== 生涯 ==

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[[1913年]]([[大正]]2年)、[[第1次山本内閣]]の[[財務大臣 (日本)|大蔵大臣]]に就任、この時[[立憲政友会]]に入党する。政友会の[[原敬]]が組閣した際にも大蔵大臣となり、原が暗殺された直後、財政政策の手腕を評価され第20代[[内閣総理大臣]]に就任、同時に立憲政友会の第4代[[総裁]]となった。しかし高橋自身思わぬ総裁就任だったため、大黒柱の原を失い混乱する政友会を立て直すことはできず、閣内不統一の結果内閣は半年で瓦解している。

[[1913年]]([[大正]]2年)、[[第1次山本内閣]]の[[財務大臣 (日本)|大蔵大臣]]に就任、この時[[立憲政友会]]に入党する。政友会の[[原敬]]が組閣した際にも大蔵大臣となり、原が暗殺された直後、財政政策の手腕を評価され第20代[[内閣総理大臣]]に就任、同時に立憲政友会の第4代[[総裁]]となった。しかし高橋自身思わぬ総裁就任だったため、大黒柱の原を失い混乱する政友会を立て直すことはできず、閣内不統一の結果内閣は半年で瓦解している。




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新たに総理大臣に就いた憲政会総裁の[[加藤高明]]は、高橋を農商務相に任命。

新たに総理大臣に就いた憲政会総裁の[[加藤高明]]は、高橋を農商務相に任命。

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その後、高橋は政友会総裁を[[田中義一]]に譲り政界を引退するが、[[1927年]](昭和2年)に[[昭和金融恐慌]]が発生し、瓦解した[[第1次若槻内閣]]に代わって組閣した田中に請われ自身3度目の蔵相に就任した。高橋は日銀総裁となった[[井上準之助]]と協力し、支払猶予措置([[モラトリアム]])を行うと共に、片面だけ印刷した急造の[[二百円紙幣|200円札]]を大量に発行して銀行の店頭に積み上げて見せて、預金者を安心させて金融恐慌を沈静化させた。

その後、高橋は政友会総裁を[[田中義一]]に譲り政界を引退するが、[[1927年]](昭和2年)に[[昭和金融恐慌]]が発生し、瓦解した[[第1次若槻内閣]]に代わって組閣した田中に請われ自身3度目の蔵相に就任した。高橋は日銀総裁となった[[井上準之助]]と協力し、支払猶予措置([[モラトリアム]])を行うと共に、片面だけ印刷した急造の[[二百円紙幣|200円札]]を大量に発行して銀行の店頭に積み上げて見せて、預金者を安心させて金融恐慌を沈静化させた。




[[1931]]6[[]]4[[|]]()[[]][[]][[|]]4

[[1931年]](昭和6年)、政友会総裁・[[犬養毅]]が組閣した際も、犬養に請われ4度目の蔵相に就任し、[[金解禁|金輸出再禁止]]、史上初の国債の日銀直接引き受け(石橋湛山の提案があった)による政府支出の増額、[[時局匡救事業]]で、[[世界恐慌]]により混乱する日本経済を[[デフレーション|デフレ]]から世界最速で脱出させた。これはケインズが「有効需要の理論」に到達したのとほぼ同時期、『一般理論』刊行の4年前であった。髙橋がケインズから直接影響を受けた可能性はないが、石橋湛山や深井英五という高度に訓練された革新的な相談相手を通し、間接的に影響を受けた可能性は高い。

[[五・一五事件]]で犬養が暗殺された際に総理大臣を[[内閣総理大臣臨時代理|臨時兼任]]している。続いて親友である[[斎藤実]]が組閣した際も留任。また[[1934年]](昭和9年)に、共立学校出身に当たる[[岡田啓介]]首班の[[岡田内閣|内閣]]にて6度目の蔵相に就任。当時、ケインズ政策はほぼ所期の目的を達していたが、これに伴い高率の[[インフレーション]]の発生が予見されたため、これを抑えるべく軍事予算を抑制しようとした。陸海軍からの各4000万円の増額要求に対し、高橋は「予算は国民所得に応じたものをつくらなければならぬ。財政上の信用維持が最大の急務である。ただ国防のみに遷延して悪性インフレを引き起こし、その信用を破壊するが如きことがあっては、国防も決して牢固となりえない。自分はなけなしの金を無理算段して、陸海軍に各1000万円の復活は認めた。これ以上は到底出せぬ」と述べていた<ref>{{Cite book|和書|author=大谷健|year=1986|title=大蔵大臣の昭和史|publisher=ビジネス社|page=195|isbn=4828402667}}</ref>。軍事予算を抑制しようとしたことが[[軍部]]の恨みを買い、[[二・二六事件]]において、[[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]の自宅二階で反乱軍の青年将校らに胸を6発銃撃され、[[暗殺]]された。[[享年]]81。葬儀は陸軍の統制によって、1か月後に[[築地本願寺]]で営まれた。

[[五・一五事件]]で犬養が暗殺された際に総理大臣を[[内閣総理大臣臨時代理|臨時兼任]]している。続いて親友である[[斎藤実]]が組閣した際も留任。また[[1934年]](昭和9年)に、共立学校出身に当たる[[岡田啓介]]首班の[[岡田内閣|内閣]]にて6度目の蔵相に就任。当時、ケインズ政策はほぼ所期の目的を達していたが、これに伴い高率の[[インフレーション]]の発生が予見されたため、これを抑えるべく軍事予算を抑制しようとした。陸海軍からの各4000万円の増額要求に対し、高橋は「予算は国民所得に応じたものをつくらなければならぬ。財政上の信用維持が最大の急務である。ただ国防のみに遷延して悪性インフレを引き起こし、その信用を破壊するが如きことがあっては、国防も決して牢固となりえない。自分はなけなしの金を無理算段して、陸海軍に各1000万円の復活は認めた。これ以上は到底出せぬ」と述べていた<ref>{{Cite book|和書|author=大谷健|year=1986|title=大蔵大臣の昭和史|publisher=ビジネス社|page=195|isbn=4828402667}}</ref>。軍事予算を抑制しようとしたことが[[軍部]]の恨みを買い、[[二・二六事件]]において、[[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]の自宅二階で反乱軍の青年将校らに胸を6発銃撃され、[[暗殺]]された。[[享年]]81。葬儀は陸軍の統制によって、1か月後に[[築地本願寺]]で営まれた。



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*[[三橋貴明]]『コレキヨの恋文』[[小学館]]、2012年、ISBN 978-4093863261

*[[三橋貴明]]『コレキヨの恋文』[[小学館]]、2012年、ISBN 978-4093863261

*[[幸田真音]]『天佑なり 高橋是清・百年前の日本国債』(上下)。[[角川書店]]、2013年/角川文庫、2015年。2011年から『[[中日新聞]]』・『[[東京新聞]]』系列で連載

*[[幸田真音]]『天佑なり 高橋是清・百年前の日本国債』(上下)。[[角川書店]]、2013年/角川文庫、2015年。2011年から『[[中日新聞]]』・『[[東京新聞]]』系列で連載


; 評伝

*大石亨『大蔵大臣高橋是清 不況乗り切りの達人』 マネジメント社、1992年

*松元崇『高橋是清 暗殺後の日本:「持たざる国」への道』 大蔵財務協会、2010年

*板谷敏彦『国家の命運は金融にあり 高橋是清の生涯』 新潮社(上下)、2024年

*鈴木俊夫『高橋是清:尽人事而後楽天』ミネルヴァ書房「[[ミネルヴァ日本評伝選]]」、2024年


;映画

;映画

*『高橋是清自伝』(1936年)演:[[岡譲司]](青年・壮年期)、[[山本嘉一]](老年期)

*『高橋是清自伝』(1936年)演:[[岡譲司]](青年・壮年期)、[[山本嘉一]](老年期)

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*『[[226 (映画)|226]]』(1989年)演:[[小田部通麿]]

*『[[226 (映画)|226]]』(1989年)演:[[小田部通麿]]

*『[[スパイ・ゾルゲ]]』(2003年)演:[[金子達]]

*『[[スパイ・ゾルゲ]]』(2003年)演:[[金子達]]

*『[[TAKAMINE アメリカに桜を咲かせた男]]』(2011年)演:[[井村英俊]]

*『TAKAMINE アメリカに桜を咲かせた男』(2011年)演:[[井村英俊]]

;テレビドラマ

;テレビドラマ

*『燃えよ!ダルマ大臣 高橋是清伝』(1976年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]ドラマ)演:[[嵯峨善兵]]

*『燃えよ!ダルマ大臣 高橋是清伝』(1976年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]ドラマ)演:[[嵯峨善兵]]

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*『[[経世済民の男|経世済民の男 高橋是清]]』(2015年、NHK放送90年ドラマ)演:[[オダギリジョー]]

*『[[経世済民の男|経世済民の男 高橋是清]]』(2015年、NHK放送90年ドラマ)演:[[オダギリジョー]]

*『[[いだてん〜東京オリムピック噺〜]]』(2019年、NHK大河ドラマ)演:[[萩原健一]]

*『[[いだてん〜東京オリムピック噺〜]]』(2019年、NHK大河ドラマ)演:[[萩原健一]]

*『[[前田正名 龍馬が託した男]]』(2019年、[[鹿児島テレビ]])演:[[河相我聞]]

*『[[前田正名]] 龍馬が託した男』(2019年、[[鹿児島テレビ]])演:[[河相我聞]]

*『[[倫敦ノ山本五十六]]』(2021年、NHK)演:[[山本學]]

*『[[倫敦ノ山本五十六]]』(2021年、NHK)演:[[山本學]]



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* [http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/T/takahashi_ko.html 高橋是清の墓]

* [http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/T/takahashi_ko.html 高橋是清の墓]

* {{青空文庫著作者|867}}

* {{青空文庫著作者|867}}

* [https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/jp/takahashikorekiyo1.html 国立国会図書館 憲政資料室 高橋是清関係文書(所蔵)]

* [https://ndlsearch.ndl.go.jp/rnavi/kensei/takahashikorekiyo1 国立国会図書館 憲政資料室 高橋是清関係文書(所蔵)]

* [https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/jp/takahashikorekiyo2.html 国立国会図書館 憲政資料室 高橋是清関係文書(MF:首都大学東京図書情報センター蔵)]

* [https://ndlsearch.ndl.go.jp/rnavi/kensei/takahashikorekiyo2 国立国会図書館 憲政資料室 高橋是清関係文書(MF:首都大学東京図書情報センター蔵)]

* {{NHK放送史|D0009060034_00000|「朝礼訓話」高橋是清蔵相}}

* {{NHK放送史|D0009060034_00000|「朝礼訓話」高橋是清蔵相}}

* {{Kotobank}}

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{{DEFAULTSORT:たかはし これきよ}}

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[[Category:高橋是清|*]]

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[[Category:日本の財政家]]

[[Category:大正時代の内閣総理大臣]]

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[[Category:大正時代の閣僚]]

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[[Category:昭和時代戦前の閣僚]]

[[Category:昭和時代戦前の閣僚]]

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[[Category:日露戦争の人物]]

[[Category:日露戦争の人物]]

[[Category:ヘボン塾の塾生]]

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[[Category:明治学院高等学校出身の人物]]

[[Category:英語通訳]]

[[Category:英語通訳]]

[[Category:暗殺された政治家]]

[[Category:暗殺された政治家]]


2024年7月3日 (水) 00:56時点における最新版

日本の旗 日本政治家

高橋たかはし 是清これきよ

高橋 是淸

肖像

生年月日 1854年9月19日
嘉永7/安政元年7月27日
出生地 日本の旗 日本武蔵国江戸芝中門前町
(現:東京都港区芝大門
没年月日 (1936-02-26) 1936年2月26日(81歳没)
死没地 日本の旗 日本東京府東京市赤坂区
(現:東京都港区赤坂
出身校 ヘボン塾
(現:明治学院
前職 武士仙台藩士
官僚
所属政党 立憲政友会
称号 正二位
大勲位菊花大綬章
勲一等旭日大綬章
子爵(1924年隠居)
配偶者 高橋里ゆう(先妻)
高橋品子(後妻)
子女 高橋是賢(長男)
高橋是福(次男)
大久保和喜子(二女)
親族 高橋賢一(孫)
サイン

日本の旗 第20代 内閣総理大臣

内閣 高橋内閣
在任期間 1921年11月13日 - 1922年6月12日
天皇 大正天皇

日本の旗 第16・21・28・31・33代 大蔵大臣

内閣 第1次山本内閣
原内閣
高橋内閣(総理兼任)
田中義一内閣
犬養内閣
齋藤内閣
岡田内閣
在任期間 1913年2月20日 - 1914年4月16日
1918年9月29日 - 1922年6月12日
1927年4月20日 - 1927年6月2日
1931年12月13日 - 1934年7月8日
1934年11月27日 - 1936年2月26日

日本の旗 内閣総理大臣臨時兼任

内閣 犬養内閣
在任期間 1932年5月16日 - 1932年5月26日
天皇 昭和天皇

日本の旗 初代 農林大臣
初代 商工大臣

内閣 加藤高明内閣
在任期間 1925年4月1日 - 1925年4月17日

日本の旗 第24代 農商務大臣

内閣 加藤高明内閣
在任期間 1924年6月11日 - 1925年4月1日

その他の職歴

日本の旗 衆議院議員
旧岩手1区
当選回数 1回
(1924年5月10日 - 1928年1月21日
日本の旗 貴族院議員
1905年1月29日 - 1924年3月24日
テンプレートを表示

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191541110 - [26]

1920997 - [27]

19211071 - 調[28]

1927263 - [29]

19305125 - [30]

193611226 - [20]


受章年 国籍 略綬 勲章名 備考
1908年(明治41年)4月1日 大韓帝国 勲一等太極章[31]
1922年(大正11年)2月7日 フランスの旗 フランス共和国 レジオンドヌール勲章グランクロワ[32]
1924年(大正13年)7月3日 フランスの旗 フランス共和国 レジオンドヌール勲章グランクロワ[33] 2回目
1923年(大正12年)8月24日 ポーランドの旗 ポーランド グランクロアオドロゼニアポルスキー勲章[34]

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[35]

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 19358

 - 西2188417

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 - 貿貿婿[36][37]

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 - 3197752駿

 - 193611

 - 

 - 

[]


  
 19111936

1912
<>1999ISBN 978-4820543275

 1936

 1936

1936
 1999ISBN 978-4938965150

寿︿20101120184

1936
197620183

  ISBN 978-4122065659 ISBN 978-4122065666

1997

 1936
︿201312ISBN 978-4121601452

1936


1998ISBN 978-4413031240

 

193619381938

[]




 1967PHP1989  

 1979TBS

  1979

   19982002
 PHP2017

2005

  2009

2012ISBN 978-4093863261

 201320152011



  1992

  2010

  2024

2024



1936

 1970

1980

2261989麿

2003

TAKAMINE 2011



! 1976

1978TBS

1979TBS -  - [1][2]

 1981TBS

1984NHK

200950

2009-2011NHK西

 2015NHK90

2019NHK

 2019鹿

2021NHK

[]


195126B

[]

注釈[編集]



(一)^ Indentured servantslave

出典[編集]



(一)^ 221025 廿7117

(二)^ ()

(三)^ 7

(四)^ (Eugene M. Van Reed)

(五)^ (Indentured servant)

(六)^ 調  (2016613). 2019106

(七)^ 2010315

(八)^  15192620

(九)^ 1986195ISBN 4828402667 

(十)^ 17121889318

(11)^ 64743821

(12)^ 354188491

(13)^ 74018851217

(14)^ 5077190067

(15)^ 6480190528

(16)^ 174191331

(17)^ 21481919101

(18)^ 364619241016

(19)^ 22051934511

(20)^ ab2747193632

(21)^ 190118891029

(22)^ 19351889129

(23)^ 584819021229

(24)^ 72731907925

(25)^ 84541911825

(26)^ 131019161213

(27)^ 2431192098

(28)^ 28581922214

(29)^ 128192764

(30)^ 149919311228

(31)^ 74371908415

(32)^ 2854192228

(33)^ 3560192475

(34)^ 33251923829

(35)^ 7-9

(36)^ 8 [3(1928)7]

(37)^   (, 1920)

参考文献[編集]

  • 大島清 『高橋是清 ― 財政家の数奇な生涯中央公論社中公新書]、1969年、復刊1999年
  • 北脇洋子『棺を蓋いて事定まる―高橋是清とその時代』東洋経済新報社、1999年
  • 松元崇『大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清』中央公論新社、2009年/中公文庫、2012年
  • リチャード・J・スメサースト『高橋是清―日本のケインズ その生涯と思想』
     鎮目雅人・早川大介・大貫摩里訳、東洋経済新報社、2010年

関連項目[編集]


  



 - 

 - 

 - 

 - 退

 - 

 - 

[]


7 - 







 - 

  

  

 - NHK

 - 

公職
先代
原敬
日本の旗 内閣総理大臣
第20代:1921年 - 1922年
次代
加藤友三郎
先代
若槻禮次郎
勝田主計
片岡直温
井上準之助
藤井真信
日本の旗 大蔵大臣
第16代:1913年 - 1914年
第21代:1918年 - 1922年
第28代:1927年
第31代:1931年 - 1934年
第33代:1934年 - 1936年
次代
若槻禮次郎
市来乙彦
三土忠造
藤井真信
町田忠治
先代
創設
日本の旗 農林大臣
初代:1925年
次代
岡崎邦輔
先代
創設
日本の旗 商工大臣
初代:1925年
次代
野田卯太郎
先代
前田利定
日本の旗 農商務大臣
第35代:1924年 - 1925年
次代
廃止
党職
先代
原敬
立憲政友会総裁
第4代 : 1921年 - 1925年
次代
田中義一
ビジネス
先代
相馬永胤
横浜正金銀行頭取
第7代:1906年 - 1911年
次代
三島彌太郎
その他の役職
先代
松尾臣善
日本銀行総裁
第7代:1911年 - 1913年
次代
三島彌太郎
日本の爵位
先代
陞爵
子爵
高橋(是清)家初代
1920年 - 1924年
次代
高橋是賢
先代
叙爵
男爵
高橋(是清)家初代
1907年 - 1920年
次代
陞爵