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→プロレスラーとして: 箇条書き解消 |
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=== エピソード === |
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=== ジャパンプロレス === |
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1984年の[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルスオリンピック]]代表という実績の下、鳴り物入りで1985年に大学の先輩でもある[[長州力]]の[[ジャパンプロレス]]に入門<ref name="gong913">[[週刊ゴング]] 2006年9月13日号 特集「馳・健ストーリー完結」</ref>。 |
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[[1986年]]、[[新倉史祐]]と[[プエルトリコ]]に遠征して[[2月28日]]プエルトリコ・カグアス・シティーアリーナにて対[[ミゲル・ペレス・ジュニア]]戦でデビュー<ref name="gong913"/>。リングネームは「イロ・アセ」。スペイン語でHは発音しないため「hIRO hASE」となる。<ref>https://www.youtube.com/watch?v=S4VmkAoG1NM</ref> |
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⚫ | 若手時代、[[ミスター・ヒト]]のブッキングで[[カナダ]]・[[カルガリー]]地区([[スチュ・ハート]]主宰の[[スタンピード・レスリング]])に武者修行のため遠征していたことがあり、新倉史祐と組み「ベトコン・エクスプレス」として活動していた(当時のリングネームは「'''ベトコン・エクスプレス2号'''」)。当時のライバルは[[オーエン・ハート]]<ref name="gong913"/>。 |
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==== 新日本プロレス ==== |
==== 新日本プロレス ==== |
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1987年のジャパンプロレスの面々が新日本マットに登場した際に日本デビュー。日本デビュー戦は[[小林邦昭]]の[[IWGPジュニアヘビー級王座]]に挑戦し、勝利する<ref name="gong913"/>。 |
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* バラエティー色を強くした『ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング』にスタジオゲストで出演した際、司会の[[山田邦子]]が流血したレスラーの様子を見て「血なんかすぐ止まるもんなんですか?選手って言うのは?」と聞いたとき、馳が「おい、つまんない話聞くなよ。止まるわけないだろ」と反論した<ref>{{Cite web|url=https://www.excite.co.jp/news/article/E1393347771924/|title=馳浩のことは嫌いになっても、プロレスのことは嫌いにならなかった山田邦子|publisher=exciteニュース|date=2014-02-26|accessdate=2015-10-07}}</ref>。 |
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バラエティー色を強くした﹃ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング﹄にスタジオゲストで出演した際、司会の[[山田邦子]]が流血したレスラーの様子を見て﹁血なんかすぐ止まるもんなんですか?選手って言うのは?﹂と聞いたとき、馳が﹁おい、つまんない話聞くなよ。止まるわけないだろ﹂と反論した<ref>{{Cite web|url=https://www.excite.co.jp/news/article/E1393347771924/|title=馳浩のことは嫌いになっても、プロレスのことは嫌いにならなかった山田邦子|publisher=exciteニュース|date=2014-02-26|accessdate=2015-10-07}}</ref>。この出来事は発言内容も含めて、﹁非礼な質問に対して馳がプロとして叱責した﹂もしくは﹁激怒するなど、大人げない対応をした﹂などと誤った解釈で広まったが、実際は一蹴したまでに過ぎず、直後の山田からの別の質問に対しては速やかに対応していた。しかしこのやり取りを見た番組サイドは、当時タレントとして圧倒的人気を博していた山田が﹁言葉の暴力﹂に遭うと言う場面として重く捉え、結果的に番組終了︵﹃ワールドプロレスリング﹄としては継続︶を決断する事に至ったと言う<ref>{{Cite web|url= https://number.bunshun.jp/articles/-/846608?page=1|title=﹁つまらないこと聞くな!﹂馳浩が山田邦子を怒鳴りつけた“事件の真相”と34年後のグータッチ|publisher=Number Web|date=2021-01-09|accessdate=2021-08-22}}</ref>。山田は2020年に自身のYouTubeチャンネルでこの件を取り上げ、﹁新日本プロレスが嫌いになった﹂と噂されたり、今もなお詳細を尋ねられる事があるが、自身は全く気にしておらず、馳の妻である高見恭子や弟と交流を持ったり、馳を食事に誘った事もあったと述べ、むしろ前述の通り番組が終了した事によって多数のスタッフが仕事を失った事を指摘し、﹁馳先生も悪い事をしたと思っているなら謝ってくれればいいのに﹂、﹁︵報道陣の前で︶花束で一回殴らせてくださいよ!﹂と笑いを交えながら語っている<ref>[https://m.youtube.com/watch?v=HMFTmKt6cSw 新日本プロレスは和解したのか!?馳浩さんとの確執について語ります]</ref>。この動画をアップした1年後の2021年1月4日のプロレスリング・ノア後楽園ホール大会に馳が参戦。試合後、解説席にいた山田とグータッチを交わしたが、ここでもメディアは﹁34年ぶり歴史的和解﹂と報じている<ref>[https://m.youtube.com/watch?v=2_l1_mJL-Aw 34年ぶり 山田邦子と馳浩が“歴史的和解”!1.4 NOAHダイジェスト]</ref>。
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** 山田は2020年に自身のYouTubeチャンネルでこの件を取り上げ、「新日本プロレスが嫌いになった」と噂されたり、今もなお詳細を尋ねられる事があるが、自身は全く気にしておらず、馳の妻である高見恭子や弟と交流を持ったり、馳を食事に誘った事もあったと述べ、むしろ前述の通り番組が終了した事によって多数のスタッフが仕事を失った事を指摘し、「馳先生も悪い事をしたと思っているなら謝ってくれればいいのに」、「(報道陣の前で)花束で一回殴らせてくださいよ!」と笑いを交えながら語っている<ref>[https://m.youtube.com/watch?v=HMFTmKt6cSw 新日本プロレスは和解したのか!?馳浩さんとの確執について語ります]</ref>。この動画をアップした1年後の2021年1月4日のプロレスリング・ノア後楽園ホール大会に馳が参戦。試合後、解説席にいた山田とグータッチを交わしたが、ここでもメディアは「34年ぶり歴史的和解」と報じている<ref>[https://m.youtube.com/watch?v=2_l1_mJL-Aw 34年ぶり 山田邦子と馳浩が“歴史的和解”!1.4 NOAHダイジェスト]</ref>。 |
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1990年6月、[[後藤達俊]]とのシングルマッチで[[バックドロップ]]を受け、試合後に一時心肺停止状態となる<ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/and_M/20200228/9803069/|title=尋常ならざる回復力はどこから? リングドクターが教えるプロレスラーの肉体の秘密/【プロレス偏愛】#04|accessdate=2020-07-05|date=2020-02-20|newspaper=&M|publisher=朝日新聞社}}</ref>。 |
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==== 全日本プロレス ==== |
==== 全日本プロレス ==== |
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国会議員兼全日本プロレス所属のプロレスラーであり、プロレス興行には主に国会のない期間に参加していたが、政治で[[大臣政務官]]や[[副大臣]]など、徐々に要職につき始めるとその機会が減っていき、2005年9月11日の衆議院選挙の当選(3選)と同時にプロレスラーとしての現役[[引退]]を表明(理由として[[靭帯|靱帯]]断裂もある)した<ref name="gong913"/>。 |
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引退興行については[[武藤敬司]]が「全日で馳さんの引退興行を行いたい、新日では行わせたくない」と周辺に漏らしていた。また、2006年1月の武藤社長就任3周年記念パーティに馳が参加し、自ら「引退興行は本年中に全日本で行って欲しい」と嘆願、同年7月23日の地元金沢の興行を馳浩引退記念興行とし、8月27日の両国国技館大会で引退試合を行った。なお、7月23日の金沢大会はもともと挨拶だけの予定だったが、本来出場予定の[[佐々木健介]]が左眼窩底骨折で出場できなくなり、急遽代役として出場することとなった<ref name="gong913"/>。 |
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* [[引退]][[セレモニー]]の花束贈呈順が森元[[内閣総理大臣]]、町村文部科学大臣、オーラスが[[ミスター・ヒト]]だった。馳は「元総理、文部科学大臣を前座にして何でミスターヒトが大トリなんだ!? 俺にも立場がある」と冗談めかして述べた<ref name="gong913"/>。 |
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⚫ | 2006年8月27日、馳のプロレス引退試合を元首相の[[森喜朗]]が観戦したが、対戦相手の[[VOODOO-MURDERS]]の[["brother"YASSHI]]が「おい、そこの森! お腹の中、何か詰まってるな? お金か? このカス野郎!」と森に罵声を浴びせた上、森の失政を批判し唾を掛けた。さらに、場外乱闘に乗じて[[TARU]]が森を挑発したため、森もパイプ椅子を持って身構えるという事態が発生した。このとき観客から森コールが起こったものの、森の[[セキュリティポリス|SP]]がTARUに抗議しつつ森を止めたため、憲政史上初となる[[総理大臣]]経験者のプロレス参戦は実現しなかった。試合後、記者団に対して森は「椅子? パフォーマンスだよ」と苦笑いで語ったが、YASSHIに話が及ぶと「客に対して失礼だ」と激怒した。その後、馳は電話にもかかわらず森に土下座して謝罪したという。ただ、森は元々プロレス好きである。なお、この大会では初代[[文部科学大臣]]だった同じ派閥の[[町村信孝]]大臣も来場し、森の横で観戦していたが、この試合中の顛末をにこやかに見ていた<ref name="gong913"/>。[[引退]][[セレモニー]]の花束贈呈順が森元[[内閣総理大臣]]、町村文部科学大臣、オーラスが[[ミスター・ヒト]]だった。馳は「元総理、文部科学大臣を前座にして何でミスターヒトが大トリなんだ!? 俺にも立場がある」と冗談めかして述べた<ref name="gong913"/>。 |
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==== 現役引退後 ==== |
==== 現役引退後 ==== |
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2017年7月26日に後楽園ホールで行われたプロレスリング・マスターズのメインの6人タッグに出場し11年ぶりにリング復帰を果たす。藤波辰爾、長州力とタッグを組み、グレート・ムタ、[[ザ・グレート・カブキ]]、[[サビオ・ベガ|TNT]]と対戦し勝利を収めた<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkansports.com/battle/news/1862817.html|title=馳浩は全開「リング上で政治家のにおいがしたら嫌」|work=nikkansports.com|newspaper=[[日刊スポーツ]]|date=2017-07-27|accessdate=2017-07-28}}</ref>。 |
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プロレスからの引退発表こそしたが、総理大臣としてSPを連れてリングに上がるのが夢だと話している<ref name="gong913"/>。 |
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⚫ | 2021年1月4日に後楽園ホールで行われた[[プロレスリング・ノア]]「New Sunrise 2021」のメインの6人タッグに出場し1年4か月ぶりにリング復帰を果たす。[[潮崎豪]]、[[清宮海斗]]とタッグを組み、武藤敬司、[[丸藤正道]]、[[田中将斗]]と対戦し勝利を収めた<ref>{{Cite news|url=https://hochi.news/articles/20210104-OHT1T50204.html|title=馳浩衆院議員、1年4か月ぶりのプロレス参戦…6人タッグで武藤敬司と対戦…ノア1・4後楽園|work=nikkansports.com|newspaper=[[スポーツ報知]]|date=2021-01-04|accessdate=2021-01-05}}</ref>。 |
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⚫ | 2023年1月1日に日本武道館で行われたプロレスリング・ノアの試合に当日発表のXとしてサプライズ参戦。石川県知事就任後、そして自身の還暦初となる。藤田和之、ケンドーカシン、NOSAWA論外とタッグを組み、最後はノーザンライトスープレックスで勝利を挙げた<ref>{{Cite web |title=【ノア】馳浩石川県知事2年ぶりのリングに会場どよめき ジャイアントスイングも披露(日刊スポーツ) |url=https://news.yahoo.co.jp/articles/8c1ece5acfb77e345851ba66aebcfb57f2a5123d |website=Yahoo!ニュース |access-date=2023-01-01 |language=ja}}</ref>。現職知事がレスラーとしてリングに上がったのは初めて。年末年始の知事職務休暇中の石川を離れての東京でリングに上がったが、現職知事が怪我をする懸念や雪などの災害対応における危機管理として知事としての公務に心配する声が出た。馳は「石川を離れる際は両副知事に対応をお願いし、危機管理監からも定期的に報告を受けていた」と危機管理上の問題はなかったとの認識を示し、「今は健康と日時の許す範囲でリングに上がっている」とし、また「私は死ぬまでプロレスラーだ」と発言した。 |
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== タイトル歴 == |
== タイトル歴 == |
2023年3月4日 (土) 09:04時点における版
馳 浩 はせ ひろし | |
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![]() 文部科学大臣在任中に公開された肖像写真 | |
生年月日 | 1961年5月5日(63歳)[1] |
出生地 |
![]() (現・小矢部市)[1] |
出身校 | 専修大学文学部国文学科[1] |
前職 |
教諭(国語) プロレスラー 参議院議員 衆議院議員 |
現職 | 石川県知事 |
所属政党 |
(無所属→) 自由民主党(安倍派) |
称号 |
文学士(専修大学) 教員免許(高等学校) |
配偶者 | 高見恭子 |
公式サイト | はせ浩(馳浩)石川県知事候補 公式サイト |
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当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2022年3月27日 - 現職 |
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内閣 | 第3次安倍第1次改造内閣 |
在任期間 | 2015年10月7日 - 2016年8月3日 |
選挙区 |
(石川1区→) (比例北陸信越ブロック→) (石川1区→) (比例北陸信越ブロック→) 石川1区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 2000年6月 - 2021年10月14日 |
選挙区 | 石川県選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1995年7月23日 - 2000年5月12日 |
その他の職歴 | |
![]() (総裁: 安倍晋三) (2014年 - 2015年) |
獲得メダル | ||
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男子 レスリング | ||
全日本レスリング選手権大会 | ||
銀 | 1983 | グレコローマン90 kg級 |
金 | 1984 | グレコローマン90 kg級 |
全日本学生レスリング選手権大会 | ||
金 | 1983 | グレコローマン90 kg級 |
来歴
1961年5月5日、富山県西礪波郡砺中町︵現・小矢部市︶西野尻地区興法寺の農家の三男として生まれ、小学3年進級時に親族であるリンゴ農家の馳家︵石川県金沢市︶の養子に入り[1][3]、金沢市立千坂小学校、金沢市立鳴和中学校を卒業[4]。1980年3月、星稜高等学校卒業[5]。1984年3月、専修大学文学部国文学科卒業[1]。卒業後、母校の星稜高等学校で国語科教員として教鞭を執った。当時担当した授業では、生徒の中に元プロ野球選手の湯上谷竑志がいた。1984年7月、ロサンゼルスオリンピックのレスリング・グレコローマンスタイルのライトヘビー級で出場、予選敗退した[6]。1985年、ジャパンプロレスに入門。1987年 - 新日本プロレスに移籍。 1995年7月、自由民主党幹事長の森喜朗にスカウトされ、第17回参議院議員通常選挙に石川県選挙区から自由民主党の推薦を受けて無所属で立候補し、民主改革連合現職の粟森喬を破り初当選する。当初は会派﹁自由民主党・自由国民会議﹂、2か月後に正式に自由民主党所属国会議員となった。1996年11月、全日本プロレスに移籍する。2000年5月12日、衆議院総選挙立候補準備の為、参議院議員を辞職する。 2000年6月25日投開票の第42回衆議院議員総選挙に石川1区から立候補、民主党現職の奥田建を破り当選︵奥田は比例復活︶。2003年9月25日、文部科学大臣政務官に就任︵2004年9月27日まで︶。 2003年11月9日投開票の第43回衆議院議員総選挙で奥田に敗れるも比例復活で再選。 2005年9月11日投開票の第44回衆議院議員総選挙に重複立候補を行わず小選挙区のみで立候補、奥田を破り3選。2005年11月2日、文部科学副大臣に就任。2006年8月27日、両国国技館で引退試合を行い、プロレスラーを引退。2006年9月、自由民主党国会対策副委員長に就任。2007年7月15日、スタン・ハンセンPWF会長の退任に伴い、第3代PWF会長に就任。2007年8月、自民党副幹事長に就任。翌月に総裁が安倍晋三から福田康夫に交代したが引き続き留任した。2008年8月、自民党文部科学部会長に就任。同年9月10日、2008年自由民主党総裁選挙で小池百合子の推薦人になったことを理由に清和研の退会届を提出。しかし、小池が退会せずに立候補したことを理由に受理されず幹部預かりにとなり、後に返却された。 2009年8月30日投開票の第45回衆議院議員総選挙で元職・奥田に敗れるも比例復活で4選。直後の2009年自由民主党総裁選挙で西村康稔の推薦人になった︵首班指名で若林正俊支持︶2012年9月、2012年自由民主党総裁選挙で町村信孝の推薦人になった︵決選投票では安倍晋三を支持︶。 2012年12月16日投開票の第46回衆議院議員総選挙で奥田を破り5選。2013年3月17日、PWF会長勇退を表明︵後任はドリー・ファンク・ジュニア︶[7]。2014年9月、自由民主党広報本部長に就任。 2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙で元職の田中美絵子を破り6選。2015年10月、第20代文部科学大臣就任[8]︵ - 2016年8月2日︶。2016年5月14、15日 - G7倉敷教育大臣会合で議長を務める[9]。2017年4月、自由民主党石川県連会長に就任。同年8月、自由民主党教育再生実行本部長に就任。 2017年10月22日投開票の第48回衆議院議員総選挙で田中を破り7選。 2021年7月、任期満了に伴い2022年3月までに行われる石川県知事選挙への出馬を表明し、衆議院選挙に立候補しないことを表明した[10]。 2022年3月13日の投開票の結果、元金沢市長の山野之義、元参議院議員の山田修路ら4候補を破り初当選を果たした。投票率は前回選挙より22%増の61.81%だった[11]。同月27日に就任[12]。 2022年9月9日、日本維新の会の顧問に就任したことが発表された[13]。一方で維新へは入党しておらず、自民党籍のままとしている[14]。人物
●専修大学レスリング部監督を務め、2020年11月現在は同部の名誉監督に就いている[15]。 ●受験雑誌﹃蛍雪時代﹄に古典講座の連載を持ち、それらをまとめた著書﹃﹁古典﹂簡単じゃないか‥馳浩の手とり足とり日本語講座﹄︵PHP研究所、1996年︶を出版している。 ●高校教員免許︵国語科・書道科︶[1]、日本漢字能力検定2級所持[1]。 ●2015年、﹁いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー 2015﹂を高見恭子とともに受賞[16]。 ●ももいろクローバーZのファン[17]。 ●カナダへの遠征中にたばこを覚え、1日3本から5本程度喫煙をしている[18]。 ●森喜朗とは師弟関係にあたる[19]。統一教会との関係
●統一教会の集団結婚を兼ねた大会に祝電を送っていたことが2006年6月に報じられた[20]。 ●2022年7月26日に開かれた定例会見では﹁数多く団体からご支援をいただいている中のひとつ﹂と言いこれからについては﹁距離感を相談しながら判断していく必要があると思う﹂と答えた[21]。プロレスラーとして
馳 浩 Hiroshi Hase | |
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プロフィール | |
リングネーム |
馳 浩 ヒロ・ハセ ベトコン・エクスプレス2号 |
本名 | 馳 浩 |
ニックネーム |
北斗の流星 戦う国会議員 戦う国語教師 戦う愛の伝道師 戦うベーヤン |
身長 | 183 cm |
体重 | 105 kg |
誕生日 | 1961年5月5日(63歳) |
出身地 |
富山県西礪波郡砺中町生まれ 石川県金沢市育ち |
スポーツ歴 |
レスリング サンボ |
トレーナー |
長州力 ミスター・ヒト |
デビュー | 1986年2月28日 |
引退 | 2006年8月27日 |
エピソード
ジャパンプロレス
新日本プロレス
1987年のジャパンプロレスの面々が新日本マットに登場した際に日本デビュー。日本デビュー戦は小林邦昭のIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦し、勝利する[22]。 バラエティー色を強くした﹃ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング﹄にスタジオゲストで出演した際、司会の山田邦子が流血したレスラーの様子を見て﹁血なんかすぐ止まるもんなんですか?選手って言うのは?﹂と聞いたとき、馳が﹁おい、つまんない話聞くなよ。止まるわけないだろ﹂と反論した[24]。この出来事は発言内容も含めて、﹁非礼な質問に対して馳がプロとして叱責した﹂もしくは﹁激怒するなど、大人げない対応をした﹂などと誤った解釈で広まったが、実際は一蹴したまでに過ぎず、直後の山田からの別の質問に対しては速やかに対応していた。しかしこのやり取りを見た番組サイドは、当時タレントとして圧倒的人気を博していた山田が﹁言葉の暴力﹂に遭うと言う場面として重く捉え、結果的に番組終了︵﹃ワールドプロレスリング﹄としては継続︶を決断する事に至ったと言う[25]。山田は2020年に自身のYouTubeチャンネルでこの件を取り上げ、﹁新日本プロレスが嫌いになった﹂と噂されたり、今もなお詳細を尋ねられる事があるが、自身は全く気にしておらず、馳の妻である高見恭子や弟と交流を持ったり、馳を食事に誘った事もあったと述べ、むしろ前述の通り番組が終了した事によって多数のスタッフが仕事を失った事を指摘し、﹁馳先生も悪い事をしたと思っているなら謝ってくれればいいのに﹂、﹁︵報道陣の前で︶花束で一回殴らせてくださいよ!﹂と笑いを交えながら語っている[26]。この動画をアップした1年後の2021年1月4日のプロレスリング・ノア後楽園ホール大会に馳が参戦。試合後、解説席にいた山田とグータッチを交わしたが、ここでもメディアは﹁34年ぶり歴史的和解﹂と報じている[27]。 1990年6月、後藤達俊とのシングルマッチでバックドロップを受け、試合後に一時心肺停止状態となる[28]。全日本プロレス
国会議員兼全日本プロレス所属のプロレスラーであり、プロレス興行には主に国会のない期間に参加していたが、政治で大臣政務官や副大臣など、徐々に要職につき始めるとその機会が減っていき、2005年9月11日の衆議院選挙の当選︵3選︶と同時にプロレスラーとしての現役引退を表明︵理由として靱帯断裂もある︶した[22]。 引退興行については武藤敬司が﹁全日で馳さんの引退興行を行いたい、新日では行わせたくない﹂と周辺に漏らしていた。また、2006年1月の武藤社長就任3周年記念パーティに馳が参加し、自ら﹁引退興行は本年中に全日本で行って欲しい﹂と嘆願、同年7月23日の地元金沢の興行を馳浩引退記念興行とし、8月27日の両国国技館大会で引退試合を行った。なお、7月23日の金沢大会はもともと挨拶だけの予定だったが、本来出場予定の佐々木健介が左眼窩底骨折で出場できなくなり、急遽代役として出場することとなった[22]。 2006年8月27日、馳のプロレス引退試合を元首相の森喜朗が観戦したが、対戦相手のVOODOO-MURDERSの"brother"YASSHIが﹁おい、そこの森! お腹の中、何か詰まってるな? お金か? このカス野郎!﹂と森に罵声を浴びせた上、森の失政を批判し唾を掛けた。さらに、場外乱闘に乗じてTARUが森を挑発したため、森もパイプ椅子を持って身構えるという事態が発生した。このとき観客から森コールが起こったものの、森のSPがTARUに抗議しつつ森を止めたため、憲政史上初となる総理大臣経験者のプロレス参戦は実現しなかった。試合後、記者団に対して森は﹁椅子? パフォーマンスだよ﹂と苦笑いで語ったが、YASSHIに話が及ぶと﹁客に対して失礼だ﹂と激怒した。その後、馳は電話にもかかわらず森に土下座して謝罪したという。ただ、森は元々プロレス好きである。なお、この大会では初代文部科学大臣だった同じ派閥の町村信孝大臣も来場し、森の横で観戦していたが、この試合中の顛末をにこやかに見ていた[22]。引退セレモニーの花束贈呈順が森元内閣総理大臣、町村文部科学大臣、オーラスがミスター・ヒトだった。馳は﹁元総理、文部科学大臣を前座にして何でミスターヒトが大トリなんだ!?俺にも立場がある﹂と冗談めかして述べた[22]。現役引退後
2017年7月26日に後楽園ホールで行われたプロレスリング・マスターズのメインの6人タッグに出場し11年ぶりにリング復帰を果たす。藤波辰爾、長州力とタッグを組み、グレート・ムタ、ザ・グレート・カブキ、TNTと対戦し勝利を収めた[29]。 プロレスからの引退発表こそしたが、総理大臣としてSPを連れてリングに上がるのが夢だと話している[22]。 2021年1月4日に後楽園ホールで行われたプロレスリング・ノア﹁New Sunrise 2021﹂のメインの6人タッグに出場し1年4か月ぶりにリング復帰を果たす。潮崎豪、清宮海斗とタッグを組み、武藤敬司、丸藤正道、田中将斗と対戦し勝利を収めた[30]。 2023年1月1日に日本武道館で行われたプロレスリング・ノアの試合に当日発表のXとしてサプライズ参戦。石川県知事就任後、そして自身の還暦初となる。藤田和之、ケンドーカシン、NOSAWA論外とタッグを組み、最後はノーザンライトスープレックスで勝利を挙げた[31]。現職知事がレスラーとしてリングに上がったのは初めて。年末年始の知事職務休暇中の石川を離れての東京でリングに上がったが、現職知事が怪我をする懸念や雪などの災害対応における危機管理として知事としての公務に心配する声が出た。馳は﹁石川を離れる際は両副知事に対応をお願いし、危機管理監からも定期的に報告を受けていた﹂と危機管理上の問題はなかったとの認識を示し、﹁今は健康と日時の許す範囲でリングに上がっている﹂とし、また﹁私は死ぬまでプロレスラーだ﹂と発言した。タイトル歴
![]() |
- IWGPジュニアヘビー級王座(第5代、第8代)
- IWGPタッグ王座(第13代、第17代)(w / 佐々木健介、武藤敬司)
- SG TAG LEAGUE優勝(1993年、1994年)(w / 武藤敬司)
- WCWインターナショナル世界ヘビー級王座
- インターナショナルタッグ王座(カルガリー版)(w / 新倉史祐)
- 新人賞(1988年)
- 技能賞(1991年)
得意技
見せるプロレスこそが馳の代名詞でもあった。裏投げやジャイアントスイング、ノーザンスープレックスなど、その技は多岐にわたって優れている。
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入場テーマ曲
●Two Hearts/John Parr[32]政治家として
政策
●憲法改正と集団的自衛権の行使に賛成[33]。 ●アベノミクスを評価する[33]。 ●原発は日本に必要[33]。 ●首相の靖国神社参拝は問題ない[33]。 ●村山談話を見直すべきでない[33]。 ●野田聖子の選択的夫婦別姓制度導入に賛成していた[34]。一方、2014年のアンケートでは、選択的夫婦別姓制度導入に反対[35]、と答えている。 ●漫画・アニメ・ゲーム・映画を規制する青少年健全育成基本法案の担当者として、13年以上この法案に関わっている[36]。 ●国会で﹁青少年の健全育成の為に表現規制は憲法上許される﹂として青少年健全育成基本法案に賛同した[37]。 ●2018年の時点で同性婚制度導入に反対[38]。政治献金問題
●馳が代表を務める政党支部が石川県の補助金を受けていた金沢市内の企業から2012年から2013年にかけて232万円の献金を受けていたことが、2015年10月に判明した[39][40]。全額を同月15日に返還した[39]。政治資金規正法は、国から補助金の交付決定通知を受けた企業に1年間、政党︵支部を含む︶や資金管理団体への政治献金を禁じ、政治家がそれを知りつつ受け取った場合は違法[39]。返金について、馳は﹁大臣という立場でもあり、誤解を招かないように返金した﹂と説明した[40]。発言
●2015年12月14日、東京五輪・パラリンピックのメイン会場予定となる新国立競技場のデザイン案について、森喜朗の発言に対して﹁︵A案・B案︶両方ともいい。本当にB案がいいって言ったの?﹂と、森の発言に驚いたと報道された[41] ●2015年10月13日、文部科学大臣に就任してまもなくの記者会見で、教員時代に体罰を行っていたことを認め、﹁私に竹刀で殴られた高校生たちに謝罪をしたいと思う﹂と述べた上で、﹁体罰はあってはならない﹂と強調した[42]。 ●2016年、岐阜大学が卒業式などで国歌斉唱をしない方針を示したことを、馳浩文部科学相が﹁恥ずかしい﹂などと批判した[43]。この発言は、憲法学者などから撤回を求められるなど、批判を受けた[43]。 ●2016年8月2日、文科大臣を退任する時に﹁雨上がり、深呼吸して夏の空﹂と俳句を詠むと、当時事務次官だった前川喜平が﹁仰ぐ空、名残を惜しむ蝉の声﹂と返句。この句の冒頭は元々、元の句とそろえた﹁夏の空﹂だったが、それだと季語が二つになるとして馳が添削した[44]。主張
●2009年6月10日の衆議院文部科学委員会で、新しい歴史教科書をつくる会の﹃新編 新しい歴史教科書﹄︵自由社︶について、改正教育基本法を生かした唯一の教科書だと述べた。また、韓国が抗議声明を出すのは内政干渉だとし、教科書検定の近隣諸国条項や河野談話の見直しを訴えた。 ●社会保障について発生する諸問題には積極的に追及を行っている。2012年の通常国会では芸能人親族生活保護受給騒動について、お笑いコンビキングコングの梶原雄太が自宅マンション隣のマンションに実兄を住まわせていたことを脱法行為として指摘している。 ●2015年7月7日、東京五輪・パラリンピック推進議員連盟事務局長として、国立競技場有識者会議︵第6回︶に出席した[45][46]。 ●2016年3月31日に東京ドームで開催された﹃ラブライブ!﹄出演声優によるユニット・μ'sのファイナルライブ﹁ラブライブ! μ's Final LoveLive!〜μ'sic Forever♪♪♪♪♪♪♪♪♪〜﹂に、新日本プロレスオーナー兼︵アニメ製作委員会に参加している︶ブシロード社長の木谷高明の招待で観覧し﹁ラブライバー大臣と呼んでください﹂と語った[47][48]。不祥事
●2020年4月22日、虐待や性暴力の被害に遭った10代の女性らを支える一般社団法人﹁Colabo﹂が運営するバスカフェ﹁TsubomiCafe﹂を視察した際、事前連絡を大幅に超える人数で視察に訪れ、少女に対するセクシャルハラスメントがあったとして謝罪を求められた[49][50]。馳議員含む視察に参加した国会議員らは﹁率直におわび申し上げたい﹂などと謝罪のコメントを出した[51][52]。安倍首相も参院予算委員会で謝罪し、馳を電話で厳重注意を行なった[53]。団体代表の仁藤夢乃は4月26日現在謝罪どころか連絡もないとし、本人がブログでセクハラを全く意識に残っておりませんと記述したことについてセクハラを認めることや、一人ひとりから文書での謝罪を求めていることについての抗議と要望が無視されていることについて憤っている。[52][54]所属団体・議員連盟
●自民党たばこ議員連盟[55] ●感染対策を資材と方法から考える超党派議員連盟[56] ●神道政治連盟国会議員懇談会[57] ●みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会[57] ●親学推進議員連盟 ●LGBTに関する課題を考える議員連盟 ︵会長、呼びかけ人︶[58][59] ●例外的に夫婦の別姓を実現させる会 ●恒久平和のために真相究明法の成立を目指す議員連盟 ●日朝国交正常化推進議員連盟 ●日朝友好議員連盟 ●日本教職員組合問題究明議員連盟 ●マンガ・アニメ・ゲームに関する議員連盟︵幹事長︶ ●TPP交渉における国益を守り抜く会 ●ラグビーワールドカップ2019日本大会成功議員連盟 ●日本語教育推進議員連盟︵事務局長︶ ●格闘技振興議員連盟 (会長)2022年7月現在の役職
︵政治団体関係の役職を除く︶ ●石川県知事 ●公益財団法人 日本レスリング協会 副会長 ●一般財団法人 日本ドッジボール協会 会長 ●一般社団法人 日本キンボールスポーツ連盟 名誉会長選挙歴
当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 |
政党内比例順位 /政党当選者数 |
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当 | 第17回参議院議員通常選挙 | 1995年 7月23日 | 34 | 石川県選挙区 | 無所属 | 23万4283票 | 49.35% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第42回衆議院議員総選挙 | 2000年 6月25日 | 39 | 石川1区 | 自由民主党 | 10万7179票 | 48.82% | 1 | 1/3 | / |
比当 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月 9日 | 42 | 比例北陸信越(石川1区) | 自由民主党 | 9万7075票 | 46.78% | 1 | 2/3 | 4/5 |
当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年 9月11日 | 44 | 石川1区 | 自由民主党 | 12万9142票 | 53.73% | 1 | 1/3 | / |
比当 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年 8月30日 | 48 | 比例北陸信越(石川1区) | 自由民主党 | 11万7168票 | 45.85% | 1 | 2/4 | 3/4 |
当 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 51 | 石川1区 | 自由民主党 | 9万9544票 | 47.87% | 1 | 1/5 | / |
当 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 53 | 石川1区 | 自由民主党 | 7万6422票 | 50.70% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 56 | 石川1区 | 自由民主党 | 11万2168票 | 59.08% | 1 | 1/3 | / |
当 | 石川県知事選挙 | 2022年3月13日 | 60 | ー | 無所属 | 19万6432票 | 34.13% | 1 | 1/5 | / |
家族・親族
著作
- 『君はまだプロレスを知らない』 PHP研究所 1994年3月(1996年2月文庫化)
- 『君は何と闘っているのか』 PHP研究所 1994年5月
- 『愛する人を守れますか』 PHP研究所 1995年1月
- 『感じたら走りだせ』 北国新聞社出版局 1996年4月
- 『「古典」簡単じゃないか』 PHP研究所 1996年4月
- 『闘いのゴングが聞こえているか』 馳浩 日本文芸社 1998年3月
- 『快刀乱筆』 北國新聞社 1999年3月
- 『馳浩の聞楽に源氏物語』 旺文社 1999年9月
- 『黒幕』佐々木健[要曖昧さ回避]編集 きこ書房, 2002年5月
- 『教育政策の変遷と政治家の役割』ジェラルド・カーティス編 日本国際交流センター 2002年5月
- 『国会赤裸々白書』 エンターブレイン 2002年7月
- 花田義塾日本語研修会『元気の出る日本語』監修 扶桑社 2002年10月
- 『馳浩のやさしい教育論』 長崎出版 2003年8月
- 『森奥の呪縛』 北國新聞社 2006年1月
- 馳浩、自然派マガジン山女『季節感、あふれる情景白山麓』 ヤマメエンターテイメント 2006年7月
- 『ねじれ国会方程式 児童虐待防止法改正の舞台裏』 北國新聞社 2008年2月
- 『非常ベルは聞こえているか!!』 北國新聞社 2015年11月
- 『ほんとにもうひとこと多いこの男』北國新聞社 2018年10月
論文
- 国立情報学研究所収録論文 国立情報学研究所 2010年5月21日閲覧。
出演作
脚注
関連項目
外部リンク
- はせ浩(馳浩)石川県知事候補 公式サイト - 公式サイト
- はせ浩 オフィシャルブログ「はせ日記」 - Ameba Blog(2013年2月25日 - )
公職 | ||
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先代 谷本正憲 |
![]() 公選第20代:2022年 - |
次代 現職 |
先代 下村博文 |
![]() 第20代:2015年 - 2016年 |
次代 松野博一 |
先代 小島敏男 塩谷立 |
![]() 河本三郎と共同 2005年 - 2006年 |
次代 池坊保子 遠藤利明 |
先代 池坊保子 大野松茂 |
![]() 田村憲久と共同 2003年 - 2004年 |
次代 下村博文 小泉顕雄 |
党職 | ||
先代 小池百合子 |
自由民主党広報本部長 2014年 - 2015年 |
次代 木村太郎 |
官職 |
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スポーツ |
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- 日本のプロレスラー
- ジュニアヘビー級のプロレスラー
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- 日本のスポーツ選手出身の政治家
- 日本の文部科学大臣
- 石川県知事
- 平成時代の閣僚
- 日本の副大臣経験者
- 日本の大臣政務官経験者
- 石川県選出の衆議院議員
- 比例北陸信越ブロック選出の衆議院議員
- 自由民主党の都道府県支部連合会会長
- 石川県選出の参議院議員
- 自由民主党の衆議院議員
- 自由民主党の参議院議員
- 令和時代の衆議院議員
- 平成時代の衆議院議員
- 平成時代の参議院議員
- 日本のレスリング指導者
- 日本の中等教育の教員
- 専修大学出身の人物
- 星稜高等学校・中学校出身の人物
- 富山県出身の人物
- 文学士取得者
- 1961年生
- 存命人物