「馳浩」の版間の差分
1.発災時刻は厚労省第一報で11分と特定された。2.県庁で対応していたのは西垣淳子副知事では無い。彼女は馳と同じように都内に居て官邸に駆け付けた。(出典:読売新聞、24年1月1日(月)午後6時18分 https://www.yomiuri.co.jp/national/20240101-OYT1T50117/?dicbo=v2-Rz9aigj) タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
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| 国旗2 = JPN |
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| 職名2 = 第20代 [[文部科学大臣]] |
| 職名2 = 第20代 [[文部科学大臣]]<br />[[教育再生実行会議#教育再生担当大臣|教育再生担当大臣]] |
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| 内閣2 = [[第3次安倍内閣 (第1次改造)|第3次安倍第1次改造内閣]] |
| 内閣2 = [[第3次安倍内閣 (第1次改造)|第3次安倍第1次改造内閣]] |
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| 就任日2 = [[2015年]][[10月7日]]<ref>{{Cite press release|和書|title=官報 平成27年特別号外第28号 1頁 人事異動 内閣|publisher=[[国立印刷局]]|date=2015-10-07}}</ref> |
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| 就任日2 = [[2015年]][[10月7日]] |
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| 退任日2 = [[2016年]][[8月3日]]<ref>{{Cite press release|和書|title=官報 平成28年特別号外第35号 1頁 人事異動 内閣|publisher=国立印刷局|date=2016-08-03}}</ref> |
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| 退任日2 = [[2016年]][[8月3日]] |
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| 国旗3 = JPN |
| 国旗3 = JPN |
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| 職名3 = [[日本の国会議員|衆議院議員]] |
| 職名3 = [[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]] |
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| 選挙区3 = ([[石川県第1区|石川1区]]→)<br />([[比例北陸信越ブロック]]→)<br />(石川1区→)<br />(比例北陸信越ブロック→)<br />石川1区 |
| 選挙区3 = ([[石川県第1区|石川1区]]→)<br />([[比例北陸信越ブロック]]→)<br />(石川1区→)<br />(比例北陸信越ブロック→)<br />石川1区 |
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| 当選回数3 = 7回 |
| 当選回数3 = 7回 |
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| 所属委員会3 = [[厚生労働委員会]]<br />[[政府開発援助等に関する特別委員会]] |
| 所属委員会3 = [[厚生労働委員会]]<br />[[政府開発援助等に関する特別委員会]] |
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| 国旗4 = JPN |
| 国旗4 = JPN |
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| 職名4 = [[日本の国会議員|参議院議員]] |
| 職名4 = [[日本の国会議員#参議院議員|参議院議員]] |
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| 選挙区4 = [[石川県選挙区]] |
| 選挙区4 = [[石川県選挙区]] |
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| 当選回数4 = 1回 |
| 当選回数4 = 1回 |
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| 就任日4 = [[1995年]][[7月23日]] |
| 就任日4 = [[1995年]][[7月23日]] |
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| 退任日4 = [[2000年]][[5月12日]] |
| 退任日4 = [[2000年]][[5月12日]] |
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| その他職歴1 = [[ファイル:Liberal Democratic Party (Japan) Emblem.jpg|20px]] [[自由民主党広報本部|自由民主党広報本部長]]<br /> |
| その他職歴1 = [[ファイル:Liberal Democratic Party (Japan) Emblem.jpg|20px]] [[自由民主党広報本部#本部長|自由民主党広報本部長]]<br />'''総裁:[[安倍晋三]]''' '' '' |
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| 就任日6 = [[2014年]] |
| 就任日6 = [[2014年]] |
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| 退任日6 = [[2015年]] |
| 退任日6 = [[2015年]] |
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== 来歴 == |
== 来歴 == |
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1961年5月5日、[[富山県]][[西礪波郡]][[砺中町]](現・[[小矢部市]])[[西野尻村|西野尻地区]]興法寺の農家の三男として生まれ、小学3年進級時に親族であるリンゴ農家の馳家([[石川県]][[金沢市]])の養子に入り<ref name=prof/><ref>[http://www.incl.ne.jp/hase/hase-story/hase-story.pdf 少年 はせひろし 物語]</ref>、[[金沢市立千坂小学校]]、[[金沢市立鳴和中学校]]を卒業<ref>[https://hase-hiroshi.org/ はせ浩(馳浩)公式サイト]</ref>。1980年3月、[[星稜中学校・高等学校|星稜高等学校]]卒業<ref>[http://www.sponichi.co.jp/society/news/2015/10/07/kiji/K20151007011276551.html プロレスラー出身初の大臣誕生!馳浩氏、文部科学相で入閣] 2015年10月7日[[スポニチ]]</ref>。1984年3月、[[専修大学]][[文学部]]国文学科卒業<ref name=prof/>。卒業後、母校の星稜高等学校で国語科教員として教鞭を執った。当時担当した授業では、生徒の中に元プロ野球選手の[[湯上谷竑志]]がいた。1984年7月、[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルスオリンピック]]の[[アマチュアレスリング|レスリング]]・[[グレコローマンスタイル]]のライトヘビー級で出場、予選敗退した<ref>[http://www.sports-reference.com/olympics/athletes/ha/hiroshi-hase-1.html Sports-reference.com profile:Hiroshi Hase]{{リンク切れ|date=2021年9月}}{{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20200417072632/https://www.sports-reference.com/olympics/athletes/ha/hiroshi-hase-1.html |date=2020年4月17日}}</ref>。1985年、[[ジャパンプロレス]]に入門。1987年 - [[新日本プロレス]]に移籍。 |
1961年5月5日、[[富山県]][[西礪波郡]][[砺中町]](現・[[小矢部市]])[[西野尻村|西野尻地区]]興法寺の農家<ref>{{Cite web |title=天龍さんが語る“女傑” ジャイアント馬場夫人VS.ジャンボ鶴田夫人の壮絶バトル!? |url=https://dot.asahi.com/articles/-/213888 |website=AERA dot. (アエラドット) |date=2024-02-11 |access-date=2024-02-11 |language=ja}}</ref>の三男として生まれ、小学3年進級時に親族であるリンゴ農家の馳家([[石川県]][[金沢市]])の養子に入り<ref name=prof/><ref>[http://www.incl.ne.jp/hase/hase-story/hase-story.pdf 少年 はせひろし 物語]</ref>、[[金沢市立千坂小学校]]、[[金沢市立鳴和中学校]]を卒業<ref>[https://hase-hiroshi.org/ はせ浩(馳浩)公式サイト]</ref>。1980年3月、[[星稜中学校・高等学校|星稜高等学校]]卒業<ref>[http://www.sponichi.co.jp/society/news/2015/10/07/kiji/K20151007011276551.html プロレスラー出身初の大臣誕生!馳浩氏、文部科学相で入閣] 2015年10月7日[[スポニチ]]</ref>。1984年3月、[[専修大学]][[文学部]]国文学科卒業<ref name=prof/>。卒業後、母校の星稜高等学校で国語科教員として教鞭を執った。当時担当した授業では、生徒の中に元プロ野球選手の[[湯上谷竑志]]がいた。1984年7月、[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルスオリンピック]]の[[アマチュアレスリング|レスリング]]・[[グレコローマンスタイル]]のライトヘビー級で出場、予選敗退した<ref>[http://www.sports-reference.com/olympics/athletes/ha/hiroshi-hase-1.html Sports-reference.com profile:Hiroshi Hase]{{リンク切れ|date=2021年9月}}{{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20200417072632/https://www.sports-reference.com/olympics/athletes/ha/hiroshi-hase-1.html |date=2020年4月17日}}</ref>。1985年、[[ジャパンプロレス]]に入門。1987年 - [[新日本プロレス]]に移籍。 |
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1995年7月、[[自由民主党幹事長]]の[[森喜朗]]にスカウトされ、[[第17回参議院議員通常選挙]]に[[石川県選挙区]]から[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の推薦を受けて[[無所属]]で立候補し、[[民主改革連合]]現職の[[粟森喬]]を破り初当選する。当初は会派「自由民主党・[[自由国民会議]]」、2か月後に正式に自由民主党所属国会議員となった。1996年11月、[[全日本プロレス]]に移籍する。2000年5月12日、衆議院総選挙立候補準備の為、参議院議員を辞職する。 |
1995年7月、[[自由民主党幹事長]]の[[森喜朗]]にスカウトされ、[[第17回参議院議員通常選挙]]に[[石川県選挙区]]から[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の推薦を受けて[[無所属]]で立候補し、[[民主改革連合]]現職の[[粟森喬]]を破り初当選する。当初は会派「自由民主党・[[自由国民会議]]」、2か月後に正式に自由民主党所属国会議員となった。1996年11月、[[全日本プロレス]]に移籍する。2000年5月12日、衆議院総選挙立候補準備の為、参議院議員を辞職する。 |
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2021年7月、任期満了に伴い2022年3月までに行われる[[2022年石川県知事選挙|石川県知事選挙]]への出馬を表明し、衆議院選挙に立候補しないことを表明した<ref>{{Cite news |title=自民・馳氏、石川知事選出馬へ 次期衆院選は不出馬|newspaper=産経新聞 |date=2021-7-19|author= |url=https://www.sankei.com/article/20210719-QNZRTD3HJRLQNNJRVVM5VBEY4E/ |accessdate=2021-7-19}}</ref>。 |
2021年7月、任期満了に伴い2022年3月までに行われる[[2022年石川県知事選挙|石川県知事選挙]]への出馬を表明し、衆議院選挙に立候補しないことを表明した<ref>{{Cite news |title=自民・馳氏、石川知事選出馬へ 次期衆院選は不出馬|newspaper=産経新聞 |date=2021-7-19|author= |url=https://www.sankei.com/article/20210719-QNZRTD3HJRLQNNJRVVM5VBEY4E/ |accessdate=2021-7-19}}</ref>。 |
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2022年3月13日の投開票の結果、元金沢市長の[[山野之義]]、元参議院議員の[[山田修路]]ら4候補を破り初当選を果たした。投票率は前回選挙より22%増の61.81%だった<ref>{{Cite news |title=︿速報﹀石川県知事選、馳浩氏が初当選 |
2022年3月13日の投開票の結果、元金沢市長の[[山野之義]]、元参議院議員の[[山田修路]]ら4候補を破り初当選を果たした。投票率は前回選挙より22%増の61.81%だった<ref>{{Cite news |title=︿速報﹀石川県知事選、馳浩氏が初当選 7982票差の接戦制す |newspaper=北國新聞 |date=2022-3-14 |author= |url=https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/684901 |accessdate=2022-3-14}}</ref>。同月27日に就任<ref>{{Cite news|title=知事のホームページ - 知事のプロフィール|url=https://www.pref.ishikawa.lg.jp/chiji/profile.html|work=石川県|accessdate=2022-03-27|language=ja-JP|last=石川県|date=}}</ref>し、[[舛添要一]]以来となる大臣経験者の知事就任となった。
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2022年9月9日、[[日本維新の会 (2016-)|日本維新の会]]の顧問に就任したことが発表された<ref>{{Cite news |title=維新顧問に馳浩・石川知事 統一選にらみ足場|newspaper=時事通信 |date=2022-9-9|author= |url=https://web.archive.org/web/20220909140535/https://www.jiji.com/jc/article?k=2022090901355&g=pol |accessdate=2022-9-10}}</ref>。一方で維新へは入党しておらず、自民党籍のままとしている<ref>{{Cite news |title=日本維新の顧問に馳浩・石川県知事が就任 元自民衆院議員|newspaper=朝日新聞|date=2022-09-09|url=https://www.asahi.com/articles/ASQ9974JWQ99OXIE058.html|accessdate=2022-09-10}}</ref>。 |
2022年9月9日、[[日本維新の会 (2016-)|日本維新の会]]の顧問に就任したことが発表された<ref>{{Cite news |title=維新顧問に馳浩・石川知事 統一選にらみ足場|newspaper=時事通信 |date=2022-9-9|author= |url=https://web.archive.org/web/20220909140535/https://www.jiji.com/jc/article?k=2022090901355&g=pol |accessdate=2022-9-10}}</ref>。一方で維新へは入党しておらず、自民党籍のままとしている<ref>{{Cite news |title=日本維新の顧問に馳浩・石川県知事が就任 元自民衆院議員|newspaper=朝日新聞|date=2022-09-09|url=https://www.asahi.com/articles/ASQ9974JWQ99OXIE058.html|accessdate=2022-09-10}}</ref>。 |
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2024年1月1日16時11分、[[令和6年能登半島地震]]発生。16時45分頃、馳は[[自衛隊]]に[[災害派遣]]を要請<ref>{{Cite news |title=石川県の馳浩知事が首相官邸入り、午後4時45分に陸上自衛隊に災害派遣要請 |newspaper=[[読売新聞オンライン]] |date=2024-01-01 |url=https://www.yomiuri.co.jp/national/20240101-OYT1T50117/ |access-date=2024-01-02 |language=ja}}</ref>。当時、正月休みのため東京の自宅に帰省していた。災害派遣要請から15分後、自宅から直接首相官邸入りして情報収集にあたった<ref>{{Cite web |title=︻速報︼﹁県庁にいる副知事と連携を取りながら対応﹂馳浩・石川県知事は首相官邸に入る|FNNプライムオンライン |url=https://www.fnn.jp/articles/-/637403 |website=FNNプライムオンライン |date=2024-01-01 |access-date=2024-01-02}}</ref>。県庁での対応は副知事の徳田博が担当した。1日夜、滞在していた首相官邸から内閣府調査チームのメンバーと共に自衛隊のヘリコプターで金沢駐屯地に向かった<ref>{{Cite web |title=馳浩知事、自衛隊ヘリで首相官邸から石川県へ出発 能登半島地震発生時には帰省で在京 |url=https://www.sankei.com/article/20240101-K3XIDJHQNRIBHKEOR355GLJISQ/ |website=産経ニュース |access-date=2024-01-02 |language=ja}}</ref>。
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2024年1月1日16時11分、[[能登半島地震 (2024年)|令和6年能登半島地震]]発生。16時45分頃、馳は[[自衛隊]]に[[災害派遣]]を要請<ref>{{Cite news |title=石川県の馳浩知事が首相官邸入り、午後4時45分に陸上自衛隊に災害派遣要請 |newspaper=[[読売新聞オンライン]] |date=2024-01-01 |url=https://www.yomiuri.co.jp/national/20240101-OYT1T50117/ |access-date=2024-01-02 |language=ja}}</ref>。当時、正月休みのため東京の自宅に帰省していた。災害派遣要請から15分後、自宅から直接首相官邸入りして情報収集にあたった<ref>{{Cite web |title=︻速報︼﹁県庁にいる副知事と連携を取りながら対応﹂馳浩・石川県知事は首相官邸に入る|FNNプライムオンライン |url=https://www.fnn.jp/articles/-/637403 |website=FNNプライムオンライン |date=2024-01-01 |access-date=2024-01-02}}</ref>。県庁での対応は副知事の徳田博が担当した。1日夜、滞在していた首相官邸から内閣府調査チームのメンバーと共に自衛隊のヘリコプターで金沢駐屯地に向かった<ref>{{Cite web |title=馳浩知事、自衛隊ヘリで首相官邸から石川県へ出発 能登半島地震発生時には帰省で在京 |url=https://www.sankei.com/article/20240101-K3XIDJHQNRIBHKEOR355GLJISQ/ |website=産経ニュース |access-date=2024-01-02 |language=ja}}</ref>。
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{{see|能登半島地震 (2024年)}} |
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== 人物 == |
== 人物 == |
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| 誕生日 = {{生年月日と年齢|1961|5|5}} |
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| 死亡日 = |
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| 出身地 = [[富山県]][[西礪波郡]][[砺中町]](現・[[小矢部市]])生まれ<br />[[石川県]][[金沢市]]育ち |
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| 所属 = |
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| スポーツ歴 = [[アマチュアレスリング|レスリング]]<br />[[サンボ (格闘技)|サンボ]] |
| スポーツ歴 = [[アマチュアレスリング|レスリング]]<br />[[サンボ (格闘技)|サンボ]] |
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| トレーナー = [[長州力]]<br />[[ミスター・ヒト]] |
| トレーナー = [[長州力]]<br />[[ミスター・ヒト]] |
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| デビュー = [[1986年]][[2月28日]] |
| デビュー = [[1986年]][[2月28日]] |
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| 引退 = |
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1987年のジャパンプロレスの面々が新日本マットに登場した際に日本デビュー。日本デビュー戦は[[小林邦昭]]の[[IWGPジュニアヘビー級王座]]に挑戦し、勝利する<ref name="gong913"/>。 |
1987年のジャパンプロレスの面々が新日本マットに登場した際に日本デビュー。日本デビュー戦は[[小林邦昭]]の[[IWGPジュニアヘビー級王座]]に挑戦し、勝利する<ref name="gong913"/>。 |
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バラエティー色を強くした『[[ワールドプロレスリング|ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング]]』にスタジオゲストで出演した際、司会の[[山田邦子]]が流血したレスラーの様子を見て「血なんかすぐ止まるもんなんですか?選手って言うのは?」と聞いたとき、馳が「おい、つまんない話聞くなよ。止まるわけないだろ」と反論した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.excite.co.jp/news/article/E1393347771924/|title=馳浩のことは嫌いになっても、プロレスのことは嫌いにならなかった山田邦子|publisher=exciteニュース|date=2014-02-26|accessdate=2015-10-07}}</ref>。この出来事は発言内容も含めて、「非礼な質問に対して馳がプロとして叱責した」もしくは「激怒するなど、大人げない対応をした」などと誤った解釈で広まったが、実際は一蹴したまでに過ぎず、直後の山田からの別の質問に対しては速やかに対応していた。しかしこのやり取りを見た番組サイドは、当時タレントとして圧倒的人気を博していた山田が「言葉の暴力」に遭うと言う場面として重く捉え、結果的に番組終了(『ワールドプロレスリング』としては継続)を決断する事に至ったと言う<ref>{{Cite web|和書|url= https://number.bunshun.jp/articles/-/846608?page=1|title=「つまらないこと聞くな!」馳浩が山田邦子を怒鳴りつけた“事件の真相”と34年後のグータッチ|publisher=Number Web|date=2021-01-09|accessdate=2021-08-22}}</ref>。山田は2020年に自身のYouTubeチャンネルでこの件を取り上げ、「新日本プロレスが嫌いになった」と噂されたり、今もなお詳細を尋ねられる事があるが、自身は全く気にしておらず、馳の妻である高見恭子や弟と交流を持ったり、馳を食事に誘った事もあったと述べ、むしろ前述の通り番組が終了した事によって多数のスタッフが仕事を失った事を指摘し、「馳先生も悪い事をしたと思っているなら謝ってくれればいいのに」、「(報道陣の前で)花束で一回殴らせてくださいよ |
バラエティー色を強くした『[[ワールドプロレスリング|ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング]]』にスタジオゲストで出演した際、司会の[[山田邦子]]が流血したレスラーの様子を見て「血なんかすぐ止まるもんなんですか?選手って言うのは?」と聞いたとき、馳が「おい、つまんない話聞くなよ。止まるわけないだろ」と反論した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.excite.co.jp/news/article/E1393347771924/|title=馳浩のことは嫌いになっても、プロレスのことは嫌いにならなかった山田邦子|publisher=exciteニュース|date=2014-02-26|accessdate=2015-10-07}}</ref>。この出来事は発言内容も含めて、「非礼な質問に対して馳がプロとして叱責した」もしくは「激怒するなど、大人げない対応をした」などと誤った解釈で広まったが、実際は一蹴したまでに過ぎず、直後の山田からの別の質問に対しては速やかに対応していた。しかしこのやり取りを見た番組サイドは、当時タレントとして圧倒的人気を博していた山田が「言葉の暴力」に遭うと言う場面として重く捉え、結果的に番組終了(『ワールドプロレスリング』としては継続)を決断する事に至ったと言う<ref>{{Cite web|和書|url= https://number.bunshun.jp/articles/-/846608?page=1|title=「つまらないこと聞くな!」馳浩が山田邦子を怒鳴りつけた“事件の真相”と34年後のグータッチ|publisher=Number Web|date=2021-01-09|accessdate=2021-08-22}}</ref>。山田は2020年に自身のYouTubeチャンネルでこの件を取り上げ、「新日本プロレスが嫌いになった」と噂されたり、今もなお詳細を尋ねられる事があるが、自身は全く気にしておらず、馳の妻である高見恭子や弟と交流を持ったり、馳を食事に誘った事もあったと述べ、むしろ前述の通り番組が終了した事によって多数のスタッフが仕事を失った事を指摘し、「馳先生も悪い事をしたと思っているなら謝ってくれればいいのに」、「(報道陣の前で)花束で一回殴らせてくださいよ!」と笑いを交えながら語っている<ref>[https://m.youtube.com/watch?v=HMFTmKt6cSw 新日本プロレスは和解したのか!?馳浩さんとの確執について語ります]</ref>。この動画をアップした1年後の2021年1月4日のプロレスリング・ノア後楽園ホール大会に馳が参戦。試合後、解説席にいた山田とグータッチを交わし、投げキスも見せているが、ここでもメディアは「34年ぶり歴史的和解」と報じている<ref>[https://m.youtube.com/watch?v=2_l1_mJL-Aw 34年ぶり 山田邦子と馳浩が“歴史的和解”!1.4 NOAHダイジェスト]</ref>。 |
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1990年6月、[[後藤達俊]]とのシングルマッチで[[バックドロップ]]を受け、試合後に一時心肺停止状態となる<ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/and_M/20200228/9803069/|title=尋常ならざる回復力はどこから? リングドクターが教えるプロレスラーの肉体の秘密/【プロレス偏愛】#04|accessdate=2020-07-05|date=2020-02-20|newspaper=&M|publisher=朝日新聞社}}</ref>。 |
1990年6月、[[後藤達俊]]とのシングルマッチで[[バックドロップ]]を受け、試合後に一時心肺停止状態となる<ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/and_M/20200228/9803069/|title=尋常ならざる回復力はどこから? リングドクターが教えるプロレスラーの肉体の秘密/【プロレス偏愛】#04|accessdate=2020-07-05|date=2020-02-20|newspaper=&M|publisher=朝日新聞社}}</ref>。 |
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引退興行については[[武藤敬司]]が「全日で馳さんの引退興行を行いたい、新日では行わせたくない」と周辺に漏らしていた。また、2006年1月の武藤社長就任3周年記念パーティに馳が参加し、自ら「引退興行は本年中に全日本で行って欲しい」と嘆願、同年7月23日の地元金沢の興行を馳浩引退記念興行とし、8月27日の両国国技館大会で引退試合を行った。なお、7月23日の金沢大会はもともと挨拶だけの予定だったが、本来出場予定の[[佐々木健介]]が左眼窩底骨折で出場できなくなり、急遽代役として出場することとなった<ref name="gong913"/>。 |
引退興行については[[武藤敬司]]が「全日で馳さんの引退興行を行いたい、新日では行わせたくない」と周辺に漏らしていた。また、2006年1月の武藤社長就任3周年記念パーティに馳が参加し、自ら「引退興行は本年中に全日本で行って欲しい」と嘆願、同年7月23日の地元金沢の興行を馳浩引退記念興行とし、8月27日の両国国技館大会で引退試合を行った。なお、7月23日の金沢大会はもともと挨拶だけの予定だったが、本来出場予定の[[佐々木健介]]が左眼窩底骨折で出場できなくなり、急遽代役として出場することとなった<ref name="gong913"/>。 |
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2006年8月27日、馳のプロレス引退試合を元首相の[[森喜朗]]が観戦したが、対戦相手の[[VOODOO-MURDERS]]の[["brother"YASSHI]]が﹁おい、そこの森 |
2006年8月27日、馳のプロレス引退試合を元首相の[[森喜朗]]が観戦したが、対戦相手の[[VOODOO-MURDERS]]の[["brother"YASSHI]]が﹁おい、そこの森! お腹の中、何か詰まってるな? お金か? このカス野郎!﹂と森に罵声を浴びせた上、森の失政を批判し唾を掛けた。さらに、場外乱闘に乗じて[[TARU]]が森を挑発したため、森もパイプ椅子を持って身構えるという事態が発生した。このとき観客から森コールが起こったものの、森の[[セキュリティポリス|SP]]がTARUに抗議しつつ森を止めたため、憲政史上初となる[[総理大臣]]経験者のプロレス参戦は実現しなかった。試合後、記者団に対して森は﹁椅子? パフォーマンスだよ﹂と苦笑いで語ったが、YASSHIに話が及ぶと﹁客に対して失礼だ﹂と激怒した。その後、馳は電話にもかかわらず森に土下座して謝罪したという。ただ、森は元々プロレス好きである。なお、この大会では初代[[文部科学大臣]]だった同じ派閥の[[町村信孝]]大臣も来場し、森の横で観戦していたが、この試合中の顛末をにこやかに見ていた<ref name="gong913"/>。[[引退]][[セレモニー]]の花束贈呈順が森元[[内閣総理大臣]]、町村文部科学大臣、オーラスが[[ミスター・ヒト]]だった。馳は﹁元総理、文部科学大臣を前座にして何でミスターヒトが大トリなんだ!?俺にも立場がある﹂と冗談めかして述べた<ref name="gong913"/>。
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==== 現役引退後 ==== |
==== 現役引退後 ==== |
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プロレスからの引退発表こそしたが、総理大臣としてSPを連れてリングに上がるのが夢だと話している<ref name="gong913"/>。 |
プロレスからの引退発表こそしたが、総理大臣としてSPを連れてリングに上がるのが夢だと話している<ref name="gong913"/>。 |
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2021年1月4日に後楽園ホールで行われた[[プロレスリング・ノア]]﹁New Sunrise 2021﹂のメインの6人タッグに出場し1年4か月ぶりにリング復帰を果たす。[[潮崎豪]]、[[清宮海斗]]とタッグを組み、武藤敬司、[[丸藤正道]]、[[田中将斗]]と対戦し勝利を収めた<ref>{{Cite news|url=https://hochi.news/articles/20210104-OHT1T50204.html|title=馳浩衆院議員、 |
2021年1月4日に後楽園ホールで行われた[[プロレスリング・ノア]]﹁New Sunrise 2021﹂のメインの6人タッグに出場し1年4か月ぶりにリング復帰を果たす。[[潮崎豪]]、[[清宮海斗]]とタッグを組み、武藤敬司、[[丸藤正道]]、[[田中将斗]]と対戦し勝利を収めた<ref>{{Cite news|url=https://hochi.news/articles/20210104-OHT1T50204.html|title=馳浩衆院議員、1年4か月ぶりのプロレス参戦…6人タッグで武藤敬司と対戦…ノア1・4後楽園|work=nikkansports.com|newspaper=[[スポーツ報知]]|date=2021-01-04|accessdate=2021-01-05}}</ref>。
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2023年1月1日に日本武道館で行われたプロレスリング・ノアの試合に当日発表のXとしてサプライズ参戦。石川県知事就任後、そして自身の還暦初となる。藤田和之、ケンドーカシン、NOSAWA論外とタッグを組み、最後はノーザンライトスープレックスで勝利を挙げた<ref>{{Cite web|和書|title=【ノア】馳浩石川県知事 |
2023年1月1日に日本武道館で行われたプロレスリング・ノアの試合に当日発表のXとしてサプライズ参戦。石川県知事就任後、そして自身の還暦初となる。藤田和之、ケンドーカシン、NOSAWA論外とタッグを組み、最後はノーザンライトスープレックスで勝利を挙げた<ref>{{Cite web|和書|title=【ノア】馳浩石川県知事2年ぶりのリングに会場どよめき ジャイアントスイングも披露(日刊スポーツ) |url=https://news.yahoo.co.jp/articles/8c1ece5acfb77e345851ba66aebcfb57f2a5123d |website=Yahoo!ニュース |access-date=2023-01-01 |language=ja}}</ref>。現職知事がレスラーとしてリングに上がったのは初めて。年末年始の知事職務休暇中の石川を離れての東京でリングに上がったが、現職知事が怪我をする懸念や雪などの災害対応における危機管理として知事としての公務に心配する声が出た。馳は「石川を離れる際は両副知事に対応をお願いし、危機管理監からも定期的に報告を受けていた」と危機管理上の問題はなかったとの認識を示し、「今は健康と日時の許す範囲でリングに上がっている」とし、また「私は死ぬまでプロレスラーだ」と発言した<ref>{{Cite web|和書|title=「私は死ぬまでプロレスラー」リングインした馳浩石川県知事 “生涯現役”を宣言 {{!}} TBS NEWS DIG (1ページ) |url=https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/261045 |website=TBS NEWS DIG |date=2023-01-04 |access-date=2023-09-09 |language=ja}}</ref>。 |
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== タイトル歴 == |
=== タイトル歴 === |
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{{出典の明記|date = 2016年1月|section = 1}} |
{{出典の明記|date = 2016年1月|section = 1}} |
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; [[新日本プロレス]] |
; [[新日本プロレス]] |
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* 技能賞(1991年) |
* 技能賞(1991年) |
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== 得意技 == |
=== 得意技 === |
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{{出典の明記|date = 2016年1月|section = 1}} |
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レスリング出身であるにもかかわらず、裏投げやジャイアントスイング、ノーザンライトスープレックスなど様々な技を見せるのも馳のプロレスである。 |
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; [[ノーザンライトスープレックス]] |
; [[ノーザンライトスープレックス]] |
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: 馳の代名詞でもある技。別名は北斗原爆固め。ネーミングはカルガリーにかけたもの。現在{{いつ|date=2012年12月}}<!-- See [[WP:DATED]] -->では数多くのレスラーが繋ぎ技として使用するがこの技の元祖である馳 |
: 馳の代名詞でもある技。別名は北斗原爆固め。ネーミングはカルガリーにかけたもの。現在{{いつ|date=2012年12月}}<!-- See [[WP:DATED]] -->では数多くのレスラーが繋ぎ技として使用するがこの技の元祖でもある馳も、頑なにフィニッシュとして使用するこだわりを見せていた。相手の両腕をクラッチして受身を取りづらくさせるのが馳流で、武藤に[[シャイニング・ウィザード]]の踏み台にされたことがある{{要出典|date=2016年1月}}。 |
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; [[裏投|裏投げ]] |
; [[裏投|裏投げ]] |
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: サンボ修行中に体得。馳によりプロレス界に持ち込まれた。相手の力量に応じて意図的に角度を調節しているが一流レスラーが相手となると正に扇を広げた様な形で頭から、時に垂直に叩き落とすこともあった。馳 |
: サンボ修行中に体得した技。馳の手によりプロレス界に持ち込まれた。相手の力量に応じて意図的に角度を調節しているが一流レスラーが相手となると正に扇を広げた様な形で頭から、時に垂直に叩き落とすこともあった。馳も「もっとも自信のある技」と語る。見た目は美しいが時に悲壮感が残る程の実際にかなり危険な技である{{要出典|date=2016年1月}}。 |
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; [[ジャイアントスイング]] |
; [[ジャイアントスイング]] |
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: レスラーの中でも随一の使い手であった。最高で60回転したことがあり、引退試合では馳の年齢と同じ45回転を達成した。 |
: レスラーの中でも随一の使い手であった。最高で60回転したことがあり、引退試合では馳の年齢と同じ45回転を達成した。 |
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: また |
: またジャイアントスイングを仕掛けた後腰を回すアピール(当時、人気レスラーだった[[リック・ルード]]の定番ムーブを模したもの)をしたり、タッグマッチでは相手のパートナーから攻撃されたりするのが(主にラリアット)定番のムーブとなっている{{要出典|date=2016年1月}}。 |
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: 一回転する度に観客が回転数を数えるのが恒例となっている{{要出典|date=2016年1月}}。 |
: 一回転する度に観客が回転数を数えるのが恒例となっている{{要出典|date=2016年1月}}。 |
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; [[チョップ|逆水平チョップ]](馳チョップ) |
; [[チョップ|逆水平チョップ]](馳チョップ) |
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; [[ヘッドロック#ブルドッギング・ヘッドロック|フェイスクラッシャー]] |
; [[ヘッドロック#ブルドッギング・ヘッドロック|フェイスクラッシャー]] |
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; [[ステップオーバー・トーホールド・ウィズ・フェイスロック|裏STF]] |
; [[ステップオーバー・トーホールド・ウィズ・フェイスロック|裏STF]] |
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: 1993年の[[G1 CLIMAX]]準決勝で初公開しSTFの本家である[[蝶野正洋]]からギブアップを奪った。この試合の前日に飲み屋で飲んでいる時に思いついたという{{要出典|date=2016年1月}}。 |
: 1993年の[[G1 CLIMAX]]準決勝で初公開しSTFの本家でもある[[蝶野正洋]]からギブアップを奪った。馳も、この試合の前日に飲み屋で飲んでいる時に思いついたという{{要出典|date=2016年1月}}。 |
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; [[ニー・ドロップ#ダイビング・ニー・ドロップ|ダイビングニードロップ]] |
; [[ニー・ドロップ#ダイビング・ニー・ドロップ|ダイビングニードロップ]] |
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== 入場テーマ曲 == |
=== 入場テーマ曲 === |
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* Two Hearts/[[ジョン・パー|John Parr]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nhk.or.jp/fm-blog/200/27378.html|title=『今日は一日"プロレス・格闘技テーマ曲"三昧』を終えて|publisher=[[NHK-FM]]|date=2008-10-13|accessdate=2016-01-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160204175951/http://www.nhk.or.jp/fm-blog/200/27378.html|archivedate=2016年2月4日|deadlinkdate=2020年5月}}</ref> |
* Two Hearts/[[ジョン・パー|John Parr]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nhk.or.jp/fm-blog/200/27378.html|title=『今日は一日"プロレス・格闘技テーマ曲"三昧』を終えて|publisher=[[NHK-FM]]|date=2008-10-13|accessdate=2016-01-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160204175951/http://www.nhk.or.jp/fm-blog/200/27378.html|archivedate=2016年2月4日|deadlinkdate=2020年5月}}</ref> |
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* [[国会 (日本)|国会]]で「青少年の健全育成の為に表現規制は憲法上許される」として青少年健全育成基本法案に賛同した<ref>{{Cite web|和書|url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=115004582X00220001109 |title=第150回国会 衆議院 青少年問題に関する特別委員会 第2号 平成12年11月9日 |accessdate=2014年1月5日 }}</ref>。 |
* [[国会 (日本)|国会]]で「青少年の健全育成の為に表現規制は憲法上許される」として青少年健全育成基本法案に賛同した<ref>{{Cite web|和書|url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=115004582X00220001109 |title=第150回国会 衆議院 青少年問題に関する特別委員会 第2号 平成12年11月9日 |accessdate=2014年1月5日 }}</ref>。 |
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*2018年の時点で[[日本における同性結婚|同性婚]]制度導入に反対<ref>{{Cite web|和書|title=同性婚の法制化「私は反対」国会議員が今も慎重な理由:朝日新聞デジタル|url=https://www.asahi.com/articles/ASLCV7G1FLCVUPQJ011.html|website=朝日新聞デジタル|accessdate=2021-10-19|language=ja}}</ref>。 |
*2018年の時点で[[日本における同性結婚|同性婚]]制度導入に反対<ref>{{Cite web|和書|title=同性婚の法制化「私は反対」国会議員が今も慎重な理由:朝日新聞デジタル|url=https://www.asahi.com/articles/ASLCV7G1FLCVUPQJ011.html|website=朝日新聞デジタル|accessdate=2021-10-19|language=ja}}</ref>。 |
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=== 発言 === |
=== 発言 === |
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* 2015年12月14日、東京五輪・パラリンピックのメイン会場予定となる新国立競技場のデザイン案について、森喜朗の発言に対して「(A案・B案)両方ともいい。本当にB案がいいって言ったの?」と、森の発言に驚いたと報道された<ref>[http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20151215/k00/00e/040/215000c 新国立 そんなこと言っていいのか」 馳氏、森氏発言に] - 毎日新聞、2015年12月15日、同日閲覧</ref> |
* 2015年12月14日、東京五輪・パラリンピックのメイン会場予定となる新国立競技場のデザイン案について、森喜朗の発言に対して「(A案・B案)両方ともいい。本当にB案がいいって言ったの?」と、森の発言に驚いたと報道された<ref>[http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20151215/k00/00e/040/215000c 新国立 そんなこと言っていいのか」 馳氏、森氏発言に] - 毎日新聞、2015年12月15日、同日閲覧</ref> |
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* 2015年10月13日、文部科学大臣に就任してまもなくの記者会見で、教員時代に[[体罰]]を行っていたことを認め、「私に[[竹刀]]で殴られた高校生たちに謝罪をしたいと思う」と述べた上で、「体罰はあってはならない」と強調した<ref>{{Cite news | title = 馳文科相、教員時代の体罰認め謝罪…竹刀で殴る | newspaper = [[読売新聞]](YOMIURI ONLINE) | date = 2015-10-13 | url = http://www.yomiuri.co.jp/national/20151013-OYT1T50040.html | publication-date = | accessdate = 2015年10月15日 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20151015202536/http://www.yomiuri.co.jp/national/20151013-OYT1T50040.html | archivedate = 2015年10月15日 }}</ref>。 |
* 2015年10月13日、文部科学大臣に就任してまもなくの記者会見で、教員時代に[[体罰]]を行っていたことを認め、「私に[[竹刀]]で殴られた高校生たちに謝罪をしたいと思う」と述べた上で、「体罰はあってはならない」と強調した<ref>{{Cite news | title = 馳文科相、教員時代の体罰認め謝罪…竹刀で殴る | newspaper = [[読売新聞]](YOMIURI ONLINE) | date = 2015-10-13 | url = http://www.yomiuri.co.jp/national/20151013-OYT1T50040.html | publication-date = | accessdate = 2015年10月15日 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20151015202536/http://www.yomiuri.co.jp/national/20151013-OYT1T50040.html | archivedate = 2015年10月15日 }}</ref>。 |
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* 2016年、岐阜大学が卒業式などで国歌斉唱をしない方針を示したことを、馳浩文部科学相が﹁恥ずかしい﹂などと批判した<ref name="asahi20160314">[http://www.asahi.com/articles/ASJ3G4VT9J3GUTIL01Q.html ﹁国歌めぐる馳大臣発言﹁撤回を﹂ 憲法学者 |
* 2016年、岐阜大学が卒業式などで国歌斉唱をしない方針を示したことを、馳浩文部科学相が﹁恥ずかしい﹂などと批判した<ref name="asahi20160314">[http://www.asahi.com/articles/ASJ3G4VT9J3GUTIL01Q.html ﹁国歌めぐる馳大臣発言﹁撤回を﹂ 憲法学者96人が声明﹂]、朝日新聞、2016年3月14日。</ref>。この発言は、憲法学者などから撤回を求められるなど、批判を受けた<ref name="asahi20160314" />。
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* 2016年8月2日、文科大臣を退任する時に「雨上がり、深呼吸して夏の空」と俳句を詠むと、当時事務次官だった[[前川喜平]]が「仰ぐ空、名残を惜しむ蝉の声」と返句。この句の冒頭は元々、元の句とそろえた「夏の空」だったが、それだと季語が二つになるとして馳が添削した<ref>「俳句界」2018年2月号 佐高信対談「甘口でコンニチハ!」ゲスト前川喜平の回</ref>。 |
* 2016年8月2日、文科大臣を退任する時に「雨上がり、深呼吸して夏の空」と俳句を詠むと、当時事務次官だった[[前川喜平]]が「仰ぐ空、名残を惜しむ蝉の声」と返句。この句の冒頭は元々、元の句とそろえた「夏の空」だったが、それだと季語が二つになるとして馳が添削した<ref>「俳句界」2018年2月号 佐高信対談「甘口でコンニチハ!」ゲスト前川喜平の回</ref>。 |
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=== 主張 === |
=== 主張 === |
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=== 不祥事 === |
=== 不祥事 === |
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; 視察でのセクシャルハラスメント |
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2020年4月22日、虐待や性暴力の被害に遭った10代の女性らを支える一般社団法人﹁[[Colabo]]﹂が運営するバスカフェ﹁TsubomiCafe﹂を視察した際、事前連絡を大幅に超える人数で視察に訪れ、少女に対する[[セクシャルハラスメント]]があったとして謝罪を求められた<ref name=ns1>{{Cite web|和書|url= https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202004250000026.html |title= 自民・馳浩氏の﹁性被害少女セクハラ﹂団体が抗議文 |accessdate=2020/04/25|publisher= 日刊スポーツ}}</ref><ref name=mai1>{{Cite web|和書|url= https://mainichi.jp/articles/20200424/ddm/012/040/063000c |title= 新型コロナ 自民議員視察、15人﹁密集﹂少女ら支援のカフェ団体に謝罪へ |accessdate=2020/04/25|publisher= 毎日新聞}}</ref>。馳議員含む視察に参加した国会議員らは﹁率直におわび申し上げたい﹂などと謝罪のコメントを出した<ref name=itv1>{{Cite web|和書|url= https://www.ishikawa-tv.com/news/itc/00229364/ |title= 家に帰れない少女向け施設へ…自民・馳衆院議員ら10人以上で﹃密視察﹄ 勝手に撮影しブログ等に |accessdate=2020/04/25|publisher= 石川テレビ}}</ref><ref name="自民・馳氏がHPで謝罪 女性支援団体がセクハラを指摘">{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASN4T6T5BN4TUTFK00L.html?ref=tw_asahi |title=自民・馳氏がHPで謝罪 女性支援団体がセクハラを指摘 |accessdate=2020/04/26|publisher=朝日新聞デジタル}}</ref>。安倍首相も参院予算委員会で謝罪し、馳を電話で厳重注意した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/general/news/202005010000794.html |title=首相がセクハラ抗議の馳浩元文部科学相を厳重注意|accessdate=2020/05/15|publisher=日刊スポーツ}}</ref>。団体代表の[[仁藤夢乃]]は4月26日現在謝罪どころか連絡もないとし、本人がブログでセクハラを全く意識に残っておりませんと記述したことについてセクハラを認めることや、一人ひとりから文書での謝罪を求めていることについての抗議と要望が無視されていることについて憤っている<ref name="自民・馳氏がHPで謝罪 女性支援団体がセクハラを指摘"/><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202004260000094.html|title=馳浩氏らから﹁謝罪どころか一切連絡も﹂仁藤夢乃氏 |accessdate=2020年4月26日|publisher=日刊スポーツ}}</ref>。
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; 五輪汚職事件をめぐって |
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2023年11月17日の講演で、馳は[[2020年東京オリンピック]]招致活動中に[[国際オリンピック委員会]]委員に[[報償費#内閣官房報償費|官房機密費]]を使い贈答品を送ったと発言。同日中に、「誤解を与えかねない不適切な発言だった」として撤回したが、その後の県議会では「撤回済み」を理由に同じ答弁を繰り返し、記者会見でも馳は説明を拒否した<ref>{{Cite web |title=「機密費で贈答品」発言の馳浩知事「全面撤回した」繰り返す…自民県議から追及続く見通し |url=https://www.yomiuri.co.jp/politics/20231207-OYT1T50063/ |website=読売新聞オンライン |date=2023-12-07 |access-date=2024-01-08 |language=ja}}</ref><ref>[https://www.asahi.com/articles/ASRD85W4TRD8PISC007.html 馳知事、同じ答弁繰り返す 「棒読み残念」「あまりにひどい」と県議](2023年12月8日、朝日新聞)2024年5月12日閲覧</ref>。また当時の馳のブログには贈答品を想起させる記述があり<ref>[https://www.yomiuri.co.jp/national/20231122-OYT1T50287/ 「五輪招致で贈答品」発言撤回の馳浩知事、当時のブログに「想い出アルバム作戦」](2023年11月22日、読売新聞)2024年5月12日閲覧</ref><ref>[https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202311220001438.html 馳浩知事「想い出アルバム作戦」五輪招致活動当時のブログに明記 発言全面撤回も「痕跡」残す](2023年11月22日、日刊スポーツ)2024年5月12日閲覧</ref>、馳はこれを事実と認めた<ref>[https://www.chunichi.co.jp/article/811169 馳知事のブログに「アルバム作戦」との記述 内容は事実と認める](2023年11月23日、中日新聞)2024年5月12日閲覧</ref>。 |
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; 政治資金パーティー収入の裏金問題 |
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自民党派閥の[[政治資金パーティー収入の裏金問題]]に絡み、2024年1月21日、国会議員時代に所属していた[[清和政策研究会]](安倍派)から2022年までの5年間で自身の政治団体に計819万円のキックバック(還流)を受けていたことを明らかにした<ref>[https://www.yomiuri.co.jp/national/20240121-OYT1T50063/ 石川県の馳知事も不記載、衆院議員時代に安倍派から819万円キックバック「適正に処理と認識」](2024年1月21日、読売新聞)2024年5月12日閲覧</ref>。馳によると、派閥からキックバックされていた金額について、同月11日に安倍派の[[塩谷立]]座長から直接連絡があったという。議員時代の秘書に確認したところ、[[政治資金収支報告書]]への不記載が判明。秘書は一部を政治活動の旅費や通信費など事務所経費に支出したといい、馳に対し「清和研から収支報告書に記載しなくてもよいと聞いていたので、それに従い処理した」と説明したという。馳は「常々、適正に処理するよう指示してきた」と釈明した上で、「[[政治資金規正法]]にのっとり適切に処理されるべきもの。私の監督不行き届きだ」と話した<ref>{{Cite news|url=https://www.jiji.com/amp/article?k=2024012100359|title=馳氏側、安倍派から819万円 「監督不行き届き」還流認め謝罪|newspaper=時事通信|date=2024-01-21|accessdate=2024-01-22}}</ref>。 |
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馳が代表を務める政党支部が石川県の補助金を受けていた金沢市内の企業から2012年から2013年にかけて232万円の献金を受けていたことが、2015年10月に判明した<ref name="mainichi20151016">{{Cite web|和書|url=http://mainichi.jp/select/news/20151016k0000e040215000c.html |title=﹁馳文科相‥補助金企業からの献金を返金…2年で232万円﹂、毎日新聞、2015年10月16日 |accessdate=2015年10月16日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151016080112/http://mainichi.jp/select/news/20151016k0000e040215000c.html |archivedate=2015年10月16日 |deadlinkdate=2020年5月 }}</ref><ref name="sankei20151016">[https://web.archive.org/web/20151018174433/http://www.sankei.com/politics/news/151016/plt1510160036-n1.html ﹁自民支部、補助金企業の献金返還 馳浩氏﹃誤解招かぬように﹄﹂、産経新聞、2015年10月16日]</ref>。全額を同月15日に返還した<ref name="mainichi20151016" />。政治資金規正法は、国から補助金の交付決定通知を受けた企業に1年間、政党︵支部を含む︶や資金管理団体への政治献金を禁じ、政治家がそれを知りつつ受け取った場合は違法<ref name="mainichi20151016" />。返金について、馳は﹁大臣という立場でもあり、誤解を招かないように返金した﹂と説明した<ref name="sankei20151016" />。
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; 会見拒否問題 |
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2018年の知事選での公約の1つに月に一度、定例会見を開催することを挙げていた<ref>{{Cite web|和書|title=メディアフォーカス |url=https://www.nhk.or.jp/bunken/research/focus/f20230601_4.html |website=NHK放送文化研究所 |access-date=2023-09-09 |language=ja}}</ref>。2023年1月の定例記者会見で、[[石川テレビ放送|石川テレビ]]の記者が﹁年始の試合をニュースで取り上げたいと主催団体に映像を使えないか打診したが、馳知事が﹃石川テレビには貸せない﹄と言ったとのことだった。その意図は何か﹂と質問すると、馳は﹁石川テレビが制作した﹃裸のムラ﹄という商業映画は、私や県の職員の映像を無断で使用している。肖像権の取り扱いとして倫理的に納得できていない﹂と理由を述べた上で、﹁報道と地方公務員の肖像権の取り扱いは普遍的な問題﹂として来月の定例会見に石川テレビ社長・[[林寛子 (作家)|林寛子]]の出席を求めた<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=プロレス発端に新たな対立 石川県知事 馳浩 次の相手は… |url=https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/99575.html |website=NHK政治マガジン |access-date=2023-09-09 |language=ja |last=日本放送協会}}</ref>。一方、石川テレビは2月中旬に﹁報道の目的である公共性、公益性にかんがみて特段の許諾は必要ない﹂と、林が定例会見に出席しない意向を明らかにした<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=馳浩・石川県知事がメディアに仕掛けた﹁反則技﹂ 定例会見﹁私物化﹂から﹁知る権利﹂を考える‥東京新聞 TOKYO Web |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/247629 |website=東京新聞 TOKYO Web |access-date=2023-09-09 |language=ja}}</ref>。3月以降、社長出席を再開条件に定例会見を開いていない<ref name=":1" /><ref>[https://www.nhk.or.jp/bunken/research/focus/f20230601_4.html 石川県の馳浩知事が定例会見開かず 地元テレビ局とのトラブルが発端](濵田考弘・NHK放送文化研究所)2024年5月12日閲覧</ref>。県政記者クラブに加盟する報道8社はこれを受けて定例会見の再開を求める申入書を作成したが、受け取りを拒否した<ref>[https://www.chunichi.co.jp/article/735408 ︻石川︼定例会見求め申し入れ書 馳知事に本紙など8社](2023年7月25日、中日新聞)2024年5月12日閲覧</ref><ref>[https://www.asahi.com/articles/DA3S15605129.html ︵社説︶石川県知事 会見拒否は許されない](2023年4月8日、朝日新聞)2024年5月12日閲覧</ref>。代わりに﹁県民に知らせたいことがある場合には随時、会見を開くことにした﹂として週に1回程度﹁県民会見﹂と名付けた会見を行っているが、県の都合がいい時にしか行われない懸念がある<ref name=":0" /><ref>[https://www.asahi.com/articles/ASR4W5GVRR4WPISC00G.html 馳浩知事﹁随時会見、月4、5回開く﹂ 定例会見は事実上棚上げ](2023年4月27日、朝日新聞)2024年5月12日閲覧</ref>。馳は石川テレビ社長が浅忠史に交代後も引き続き出席を求めている<ref>{{Cite web|和書|title=会見出席求めるテレビ局社長交代へ 馳知事、改めて﹁意見交換を﹂‥朝日新聞デジタル |url=https://www.asahi.com/articles/ASR6763BNR67PISC00B.html?iref=ogimage_rek |website=朝日新聞デジタル |date=2023-06-07 |access-date=2023-09-09 |language=ja}}</ref>。専門家やメディアからは一連の動きについて、問題の棚上げや知る権利の妨害、不当圧力という指摘がある<ref>[https://shimbunroren.or.jp/20240226seimei/ 地方自治体で相次ぐ﹁質問封じ﹂に抗議する](2024年2月26日、新聞労連)2024年5月12日閲覧</ref><ref>[https://www.chunichi.co.jp/article/666480 馳知事対応 専門家から批判﹁論理のすり替え甚だしい﹂](2023年4月5日、中日新聞)2024年5月12日閲覧</ref><ref>[https://www.tokyo-np.co.jp/article/247629 馳浩・石川県知事がメディアに仕掛けた﹁反則技﹂ 定例会見﹁私物化﹂から﹁知る権利﹂を考える](2023年5月3日、中日新聞)2024年5月12日閲覧</ref>。
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=== 所属団体・議員連盟 === |
=== 所属団体・議員連盟 === |
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* 一般財団法人 [[日本ドッジボール協会]] 会長 |
* 一般財団法人 [[日本ドッジボール協会]] 会長 |
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* 一般社団法人 [[日本キンボールスポーツ連盟]] 名誉会長 |
* 一般社団法人 [[日本キンボールスポーツ連盟]] 名誉会長 |
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* [[IRいしかわ鉄道]]株式会社 取締役会長 |
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==選挙歴== |
==選挙歴== |
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== 家族・親族 == |
== 家族・親族 == |
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最初の妻である[[サンボ (格闘技)|サンボ]]の格闘家、[[ビクトル古賀]]の娘とは離婚している。のちに、作家[[高見順]]の娘である[[俳優|女優]]の[[高見恭子]]と結婚している<ref>{{Cite news | url = http://www.47news.jp/feature/mamapapa/kids/201008post_48.html | title = 衆院議員の馳浩さん 国会に保育所開設の夢かなう 子育て応援社会の象徴に | newspaper = 共同通信 | date = }}</ref>。妻恭子の家系の親族には[[永井荷風]]、[[鷲津名都江|小鳩くるみ]]、[[野村萬斎]]などがいる。子女には娘がいる<ref>[https://www.kantei.go.jp/jp/koizumifukudaijin/051102/13hase.html 文部科学副大臣 馳 浩]</ref>。 |
最初の妻である[[サンボ (格闘技)|サンボ]]の格闘家、[[ビクトル古賀]]の娘とは離婚している。のちに、作家[[高見順]]の娘である[[俳優|女優]]の[[高見恭子]]と1994年に結婚している<ref>{{Cite news | url = http://www.47news.jp/feature/mamapapa/kids/201008post_48.html | title = 衆院議員の馳浩さん 国会に保育所開設の夢かなう 子育て応援社会の象徴に | newspaper = 共同通信 | date = }}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.nikkansports.com/battle/news/1766406.html|title=高田延彦と向井亜紀ら/プロレスラーと有名人の結婚|publisher=日刊スポーツ|date=2017-01-17|accessdate=2024-01-30}}</ref>。妻恭子の家系の親族には[[永井荷風]]、[[鷲津名都江|小鳩くるみ]]、[[野村萬斎]]などがいる。子女には娘がいる<ref>[https://www.kantei.go.jp/jp/koizumifukudaijin/051102/13hase.html 文部科学副大臣 馳 浩]</ref>。
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== 著作 == |
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== 脚注 == |
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=== 出典 === |
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== 関連項目 == |
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* [https://web.archive.org/web/19990428144541/http://www.incl.ne.jp/hase/index.html 旧公式サイト] |
* [https://web.archive.org/web/19990428144541/http://www.incl.ne.jp/hase/index.html 旧公式サイト] |
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* {{Ameba ブログ|hase-hiroshi|はせ浩 オフィシャルブログ「はせ日記」}}(2013年2月25日 - ) |
* {{Ameba ブログ|hase-hiroshi|はせ浩 オフィシャルブログ「はせ日記」}}(2013年2月25日 - ) |
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* [https://db.japan-wrestling.jp/player/%e9%a6%b3%e6%b5%a9/ 馳浩] - [[日本レスリング協会]] 選手&大会データベース |
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2024年5月25日 (土) 23:34時点における最新版
馳 浩 はせ ひろし | |
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![]() 内閣広報室より公表された肖像 | |
生年月日 | 1961年5月5日(63歳)[1] |
出生地 |
![]() |
出身校 | 専修大学文学部国文学科[1] |
前職 |
高等学校教員(国語) プロレスラー |
所属政党 |
(無所属→) 自由民主党(安倍派) |
称号 |
文学士(専修大学) 教員免許(高等学校) |
配偶者 | 高見恭子 |
公式サイト | はせ浩(馳浩)石川県知事候補 公式サイト |
| |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2022年3月27日 - 現職 |
内閣 | 第3次安倍第1次改造内閣 |
在任期間 | 2015年10月7日[2] - 2016年8月3日[3] |
選挙区 |
(石川1区→) (比例北陸信越ブロック→) (石川1区→) (比例北陸信越ブロック→) 石川1区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 2000年6月 - 2021年10月14日 |
選挙区 | 石川県選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1995年7月23日 - 2000年5月12日 |
その他の職歴 | |
![]() 総裁:安倍晋三 (2014年 - 2015年) |
獲得メダル | ||
---|---|---|
男子 レスリング | ||
全日本レスリング選手権大会 | ||
銀 | 1983 | グレコローマン90 kg級 |
金 | 1984 | グレコローマン90 kg級 |
全日本学生レスリング選手権大会 | ||
金 | 1983 | グレコローマン90 kg級 |
来歴[編集]
1961年5月5日、富山県西礪波郡砺中町︵現・小矢部市︶西野尻地区興法寺の農家[5]の三男として生まれ、小学3年進級時に親族であるリンゴ農家の馳家︵石川県金沢市︶の養子に入り[1][6]、金沢市立千坂小学校、金沢市立鳴和中学校を卒業[7]。1980年3月、星稜高等学校卒業[8]。1984年3月、専修大学文学部国文学科卒業[1]。卒業後、母校の星稜高等学校で国語科教員として教鞭を執った。当時担当した授業では、生徒の中に元プロ野球選手の湯上谷竑志がいた。1984年7月、ロサンゼルスオリンピックのレスリング・グレコローマンスタイルのライトヘビー級で出場、予選敗退した[9]。1985年、ジャパンプロレスに入門。1987年 - 新日本プロレスに移籍。 1995年7月、自由民主党幹事長の森喜朗にスカウトされ、第17回参議院議員通常選挙に石川県選挙区から自由民主党の推薦を受けて無所属で立候補し、民主改革連合現職の粟森喬を破り初当選する。当初は会派﹁自由民主党・自由国民会議﹂、2か月後に正式に自由民主党所属国会議員となった。1996年11月、全日本プロレスに移籍する。2000年5月12日、衆議院総選挙立候補準備の為、参議院議員を辞職する。 2000年6月25日投開票の第42回衆議院議員総選挙に石川1区から立候補、民主党現職の奥田建を破り当選︵奥田は比例復活︶。2003年9月25日、文部科学大臣政務官に就任︵2004年9月27日まで︶。 2003年11月9日投開票の第43回衆議院議員総選挙で奥田に敗れるも比例復活で再選。 2005年9月11日投開票の第44回衆議院議員総選挙に重複立候補を行わず小選挙区のみで立候補、奥田を破り3選。2005年11月2日、文部科学副大臣に就任。2006年8月27日、両国国技館で引退試合を行い、プロレスラーを引退。2006年9月、自由民主党国会対策副委員長に就任。2007年7月15日、スタン・ハンセンPWF会長の退任に伴い、第3代PWF会長に就任。2007年8月、自民党副幹事長に就任。翌月に総裁が安倍晋三から福田康夫に交代したが引き続き留任した。2008年8月、自民党文部科学部会長に就任。同年9月10日、2008年自由民主党総裁選挙で小池百合子の推薦人になったことを理由に清和研の退会届を提出。しかし、小池が退会せずに立候補したことを理由に受理されず幹部預かりにとなり、後に返却された。 2009年8月30日投開票の第45回衆議院議員総選挙で元職・奥田に敗れるも比例復活で4選。直後の2009年自由民主党総裁選挙で西村康稔の推薦人になった︵首班指名で若林正俊支持︶2012年9月、2012年自由民主党総裁選挙で町村信孝の推薦人になった︵決選投票では安倍晋三を支持︶。 2012年12月16日投開票の第46回衆議院議員総選挙で奥田を破り5選。2013年3月17日、PWF会長勇退を表明︵後任はドリー・ファンク・ジュニア︶[10]。2014年9月、自由民主党広報本部長に就任。 2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙で元職の田中美絵子を破り6選。2015年10月、第20代文部科学大臣就任[11]︵ - 2016年8月2日︶。文科相在任中には文化庁の京都への移転に携わった[12]。2016年5月14、15日、G7倉敷教育大臣会合で議長を務める[13]。2017年4月、自由民主党石川県連会長に就任。同年8月、自由民主党教育再生実行本部長に就任。 2017年10月22日投開票の第48回衆議院議員総選挙で田中を破り7選。 2021年7月、任期満了に伴い2022年3月までに行われる石川県知事選挙への出馬を表明し、衆議院選挙に立候補しないことを表明した[14]。 2022年3月13日の投開票の結果、元金沢市長の山野之義、元参議院議員の山田修路ら4候補を破り初当選を果たした。投票率は前回選挙より22%増の61.81%だった[15]。同月27日に就任[16]し、舛添要一以来となる大臣経験者の知事就任となった。 2022年9月9日、日本維新の会の顧問に就任したことが発表された[17]。一方で維新へは入党しておらず、自民党籍のままとしている[18]。 2024年1月1日16時11分、令和6年能登半島地震発生。16時45分頃、馳は自衛隊に災害派遣を要請[19]。当時、正月休みのため東京の自宅に帰省していた。災害派遣要請から15分後、自宅から直接首相官邸入りして情報収集にあたった[20]。県庁での対応は副知事の徳田博が担当した。1日夜、滞在していた首相官邸から内閣府調査チームのメンバーと共に自衛隊のヘリコプターで金沢駐屯地に向かった[21]。人物[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/35/Hase_Hiroshi_20151007.jpg)
統一教会との関係[編集]
●統一教会の集団結婚を兼ねた大会に祝電を送っていたことが2006年6月に報じられた[27]。 ●2022年7月26日に開かれた定例会見では﹁数多く団体からご支援をいただいている中のひとつ﹂と言いこれからについては﹁距離感を相談しながら判断していく必要があると思う﹂と答えた[28]。プロレスラーとして[編集]
馳 浩 Hiroshi Hase | |
---|---|
プロフィール | |
リングネーム |
馳 浩 ヒロ・ハセ ベトコン・エクスプレス2号 |
本名 | 馳 浩 |
ニックネーム |
北斗の流星 戦う国会議員 戦う国語教師 戦う愛の伝道師 戦うベーヤン |
身長 | 183 cm |
体重 | 105 kg |
誕生日 | 1961年5月5日(63歳) |
出身地 |
富山県西礪波郡砺中町(現・小矢部市)生まれ 石川県金沢市育ち |
スポーツ歴 |
レスリング サンボ |
トレーナー |
長州力 ミスター・ヒト |
デビュー | 1986年2月28日 |
エピソード[編集]
ジャパンプロレス[編集]
新日本プロレス[編集]
1987年のジャパンプロレスの面々が新日本マットに登場した際に日本デビュー。日本デビュー戦は小林邦昭のIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦し、勝利する[29]。 バラエティー色を強くした﹃ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング﹄にスタジオゲストで出演した際、司会の山田邦子が流血したレスラーの様子を見て﹁血なんかすぐ止まるもんなんですか?選手って言うのは?﹂と聞いたとき、馳が﹁おい、つまんない話聞くなよ。止まるわけないだろ﹂と反論した[31]。この出来事は発言内容も含めて、﹁非礼な質問に対して馳がプロとして叱責した﹂もしくは﹁激怒するなど、大人げない対応をした﹂などと誤った解釈で広まったが、実際は一蹴したまでに過ぎず、直後の山田からの別の質問に対しては速やかに対応していた。しかしこのやり取りを見た番組サイドは、当時タレントとして圧倒的人気を博していた山田が﹁言葉の暴力﹂に遭うと言う場面として重く捉え、結果的に番組終了︵﹃ワールドプロレスリング﹄としては継続︶を決断する事に至ったと言う[32]。山田は2020年に自身のYouTubeチャンネルでこの件を取り上げ、﹁新日本プロレスが嫌いになった﹂と噂されたり、今もなお詳細を尋ねられる事があるが、自身は全く気にしておらず、馳の妻である高見恭子や弟と交流を持ったり、馳を食事に誘った事もあったと述べ、むしろ前述の通り番組が終了した事によって多数のスタッフが仕事を失った事を指摘し、﹁馳先生も悪い事をしたと思っているなら謝ってくれればいいのに﹂、﹁︵報道陣の前で︶花束で一回殴らせてくださいよ!﹂と笑いを交えながら語っている[33]。この動画をアップした1年後の2021年1月4日のプロレスリング・ノア後楽園ホール大会に馳が参戦。試合後、解説席にいた山田とグータッチを交わし、投げキスも見せているが、ここでもメディアは﹁34年ぶり歴史的和解﹂と報じている[34]。 1990年6月、後藤達俊とのシングルマッチでバックドロップを受け、試合後に一時心肺停止状態となる[35]。全日本プロレス[編集]
国会議員兼全日本プロレス所属のプロレスラーであり、プロレス興行には主に国会のない期間に参加していたが、政治で大臣政務官や副大臣など、徐々に要職につき始めるとその機会が減っていき、2005年9月11日の衆議院選挙の当選︵3選︶と同時にプロレスラーとしての現役引退を表明︵理由として靱帯断裂もある︶した[29]。 引退興行については武藤敬司が﹁全日で馳さんの引退興行を行いたい、新日では行わせたくない﹂と周辺に漏らしていた。また、2006年1月の武藤社長就任3周年記念パーティに馳が参加し、自ら﹁引退興行は本年中に全日本で行って欲しい﹂と嘆願、同年7月23日の地元金沢の興行を馳浩引退記念興行とし、8月27日の両国国技館大会で引退試合を行った。なお、7月23日の金沢大会はもともと挨拶だけの予定だったが、本来出場予定の佐々木健介が左眼窩底骨折で出場できなくなり、急遽代役として出場することとなった[29]。 2006年8月27日、馳のプロレス引退試合を元首相の森喜朗が観戦したが、対戦相手のVOODOO-MURDERSの"brother"YASSHIが﹁おい、そこの森!お腹の中、何か詰まってるな?お金か?このカス野郎!﹂と森に罵声を浴びせた上、森の失政を批判し唾を掛けた。さらに、場外乱闘に乗じてTARUが森を挑発したため、森もパイプ椅子を持って身構えるという事態が発生した。このとき観客から森コールが起こったものの、森のSPがTARUに抗議しつつ森を止めたため、憲政史上初となる総理大臣経験者のプロレス参戦は実現しなかった。試合後、記者団に対して森は﹁椅子? パフォーマンスだよ﹂と苦笑いで語ったが、YASSHIに話が及ぶと﹁客に対して失礼だ﹂と激怒した。その後、馳は電話にもかかわらず森に土下座して謝罪したという。ただ、森は元々プロレス好きである。なお、この大会では初代文部科学大臣だった同じ派閥の町村信孝大臣も来場し、森の横で観戦していたが、この試合中の顛末をにこやかに見ていた[29]。引退セレモニーの花束贈呈順が森元内閣総理大臣、町村文部科学大臣、オーラスがミスター・ヒトだった。馳は﹁元総理、文部科学大臣を前座にして何でミスターヒトが大トリなんだ!?俺にも立場がある﹂と冗談めかして述べた[29]。現役引退後[編集]
2017年7月26日に後楽園ホールで行われたプロレスリング・マスターズのメインの6人タッグに出場し11年ぶりにリング復帰を果たす。藤波辰爾、長州力とタッグを組み、グレート・ムタ、ザ・グレート・カブキ、TNTと対戦し勝利を収めた[36]。 プロレスからの引退発表こそしたが、総理大臣としてSPを連れてリングに上がるのが夢だと話している[29]。 2021年1月4日に後楽園ホールで行われたプロレスリング・ノア﹁New Sunrise 2021﹂のメインの6人タッグに出場し1年4か月ぶりにリング復帰を果たす。潮崎豪、清宮海斗とタッグを組み、武藤敬司、丸藤正道、田中将斗と対戦し勝利を収めた[37]。 2023年1月1日に日本武道館で行われたプロレスリング・ノアの試合に当日発表のXとしてサプライズ参戦。石川県知事就任後、そして自身の還暦初となる。藤田和之、ケンドーカシン、NOSAWA論外とタッグを組み、最後はノーザンライトスープレックスで勝利を挙げた[38]。現職知事がレスラーとしてリングに上がったのは初めて。年末年始の知事職務休暇中の石川を離れての東京でリングに上がったが、現職知事が怪我をする懸念や雪などの災害対応における危機管理として知事としての公務に心配する声が出た。馳は﹁石川を離れる際は両副知事に対応をお願いし、危機管理監からも定期的に報告を受けていた﹂と危機管理上の問題はなかったとの認識を示し、﹁今は健康と日時の許す範囲でリングに上がっている﹂とし、また﹁私は死ぬまでプロレスラーだ﹂と発言した[39]。タイトル歴[編集]
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- IWGPジュニアヘビー級王座(第5代、第8代)
- IWGPタッグ王座(第13代、第17代、第15代、第24代)(w / 佐々木健介、武藤敬司)
- SG TAG LEAGUE優勝(1993年、1994年)(w / 武藤敬司)
- WCWインターナショナル世界ヘビー級王座
- インターナショナルタッグ王座(カルガリー版)(w / 新倉史祐)
- 新人賞(1988年)
- 技能賞(1991年)
得意技[編集]
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入場テーマ曲[編集]
●Two Hearts/John Parr[40]政治家として[編集]
政策[編集]
●憲法改正と集団的自衛権の行使に賛成[41]。 ●アベノミクスを評価する[41]。 ●原発は日本に必要[41]。 ●首相の靖国神社参拝は問題ない[41]。 ●村山談話を見直すべきでない[41]。 ●野田聖子の選択的夫婦別姓制度導入に賛成していた[42]。一方、2014年のアンケートでは、選択的夫婦別姓制度導入に反対[43]、と答えている。 ●漫画・アニメ・ゲーム・映画を規制する青少年健全育成基本法案の担当者として、13年以上この法案に関わっている[44]。 ●国会で﹁青少年の健全育成の為に表現規制は憲法上許される﹂として青少年健全育成基本法案に賛同した[45]。 ●2018年の時点で同性婚制度導入に反対[46]。発言[編集]
●2015年12月14日、東京五輪・パラリンピックのメイン会場予定となる新国立競技場のデザイン案について、森喜朗の発言に対して﹁︵A案・B案︶両方ともいい。本当にB案がいいって言ったの?﹂と、森の発言に驚いたと報道された[47] ●2015年10月13日、文部科学大臣に就任してまもなくの記者会見で、教員時代に体罰を行っていたことを認め、﹁私に竹刀で殴られた高校生たちに謝罪をしたいと思う﹂と述べた上で、﹁体罰はあってはならない﹂と強調した[48]。 ●2016年、岐阜大学が卒業式などで国歌斉唱をしない方針を示したことを、馳浩文部科学相が﹁恥ずかしい﹂などと批判した[49]。この発言は、憲法学者などから撤回を求められるなど、批判を受けた[49]。 ●2016年8月2日、文科大臣を退任する時に﹁雨上がり、深呼吸して夏の空﹂と俳句を詠むと、当時事務次官だった前川喜平が﹁仰ぐ空、名残を惜しむ蝉の声﹂と返句。この句の冒頭は元々、元の句とそろえた﹁夏の空﹂だったが、それだと季語が二つになるとして馳が添削した[50]。主張[編集]
●2009年6月10日の衆議院文部科学委員会で、新しい歴史教科書をつくる会の﹃新編 新しい歴史教科書﹄︵自由社︶について、改正教育基本法を生かした唯一の教科書だと述べた。また、韓国が抗議声明を出すのは内政干渉だとし、教科書検定の近隣諸国条項や河野談話の見直しを訴えた。 ●社会保障について発生する諸問題には積極的に追及を行っている。2012年の通常国会では芸能人親族生活保護受給騒動について、お笑いコンビキングコングの梶原雄太が自宅マンションの隣に実兄を住まわせていたことを脱法行為として指摘している。 ●2015年7月7日、東京五輪・パラリンピック推進議員連盟事務局長として、国立競技場有識者会議︵第6回︶に出席した[51][52]。 ●2016年3月31日に東京ドームで開催された﹃ラブライブ!﹄出演声優によるユニット・μ'sのファイナルライブ﹁ラブライブ! μ's Final LoveLive!〜μ'sic Forever♪♪♪♪♪♪♪♪♪〜﹂に、新日本プロレスオーナー兼︵アニメ製作委員会に参加している︶ブシロード社長の木谷高明の招待で観覧し﹁ラブライバー大臣と呼んでください﹂と語った[53][54]。石川県知事就任後の2023年6月の記者会見では、金沢市を舞台とした﹃ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ﹄と県のタイアップ企画を取り上げ、μ'sのライブについても﹁ペンライトを持って踊りましたがですね、あの一体感は本当に楽しかったですね﹂と触れた[55]。不祥事[編集]
視察でのセクシャルハラスメント 2020年4月22日、虐待や性暴力の被害に遭った10代の女性らを支える一般社団法人﹁Colabo﹂が運営するバスカフェ﹁TsubomiCafe﹂を視察した際、事前連絡を大幅に超える人数で視察に訪れ、少女に対するセクシャルハラスメントがあったとして謝罪を求められた[56][57]。馳議員含む視察に参加した国会議員らは﹁率直におわび申し上げたい﹂などと謝罪のコメントを出した[58][59]。安倍首相も参院予算委員会で謝罪し、馳を電話で厳重注意した[60]。団体代表の仁藤夢乃は4月26日現在謝罪どころか連絡もないとし、本人がブログでセクハラを全く意識に残っておりませんと記述したことについてセクハラを認めることや、一人ひとりから文書での謝罪を求めていることについての抗議と要望が無視されていることについて憤っている[59][61]。 五輪汚職事件をめぐって 2023年11月17日の講演で、馳は2020年東京オリンピック招致活動中に国際オリンピック委員会委員に官房機密費を使い贈答品を送ったと発言。同日中に、﹁誤解を与えかねない不適切な発言だった﹂として撤回したが、その後の県議会では﹁撤回済み﹂を理由に同じ答弁を繰り返し、記者会見でも馳は説明を拒否した[62][63]。また当時の馳のブログには贈答品を想起させる記述があり[64][65]、馳はこれを事実と認めた[66]。 政治資金パーティー収入の裏金問題 自民党派閥の政治資金パーティー収入の裏金問題に絡み、2024年1月21日、国会議員時代に所属していた清和政策研究会︵安倍派︶から2022年までの5年間で自身の政治団体に計819万円のキックバック︵還流︶を受けていたことを明らかにした[67]。馳によると、派閥からキックバックされていた金額について、同月11日に安倍派の塩谷立座長から直接連絡があったという。議員時代の秘書に確認したところ、政治資金収支報告書への不記載が判明。秘書は一部を政治活動の旅費や通信費など事務所経費に支出したといい、馳に対し﹁清和研から収支報告書に記載しなくてもよいと聞いていたので、それに従い処理した﹂と説明したという。馳は﹁常々、適正に処理するよう指示してきた﹂と釈明した上で、﹁政治資金規正法にのっとり適切に処理されるべきもの。私の監督不行き届きだ﹂と話した[68]。 違法政治献金問題 馳が代表を務める政党支部が石川県の補助金を受けていた金沢市内の企業から2012年から2013年にかけて232万円の献金を受けていたことが、2015年10月に判明した[69][70]。全額を同月15日に返還した[69]。政治資金規正法は、国から補助金の交付決定通知を受けた企業に1年間、政党︵支部を含む︶や資金管理団体への政治献金を禁じ、政治家がそれを知りつつ受け取った場合は違法[69]。返金について、馳は﹁大臣という立場でもあり、誤解を招かないように返金した﹂と説明した[70]。- 会見拒否問題
所属団体・議員連盟[編集]
●自民党たばこ議員連盟[82] ●感染対策を資材と方法から考える超党派議員連盟[83] ●神道政治連盟国会議員懇談会[84] ●みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会[84] ●親学推進議員連盟 ●LGBTに関する課題を考える議員連盟 ︵会長、呼びかけ人︶[85][86] ●例外的に夫婦の別姓を実現させる会 ●恒久平和のために真相究明法の成立を目指す議員連盟 ●日朝国交正常化推進議員連盟 ●日朝友好議員連盟 ●日本教職員組合問題究明議員連盟 ●マンガ・アニメ・ゲームに関する議員連盟︵幹事長︶ ●TPP交渉における国益を守り抜く会 ●ラグビーワールドカップ2019日本大会成功議員連盟 ●日本語教育推進議員連盟︵事務局長︶ ●格闘技振興議員連盟 (会長)2022年7月現在の役職[編集]
︵政治団体関係の役職を除く︶- 石川県知事
- 公益財団法人 日本レスリング協会 副会長
- 一般財団法人 日本ドッジボール協会 会長
- 一般社団法人 日本キンボールスポーツ連盟 名誉会長
- IRいしかわ鉄道株式会社 取締役会長
選挙歴[編集]
当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 |
政党内比例順位 /政党当選者数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 第17回参議院議員通常選挙 | 1995年 7月23日 | 34 | 石川県選挙区 | 無所属 | 23万4283票 | 49.35% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第42回衆議院議員総選挙 | 2000年 6月25日 | 39 | 石川1区 | 自由民主党 | 10万7179票 | 48.82% | 1 | 1/3 | / |
比当 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月 9日 | 42 | 比例北陸信越(石川1区) | 自由民主党 | 9万7075票 | 46.78% | 1 | 2/3 | 4/5 |
当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年 9月11日 | 44 | 石川1区 | 自由民主党 | 12万9142票 | 53.73% | 1 | 1/3 | / |
比当 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年 8月30日 | 48 | 比例北陸信越(石川1区) | 自由民主党 | 11万7168票 | 45.85% | 1 | 2/4 | 3/4 |
当 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 51 | 石川1区 | 自由民主党 | 9万9544票 | 47.87% | 1 | 1/5 | / |
当 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 53 | 石川1区 | 自由民主党 | 7万6422票 | 50.70% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 56 | 石川1区 | 自由民主党 | 11万2168票 | 59.08% | 1 | 1/3 | / |
当 | 石川県知事選挙 | 2022年3月13日 | 60 | ー | 無所属 | 19万6432票 | 34.13% | 1 | 1/5 | / |
家族・親族[編集]
著作[編集]
- 『君はまだプロレスを知らない』 PHP研究所 1994年3月(1996年2月文庫化)
- 『君は何と闘っているのか』 PHP研究所 1994年5月
- 『愛する人を守れますか』 PHP研究所 1995年1月
- 『感じたら走りだせ』 北国新聞社出版局 1996年4月
- 『「古典」簡単じゃないか』 PHP研究所 1996年4月
- 『闘いのゴングが聞こえているか』 馳浩 日本文芸社 1998年3月
- 『快刀乱筆』 北國新聞社 1999年3月
- 『馳浩の聞楽に源氏物語』 旺文社 1999年9月
- 『黒幕』佐々木健編集 きこ書房, 2002年5月
- 『教育政策の変遷と政治家の役割』ジェラルド・カーティス編 日本国際交流センター 2002年5月
- 『国会赤裸々白書』 エンターブレイン 2002年7月
- 花田義塾日本語研修会『元気の出る日本語』監修 扶桑社 2002年10月
- 『馳浩のやさしい教育論』 長崎出版 2003年8月
- 『森奥の呪縛』 北國新聞社 2006年1月
- 馳浩、自然派マガジン山女『季節感、あふれる情景白山麓』 ヤマメエンターテイメント 2006年7月
- 『ねじれ国会方程式 児童虐待防止法改正の舞台裏』 北國新聞社 2008年2月
- 『非常ベルは聞こえているか!!』 北國新聞社 2015年11月
- 『ほんとにもうひとこと多いこの男』北國新聞社 2018年10月
論文[編集]
- 国立情報学研究所収録論文 国立情報学研究所 2010年5月21日閲覧。
出演作[編集]
脚注[編集]
出典[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- はせ浩(馳浩)公式サイト
- はせ浩(馳浩)石川県知事 (@hase3655) - X(旧Twitter)
- 馳浩(はせ浩)石川県知事 (hasehiroshi.kousiki) - Facebook
- はせ浩(馳浩)石川県知事 (@hasehiroshi3655) - Instagram
- 馳浩 - YouTubeチャンネル
- 旧公式サイト
- はせ浩 オフィシャルブログ「はせ日記」 - Ameba Blog(2013年2月25日 - )
- 馳浩 - 日本レスリング協会 選手&大会データベース
公職 | ||
---|---|---|
先代 谷本正憲 |
![]() 公選第20代:2022年 - |
次代 現職 |
先代 下村博文 |
![]() 第20代:2015年 - 2016年 |
次代 松野博一 |
先代 小島敏男 塩谷立 |
![]() 河本三郎と共同 2005年 - 2006年 |
次代 池坊保子 遠藤利明 |
先代 池坊保子 大野松茂 |
![]() 田村憲久と共同 2003年 - 2004年 |
次代 下村博文 小泉顕雄 |
党職 | ||
先代 小池百合子 |
自由民主党広報本部長 2014年 - 2015年 |
次代 木村太郎 |
官職 |
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スポーツ |
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- 日本の副大臣経験者
- 日本の大臣政務官経験者
- 石川県選出の衆議院議員
- 比例北陸信越ブロック選出の衆議院議員
- 自由民主党の都道府県支部連合会会長
- 石川県選出の参議院議員
- 自由民主党の衆議院議員
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