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2024年5月15日 (水) 13:37時点における版
- イタリア共和国
- Repubblica Italiana
-
(国旗) (国章) - 国の標語:特になし
- 国歌:Inno di Mameli(イタリア語)
マメーリの賛歌 -
公用語 イタリア語[注釈 1] 首都 ローマ 最大の都市 ローマ - 政府
-
大統領 セルジョ・マッタレッラ 首相 ジョルジャ・メローニ 元老院議長 イニャツィオ・ラ・ルッサ 代議院議長 ロレンツォ・フォンタナ - 面積
-
総計 302,780km2(69位) 水面積率 2.4% - 人口
-
総計(2020年) 60,462,000[1]人(23位) 人口密度 205.6[1]人/km2 - GDP(自国通貨表示)
-
合計(2019年) 1兆7909億4200万[2]ユーロ (€) - GDP(MER)
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合計(2019年) 2兆51億3500万[2]ドル(8位) 1人あたり 3万3521.343[2]ドル - GDP(PPP)
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合計(2019年) 2兆6687億3500万[2]ドル(12位) 1人あたり 4万4615.235[2]ドル - 成立
-
イタリア統一運動 1861年3月14日 ローマ遷都 1871年7月2日 ファシスト政権成立 1922年10月22日 共和制移行 1946年6月2日
通貨 ユーロ (€)(EUR)[注釈 2][注釈 3] 時間帯 UTC+1 (DST:+2) ISO 3166-1 IT / ITA ccTLD .it 国際電話番号 39
概要
国名
正式名称はイタリア語で、Repubblica Italiana︵レプッブリカ・イタリャーナ︶。通称、Italia︵[iˈtaːlja] ( 音声ファイル) イターリャ︶。 公式の英語表記は、Italian Republic︵イタリャン・リパブリク︶。通称、Italy︵[ˈɪtəli] ( 音声ファイル) イタリ︶。 日本語の表記は、イタリア共和国。通称はイタリアであるが、イタリヤと表記されることもある。古くはイタリーとも表記された︵発音は英語のItaly、フランス語のItalieに近い︶。また、漢字による当て字で、伊太利亜、伊太利、以太利[8]などと表記することもあり、伊と略されることもある。 国名の由来には定説はない。一般的な説として、紀元前6世紀ごろに南イタリアのカラブリア地方で子ウシ︵ビタリ︶をトーテム像として崇拝していた原住民に由来するといわれる。彼らはビタリ人と呼ばれていたが、その後ビタリがイタリアに変化し、その呼称がローマ人に受け継がれ、現在のイタリア半島に住む人々を指すようになった。中世に﹁イタリア伯爵領﹂﹁イタリア公爵領﹂と呼ばれるものが存在したが、それは統一的国家をなすものではなかった。政治的に統一された国家として最初にイタリアの名が使用されたのは、ナポレオン支配時代のイタリア共和国 (1802年-1805年) ︵1803年からイタリアの国名を使用︶であり、これが改編されてイタリア王国 (1805年-1814年) となった。1861年のサヴォイア家による統一によって、ほぼ現在の地理的範囲をもつイタリア国が成立した[9]。歴史
イタリアの歴史 | |||||||
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この記事はシリーズの一部です。 | |||||||
近世
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テーマ別
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イタリア ポータル |
ローマ以前-ローマ期
ローマ帝国分割以降
オドアケルが493年に東ローマ帝国に滅ぼされたあと、ローマ皇帝アナスタシウス1世によりテオドリックにイタリア王位が授けられて東ゴート王国が設立されたが、その東ゴート王国も東ローマ帝国によって滅ぼされ、553年にイタリアは80年ぶりのローマ皇帝領となった。しかし、帝国にとってもはやイタリアは一属州にすぎず、さらにランゴバルド人の侵入により、ローマのイタリアに対する支配力は大きく低下した。なお、イタリアに常駐した最後のローマ皇帝は7世紀のコンスタンス2世である。彼は南イタリアとアフリカを中心に帝国を再編成しようと意図したが、失敗に終わった。8世紀には、東ローマ帝国の勢力はイタリア半島の南端部にまで後退した。その後は南端部の東ローマ帝国、シチリア島のイスラム教徒、ローマを中心としたローマ教皇領、北部には神聖ローマ皇帝といった勢力が割拠した。このほか多数の都市国家が発展、11世紀になると東ローマに代わりノルマン人が侵入した。これらの中にはイタリアの統一を試みる者もいたが、ローマ教皇庁の思惑もあって分裂状態が続いた。近現代
18世紀末にイタリアに侵攻したフランスのナポレオン・ボナパルトは全イタリアを手中に納めたが、1815年にナポレオンが失脚するとヴェネツィアとジェノヴァの共和国を除きほぼ元の分裂状態に戻った。イタリア王国
1861年2月、ジュゼッペ・ガリバルディらの戦果を継承したサルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が統一し、1861年3月17日にイタリア王国を樹立した。王名が新生イタリアで1世に戻らないのは、ガリバルディらがナショナリズムを掲げたにもかかわらず、統一イタリアはサルデーニャ王国の版図そのものということにされたからである。1866年8月25日、不平等条約である日伊修好通商条約を締結し日本と国交を樹立した[注釈 5]。1873年には岩倉使節団がイタリアのフィレンツェ、ローマ、ヴェネツィアを歴訪しており、当時の様子が﹃米欧回覧実記﹄に一部イラストつきで詳しく記されている[10]。 1922年、ローマ進軍クーデターによりファシスト党のベニート・ムッソリーニが首相となる。ムッソリーニは権力の集中を進め、ファシズムによる独裁体制を確立させた。1929年にはローマ教皇庁との間にラテラノ条約を結び、関係を修復する。ムッソリーニ首相とヴィットーリオ・エマヌエーレ3世国王の指導のもと、政治経済の回復に成功し各国からの称賛を得たものの、1935年にはエチオピアを再度植民地化すべく第二次エチオピア戦争によりエチオピアへ侵攻するなど拡張政策をとる。さらに1937年には日本とドイツとともに日独伊防共協定を結び、1939年9月に勃発した第二次世界大戦には1940年6月に参戦。同年9月には日独伊三国同盟を締結、1941年12月にはドイツとともに対米宣戦布告を行った。しかし1943年7月、敗色が濃い中ムッソリーニは失脚し、イタリアは連合国側に鞍替え参戦する。同時に、救出されたムッソリーニを首班としたドイツの傀儡政権であるイタリア社会共和国が北イタリアを支配する状況になる。しかし、1945年5月8日にドイツが敗北したことにより同政権は崩壊した。イタリア共和国
王位惜しさにムッソリーニの独裁を後押しした形のサヴォイア王家は国民の信頼を失いつつあった。伝統的に王国時代が長い南イタリアでは王室への強固な支持があったものの、都市国家の伝統ある北部は王家を信任せず、また王室の強い支持基盤であったカトリック教会が国民投票で中立を宣言したこともあり、大戦終結後の1946年6月2日に行われた共和制への移行を問う国民投票では賛成54%の僅差で王政廃止が決定された。ウンベルト2世は廃位、サヴォイア家による君主制は廃止され、現在のイタリア共和国が成立した。1948年に、初代大統領にエンリコ・デ・ニコラが就任。その後の冷戦では、社会主義勢力の影響を受けながらも、アメリカ合衆国や西ドイツなどとともに西側諸国の1国として東側諸国と対峙した。主要国首脳会議の参加国であり、現在も政治や経済だけでなく、文化的な側面においても世界的に重要な位置を占める。 2022年イタリア総選挙では中道右派連合が勝利した[11]。 2023年にイタリアは一帯一路から離脱した[12]。政治
行政
立法
憲法改革案を否決
2006年6月25 - 26日、憲法改革案を問う国民投票が行われ、開票の結果60%を超す反対で否決された。改革案は、退陣したベルルスコーニ右派連立政権が2005年末、野党・中道左派勢力の反対を押し切って議会を通過させたものである。改革案の中身は、議会の解散権を大統領から首相に移し、保健や教育、警察などの権限を国から州 (regione) に委譲するというものであった。開票結果は、反対が61.7%。そのうち、南部で74.8%、中部で67.7%、北部で52.6%の多数を占めた。投票率は53.6%であった。緊急財政法案可決
2010年7月15日、上院は、ベルルスコーニ政権が提出していた緊急財政法案を賛成170、反対136、棄権0で可決した。政府は、月内にも下院を通過させて法案の成立を目指す。しかし、最大野党の民主党は、16、17日の両日、全国規模の抗議行動を計画している。本法案は5月に提案され、公務員給与増の凍結、省庁予算の削減、地方自治体への交付金削減などの実行によって、今後2年間に財政赤字比率を国内総生産︵GDP︶比3%以内に下げると発表している。政党
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司法
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国際関係
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日本との関係
国家安全保障
陸軍
2007年現在現役兵約11万人、予備役約3万3,500人が所属。
海軍
空軍
カラビニエリ
情報機関
地理
地方行政区分
主要都市
順位 | 都市 | 行政区分 | 人口(人) | 都市 | 行政区分 | 人口(人) | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ローマ (ローマ県) | ラツィオ州 | 2,895,206 | 11 | ヴェネツィア (ヴェネツィア県) | ヴェネト州 | 258,600 | |||
2 | ミラノ (ミラノ県) | ロンバルディア州 | 1,437,436 | 12 | ヴェローナ (ヴェローナ県) | ヴェネト州 | 261,411 | |||
3 | ナポリ (ナポリ県) | カンパニア州 | 962,736 | 13 | メッシーナ (メッシーナ県) | シチリア州 | 226,263 | |||
4 | トリノ (トリノ県) | ピエモンテ州 | 870,599 | 14 | パドヴァ (パドヴァ県) | ヴェネト州 | 213,975 | |||
5 | パレルモ (パレルモ県) | シチリア州 | 658,037 | 15 | トリエステ (トリエステ県) | フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州 | 203,513 | |||
6 | ジェノヴァ (ジェノヴァ県) | リグーリア州 | 571,107 | 16 | ターラント (ターラント県) | プッリャ州 | 194,014 | |||
7 | ボローニャ (ボローニャ県) | エミリア=ロマーニャ州 | 395,602 | 17 | ブレシア (ブレシア県) | ロンバルディア州 | 202,074 | |||
8 | フィレンツェ (フィレンツェ県) | トスカーナ州 | 375,612 | 18 | プラート (プラート県) | トスカーナ州 | 197,352 | |||
9 | バーリ (バーリ県) | プッリャ州 | 323,932 | 19 | レッジョ・ディ・カラブリア (レッジョ・カラブリア県) | カラブリア州 | 178,249 | |||
10 | カターニア (カターニア県) | シチリア州 | 315,937 | 20 | モデナ (モデナ県) | エミリア=ロマーニャ州 | 188,801 | |||
2021年国勢調査 |
経済
戦後の経済史
貿易とエネルギー
イタリアの森林業資源は乏しく、FAOの2017年の統計によれば、森林率は31.97%であり[18]、木材の多くを輸入に頼っている。森林はまず古代ローマ人によって、その後19世紀に大部分が伐採されてしまった。それぞれの目的はマラリア防止と近代化であった。その結果土壌の浸食が進み、林業の発展の障害となってはいたが、近年は状況の好転がみられる。 1970 - 1980年代にヨーロッパ共同体︵現・EU︶加盟国との貿易が増加したが、イタリアは石炭や石油などの原材料を輸入に依存しているため、貿易赤字が続いていた。しかし90年代初頭、リラ切り下げで、外国市場にとってイタリア製品の価格が低下したため、輸出が増加した。貿易相手国の5分の3近くはEU加盟国で、おもな輸出相手国はドイツ、フランス、アメリカ合衆国、イギリス、スペイン、輸入相手国はドイツ、フランス、オランダ、イギリス、アメリカ合衆国、スペインなどである。イタリアはヨーロッパの輸出大国の中で、ドイツに伍して輸出が成長している唯一の国である。2008年より過去7年間、ドイツは7.8%、イタリアは7.6%の割合で輸出が成長している。輸出先で成長が著しいのは、南アメリカ︵+79.3%︶、トルコ︵+35%︶、OPEC諸国、ロシア、中国である。 イタリアはエネルギー資源の輸入国であり、ガス、石炭、石油の大部分を外国に依存している。イタリアの発電量の82%は、石油、天然ガス、石炭、亜炭を用いた火力発電が生み出しており、13%が水力発電によるものである。イタリアは1950年代後半から原子力発電の研究開発を開始し、当時の世界原子力技術で最先端であり、1965年時点には3カ所の原子力発電所が稼動していた。しかしながら1986年のチェルノブイリ原発事故などがきっかけとなり、1987年の国民投票で原発の全面停止を決定し、運転を停止する。1990年には停止中の原子力発電所の運転を再開しないことが決まった。 石油・ガス会社のEni (Eni S.p.A.) はイタリアでもっとも売り上げと利益の多い企業であり、スーパーメジャーの一角を占めている。もとは公営電力会社であったENELはヨーロッパにおける大手電力会社で、地熱発電技術では100年の経験蓄積がある。南北格差
花形産業
交通
道路
鉄道
海運
ローマ帝国時代前から地中海海域の海運の要所として重要な地であったこともあり、海運が古くから盛んである。現在も地中海クルーズの拠点とされることも多く、有名な港としてはナポリやヴェネツィア、ジェノヴァ、ブリンディジなどがある。空運
科学技術
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国民
少子高齢化が進み、1人の高齢者を2.9人で支える高齢社会に突入しており(2012年)、OECD各国では日本、ドイツの次に少子高齢化が進行している[20]。
主要民族
少数民族・難民
言語
方言・地方言語
等語線のラ・スペツィア=リミニ線があり、この線の北西の北イタリア︵西ロマニアの側︶と、南東にあたる中南部のイタリア︵東ロマニアの側︶では言葉が異なる。東ロマニアに分類される中部イタリアのトスカーナ州の言葉を中心に標準語が形成されている。北イタリアではフランス語などに近い西ロマニアの言葉であるガロ・イタリア語を使用する[注釈 6]。 イタリアは歴史的に別の国に分かれていた期間が長いため方言の差が激しいとされているが、そもそも言語成立の過程にも複雑な事情が絡んでいる。古代ローマで話されていた言葉︵ラテン語︶の俗語形である﹁俗ラテン語﹂が、ローマ消滅以降にかつての統治領︵イタリア・フランス・スペインなど︶ごとに統一性を失って方言化した際、イタリア各地のラテン語方言がイタリア地方特有の変化を遂げたと判断した人々が、近世になってこれらをひとつの言語体系︵イタリア語︶と定めたことに起因する。 言語と言語の違いを研究する作業は古くから言語学の分野で行われていたが、どの程度の類似性をもって﹁同じ系統の言語﹂︵方言︶とするのか、あるいは﹁異なる系統の言語﹂とするのかの客観的判断はほとんど不可能で、結局は個々人の価値観に頼るしかなく、民族問題や領土主張との兼ね合いもあって政治的判断が下されるケースが多い︵﹁言語とは軍に守られし方言である﹂という皮肉も存在する︶。よってイタリア語も方言の集合体とするか、無数の独立言語とするかは政治的に決定され、当時の民族主義政策に基づいて方言であるとされた。近年はEU統合の流れから欧州各国で方言を地域言語と認める動きが芽生え始めており、イタリアでも方言を地域言語として承認するべきかどうか盛んに意見が重ねられている。こうした現象はイタリアだけでなく、同じ経緯を持つほかのロマンス諸語でも発生しているほか、ゲルマン語派のドイツ語でも方言の尊重と権利拡大が進められている。 現在、エスノローグはイタリア共和国内に以下の少数言語の存在を認めている。 ●イタリア語︵国家公用語︶ ●ガロ・イタリア語︵ヴェネト州以外の北イタリア︶ ●ヴェネト語︵ヴェネト州︶ ●ナポリ・カラブリア語︵南イタリア︶ ●シチリア語︵シチリア州と南部の一部︶ ●サルデーニャ語︵サルデーニャ州︶外国語
一部の特別自治州、ヴァッレ・ダオスタ州でフランス語、トレンティーノ=アルト・アディジェ州ではドイツ語も使用する。フリウリ地方ではフリウリ語、南ティロルではラディン語という、イタリア語よりラテン語に近いレト・ロマンス語系の言葉を母語とする住民もいる。また、最南部のカラブリア州には東ローマ帝国統治下︵マグナ・グラエキア︶の影響を残すギリシャ語系のグリコ語の話者も存在する。さらに、オスマン帝国時代のアルバニアからイタリア南部に定着した人々の子孫はアルバニア語の方言を母語とする。サルデーニャ島では、イタリア語系のサルデーニャ語︵イタリア語の一方言とする説もある︶が話される。アルゲーロではアラゴン=カタルーニャ連合王国支配の影響からカタルーニャ語の方言が話される。婚姻
婚姻においては基本的に夫婦別姓となっているが、結合姓も認められている。 子の姓に関しては、伝統的には父親の姓としていたが、父親の姓としなければならないという法律は存在しないとの理由で、母親の姓を子の姓としてよいことが裁判を通し2012年に認められた[26]。 また、イタリアはきわめて離婚が少ない国として知られている[27]。宗教
宗教 | % | |
---|---|---|
キリスト教 | 86 |
|
カトリック教会 | 79 |
|
東方/オリエント正教 | 5 |
|
プロテスタント | 1 |
|
他のキリスト教諸派 | 1 |
|
その他の宗教 | 3 |
|
無宗教 | 11 |
|
無神論 | 7 |
|
不可知論 | 4 |
|
合計 | 100 |
|
教育
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保健
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医療
治安
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法執行機関
イタリアにおける法執行は国家レベルで集中化されている面が強く、複数の警察組織やその他の公的機関が様々な公務や任務に参与している。また、法執行制度も複雑であると捉えられており、実際に少数の限定された地方機関からの助力を得たり、複数の省庁によって執行を実施されていることが多い[40]。
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警察
マフィア
歴史が示すように、マフィアはイタリアの経済と社会に多大な影響力を持っている。マフィアとは元来 中世後期にシチリアで生まれた秘密結社で、親族組織からなり、冷酷な暴力とオメルタという厳しい掟で知られる[注釈 8]。 19世紀後半にはシチリアの田園地帯を支配し、地方当局への介入、ゆすり、市民に対するテロ活動を行っていた。戦間期はムッソリーニがマフィアを弾圧したため、彼らは移民に混じって北米に渡った。この時代を除いて、マフィアはイタリア南部を中心に合法・非合法活動を展開した。合衆国で服役中のラッキー・ルチアーノが第二次世界大戦のハスキー作戦に協力してから、マフィアは戦後の国際政治にまで関係するようになった。そして1970年代までに世界の代表的な麻薬のヘロイン取り引きの大部分がマフィアの支配下に入った。Confesercentiの報告書で、マフィアの総売上高は900億ユーロに相当するという。この犯罪収益は資金洗浄の対象である。人権
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マスコミ
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文化
食文化
文学
哲学
音楽
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クラシック音楽
ポピュラー音楽
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美術
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映画
イタリアに関する芸術作品
音楽 ●J.S.バッハ作曲 ﹃イタリア協奏曲﹄ ●メンデルスゾーン作曲 交響曲第4番 イ長調﹃イタリア﹄ ●チャイコフスキー作曲 ﹃イタリア奇想曲﹄ ●ベルリオーズ作曲 交響曲﹃イタリアのハロルド﹄ ●レスピーギ作曲 交響詩﹃ローマの噴水﹄﹃ローマの松﹄﹃ローマの祭﹄ 文学 ●ゲーテ著 ﹃イタリア紀行﹄ ●ハンス・クリスチャン・アンデルセン著 ﹃即興詩人﹄ 映画 ●ルキノ・ヴィスコンティ ﹃白夜﹄ ●フェデリコ・フェリーニ ﹃甘い生活﹄ ●ヴィットリオ・デ・シーカ ﹃昨日・今日・明日﹄ ●宮崎駿 ﹃紅の豚﹄ ●オードリー・ウェルズ ﹃トスカーナの休日﹄ 漫画- 天野こずえ 『アクア (ARIA)』『ARIA (漫画)』
- 荒木飛呂彦 『ジョジョの奇妙な冒険 Part5 黄金の風』
- 相田裕 『GUNSLINGER GIRL』
- 天野明 『家庭教師ヒットマンREBORN!』
- 大河原遁『王様の仕立て屋~サルト・フィニート~』
被服・ファッション
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建築
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世界遺産
祝祭日
日付 | 日本語表記 | イタリア語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | Capodanno | |
1月6日 | 主の公現 | Epifania | Befana |
移動祭日 | 復活祭 | Pasqua | |
移動祭日 | 復活祭後の月曜 | Lunedì dell'Angelo | Lunedì di Pasqua, Pasquetta |
4月25日 | 解放記念日 | Festa della Liberazione | 1945年 |
5月1日 | 労働祭 | Festa dei lavoratori | |
6月2日 | 共和国祭 | Festa della Repubblica | 1946年 |
8月15日 | 聖母被昇天祭 | Ferragosto | Assunzione |
11月1日 | 諸聖人の日 | Ognissanti | |
12月8日 | 聖母の無原罪の御宿りの祭日 | Immacolata Concezione | |
12月25日 | クリスマス | Natale | 詳細はイタリアのクリスマスを参照 |
12月26日 | 聖ステファノの祝日 | Santo Stefano |
この他には、各州に「州の記念日」と呼ばれる祝日が存在している。なお、それらの祝日は必ずしも休日として扱われているわけではないことを留意する必要がある。
スポーツ
サッカー
バスケットボール
モータースポーツ
四輪
二輪
2輪ロードレースの世界ではドゥカティ、アプリリア、MVアグスタなどが知られる。MVアグスタは黎明期のロードレース世界選手権︵現MotoGP、旧称WGP︶において活躍し、空前絶後のライダースタイトル17連覇を達成している。その後MVアグスタは消滅したため、長らく日本メーカーの支配が続いているが、それでも2007年と2020年にドゥカティがコンストラクターズタイトルを獲得している。またヤマハのMotoGPチームは本拠地をイタリアに構えている。 スーパーバイク世界選手権では、ドゥカティのVツイン︵V型2気筒︶エンジンが規則の優遇も利用して一時期黄金時代を築いた。しかし規則が見直されて4気筒が頭角を表して以降は徐々にタイトルから遠ざかっている。ライダーとしてはジャコモ・アゴスチーニがMVアグスタでWGP500ccクラスと350ccクラスの7連覇という偉業を達成している︵このうち5連覇は500ccと350cc同時であった︶。MotoGPに改称後はバレンティーノ・ロッシが5年連続ワールドチャンピオンとなった。ほかにもフランコ・ウンチーニ、マルコ・ルッキネリ、リベロ・リベラッティ、ウンベルト・マセッティといった最高クラスでの王者がいる。自転車競技
ロードレースでは、三大グランツールの一つであるジロ・デ・イタリア、モニュメンツのミラノ〜サンレモ、イル・ロンバルディアが開催されるなど人気は高い。20世紀前半にはアルフレッド・ビンダ、ジーノ・バルタリ、ファウスト・コッピなどが活躍した。20世紀終盤から21世紀にかけては、総合系ではマルコ・パンターニ、ジルベルト・シモーニ、イヴァン・バッソ、ヴィンチェンツォ・ニバリ、スプリンターではマリオ・チポッリーニ、アレッサンドロ・ペタッキ、エリア・ヴィヴィアーニ、ジャコモ・ニッツォーロといった強豪選手を次々と輩出している。競馬
その他の競技
著名な出身者
脚注
注釈
出典
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は無視されます。 (説明)
(41)^ All Nobel Laureates in Literature
(42)^ “世界遺産の多い国”. 外務省. 2016年1月28日閲覧。
(43)^ “驚きの珍理由も!﹁チームカラーの決め方が意外だった﹂ユニフォーム7選”. Qoly. 2020年5月5日閲覧。
(44)^ “本田、ミラノ・ダービーで長友と日本人初対決!”. サンケイスポーツ. 2014年11月25日閲覧。
(45)^ "Ribot, 40 anni fa moriva il Mito Una lezione mai imparata", ALTRI SPORT, 30 aprile 2012.
(46)^ “Albo d'Oro Coppa Italia A1”. Legavolley. 2015年2月13日閲覧。 “男子”
(47)^ “Albo d'Oro Coppa Italia A1”. Legavolley femminile. 2015年2月13日閲覧。 “女子”
(48)^ “夢と感動と愛を与えた日本バレー界の偉人5人”. ︻SPAIA︼スパイア (2016年7月23日). 2020年11月19日閲覧。
参考文献
- OECD Society at a glance 2014 (Report). OECD. 2014. doi:10.1787/soc_glance-2014-en。
- パンフィロ・ジェンティーレ/野上素一訳 『イタリア現代史』 世界思想社 1967年
- 北原敦編 『イタリア史』 山川出版社 2008年
関連項目
外部リンク
- 政府
- イタリア共和国政府 (イタリア語)
- イタリア大統領府 (イタリア語)(英語)
- イタリア首相府 (イタリア語)
- 在日イタリア大使館 (日本語)
- Italy in Japan (@ItalyinJPN) - X(旧Twitter)(日本語)(イタリア語)
- 日本政府
- 日本外務省 - イタリア (日本語)
- 在イタリア日本国大使館 (日本語)
- 観光
- イタリア政府観光局 東京支局 (日本語)
- イタリア写真 (イタリア語)
- その他
- Italy BetterLife Index - OECD
- JETRO - イタリア
- 2015年ミラノ国際博覧会
- 『イタリア』 - コトバンク
- イタリアのウィキメディア地図 (英語)
- イタリアに関連する地理データ - オープンストリートマップ