「日本お笑い史」の版間の差分
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[[フジテレビ]]では、ビートたけし・明石家さんま・ダウンタウン・ナインティナインに続けと「お笑い8周期説」に則り『[[新しい波8]]』が放送された。その後2001年に、[[キングコング (お笑いコンビ)|キングコング]]がメインキャストを務めた『[[はねるのトびら]]』がスタート。「若手芸人」がブームの中心であったが、「若手」と言ってもその多くが20代後半-30代であるのが特徴的で、(芸歴で考えて)第四世代にあたる中堅芸人と同い年・同期あるいは年上・先輩であるなどといった不思議な現象が起きている。これは、コンビ結成が遅かったり、先のボキャブラ世代の時代にブレイクを逃したり、未だ東京進出を果たしていなかった大阪吉本所属の芸人が多く流入してきたことや、これらの芸人の知名度が低いゆえに正規の第五世代と同じ扱いを受けたことが主な要因である。特に『ボキャブラ天国』に起用されていた芸人(いわゆる「キャブラー」)が東京芸人に偏重していたため<ref group="注釈">当時は吉本興業所属の芸人の起用が現在では考えられない程極端に少なく、特に大阪吉本からの出演はほぼ皆無であった。ただし同じ大阪芸人でも松竹芸能からは何故か数組出演している。詳細は[[ボキャブラ天国シリーズに登場したキャブラー一覧]]を参照。</ref>、[[中川家]]、[[ケンドーコバヤシ]]、[[たむらけんじ]]、[[陣内智則]]などボキャブラ芸人とほぼ同世代の関西芸人が第五世代のブームによって売れるケースが目立った。 |
[[フジテレビ]]では、ビートたけし・明石家さんま・ダウンタウン・ナインティナインに続けと「お笑い8周期説」に則り『[[新しい波8]]』が放送された。その後2001年に、[[キングコング (お笑いコンビ)|キングコング]]がメインキャストを務めた『[[はねるのトびら]]』がスタート。「若手芸人」がブームの中心であったが、「若手」と言ってもその多くが20代後半-30代であるのが特徴的で、(芸歴で考えて)第四世代にあたる中堅芸人と同い年・同期あるいは年上・先輩であるなどといった不思議な現象が起きている。これは、コンビ結成が遅かったり、先のボキャブラ世代の時代にブレイクを逃したり、未だ東京進出を果たしていなかった大阪吉本所属の芸人が多く流入してきたことや、これらの芸人の知名度が低いゆえに正規の第五世代と同じ扱いを受けたことが主な要因である。特に『ボキャブラ天国』に起用されていた芸人(いわゆる「キャブラー」)が東京芸人に偏重していたため<ref group="注釈">当時は吉本興業所属の芸人の起用が現在では考えられない程極端に少なく、特に大阪吉本からの出演はほぼ皆無であった。ただし同じ大阪芸人でも松竹芸能からは何故か数組出演している。詳細は[[ボキャブラ天国シリーズに登場したキャブラー一覧]]を参照。</ref>、[[中川家]]、[[ケンドーコバヤシ]]、[[たむらけんじ]]、[[陣内智則]]などボキャブラ芸人とほぼ同世代の関西芸人が第五世代のブームによって売れるケースが目立った。 |
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2000年代中期から後期にかけては、先述の4番組の他にも『[[ウンナン極限ネタバトル! ザ・イロモネア 笑わせたら100万円]]』(TBS)や『[[とんねるずのみなさんのおかげでした]]』での「[[博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜]]」や『[[お笑いメリーゴーランド|爆笑レッドカーペット]]』(共にフジテレビ)など、短尺のネタを1ネタだけ披露させる構成のネタ見せ番組がブームとなる。ネタの時間が短いため多くの出演者を確保でき、新人芸人の出演チャンスが増やされた事がこれらの番組の大きな特徴である。[[2007年]]に開始した『[[あらびき団]]』(TBS)では短いのみならず、完成度の高くないネタ・実験的なネタや演出を中心としており従来の番組とは趣を異にしている。 |
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このような番組が増える中で、単に番組用にネタ時間を短く調整した漫才やコントだけでなく、もともと短く構成されたショートコントや一発芸、キャラネタ、リズムネタなどが数多く生み出され、そのようなネタに適応したピン芸人が台頭した他、[[ブリッジ (お笑い用語)|ブリッジ]]を多用した「一発屋」といわれる芸人が急増。ピンネタでブレイクした芸人の中には[[レイザーラモンHG]]、[[高橋茂雄|犬井ヒロシ]]、[[なだぎ武]]、[[桂三度|世界のナベアツ]]、[[ムーディ勝山]]、[[木村卓寛|天津木村]]などもともとコンビを組んでいるにもかかわらずピン芸人のような扱いを受けた若手・中堅芸人も多い。一発屋芸人は年末年始の番組に出演し一世を風靡するものの、その年の末から年明けには飽きられその後テレビから姿を消す、という新たなパターンが生まれた。また、こういった芸人は[[NHK紅白歌合戦]]に特別出演したり、[[流行語大賞]]を受賞するケースがほとんどである。 |
このような番組が増える中で、単に番組用にネタ時間を短く調整した漫才やコントだけでなく、もともと短く構成されたショートコントや一発芸、キャラネタ、リズムネタなどが数多く生み出され、そのようなネタに適応したピン芸人が台頭した他、[[ブリッジ (お笑い用語)|ブリッジ]]を多用した「一発屋」といわれる芸人が急増。ピンネタでブレイクした芸人の中には[[レイザーラモンHG]]、[[高橋茂雄|犬井ヒロシ]]、[[なだぎ武]]、[[桂三度|世界のナベアツ]]、[[ムーディ勝山]]、[[木村卓寛|天津木村]]などもともとコンビを組んでいるにもかかわらずピン芸人のような扱いを受けた若手・中堅芸人も多い。一発屋芸人は年末年始の番組に出演し一世を風靡するものの、その年の末から年明けには飽きられその後テレビから姿を消す、という新たなパターンが生まれた。また、こういった芸人は[[NHK紅白歌合戦]]に特別出演したり、[[流行語大賞]]を受賞するケースがほとんどである。 |
2021年5月5日 (水) 11:11時点における版
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古代のお笑い
古事記
﹃古事記﹄の中の岩戸隠れのエピソードが記録に残されている日本で最も古い笑いのひとつだと思われる[1]。説話
また、をかしみのある話の源流は﹃竹取物語﹄、﹃今昔物語﹄または﹃宇治拾遺物語﹄に収められた説話にさかのぼる事もできる[1]。 ●仏教布教のための説経節 ●儒教伝来とともに日本へ渡ってきた故事散楽と能・狂言
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/bf/%E6%98%A5%E6%97%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%83%BC%E7%AF%A0%E5%B1%B1%E3%83%BC%E7%BF%81%E5%A5%89%E7%B4%8DP1011774.jpg/220px-%E6%98%A5%E6%97%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%83%BC%E7%AF%A0%E5%B1%B1%E3%83%BC%E7%BF%81%E5%A5%89%E7%B4%8DP1011774.jpg)
笑話本・滑稽本
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2d/Shouhu-manjuu.jpg/220px-Shouhu-manjuu.jpg)
20世紀前半のお笑い
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/99/Asakusa_Rokku.jpg/250px-Asakusa_Rokku.jpg)
軽演劇の隆盛
●浅草オペラ︵東京︶ 榎本健一︵エノケン︶、古川ロッパ、清水金一、堺駿二 ●カジノ・フォーリー ●プペ・ダンサント ●ピエル・ブリヤント ●笑の王国 歌舞伎やオペラ等を素地とし荒唐無稽に仕立てた﹁アチャラカ﹂という手法を開発、観客を唖然とさせた[3]。 ●吉本新喜劇︵大阪︶ ●松竹新喜劇︵大阪︶レコード文化の到来、ラジオ放送の始まり
1910年、日本初の国産蓄音機ニッポンノホンが発売される。 1925年、東京放送局︵NHKラジオ第1放送︶が開局。 ●落語 三遊亭圓右、初代 桂春団治、五代目古今亭志ん生、八代目桂文楽 ●浪花節︵浪曲︶ 二代目広沢虎造、相模太郎、日吉川秋水、広沢瓢右衛門 ●漫談 徳川夢声、柳家三亀松、大辻司郎、山野一郎、牧野周一 ●萬歳から漫才へ ●演者 エンタツ・アチャコ、芦乃家雁玉・林田十郎、玉松一郎・ミスワカナ、砂川捨丸・中村春代、砂川菊丸・照代 ●作家、プロモーターなど 秋田實、長沖一、吉田留三郎、林正之助、橋本鐵彦 ●ボーイズ あきれたぼういず、木下華声、あひる艦隊喜劇映画の誕生と興隆
1903年、東京市浅草区浅草公園六区に、﹁日本で初めての常設活動専門館﹂として﹁電気館﹂がオープン。以降、映画は常設の興行メディアとして、東京・大阪といった大都市のみならず、日本全国に拡大した。特に、1930年代トーキー映画の技法が確立すると、榎本健一など軽演劇の人気者が出演するようになり、その人気が全国的なものとなった。また、落語や漫才もラジオに加え映画によって地方の住民も楽しむようになった。 1960年代に一般家庭にテレビが普及するまでは、全国に向けてのメディアは、ラジオと映画であり、特に映画は、その予算や影響力から、森繁久彌などトップスターを輩出した。戦地慰問活動
●わらわし隊テレビ創世期
軽演劇からの転身
1953年、NHK・日本テレビが相次いで開局したが、当初一流俳優などはテレビを﹁電氣紙芝居﹂として敬遠し、その結果それまで浅草公園六区や新宿などで活躍していた軽演劇の役者など、実力はあるが陽の目を見ず燻っていた者達がテレビの世界に飛び込んだ。三木のり平や八波むと志・由利徹・南利明の﹁脱線トリオ﹂、佐山俊二、関敬六・谷幹一・渥美清︵のち海野かつをに交替︶のスリーポケッツ、石井均一座の他、浅草で人気を博していた大宮敏充の﹁デン助劇団﹂などが初期のテレビ・バラエティを飾っていた。 一方、大阪でも梅田の実演劇場・北野劇場に出演していた薄給のコメディアンであった茶川一郎、佐々十郎、芦屋雁之助、芦屋小雁、大村崑等に白羽の矢が立ち、花登筺脚本の一連のコメディーで脚光を浴びた。とりわけ大村は時代の寵児となり、﹁コンちゃん﹂ブームを巻き起こした。この他に藤田まことや白木みのる等が進出。吉本新喜劇は当初からテレビを意識して制作されたもので、毎日放送とのタイアップもあり多くのスターを生み出した。一方の松竹新喜劇も看板役者の藤山寛美がよみうりテレビを中心にコメディー数作を発表した。クレージーキャッツの台頭
1959年、フジテレビ開局と同時に始まった時事コント番組﹃おとなの漫画﹄は、本来本格的なジャズバンドであったハナ肇とクレージーキャッツを起用。青島幸男作の洗練された都会的なギャグで一躍市民権を得た。クレージーはこのあと日本テレビの﹃シャボン玉ホリデー﹄で更に人気を増し、国民的なお笑いグループとして認知された。特にメンバーの植木等が演じる﹁無責任男﹂が高度経済成長を背景とした時流に乗り、大いに当たった。音楽バラエティ番組
﹃シャボン玉ホリデー﹄もそうであったが、この手の番組の嚆矢は同じ日本テレビの﹃光子の窓﹄である。草笛光子を主役に起用したこの番組は、歌と踊りと笑いの全てを集約させた音楽バラエティであった。このあと、NHKが﹃夢であいましょう﹄をスタート。渥美清、E・H・エリック、黒柳徹子などがコントを演じていた︵作・永六輔︶。 草笛と黒柳は女性バラエティタレントの先駆者であり、黒柳は現在もなおバラエティ番組に出演し続けている。寄席芸人の進出
NHKがジェスチャーに柳家金語楼を起用、全国区の人気に。 日本テレビ開局当日に発生した放送事故の穴埋め番組出演を機に、2代目三遊亭歌奴︵3代目三遊亭圓歌︶・三遊亭小金馬︵現‥4代目三遊亭金馬︶・一龍齋貞鳳・3代目江戸家猫八の4人は正力松太郎同社社長に認められ、番組一本を持たされた。これに目を付けたNHKは2代目歌奴以外の三人を引き抜き、﹃お笑い三人組﹄をスタートさせる。一方、文化放送で放送された﹃落語討論会﹄をフジテレビがテレビ化し、大喜利番組﹃お笑いタッグマッチ﹄︵5代目春風亭柳昇司会︶がスタート。レギュラー陣の4代目柳家小せんが発した﹁ケメコ﹂の流行語も相まって一躍人気番組となった。この流れが後述の﹁演芸ブーム﹂に繋がる。喜劇映画の全盛
テレビ創成期にあっては、映画は、いまだ娯楽のメディアとしての優位性を誇っており、特に、カラーテレビの普及までは、手軽ではあるが、画像・音声で劣るものとの認識があった。テレビで人気が出たコメディアンも予算が豊富な映画を重視する傾向があり、クレージーキャッツなどは、ゴールデンウィークや年末といった時季に合わせ、シリーズものの大作喜劇を制作し、爆発的にヒットした。演芸ブーム
お笑い第一世代
1962年頃から1969年頃まで続いた、テレビの演芸番組を中心としたブーム。景気後退の中、番組制作費が抑制された各局は制作コストがかからず視聴率が取れる演芸番組に傾斜。また、視聴者の側も不景気による沈滞ムードの中、テレビに笑いを求めていた。
漫才ブーム
お笑い第二世代
1980年代後半からのブーム
お笑い第三世代
バラエティ番組ブーム
お笑い第四世代
2000年代のブーム
お笑い第五世代
東京吉本の渋谷公園通り劇場が1998年、銀座7丁目劇場が1999年、大阪でも心斎橋筋2丁目劇場が閉館した。そんな中、2001年にルミネtheよしもとが開館し、大阪でも心斎橋筋2丁目劇場に続く若手芸人の拠点として、baseよしもとが開館。また、1999年にスタートした﹃爆笑オンエアバトル﹄︵NHK︶を始め、若手のお笑い芸人たちを発掘しようとする動きが起こり、その他にも2000年代中盤から﹃エンタの神様﹄︵日本テレビ︶、﹃爆笑レッドカーペット﹄︵フジテレビ︶、﹃笑いの金メダル﹄︵朝日放送︶などいわゆる﹁ネタ見せ番組﹂が増え始める。また、2001年には島田紳助企画立案の結成10年以内のコンビを参加対象とした新たな漫才コンテスト﹃M-1グランプリ﹄︵朝日放送︶が立ち上がり、翌2002年からは1人芸を対象にした﹃R-1ぐらんぷり﹄︵関西テレビ→カンテレ・フジテレビ共同︶が、2008年からはコントのコンテスト﹃キングオブコント﹄︵TBS︶が開催されるなど、年に1度開催されるお笑いコンテストを生中継する番組が誕生した。 この時期になると吉本興業や太田プロといった老舗のみならず、数多くの芸能事務所からお笑いタレントが登場するようになった。その中にはサンミュージック企画やソニー・ミュージックアーティスツ、ホリプロコム等従来お笑いタレントを手がけていなかった事務所も多数参入している。 1970年代前半生まれに出生数が多い団塊ジュニア世代がお笑い第五世代に当たる。 フジテレビでは、ビートたけし・明石家さんま・ダウンタウン・ナインティナインに続けと﹁お笑い8周期説﹂に則り﹃新しい波8﹄が放送された。その後2001年に、キングコングがメインキャストを務めた﹃はねるのトびら﹄がスタート。﹁若手芸人﹂がブームの中心であったが、﹁若手﹂と言ってもその多くが20代後半-30代であるのが特徴的で、︵芸歴で考えて︶第四世代にあたる中堅芸人と同い年・同期あるいは年上・先輩であるなどといった不思議な現象が起きている。これは、コンビ結成が遅かったり、先のボキャブラ世代の時代にブレイクを逃したり、未だ東京進出を果たしていなかった大阪吉本所属の芸人が多く流入してきたことや、これらの芸人の知名度が低いゆえに正規の第五世代と同じ扱いを受けたことが主な要因である。特に﹃ボキャブラ天国﹄に起用されていた芸人︵いわゆる﹁キャブラー﹂︶が東京芸人に偏重していたため[注釈 1]、中川家、ケンドーコバヤシ、たむらけんじ、陣内智則などボキャブラ芸人とほぼ同世代の関西芸人が第五世代のブームによって売れるケースが目立った。 2000年代中期から後期にかけては、先述の4番組の他にも﹃ウンナン極限ネタバトル!ザ・イロモネア 笑わせたら100万円﹄︵TBS︶や﹃とんねるずのみなさんのおかげでした﹄での﹁博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜﹂や﹃爆笑レッドカーペット﹄︵共にフジテレビ︶など、短尺のネタを1ネタだけ披露させる構成のネタ見せ番組がブームとなる。ネタの時間が短いため多くの出演者を確保でき、新人芸人の出演チャンスが増やされた事がこれらの番組の大きな特徴である。2007年に開始した﹃あらびき団﹄︵TBS︶では短いのみならず、完成度の高くないネタ・実験的なネタや演出を中心としており従来の番組とは趣を異にしている。 このような番組が増える中で、単に番組用にネタ時間を短く調整した漫才やコントだけでなく、もともと短く構成されたショートコントや一発芸、キャラネタ、リズムネタなどが数多く生み出され、そのようなネタに適応したピン芸人が台頭した他、ブリッジを多用した﹁一発屋﹂といわれる芸人が急増。ピンネタでブレイクした芸人の中にはレイザーラモンHG、犬井ヒロシ、なだぎ武、世界のナベアツ、ムーディ勝山、天津木村などもともとコンビを組んでいるにもかかわらずピン芸人のような扱いを受けた若手・中堅芸人も多い。一発屋芸人は年末年始の番組に出演し一世を風靡するものの、その年の末から年明けには飽きられその後テレビから姿を消す、という新たなパターンが生まれた。また、こういった芸人はNHK紅白歌合戦に特別出演したり、流行語大賞を受賞するケースがほとんどである。 大ブームを起こした芸人が消費し尽くされてしまうと簡単に忘れられてしまう、という傾向は年を経るごとに激しくなっていた。このようなブームはそれまでお笑いに興味すら示さなかったような人々まで包括したため、その人気の基準は一種のトレンド的な性格を強めるようになり、芸人の在り方の変容ともされたが、一方でそれは笑いのレベルの低下と見る向きもあった。 また次長課長・井上聡、チュートリアル・徳井義実などに代表される“イケメン芸人”が急増したことや、お笑い情報のみを取り扱ったお笑い専門誌が次々に発行されたりといった芸人のアイドル化が見られるようになった。 この時代は一時的にコント番組が復活傾向にあった時期で、﹃はねるのとびら﹄﹃リチャードホール﹄﹃10カラット﹄﹃落下女﹄﹃ミンナのテレビ﹄と各局で若手芸人のコントコーナーがある番組が存在していた。2010年以降のお笑い
お笑い第六世代
2010年代に入ると、かつての﹃ボキャブラ天国﹄の凋落と同様に、2000年代のお笑い人気を支えたバラエティ番組やネタ見せ番組が慢性的な人気低下を抱えるようになる。いわゆる﹁テレビ離れ﹂の影響が示唆される中[7]、2010年の﹃M-1﹄の一時終了に始まり、やがてほとんどのお笑い番組が放送を終了した︵もしくは定期の特番化︶。また、BPOによる規制などテレビ局にコンプライアンスが求められるという時代の流れも相まり、ある意味でハラスメント的な性格を含むお笑いバラエティ番組への風当たりが強まったことで[7]、﹃めちゃ2イケてるッ!﹄﹃とんねるずのみなさんのおかげでした﹄といったかつてお笑いブームを牽引し長寿番組となっていた番組までもが相次いで放送を終了した。 また、コンプライアンス問題は芸能人側にも波及し、不祥事で活動を休止するお笑いタレントも現れ、暴力団関係者との交際が噂されていた島田紳助は多数のレギュラー番組を抱えたまま2011年に芸能界を引退した。2019年にはお笑い芸人による闇営業問題が発覚。この件は問題の背景に吉本興業のマネジメント体制の不備があり、問題発覚後の対応も含め吉本所属タレントからも批判が殺到することとなった。 しかしそんな中でも、﹃雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!﹄︵テレビ朝日︶や﹃人志松本のすべらない話﹄︵フジテレビ︶などの実力ある芸人によるトークバラエティ番組や、芸人の他に俳優やタレント、アイドル、知識人などを交えた一般的な情報バラエティ番組などは変わらず安定して人気を獲得。それに伴い﹁雛壇芸人﹂というジャンルが大々的に紹介され、﹁お笑いファン﹂の間で新たなジャンルとして知られる様になった。また、加藤浩次・近藤春菜の﹃スッキリ﹄︵日本テレビ︶、南原清隆の﹃ヒルナンデス!﹄︵日本テレビ︶、設楽統の﹃ノンストップ!﹄︵フジテレビ︶など、午前-昼間に放送する比較的お笑い要素の少ない情報番組で芸人がMCやコメンテーターを務めるというケースが増加した他、田村裕や又吉直樹、若林正恭の著書がベストセラーとなるなどお笑い芸人の活動に多様化が見受けられるようになる。ただ、このような展開によってお笑い界の第一線に定着したのは2010年以前にブレイクを果たした、既に﹁売れている﹂芸人たちであった[10]。一方、フジテレビにおいて次世代の若手を発掘すべく制作された﹃新しい波16﹄から発掘されたメンバーによる﹃ふくらむスクラム!!﹄→﹃1ばんスクラム!!﹄が放送され、新たなスター発掘が試みられたが、不発に終わる。その後、﹃ピカルの定理﹄や﹃ミレニアムズ﹄、﹃爆笑レッドシアター﹄などが放送され、一定の人気を獲得した。 その一方で、2011年には﹃THE MANZAI﹄が﹃M-1﹄に代わるお笑いコンテストとして復刻、そして2015年には﹃M-1﹄が復活を遂げ︵﹃M-1﹄復活以降は年1回放送の大型ネタ番組﹃THE MANZAI プレミアマスターズ﹄として放送︶、年3回放送の大型ネタ番組﹃ENGEIグランドスラム﹄︵フジテレビ︶が放送を開始、2017年には女芸人のコンテスト﹃女芸人No.1決定戦 THE W﹄︵日本テレビ︶が新設された。また、﹃水曜日のダウンタウン﹄︵TBS = 2014年放送開始︶、﹃さんまのお笑い向上委員会﹄︵フジテレビ = 2015年放送開始︶といった比較的過激な内容のバラエティ番組も少なからず存在し[7]、﹁お笑いとは何か﹂を新たに問い直す内容も含むことで人気低下への対抗策が講じられている。さらには、﹁テレビ離れ﹂を逆手にとる形でAmazonプライム・ビデオやAbemaTVなど、規制の比較的ゆるいインターネット配信サービスを利用したバラエティ番組の放送も増加しており、お笑い番組やバラエティ番組の大きな変革期に突入した。2020年にはビデオリサーチの視聴率調査方式の大規模なリニューアルが行われ、各テレビ局は広告の取引指標を世帯視聴率から個人視聴率に変更し、﹁コアターゲット﹂とよばれる消費意欲の高い層︵局によって異なるが概ね13~49歳まで︶を設定した。これに伴い番組編成が大きく若返ることとなり、お笑い・バラエティ番組が再び増加傾向にある[11]。 ﹃エンタの神様﹄や﹃爆笑レッドカーペット﹄、﹃M-1グランプリ﹄︵第1回 - 第10回︶などのネタ見せ番組によるお笑いブームの恩恵を受けた第六世代[12][13] と、団塊ジュニア世代︵1970年代生まれ︶の第六世代とゆとりの第七世代の狭間の︵1980年︿昭和55年﹀-1986年︿昭和61年﹀生まれ︶を指す言葉として、﹁お笑い第6.5世代﹂という言葉も誕生した[14][15]。 ﹁お笑い第6.5世代﹂という言葉は﹃アメトーーク!﹄︵テレビ朝日︶の企画﹁僕らビミョーな6.5世代﹂︵2020年2月27日放送︶が発端で、それ以前に太田博久︵ジャングルポケット︶がプレゼンした企画﹁たぶんお笑い第6世代﹂が前身[16] である。﹃アメトーーク!﹄内での山内健司︵かまいたち︶の﹁第7世代って言葉を作ったからこんな窮屈なことになっている﹂の発言通り[17]、実のところ、この区分は曖昧なもので、同期の芸人でも早咲きの場合は第六世代に分類されるため、﹁第6.5世代﹂は置かれている状況を指し示す言葉である[18]。第七世代は少数で括られた若手芸人であるため仲間意識が強く[19]、彼らを若林正恭︵オードリー︶は﹁観てきた景色が違う﹂、6.5と7の狭間にいる屋敷裕政︵ニューヨーク︶は﹁俺ら︵ニューヨークは︶最後のガラケーみたいな﹂としている[20]。 ﹃アメトーーク!﹄内での山内健司︵かまいたち︶の﹁第7世代って言葉を作ったからこんな窮屈なことになっている﹂の発言通り[17] 昭和生まれ2000年初頭以前デビューの第六世代︵南海キャンディーズ、オードリー、千鳥など︶の流れを汲みながら、平成生まれ2010年以降デビューの第七世代︵霜降り明星、ミキ、ハナコ、EXIT、宮下草薙、四千頭身など︶からあぶれているため辛酸を舐めている苦労人が多い[17][21]。 新たなネタ見せ番組﹃有吉の壁﹄︵日本テレビ、2020年 - ︶の誕生により、雛壇芸人や第六世代、第七世代からあぶれた第6.5世代の賞レース常連組︵チョコプラ、シソンヌ、パンサー、ジャンポケ、さらば、三四郎など︶が再浮上、再評価される流れにある[14][22]。また、第6.5世代から大学お笑い出身者が賞レースやバラエティ番組で頭角を表し始める[23][24]。お笑い第七世代
平成の落語ブーム
平成に入って、落語界では1993年︵平成5年︶には初の﹁女真打﹂︵三遊亭歌る多、古今亭菊千代︶が誕生し、1995年︵平成7年︶には東京の5代目柳家小さん、翌1996年には上方の3代目桂米朝がそれぞれ﹁人間国宝﹂に認定され[33]、古典芸能としての地歩を固めた。人間国宝には、その後、2014年︵平成26年︶に十代目柳家小三治が認定されている。 21世紀に入って、落語界には、マスメディアでも幅広く活躍していた春風亭小朝が発起人となった﹁六人の会﹂や、新作落語の隆盛をめざした話芸集団﹁SWA︵創作話芸アソシエーション︶﹂の結成という新たな展開が生まれ、一方では長瀬智也と岡田准一が主人公を演じたテレビドラマ﹃タイガー&ドラゴン﹄︵TBS系︶や連続テレビ小説﹃ちりとてちん﹄︵NHK︶などの影響によって新たな落語ファンが生まれた[33]。 このような現象はしばしば﹁平成の落語ブーム﹂と呼ばれる[33]。このブームの特徴は、﹁落語全般﹂が好きな落語マニアによるブームではなく、それぞれ自分のことばで語る個性的な落語家各人のファンによるブームであるということで、個別に熱烈なファン層をもつ落語家が多数存在することによっている[34]。年表︵年代別︶
19世紀
1857年 ●本牧亭開場。 1864年 ●3月﹁アメリカ・リズリー・サーカス﹂が横浜にて日本初のサーカス興行を行う。 1866年 ●11月23日 隅田川浪五郎がアメリカ合衆国へ渡航の為、外国奉行から印章を取得した。これが日本のパスポート第1号とされている。 1867年 ●帝国日本芸人一座がパリ万国博覧会にて興行を行う。 1876年 ●鈴本亭︵後の鈴本演芸場︶開場。 1887年 ●10月1日 根岸浜吉が根岸興行部を設立。浅草オペラの礎になる。 1894年 ●この頃川上音二郎が歌う﹁オッペケペー節﹂が大評判となる。日本におけるコミックソングの元祖[8]。 1897年 ●新宿末廣亭開場。1900年代
1904年 ●2月10日 ﹁曾我廼家兄弟劇﹂旗揚げ[8]。 1905年 ●﹁落語研究会﹂旗揚げ。 1908年 ●6月25日 横田商会製作・配給映画﹃いもりの黒焼﹄公開。日本初の喜劇映画のひとつとされる[35]。 ●10月17日 川上音二郎出演、吉沢商店制作・配給映画﹃和洋折衷結婚式﹄公開。1910年代
1912年 ●4月1日 吉本興業創業。 1918年 ●吉本興業が傘下の寄席を﹁花月﹂と改称。1920年代
1921年 ●﹁浪花落語反対派﹂消滅。 1922年 ●吉本興業が東京・横浜・京都・神戸へも進出する。 1923年 ●落語協会設立。 ●9月1日 関東大震災により浅草公園六区も壊滅する。 1925年 ●3月22日 東京放送局︵後の日本放送協会︶がラジオ放送を開始。 1926年 ●10月 徳川夢声、大辻司郎、古川ロッパらが珍芸劇団﹁ナヤマシ会﹂を結成、第一回公演。 ●12月16日 大正天皇の病状悪化のため、NHKラジオの娯楽演芸番組が中止される。 1928年 ●二代目渋谷天外、曾我廼家十吾らが﹁松竹家庭劇﹂を結成。 1929年 ●10月30日 神戸松竹座開場。1930年代
1930年 ●10月11日 落語芸術協会設立。 1931年 ●1月 田河水泡著﹁のらくろ二等卒﹂、﹃少年倶楽部﹄に連載開始。 ●11月22日 神田立花亭で開かれた第41回落語研究会をNHKラジオが初の寄席中継放送。 ●12月 満州事変直後の満州へのお笑い慰問団派遣。メンバーは第1回がエンタツ・アチャコ、花月亭九里丸、神田山陽の3組。第2回がエンタツ・アチャコ、石田一松の2組。 1933年 ●吉本興業が吉本演芸通信を創刊。 ●吉本興業発行﹁吉本演芸通信﹂の中で、﹃今後﹁萬歳﹂は﹁漫才﹂へと表記改称する﹄と発表。[36] ●横山エンタツ・花菱アチャコが漫才の傑作、早慶戦を発表。 ●4月1日 古川ロッパが浅草で﹁笑の王国﹂を旗揚げ。 1934年 ●3月1日 アメリカのレヴュー団﹁マーカス・ショウ﹂が来日公演。連日の大入り満員に[36]。 ●4月25日 新橋演舞場で吉本興業が特選漫才大会を開催︵初めて﹁まんざい﹂が﹁漫才﹂と書かれる︶[36]。 1935年 ●帝都漫才組合︵現在の漫才協会︶設立。 ●吉本興業が浅草公園六区に浅草花月劇場を開場。 ●5月 浅草松竹座にて﹁漫才大会﹂が行われる。漫才が東京へ本格的に根付く契機となる[36]。 1937年 ●吉本興業が漫才学校を開校。 1938年 ●吉本興業が通天閣を買収。 ●1月 日中戦争派兵士を慰問するわらわし隊結成、派遣。 1939年 ●3月29日 新興キネマ演芸部が発足。1940年代
1940年 ●3月28日 内務省がミスワカナ、あきれたぼういず、ハッピー姉妹らに敵性語禁止を通達。 1941年 ●10月30日 廓噺や間男の噺など落語の53演目が、禁演落語として長瀧山本法寺境内はなし塚に葬られる。 1943年 ●1月7日 日本放送協会﹃前線へ送る夕﹄第一回放送。 1944年 ●2月25日 決戦非常措置要綱が閣議決定。歌舞伎座、日本劇場など19劇場が休場。 1945年 ●10月15日 治安維持法・治安警察法などが廃止になる。 1946年 ●松鶴家団之助が大阪府西成区山王︵通称芸人横丁︶に演芸会社﹁団之助芸能社﹂を立ち上げ、数十人のかかげる事務所となる。 ●4月22日 長谷川町子著﹃サザエさん﹄が、フクニチ新聞に連載開始。 1948年 ●﹁松竹家庭劇﹂と﹁曾我廼家五郎一座﹂が発展解消、松竹新喜劇を旗揚げ。 ●漫才作家の秋田實が﹁MZ研進会﹂を発足。ミヤコ蝶々、南都雄二、夢路いとし・喜味こいし、秋田Aスケ・Bスケ、ミスワカサ・島ひろし等を輩出。 ●初の落語研究会が早稲田大学に出来る。 1949年 ●9月14日 NHKラジオ﹃上方演芸会﹄放送開始。初代司会は芦乃家雁玉・林田十郎。上方漫才のブームを引き起こす。1950年代
1950年 ●1月3日 NHKラジオ﹃愉快な仲間﹄放送開始。アメリカの﹃ビング・クロスビー・ショー﹄に倣い、藤山一郎と森繁久彌の掛け合いが人気を呼ぶ。 1951年 ●4月1日 読売新聞朝刊に﹁USO放送﹂が初めて掲載される。 ●8月16日 浅草フランス座開場。 ●9月1日 日本初の民間放送ラジオ、中部日本放送︵CBCラジオ︶と新日本放送︵現在の毎日放送=MBSラジオ︶が開局。 1953年 ●2月1日 日本初のテレビ局として、NHKがテレビの本放送開始。 ●8月28日 日本初の民間放送テレビ局、日本テレビが本放送開始。 1954年 ●1月 ﹁東京喜劇人協会﹂︵後の日本喜劇人協会︶設立。初代会長に榎本健一、副会長に柳家金語楼、古川ロッパが就任。 1955年 ●4月1日 日本タイムズ︵現ジャパンタイムズ︶が日本最初のエイプリルフール記事とされる[37]、﹁ソ連爆撃機 羽田着陸﹂を一面掲載。一見して真偽が判別しづらく、さらにオチがないとして酷評された[38]。 1956年 ●NHKが主催する、第1回NHK新人漫才コンクール開催。優勝は獅子てんや・瀬戸わんや。 ●1月3日 東宝映画森繁久彌主演社長シリーズ第一作﹃へそくり社長﹄公開。1970年まで33作が制作される。 1957年 ●4月1日 上方落語協会設立。 1958年 ●松竹芸能の前身会社である、松竹新演芸が設立される。 ●12月1日 千日劇場開場。 1959年 ●3月1日 うめだ花月開場と同時に﹁吉本ヴァラエティ﹂として吉本新喜劇発足。 ●4月3日 渡辺プロダクションが設立。1960年代
1960年 ●5月8日 毎日放送﹃素人名人会﹄放送開始。(2002年放送終了) ●12月 榎本健一が紫綬褒章を受章。 1961年 ●6月4日 日本テレビ﹃シャボン玉ホリデー﹄放送開始。(1977年終了) 1962年 ●5月6日 朝日放送﹃てなもんや三度笠﹄︵主演‥藤田まこと︶放送開始。 ●6月1日 京都花月劇場が復活︵吉本興業︶。 ●9月 毎日放送﹃よしもと新喜劇﹄放送開始。 1963年 ●なんば花月が復活。 ●7月20日 太田プロダクション設立。 1964年 ●浅草演芸ホール開場。 ●1月 森田拳次著﹃丸出だめ夫﹄、﹃週刊少年マガジン﹄にて連載開始。 ●1月2日 フジテレビ系列﹃新春かくし芸大会﹄が放送開始。(2010年終了) 1966年 ●ラジオ大阪が主催する、第1回上方漫才大賞開催。漫才大賞受賞者はかしまし娘。 ●5月15日 ﹃笑点﹄︵日本テレビ︶放送開始。初代司会は立川談志。 ●6月30日・7月1日 ザ・ドリフターズがビートルズ日本公演の前座を務める。 1967年 ●4月9日 ﹃週刊少年マガジン﹄にて、赤塚不二夫著﹃天才バカボン﹄連載開始。 ●10月1日 ニッポン放送﹃オールナイトニッポン﹄放送開始。 ●10月2日 MBSラジオ﹃MBSヤングタウン﹄放送開始。 1968年 ●浅井企画設立。 ●ボーイズバラエティ協会設立。 ●松竹芸能タレント養成所︵後の松竹芸能タレントスクール︶設立。 ●1月1日 フジテレビ﹃初詣!爆笑ヒットパレード﹄が放送開始。 ●4月1日 フジテレビ﹃お昼のゴールデンショー﹄放送開始、コント55号他が出演。現在の﹃笑っていいとも!﹄まで続く平日正午枠のバラエティ路線の源流となった。 ●7月7日 第8回参議院議員通常選挙にて青島幸男、横山ノックが初当選。 ●7月13日 フジテレビ﹃コント55号の世界は笑う﹄放送開始。この番組の放送から長年にわたる土曜8時戦争が始まった。 1969年 ●4月6日 フジテレビ﹃唄子・啓助のおもろい夫婦﹄放送開始。(1985年放送終了) ●4月27日 日本テレビ﹃コント55号の裏番組をぶっとばせ!﹄放送開始。野球拳が社会現象になる。 ●7月3日 毎日放送﹃ヤングおー!おー!﹄放送開始。(1982年放送終了) ●8月27日 松竹映画﹃男はつらいよ﹄︵主演渥美清︶第1作目上映。(1995年まで48作を制作) ●10月4日 TBS﹃8時だョ!全員集合﹄放送開始。(1985年放送終了) ●10月5日 フジテレビ﹃サザエさん﹄放送開始。 ●10月7日 日本テレビ﹃巨泉×前武ゲバゲバ90分!﹄放送開始。ハナ肇の﹁アッと驚く為五郎﹂、巨泉の﹁うーしししし﹂が話題となる。(1971年放送終了) ●11月1日 ザ・ドリフターズ﹁ズンドコ節﹂発売。オリコン最高位2位、売り上げ枚数115万枚以上記録。1970年代
1970年 ●笑い袋が発売される。 ●2月4日 TBS﹃時間ですよ﹄レギュラー放送開始。 1971年 ●1月31日 朝日放送﹃新婚さんいらっしゃい!﹄放送開始。2015年現在も放送中。 ●3月6日 NHK大阪放送局が主催する、第1回NHK上方漫才コンテスト開催。最優秀話術賞はコメディNo.1、優秀努力賞は若井小づえ・みどり、優秀敢闘賞はレツゴー三匹が受賞。 1972年 ●読売テレビが主催する、第1回上方お笑い大賞開催。大賞受賞者は六代目笑福亭松鶴、三代目桂米朝。 ●NHKが主催する、第1回NHK新人落語コンクール開催。最優秀賞は柳家小三太。演目は﹁時そば﹂。 ●5月10日 宮史郎とぴんからトリオ﹁女のみち﹂発売、累計売上325.6万枚、オリコンチャートシングル売上歴代2位等を記録。 ●10月9日 ニッポン放送﹃欽ちゃんのドンといってみよう!﹄放送開始。 1973年 ●1月8日 TBSラジオ﹃小沢昭一の小沢昭一的こころ﹄放送開始。(2012年放送終了) ●3月9日 六代目三遊亭圓生、御前口演を行う。 ●4月2日 フジテレビ﹃ひらけ!ポンキッキ﹄放送開始。 ●4月4日 田辺エージェンシー設立。 ●10月 フジテレビ﹃ものまね王座決定戦﹄放送開始。 1974年 ●オイルショックのため、テレビ深夜放送が休止される。 ●1月 ビックリハウス創刊。 ●4月3日 ニッポン放送﹃笑福亭鶴光のオールナイトニッポン﹄放送開始。 ●10月9日 山上たつひこ著﹃がきデカ﹄、﹃週刊少年チャンピオン﹄に連載開始。 1975年 ●4月5日 フジテレビ﹃欽ちゃんのドンとやってみよう!︵欽ドン!︶﹄放送開始。 ●4月6日 朝日放送・吉本興業﹃日曜笑劇場﹄放送開始。第1作は﹁あっちこっち丁稚﹂。(2013年放送終了) ●10月 秋田實主宰﹁笑の会﹂発足。多くの漫才師が輩出。 ●10月4日 フジテレビ﹃タイムボカン﹄放送開始。この作品のヒットにより、﹃タイムボカンシリーズ﹄が誕生した。 1976年 ●4月2日 日本テレビ﹃カックラキン大放送!!﹄放送開始︵正式レギュラー化︶。 ●4月11日 中京テレビ﹃お笑いマンガ道場﹄放送開始。 ●10月 秋本治著﹃こちら葛飾区亀有公園前派出所﹄、﹃週刊少年ジャンプ﹄にて連載開始。 ●10月6日 NETテレビ→テレビ朝日﹃欽ちゃんのどこまでやるの!?﹄放送開始。21時台に放送される初のバラエティー番組。 ●10月11日 NETテレビ→テレビ朝日﹃みごろ!たべごろ!笑いごろ!﹄放送開始。キャラクターデンセンマンが人気を博す。(1978年放送終了) 1977年 ●プロダクション人力舎設立。 ●2月8日フジテレビ﹃ドリフ大爆笑﹄放送開始。 ●9月 石井光三オフィス設立。 1978年 ●落語協会分裂騒動‥三遊亭圓生一門、古今亭志ん朝一門、橘家圓蔵一門が、それまで所属していた﹁落語協会﹂から独立して﹁落語三遊協会﹂を設立。落語協会が真打ちを乱造することに反発したのが理由だった。落語界全体に大きな波紋を呼び、一時は落語協会の半数が新団体に移るという予測もされたが、実際には様々な要因があって参加を見送るものが相次ぐ。さらには新団体参加者の寄席出演が拒否されたため、志ん朝一門と圓蔵一門は早々に離脱。翌年に落語三遊協会は自然消滅。 ●4月9日 ラジオ大阪﹃鶴瓶・新野のぬかるみの世界﹄放送開始。 ●10月1日 博品館劇場開場。 1979年 ●1月11日 イザワオフィス設立。 ●3月23日 国立演芸場開場。 ●10月7日 関西テレビ﹃花王名人劇場﹄放送開始。漫才ブームの礎を築いた一方で、芦屋雁之助主演のドラマシリーズ﹃裸の大将放浪記﹄などの企画で人気を博す。 ●12月31日 日本テレビ﹃欽ちゃんの仮装大賞﹄放送開始。1980年代
1980年 ●2月1日 五代目三遊亭圓楽が大日本落語すみれ会︵後の円楽一門会︶を結成。 ●4月 朝日放送が主催する、第1回ABC漫才落語新人コンクール︵現在のABCお笑いグランプリ︶開催。最優秀新人賞は漫才の部で前田一球・写楽、落語の部で桂雀三郎がそれぞれ受賞。 ●4月 マンスリーよしもと創刊。 ●4月1日 フジテレビ﹃THE MANZAI﹄放送開始。前年から火がつき始めた漫才ブームが本格的に勃発。 ●4月12日 日本テレビ﹃お笑いスター誕生!!﹄放送開始。 ●6月5日 イエロー・マジック・オーケストラ︵YMO︶のアルバム﹃増殖﹄発売。曲の間にスネークマンショーのコントが挟み込まれる。 1981年 ●1月1日 ニッポン放送﹃ビートたけしのオールナイトニッポン﹄放送開始。 ●4月4日 日本テレビ﹃今夜は最高!﹄放送開始。 ●5月16日 フジテレビ﹃オレたちひょうきん族﹄放送開始。 ●8月5日 イモ欽トリオ﹁ハイスクールララバイ﹂発売。ミリオン・セラーを記録。 1982年 ●4月4日 吉本興業がNSC︵吉本総合芸能学院︶を大阪に開校。第1期生はダウンタウン、トミーズ、ハイヒール、内場勝則など。 ●4月10日 とんねるず﹃お笑いスター誕生!!﹄でグランプリ獲得。 ●10月4日 フジテレビ﹃森田一義アワー 笑っていいとも!﹄放送開始。(2014年放送終了) ●10月8日 テレビ朝日﹃タモリ倶楽部﹄放送開始。 ●10月5日 毎日放送﹃突然ガバチョ!﹄放送開始。 ●11月3日 本多劇場開場。 1983年 ●立川談志とその一門が真打昇進制度を巡って落語協会と対立。同会を脱退して落語立川流を創設。 ●4月2日 フジテレビ﹃オールナイトフジ﹄放送開始。 ●5月2日 ニッポン放送﹃ヤングパラダイス﹄放送開始。 1985年 ●4月 五代目三遊亭圓楽の一門﹁円楽一門会﹂が出演する寄席、﹁若竹﹂が開設される。 ●4月1日 フジテレビ﹃夕やけニャンニャン﹄放送開始。 ●4月6日 NHK﹃バラエティー生活笑百科﹄放送開始。 ●4月8日 関西テレビ﹃さんまのまんま﹄放送開始。 ●4月14日 日本テレビ﹃天才・たけしの元気が出るテレビ!!﹄放送開始。 ●4月16日 テレビ朝日﹃ビートたけしのスポーツ大将﹄放送開始。カール君などが人気を博す。 ●7月2日 フジテレビ﹃第1回爆笑!スターものまね王座決定戦﹄放送開始。後にものまね四天王を中心にしたブームを巻き起こす。 ●7月15日 ビートたけし原作﹃たけしくん、ハイ!﹄が、NHK銀河テレビ小説にて放送開始。 ●10月6日 TBS﹃アッコにおまかせ!﹄放送開始。 ●10月7日 フジテレビ﹃冗談画報﹄放送開始。 ●10月15日 ニッポン放送﹃とんねるずのオールナイトニッポン﹄放送開始。 1986年 ●1月24日 渡辺正行主催によるお笑いライブ﹁第1回ラ・ママ新人コント大会﹂開催。若手芸人の登竜門的存在になる。 ●4月28日 フジテレビ﹃志村けんのバカ殿様﹄放送開始。 ●5月2日 TBS﹃痛快なりゆき番組 風雲!たけし城﹄放送開始。 ●5月10日 心斎橋筋2丁目劇場開館。 1987年 ●3月31日 京都花月劇場閉館。 ●4月14日 よみうりテレビ﹃鶴瓶上岡パペポTV﹄放送開始。 ●4月29日 3代目桂米朝が紫綬褒章受章。 ●7月18日 フジテレビ﹃FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島﹄︵FNSの日︶開始。深夜、タモリ・ビートたけし・明石家さんまのいわゆるビッグ3が初共演。 ●10月3日 関西テレビ﹃ねるとん紅鯨団﹄放送開始。 ●11月1日 なんばグランド花月開場。 ●11月16日 フジテレビ﹃志村けんのだいじょうぶだぁ﹄放送開始。 1988年 ●オフィス北野設立。 ●3月5日 朝日放送﹃探偵!ナイトスクープ﹄放送開始。 ●4月3日 ABCラジオ﹃誠のサイキック青年団﹄放送開始。 ●10月13日 フジテレビ﹃とんねるずのみなさんのおかげです﹄レギュラー放送開始。1997年に﹃とんねるずのみなさんのおかげでした﹄にリニューアル。 ●12月24日 松竹映画﹃釣りバカ日誌﹄︵主演‥西田敏行︶第1作目が上映。 1989年 ●1月2日 日本テレビ特別番組﹃ビートたけしのお笑いウルトラクイズ﹄第1回大会開催。以降年3回の放送ペースで1996年まで19回開催。第1回優勝者は林家ペー。 ●1月7日 昭和天皇崩御によりお笑い番組が一週間自粛される。 ●10月2日 九州朝日放送﹃ドォーモ﹄放送開始。 ●10月3日 日本テレビ﹃ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!﹄放送開始。開始当初は関東地区ローカル放送。1990年代
1990年 ●1月7日 フジテレビ﹃ちびまる子ちゃん﹄︵さくらももこ原作︶放映開始。 ●4月16日 毎日放送﹃痛快!明石家電視台﹄放送開始。 ●8月 臼井儀人著﹃クレヨンしんちゃん﹄、﹃漫画アクション﹄にて連載開始。1992年にテレビ朝日でアニメ化。 ●12月29日 毎日放送﹃オールザッツ漫才﹄放送開始。 1991年 ●9月5日 上方落語ファン感謝イベント﹃彦八まつり﹄第1回開催。 ●11月29日 とんねるずが﹁情けねぇ﹂で芸人初の﹁日本歌謡大賞﹂を受賞。 ●12月1日 チャーリー浜が﹁…じゃあ〜りませんか﹂で新語・流行語大賞受賞。 ●12月8日 フジテレビ﹃ダウンタウンのごっつええ感じ﹄が、レギュラー放送開始。 1992年 ●人力舎がスクールJCAを東京に開校。第1期生に児嶋一哉。 ●1月栃木県藤原町に日光猿軍団をオープン。 ●4月14日 テレビ東京﹃浅草橋ヤング洋品店﹄放送開始。 ●7月5日 日本テレビ﹃進め!電波少年﹄放送開始。 ●10月9日フジテレビ﹃新しい波Sinpa﹄放送開始。 ●10月10日 よみうりテレビ﹃たかじんnoばぁ〜﹄放送開始。 ●10月14日 フジテレビ﹃タモリのボキャブラ天国﹄、放送開始。 1993年 ●4月8日、﹃とぶくすりHi[gh]-YAKU﹄放送開始。 ●10月21日 ﹃ダウンタウンDX﹄︵読売テレビ︶がレギュラー放送を開始。 ●11月 タイタン設立。 1994年 ●タカアンドトシがこの年誕生した﹁札幌吉本﹂のオーディションに合格。札幌契約の第一号タレントとなる。 ●3月27日 銀座7丁目劇場開館。 ●4月4日 ニッポン放送系﹃ナインティナインのオールナイトニッポン︵第1期︶﹄放送開始。 ●4月10日、﹃ぐるぐるナインティナインHi−tensionTV﹄放送開始。 ●4月16日 日本テレビ﹃恋のから騒ぎ﹄放送開始。 ●7月9日 日本笑い学会設立。 ●10月5日 松本人志著のエッセイ本﹃遺書﹄発売。200万部を超えるベストセラーに。 ●10月17日 フジテレビ﹃HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP﹄放送開始。今までに無いトーク主体型音楽番組の嚆矢となる。 1995年 ●五代目柳家小さんが人間国宝に認定される。 ●1月17日 阪神・淡路大震災で関西一帯が被災。なんばグランド花月をはじめ関西各地の舞台・ライブが中止・延期となる。 ●3月15日 浜田雅功︵ダウンタウン︶が小室哲哉プロデュースによるユニット・H Jungle with tの1stシングル﹁WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント﹂を発売。210万枚を超える大ヒットを記録。 ●4月9日 第13回統一地方選挙で青島幸男が東京都知事に初当選、横山ノックが大阪府知事に初当選。 ●10月10日 TBSラジオ﹃伊集院光 深夜の馬鹿力﹄放送開始。 ●10月28日フジテレビ﹃めちゃ×2モテたいッ! -I wanna be POP!-﹄放送開始。 1996年 ●三代目桂米朝が重要無形文化財︵人間国宝︶に認定。 ●4月1日テレビ朝日﹃あなあきロンドンブーツ﹄放送開始。 ●4月15日 フジテレビ﹃SMAP×SMAP﹄放送開始。︵2016年放送終了︶ ●9月3日 8月4日に死去した渥美清が国民栄誉賞を受賞する。 ●10月9日 北海道テレビ放送﹃水曜どうでしょう﹄放送開始。︵2002年レギュラー放送終了︶ ●10月19日 フジテレビ﹃めちゃ×2イケてるッ! -What A COOL we are!-﹄放送開始。 ●11月15日 大阪府立上方演芸資料館開館。 ●12月21日 猿岩石のデビューシングル﹁白い雲のように﹂が発売。113万枚でミリオンセラーを達成する。 1997年 ●五代目桂文枝が紫綬褒章受章。 ●サンミュージック企画お笑い部門が再建。 ●4月8日 TBSラジオ﹃爆笑問題カーボーイ﹄放送開始。 ●4月15日、テレビ朝日﹃ぷらちなロンドンブーツ﹄放送開始。 ●9月6日 ビートたけしが本名の﹁北野武﹂名義での監督作品﹃HANA-BI﹄で第54回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞︵グランプリ︶を受賞。 ●10月28日 日本テレビ﹃踊る!さんま御殿!!﹄放送開始。 1998年 ●12月1日 パイレーツが﹁だっちゅーの﹂で新語・流行語大賞受賞。 1999年 ●4月18日、﹃イナズマ!ロンドンハーツ﹄︵現・ロンドンハーツ︶放送開始。 ●3月27日、NHK総合﹃爆笑オンエアバトル﹄放送開始。同年に第1回チャンピオン大会が開催されDonDokoDonが優勝。 ●6月3日、吉本興業が主催[注 1] し、バッファロー吾郎がプロデュースするお笑い・大喜利イベント、ダイナマイト関西の第1回が開催。初代優勝者は竹若元博︵バッファロー吾郎︶。2000年代
2000年 ●12月3日 慎吾ママの﹁おっはー﹂が2000年の新語・流行語大賞を受賞。 2001年 ●4月 東京都新宿区にルミネtheよしもとオープン。 ●4月10日、﹃はねるのトびらYou knock on a jumping door!﹄放送開始。 ●4月21日 日本テレビ系ドラマ﹃明日があるさ﹄がスタート︵同年6月30日まで︶。 ●12月30日 島田紳助企画立案、吉本興業主催の漫才コンテスト﹃M-1グランプリ﹄の第1回決勝戦が開催。初代優勝者は中川家。この模様は朝日放送・ANN系列で生放送された。 2002年 ●9月30日 綾小路きみまろ﹃綾小路きみまろ 爆笑スーパーライブ第1集!中高年に愛を込めて…﹄が演芸CDとしては驚異のミリオンセールスを達成。 ●10月6日 M-1グランプリのピン芸人版と言える﹃R-1ぐらんぷり﹄決勝戦が開催。第1回優勝者はだいたひかる。 ●10月6日 フジテレビ系﹃トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜﹄が放送開始。当初は関東ローカル。 2003年 ●五代目桂文枝が旭日小綬章を受章。 ●4月7日 テレビ朝日系列 ﹃雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!﹄放送開始。 ●4月19日 日本テレビ系列﹃エンタの神様﹄放送開始。ショートネタブームの嚆矢になる。 ●8月31日 毎日放送主催の漫才コンテスト﹃MBS新世代漫才アワード﹄第1回大会が開催。初代優勝者はフットボールアワー。 ●12月1日 テツandトモが﹁なんでだろ〜﹂で新語・流行語大賞を受賞。 2004年 ●10月 ワタナベコメディスクール開校。第1期生はハジメ︵フォーリンラブ︶など。 2006年 ●1月27日 劇団ひとりの小説﹃陰日向に咲く﹄が発売、100万部を突破した。 ●3月22日 爆笑問題が芸術選奨文部科学大臣賞放送部門を受賞。放送部門のバラエティジャンルからは史上初の受賞となった。 ●9月15日 戦後60年間上方落語に途絶えていた定席の寄席、天満天神繁昌亭︵大阪市北区︶がオープン。 2007年 ●1月21日 第21回宮崎県知事選挙に、無所属で出馬していたそのまんま東︵東国原英夫︶が当選。 ●2月18日 ﹃爆笑レッドカーペット﹄第1回レギュラー放送が放送。第1回のレッドカーペット賞受賞者は柳原可奈子。 ●7月31日 田村裕︵麒麟︶による自叙伝。﹃ホームレス中学生﹄が225万部を超えるベストセラーに。 2008年 ●10月5日 M-1、R-1のコント版と言える﹃キングオブコント﹄決勝戦が開催。初代キングオブコントはバッファロー吾郎。 ●11月28日 京橋花月がオープン。 ●12月1日 エド・はるみが﹁グー﹂で2008年度の新語・流行語大賞を受賞。 2009年 ●12月28日 ﹃IPPONグランプリ﹄第1回が開催。優勝はバカリズム。2010年代
2010年 ●3月9日 北野武︵ビートたけし︶がフランス・コマンドゥール章を受章。 ●12月26日 第10回M-1グランプリ決勝戦で笑い飯が優勝。この大会をもってM-1グランプリが一旦幕を下ろす。 2012年 ●3月3日 読売テレビ主催の演芸コンテスト﹃ytv漫才新人賞﹄第1回大会の決勝戦が開催。初代優勝者はモンスターエンジン。 ●4月8日 吉本興業創業100周年特別公演初日﹁伝説の一日﹂がなんばグランド花月で開催[39] され、4公演に208組277人が出演。 ●7月25日 この日発売の﹃内村さまぁ〜ず﹄DVD40巻が﹁1つの日本のバラエティ番組における最多DVDリリース数﹂としてギネス世界記録に認定される[40]。 ●10月1日 吉本興業と滋賀県湖南市が包括的連携協定。個別の自治体と会社単位の協定は今回が初[41]。 ●12月3日 スギちゃんが﹁ワイルドだろぉ﹂で新語・流行語大賞を受賞。 2013年 ●12月20日 ﹁よしもと幕張イオンモール劇場﹂がオープン。 2014年 ●2月3日 名古屋・大須演芸場が強制執行により閉館。 ●3月7日 若林正恭︵オードリー︶が映画﹃ひまわりと子犬の7日間﹄での功績により、第37回日本アカデミー賞の話題賞俳優部門を受賞。 ●3月31日 ﹃森田一義アワー 笑っていいとも!﹄が32年間8054回で放送を終了、テレフォンショッキング最後のゲストはビートたけし。﹃笑っていいとも!グランドフィナーレ 感謝の超特大号﹄ではとんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、爆笑問題、ナインティナインらが共演した。 ●7月7日 ﹁沼津ラクーンよしもと劇場﹂と﹁大宮ラクーンよしもと劇場﹂がオープン。 ●9月25日 ﹁ナインティナインのオールナイトニッポン︵第1期︶﹂が20年半、1013回で放送終了。オールナイトニッポンでも最長記録を保持しており、2020年5月14日より第2期が開始された。 ●12月1日 日本エレキテル連合が﹁ダメよ〜ダメダメ﹂で新語・流行語大賞を受賞。 ●12月5日 タモリが第62回菊池寛賞を受賞。 2015年 ●3月12日 よしもと沖縄花月がオープン。 ●7月16日 又吉直樹︵ピース︶の小説﹁火花﹂が第153回芥川賞を受賞。 ●9月22日 名古屋・大須演芸場、一年半ぶりに再開場。 ●12月6日5年ぶりに開催されたM-1グランプリ2015の決勝戦でトレンディエンジェルが優勝。 2016年 ●1月11日 第1回上方漫才協会賞が開催され、アインシュタインが大賞を受賞。 ●3月9日 オール阪神・巨人が第66回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。 ●5月31日 桂歌丸が文部科学大臣表彰を受章。 ●10月25日 ビートたけしがレジオン・ドヌール勲章オフィシエを受章。 ●10月29日 ピコ太郎の﹁ペンパイナッポーアッポーペン﹂が、Billboard Hot 100で初登場77位を記録し、日本人として松田聖子に次ぐ26年振り・7人目のチャートインを果たす[42][43]。 ●11月3日 西川きよしが旭日重光章を受章。 2017年 ●6月10日 横山ホットブラザーズが大阪市の無形文化財に指定される。 ●9月25日 ﹁よしもと西梅田劇場﹂がオープン。 2018年 ●7月26日 若林正恭︵オードリー︶のエッセイ﹁表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬﹂が第3回斎藤茂太賞を受賞。 2019年 ●4月 ﹃有吉のお金発見 突撃!カネオくん﹄がレギュラー放送となったことで、有吉弘行は日本芸能史上初となる地上波の全局︵NHK、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京︶で同時にレギュラー冠番組を持つことになった[44]。地上波の全局同時レギュラー出演は、2008年に国分太一︵TOKIO︶、2014年にさまぁ〜ずが達成している[45]。2020年代
2020年 ●10月27日 西川きよしが文化功労者に選定される。日本お笑い界での主要イベント
現在も開催中のイベント
カッコ内は主催者および出場資格- 1月 上方漫才協会大賞(上方漫才協会・吉本興業、協会のノミネート選出者)
- 2月 ワタナベお笑いNo.1決定戦(ワタナベエンターテインメント、ワタナベ所属のお笑いタレント限定)
- 3月 R-1グランプリ(吉本興業、プロは芸歴10年以内、アマは大会出場10回以内)
- 3月 NHK上方漫才コンテスト(NHK大阪放送局、コンビ結成10年未満)
- 3月 ytv漫才新人賞(読売テレビ、大阪拠点で芸歴10年以内)
- 4月 上方漫才大賞(ラジオ大阪・関西テレビ、芸歴制限なし)
- 7月 ABCお笑いグランプリ(ABCテレビ、デビュー10年以内)
- 7月 漫才新人大賞(漫才協会、コンビ結成20年以内の漫協会員)
- 7月 ツギクル芸人グランプリ(日本音楽事業者協会、協会加入事務所の被推薦者)
- 8月 今宮子供えびすマンザイ新人コンクール(今宮戎神社子供戎漫才新人コンクール事務局、コンテスト受賞歴なしのコンビ)
- 9月 ハイスクールマンザイ(吉本興業、高校生限定)
- 9月 歌ネタ王決定戦(MBSテレビ、芸歴制限なし)
- 9月 キングオブコント(吉本興業、芸歴制限なし)
- 10月 NHK新人演芸大賞(NHK、お笑い部門は芸歴10年未満のプロ、落語部門は入門15年未満の二ツ目格)
- 10月 マイナビLaughter Night チャンピオンライブ(TBSラジオ、同番組レギュラー放送での月間チャンピオン獲得者)
- 11月 繁昌亭大賞(天満天神繁昌亭、入門25年以下の上方落語家)
- 12月 M-1グランプリ(吉本興業、コンビ結成15年以内)
- 12月 女芸人No.1決定戦 THE W(吉本興業、女性芸人限定で芸歴制限なし)
- 12月 Cygames THE MANZAI マスターズ(フジテレビ、招待制の非コンテスト)
- 12月 オールザッツ漫才(MBSテレビ、非コンテスト)
- 春・秋の年2回 IPPONグランプリ(フジテレビ、招待選手のみ)
- 不定期(年一回)
- MBSラジオ演芸ヤングスネーク杯
- ものまねグランプリ
- ものまね王座決定戦
開催が終了したイベント
- 爆笑オンエアバトル チャンピオン大会
- 笑いの超新星
- ビートたけしのお笑いウルトラクイズ
- 上方お笑い大賞
- お笑いスター誕生!!
- M-1甲子園
- お笑いホープ大賞
- S-1バトル
- MBS漫才アワード
- オンバト+ チャンピオン大会
- 日清食品 THE MANZAI
- お笑いハーベスト大賞
- ダイナマイト関西
脚注
注釈
- ^ 当時は吉本興業所属の芸人の起用が現在では考えられない程極端に少なく、特に大阪吉本からの出演はほぼ皆無であった。ただし同じ大阪芸人でも松竹芸能からは何故か数組出演している。詳細はボキャブラ天国シリーズに登場したキャブラー一覧を参照。