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漢口で焼夷弾による無差別爆撃の効果が大きいと判断した第20空軍は、参謀長ローリス・ノースタッド准将を通じてハンセルに名古屋市街への全面的な焼夷弾による無差別爆撃を指示した{{Sfn|カール・バーカー|1971|p=152}}。ハンセルは市街地への無差別焼夷弾爆撃の効果に懐疑的であり、アーノルドに対して「我々の任務は、主要な軍事、工業目標に対して精密爆撃を行うことで、市街地への焼夷弾攻撃は承服しがたい」と手紙を書いて直接抗議したが、アーノルドはノースタッドを通じて、焼夷弾による無差別爆撃はあくまでも実験であり「将来の計画の必要性から出た特別の要求に過ぎない」と説いて、ハンセルは納得しないままで、翌1945年1月3日に、アーノルドの命令通りに名古屋の市街地への実験的な焼夷弾攻撃を97機のB-29により行ったが、死者70人、負傷者346人、被害戸数3,588戸と被害は限定的であり、日本側には空襲恐れるに足らずという安心感が広まることになった{{Sfn|柏木|1972|p=89}}。
漢口で焼夷弾による無差別爆撃の効果が大きいと判断した第20空軍は、参謀長ローリス・ノースタッド准将を通じてハンセルに名古屋市街への全面的な焼夷弾による無差別爆撃を指示した{{Sfn|カール・バーカー|1971|p=152}}。ハンセルは市街地への無差別焼夷弾爆撃の効果に懐疑的であり、アーノルドに対して「我々の任務は、主要な軍事、工業目標に対して精密爆撃を行うことで、市街地への焼夷弾攻撃は承服しがたい」と手紙を書いて直接抗議したが、アーノルドはノースタッドを通じて、焼夷弾による無差別爆撃はあくまでも実験であり「将来の計画の必要性から出た特別の要求に過ぎない」と説いて、ハンセルは納得しないままで、翌1945年1月3日に、アーノルドの命令通りに名古屋の市街地への実験的な焼夷弾攻撃を97機のB-29により行ったが、死者70人、負傷者346人、被害戸数3,588戸と被害は限定的であり、日本側には空襲恐れるに足らずという安心感が広まることになった{{Sfn|柏木|1972|p=89}}。
年も押し迫った1944年12月27日にハンセルは今年1年の総括を「その結果は頼もしいものであるが。我々が求めている標準には遠く及ばない」「我々はまだ初期の実験段階にある。我々は学ぶべきことの多くを、解決すべき多くの作戦的、技術的問題を抱えている。しかし、我々の実験のいくつかは、満足とまではいかないとしても、喜ばしい結果を得ており、B-29は偉大な戦争兵器であることを立証した」と報道関係者に発表したが、この見解はアーノルドを失望させた。アーノルドはすでにB-29は実験段階を終えて戦争兵器としての価値を確立しており、それはルメイの第20爆撃集団が証明しつつあると考えていたので、ハンセルの見解とは全く異なっていた{{Sfn|カール・バーカー|1971|p=154}}。また、アーノルドはかつて「私はB-29がいくらか墜落することは仕方ないと思っている。しかし空襲のたびに3機か4機失われている。この調子で損失が続けば、その数は極めて大きなものとなるだろう。B-29を戦闘機や中型爆撃機やB-17フライング・フォートレスと同じようにあつかってはならない。B-29は軍艦と同じように考えるべきである。原因を完全に分析もせずに軍艦をいっぺんに3隻、4隻と損失するわけにはいかない。」とハンセルを叱責したこともあった。18万ドルのB-17に対して、B-29の調達価格は63万ドルと、高価な機体であったのにも関わらず、挙げた成果に見合わない大きな損害を被ったハンセルに対する不信感もあって{{Sfn|米国戦略爆撃調査団|1996|p=217}}、前々から検討してきた通りにハンセルを更迭しルメイにB-29を任せることにしている{{Sfn|カール・バーカー|1971|p=154}}。
年も押し迫った1944年12月27日にハンセルは今年1年の総括を「その結果は頼もしいものであるが。我々が求めている標準には遠く及ばない」「我々はまだ初期の実験段階にある。我々は学ぶべきことの多くを、解決すべき多くの作戦的、技術的問題を抱えている。しかし、我々の実験のいくつかは、満足とまではいかないとしても、喜ばしい結果を得ており、B-29は偉大な戦争兵器であることを立証した」と報道関係者に発表したが、この見解はアーノルドを失望させた。アーノルドはすでにB-29は実験段階を終えて戦争兵器としての価値を確立しており、それはルメイの第20爆撃集団が証明しつつあると考えていたので、ハンセルの見解とは全く異なっていた{{Sfn|カール・バーカー|1971|p=154}}。また、アーノルドはかつて「私はB-29がいくらか墜落することは仕方ないと思っている。しかし空襲のたびに3機か4機失われている。この調子で損失が続けば、その数は極めて大きなものとなるだろう。B-29を戦闘機や中型爆撃機やB-17フライング・フォートレスと同じようにあつかってはならない。B-29は軍艦と同じように考えるべきである。原因を完全に分析もせずに軍艦をいっぺんに3隻、4隻と損失するわけにはいかない。」とハンセルを叱責したこともあった。18万ドルのB-17に対して、B-29の調達価格は63万ドルと、高価な機体であったのにもかか わらず、挙げた成果に見合わない大きな損害を被ったハンセルに対する不信感もあって{{Sfn|米国戦略爆撃調査団|1996|p=217}}、前々から検討してきた通りにハンセルを更迭しルメイにB-29を任せることにしている{{Sfn|カール・バーカー|1971|p=154}}。
1945年元旦、アーノルドは、ハンセルに更迭を伝えるため参謀長のノースタッドをマリアナに派遣し、また指揮権移譲の打ち合わせのためルメイもマリアナに飛ぶよう命じた。この3人はお互いをよく知った仲であり、ノースタッドは第20空軍の参謀長をハンセルから引き継いでおり、2人は個人的にも親しかった。またルメイはヨーロッパ戦線でハンセルの部下として働いたこともあった{{Sfn|カール・バーカー|1971|p=154}}。3人とそれぞれの幕僚らは1月7日に手短な打ち合わせを行って、ルメイは一旦インドに帰った{{Sfn|ルメイ|1991|p=178}}。1945年1月20日、ハンセルを更迭し、その後任に中国でB-29を運用してきたルメイを任命する正式な辞令が発令された{{Sfn|米国戦略爆撃調査団|1996|p=216}}。第20爆撃集団はルメイ離任後には[[クアラルンプール]]に司令部を移して、日本本土爆撃を中止し、小規模な爆撃を東南アジアの日本軍基地に継続したが、1945年3月には最後まで残っていた第58爆撃団がマリアナに合流している{{Sfn|ルメイ|1991|p=179}}。
1945年元旦、アーノルドは、ハンセルに更迭を伝えるため参謀長のノースタッドをマリアナに派遣し、また指揮権移譲の打ち合わせのためルメイもマリアナに飛ぶよう命じた。この3人はお互いをよく知った仲であり、ノースタッドは第20空軍の参謀長をハンセルから引き継いでおり、2人は個人的にも親しかった。またルメイはヨーロッパ戦線でハンセルの部下として働いたこともあった{{Sfn|カール・バーカー|1971|p=154}}。3人とそれぞれの幕僚らは1月7日に手短な打ち合わせを行って、ルメイは一旦インドに帰った{{Sfn|ルメイ|1991|p=178}}。1945年1月20日、ハンセルを更迭し、その後任に中国でB-29を運用してきたルメイを任命する正式な辞令が発令された{{Sfn|米国戦略爆撃調査団|1996|p=216}}。第20爆撃集団はルメイ離任後には[[クアラルンプール]]に司令部を移して、日本本土爆撃を中止し、小規模な爆撃を東南アジアの日本軍基地に継続したが、1945年3月には最後まで残っていた第58爆撃団がマリアナに合流している{{Sfn|ルメイ|1991|p=179}}。
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北 風 や 西 風 の 強 風 の 影 響 も あ り 、 火 災 は 目 標 地 域 を こ え 、 東 や 南 に 広 が り 、 本 所 区 、 深 川 区 、 城 東 区 の 全 域 、 浅 草 区 、 神 田 区 、 日 本 橋 区 の 大 部 分 、 下 谷 区 東 部 、 荒 川 区 南 部 、 向 島 区 南 部 、 江 戸 川 区 の 荒 川 放 水 路 よ り 西 の 部 分 な ど 下 町 の 大 部 分 を 焼 き 尽 く し た < r e f n a m e = " : 0 " / > 。 結 局 、 下 谷 区 、 足 立 区 、 神 田 区 、 麹 町 区 、 日 本 橋 区 、 本 郷 区 、 荒 川 区 、 向 島 区 、 牛 込 区 、 小 石 川 区 、 京 橋 区 、 麻 布 区 、 赤 坂 区 、 葛 飾 区 、 滝 野 川 区 、 世 田 谷 区 、 豊 島 区 、 渋 谷 区 、 板 橋 区 、 江 戸 川 区 、 深 川 区 、 大 森 区 が 被 害 に あ っ た < r e f n a m e = " n i s s i " / > 。 災 難 の 中 で 昭 和 天 皇 の 初 孫 の [ [ 東 久 邇 信 彦 ] ] が [ [ 防 空 壕 ] ] で 誕 生 し た 日 で も あ っ た 。
北 風 や 西 風 の 強 風 の 影 響 も あ り 、 火 災 は 目 標 地 域 を こ え 、 東 や 南 に 広 が り 、 本 所 区 、 深 川 区 、 城 東 区 の 全 域 、 浅 草 区 、 神 田 区 、 日 本 橋 区 の 大 部 分 、 下 谷 区 東 部 、 荒 川 区 南 部 、 向 島 区 南 部 、 江 戸 川 区 の 荒 川 放 水 路 よ り 西 の 部 分 な ど 下 町 の 大 部 分 を 焼 き 尽 く し た < r e f n a m e = " : 0 " / > 。 結 局 、 下 谷 区 、 足 立 区 、 神 田 区 、 麹 町 区 、 日 本 橋 区 、 本 郷 区 、 荒 川 区 、 向 島 区 、 牛 込 区 、 小 石 川 区 、 京 橋 区 、 麻 布 区 、 赤 坂 区 、 葛 飾 区 、 滝 野 川 区 、 世 田 谷 区 、 豊 島 区 、 渋 谷 区 、 板 橋 区 、 江 戸 川 区 、 深 川 区 、 大 森 区 が 被 害 に あ っ た < r e f n a m e = " n i s s i " / > 。 災 難 の 中 で 昭 和 天 皇 の 初 孫 の [ [ 東 久 邇 信 彦 ] ] が [ [ 防 空 壕 ] ] で 誕 生 し た 日 で も あ っ た 。
一部では爆撃と並行して旋回機関銃による非戦闘員、民間人に対する[[機銃掃射]]も行われた<ref>[[#奥住|奥住(1990年)]]、79-80頁。</ref>。日本側資料では「アメリカ軍機が避難経路を絶つように市街地の円周部から爆撃した後、中心に包囲された市民を焼き殺した」と証言するものがあるが、そのような戦術はアメリカ軍の資料では確認できない。アメリカ軍の作戦報告書によれば、目標が煙で見えなくなるのを避けるため、風下の東側から順に攻撃する指示が出されていた。体験者の印象による誤解と考えられる<ref>[[#奥住|奥住(1990年)]]、73頁。</ref>。発生した大火災によりB-29の搭乗員は真夜中にも関わらず、腕時計の針を読むことができたぐらいであった{{Sfn|米国戦略爆撃調査団|1996|p=221}}。B-29が爆撃区域に入ると、真っ昼間のように明るかったが、火の海の上空に達すると、陰鬱なオレンジ色の輝きに変わったという{{Sfn|マーシャル|2001|p=213}}。他の焼夷弾爆撃と桁違いの被害をもたらせた最大の原因は[[関東大震災]]のさいにも発生した[[火災旋風]]が大規模に発生したためであったが、爆撃していたB-29も火災旋風による[[乱気流]]に巻き込まれた。荒れ狂う気流の中で機体の安定を保つのは至難の業で、気が付くと高度が1,500m以上も上がっていた{{Sfn|マーシャル|2001|p=214}}。なかには機体が一回転した機もあり、搭乗員は全員負傷し、顔面を痛打して前歯を欠いたものもいた。あまりに機体が上下するので、着用していた防弾服で顔面を何度もたたかれ、最後には全員が防弾服を脱いで座布団がわりに尻の下に敷いている{{Sfn|デイビッド|1983|p=159}}。そして、人が燃える臭いはB-29の中にも充満しており、搭乗員は息が詰まる思いであった{{Sfn|マーシャル|2001|p=214}}。
一部では爆撃と並行して旋回機関銃による非戦闘員、民間人に対する[[機銃掃射]]も行われた<ref>[[#奥住|奥住(1990年)]]、79-80頁。</ref>。日本側資料では「アメリカ軍機が避難経路を絶つように市街地の円周部から爆撃した後、中心に包囲された市民を焼き殺した」と証言するものがあるが、そのような戦術はアメリカ軍の資料では確認できない。アメリカ軍の作戦報告書によれば、目標が煙で見えなくなるのを避けるため、風下の東側から順に攻撃する指示が出されていた。体験者の印象による誤解と考えられる<ref>[[#奥住|奥住(1990年)]]、73頁。</ref>。発生した大火災によりB-29の搭乗員は真夜中にもかか わらず、腕時計の針を読むことができたぐらいであった{{Sfn|米国戦略爆撃調査団|1996|p=221}}。B-29が爆撃区域に入ると、真っ昼間のように明るかったが、火の海の上空に達すると、陰鬱なオレンジ色の輝きに変わったという{{Sfn|マーシャル|2001|p=213}}。他の焼夷弾爆撃と桁違いの被害をもたらせた最大の原因は[[関東大震災]]のさいにも発生した[[火災旋風]]が大規模に発生したためであったが、爆撃していたB-29も火災旋風による[[乱気流]]に巻き込まれた。荒れ狂う気流の中で機体の安定を保つのは至難の業で、気が付くと高度が1,500m以上も上がっていた{{Sfn|マーシャル|2001|p=214}}。なかには機体が一回転した機もあり、搭乗員は全員負傷し、顔面を痛打して前歯を欠いたものもいた。あまりに機体が上下するので、着用していた防弾服で顔面を何度もたたかれ、最後には全員が防弾服を脱いで座布団がわりに尻の下に敷いている{{Sfn|デイビッド|1983|p=159}}。そして、人が燃える臭いはB-29の中にも充満しており、搭乗員は息が詰まる思いであった{{Sfn|マーシャル|2001|p=214}}。
誘導機に搭乗したパワーは「まるで大草原の野火のように燃え広がっている。地上砲火は散発的。戦闘機の反撃なし。」と実況報告している。空襲時の東京を一定時間ごとに空から[[スケッチ]]するため高度1万メートルに留まっていたB-29に対して、ルメイは帰還後にそのスケッチを満足げに受け取ると「この空襲が成功すれば戦争は間もなく終結する。これは[[昭和天皇|天皇]]すら予想できぬ」と語った<ref name="yom18"/>。
誘導機に搭乗したパワーは「まるで大草原の野火のように燃え広がっている。地上砲火は散発的。戦闘機の反撃なし。」と実況報告している。空襲時の東京を一定時間ごとに空から[[スケッチ]]するため高度1万メートルに留まっていたB-29に対して、ルメイは帰還後にそのスケッチを満足げに受け取ると「この空襲が成功すれば戦争は間もなく終結する。これは[[昭和天皇|天皇]]すら予想できぬ」と語った<ref name="yom18"/>。
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房総半島南端の[[洲崎]]監視廠がB-29らしき爆音を確認し、慌てて第12方面軍司令部に報告したが、そのわずか数分後の0時8分には東京の東部が焼夷弾攻撃を受けたため、空襲警報は空襲が開始されたのち0時15分となり、市民の避難も日本軍による迎撃も間に合わなかった{{Sfn|渡辺|1982|p=282}}。それでも、第10飛行師団 の[[飛行第23戦隊]]([[一式戦闘機|一式戦「隼」]])、[[飛行第53戦隊]]([[二式複座戦闘機|二式複戦「屠龍」]])、[[飛行第70戦隊]]([[二式単座戦闘機|二式戦「鍾馗」]])の計42機と海軍の[[第三〇二海軍航空隊]]から[[月光 (航空機)|月光]]4機が出撃し、陸軍の[[高射砲]]部隊([[高射第1師団 (日本軍)|高射第1師団]])との戦果を合わせてB-29を15機撃墜、50機撃破の戦果を報じた{{Sfn|渡辺|1982|p=282}}。アメリカ軍側の記録でもB-29が14機失われ<ref>ゴードン・トマス, マックス・モーガン・ウイッツ 『エノラ・ゲイ―ドキュメント・原爆投下』 TBSブリタニカ151-152頁</ref>、今までの爆撃任務で最大級の損失とはなったが、その劇的な成果と比較すると決して大きな損失ではなかった{{Sfn|カール・バーカー|1971|p=174}}。出撃時にルメイに不満を抱いていたB-29搭乗員らも予想外の損害の少なさに、ルメイの戦術変更が正しかったと感想を抱いている{{Sfn|マーシャル|2001|p=215}}。
房総半島南端の[[洲崎]]監視廠がB-29らしき爆音を確認し、慌てて第12方面軍司令部に報告したが、そのわずか数分後の0時8分には東京の東部が焼夷弾攻撃を受けたため、空襲警報は空襲が開始されたのち0時15分となり、市民の避難も日本軍による迎撃も間に合わなかった{{Sfn|渡辺|1982|p=282}}。それでも、第10飛行師団 の[[飛行第23戦隊]]([[一式戦闘機|一式戦「隼」]])、[[飛行第53戦隊]]([[二式複座戦闘機|二式複戦「屠龍」]])、[[飛行第70戦隊]]([[二式単座戦闘機|二式戦「鍾馗」]])の計42機と海軍の[[第三〇二海軍航空隊]]から[[月光 (航空機)|月光]]4機が出撃し、陸軍の[[高射砲]]部隊([[高射第1師団 (日本軍)|高射第1師団]])との戦果を合わせてB-29を15機撃墜、50機撃破の戦果を報じた{{Sfn|渡辺|1982|p=282}}。アメリカ軍側の記録でもB-29が14機失われ<ref>ゴードン・トマス, マックス・モーガン・ウイッツ 『エノラ・ゲイ―ドキュメント・原爆投下』 TBSブリタニカ151-152頁</ref>、今までの爆撃任務で最大級の損失とはなったが、その劇的な成果と比較すると決して大きな損失ではなかった{{Sfn|カール・バーカー|1971|p=174}}。出撃時にルメイに不満を抱いていたB-29搭乗員らも予想外の損害の少なさに、ルメイの戦術変更が正しかったと感想を抱いている{{Sfn|マーシャル|2001|p=215}}。
損失の内訳は日本軍の対空火器での撃墜2機、事故1機、その他4機(3機が燃料切れ墜落、1機不明)、7機が原因未確認(lost to unknown reasons)とされている。原因未確認の7機はすべて連絡のないまま行方不明となった機であるが{{Sfn|奥住|早乙女|2017|p=185}}、この日に出撃して無事帰還したB-29搭乗員からは、東京上空では合計7機のB-29が撃墜されたという報告があり{{Sfn|奥住|早乙女|2017|p=200}}、さらに行方不明とされていた1機については[[犬吠埼|銚子岬]]の上空で4本の探照灯に捉えられて、大小の対空火器の集中砲火で撃墜されたという詳細な報告があったのにも関わらず、原因未確認の損失とされ{{Sfn|奥住|早乙女|2017|p=185}}、この日に日本軍により撃墜されたと判定されたのは、東京上空で対空火器で撃墜された1機と、対空火器の損傷で不時着水して搭乗員全員が救助された1機の合計2機のみに止まった。当時のアメリカ軍は日本軍の攻撃(Enemy Action)による損失と認定するにはよっぽどの確証が必要で、それ以外は未知(ないし未確認)の原因(lost to unknown reasonsもしくはcauses)とする慣習であったので、原因未確認の損失が増加する傾向にあった{{Sfn|奥住|早乙女|2017|p=140}}。
損失の内訳は日本軍の対空火器での撃墜2機、事故1機、その他4機(3機が燃料切れ墜落、1機不明)、7機が原因未確認(lost to unknown reasons)とされている。原因未確認の7機はすべて連絡のないまま行方不明となった機であるが{{Sfn|奥住|早乙女|2017|p=185}}、この日に出撃して無事帰還したB-29搭乗員からは、東京上空では合計7機のB-29が撃墜されたという報告があり{{Sfn|奥住|早乙女|2017|p=200}}、さらに行方不明とされていた1機については[[犬吠埼|銚子岬]]の上空で4本の探照灯に捉えられて、大小の対空火器の集中砲火で撃墜されたという詳細な報告があったのにもかか わらず、原因未確認の損失とされ{{Sfn|奥住|早乙女|2017|p=185}}、この日に日本軍により撃墜されたと判定されたのは、東京上空で対空火器で撃墜された1機と、対空火器の損傷で不時着水して搭乗員全員が救助された1機の合計2機のみに止まった。当時のアメリカ軍は日本軍の攻撃(Enemy Action)による損失と認定するにはよっぽどの確証が必要で、それ以外は未知(ないし未確認)の原因(lost to unknown reasonsもしくはcauses)とする慣習であったので、原因未確認の損失が増加する傾向にあった{{Sfn|奥住|早乙女|2017|p=140}}。
この日は高射砲による戦果が目立っている。高高度精密爆撃の際は、数的には日本の高射砲戦力の主力を担っていた最大射高9,100mの[[八八式七糎野戦高射砲]]と、10,000mの[[九九式八糎高射砲]]は高度8,000m以上で爆撃していたB-29に対しては射高不足であり、少しでも高度を稼ぐため、[[日本劇場]]や[[両国国技館]]の屋上などにも設置されたが、なかなか捉えることができず、日本国民から「当たらぬ高射砲」と悪口を言われた。しかし、ルメイによる作戦変更によりB-29の爆撃高度が下がったので、日本軍の高射砲はB-29を捉えることができるようになった<ref>{{Harvnb|図説アメリカ軍の日本焦土作戦|2003|p=120}}</ref>。高射第1師団にいた[[新井健之]]大尉(のち[[タムロン]]社長)は「いや実際は言われているほどではない。とくに高度の低いときはかなり当たった。本当は高射砲が落としたものなのに、防空戦闘機の戦果になっているものがかなりある。いまさら言っても仕方ないが3月10日の下町大空襲のときなど、火災に照らされながら低空を飛ぶ敵機を相当数撃墜した」と発言している。[[代々木練兵場|代々木公園]]にあった高射砲陣地から撃たれた高射砲はよく命中していたという市民の証言もある。高射砲弾が命中したB-29は赤々と燃えながら、その巨体が[[青山 (東京都港区)|青山]]の上空ぐらいで爆発して四散していた{{Sfn|奥住|早乙女|2017|p=140}}。日本軍の戦闘機による迎撃を過小評価していたルメイも高射砲に対してはかなり警戒していた{{Sfn|ルメイ|1991|p=229}}。
この日は高射砲による戦果が目立っている。高高度精密爆撃の際は、数的には日本の高射砲戦力の主力を担っていた最大射高9,100mの[[八八式七糎野戦高射砲]]と、10,000mの[[九九式八糎高射砲]]は高度8,000m以上で爆撃していたB-29に対しては射高不足であり、少しでも高度を稼ぐため、[[日本劇場]]や[[両国国技館]]の屋上などにも設置されたが、なかなか捉えることができず、日本国民から「当たらぬ高射砲」と悪口を言われた。しかし、ルメイによる作戦変更によりB-29の爆撃高度が下がったので、日本軍の高射砲はB-29を捉えることができるようになった<ref>{{Harvnb|図説アメリカ軍の日本焦土作戦|2003|p=120}}</ref>。高射第1師団にいた[[新井健之]]大尉(のち[[タムロン]]社長)は「いや実際は言われているほどではない。とくに高度の低いときはかなり当たった。本当は高射砲が落としたものなのに、防空戦闘機の戦果になっているものがかなりある。いまさら言っても仕方ないが3月10日の下町大空襲のときなど、火災に照らされながら低空を飛ぶ敵機を相当数撃墜した」と発言している。[[代々木練兵場|代々木公園]]にあった高射砲陣地から撃たれた高射砲はよく命中していたという市民の証言もある。高射砲弾が命中したB-29は赤々と燃えながら、その巨体が[[青山 (東京都港区)|青山]]の上空ぐらいで爆発して四散していた{{Sfn|奥住|早乙女|2017|p=140}}。日本軍の戦闘機による迎撃を過小評価していたルメイも高射砲に対してはかなり警戒していた{{Sfn|ルメイ|1991|p=229}}。
この記事には暴力的または猟奇的な記述・表現が含まれています。
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焦 土 と 化 し た 東 京 。 本 所 区 松 坂 町 、 元 町 ︵ 現 在 の 墨 田 区 両 国 ︶ 付 近 で 撮 影 さ れ た も の 。 右 側 に あ る 川 は 隅 田 川 、 手 前 の 丸 い 屋 根 の 建 物 は 両 国 国 技 館 。
空 襲 前 ︵ 左 ︶ と 空 襲 後 ︵ 右 ︶ の 航 空 写 真 。 左 の 縦 に 流 れ る 川 が 隅 田 川 、 右 上 の 川 が 荒 川
3 月 10 日 未 明 空 襲 後 の 浅 草 松 屋 屋 上 か ら 見 た 仲 見 世 と そ の 周 辺
東 京 を 空 襲 し て い る B - 2 9 爆 撃 機 ︵ 1 9 4 5 年 の も の で あ る が 詳 細 な 日 時 は 不 明 ︶
東 京 市 ︵ 当 時 ︶ の 空 襲 被 害 状 況 を ま と め た 地 図 ︵ 戦 災 概 況 図 ︶ [ 1 ] 。 空 襲 日 ご と の 罹 災 地 域 が 分 か る 。 1 9 4 5 年 12 月 、 戦 災 の 概 況 を 復 員 帰 還 者 に 知 ら せ る た め に 第 一 復 員 省 が 作 成 し た 。
東 京 大 空 襲 ︵ と う き ょ う だ い く う し ゅ う ︶ は 、 第 二 次 世 界 大 戦 ︵ 太 平 洋 戦 争 ︶ 末 期 に ア メ リ カ 合 衆 国 に よ り 行 わ れ た 、 東 京 都 区 部 に 対 す る M 6 9 焼 夷 弾 な ど の 焼 夷 弾 を 用 い た 大 規 模 な 戦 略 爆 撃 の 総 称 。 日 本 各 地 に 対 す る 日 本 本 土 空 襲 、 ア メ リ カ 軍 に よ る 広 島 ・ 長 崎 に 対 す る 原 爆 投 下 、 沖 縄 戦 と 並 ん で 、 東 京 の 都 市 部 を 標 的 と し た 無 差 別 爆 撃 に よ っ て 、 市 民 に 大 き な 被 害 を 与 え た 。 爆 撃 被 災 者 は 約 3 1 0 万 人 、 死 者 は 11 万 5 千 人 以 上 [ 注 1 ] [ 注 2 ] 、 負 傷 者 は 15 万 人 以 上 、 損 害 家 屋 は 約 85 万 戸 以 上 の 件 数 と な っ た 。
東 京 都 は 1 9 4 4 年 ︵ 昭 和 19 年 ︶ 11 月 24 日 か ら 1 9 4 5 年 ︵ 昭 和 20 年 ︶ 8 月 15 日 ま で [ 5 ] 合 計 1 0 6 回 も の 空 襲 を 受 け た が 、 特 に 1 9 4 5 年 ︵ 昭 和 20 年 ︶ 3 月 10 日 、 4 月 13 日 、 4 月 15 日 、 5 月 24 日 未 明 、 5 月 25 日 〜 26 日 の 5 回 は 大 規 模 だ っ た 。
そ の 中 で も ﹁ 東 京 大 空 襲 ﹂ と 言 っ た 場 合 、 死 者 数 が 10 万 人 以 上 の 1 9 4 5 年 ︵ 昭 和 20 年 ︶ 3 月 10 日 の 夜 間 空 襲 ︵ 下 町 空 襲 。 ﹁ ミ ー テ ィ ン グ ハ ウ ス 二 号 ﹂ [ 6 ] 。 M e e t i n g h o u s e 2 [ 7 ] ︶ を 指 す ︵ 79 年 前 ︶ [ 注 3 ] [ 9 ] [ 1 1 ] 。 こ の 3 月 10 日 の 空 襲 だ け で 、 罹 災 者 は 1 0 0 万 人 を 超 え 、 死 者 は 9 万 5 千 人 を 超 え た と い わ れ る [ 1 2 ] 。 な お 、 当 時 の 新 聞 報 道 で は ﹁ 東 京 大 焼 殺 ﹂ と 呼 称 さ れ て い た 。
対 日 戦 略 爆 撃 計 画 [ 編 集 ]
焼 夷 弾 爆 撃 有 効 度 別 地 域 [ 編 集 ]
ア メ リ カ 軍 に よ る 空 襲 計 画 の 地 図 ︵ 米 軍 報 告 ﹁ 東 京 - 川 崎 - 横 浜 都 市 複 合 体 に 対 す る 空 襲 攻 撃 の 効 果 ﹂ ︶
1 9 4 2 年 に は ナ パ ー ム を 使 っ た M 6 9 焼 夷 弾 が 開 発 さ れ 、 1 9 4 3 年 の 国 防 研 究 委 員 会 ( N D R C ) 焼 夷 弾 研 究 開 発 部 の レ ポ ー ト で は 、 住 宅 密 集 地 域 に 焼 夷 弾 を 投 下 し て 火 災 を 起 こ し 、 住 宅 と 工 場 も 一 緒 に 焼 き 尽 く す の が 最 適 の 爆 撃 方 法 で あ る と し た 上 で 、 空 爆 目 標 の 日 本 全 国 20 都 市 を 選 定 、 さ ら に 東 京 、 川 崎 、 横 浜 な ど 10 都 市 に つ い て は 焼 夷 弾 爆 撃 の 有 効 度 に よ っ て 地 域 を 以 下 の よ う に 区 分 し た [ 1 3 ] [ 1 4 ] 。
● 最 有 効 地 域 1 : 都 市 中 心 部 商 店 街 地 域 、 密 集 地 域 、 住 宅 工 場 混 在 地 域 で 一 マ イ ル 四 方 あ た り の 人 口 密 度 9 万 1 0 0 0 人 、 都 市 人 口 の 2 5 % を 占 め る 地 域 。 こ の 地 域 は 一 平 方 マ イ ル あ た り 6 ト ン の 焼 夷 弾 で 焼 き 尽 く す こ と が 可 能 。
● 有 効 地 域 2 : 港 湾 施 設 、 倉 庫 、 貨 車 操 車 場 な ど も あ る 住 宅 地 域 、 住 宅 工 場 混 在 地 域 、 工 場 地 域 で 一 マ イ ル 四 方 あ た り 人 口 密 度 5 万 4 0 0 0 人 、 都 市 人 口 の 4 6 % 以 上 を 占 め る 地 域 。 こ れ は 一 平 方 マ イ ル あ た り 10 ト ン の 焼 夷 弾 で 焼 き 尽 く す こ と が 可 能 。
● 非 有 効 地 域 : 最 有 効 地 域 1 、 有 効 地 域 2 以 外 の 郊 外 の 住 宅 地 域 や 防 火 設 備 の 整 っ た オ フ ィ ス 街 を 含 む 工 場 地 帯 。
● 空 爆 目 標 の 日 本 全 国 20 都 市 主 要 部 は M 6 9 焼 夷 弾 1 7 0 0 ト ン で 焼 き 尽 く す こ と が 可 能 。
大 規 模 攻 撃 報 告 書 [ 編 集 ]
日 本 本 土 に 対 す る 空 襲 作 戦 は 、 綿 密 な 地 勢 調 査 と 歴 史 事 例 の 研 究 を 踏 ま え て 立 案 さ れ て い っ た 。 そ の 過 程 は ア メ リ カ 経 済 戦 争 局 の 1 9 4 3 年 2 月 15 日 付 報 告 書 ﹁ 日 本 の 都 市 に 対 す る 大 規 模 攻 撃 の 経 済 的 意 義 ﹂ に 詳 し い 。
ア メ リ カ 軍 は 早 く か ら 江 戸 時 代 に 頻 発 し た 江 戸 の 大 火 や 1 9 2 3 年 の 関 東 大 震 災 の 検 証 を 行 い 、 火 元 ・ 風 向 き ・ 延 焼 状 況 ・ 被 災 実 態 な ど の 要 素 が 詳 細 に 分 析 さ れ て い た 。 そ の 結 果 、 木 造 住 宅 が 密 集 す る 日 本 の 大 都 市 は 火 災 に 対 し て 特 に 脆 弱 で あ り 、 焼 夷 弾 に よ る 空 襲 が 最 も 大 規 模 な 破 壊 を 最 も 効 果 的 に 与 え る こ と が で き る と 結 論 さ れ て い た 。
具 体 的 な 空 襲 対 象 地 域 の 選 定 に 際 し て は 、 人 口 密 度 ・ 火 災 危 険 度 ・ 輸 送 機 関 と 工 場 の 配 置 な ど の 要 素 が 徹 底 的 に 検 討 さ れ 、 そ れ を 元 に 爆 弾 爆 撃 有 効 度 が 計 算 さ れ て 一 覧 表 が 作 成 さ れ た [ 1 3 ] 。 こ こ で 特 に 重 視 さ れ た の は 人 口 密 度 だ っ た 。 当 時 の 東 京 各 区 の 人 口 は 浅 草 区 の 13 万 5 0 0 0 人 が 最 大 で 、 こ れ に 本 所 区 ・ 神 田 区 ・ 下 谷 区 ・ 荒 川 区 ・ 日 本 橋 区 ・ 荏 原 区 が 8 万 人 台 で 次 い で い た 。 こ の う ち 荏 原 区 は 他 か ら 離 れ た 郊 外 に 位 置 す る た め こ れ を 除 き 、 替 わ り に 人 口 7 万 人 台 の 深 川 区 の 北 半 分 を 加 え た 都 心 一 帯 が 、 焼 夷 弾 攻 撃 地 域 第 一 号 に 策 定 さ れ た [ 1 3 ] 。
使 用 爆 弾 [ 編 集 ]
日 本 に も 投 下 さ れ た M 5 0 焼 夷 弾 の 原 型 で あ る イ ギ リ ス 軍 の 4 ポ ン ド 焼 夷 弾 ︵ 六 角 形 を し た 金 属 製 の 棒 状 の も の ︶ 、 こ の 写 真 の よ う に 小 型 の 焼 夷 弾 を 多 数 収 束 し て 投 下 し た
M 6 9 焼 夷 弾 ︵ 新 潟 県 立 歴 史 博 物 館 蔵 ︶
ア メ リ カ 陸 軍 航 空 隊 の 伝 統 的 な ド ク ト リ ン は 軍 事 目 標 に 対 し て の 精 密 爆 撃 で あ り 、 第 二 次 世 界 大 戦 が 始 ま っ た 当 時 は 航 空 機 か ら 投 下 す る 焼 夷 弾 を 保 有 し て い な か っ た 。 焼 夷 弾 の 開 発 に 迫 ら れ た ア メ リ カ 軍 は ア メ リ カ 陸 軍 航 空 軍 司 令 官 ヘ ン リ ー ・ ア ー ノ ル ド 大 将 自 ら イ ギ リ ス に 飛 ん で イ ギ リ ス 軍 の 焼 夷 弾 と 、 イ ギ リ ス 軍 が ロ ン ド ン 空 襲 に お い て 回 収 し て い た ド イ ツ 軍 の 不 発 弾 ︵ 9 0 0 g マ グ ネ シ ウ ム 弾 ︶ を 譲 り 受 け て 焼 夷 弾 の 開 発 を 開 始 し た 。
日 本 に 投 下 さ れ た 主 な 焼 夷 弾
● M 4 7 焼 夷 爆 弾 ︵ A N - M 4 7 A 2 ︶ 。 1 0 0 ポ ン ド ︵ 45 ㎏ ︶ の ナ パ ー ム 弾 ︵ ゲ ル 化 ガ ソ リ ン ︶ で ア メ リ カ 軍 最 初 の 焼 夷 弾 。 鉄 製 の 弾 筒 内 に ゼ リ ー 状 に 加 工 し た 油 脂 約 18 ㎏ を 封 入 し 、 弾 頭 に 火 薬 を 装 填 し た 。 屋 根 を 突 き 破 っ て 屋 内 に 入 り 爆 発 し て ナ パ ー ム 剤 を 円 錐 状 に 飛 散 さ せ た
● M 5 0 焼 夷 弾 ︵ A N - M 5 0 A 2 ︶ 。 4 ポ ン ド ︵ 1 . 8 ㎏ ︶ の マ グ ネ シ ウ ム 焼 夷 弾 で 、 イ ギ リ ス 軍 の M 2 焼 夷 弾 を ア メ リ カ 陸 軍 が 制 式 化 し た も の で 、 ア ル ミ ニ ウ ム 粉 末 と 酸 化 鉄 を 六 角 形 の 形 を し た 筒 状 の 金 属 製 容 器 に 充 填 し て い る 。 直 径 5 c m 、 長 さ 3 5 c m 、 重 量 2 ㎏ で 小 型 の 焼 夷 弾 で あ り 、 34 発 が 収 束 さ れ て い た が 、 一 定 の 高 度 で バ ラ バ ラ に な っ て 落 下 し た 。 元 々 は ド イ ツ の コ ン ク リ ー ト 建 造 物 を 破 壊 す る 目 的 で 製 造 さ れ た が 、 木 造 の 家 屋 に よ く 適 し て い た [ 1 7 ]
● M 6 9 焼 夷 弾 ︵ A N - M 6 9 ︶ 。 6 . 2 ポ ン ド ︵ 2 . 7 ㎏ ︶ ナ パ ー ム 弾 。 1 9 4 2 年 に 開 発 さ れ た M 5 6 尾 部 点 火 式 爆 弾 の 改 良 型 。 直 径 8 c m 、 長 さ 5 0 c m 、 で M 5 0 焼 夷 弾 と 同 様 に 、 六 角 形 の 金 属 製 容 器 に ゼ リ ー 状 の ナ パ ー ム 剤 と マ グ ネ シ ウ ム が 充 填 さ れ て あ っ た が 、 通 常 38 発 が 収 束 さ れ て E 4 6 - 5 0 0 ポ ン ド 収 束 爆 弾 ︵ ク ラ ス タ ー 爆 弾 ︶ と し て 投 下 さ れ た 。 一 定 の 高 度 で バ ラ バ ラ に な っ て 落 下 し た が 、 他 の 焼 夷 弾 と の 相 違 点 は 水 平 安 定 板 が な く 、 代 わ り に 1 . 2 m の ﹁ ス ト リ ー マ ー ﹂ と 呼 ば れ る 綿 製 の リ ボ ン が 落 下 時 に 尾 部 か ら 飛 び 出 し て 、 姿 勢 の 安 定 と 落 下 速 度 の 調 整 を 行 っ た 。 日 本 家 屋 の 瓦 屋 根 を 貫 通 さ せ る た め に は 激 突 時 の 速 度 を あ ま り 早 く す る 必 要 は な く 、 ス ト リ ー マ ー に よ る 減 速 で M 5 0 焼 夷 弾 の 1 / 4 の 速 度 に 抑 え ら れ た 。 こ の ス ト リ ー マ ー に 火 が つ い て 燃 え な が ら 落 下 し て く る こ と が 多 か っ た の で 、 あ た か も “ 火 の 雨 ” が 降 っ て く る よ う に 見 え た と い う 。 六 角 形 の 金 属 製 容 器 が 建 物 の 屋 根 を 突 き 破 る と 、 導 火 線 が 作 動 し 5 秒 以 内 に T N T 火 薬 が 炸 裂 、 そ の 後 に 混 入 さ れ た マ グ ネ シ ウ ム 粒 子 に よ っ て 、 布 袋 に 入 っ た ナ パ ー ム 剤 を 点 火 し 、 そ の 推 力 で 六 角 形 の 金 属 製 容 器 を 3 0 m 飛 ば し て 半 径 27 m も の 火 の 輪 を 作 り 周 囲 を 焼 き 尽 く し た [ 1 7 ] 。 内 部 に 詰 め ら れ た ゼ リ ー 状 の ナ パ ー ム 剤 か ら 、 こ の 焼 夷 弾 は ﹁ g o o p b o m b ﹂ ︵ ベ ト ベ ト 爆 弾 ︶ と 呼 ば れ て い た 。
ア メ リ カ 軍 は M 6 9 焼 夷 弾 の 開 発 に あ た っ て 、 1 9 4 3 年 3 月 に ダ グ ウ ェ イ 実 験 場 ︵ ユ タ 州 ︶ で の 実 戦 さ な が ら の 実 験 を 行 っ て い る 。 そ の 実 験 と い う の は 演 習 場 に 日 本 式 家 屋 が 立 ち 並 ぶ 市 街 地 を 建 設 し 、 そ こ で 焼 夷 弾 の 燃 焼 実 験 を 行 う と い っ た 大 規 模 な も の で あ っ た が 、 日 本 家 屋 の 建 築 に あ た っ て は 、 日 系 人 の 多 い ハ ワ イ か ら わ ざ わ ざ 資 材 を 取 り 寄 せ 、 日 本 に 18 年 在 住 し た 建 築 家 が 設 計 す る と い っ た 凝 り よ う で あ り 、 こ う し て 建 て ら れ た 日 本 家 屋 群 に は 日 本 村 と い う 名 前 が 付 け ら れ た 。 M 6 9 焼 夷 弾 の ナ パ ー ム 剤 で 炎 上 し た 日 本 式 家 屋 は 、 日 本 の 消 防 隊 を 正 確 に 再 現 し た 消 防 隊 の 装 備 で は 容 易 に 消 火 で き ず 、 日 本 に 最 適 の 焼 夷 弾 と 認 定 さ れ た 。
3 月 10 日 の 大 規 模 空 爆 で 使 用 さ れ た ナ パ ー ム 弾 は 、 ロ ッ キ ー マ ウ ン テ ン 兵 器 工 場 で 製 造 さ れ た [ 2 1 ] 。
毒 ガ ス 散 布 計 画 案 [ 編 集 ]
連 合 国 は 、 東 京 市 に 効 果 的 に 毒 ガ ス を 散 布 す る た め の 詳 細 な 研 究 を 行 っ て お り 、 散 布 す る 季 節 や 気 象 条 件 を 始 め と し て 散 布 す る ガ ス の 検 討 を 行 い 、 マ ス タ ー ド ガ ス ・ ホ ス ゲ ン な ど が 候 補 に 挙 が っ て い た [ 2 2 ] 。 ア メ リ カ 陸 軍 参 謀 総 長 ジ ョ ー ジ ・ マ ー シ ャ ル は ﹁ 我 々 が 即 座 に 使 え 、 ア メ リ カ 人 の 生 命 の 損 失 が 間 違 い な く 低 減 さ れ 、 物 理 的 に 戦 争 終 結 を 早 め る も の で 、 我 々 が こ れ ま で 使 用 し て い な い 唯 一 の 兵 器 は 毒 ガ ス で あ る ﹂ と も 述 べ て い た 。 ア メ リ カ 陸 軍 は マ ス タ ー ド ガ ス と ホ ス ゲ ン を 詰 め 込 ん だ さ ま ざ ま な サ イ ズ の 航 空 爆 弾 を 8 6 , 0 0 0 発 準 備 す る 計 画 も 進 め て い た 。 ま た 、 ア メ リ カ 軍 は 日 本 の 農 産 物 に 対 す る 有 毒 兵 器 の 使 用 も 計 画 し て い た 。 1 9 4 2 年 に メ リ ー ラ ン ド 州 ベ ル ツ ビ ル ︵ 英 語 版 ︶ に あ る ア メ リ カ 合 衆 国 農 務 省 研 究 本 部 で ア メ リ カ 陸 軍 の 要 請 に よ り 日 本 の 特 定 の 農 産 物 を 枯 れ 死 に さ せ る 生 物 兵 器 と な る 細 菌 の 研 究 が 開 始 さ れ た 。 し か し 、 日 本 の 主 要 な 農 産 物 で あ る 米 や サ ツ マ イ モ な ど は 細 菌 に 対 し て 極 め て 抵 抗 力 が 強 い こ と が 判 明 し た の で 、 細 菌 で は な く 化 学 物 質 の 散 布 を 行 う こ と と な り 、 実 際 に 日 本 の 耕 作 地 帯 に B - 2 9 で 原 油 と 廃 油 を 散 布 し た が 効 果 は な か っ た 。 さ ら に 検 討 が 進 め ら れ て 、 2 , 4 - ジ ク ロ ロ フ ェ ノ キ シ 酢 酸 を 農 作 物 の 灌 漑 用 水 に 散 布 す る 計 画 も 進 め ら れ た 。
人 間 に 対 し て 使 用 す る 細 菌 兵 器 の 開 発 も 進 め ら れ た 。 炭 疽 菌 を 充 填 す る た め の 爆 弾 容 器 1 0 0 万 個 が 発 注 さ れ 、 ダ ウ ン フ ォ ー ル 作 戦 ま で に は そ の 倍 以 上 の 数 の 炭 疽 菌 が 充 填 さ れ た 爆 弾 が 生 産 さ れ る 計 画 で あ っ た 。 こ れ ら 生 物 兵 器 や 化 学 兵 器 の 使 用 に つ い て 、 1 9 4 4 年 7 月 に ダ グ ラ ス ・ マ ッ カ ー サ ー 大 将 た ち と の 作 戦 会 議 の た め ハ ワ イ へ 向 か う フ ラ ン ク リ ン ・ ル ー ズ ベ ル ト 大 統 領 を 乗 せ た 重 巡 洋 艦 ボ ル チ モ ア 艦 内 で 激 し い 議 論 が 交 わ さ れ た 。 合 衆 国 陸 海 軍 最 高 司 令 官 ︵ 大 統 領 ︶ 付 参 謀 長 ウ ィ リ ア ム ・ リ ー ヒ は ﹁ 大 統 領 閣 下 、 生 物 兵 器 や 化 学 兵 器 の 使 用 は 今 ま で 私 が 耳 に し て き た キ リ ス ト 教 の 倫 理 に も 、 一 般 に 認 め ら れ て い る 戦 争 の あ ら ゆ る 法 律 に も 背 く こ と に な り ま す 。 こ れ は 敵 の 非 戦 闘 員 へ の 攻 撃 に な る で し ょ う 。 そ の 結 果 は 明 ら か で す 。 我 々 が 使 え ば 、 敵 も 使 用 す る で し ょ う ﹂ と ル ー ズ ベ ル ト に 反 対 意 見 を 述 べ た が 、 ル ー ズ ベ ル ト は 否 定 も 肯 定 も せ ず 曖 昧 な 返 事 に 終 始 し た と い う 。 結 局 、 生 物 兵 器 や 化 学 兵 器 が 使 わ れ る 前 に 戦 争 は 終 結 し た 。
空襲の経過 [ 編集 ]
フィリピン海 (図中央)の東に位置するマリアナ諸島 。南端はグアム で、北には小笠原諸島 があり、伊豆・小笠原・マリアナ島弧 を形成している。
1942年4月18日に、アメリカ軍による初めての日本本土空襲 となるドーリットル空襲 が航空母艦 からのB-25 爆撃機で行われ、東京も初の空襲を受け、荒川区、王子区、小石川区、牛込区が罹災した[26] 。死者は39人[28] 。
1 9 4 3 年 8 月 27 日 、 ア メ リ カ 陸 軍 航 空 軍 司 令 官 ヘ ン リ ー ・ ア ー ノ ル ド 大 将 は 日 本 打 倒 の 空 戦 計 画 を 提 出 、 日 本 都 市 産 業 地 域 へ の 大 規 模 で 継 続 的 な 爆 撃 を 主 張 、 焼 夷 弾 ︵ ナ パ ー ム 弾 ︶ の 使 用 に 関 し て も 言 及 。 こ の 時 、 ア ー ノ ル ド は 科 学 研 究 開 発 局 長 官 ヴ ァ ネ ヴ ァ ー ・ ブ ッ シ ュ か ら ﹁ 焼 夷 攻 撃 の 決 定 の 人 道 的 側 面 に つ い て は 高 レ ベ ル で 行 わ れ な け れ ば な ら な い ﹂ と 注 意 さ れ て い た が 、 ア ー ノ ル ド が 上 層 部 へ 計 画 決 定 要 請 を 行 っ た 記 録 は な い 。
1 9 4 4 年 か ら の マ リ ア ナ ・ パ ラ オ 諸 島 の 戦 い で マ リ ア ナ 諸 島 に 進 出 し た ア メ リ カ 軍 は 、 6 月 15 日 に サ イ パ ン の 戦 い で サ イ パ ン 島 に 上 陸 し た わ ず か 6 日 後 、 ま だ 島 内 で 激 戦 が 戦 わ れ て い る 最 中 に 、 日 本 軍 が 造 成 し た ア ス リ ー ト 飛 行 場 を 占 領 す る や 、 砲 爆 撃 で 開 い て い た 6 0 0 個 の 弾 着 穴 を わ ず か 24 時 間 で 埋 め 立 て 、 翌 日 に は P - 4 7 戦 闘 機 部 隊 を 進 出 さ せ て い る 。 そ の 後 、 飛 行 場 の 名 称 を 上 陸 3 日 前 に サ イ パ ン を 爆 撃 任 務 中 に 日 本 軍 に 撃 墜 さ れ 戦 死 し た ロ バ ー ト ・ H ・ イ ズ リ ー 中 佐 に 因 ん で コ ン ロ イ ・ イ ズ リ ー 飛 行 場 ︵ 現 在 サ イ パ ン 国 際 空 港 ︶ 改 名 、 飛 行 場 の 長 さ ・ 幅 を 大 幅 な 拡 張 工 事 を 行 い 新 鋭 爆 撃 機 B - 2 9 の 運 用 が 可 能 な 飛 行 場 と し 、 10 月 13 日 に 最 初 の B - 2 9 が イ ズ リ ー 飛 行 場 に 着 陸 し た 。 同 様 に 、 グ ア ム で も 8 月 10 日 に グ ア ム の 戦 い で ア メ リ カ 軍 が 占 領 す る と 、 日 本 軍 が 造 成 中 で あ っ た 滑 走 路 を 利 用 し て ア ン ダ ー セ ン 空 軍 基 地 な ど 3 か 所 の 飛 行 場 が 建 設 さ れ 、 8 月 1 日 に 占 領 し た テ ニ ア ン 島 に も ハ ゴ イ 飛 行 場 ︵ 現 ・ ノ ー ス フ ィ ー ル ド 飛 行 場 ︶ と ウ エ ス ト フ ィ ー ル ド 飛 行 場 ︵ 現 在 テ ニ ア ン 国 際 空 港 ︶ が 建 設 さ れ た 。 ド ー リ ッ ト ル 空 襲 後 、 東 京 へ の 空 襲 は 途 絶 え て い た が 、 こ れ ら の 巨 大 基 地 の 建 設 に よ り B - 2 9 の 攻 撃 圏 内 に 東 京 を 含 む 日 本 本 土 の ほ ぼ 全 土 が 入 る よ う に な っ た [ 3 2 ] 。 日 本 で は マ リ ア ナ 諸 島 陥 落 の 責 任 を 東 条 内 閣 に 求 め 、 1 9 4 4 年 7 月 18 日 に 内 閣 総 辞 職 し た [ 3 2 ] 。
サ ン ・ ア ン ト ニ オ 作 戦 [ 編 集 ]
1 9 4 4 年 11 月 の ブ リ ー フ ィ ン グ で 地 図 上 の 東 京 を 指 し 示 す 第 21 爆 撃 機 集 団 司 令 ヘ イ ウ ッ ド ・ ハ ン セ ル 准 将
1 9 4 4 年 10 月 12 日 、 マ リ ア ナ 諸 島 で B - 2 9 を 運 用 す る 第 21 爆 撃 集 団 が 新 設 さ れ て 、 司 令 官 に は 第 20 空 軍 の 参 謀 長 で あ っ た ヘ イ ウ ッ ド ・ ハ ン セ ル 准 将 が 任 命 さ れ た 。 ハ ン セ ル は マ リ ア ナ に 向 か う 第 一 陣 の B - 2 9 の 1 機 に 搭 乗 し て 早 々 に サ イ パ ン 島 に 乗 り 込 ん だ 。 第 20 爆 撃 機 集 団 が 中 国 を 出 撃 基 地 と し て 1 9 4 4 年 6 月 15 日 よ り 開 始 し た 九 州 北 部 へ の 爆 撃 は 、 八 幡 製 鐵 所 な ど の 製 鉄 所 を 主 目 標 と し て 行 わ れ て い た が 、 こ れ ま で の 爆 撃 の 効 果 を 分 析 し た 結 果 、 日 本 へ 勝 利 す る た め に は ま ず は 航 空 機 工 場 を 破 壊 し た 方 が い い の で は な い か と い う 結 論 と な っ た 。 当 時 の 日 本 の 航 空 機 産 業 は 、 三 菱 重 工 業 、 中 島 飛 行 機 、 川 崎 航 空 機 工 業 の 3 社 で 80 % の シ ェ ア を 占 め て い た が 、 そ の 航 空 機 工 場 の 大 半 が 、 東 京 、 名 古 屋 、 大 阪 な ど の 大 都 市 に 集 中 し て お り 、 新 た な 爆 撃 目 標 1 , 0 0 0 か 所 が リ ス ト ア ッ プ さ れ た が 、 そ の 中 で は 三 都 市 圏 の 航 空 機 工 場 が 最 優 先 目 標 と さ れ た 。 次 い で 、 都 市 地 域 市 街 地 が 目 標 と し て リ ス ト ア ッ プ さ れ た が 、 都 市 地 域 は 、 主 要 目 標 で あ る 航 空 機 工 場 が 雲 に 妨 げ ら れ て 目 視 に よ る 精 密 爆 撃 が で き な い 場 合 に 、 雲 の 上 か ら レ ー ダ ー 爆 撃 す る た め の 目 標 と さ れ て い た 。 同 時 に 都 市 圏 の 爆 撃 に つ い て は 、 精 密 爆 撃 だ け で は な く 、 焼 夷 弾 に よ る 絨 毯 爆 撃 も 行 っ て 、 そ の 効 果 を 精 密 爆 撃 の 効 果 と 比 較 す る 任 務 も 課 せ ら れ た 。 し た が っ て ア メ リ カ 軍 は マ リ ア ナ 諸 島 か ら の 出 撃 を 機 に 都 市 圏 へ の 焼 夷 弾 に よ る 無 差 別 爆 撃 に 舵 を き っ て い た こ と に な る 。
1 9 4 4 年 11 月 1 日 に B - 2 9 の 偵 察 型 F - 1 3 の ト ウ キ ョ ウ ロ ー ズ が ド ー リ ッ ト ル 以 来 東 京 上 空 を 飛 行 し た 。 日 本 軍 は 帝 都 初 侵 入 の B - 2 9 を 撃 墜 し て ア メ リ カ 軍 の 出 鼻 を く じ こ う と 陸 海 軍 の 戦 闘 機 多 数 を 出 撃 さ せ た が 、 高 度 1 0 , 0 0 0 m 以 上 で 飛 行 し て い た の で 、 日 本 軍 の 迎 撃 機 は ト ウ キ ョ ウ ロ ー ズ を 捉 え る こ と が で き な か っ た 。 な か に は 接 敵 に 成 功 し た 日 本 軍 機 も あ り 、 40 分 以 上 も か け て よ う や く 高 度 1 1 , 4 0 0 m に 達 し ト ウ キ ョ ウ ロ ー ズ を 目 視 し た が 、 ト ウ キ ョ ウ ロ ー ズ は さ ら に そ の 上 空 を 飛 行 し て お り 攻 撃 す る こ と は で き ず 、 ゆ う ゆ う と 海 上 に 離 脱 し て い っ た 。 こ の 日 は ほ か に も 、 の ち 戦 時 公 債 募 集 キ ャ ン ペ ー ン に も 用 い ら れ た ヨ コ ハ マ ヨ ー ヨ ー な ど 合 計 3 機 が 、 B - 2 9 と し て は 初 め て 東 京 上 空 を 飛 行 し た 。 こ れ ら の 機 が 撮 影 し た 7 , 0 0 0 枚 も の 偵 察 写 真 が の ち の 東 京 空 襲 の 貴 重 な 資 料 と な っ た 。 こ の 後 も F - 1 3 は 東 京 初 空 襲 ま で 17 回 に 渡 っ て 偵 察 活 動 を 行 っ た が 、 日 本 軍 が 撃 墜 で き た F - 1 3 は わ ず か 1 機 に 過 ぎ な か っ た 。 こ の 夜 に 日 本 軍 は 、 対 連 合 軍 兵 士 向 け の プ ロ パ ガ ン ダ 放 送 ﹁ ゼ ロ ・ ア ワ ー ﹂ で 女 性 ア ナ ウ ン サ ー 東 京 ロ ー ズ に ﹁ 東 京 に 最 初 の 爆 弾 が 落 と さ れ る と 、 6 時 間 後 に は サ イ パ ン の ア メ リ カ 人 は 一 人 も 生 き て い な い で し ょ う ﹂ と い う 警 告 を 行 わ せ て い る が 、 B - 2 9 の 東 京 侵 入 を 防 ぐ こ と が 不 可 能 な の は 明 ら か と な っ た 。
11 月 11 日 に 予 定 し て い た 東 京 初 空 襲 は 天 候 に 恵 ま れ ず 延 期 が 続 い て い た が 、 11 月 24 日 に よ う や く 天 候 が 回 復 し た た め 、 1 1 1 機 の B - 2 9 が そ れ ぞ れ 2 . 5 ト ン の 爆 弾 を 搭 載 し て 出 撃 し た 。 主 要 目 標 は 中 島 飛 行 機 の 武 蔵 製 作 所 で あ っ た 。 作 戦 名 は ﹁ サ ン ・ ア ン ト ニ オ 1 号 作 戦 ﹂ と 名 付 け ら れ た 。 1 号 機 の ﹁ ド ー ン ト レ ス ・ ド ッ テ ィ ﹂ に は 第 73 爆 撃 航 空 団 司 令 の エ メ ッ ト ・ オ ド ネ ル 准 将 が 乗 り 込 ん で 、 機 長 を 押 し の け て 自 ら 操 縦 桿 を 握 っ た 。 東 京 上 空 は ひ ど い 天 候 で あ っ た が 、 特 に B - 2 9 の 操 縦 員 を 驚 か せ た の が 、 高 高 度 を 飛 行 中 に 1 2 0 ノ ッ ト ︵ 2 2 0 ㎞ / h ︶ で 吹 き 荒 れ て い た 強 風 で あ っ た 。 こ れ は の ち に ジ ェ ッ ト 気 流 で あ る こ と が 判 明 し た が 、 そ の 強 風 に の っ た B - 2 9 は 対 地 速 度 が 7 2 0 ㎞ / h に も な り 、 目 標 に 到 達 で き な か っ た り 、 故 障 で 爆 撃 を 断 念 す る 機 が 続 出 し た 。 こ の ジ ェ ッ ト 気 流 は こ の あ と も B - 2 9 を 悩 ま せ る こ と に な っ た 。 出 撃 し た B - 2 9 の 1 1 1 機 の う ち 、 主 要 目 標 の 武 蔵 製 作 所 に 達 し た の は わ ず か 24 機 で あ り 、 ノ ル デ ン 爆 撃 照 準 器 を 使 っ て 工 場 施 設 に 限 定 精 密 照 準 爆 撃 を 行 な っ た が 、 投 下 し た 爆 弾 が 目 標 か ら 大 き く 外 れ る な ど し た 結 果 、 命 中 率 は 2 % 程 度 で [ 4 1 ] 、 主 要 目 標 の 工 場 施 設 の 損 害 は 軽 微 で あ っ た 。 主 要 目 標 に 達 す る こ と が で き な か っ た 64 機 は 2 次 目 標 で あ っ た 港 湾 及 び 東 京 市 街 地 へ 爆 弾 を 投 弾 し た が 、 う ち 35 機 が 雲 の 上 か ら の レ ー ダ ー 爆 撃 で 正 確 性 を 欠 き 、 被 害 は 少 な く 、 死 者 57 人 と 負 傷 者 75 人 が 生 じ た [ 2 6 ] 。
東 部 軍 司 令 部 に は 、 小 笠 原 諸 島 に 設 置 さ れ た レ ー ダ ー や 対 空 監 視 所 か ら 続 々 と 大 編 隊 接 近 の 情 報 が 寄 せ ら れ た た め 、 明 ら か に 東 京 空 襲 を 意 図 し て い る と 判 断 、 隷 下 の 第 10 飛 行 師 団 に 迎 撃 を 命 じ 、 正 午 に 空 襲 警 報 を 発 令 し た 。 迎 撃 に は 陸 軍 航 空 隊 の ほ か 、 第 三 〇 二 海 軍 航 空 隊 も 加 わ り 、 鍾 馗 、 零 戦 、 飛 燕 、 屠 龍 、 月 光 と い っ た 多 種 多 様 な 1 0 0 機 以 上 が 、 途 中 で 17 機 が 引 き 返 し 94 機 と な っ た B - 2 9 に 襲 い 掛 か っ た が 、 B - 2 9 は 9 , 1 5 0 m の 高 高 度 で 進 行 し て き た た め 、 日 本 軍 機 や 高 射 砲 弾 の 多 く が そ の 高 度 ま で は 達 せ ず 、 東 京 初 空 襲 で 緊 張 し て い た B - 2 9 搭 乗 員 ら は 予 想 外 の 日 本 軍 の 反 撃 の 低 調 さ に 胸 を な で お ろ し て い る 。 そ れ で も 日 本 軍 は 震 天 制 空 隊 の 見 田 義 雄 伍 長 の 鍾 馗 の 体 当 た り に よ り 撃 墜 し た 1 機 を 含 め て 撃 墜 5 機 、 損 傷 9 機 の 戦 果 と 未 帰 還 6 機 を 報 じ た が 、 ア メ リ カ 側 の 記 録 に よ れ ば 体 当 た り に よ る 損 失 1 機 と 故 障 に よ る 不 時 着 水 1 機 の 合 計 2 機 の 損 失 と し て い る 。
1 9 4 4 年 11 月 29 日 深 夜 か ら 30 日 未 明 に か け て 、 第 73 爆 撃 航 空 団 所 属 29 機 が 初 め て 東 京 市 街 地 へ 夜 間 爆 撃 を 行 っ た 。 名 目 上 は 東 京 工 業 地 帯 が 目 標 と さ れ た が 、 実 際 は ﹁ サ ン ・ ア ン ト ニ オ 1 号 作 戦 ﹂ や 11 月 27 日 に 行 わ れ た ﹁ サ ン ・ ア ン ト ニ オ 2 号 作 戦 ﹂ と 異 な り 、 航 空 機 工 場 な ど の 特 定 の 施 設 を 目 標 と し な い 東 京 の 市 街 地 へ の 無 差 別 焼 夷 弾 攻 撃 で あ り 、 の ち の 東 京 へ の 大 規 模 焼 夷 弾 攻 撃 に 通 じ る も の で あ っ た 。 作 戦 名 は ﹁ ブ ル ッ ク リ ン 1 号 作 戦 ﹂ と 名 付 け ら れ 、 B - 2 9 は 11 月 29 日 22 時 30 分 か ら 11 月 30 日 5 時 50 分 に か け て 数 次 の 波 状 攻 撃 で 神 田 区 や 日 本 橋 区 を 爆 撃 し 、 火 災 は 夜 明 け ま で 続 い た 。 1 0 , 0 0 0 m か ら の 高 高 度 爆 撃 な が ら 、 こ の 日 の 東 京 は 雨 が 降 っ て お り 雲 の 上 か ら の レ ー ダ ー 爆 撃 と な っ た こ と 、 攻 撃 機 数 が 少 な か っ た こ と か ら 被 害 は 、 死 者 32 人 、 家 屋 2 , 9 5 2 戸 と 限 定 的 で あ っ た が [ 2 6 ] 、 日 本 軍 も 雨 天 に よ り ま と も な 迎 撃 が で き ず 、 B - 2 9 の 損 失 は 、 ハ ロ ル ド ・ M ・ ハ ン セ ン 少 佐 指 揮 の 機 体 番 号 4 2 - 6 5 2 1 8 機 の み で あ っ た 。
富 士 山 を 見 下 ろ し な が ら 飛 行 す る B - 2 9 、 東 京 侵 入 の 第 一 の 目 印 は 富 士 山 で あ っ た
そ の 後 も 12 月 3 日 の ﹁ サ ン ・ ア ン ト ニ オ 3 号 作 戦 ﹂ で 主 要 目 標 の 武 蔵 製 作 所 を 爆 撃 で き な か っ た B - 2 9 が 、 杉 並 区 、 板 橋 区 な ど の 市 街 地 に 爆 弾 を 投 弾 し 死 者 1 8 4 人 が 生 じ た が [ 2 6 ] 、 こ の よ う に 主 要 目 標 は 航 空 機 工 場 な ど の 軍 事 目 標 と し な が ら 、 主 要 目 標 に 爆 撃 で き な か っ た B - 2 9 に よ る 市 街 地 へ の 爆 撃 が 恒 常 化 し [ 4 1 ] 、 1 9 4 4 年 の 年 末 ま で に 東 京 市 街 地 へ は 10 回 の 空 襲 が あ っ た が 、 心 理 的 効 果 は あ っ た も の の 実 質 的 な 効 果 は 少 な か っ た 。 一 方 で 東 京 以 外 で の 航 空 機 工 場 に 対 す る 高 高 度 精 密 爆 撃 は 効 果 を 挙 げ つ つ あ り 、 12 月 13 日 の B - 2 9 の 75 機 に よ る 名 古 屋 の 三 菱 発 動 機 工 場 に 対 す る 空 襲 ︵ メ ン フ ィ ス 1 号 作 戦 ︶ は 8 , 0 0 0 m か ら 9 , 8 0 0 m の 高 高 度 か ら の 精 密 爆 撃 で あ っ た が 、 投 下 し た 爆 弾 の 16 % は 目 標 の 3 0 0 m 以 内 に 命 中 、 工 場 設 備 17 % が 破 壊 さ れ て 2 4 6 名 の 技 術 者 や 作 業 員 が 死 亡 、 同 工 場 の 生 産 能 力 は 月 産 1 , 6 0 0 台 か ら 1 , 2 0 0 台 に 低 下 し た 。 12 月 18 日 に も 再 度 ハ ン セ ル は 名 古 屋 爆 撃 を 命 じ た が 、 今 回 の 目 標 は 三 菱 の 飛 行 機 組 み 立 て 工 場 で あ っ た 。 63 機 の B - 2 9 は 目 標 の 殆 ど が 雲 に 覆 わ れ て い た た め 、 前 回 と 同 じ 8 , 0 0 0 m か ら 9 , 8 5 0 m の 高 高 度 か ら レ ー ダ ー 爆 撃 を 行 っ た が 、 爆 撃 精 度 は 高 く 、 工 場 の 17 % が 破 壊 さ れ て 作 業 員 4 0 0 名 が 死 傷 し 10 日 間 の 操 業 停 止 に 追 い 込 ま れ た 。 こ の 2 日 間 の B - 2 9 の 損 失 は 合 わ せ て 8 機 で あ っ た 。
ハ ン セ ル に よ る 高 高 度 精 密 爆 撃 が よ う や く 成 果 を 上 げ て い た こ ろ 、 こ の 2 回 目 の 名 古 屋 空 襲 と 同 じ 1 9 4 4 年 12 月 18 日 に 、 第 20 爆 撃 集 団 司 令 官 カ ー チ ス ・ ル メ イ 准 将 は 、 焼 夷 弾 を 使 用 し た 大 都 市 焼 夷 弾 無 差 別 爆 撃 の 実 験 と し て 、 日 本 軍 占 領 下 の 中 国 漢 口 市 街 地 に 対 し て 中 国 成 都 基 地 を 出 撃 し た 84 機 の B - 2 9 に 5 0 0 ト ン も の 焼 夷 弾 を 投 下 を 命 じ た ︵ 漢 口 大 空 襲 ︶ 。 漢 口 は そ の 後 3 日 に わ た っ て 燃 え 続 け て 市 街 の 50 % を 灰 に し て 、 漢 口 の 中 国 人 住 民 約 2 0 , 0 0 0 人 が 死 亡 し た [ 5 3 ] 。 こ の 爆 撃 に よ り 、 市 街 地 へ の 無 差 別 爆 撃 の 有 効 性 が 証 明 さ れ て 、 ル メ イ は 自 信 を つ け 、 上 官 の ア ー ノ ル ド は ル メ イ を 高 く 評 価 す る こ と と な っ た 。
漢 口 で 焼 夷 弾 に よ る 無 差 別 爆 撃 の 効 果 が 大 き い と 判 断 し た 第 20 空 軍 は 、 参 謀 長 ロ ー リ ス ・ ノ ー ス タ ッ ド 准 将 を 通 じ て ハ ン セ ル に 名 古 屋 市 街 へ の 全 面 的 な 焼 夷 弾 に よ る 無 差 別 爆 撃 を 指 示 し た 。 ハ ン セ ル は 市 街 地 へ の 無 差 別 焼 夷 弾 爆 撃 の 効 果 に 懐 疑 的 で あ り 、 ア ー ノ ル ド に 対 し て ﹁ 我 々 の 任 務 は 、 主 要 な 軍 事 、 工 業 目 標 に 対 し て 精 密 爆 撃 を 行 う こ と で 、 市 街 地 へ の 焼 夷 弾 攻 撃 は 承 服 し が た い ﹂ と 手 紙 を 書 い て 直 接 抗 議 し た が 、 ア ー ノ ル ド は ノ ー ス タ ッ ド を 通 じ て 、 焼 夷 弾 に よ る 無 差 別 爆 撃 は あ く ま で も 実 験 で あ り ﹁ 将 来 の 計 画 の 必 要 性 か ら 出 た 特 別 の 要 求 に 過 ぎ な い ﹂ と 説 い て 、 ハ ン セ ル は 納 得 し な い ま ま で 、 翌 1 9 4 5 年 1 月 3 日 に 、 ア ー ノ ル ド の 命 令 通 り に 名 古 屋 の 市 街 地 へ の 実 験 的 な 焼 夷 弾 攻 撃 を 97 機 の B - 2 9 に よ り 行 っ た が 、 死 者 70 人 、 負 傷 者 3 4 6 人 、 被 害 戸 数 3 , 5 8 8 戸 と 被 害 は 限 定 的 で あ り 、 日 本 側 に は 空 襲 恐 れ る に 足 ら ず と い う 安 心 感 が 広 ま る こ と に な っ た 。
年 も 押 し 迫 っ た 1 9 4 4 年 12 月 27 日 に ハ ン セ ル は 今 年 1 年 の 総 括 を ﹁ そ の 結 果 は 頼 も し い も の で あ る が 。 我 々 が 求 め て い る 標 準 に は 遠 く 及 ば な い ﹂ ﹁ 我 々 は ま だ 初 期 の 実 験 段 階 に あ る 。 我 々 は 学 ぶ べ き こ と の 多 く を 、 解 決 す べ き 多 く の 作 戦 的 、 技 術 的 問 題 を 抱 え て い る 。 し か し 、 我 々 の 実 験 の い く つ か は 、 満 足 と ま で は い か な い と し て も 、 喜 ば し い 結 果 を 得 て お り 、 B - 2 9 は 偉 大 な 戦 争 兵 器 で あ る こ と を 立 証 し た ﹂ と 報 道 関 係 者 に 発 表 し た が 、 こ の 見 解 は ア ー ノ ル ド を 失 望 さ せ た 。 ア ー ノ ル ド は す で に B - 2 9 は 実 験 段 階 を 終 え て 戦 争 兵 器 と し て の 価 値 を 確 立 し て お り 、 そ れ は ル メ イ の 第 20 爆 撃 集 団 が 証 明 し つ つ あ る と 考 え て い た の で 、 ハ ン セ ル の 見 解 と は 全 く 異 な っ て い た 。 ま た 、 ア ー ノ ル ド は か つ て ﹁ 私 は B - 2 9 が い く ら か 墜 落 す る こ と は 仕 方 な い と 思 っ て い る 。 し か し 空 襲 の た び に 3 機 か 4 機 失 わ れ て い る 。 こ の 調 子 で 損 失 が 続 け ば 、 そ の 数 は 極 め て 大 き な も の と な る だ ろ う 。 B - 2 9 を 戦 闘 機 や 中 型 爆 撃 機 や B - 1 7 フ ラ イ ン グ ・ フ ォ ー ト レ ス と 同 じ よ う に あ つ か っ て は な ら な い 。 B - 2 9 は 軍 艦 と 同 じ よ う に 考 え る べ き で あ る 。 原 因 を 完 全 に 分 析 も せ ず に 軍 艦 を い っ ぺ ん に 3 隻 、 4 隻 と 損 失 す る わ け に は い か な い 。 ﹂ と ハ ン セ ル を 叱 責 し た こ と も あ っ た 。 18 万 ド ル の B - 1 7 に 対 し て 、 B - 2 9 の 調 達 価 格 は 63 万 ド ル と 、 高 価 な 機 体 で あ っ た の に も か か わ ら ず 、 挙 げ た 成 果 に 見 合 わ な い 大 き な 損 害 を 被 っ た ハ ン セ ル に 対 す る 不 信 感 も あ っ て 、 前 々 か ら 検 討 し て き た 通 り に ハ ン セ ル を 更 迭 し ル メ イ に B - 2 9 を 任 せ る こ と に し て い る 。
1 9 4 5 年 元 旦 、 ア ー ノ ル ド は 、 ハ ン セ ル に 更 迭 を 伝 え る た め 参 謀 長 の ノ ー ス タ ッ ド を マ リ ア ナ に 派 遣 し 、 ま た 指 揮 権 移 譲 の 打 ち 合 わ せ の た め ル メ イ も マ リ ア ナ に 飛 ぶ よ う 命 じ た 。 こ の 3 人 は お 互 い を よ く 知 っ た 仲 で あ り 、 ノ ー ス タ ッ ド は 第 20 空 軍 の 参 謀 長 を ハ ン セ ル か ら 引 き 継 い で お り 、 2 人 は 個 人 的 に も 親 し か っ た 。 ま た ル メ イ は ヨ ー ロ ッ パ 戦 線 で ハ ン セ ル の 部 下 と し て 働 い た こ と も あ っ た 。 3 人 と そ れ ぞ れ の 幕 僚 ら は 1 月 7 日 に 手 短 な 打 ち 合 わ せ を 行 っ て 、 ル メ イ は 一 旦 イ ン ド に 帰 っ た 。 1 9 4 5 年 1 月 20 日 、 ハ ン セ ル を 更 迭 し 、 そ の 後 任 に 中 国 で B - 2 9 を 運 用 し て き た ル メ イ を 任 命 す る 正 式 な 辞 令 が 発 令 さ れ た 。 第 20 爆 撃 集 団 は ル メ イ 離 任 後 に は ク ア ラ ル ン プ ー ル に 司 令 部 を 移 し て 、 日 本 本 土 爆 撃 を 中 止 し 、 小 規 模 な 爆 撃 を 東 南 ア ジ ア の 日 本 軍 基 地 に 継 続 し た が 、 1 9 4 5 年 3 月 に は 最 後 ま で 残 っ て い た 第 58 爆 撃 団 が マ リ ア ナ に 合 流 し て い る 。
戦 後 ハ ン セ ル は ﹁ も し 自 分 が 指 揮 を 執 り 続 け て い た ら 大 規 模 な 地 域 爆 撃 ︵ 無 差 別 爆 撃 ︶ を 行 わ な か っ た だ ろ う 。 自 分 の 罷 免 は 精 密 爆 撃 か ら 地 域 爆 撃 へ の 政 策 転 換 の 結 果 で あ る ﹂ と 語 っ て い る が 、 実 際 は ハ ン セ ル の 任 期 中 で も 、 あ く ま で も 主 目 標 は 航 空 機 工 場 な ど の 軍 事 的 目 標 と し な が ら 、 東 京 の 市 街 地 へ も 焼 夷 弾 攻 撃 を 行 っ た り [ 6 1 ] 、 ア ー ノ ル ド か ら の 圧 力 と は い え 、 市 街 地 へ の 無 差 別 爆 撃 の 準 備 を 進 め 実 験 的 に 実 行 し て い た 。
ミ ー テ ィ ン グ ハ ウ ス 作 戦 [ 編 集 ]
1 号 作 戦 [ 編 集 ]
1 9 4 5 年 1 月 27 日 の 空 襲 で 数 寄 屋 橋 上 を 逃 げ 惑 う 親 子 、 こ の 日 の 爆 撃 の 主 目 標 は 中 島 飛 行 機 武 蔵 製 作 所 で あ っ た が 、 市 街 地 も 爆 撃 さ れ て 大 き な 損 害 が 生 じ た
1 9 4 5 年 1 月 27 日 、 B - 2 9 は 中 島 飛 行 機 武 蔵 製 作 所 を 爆 撃 す る た め 76 機 が 出 撃 し た が ︵ エ ン キ ン ド ル 3 号 作 戦 ︶ 、 う ち 56 機 が 第 2 次 目 標 の 東 京 市 街 地 で あ る 有 楽 町 ・ 銀 座 地 区 を 爆 撃 し た 。 こ の 空 襲 は の ち に ﹁ 銀 座 空 襲 ﹂ と 呼 ば れ た が 、 被 害 は 広 範 囲 に 及 び 有 楽 町 駅 は 民 間 人 の 遺 体 で 溢 れ る な ど [ 6 3 ] 、 死 者 5 3 9 人 [ 2 6 ] 、 負 傷 者 1 , 0 6 4 人 、 全 半 壊 家 屋 8 2 3 戸 、 全 半 焼 家 屋 4 1 8 戸 、 罹 災 者 4 , 4 0 0 人 と 今 ま で で 最 大 の 被 害 が 生 じ た 。 日 本 軍 も 激 烈 に 迎 撃 し 、 B - 2 9 撃 墜 22 機 を 報 じ 、 12 機 の 戦 闘 機 を 失 っ た 。 ア メ リ カ 軍 の 記 録 で は B - 2 9 の 損 失 は 9 機 で あ っ た 。
1 9 4 5 年 2 月 25 日 、 当 日 に 行 わ れ る 予 定 の ア メ リ カ 海 軍 高 速 空 母 部 隊 の 艦 載 機 に よ る 爆 撃 と 連 携 し て 、 B - 2 9 は 中 島 飛 行 機 武 蔵 製 作 所 を 高 高 度 精 密 爆 撃 す る 計 画 で あ っ た が 、 気 象 予 報 で は 日 本 の 本 州 全 域 が 雲 に 覆 わ れ て お り 、 目 視 で の 精 密 爆 撃 は 無 理 と 判 断 さ れ た た め 、 急 遽 、 爆 撃 目 標 を 武 蔵 製 作 所 か ら 東 京 の 市 街 地 へ と 改 め ら れ た 。 進 路 も 侵 入 高 度 も そ の ま ま 武 蔵 野 製 作 所 爆 撃 の も の を 踏 襲 し た が 、 使 用 弾 種 の 9 割 に 焼 夷 弾 が 導 入 さ れ た 。 ﹁ エ ン キ ン ド ル 3 号 作 戦 ﹂ と 異 な る 点 は 、 最 初 か ら B - 2 9 全 機 が 東 京 の 市 街 地 を 目 標 と し て 焼 夷 弾 攻 撃 を 行 う こ と で あ っ た [ 6 7 ] 。
作 戦 名 は ミ ー テ ィ ン グ ハ ウ ス 1 号 ︵ M e e t i n g h o u s e ︶ と さ れ た が 、 こ の ミ ー テ ィ ン グ ハ ウ ス と い う の は 、 東 京 の 市 街 地 の う ち で 標 的 区 画 ﹁ 焼 夷 地 区 ﹂ と し て 指 定 し た 地 域 の 暗 号 名 で 、 1 号 と い う の は そ の 目 標 に 対 す る 1 回 目 の 攻 撃 を 意 味 し て い た 。 ミ ー テ ィ ン グ ハ ウ ス 1 号 作 戦 で は 、 そ れ ま で で 最 多 の 2 2 9 機 が 出 撃 し 、 神 田 駅 を 中 心 に 広 範 囲 を 焼 失 さ せ て 、 神 田 区 、 本 所 区 、 四 谷 区 、 赤 坂 区 、 日 本 橋 区 、 向 島 区 、 牛 込 区 、 足 立 区 、 麹 町 区 、 本 郷 区 、 荒 川 区 、 江 戸 川 区 、 渋 谷 区 、 板 橋 区 、 葛 飾 区 、 城 東 区 、 深 川 区 、 豊 島 区 、 滝 野 川 区 、 浅 草 区 、 下 谷 区 、 杉 並 区 、 淀 橋 区 空 襲 、 死 者 1 9 5 人 、 負 傷 者 4 3 2 人 、 被 害 家 屋 2 0 , 6 8 1 戸 と 人 的 被 害 は ﹁ 銀 座 空 襲 ﹂ よ り 少 な か っ た が 、 火 災 に よ る 家 屋 の 損 害 は 大 き か っ た [ 2 6 ] 。 宮 城 も 主 馬 寮 厩 仕 合 宿 所 が 焼 夷 弾 に よ っ て 焼 失 し 、 局 、 大 宮 御 所 、 秩 父 宮 御 殿 な ど が 被 害 に あ っ た [ 2 8 ] 。
ミ ー テ ィ ン グ ハ ウ ス 1 号 作 戦 は 、 天 候 に よ る 目 標 の 急 遽 変 更 に よ る も の で 、 攻 撃 方 法 も 、 こ の 後 の 低 空 か ら の 市 街 地 へ の 無 差 別 焼 夷 弾 攻 撃 と は 全 く 異 な る も の で あ り 、 直 接 の 関 連 は な く 、 こ の 日 に 出 撃 し た B - 2 9 の 搭 乗 員 ら に も 特 別 な 説 明 も な く 、 あ く ま で も 、 こ れ ま で の 出 撃 の 延 長 線 の よ う な 認 識 で あ っ た 。 作 戦 中 は 常 に 悪 天 候 で あ り 、 ま た 急 遽 作 戦 目 標 を 変 更 し た こ と も あ っ て か 、 B - 2 9 は 編 隊 を ま と も に 組 む こ と が で き ず 、 17 機 の 編 隊 で 整 然 と 爆 撃 し た 部 隊 も あ れ ば 、 ま っ た く 単 機 で 突 入 し た 機 も あ る 始 末 で 全 く 統 制 が と れ て い な か っ た の で 成 果 は 期 待 外 れ で あ っ た が 、 結 果 的 に は 、 3 月 10 日 か ら 開 始 さ れ る 市 街 地 へ の 大 規 模 な 無 差 別 焼 夷 弾 爆 撃 の 予 告 と な る よ う な 作 戦 と な っ た 。 悪 天 候 と B - 2 9 の 統 制 が 取 れ て い な か っ た 分 、 日 本 軍 の 迎 撃 も 分 散 し て し ま い 、 こ の 日 の B - 2 9 の 損 失 は 空 中 衝 突 に よ る 2 機 の み で あ っ た 。 雲 上 か ら の 空 襲 で 多 く の 家 屋 が 焼 失 し た の に 対 し て ま と も な 迎 撃 が で き な か っ た 日 本 軍 は 、 東 京 都 民 の 間 に 沸 き 起 こ り つ つ あ っ た ﹁ 軍 防 空 頼 む に 足 ら ず ﹂ と い う 感 情 を 抑 え 込 む た め に 、 特 に 悪 天 候 時 に も 迎 撃 機 が 出 動 で き る よ う レ ー ダ ー の 強 化 を 図 る 必 要 性 に 迫 ら れ た 。
1 9 4 5 年 2 月 26 日 か ら 28 日 ま で の 時 期 の B - 2 9 に よ る 東 京 空 襲 は 、 昼 間 に 8 0 0 0 メ ー ト ル 程 度 の 高 高 度 を 編 隊 で 飛 び な が ら ノ ル デ ン 爆 撃 照 準 器 に よ る 目 視 照 準 を 主 用 し 、 悪 天 候 時 に は 雲 よ り 高 空 か ら レ ー ダ ー 照 準 を 活 用 す る 精 密 爆 撃 を 意 図 し た も の だ っ た 。 工 場 な ど が 目 標 の た め 、 使 用 弾 種 も 焼 夷 弾 で は な く 通 常 爆 弾 が 中 心 だ っ た 。 攻 撃 隊 は 東 京 西 部 か ら ジ ェ ッ ト 気 流 に 従 っ て 侵 入 し 爆 撃 を 行 う の が 通 例 で 、 悪 天 候 で 攻 撃 目 標 を 捉 え ら れ な い 場 合 に は そ の ま ま 東 進 し て 市 街 地 を 爆 撃 す る こ と が あ っ た [ 6 7 ] 。
2 号 作 戦 [ 編 集 ]
1 9 4 5 年 3 月 10 日 、 空 襲 直 後 の 日 中 の 東 京
本 所 区 菊 川 橋 付 近 で の 水 死 者 の 遺 体 の 引 上 ︵ 石 川 光 陽 撮 影 ︶
鎮 火 後 の 街 の 風 景 ︵ 石 川 光 陽 撮 影 ︶
1 9 4 5 年 1 月 20 日 に 着 任 し た ル メ イ も 、 高 高 度 昼 間 精 密 爆 撃 は ア メ リ カ 陸 軍 航 空 隊 の 伝 統 的 ド ク ト リ ン で あ り 、 前 任 者 ハ ン セ ル の 方 針 を 踏 襲 し て い た が 、 工 場 に 対 す る 高 高 度 精 密 爆 撃 は ほ と ん ど 効 果 が な く 、 逆 に 1 月 23 日 の 名 古 屋 の 三 菱 発 動 機 工 場 へ の 爆 撃 ︵ エ ラ デ ィ ケ ー ト 3 号 作 戦 ︶ と 1 月 27 日 に 行 っ た 中 島 飛 行 機 武 蔵 製 作 所 へ の 爆 撃 ︵ エ ン キ ン ド ル 3 号 作 戦 ︶ で 合 計 11 機 の B - 2 9 を 失 う と い う 惨 め な 結 果 に 終 わ っ た 。 1 9 4 5 年 2 月 ま で に ア メ リ カ 軍 は 、 中 国 か ら の 出 撃 で 80 機 、 マ リ ア ナ 諸 島 か ら の 出 撃 で 78 機 、 合 計 1 5 8 機 の B - 2 9 を 失 っ て お り [ 7 5 ] 、 ル メ イ は あ が ら ぬ 戦 果 と 予 想 外 の 損 失 に 頭 を 悩 ま せ て い た 。 信 頼 し て い た ル メ イ も 結 果 を 出 せ な い こ と に 業 を 煮 や し た ア ー ノ ル ド は 、 ま た 、 ノ ー ス タ ッ ド を マ リ ア ナ に 派 遣 し て ル メ イ を ﹁ や っ て み ろ 。 B - 2 9 で 結 果 を 出 せ 。 結 果 が 出 な か っ た ら 、 君 は ク ビ だ ﹂ ﹁ 結 果 が 出 な か っ た ら 、 最 終 的 に 大 規 模 な 日 本 上 陸 侵 攻 に な り 、 さ ら に 50 万 人 の ア メ リ カ 人 の 命 が 犠 牲 に な る か も 知 れ ん の だ ﹂ と 激 し い 言 葉 で 叱 咤 し た 。
ア ー ノ ル ド に 叱 咤 さ れ た ル メ イ は 大 胆 な 作 戦 方 針 の 変 更 を 行 う こ と と し た 。 偵 察 写 真 を 確 認 し た ル メ イ は 、 ド イ ツ 本 土 爆 撃 で 悩 ま さ れ た 高 射 機 関 砲 が 日 本 で は 殆 ど 設 置 さ れ て い な い こ と に 気 が 付 い た 。 そ こ で ル メ イ は 爆 撃 高 度 を 思 い 切 っ て 高 度 9 , 0 0 0 m 前 後 の 高 高 度 か ら 3 , 0 0 0 m 以 下 に 下 げ る こ と に し た 。 高 射 機 関 砲 が 少 な い 日 本 で は 爆 撃 高 度 を 下 げ て も 損 失 率 は 上 が ら な い と 考 え た か ら で あ る 。 そ し て 、 爆 撃 高 度 を 下 げ る こ と に よ る 下 記 の 利 点 が 想 定 さ れ た 。
(一) ジ ェ ッ ト 気 流 の 影 響 を 受 け な い こ と 。 平 均 風 速 3 0 0 ㎞ / h 、 最 大 時 で は 5 0 0 ㎞ / h に 達 す る ジ ェ ッ ト 気 流 は 高 度 1 0 , 0 0 0 m ぐ ら い に 一 番 強 く 吹 い て い た が 、 ち ょ う ど そ の 高 度 は B - 2 9 に よ る 高 高 度 爆 撃 の 高 度 に あ た っ て い た た め 、 ジ ェ ッ ト 気 流 に 逆 行 す る と き に は 、 ひ ど い と き に は 対 地 速 度 が 0 に な り 、 B - 2 9 が 空 中 に 浮 か ん で い る 凧 同 然 に な っ て い る こ と も あ っ た
(二) エ ン ジ ン 負 荷 軽 減 で 燃 料 を 節 約 し 多 く の 爆 弾 を 積 め る こ と
(三) 爆 撃 の 精 度 が 格 段 に 向 上 す る こ と 。 ア メ リ カ 軍 は 弾 道 学 に 基 づ い て 精 密 に 計 算 し て 作 成 し た デ ー タ ー ブ ッ ク を 使 用 し て い た が 、 高 高 度 爆 撃 で は ジ ェ ッ ト 気 流 の 影 響 も あ っ て 何 の 役 に も 立 っ て お ら ず 、 精 密 爆 撃 の 精 度 を 低 下 さ せ る 最 大 要 因 と な っ て い た
(四) 高 高 度 爆 撃 で は 好 天 を 待 た な け れ ば な ら な か っ た が 、 爆 撃 高 度 を 下 げ れ ば 雲 の 下 を 飛 行 す れ ば よ く 、 出 撃 日 を 増 加 で き る こ と が で き た
ル メ イ の 分 析 を 後 押 し す る よ う に 、 ア メ リ カ 軍 の 情 報 部 は 、 今 ま で の 日 本 本 土 へ の 空 襲 を 検 証 し て 、 1 , 5 0 0 m 以 上 で は 日 本 軍 の 高 射 機 関 砲 は 殆 ど 効 果 が な く 、 高 射 砲 は 3 , 0 0 0 m 以 下 の 高 度 は レ ー ダ ー 照 準 に よ る 命 中 率 が 大 幅 に 低 下 し て い る こ と を 突 き 止 め 、 爆 撃 高 度 は 1 , 5 0 0 m か ら 2 , 4 0 0 m の 間 が も っ と も 効 果 が 高 い と 分 析 し た 。 ル メ イ の 作 戦 変 更 に は 漢 口 大 空 襲 で の 成 功 体 験 も 後 押 し と な っ た 。
し か し 低 空 で は 日 本 軍 戦 闘 機 に よ る 迎 撃 が 強 化 さ れ る の で 夜 間 爆 撃 と し た 。 夜 間 戦 闘 機 が 充 実 し て い た ド イ ツ 軍 と 比 較 し て 、 ル メ イ は 日 本 軍 の 夜 間 戦 闘 機 を さ し て 脅 威 と は 考 え て お ら ず 、 B - 2 9 尾 部 銃 座 以 外 の 防 御 火 器 ︵ 旋 回 機 関 銃 ︶ を 撤 去 し 爆 弾 搭 載 量 を 増 や す こ と に し た 。 こ の 改 造 に よ り 軽 量 化 が で き た た め 、 爆 弾 搭 載 を 今 ま で の 作 戦 に お け る 搭 載 量 の 2 倍 以 上 の 6 ト ン と し 、 編 隊 は 防 御 重 視 の コ ン バ ッ ト ・ ボ ッ ク ス で は な く 、 イ ギ リ ス 軍 が ド イ ツ 本 土 へ の 夜 間 爆 撃 で 多 用 し た 、 編 隊 先 頭 の 練 度 の 高 い パ ス フ ァ イ ン ダ ー の 爆 撃 に よ り 引 き 起 こ さ れ た 火 災 を 目 印 と し て 1 機 ず つ 投 弾 す る と い う ト レ イ ル ︵ 単 縦 陣 ︶ に 変 更 し た 。
﹁ ミ ー テ ィ ン グ ハ ウ ス 2 号 作 戦 ﹂ と 呼 ば れ た 1 9 4 5 年 3 月 10 日 の 大 空 襲 ︵ 下 町 大 空 襲 ︶ は 、 前 述 の 超 低 高 度 ・ 夜 間 ・ 焼 夷 弾 攻 撃 と い う 新 戦 術 が 本 格 的 に 導 入 さ れ た 初 め て の 空 襲 だ っ た 。 そ の 目 的 は 、 木 造 家 屋 が 多 数 密 集 す る 下 町 の 市 街 地 を 、 そ こ に 散 在 す る 町 工 場 も ろ と も 焼 き 払 う こ と に あ っ た 。 こ の 攻 撃 に つ い て ア メ リ カ 軍 は 、 日 本 の 中 小 企 業 が 軍 需 産 業 の 生 産 拠 点 と な っ て い る た め と 理 由 付 け し て い た 。 東 京 大 空 襲 ・ 戦 災 資 料 セ ン タ ー に よ れ ば 、 大 型 の 軍 需 工 場 は 精 工 舎 や 大 日 本 機 械 業 平 工 場 の み で 、 築 地 、 神 田 、 江 東 な ど の 市 場 、 東 京 、 上 野 、 両 国 の 駅 、 総 武 線 隅 田 川 鉄 橋 な ど が 実 際 の 目 標 で 、 住 民 の 大 量 殺 害 に よ り 戦 争 継 続 意 思 を 削 ぐ こ と が 主 目 的 だ っ た と し て い る [ 1 2 ] 。
ア メ リ カ 軍 が ミ ー テ ィ ン グ ハ ウ ス 2 号 作 戦 の 実 施 を 3 月 10 日 に 選 ん だ 理 由 は 、 延 焼 効 果 の 高 い 風 の 強 い 日 と 気 象 予 報 さ れ た た め で あ る [ 8 3 ] 。 ル メ イ は 出 撃 に 先 立 っ て 部 下 の 搭 乗 員 に ﹁ 諸 君 、 酸 素 マ ス ク を 捨 て ろ ﹂ と 訓 示 し て い る 。 こ の ル メ イ の 訓 示 に 兵 士 が 難 色 を 示 す と 、 ル メ イ は 葉 巻 を 噛 み 切 っ て ﹁ 何 で も い い か ら 低 く 飛 ぶ ん だ ﹂ と 恫 喝 し て い る 。 搭 乗 員 の 中 で は 、 こ の よ う な 自 殺 的 な 作 戦 で は 、 空 襲 部 隊 の 7 5 % を 失 う と 強 硬 に 反 対 し た 幕 僚 に 対 し て ル メ イ が ﹁ そ れ 以 上 に 補 充 要 員 を 呼 び 寄 せ れ ば 済 む こ と で は な い か ﹂ と 言 い 放 っ た と い う 真 偽 不 明 の 噂 も 広 が り 、 出 撃 前 の 搭 乗 員 の 不 安 は ピ ー ク に 達 し て い た 。 ア メ リ カ 軍 の 参 加 部 隊 は 第 73 、 第 3 1 3 、 第 3 1 4 の 3 個 爆 撃 航 空 団 で 、 3 2 5 機 の B - 2 9 爆 撃 機 が 出 撃 し た 。 ル メ イ は こ の 出 撃 に 際 し て 作 戦 機 へ の 搭 乗 し 空 中 指 揮 す る こ と も 考 え た が 、 こ の と き ル メ イ は 原 子 爆 弾 の 開 発 計 画 で あ る マ ン ハ ッ タ ン 計 画 の 概 要 を 聞 い て お り 、 撃 墜 さ れ 捕 虜 と な っ て 尋 問 さ れ る リ ス ク を 考 え て 、 自 分 が も っ と も 信 頼 し て い た ト ー マ ス ・ パ ワ ー ︵ 英 語 版 ︶ 准 将 を 代 わ り に 出 撃 さ せ る こ と と し た 。
出 撃 し た ト ー マ ス ・ パ ワ ー 准 将 ︵ 右 ︶ か ら ﹁ ミ ー テ ィ ン グ ハ ウ ス 2 号 作 戦 ﹂ の 報 告 を 受 け る 第 20 空 軍 参 謀 長 ロ ー リ ス ・ ノ ー ス タ ッ ド 准 将 ︵ 左 ︶ と カ ー チ ス ・ ル メ イ 少 将 ︵ 中 央 ︶
本 隊 に 先 行 し て 、 第 73 、 第 3 1 3 編 隊 か ら 先 行 し た 4 機 の B - 2 9 が 房 総 海 岸 近 く の 海 上 で 1 時 間 半 に も 渡 っ て 旋 回 し な が ら 日 本 本 土 に 接 近 し て い る 本 隊 を 無 線 誘 導 し た 。 こ の 日 は 非 常 に 強 い 風 が 吹 き 荒 れ て お り 、 日 本 軍 の 監 視 レ ー ダ ー 超 短 波 警 戒 機 乙 は 強 風 に よ り 殆 ど 正 常 に 機 能 し て お ら ず 、 強 風 に よ る 破 損 を 恐 れ て 取 り 外 し も 検 討 し て い た ほ ど で あ っ た 。 レ ー ダ ー は 役 に 立 っ て い な か っ た が 、 防 空 監 視 哨 が 勝 浦 市 南 方 で 敵 味 方 不 明 機 ︵ 無 線 誘 導 の た め に 旋 回 し て い た B - 2 9 ︶ を 発 見 し 、 日 本 標 準 時 9 日 22 時 30 分 に は ラ ジ オ 放 送 を 中 断 、 警 戒 警 報 を 発 令 し た が 、 や が て 敵 味 方 不 明 機 が 房 総 半 島 沖 に 退 去 し た の で 、 警 戒 警 報 を 解 除 し て し ま っ た [ 9 0 ] 。 し か し 、 そ の 間 に 本 隊 は 着 々 と 東 京 に 接 近 し て お り 、 9 日 の 24 時 ち ょ う ど に 房 総 半 島 最 西 端 の 洲 崎 対 空 監 視 哨 が B - 2 9 ら し き 爆 音 を 聴 取 し た と 報 告 、 そ の 報 告 を 受 け た 第 12 方 面 軍 ( 日 本 軍 ) が 情 報 を 検 討 中 の 、 日 付 が 変 わ っ た 直 後 の 3 月 10 日 午 前 0 時 7 分 に 爆 撃 が 開 始 さ れ た 。 3 2 5 機 の 出 撃 機 の う ち 2 7 9 機 が 第 一 目 標 の 東 京 市 街 地 へ の 爆 撃 に 成 功 し [ 9 0 ] 、 0 時 7 分 に
● 第 一 目 標 - 深 川 区 ︵ 現 在 の 江 東 区 ︶
● 第 二 目 標 - 本 所 区 ︵ 現 在 の 墨 田 区 ︶
● 第 三 目 標 - 浅 草 区 ︵ 現 在 の 台 東 区 ︶
● 第 四 目 標 - 日 本 橋 区 ︵ 現 在 の 中 央 区 ︶
へ 初 弾 が 投 下 さ れ た の を 皮 切 り に 、 城 東 区 ︵ 現 在 の 江 東 区 ︶ に も 爆 撃 が 開 始 さ れ た 。 空 襲 警 報 は 遅 れ て 発 令 さ れ 、 初 弾 投 下 8 分 後 の 0 時 15 分 と な っ た 。 日 本 軍 と 同 様 に 多 く の 東 京 都 民 も 虚 を 突 か れ た 形 と な り 、 作 家 の 海 野 十 三 は 3 月 10 日 の 日 記 に ﹁ こ の 敵 、 房 総 に 入 ら ん と し て 入 ら ず 、 旋 回 な ど し て 1 時 間 半 ぐ ら い ぐ ず ぐ ず し て い る の で 、 眠 く な っ て 寝 床 に は い っ た ﹂ と 書 い て い る な ど 、 床 に 就 い た の ち に B - 2 9 の 爆 音 で 慌 て て 飛 び 起 き た と い う 都 民 も 多 か っ た と い う 。
出 撃 各 機 は 武 装 を 撤 去 し て 焼 夷 弾 を 大 量 に 搭 載 し た こ と も あ り 、 こ の 空 襲 で の 爆 弾 の 制 御 投 下 弾 量 は 38 万 1 3 0 0 発 、 1 , 6 6 5 ト ン に も 上 っ た が そ の 全 部 が 焼 夷 弾 で あ っ た 。 ま た 、 ﹁ 低 空 進 入 ﹂ と 呼 ば れ る 飛 行 法 が 初 め て 大 規 模 に 実 戦 導 入 さ れ た 。 こ の 飛 行 法 で は ま ず 、 先 行 す る パ ス ・ フ ァ イ ン ダ ー 機 ︵ 投 下 誘 導 機 ︶ に よ っ て 超 低 空 か ら エ レ ク ト ロ ン 焼 夷 弾 を 投 弾 、 そ の 閃 光 は 攻 撃 区 域 を 後 続 す る 本 隊 に 伝 え る 役 割 を 果 た し た 。 パ ス ・ フ ァ イ ン ダ ー 機 は こ の 日 の た め に 、 3 月 3 日 、 5 日 、 7 日 に 戦 闘 任 務 に 出 撃 し て 訓 練 を 繰 り 返 し て 腕 を 磨 い て い た 。 そ の 本 隊 の 爆 撃 機 編 隊 も 通 常 よ り 低 空 で 侵 入 し た 上 、 発 火 点 に よ っ て 囲 ま れ る こ と に な る 領 域 に 向 け て 集 束 焼 夷 弾 E 4 6 を 集 中 的 に 投 弾 し た 。 こ れ は 50 キ ロ の 大 型 焼 夷 弾 で 、 目 標 地 域 に 4 か 所 の 爆 撃 照 準 点 を 設 定 し て こ れ を 投 下 す る こ と で 、 大 火 災 を 起 こ し て 消 火 活 動 を ま ひ さ せ 、 そ の 後 の 小 型 の 油 脂 焼 夷 弾 を 投 下 す る 目 印 と な る 照 明 の 役 割 を 果 た す こ と を 期 待 し て い た と い う [ 1 2 ] 。 こ の 爆 撃 の 着 弾 精 度 は 、 高 空 か ら の 爆 撃 に 比 べ て 高 い も の だ っ た が 、 ア メ リ カ 軍 の 想 定 以 上 の 大 火 災 が 生 じ 、 濃 い 火 災 の 煙 が 目 標 上 空 を 覆 っ て し ま い 、 爆 撃 を 開 始 し て し ば ら く 経 っ た こ ろ に は 秩 序 あ る 投 弾 と い う の は 机 上 の 空 論 に 過 ぎ な く な っ て し ま っ た 。
0 時 20 分 に は 芝 区 ︵ 現 在 の 港 区 ︶ に 対 す る 爆 撃 も 開 始 さ れ た 。
北 風 や 西 風 の 強 風 の 影 響 も あ り 、 火 災 は 目 標 地 域 を こ え 、 東 や 南 に 広 が り 、 本 所 区 、 深 川 区 、 城 東 区 の 全 域 、 浅 草 区 、 神 田 区 、 日 本 橋 区 の 大 部 分 、 下 谷 区 東 部 、 荒 川 区 南 部 、 向 島 区 南 部 、 江 戸 川 区 の 荒 川 放 水 路 よ り 西 の 部 分 な ど 下 町 の 大 部 分 を 焼 き 尽 く し た [ 1 2 ] 。 結 局 、 下 谷 区 、 足 立 区 、 神 田 区 、 麹 町 区 、 日 本 橋 区 、 本 郷 区 、 荒 川 区 、 向 島 区 、 牛 込 区 、 小 石 川 区 、 京 橋 区 、 麻 布 区 、 赤 坂 区 、 葛 飾 区 、 滝 野 川 区 、 世 田 谷 区 、 豊 島 区 、 渋 谷 区 、 板 橋 区 、 江 戸 川 区 、 深 川 区 、 大 森 区 が 被 害 に あ っ た [ 2 6 ] 。 災 難 の 中 で 昭 和 天 皇 の 初 孫 の 東 久 邇 信 彦 が 防 空 壕 で 誕 生 し た 日 で も あ っ た 。
一 部 で は 爆 撃 と 並 行 し て 旋 回 機 関 銃 に よ る 非 戦 闘 員 、 民 間 人 に 対 す る 機 銃 掃 射 も 行 わ れ た [ 9 2 ] 。 日 本 側 資 料 で は ﹁ ア メ リ カ 軍 機 が 避 難 経 路 を 絶 つ よ う に 市 街 地 の 円 周 部 か ら 爆 撃 し た 後 、 中 心 に 包 囲 さ れ た 市 民 を 焼 き 殺 し た ﹂ と 証 言 す る も の が あ る が 、 そ の よ う な 戦 術 は ア メ リ カ 軍 の 資 料 で は 確 認 で き な い 。 ア メ リ カ 軍 の 作 戦 報 告 書 に よ れ ば 、 目 標 が 煙 で 見 え な く な る の を 避 け る た め 、 風 下 の 東 側 か ら 順 に 攻 撃 す る 指 示 が 出 さ れ て い た 。 体 験 者 の 印 象 に よ る 誤 解 と 考 え ら れ る [ 9 3 ] 。 発 生 し た 大 火 災 に よ り B - 2 9 の 搭 乗 員 は 真 夜 中 に も か か わ ら ず 、 腕 時 計 の 針 を 読 む こ と が で き た ぐ ら い で あ っ た 。 B - 2 9 が 爆 撃 区 域 に 入 る と 、 真 っ 昼 間 の よ う に 明 る か っ た が 、 火 の 海 の 上 空 に 達 す る と 、 陰 鬱 な オ レ ン ジ 色 の 輝 き に 変 わ っ た と い う 。 他 の 焼 夷 弾 爆 撃 と 桁 違 い の 被 害 を も た ら せ た 最 大 の 原 因 は 関 東 大 震 災 の さ い に も 発 生 し た 火 災 旋 風 が 大 規 模 に 発 生 し た た め で あ っ た が 、 爆 撃 し て い た B - 2 9 も 火 災 旋 風 に よ る 乱 気 流 に 巻 き 込 ま れ た 。 荒 れ 狂 う 気 流 の 中 で 機 体 の 安 定 を 保 つ の は 至 難 の 業 で 、 気 が 付 く と 高 度 が 1 , 5 0 0 m 以 上 も 上 が っ て い た 。 な か に は 機 体 が 一 回 転 し た 機 も あ り 、 搭 乗 員 は 全 員 負 傷 し 、 顔 面 を 痛 打 し て 前 歯 を 欠 い た も の も い た 。 あ ま り に 機 体 が 上 下 す る の で 、 着 用 し て い た 防 弾 服 で 顔 面 を 何 度 も た た か れ 、 最 後 に は 全 員 が 防 弾 服 を 脱 い で 座 布 団 が わ り に 尻 の 下 に 敷 い て い る 。 そ し て 、 人 が 燃 え る 臭 い は B - 2 9 の 中 に も 充 満 し て お り 、 搭 乗 員 は 息 が 詰 ま る 思 い で あ っ た 。
誘 導 機 に 搭 乗 し た パ ワ ー は ﹁ ま る で 大 草 原 の 野 火 の よ う に 燃 え 広 が っ て い る 。 地 上 砲 火 は 散 発 的 。 戦 闘 機 の 反 撃 な し 。 ﹂ と 実 況 報 告 し て い る 。 空 襲 時 の 東 京 を 一 定 時 間 ご と に 空 か ら ス ケ ッ チ す る た め 高 度 1 万 メ ー ト ル に 留 ま っ て い た B - 2 9 に 対 し て 、 ル メ イ は 帰 還 後 に そ の ス ケ ッ チ を 満 足 げ に 受 け 取 る と ﹁ こ の 空 襲 が 成 功 す れ ば 戦 争 は 間 も な く 終 結 す る 。 こ れ は 天 皇 す ら 予 想 で き ぬ ﹂ と 語 っ た [ 9 7 ] 。
被 害 規 模 [ 編 集 ]
警 防 団 と 思 わ れ る 焼 け 焦 げ た 遺 体 の 山 。 死 者 ・ 行 方 不 明 者 は 8 万 人 、 民 間 の 調 査 で は 10 万 人 以 上 と い わ れ て い る 。 ︵ 石 川 光 陽 撮 影 ︶
母 子 と 思 わ れ る 2 つ の 遺 体 。 子 供 を 背 負 っ て 逃 げ て い た ら し く 、 母 親 の 背 中 が 焦 げ て い な い 。 ︵ 石 川 光 陽 撮 影 ︶
火 葬 が 間 に 合 わ な い の で 仮 埋 葬 す る た め 上 野 公 園 の 両 大 師 脇 に 下 谷 ・ 浅 草 か ら 運 ば れ た 遺 体
当 時 の 警 視 庁 の 調 査 で の 被 害 数 は 以 下 の 通 り 。
● 死 亡 ‥ 8 3 , 7 9 3 人 [ 2 6 ]
● 負 傷 者 ‥ 4 0 , 9 1 8 人
● 被 災 者 ‥ 1 , 0 0 8 , 0 0 5 人
● 被 災 家 屋 ‥ 2 6 8 , 3 5 8 戸 [ 2 6 ]
人 的 被 害 の 実 数 は こ れ よ り も 多 く 、 死 者 約 8 万 - 1 0 万 、 負 傷 4 万 - 1 1 万 名 と も い わ れ る 。 上 記 警 視 庁 の 被 害 数 は 、 早 期 に 遺 体 が 引 き 取 ら れ た 者 を 含 ん で お ら ず 、 ま た そ れ 以 外 に も 行 方 不 明 者 が 数 万 人 規 模 で 存 在 す る 。 民 間 団 体 や 新 聞 社 の 調 査 で は 死 亡 ・ 行 方 不 明 者 は 10 万 人 以 上 と 言 わ れ て お り 、 単 独 の 空 襲 に よ る 犠 牲 者 数 は 世 界 史 上 最 大 で あ る 。 両 親 を 失 っ た 戦 災 孤 児 が 大 量 に 発 生 し た 。 外 国 人 、 お よ び 外 地 出 身 者 の 被 害 の 詳 細 は 不 明 。
ま た 当 時 東 京 に 在 住 し て い た 朝 鮮 人 9 7 6 3 2 人 中 、 戦 災 者 は 4 1 3 0 0 人 で 、 死 者 は 1 万 人 を 軽 く 越 す と 見 ら れ て い る [ 9 8 ] [ 9 9 ] 。
こ の 空 襲 で 一 夜 に し て 、 東 京 市 街 地 の 東 半 部 、 実 に 東 京 35 区 の 3 分 の 1 以 上 の 面 積 に あ た る 約 41 平 方 キ ロ メ ー ト ル が 焼 失 し た 。 爆 撃 に よ る 火 災 の 煙 は 高 度 1 万 5 0 0 0 メ ー ト ル の 成 層 圏 に ま で 達 し 、 秒 速 1 0 0 メ ー ト ル 以 上 と い う 竜 巻 並 み の 暴 風 が 吹 き 荒 れ 、 火 山 の 大 噴 火 を 彷 彿 と さ せ た 。 午 前 2 時 37 分 に は ア メ リ カ 軍 機 の 退 去 に よ り 空 襲 警 報 は 解 除 さ れ た が 、 想 像 を 絶 す る 大 規 模 な 火 災 は 消 火 作 業 も 満 足 に 行 わ れ な か っ た た め 10 日 の 夜 ま で 続 い た 。 当 時 の 東 京 の 消 防 シ ス テ ム は 充 実 し て お り 、 東 京 へ の 空 襲 を 見 越 し て 、 学 生 な ど か ら 急 遽 採 用 さ れ た 年 少 消 防 官 を 含 む 8 , 1 0 0 人 の 訓 練 を 受 け た 消 防 士 に 1 , 1 1 7 台 の 消 防 車 が 配 備 さ れ て お り 、 そ の う ち の 7 1 6 台 が 電 動 化 さ れ て い た 。 防 火 の 貯 水 槽 や 手 押 し ポ ン プ 、 バ ケ ツ も 多 数 住 宅 地 に 設 置 さ れ て あ っ た [ 1 0 0 ] 。 し か し 、 発 生 し た 火 災 の 規 模 は 想 定 を 遥 か に 超 え て お り 、 消 防 シ ス テ ム は 空 襲 開 始 30 分 で 早 く も 機 能 不 全 に 陥 り 、 95 台 の 消 防 車 が 破 壊 さ れ て 1 2 5 人 の 消 防 士 が 殉 職 し た [ 1 0 1 ] 。
当 夜 の 冬 型 の 気 圧 配 置 と い う 気 象 条 件 に よ る 強 い 季 節 風 ︵ い わ ゆ る 空 っ 風 ︶ は 、 火 災 の 拡 大 に 大 き な 影 響 を 及 ぼ し た 。 強 い 北 西 の 季 節 風 に よ っ て 火 勢 が 煽 ら れ 延 焼 が 助 長 さ れ 、 規 模 の 大 き い 飛 び 火 も 多 発 し 、 特 に 郊 外 地 区 を 含 む 城 東 地 区 や 江 戸 川 区 内 で 焼 失 区 域 が 拡 大 す る 要 因 と な っ た 。 さ ら に 後 続 す る ア メ リ カ 軍 編 隊 が 爆 撃 範 囲 を 非 炎 上 地 域 に ま で 徐 々 に 広 げ 、 当 初 の 投 下 予 定 地 域 で は な か っ た 荒 川 放 水 路 周 辺 や 、 そ の 外 側 の 足 立 区 や 葛 飾 区 、 江 戸 川 区 の 一 部 の 、 当 時 は ま だ 農 村 地 帯 だ っ た 地 区 の 集 落 を 含 む 地 域 に ま で 焼 夷 弾 の 実 際 の 投 下 範 囲 が 広 げ ら れ た こ と に よ り 、 被 害 が 拡 大 し た 。 こ れ は 早 い 段 階 で 大 火 災 が 発 生 し た 投 下 予 定 地 域 の 上 空 で は 火 災 に 伴 う 強 風 が 生 じ た た め 、 低 空 で の 操 縦 が 困 難 に な っ た た め で も あ っ た 。
爆 撃 の 際 に は 火 炎 か ら 逃 れ よ う と し て 、 隅 田 川 や 荒 川 に 架 か る 多 く の 橋 や 、 燃 え な い と 思 わ れ て い た 鉄 筋 コ ン ク リ ー ト 造 の 学 校 な ど に 避 難 し た 人 も 多 か っ た 。 し か し 火 災 の 規 模 が 常 識 を は る か に 超 え る も の だ っ た た め 、 至 る 所 で 巨 大 な 火 災 旋 風 が 発 生 し 、 あ ら ゆ る 場 所 に 竜 の 如 く 炎 が 流 れ 込 ん だ り 、 主 な 通 り は 軒 並 み ﹁ 火 の 粉 の 川 ﹂ と 化 し た 。 そ の た め 避 難 を し な が ら も こ れ ら の 炎 に 巻 か れ て 焼 死 し て し ま っ た 人 々 や 、 炎 に 酸 素 を 奪 わ れ て 窒 息 に よ っ て 命 を 奪 わ れ た 人 々 も 多 か っ た 。 焼 夷 弾 は 建 造 物 等 の 目 標 を 焼 き 払 う た め の 兵 器 だ が 、 こ の 空 襲 で 使 わ れ た 焼 夷 弾 は 小 型 の 子 弾 が 分 離 し 大 量 に 降 り 注 ぐ た め 、 避 難 民 で ご っ た 返 す 大 通 り に 大 量 に 降 り 注 ぎ 子 供 を 背 負 っ た 母 親 や 、 上 空 を 見 上 げ た 人 間 の 頭 部 ・ 首 筋 ・ 背 中 に 突 き 刺 さ り 即 死 さ せ 、 そ の ま ま 爆 発 的 に 燃 え 上 が り 周 囲 の 人 々 を 巻 き 添 え に す る と い う 凄 惨 な 状 況 が 多 数 発 生 し た 。 ま た 、 川 も 水 面 は 焼 夷 弾 の ガ ソ リ ン な ど の 油 に よ り 引 火 し 、 さ な が ら ﹁ 燃 え る 川 ﹂ と 化 し 、 水 中 に 逃 れ て も 冬 期 の 低 い 水 温 の た め に 凍 死 す る 人 々 も 多 く 、 翌 朝 の 隅 田 川 ・ 荒 川 放 水 路 等 は 焼 死 ・ 凍 死 ・ 溺 死 者 で 川 面 が あ ふ れ た 。 こ れ ら 水 を 求 め て 隅 田 川 か ら 都 心 や 東 京 湾 ・ 江 戸 川 方 面 へ 避 難 し た 集 団 の 死 傷 率 は 高 か っ た 一 方 、 内 陸 部 、 日 光 街 道 ・ 東 武 伊 勢 崎 線 沿 い に 春 日 部 ・ 古 河 方 面 へ 脱 出 し た 人 々 に は 生 存 者 が 多 か っ た 。 ま た 、 空 襲 を 避 け る 為 各 地 で 防 空 壕 が 設 け ら れ そ こ に 避 難 し た 人 々 も 多 か っ た が 、 防 空 壕 の 換 気 が 不 十 分 の 為 酸 欠 状 態 と な り そ こ で 窒 息 死 す る 人 々 も 多 か っ た [ 1 0 2 ] 。
日 本 の 総 理 大 臣 小 磯 國 昭 ︵ 小 磯 内 閣 ︶ は こ の 空 襲 を ﹁ も っ と も 残 酷 、 野 蛮 な ア メ リ カ 人 ﹂ と 激 し く 非 難 し 、 国 民 に 対 し て は ﹁ 都 民 は 空 襲 を 恐 れ る こ と な く 、 ま す ま す 一 致 団 結 し て 奮 っ て 皇 都 庇 護 の 大 任 を 全 う せ よ ﹂ と 呼 び か け た [ 1 0 4 ] 。 ラ ジ オ 東 京 は 空 襲 を ﹁ 虐 殺 ﹂ と 断 じ 、 ル メ イ を 現 代 の ロ ー マ 皇 帝 ネ ロ と 比 喩 し ﹁ 東 京 の 住 宅 街 と 商 業 街 を 囲 む 炎 の 海 は 、 皇 帝 ネ ロ に よ る ロ ー マ 大 火 の 大 虐 殺 を 彷 彿 と さ せ る ﹂ と も 報 じ た [ 1 0 5 ] 。 こ の 惨 禍 は こ れ か ら 日 本 全 土 に 広 が っ て い く こ と と な り 、 ル メ イ は 、 そ の 後 も 3 月 11 日 、 B - 2 9 の 3 1 0 機 で 名 古 屋 ︵ 名 古 屋 大 空 襲 ︶ 、 3 月 13 日 、 2 9 5 機 で 大 阪 ︵ 大 阪 大 空 襲 ︶ 、 3 月 16 日 、 3 3 1 機 で 神 戸 ︵ 神 戸 大 空 襲 ︶ 、 3 月 18 日 、 3 1 0 機 で 再 度 名 古 屋 を 東 京 大 空 襲 と 同 様 に 、 夜 間 低 空 で の M 6 9 焼 夷 弾 に よ る 無 差 別 爆 撃 を 行 っ た 。 日 本 全 土 に 被 害 が 広 が る と 、 日 本 の マ ス コ ミ は ル メ イ に 対 す る 舌 戦 を さ ら に 激 化 さ せ 、 朝 日 新 聞 な ど は ﹁ 元 凶 ル メ ー 、 思 ひ 知 れ ﹂ と い う 記 事 で ﹁ や り を っ た な 、 カ ー チ ス ・ ル メ ー ﹂ ﹁ 暴 爆 専 門 、 下 劣 な 敵 将 ﹂ ﹁ 嗜 虐 性 精 神 異 常 者 の お 前 は 、 焼 け る 東 京 の 姿 に 舌 舐 め づ り し て 狂 喜 し て ゐ る に 相 違 な い ﹂ ﹁ わ れ わ れ は ど う あ つ て も こ の ル メ ー を 叩 つ 斬 ら ね ば な る ま い ﹂ な ど と 思 い つ く 限 り の 誹 謗 と 罵 倒 を 新 聞 紙 上 で 浴 び せ て い る [ 1 0 7 ] 。
日 本 軍 に よ る 迎 撃 [ 編 集 ]
日 本 本 土 と 満 州 で B - 2 9 迎 撃 に 活 躍 し た 二 式 単 座 戦 闘 機 ﹁ 鍾 馗 ﹂
房 総 半 島 南 端 の 洲 崎 監 視 廠 が B - 2 9 ら し き 爆 音 を 確 認 し 、 慌 て て 第 12 方 面 軍 司 令 部 に 報 告 し た が 、 そ の わ ず か 数 分 後 の 0 時 8 分 に は 東 京 の 東 部 が 焼 夷 弾 攻 撃 を 受 け た た め 、 空 襲 警 報 は 空 襲 が 開 始 さ れ た の ち 0 時 15 分 と な り 、 市 民 の 避 難 も 日 本 軍 に よ る 迎 撃 も 間 に 合 わ な か っ た 。 そ れ で も 、 第 10 飛 行 師 団 の 飛 行 第 23 戦 隊 ︵ 一 式 戦 ﹁ 隼 ﹂ ︶ 、 飛 行 第 53 戦 隊 ︵ 二 式 複 戦 ﹁ 屠 龍 ﹂ ︶ 、 飛 行 第 70 戦 隊 ︵ 二 式 戦 ﹁ 鍾 馗 ﹂ ︶ の 計 42 機 と 海 軍 の 第 三 〇 二 海 軍 航 空 隊 か ら 月 光 4 機 が 出 撃 し 、 陸 軍 の 高 射 砲 部 隊 ︵ 高 射 第 1 師 団 ︶ と の 戦 果 を 合 わ せ て B - 2 9 を 15 機 撃 墜 、 50 機 撃 破 の 戦 果 を 報 じ た 。 ア メ リ カ 軍 側 の 記 録 で も B - 2 9 が 14 機 失 わ れ [ 1 0 9 ] 、 今 ま で の 爆 撃 任 務 で 最 大 級 の 損 失 と は な っ た が 、 そ の 劇 的 な 成 果 と 比 較 す る と 決 し て 大 き な 損 失 で は な か っ た 。 出 撃 時 に ル メ イ に 不 満 を 抱 い て い た B - 2 9 搭 乗 員 ら も 予 想 外 の 損 害 の 少 な さ に 、 ル メ イ の 戦 術 変 更 が 正 し か っ た と 感 想 を 抱 い て い る 。
損 失 の 内 訳 は 日 本 軍 の 対 空 火 器 で の 撃 墜 2 機 、 事 故 1 機 、 そ の 他 4 機 ︵ 3 機 が 燃 料 切 れ 墜 落 、 1 機 不 明 ︶ 、 7 機 が 原 因 未 確 認 ︵ l o s t t o u n k n o w n r e a s o n s ︶ と さ れ て い る 。 原 因 未 確 認 の 7 機 は す べ て 連 絡 の な い ま ま 行 方 不 明 と な っ た 機 で あ る が 、 こ の 日 に 出 撃 し て 無 事 帰 還 し た B - 2 9 搭 乗 員 か ら は 、 東 京 上 空 で は 合 計 7 機 の B - 2 9 が 撃 墜 さ れ た と い う 報 告 が あ り 、 さ ら に 行 方 不 明 と さ れ て い た 1 機 に つ い て は 銚 子 岬 の 上 空 で 4 本 の 探 照 灯 に 捉 え ら れ て 、 大 小 の 対 空 火 器 の 集 中 砲 火 で 撃 墜 さ れ た と い う 詳 細 な 報 告 が あ っ た の に も か か わ ら ず 、 原 因 未 確 認 の 損 失 と さ れ 、 こ の 日 に 日 本 軍 に よ り 撃 墜 さ れ た と 判 定 さ れ た の は 、 東 京 上 空 で 対 空 火 器 で 撃 墜 さ れ た 1 機 と 、 対 空 火 器 の 損 傷 で 不 時 着 水 し て 搭 乗 員 全 員 が 救 助 さ れ た 1 機 の 合 計 2 機 の み に 止 ま っ た 。 当 時 の ア メ リ カ 軍 は 日 本 軍 の 攻 撃 ︵ E n e m y A c t i o n ︶ に よ る 損 失 と 認 定 す る に は よ っ ぽ ど の 確 証 が 必 要 で 、 そ れ 以 外 は 未 知 ︵ な い し 未 確 認 ︶ の 原 因 ︵ l o s t t o u n k n o w n r e a s o n s も し く は c a u s e s ︶ と す る 慣 習 で あ っ た の で 、 原 因 未 確 認 の 損 失 が 増 加 す る 傾 向 に あ っ た 。
こ の 日 は 高 射 砲 に よ る 戦 果 が 目 立 っ て い る 。 高 高 度 精 密 爆 撃 の 際 は 、 数 的 に は 日 本 の 高 射 砲 戦 力 の 主 力 を 担 っ て い た 最 大 射 高 9 , 1 0 0 m の 八 八 式 七 糎 野 戦 高 射 砲 と 、 1 0 , 0 0 0 m の 九 九 式 八 糎 高 射 砲 は 高 度 8 , 0 0 0 m 以 上 で 爆 撃 し て い た B - 2 9 に 対 し て は 射 高 不 足 で あ り 、 少 し で も 高 度 を 稼 ぐ た め 、 日 本 劇 場 や 両 国 国 技 館 の 屋 上 な ど に も 設 置 さ れ た が 、 な か な か 捉 え る こ と が で き ず 、 日 本 国 民 か ら ﹁ 当 た ら ぬ 高 射 砲 ﹂ と 悪 口 を 言 わ れ た 。 し か し 、 ル メ イ に よ る 作 戦 変 更 に よ り B - 2 9 の 爆 撃 高 度 が 下 が っ た の で 、 日 本 軍 の 高 射 砲 は B - 2 9 を 捉 え る こ と が で き る よ う に な っ た [ 1 1 4 ] 。 高 射 第 1 師 団 に い た 新 井 健 之 大 尉 ︵ の ち タ ム ロ ン 社 長 ︶ は ﹁ い や 実 際 は 言 わ れ て い る ほ ど で は な い 。 と く に 高 度 の 低 い と き は か な り 当 た っ た 。 本 当 は 高 射 砲 が 落 と し た も の な の に 、 防 空 戦 闘 機 の 戦 果 に な っ て い る も の が か な り あ る 。 い ま さ ら 言 っ て も 仕 方 な い が 3 月 10 日 の 下 町 大 空 襲 の と き な ど 、 火 災 に 照 ら さ れ な が ら 低 空 を 飛 ぶ 敵 機 を 相 当 数 撃 墜 し た ﹂ と 発 言 し て い る 。 代 々 木 公 園 に あ っ た 高 射 砲 陣 地 か ら 撃 た れ た 高 射 砲 は よ く 命 中 し て い た と い う 市 民 の 証 言 も あ る 。 高 射 砲 弾 が 命 中 し た B - 2 9 は 赤 々 と 燃 え な が ら 、 そ の 巨 体 が 青 山 の 上 空 ぐ ら い で 爆 発 し て 四 散 し て い た 。 日 本 軍 の 戦 闘 機 に よ る 迎 撃 を 過 小 評 価 し て い た ル メ イ も 高 射 砲 に 対 し て は か な り 警 戒 し て い た 。
そ の 後 の 東 京 都 へ の 空 襲 [ 編 集 ]
1 9 4 5 年 5 月 25 日 夜 間 に 空 襲 を 受 け る 東 京 市 街 。 画 面 中 央 は 現 在 の 東 京 女 学 館 ・ 日 赤 医 療 セ ン タ ー 付 近 、 画 面 下 か ら 右 上 に 延 び る の は 渋 谷 川 、 画 面 下 に 山 手 線 と 東 横 線 の 交 差 と 思 し き も の が 見 え る こ と か ら 広 尾 上 空 と 推 定 さ れ る 。 な お 、 北 方 向 は 写 真 左 側 と な る 。 撮 影 当 時 、 現 地 を 南 南 西 の 風 が 吹 い て い た こ と が こ の 写 真 か ら 見 て 取 れ る 。
ミ ー テ ィ ン グ ハ ウ ス 2 号 の 約 1 か 月 後 と な る 4 月 13 日 に 東 京 に 大 規 模 焼 夷 弾 攻 撃 が 計 画 さ れ た 。 今 回 は 市 街 地 へ の 無 差 別 爆 撃 で は な く 、 目 標 は 東 京 第 一 陸 軍 造 兵 廠 、 東 京 第 二 陸 軍 造 兵 廠 を 含 む 兵 器 工 場 群 と さ れ た が 、 目 標 の 中 に は ﹁ 工 場 作 業 員 の 住 居 ﹂ も 含 む と さ れ て お り 、 結 局 の と こ ろ は 市 街 地 へ の 無 差 別 焼 夷 弾 攻 撃 で あ っ た 。 作 戦 名 は 造 兵 廠 群 を 含 む 目 標 区 域 の 暗 号 名 を と っ て パ ー デ ィ シ ョ ン 作 戦 と 名 付 け ら れ た 。 3 2 7 機 の B - 2 9 が 出 撃 し て [ 1 1 6 ] 、 3 月 10 日 の 空 襲 を 上 回 る 2 , 1 1 9 ト ン の 爆 弾 が 、 今 ま で の 空 襲 で 最 長 と な る 3 時 間 に も 渡 っ て 投 下 さ れ た が 、 そ の う ち 9 6 . 1 パ ー セ ン ト が 焼 夷 弾 で あ り 、 1 1 . 4 平 方 マ イ ル ︵ 2 9 . 5 km 2 ︶ が 焼 失 し た 。 空 襲 に よ り 兵 器 工 場 群 に 大 き な 被 害 が あ っ た の に 加 え て 、 皇 居 の 一 部 と 大 宮 御 所 と 明 治 神 宮 に も 被 害 が 出 た 。 新 宿 御 苑 に は 火 災 か ら 逃 れ よ う と 市 民 が 殺 到 し た が 、 守 衛 が 門 を 固 く 閉 ざ し て 御 苑 内 に 市 民 を 入 れ な か っ た 。 市 民 の う ち の 1 人 が な ぜ 入 れ な い の か 問 い 詰 め た と こ ろ 、 守 衛 は ﹁ 天 皇 陛 下 の 芋 が 植 え て あ る ﹂ と 答 え た た め 激 高 し た 市 民 が 門 を 打 ち 壊 し に か か り 、 結 局 門 は 開 放 さ れ て 多 く の 市 民 が 御 苑 内 に 避 難 し て い る 。
皇 居 な ど に 被 害 が 出 た こ と に つ い て 、 阿 南 惟 幾 陸 軍 大 臣 と 梅 津 美 治 郎 陸 軍 参 謀 総 長 が 宮 中 に 参 内 し て 昭 和 天 皇 に お 詫 び を 言 上 し た が 、 昭 和 天 皇 か ら は ﹁ 41 機 の 撃 墜 を 報 じ て い た 戦 果 に つ い て の 御 嘉 賞 の 言 葉 が あ っ た ﹂ と い う 。 こ の 日 の B - 2 9 の 損 失 は ア メ リ カ 軍 の 記 録 に よ れ ば 7 機 で あ っ た [ 1 2 0 ] 。
沖 縄 戦 が 開 始 さ れ る と 、 九 州 の 各 航 空 基 地 か ら 出 撃 し た 特 攻 機 に ア メ リ カ 海 軍 は 大 き な 損 害 を 被 っ た の で 、 ア メ リ カ 太 平 洋 艦 隊 司 令 長 官 兼 太 平 洋 戦 域 最 高 司 令 官 の チ ェ ス タ ー ・ ニ ミ ッ ツ 元 帥 か ら の 強 い 要 請 に よ り 、 4 月 上 旬 か ら 延 べ 2 , 0 0 0 機 の B - 2 9 が 、 都 市 の 無 差 別 爆 撃 任 務 か ら 、 特 攻 機 の 出 撃 基 地 で あ る 九 州 の 飛 行 場 の 爆 撃 任 務 に 回 さ れ た [ 1 2 1 ] 。 特 攻 機 出 撃 基 地 へ の 爆 撃 は 1 か 月 以 上 行 わ れ た が 、 結 局 、 B - 2 9 は 飛 行 場 施 設 を 破 壊 し た だ け で 、 特 攻 機 に 大 き な 損 害 を 与 え る こ と が で き ず 、 特 攻 に よ る ア メ リ カ 海 軍 の 損 害 は さ ら に 拡 大 し て い っ た 。 そ の 後 、 沖 縄 の 飛 行 場 が 整 備 さ れ て 戦 術 作 戦 担 当 の 爆 撃 機 な ど が 配 備 さ れ た こ と も あ り 、 5 月 11 日 に は B - 2 9 は 本 来 の 戦 略 爆 撃 任 務 に 復 帰 し た が そ の 間 は 大 都 市 圏 に 対 す る 無 差 別 焼 夷 弾 攻 撃 は 中 止 さ れ て い た 。
戦 略 爆 撃 が 中 止 さ れ て い る 間 に 、 英 領 イ ン ド に 展 開 し て い た 第 20 爆 撃 集 団 の 第 58 爆 撃 航 空 団 が マ リ ア ナ に 合 流 し 、 第 21 爆 撃 機 集 団 は 4 個 航 空 団 と な っ て い た 。 B - 2 9 の 配 備 も 順 調 で 、 5 月 か ら 6 月 に か け て 、 常 時 4 0 0 機 の B - 2 9 が 全 力 出 撃 で き る 十 分 な 量 の 焼 夷 弾 と 航 空 燃 料 が 準 備 さ れ 、 稼 働 機 も 常 に 4 0 0 機 以 上 が 揃 っ て い た 。 ル メ イ は 充 実 し た 戦 力 で 都 市 圏 へ の 無 差 別 焼 夷 弾 攻 撃 を 強 化 し 、 5 月 14 日 昼 間 に 5 2 9 機 、 5 月 16 日 夜 間 に 5 2 2 機 で 名 古 屋 を 爆 撃 ︵ 名 古 屋 大 空 襲 ︶ 、 高 高 度 精 密 爆 撃 で は 大 き な 損 害 を 与 え ら れ な か っ た 名 古 屋 市 街 と 工 場 に 甚 大 な 損 害 を 与 え て 、 完 全 に 破 壊 し て し ま っ た 。 焼 夷 弾 で 焼 失 し た 建 物 の な か に は 名 古 屋 城 も 含 ま れ て い た 。
ミ ー テ ィ ン グ ハ ウ ス 2 号 と そ の 後 の 爆 撃 に よ り 大 損 害 を 被 っ て い た 東 京 に も 総 仕 上 げ と し て 最 大 規 模 の 焼 夷 弾 攻 撃 が 計 画 さ れ る こ と に な っ た 。 今 ま で は ミ ー テ ィ ン グ ハ ウ ス や パ ー デ ィ シ ョ ン な ど 目 標 区 域 の 暗 号 名 に 則 し た 作 戦 名 が 付 さ れ て い た が 、 総 仕 上 げ の 空 襲 と い う 意 味 合 い も あ っ て か 、 目 標 区 域 は “ 東 京 市 街 地 ” と さ れ 、 暗 号 名 で 呼 ば れ る こ と も な く 、 特 別 な 作 戦 名 も 付 さ れ な か っ た 。
1 9 4 5 年 8 月 下 旬 の 終 戦 直 後 の 皇 居 、 建 物 の 多 く が 焼 失 し て い る 。 ア メ リ カ 軍 重 巡 洋 艦 ﹁ ク イ ン シ ー ﹂ の 偵 察 機 が 撮 影
5 月 24 日 未 明 に B - 2 9 が 5 5 8 機 、 5 月 25 日 の 夜 間 に B - 2 9 が 4 9 8 機 と い う 、 3 月 10 日 の ミ ー テ ィ ン グ ハ ウ ス 2 号 を 上 回 る 大 兵 力 が 仕 上 げ の 焼 夷 弾 攻 撃 に 投 入 さ れ た 。 投 下 し た 爆 弾 は す べ て 焼 夷 弾 で あ り 、 5 月 23 日 に 3 , 6 4 5 ト ン 、 5 月 25 日 に 3 , 2 6 2 ト ン が 投 下 さ れ た 。 こ れ は 3 月 10 日 に 投 下 さ れ た 1 , 6 6 5 ト ン の 4 倍 に 近 い 量 と な っ た 。
1 9 4 5 年 ︵ 昭 和 20 年 ︶ 4 月 13 日 以 降 の 主 要 な 空 襲 に よ る 東 京 都 の 被 害 状 況 [ 6 1 ]
4月13日(任務番号56番)
5月24日(任務番号181番)
5月25日(任務番号183番)
死者
2,459人
762人
3,651人
負傷者
4,746人
4,130人
17,899人
被害家屋
200,277戸
64,487戸
165,545戸
罹災者
666,986人
224,601人
620,125人
恵比寿で焼け野原の上のバラック 小屋に住む親子
ミ ー テ ィ ン グ ハ ウ ス 2 号 の と き よ り 死 傷 者 が 格 段 に 少 な か っ た の は 、 3 月 10 日 に は 警 戒 警 報 が 解 除 さ れ た あ と に 爆 撃 が 開 始 さ れ 、 空 襲 警 報 の 発 令 が 最 初 の 爆 弾 投 下 か ら 7 分 後 と 遅 れ た の に 対 し て 、 4 月 13 日 は 警 戒 警 報 発 令 が 午 後 10 時 44 分 、 B - 2 9 の 爆 撃 開 始 が 午 後 10 時 57 分 、 空 襲 警 報 が 午 後 11 時 と 、 警 戒 警 報 の 解 除 は な か っ た も の の 前 回 に 引 き 続 き 空 襲 警 報 が 3 分 遅 れ て い た が 、 そ の 後 の 5 月 24 日 は 警 戒 警 報 発 令 が 午 前 1 時 5 分 、 空 襲 警 報 が 午 前 1 時 36 分 、 B - 2 9 の 爆 撃 開 始 が 午 前 1 時 39 分 、 5 月 25 日 は 警 戒 警 報 発 令 が 午 後 10 時 2 分 、 空 襲 警 報 が 10 時 22 分 、 B - 2 9 の 爆 撃 開 始 が 午 後 10 時 38 分 と 、 空 襲 開 始 前 に 空 襲 警 報 が 発 令 で き た こ と や 、 疎 開 が 進 ん だ こ と 、 市 民 が 消 火 よ り 避 難 を 優 先 す る よ う に な っ た こ と が 挙 げ ら れ る [ 1 3 2 ] 。 東 京 の 人 員 疎 開 は 1 9 4 4 年 3 月 3 日 に 東 條 内 閣 閣 議 決 定 し た ﹁ 一 般 疎 開 促 進 要 綱 ﹂ に 基 づ き 進 め ら れ 、 1 9 4 4 年 2 月 に 6 , 6 5 8 , 1 6 2 人 で あ っ た 東 京 の 人 口 は 1 9 4 5 年 2 月 に は 4 , 9 8 6 , 6 0 0 人 ︵ 1 9 4 4 年 2 月 比 75 % ︶ ま で 減 少 し て い た 。 3 月 10 日 の 焼 夷 弾 攻 撃 の の ち 、 東 京 都 は さ ら に 疎 開 を 進 め る こ と と し 、 3 月 13 日 か ら 4 月 4 日 の 約 1 か 月 で 82 万 人 、 4 月 13 日 の 空 襲 の の ち に さ ら に 60 万 人 、 5 月 25 日 の 空 襲 の の ち に は 77 万 人 を 地 方 に 転 出 さ せ た 。 そ の た め 、 1 9 4 5 年 5 月 の 人 口 は 3 , 2 8 6 , 0 1 0 人 と 1 9 4 4 年 2 月 比 で 半 減 し 、 6 月 に は 2 , 5 3 7 , 8 4 8 人 ︵ 同 39 % ︶ ま で 減 っ て い る 。 そ れ で も 残 っ た 都 民 は 焼 け 野 原 に 仮 小 屋 を 建 て た り 防 空 壕 で 生 活 す る 者 も あ っ た 。
焼 失 面 積 は 2 日 間 で 合 計 2 2 . 1 平 方 マ イ ル ︵ 5 7 . 2 km 2 ︶ に 及 び 、 1 9 4 5 年 2 月 19 日 、 2 月 25 日 、 3 月 10 日 の 3 回 の 空 襲 で 焼 失 し た 1 6 . 8 平 方 マ イ ル ︵ 4 3 . 5 km 2 ︶ を 上 回 っ た 。 そ し て こ の 2 日 間 分 を 含 め た 東 京 の 空 襲 で の 焼 失 面 積 は 5 6 . 3 平 方 マ イ ル ︵ 1 4 5 . 8 km 2 ︶ と な り 、 緑 地 や 建 物 が ま ば ら な 地 域 を 除 い て ア メ リ カ 軍 が 東 京 市 街 地 と し て 判 定 し て い た 1 1 0 . 8 平 方 マ イ ル ︵ 2 8 6 . 9 km 2 ︶ の 5 0 . 8 % を 焼 き 払 っ た こ と と な っ た 。 す で に 東 京 は 、 名 古 屋 、 大 阪 、 横 浜 、 川 崎 な ど の 主 要 都 市 と 同 様 に 破 壊 さ れ つ く さ れ た と 判 定 さ れ て 、 主 要 爆 撃 リ ス ト の 目 標 か ら 外 さ れ る こ と と な っ た 。
1 9 4 5 年 5 月 25 日 の 空 襲 で は 、 今 ま で ア メ リ カ 軍 が 意 図 的 に 攻 撃 を 控 え て き た 皇 居 の 半 蔵 門 に 焼 夷 弾 を 誤 爆 し て し ま い 、 門 と 衛 兵 舎 を 破 壊 し た 。 焼 夷 弾 に よ る 火 災 は 表 宮 殿 か ら 奥 宮 殿 に 延 焼 し 、 消 防 隊 だ け で は 消 火 困 難 で あ っ た の で 、 近 衛 師 団 も 消 火 に あ た っ た が 火 の 勢 い は 弱 ま ら ず 、 皇 居 内 の 建 物 の 2 8 , 5 2 0 m 2 の う ち 1 8 , 2 3 9 m 2 を 焼 失 し て 4 時 間 後 に よ う や く 鎮 火 し た 。 御 文 庫 附 属 庫 に 避 難 し て い た 昭 和 天 皇 と 香 淳 皇 后 は 無 事 で あ っ た が 、 宮 内 省 の 職 員 ら 34 名 と 近 衛 師 団 の 兵 士 21 名 が 死 亡 し た 。 ま た 、 こ の 日 に は 鈴 木 貫 太 郎 首 相 の 首 相 官 邸 も 焼 失 し 、 鈴 木 は 防 空 壕 に 避 難 し た が 、 防 空 壕 か ら 皇 居 が 炎 上 し て い る の を 確 認 す る と 、 防 空 壕 の 屋 根 に 登 っ て 、 涙 を ぬ ぐ い な が ら 炎 上 す る 皇 居 を 拝 し て い る 。 ま た 、 阿 南 惟 幾 陸 軍 大 臣 が 責 任 を と っ て 辞 職 を 申 し 出 た が 、 昭 和 天 皇 が 慰 留 し た た め 、 思 い と ど ま っ て い る 。 皇 居 は 1 9 4 5 年 7 月 20 日 に 、 原 子 爆 弾 投 下 の 演 習 と し て 全 国 各 地 に 投 下 さ れ て い た パ ン プ キ ン 爆 弾 の 目 標 と な っ て い る 。 こ の 日 、 パ ン プ キ ン 爆 弾 投 下 訓 練 の た め 東 京 を 飛 行 し て い た ク ロ ー ド ・ イ ー ザ リ ー 少 佐 操 縦 の ス ト レ ー ト フ ラ ッ シ ュ 号 で 、 副 航 空 機 関 士 ジ ャ ッ ク ・ ビ ヴ ァ ン ス の 提 案 に よ り 、 昭 和 天 皇 を 殺 害 す る た め に 攻 撃 が 禁 止 さ れ て い た 皇 居 を 目 標 と す る こ と に し た 。 し か し 、 皇 居 の 上 空 に は 雲 が 立 ち 込 め て お り 、 レ ー ダ ー 照 準 で の 爆 撃 と な っ た の で 、 パ ン プ キ ン 爆 弾 は 八 重 洲 口 側 の 皇 居 の 堀 に 着 弾 し て 、 死 者 1 人 と 負 傷 者 62 人 を 出 し た 。 日 本 の ラ ジ オ 放 送 で 皇 居 爆 撃 の 事 実 を 知 っ た 爆 撃 団 司 令 部 に よ り イ ー ザ リ ー ら は 厳 し く 叱 責 さ れ た が 、 原 子 爆 弾 投 下 任 務 か ら 外 さ れ る こ と は な か っ た 。
日 本 の 大 都 市 を 破 壊 し つ く し た ル メ イ は 、 目 標 を 人 口 10 万 人 か ら 20 万 人 の 中 小 都 市 58 に 対 す る 焼 夷 弾 攻 撃 を 行 う こ と と し た 。 こ の 作 戦 は 6 月 17 日 に 開 始 さ れ て 、 鹿 児 島 、 大 牟 田 、 浜 松 、 四 日 市 、 豊 橋 、 福 岡 、 静 岡 、 富 山 な ど が 目 標 と な り 終 戦 ま で 続 け ら れ た 。 こ の こ ろ に な る と 日 本 国 民 は ア メ リ カ 軍 の ど の 兵 器 よ り も B - 2 9 を 恐 れ る よ う に な っ て お り 、 上 智 大 学 の 神 父 と し て 日 本 に 在 住 し 、 日 本 人 と の 親 交 が 深 か っ た ブ ル ー ノ ・ ビ ッ テ ル に よ れ ば ﹁ 日 本 国 民 の 全 階 層 に わ た っ て 、 敗 戦 の 意 識 が 芽 生 え 始 め る よ う に な っ た の は 、 B - 2 9 の 大 空 襲 に よ っ て で あ っ た ﹂ と 証 言 し て い る 。 戦 後 に ア メ リ カ 軍 に よ る 戦 略 爆 撃 の 効 果 を 調 査 し た 米 国 戦 略 爆 撃 調 査 団 が 、 日 本 の 戦 争 指 導 者 や 一 般 国 民 に 調 査 し た と こ ろ 、 日 本 が 戦 争 に 敗 北 す る と 認 識 し た 国 民 の 割 合 に つ い て は 、 1 9 4 4 年 6 月 ま で は わ ず か 国 民 の 2 % に 過 ぎ な か っ た が 、 1 9 4 5 年 3 月 10 日 の 空 襲 以 降 に 19 % 、 そ の 後 空 襲 が 激 化 し た 1 9 4 5 年 6 月 に は 46 % に 跳 ね 上 が り 、 終 戦 直 前 に 68 % と な っ て い た [ 1 3 9 ] 。
日 本 軍 に よ る 迎 撃 [ 編 集 ]
八 八 式 七 糎 野 戦 高 射 砲 。 旧 式 で 射 高 不 足 な が ら 、 低 空 で 爆 撃 す る B - 2 9 に は 効 果 が あ っ た 。 写 真 は 1 9 4 0 年 満 州 の も の
5 月 24 日 に は 、 前 回 の 東 京 大 空 襲 と 同 じ 轍 を 踏 む ま い と 、 日 本 陸 海 軍 の 首 都 防 空 を 担 う 第 10 飛 行 師 団 と 第 三 〇 二 海 軍 航 空 隊 と 横 浜 海 軍 航 空 隊 が 全 力 で 迎 撃 し 、 迎 撃 機 の 総 数 は 1 4 0 機 に も な っ た 。 な か で も 飛 行 第 64 戦 隊 ︵ い わ ゆ る ﹁ 加 藤 隼 戦 闘 隊 ﹂ ︶ で 中 隊 長 と し て 勇 名 を は せ た 黒 江 保 彦 少 佐 が 四 式 戦 闘 機 ﹁ 疾 風 ﹂ で 3 機 の B - 2 9 撃 墜 を 記 録 す る な ど 、 陸 軍 23 機 、 海 軍 7 機 の 合 計 30 機 の 撃 墜 を 報 じ た 。 ︵ 高 射 砲 隊 の 戦 果 も 含 む ︶ ア メ リ カ 軍 側 の 記 録 で も 17 機 損 失 、 69 機 損 傷 と 大 き な 損 害 を 被 っ て い る 。 5 月 25 日 に は 、 日 本 軍 の 迎 撃 は さ ら に 激 烈 と な り 、 日 本 軍 側 は 47 機 撃 墜 を 報 じ 、 ア メ リ カ 軍 側 で も 26 機 損 失 1 0 0 機 損 傷 と B - 2 9 の 出 撃 の な か で 最 悪 の 損 害 を 被 る こ と に な っ た が 、 ア メ リ カ 軍 が 日 本 軍 に 撃 墜 さ れ た と 記 録 し て い る の は 対 空 火 器 で 撃 墜 さ れ た 3 機 の み で 、 対 空 砲 と 戦 闘 機 の 攻 撃 で 大 破 し 硫 黄 島 近 辺 で 放 棄 さ れ た 2 機 と 、 3 月 10 日 と 同 様 に 連 絡 つ か ず に 行 方 不 明 と な っ た 20 機 は 原 因 未 確 認 の 損 失 と さ れ て 、 ア メ リ カ 軍 の 記 録 上 は 日 本 軍 の 攻 撃 ︵ E n e m y A c t i o n ︶ に よ る 損 失 に は 含 ま れ て い な い 。
し か し 、 日 本 軍 側 に よ れ ば 、 第 3 0 2 海 軍 航 空 隊 だ け で 、 月 光 7 機 、 彗 星 ︵ 斜 銃 装 備 の 夜 間 戦 闘 機 型 ︶ 4 機 、 雷 電 5 機 、 零 戦 5 機 が 迎 撃 し て 、 B - 2 9 の 16 機 撃 墜 を 報 告 し [ 1 4 4 ] [ 1 4 5 ] 、 陸 軍 の 高 射 砲 も 5 月 25 日 の 1 日 だ け で 、 八 八 式 7 c m 野 戦 高 射 砲 7 , 3 1 6 発 、 九 九 式 8 c m 高 射 砲 6 , 1 1 9 発 、 三 式 1 2 c m 高 射 砲 1 , 0 4 1 発 、 合 計 1 4 , 4 7 6 発 の 高 射 砲 弾 を 消 費 す る な ど 激 し い 対 空 砲 火 を 浴 び せ て 、 海 軍 の 戦 果 も 合 わ せ て B - 2 9 合 計 47 機 撃 墜 を 記 録 し て お り 、 日 本 軍 側 の 戦 果 記 録 は 過 大 と は 言 え 、 原 因 未 確 認 の 損 失 の 中 の 大 部 分 は 日 本 軍 に よ り 撃 墜 し た も の と 推 定 さ れ る 。 こ の 日 に 出 撃 し た 航 空 機 関 士 チ ェ ス タ ー ・ マ ー シ ャ ル に よ れ ば 、 今 ま で の 25 回 の 出 撃 の 中 で 対 空 砲 火 が も っ と も 激 し く 探 照 灯 と の 連 携 も 巧 み で あ っ た と の こ と で 、 帰 還 後 に 26 機 が 撃 墜 さ れ た と 聞 か さ れ た B - 2 9 の 搭 乗 員 ら が 恐 れ を な し た と 著 書 に 記 述 し て い る 。
日 本 軍 は 探 知 だ け で は な く 火 器 管 制 レ ー ダ ー に つ い て も 配 備 を 進 め て お り 、 大 戦 初 期 に シ ン ガ ポ ー ル で 鹵 獲 し た イ ギ リ ス 軍 の G L M k . I I レ ー ダ ー ( 英 ) を デ ッ ド コ ピ ー し た り 、 ド イ ツ か ら ウ ル ツ ブ ル グ レ ー ダ ー の 技 術 供 与 を 受 け た り し て 、 ﹁ タ チ 1 号 ﹂ ・ ﹁ タ チ 2 号 ﹂ ・ ﹁ タ チ 3 号 ﹂ ・ ﹁ タ チ 4 号 ﹂ な ど の 電 波 標 定 機 を 開 発 し て 本 土 防 空 戦 に 投 入 し て い る 。 B - 2 9 が 作 戦 変 更 に よ り 夜 間 の 爆 撃 が 増 加 し た た め 、 日 本 軍 は 高 射 砲 と 探 照 灯 の 照 準 を 射 撃 管 制 レ ー ダ ー に 頼 る よ う に な っ た 。 各 高 射 砲 陣 地 に は ﹁ た 号 ﹂ ︵ タ チ の 略 称 ︶ が 設 置 さ れ て 、 レ ー ダ ー の 誘 導 で 射 撃 す る 訓 練 を 徹 底 し て 行 う よ う に な り 、 6 基 - 1 2 基 で 1 群 を 編 成 す る 探 照 灯 陣 地 に も レ ー ダ ー も し く は 聴 音 機 が 設 置 さ れ て 、 レ ー ダ ー や 聴 音 機 に 制 御 さ れ た 探 照 灯 が B - 2 9 を 照 射 す る と 、 他 の 探 照 灯 も そ の B - 2 9 を 照 射 し た 。
ア メ リ カ 軍 は 日 本 軍 の 射 撃 管 制 レ ー ダ ー が イ ギ リ ス 製 の も の を も と に 開 発 し て い る こ と を 掴 む と 、 そ の 対 抗 手 段 を 講 じ る こ と と し 、 B - 2 9 に ジ ャ ミ ン グ 装 置 を 装 備 し た 。 そ し て B - 2 9 に 搭 乗 し て ジ ャ ミ ン グ 装 置 を 操 作 す る 特 別 な 訓 練 を 受 け た 士 官 を ﹁ レ イ ヴ ン ﹂ ︵ ワ タ リ ガ ラ ス ︶ と 呼 ん だ 。 東 京 大 空 襲 以 降 の 作 戦 変 更 に よ り 、 B - 2 9 が 単 縦 陣 で 個 別 に 爆 弾 を 投 下 す る よ う に な る と 、 爆 弾 を 投 下 し よ う と す る B - 2 9 は 多 数 の 日 本 軍 火 器 管 制 レ ー ダ ー の 焦 点 と な っ て 、 機 体 個 別 の ジ ャ ミ ン グ で は 対 応 で き な く な っ た 。 そ こ で 、 ア メ リ カ 軍 は B - 2 9 数 機 を E C M 機 に 改 造 し て 、 専 門 的 に ジ ャ ミ ン グ を 行 わ せ る こ と と し た 。 そ の B - 2 9 に は 18 基 に も の ぼ る 受 信 ・ 分 析 ・ 妨 害 装 置 が 搭 載 さ れ た が 、 機 体 の あ ら ゆ 方 向 に ア ン テ ナ が 突 き 出 し て お り 、 そ の 形 状 か ら ﹁ ヤ マ ア ラ シ ﹂ と 呼 ば れ る こ と と な っ た 。 ヤ マ ア ラ シ は 、 1 回 の 作 戦 ご と に 10 機 以 上 が 真 っ 先 に 目 標 に 到 着 し て 、 熟 練 し た レ イ ヴ ン の 操 作 に よ り 電 波 妨 害 を し て 探 照 灯 や 高 射 砲 を 撹 乱 、 聴 音 機 に 対 し て は エ ン ジ ン の 回 転 数 を ず ら し て エ ン ジ ン 特 性 を 欺 瞞 す る な ど 、 日 本 軍 防 空 陣 と B - 2 9 の 間 で 激 し い 駆 け 引 き が 行 わ れ て い た 。
こ の 東 京 へ の 2 回 の 爆 撃 で B - 2 9 は 今 ま で で 最 悪 の 43 機 を 損 失 、 1 6 9 機 が 損 傷 を 被 る と い う 大 き な 損 害 を 被 っ た 。 ル メ イ は 爆 撃 が 甚 大 な 損 害 を 与 え て い る の だ か ら 、 B - 2 9 の 損 害 は 当 然 で あ る と 考 え て い た 。 し か し 、 第 20 空 軍 司 令 部 で は B - 2 9 の 損 失 増 加 を 懸 念 し て 対 策 を 講 じ る よ う に 指 示 し て き た の で 、 ル メ イ は 5 月 29 日 の 横 浜 へ の 大 規 模 焼 夷 弾 攻 撃 ︵ 横 浜 大 空 襲 ︶ の さ い に は 、 B - 2 9 の 4 5 4 機 に 硫 黄 島 に 展 開 す る P - 5 1 D 1 0 1 機 を 護 衛 に つ け た 。 次 い で 6 月 1 日 の B - 2 9 の 4 5 4 機 に よ る 神 戸 と 大 阪 の 大 規 模 焼 夷 弾 攻 撃 に も P - 5 1 の 護 衛 を 出 撃 さ せ た が 、 離 陸 直 後 に 暴 風 圏 に ぶ つ か っ て 、 P - 5 1 が 一 度 に 27 機 も 墜 落 し て い る 。 編 隊 で 計 器 飛 行 が で き な い P - 5 1 に 対 し て は 、 B - 2 9 が 航 法 誘 導 す る 必 要 が あ り 、 ル メ イ は 護 衛 戦 闘 機 は 足 手 ま と い ぐ ら い に 考 え て い た 。 B - 2 9 は 搭 載 し て い る 防 御 火 器 で 日 本 軍 機 に 十 分 対 抗 で き る た め 、 狭 い 硫 黄 島 の 飛 行 場 に 多 く の 戦 闘 機 を 置 く の は 勿 体 な く 、 戦 闘 機 を 減 ら し て 、 B - 2 9 を 配 置 す べ き と も 考 え て い た が 、 P - 5 1 の 護 衛 に よ り 、 そ れ ま で B - 2 9 迎 撃 の 主 力 で あ っ た 陸 軍 ﹁ 屠 龍 ﹂ 海 軍 ﹁ 月 光 ﹂ な ど の 運 動 性 能 が 低 い 双 発 戦 闘 機 は 使 用 で き な く な り 、 単 発 戦 闘 機 の 迎 撃 も 一 段 と 困 難 に な っ て し ま っ た 。 さ ら に 、 P - 5 1 が B - 2 9 の 護 衛 と し て 多 数 飛 来 す る 頃 に は 、 大 本 営 は 敵 本 土 上 陸 部 隊 へ の 全 機 特 攻 戦 法 へ の 航 空 機 確 保 が 優 先 し 防 空 戦 闘 を 局 限 す る 方 針 を と っ て い る 。 具 体 的 な 運 用 と し て は 、 損 害 が 増 大 す る 敵 小 型 機 ︵ 戦 闘 機 ︶ へ の 迎 撃 は 原 則 抑 制 し た た め 、 B - 2 9 へ の 戦 闘 機 に よ る 迎 撃 は B - 2 9 に P - 5 1 の 護 衛 が な く 有 利 な 状 況 の 時 に 限 る 方 針 と な り 日 本 軍 機 の 迎 撃 は 極 め て 低 調 で 、 日 本 軍 戦 闘 機 か ら の B - 2 9 の 損 害 は 激 減 し て い る 。 そ れ で も 、 ア メ リ カ 陸 軍 航 空 軍 の 統 計 に よ れ ば 、 B - 2 9 の 太 平 洋 戦 争 ︵ 大 東 亜 戦 争 ︶ に お け る 延 べ 出 撃 数 に 対 す る 戦 闘 損 失 率 は 1 . 3 2 % と さ れ て い る が [ 1 5 8 ] 、 東 京 に 対 す る 空 襲 に お い て は 損 失 率 が 跳 ね 上 が り 3 . 3 % と な っ て お り 、 首 都 圏 で 日 本 軍 は 奮 戦 し て い た 。 一 方 で 、 同 じ 枢 軸 国 ド イ ツ の 首 都 ベ ル リ ン 空 襲 に お け る ア メ リ カ 軍 と イ ギ リ ス 軍 爆 撃 機 の 損 失 率 は 6 . 6 % と 東 京 空 襲 の 2 倍 の 損 失 率 で 、 B - 2 9 の 高 性 能 さ と 日 本 軍 の 防 空 戦 闘 能 力 の 脆 弱 さ を 如 実 に 表 し て お り 、 も は や 日 本 軍 に B - 2 9 を 押 し と ど め る 力 は 残 っ て い な い こ と が 明 ら か に な っ た 。
「戦災により亡くなられた方々の碑」台東区 浅草 七丁目一番
身元不明の犠牲者の遺骨は関東大震災 の犠牲者を祀った「震災記念堂」に合わせて納められた。このため1951年には、震災記念堂から東京都慰霊堂 に名称が改められた。慰霊堂では毎年3月10日に追悼行事が行われているほか、隣接する東京都復興記念館 に関東大震災および東京大空襲についての展示がある。この他、大規模被災地域には、主に住民の手による慰霊碑が数多く設置されている。
東 京 都 は 1 9 9 0 年 ︵ 平 成 2 年 ︶ 、 空 襲 犠 牲 者 を 追 悼 し 平 和 を 願 う こ と を 目 的 と し て 、 3 月 10 日 を ﹁ 東 京 都 平 和 の 日 ﹂ と す る こ と を 条 例 で 定 め た 。 東 京 都 で は 墨 田 区 の 横 網 町 公 園 に ﹁ 東 京 空 襲 犠 牲 者 を 追 悼 し 平 和 を 祈 念 す る 碑 ﹂ を 設 置 し 、 遺 族 な ど か ら の 申 し 出 に よ り 判 明 し た 1 9 4 2 年 か ら 1 9 4 5 年 の 空 襲 犠 牲 者 の 犠 牲 者 名 簿 ︵ 2 0 1 3 年 3 月 時 点 で 7 9 9 4 1 名 が 登 載 ︶ を 納 め て い る [ 2 6 ] 。 2 0 1 9 年 3 月 現 在 、 8 1 1 4 7 名 登 載 [ 8 ] 。 2 0 2 0 年 3 月 に 8 1 , 2 7 3 名 登 載 [ 1 6 1 ] 。 東 京 都 は 名 簿 へ の 登 載 を 受 け 付 け て い る 。 ( 受 付 に つ い て 東 京 都 生 活 文 化 局 東 京 空 襲 犠 牲 者 名 簿 )
毎 年 、 横 網 町 公 園 は 、 大 法 要 が 行 わ れ る 3 月 10 日 ( 東 京 都 平 和 の 日 ) と 9 月 1 日 に は 東 京 空 襲 犠 牲 者 名 簿 が 納 め ら れ て い る ﹁ 東 京 空 襲 犠 牲 者 を 追 悼 し 平 和 を 祈 念 す る 碑 ﹂ の 内 部 を 公 開 し て い る [ 1 6 1 ] 。
関 連 文 献 [ 編 集 ]
● 木 村 豊 ﹁ 空 襲 の 犠 牲 者 ・ 死 者 を 想 起 す る : ﹁ せ め て 名 前 だ け で も ﹂ と い う 語 り を 通 し て ﹂ ﹃ 慶 應 義 塾 大 学 大 学 院 社 会 学 研 究 科 紀 要 ﹄ 第 69 号 、 慶 應 義 塾 大 学 大 学 院 社 会 学 研 究 科 、 2 0 1 0 年 、 1 5 - 3 3 頁 、 I S S N 0 9 1 2 4 5 6 X 、 N A I D 1 2 0 0 0 2 7 9 1 5 2 4 。
補 償 問 題 [ 編 集 ]
2 0 0 7 年 3 月 9 日 、 ﹁ 東 京 空 襲 犠 牲 者 遺 族 会 ﹂ の 被 災 者 ・ 犠 牲 者 の 遺 族 1 1 2 人 ︵ 平 均 年 齢 74 歳 ︶ は 、 日 本 政 府 に 対 し 、 謝 罪 お よ び 総 額 12 億 3 , 2 0 0 万 円 の 損 害 賠 償 を 求 め て 東 京 地 方 裁 判 所 に 集 団 提 訴 を 行 っ た [ 1 6 2 ] 。 ア メ リ カ 軍 の 空 襲 に よ る 民 間 の 被 害 者 が 集 団 と な っ て 日 本 国 に 責 任 を 問 う の は 初 。 目 的 は 、 旧 軍 人 ・ 軍 属 が 国 家 補 償 を 受 け て い る の に 対 し て 国 家 総 動 員 法 に よ っ て 動 員 さ れ た 民 間 人 は 補 償 が 行 わ れ て い な い こ と を 理 由 に 、 ﹁ 東 京 空 襲 が 国 際 法 違 反 の 無 差 別 絨 毯 爆 撃 だ っ た こ と を 裁 判 所 に 認 め さ せ 、 誤 っ た 国 策 に よ り 戦 争 を 開 始 し た 政 府 の 責 任 を 追 及 す る ﹂ こ と で あ る 。 法 的 根 拠 は 、 ハ ー グ 陸 戦 条 約 3 条 違 反 の 無 差 別 攻 撃 で あ っ た 東 京 大 空 襲 を 行 っ た ア メ リ カ 政 府 に 対 し て 被 災 者 は 損 害 賠 償 請 求 権 が あ る が 、 日 本 政 府 は サ ン フ ラ ン シ ス コ 平 和 条 約 に よ り 空 襲 被 害 に つ い て 外 交 保 護 権 を 放 棄 し た 。 こ れ は 憲 法 17 条 の 公 務 員 の 不 法 行 為 に 該 当 す る 、 ま た 戦 時 災 害 保 護 法 に よ っ て 国 は 救 済 義 務 を 負 っ て い る が 懈 怠 し た 、 な ど と い う も の だ っ た 。 な お 、 2 0 0 6 年 に は 日 本 軍 に よ る 重 慶 爆 撃 に 対 す る 謝 罪 と 賠 償 を 求 め た 重 慶 大 爆 撃 賠 償 請 求 訴 訟 が 開 始 し て い る 。
2 0 0 9 年 12 月 14 日 の 1 審 判 決 で 請 求 棄 却 [ 1 6 3 ] 。 原 告 側 は 控 訴 し た が 控 訴 棄 却 。 2 0 1 3 年 5 月 9 日 に 最 高 裁 が 原 告 側 の 上 告 を 棄 却 し 、 原 告 側 の 全 面 敗 訴 が 確 定 し た [ 1 6 4 ] 。 棄 却 理 由 の 中 で 、 空 襲 被 害 者 救 済 は 裁 判 所 で は 判 断 が 出 せ ず 、 国 会 が 立 法 で 行 う と し た 点 に つ い て 、 敗 訴 し た 原 告 側 弁 護 団 も ﹁ 国 民 の 受 忍 限 度 と し た 旧 来 の 判 断 か ら 踏 み 込 ん だ ﹂ と し て 評 価 し た [ 1 6 5 ] 。
2 0 1 0 年 8 月 14 日 、 日 本 政 府 が 空 襲 被 害 者 に 補 償 を 行 う ﹁ 空 襲 被 害 者 等 援 護 法 ﹂ の 制 定 を 目 指 し た ﹁ 全 国 空 襲 被 害 者 連 絡 協 議 会 ﹂ が 結 成 [ 1 6 6 ] 。 2 0 1 1 年 6 月 15 日 に は 、 超 党 派 の 議 員 連 盟 ﹁ 空 襲 被 害 者 等 援 護 法 を 実 現 す る 議 員 連 盟 ﹂ が 設 立 さ れ た [ 1 6 7 ]
朝 鮮 人 被 害 者 に つ い て は 体 験 者 の 証 言 か ら 当 時 の 状 況 を 記 録 す る 運 動 も あ り [ 1 6 8 ] 、 さ ら に 、 朝 鮮 人 強 制 連 行 に よ っ て 東 京 に 強 制 連 行 さ れ た 朝 鮮 人 が 東 京 大 空 襲 の 被 害 に あ っ た と 主 張 す る 朝 鮮 人 強 制 連 行 被 害 者 ・ 遺 族 協 会 も 2 0 0 8 年 に 報 告 書 を 発 表 し て い る [ 1 6 9 ] 。 報 告 書 で は 、 東 京 で の 朝 鮮 人 強 制 労 働 犯 罪 、 そ し て 東 京 大 空 襲 に よ る 朝 鮮 人 強 制 連 行 被 害 者 の 惨 状 な ど が 報 告 さ れ た [ 9 8 ] 。 朝 鮮 新 報 は 2 0 0 8 年 6 月 6 日 記 事 で ﹁ 日 帝 は 、 空 襲 が あ っ た 後 に 天 皇 が こ の 地 域 を 訪 れ る と い う 口 実 を 設 け て 、 朝 鮮 人 ら 死 者 に 対 す る 身 元 調 査 す ら し な い ま ま 、 67 カ 所 の 公 園 と 寺 院 、 学 校 の 運 動 場 な ど に 土 葬 し 、 後 で 掘 り 起 こ し て 合 葬 す る な ど 、 息 を 引 き 取 っ た 朝 鮮 人 の 遺 骨 を 自 分 勝 手 に む ち ゃ く ち ゃ に 処 理 す る 反 人 倫 的 な 蛮 行 を 働 い た ﹂ ﹁ 東 京 大 空 襲 で 多 数 の 朝 鮮 人 が 犠 牲 に な っ た の は 、 全 的 に 旧 日 本 政 府 と 軍 部 の 対 朝 鮮 軍 事 的 占 領 に 起 因 す る ﹂ と し 、 日 本 政 府 は 被 害 者 の 遺 骨 を 遺 族 に 送 る べ き だ っ た し 、 さ ら に 南 北 朝 鮮 を 差 別 し て 北 朝 鮮 に は 一 切 の 遺 骨 が 返 還 さ れ て お ら ず 、 こ れ は 国 際 人 道 法 と 日 本 の 刑 法 に 違 反 し て い る 重 大 な 人 権 侵 害 犯 罪 と し 、 徹 底 的 に 謝 罪 と 賠 償 を 早 急 に 講 じ る べ き と 主 張 し て い る [ 9 8 ] 。
戦争犯罪問題 [ 編集 ]
空 襲 は 、 建 前 で は 軍 施 設 や 軍 需 産 業 に 対 す る 攻 撃 だ が 、 東 京 大 空 襲 は 東 京 そ の も の の 殲 滅 を 目 的 と す る 無 差 別 爆 撃 で 多 数 の 非 戦 闘 員 た る 民 間 人 が 犠 牲 に な っ て お り 、 戦 争 犯 罪 で は な い か と の 指 摘 も 強 く 、 2 0 0 7 年 の 東 京 大 空 襲 訴 訟 で も 無 差 別 攻 撃 は ハ ー グ 陸 戦 条 約 3 条 違 反 と い う 主 張 が な さ れ た 。 第 一 次 世 界 大 戦 後 の 1 9 2 2 年 、 ハ ー グ 空 戦 規 則 が 採 択 さ れ 、 軍 事 目 標 以 外 の 民 間 人 の 損 傷 を 目 的 と し た 無 差 別 空 爆 は 禁 止 さ れ て い た 。
日 本 政 府 は 、 サ ン フ ラ ン シ ス コ 平 和 条 約 に よ り 賠 償 請 求 権 を 放 棄 し て い る 。
国 内 法 で も 軍 人 、 軍 属 と そ の 遺 族 へ の 特 別 援 護 政 策 が 採 ら れ た 一 方 で 、 非 軍 人 に 対 し て は 不 十 分 な 対 策 し か 講 じ ら れ て い な い と し て 議 論 が あ る 。
1 9 6 4 年 12 月 4 日 、 日 本 本 土 爆 撃 を 含 む 対 日 無 差 別 爆 撃 を 指 揮 し た 米 空 軍 司 令 官 カ ー チ ス ・ ル メ イ 大 将 に 対 し 、 第 1 次 佐 藤 内 閣 が 勲 一 等 旭 日 章 の 叙 勲 を 閣 議 決 定 す る [ 1 7 1 ] 。 理 由 は 航 空 自 衛 隊 育 成 の 協 力 で 、 授 与 は 7 日 に 行 わ れ た [ 1 7 2 ] 。
当 時 非 難 の 声 が あ り 国 会 で 追 及 さ れ た が 、 佐 藤 栄 作 首 相 は ﹁ 今 は ア メ リ カ と 友 好 関 係 に あ り 、 功 績 が あ る な ら ば 過 去 は 過 去 と し て 功 に 報 い る の が 当 然 、 大 国 の 民 と は い つ ま で も と ら わ れ ず 今 後 の 関 係 、 功 績 を 考 え て 処 置 し て い く べ き も の ﹂ と 答 え る 。 小 泉 純 也 防 衛 庁 長 官 も ﹁ 功 績 と 戦 時 の 事 情 は 別 個 に 考 え る も の ﹂ と 答 え て い る [ 1 7 3 ] 。 勲 一 等 の 授 与 は 天 皇 親 授 が 通 例 だ が 、 昭 和 天 皇 は ル メ イ と 面 会 す る こ と は な か っ た 。 N H K 取 材 で は 戦 争 責 任 に つ い て の 問 い に ル メ イ は 勲 章 を 示 し て 見 せ た [ 1 7 4 ] 。
爆 撃 直 後 に ル メ イ は ﹁ 近 代 航 空 戦 史 で 画 期 的 な で き ご と と な っ た ﹂ と 空 襲 の 成 果 に 胸 を は っ た が 、 民 間 人 の 大 量 虐 殺 に つ い て は 、 ﹁ 幸 せ な 気 分 に な れ な か っ た ﹂ と し つ つ も 、 日 本 軍 が フ ィ リ ピ ン で ア メ リ カ 兵 や フ ィ リ ピ ン の 民 間 人 に 対 し て 行 っ た と さ れ る 残 虐 行 為 を 引 き 合 い に 出 し て 、 ﹁ ︵ 大 量 虐 殺 が ︶ 私 の 決 心 を 何 ら 鈍 ら せ な か っ た ﹂ と 回 想 し た り 、 ﹁ 我 々 は 軍 事 目 標 を 狙 っ て い た 。 単 な る 殺 戮 の た め に 民 間 人 を 殺 戮 す る 目 的 な ど は な か っ た … 我 々 が 黒 焦 げ に し た タ ー ゲ ッ ト の 一 つ に 足 を 向 け て み れ ば 、 ど の 家 の 残 骸 か ら も ボ ー ル 盤 が 突 き 出 て い る の が 見 え た は ず だ 。 国 民 全 員 が 戦 争 に 従 事 し 、 飛 行 機 や 弾 薬 を 造 る た め に 働 い て い た の だ … 大 勢 の 女 性 や 子 供 を 殺 す こ と に な る の は わ か っ て い た 、 だ が 、 我 々 は や ら ね ば な ら な か っ た ﹂ と 当 時 の 日 本 工 業 生 産 の 特 徴 で も あ っ た 家 内 工 業 の シ ス テ ム の 破 壊 が 目 的 で あ り 、 仕 方 な か っ た と も 述 べ て い る 。
ま た 、 ル メ イ は 日 本 爆 撃 に 道 徳 的 な 考 慮 は 影 響 し た か と 質 問 さ れ 、 ﹁ 当 時 日 本 人 を 殺 す こ と に つ い て た い し て 悩 み は し な か っ た 。 私 が 頭 を 悩 ま せ て い た の は 戦 争 を 終 わ ら せ る こ と だ っ た ﹂ ﹁ も し 戦 争 に 敗 れ て い た ら 私 は 戦 争 犯 罪 人 と し て 裁 か れ て い た だ ろ う 。 幸 運 な こ と に わ れ わ れ は 勝 者 に な っ た ﹂ ﹁ 答 え は “ イ エ ス ” だ 。 軍 人 は 誰 で も 自 分 の 行 為 の 道 徳 的 側 面 を 多 少 は 考 え る も の だ 。 だ が 、 戦 争 は 全 て 道 徳 に 反 す る も の な の だ ﹂ と 答 え た [ 1 7 7 ] 。 ル メ イ は ﹁ 我 々 は 日 本 降 伏 を 促 す 手 段 と し て 火 災 し か な か っ た の だ ﹂ と も 述 懐 し て い る [ 9 7 ] 。 兵 士 に 向 け て は ﹁ 戦 争 と は ど ん な も の か 教 え て や ろ う 。 君 た ち は 人 間 を 殺 さ な け れ ば な ら な い 。 そ し て 、 で き る だ け 多 く 殺 し た と き に 、 敵 は 戦 い を や め る の だ ﹂ と も 語 っ て い る 。
日 本 本 土 爆 撃 に 関 し て 、 ル メ イ は 人 道 に 反 す る こ と を 知 り つ つ も 戦 争 に お け る 必 要 性 を 優 先 し 現 場 で 効 果 的 な 戦 術 を 考 案 し 実 行 し た 責 任 が あ る が 、 爆 撃 は 航 空 軍 司 令 官 ヘ ン リ ー ・ ア ー ノ ル ド に 命 じ ら れ た 任 務 で あ り 、 ル メ イ の 役 割 が 誇 大 に 語 ら れ る 傾 向 が あ る 。 ル メ イ の 就 任 で B - 2 9 の 攻 撃 法 が 夜 間 中 心 に 変 わ っ た が 、 都 市 爆 撃 ︵ 無 差 別 爆 撃 ︶ の 枠 組 み は 、 統 合 参 謀 本 部 の 決 定 、 焼 夷 弾 攻 撃 の 準 備 、 東 京 や 名 古 屋 で の ハ ン セ ル に よ る 無 差 別 爆 撃 の 試 行 な ど ル メ イ 就 任 前 か ら 進 め ら れ て い た [ 1 8 0 ] 。
2 0 1 3 年 5 月 7 日 、 第 2 次 安 倍 内 閣 は 東 京 大 空 襲 に つ い て の 答 弁 書 を 閣 議 決 定 し た [ 1 8 1 ] 。 答 弁 書 で は 、 ﹁ 国 際 法 の 根 底 に あ る 基 本 思 想 の 一 つ た る 人 道 主 義 に 合 致 し な い ﹂ 点 を 強 調 す る 一 方 、 ﹁ 当 時 の 国 際 法 に 違 反 し て 行 わ れ た と は 言 い 切 れ な い ﹂ と も 指 摘 し 、 ア メ リ カ 合 衆 国 へ の 直 接 的 な 批 判 は 事 実 上 避 け て い る [ 1 8 1 ] 。
空 襲 の 一 覧 [ 編 集 ]
1 9 4 4 年 [ 編 集 ]
11 月 [ 編 集 ]
● 1 9 4 4 年 11 月 24 日 に 1 1 1 機 の B - 2 9 に よ る 北 多 摩 郡 武 蔵 野 町 の 中 島 飛 行 機 武 蔵 製 作 所 、 江 戸 川 区 、 荏 原 区 、 品 川 区 、 杉 並 区 、 保 谷 町 、 小 金 井 町 、 久 留 米 村 、 東 京 港 な ど に 対 す る 初 の 戦 略 爆 撃 と し て の 空 襲 ︵ サ ン ・ ア ン ト ニ オ 1 号 作 戦 ︶ を 行 っ た [ 2 6 ] [ 6 3 ] 。 死 者 2 2 4 人 [ 2 6 ] 。 こ れ 以 降 ア メ リ カ 軍 は 1 9 4 5 年 2 月 ま で 各 回 7 0 - 8 0 機 程 2 、 死 者 32 人 [ 2 6 ] 。 当 時 軍 用 地 だ っ た 浜 離 宮 も 空 襲 さ れ た [ 1 8 2 ] 。
● 1 9 4 4 年 11 月 30 日 、 芝 区 、 麻 布 区 、 日 本 橋 区 、 葛 飾 区 空 襲 [ 2 6 ] 。 日 本 橋 区 へ の 初 め て 空 襲 [ 1 8 2 ] 。
12 月 [ 編 集 ]
● 1 9 4 4 年 12 月 3 日 、 杉 並 区 、 板 橋 区 、 江 戸 川 区 、 滝 野 川 区 、 北 多 摩 郡 武 蔵 野 町 空 襲 。 死 者 1 8 4 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 4 年 12 月 6 日 、 江 戸 川 区 空 襲 。 死 者 3 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 4 年 12 月 10 日 、 麹 町 区 、 城 東 区 、 浅 草 区 、 江 戸 川 区 空 襲 。 死 者 1 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 4 年 12 月 11 日 、 大 森 区 、 品 川 区 空 襲 。 死 者 1 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 4 年 12 月 12 日 、 豊 島 区 、 小 石 川 区 、 東 京 湾 空 襲 。 死 者 6 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 4 年 12 月 15 日 、 江 戸 川 区 空 襲 [ 2 6 ]
● 1 9 4 4 年 12 月 20 日 、 世 田 谷 区 空 襲 [ 2 6 ]
● 1 9 4 4 年 12 月 21 日 、 江 戸 川 区 空 襲 、 死 者 4 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 4 年 12 月 24 日 、 江 戸 川 区 空 襲 [ 2 6 ]
● 1 9 4 4 年 12 月 27 日 、 板 橋 区 、 中 野 区 、 杉 並 区 、 王 子 区 、 淀 橋 区 、 城 東 区 、 小 石 川 区 、 深 川 区 、 品 川 区 、 世 田 谷 区 、 葛 飾 区 、 麹 町 区 、 日 本 橋 区 、 京 橋 区 、 芝 区 、 麻 布 区 、 牛 込 区 、 北 多 摩 郡 武 蔵 野 町 、 保 谷 町 空 襲 。 死 者 51 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 4 年 12 月 30 日 、 浅 草 区 、 本 所 区 、 日 本 橋 区 空 襲 [ 2 6 ]
● 1 9 4 4 年 12 月 31 日 、 神 田 区 、 本 郷 区 、 下 谷 区 、 浅 草 区 、 本 所 区 、 向 島 区 空 襲 、 死 者 5 人 [ 2 6 ] 。
1 9 4 5 年 [ 編 集 ]
● 1 9 4 5 年 1 月 1 日 、 下 谷 区 、 浅 草 区 、 本 所 区 、 向 島 区 、 江 戸 川 区 空 襲 、 死 者 5 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 1 月 5 日 、 城 東 区 空 襲 、 死 者 3 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 1 月 9 日 、 麹 町 区 、 芝 区 、 牛 込 区 、 深 川 区 、 大 森 区 、 杉 並 区 、 板 橋 区 、 北 多 摩 郡 武 蔵 野 町 、 保 谷 町 、 田 無 町 空 襲 、 死 者 28 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 1 月 11 日 、 東 京 湾 空 襲 [ 2 6 ]
● 1 9 4 5 年 1 月 27 日 、 エ ン キ ン ド ル 3 号 作 戦 [ 6 3 ] 。 麹 町 区 、 日 本 橋 区 、 京 橋 区 、 麻 布 区 、 赤 坂 区 、 牛 込 区 、 小 石 川 区 、 荒 川 区 、 向 島 区 、 下 谷 区 、 本 所 区 、 深 川 区 、 王 子 区 、 葛 飾 区 、 江 戸 川 区 、 足 立 区 、 本 郷 区 、 浅 草 区 、 板 橋 区 、 中 野 区 、 杉 並 区 、 荏 原 区 、 渋 谷 区 、 北 多 摩 郡 小 金 井 町 、 南 多 摩 郡 元 八 王 子 村 、 恩 方 村 空 襲 、 死 者 5 3 9 人 [ 2 6 ] 。 エ ン キ ン ド ル 3 号 作 戦 で は 、 中 島 飛 行 機 武 蔵 製 作 所 を 狙 っ て 出 撃 し た 76 機 の B - 2 9 の う ち 56 機 が 有 楽 町 ・ 銀 座 地 区 へ 目 標 を 変 更 、 有 楽 町 駅 は 民 間 人 の 遺 体 で あ ふ れ た ︵ 銀 座 空 襲 ︶ [ 6 3 ] 。 京 橋 区 は 大 き な 被 害 を 受 け た [ 1 8 2 ] 。
● 1 9 4 5 年 1 月 28 日 、 蒲 田 区 、 本 郷 区 、 浅 草 区 、 荒 川 区 空 襲 、 死 者 15 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 1 月 29 日 、 葛 飾 区 、 伊 豆 諸 島 空 襲 [ 2 6 ]
● 1 9 4 5 年 2 月 2 日 、 城 東 区 、 下 谷 区 空 襲 、 死 者 4 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 2 月 9 日 、 深 川 区 、 王 子 区 、 京 橋 区 、 赤 坂 区 、 葛 飾 区 、 江 戸 川 区 、 渋 谷 区 空 襲 [ 2 6 ]
● 1 9 4 5 年 2 月 14 日 、 向 島 区 空 襲 、 死 者 47 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 2 月 15 日 、 八 丈 島 、 新 島 空 襲 [ 2 6 ] 。 米 空 母 機 動 部 隊 艦 載 機 に よ る 本 土 初 空 襲 ︵ ジ ャ ン ボ リ ー 作 戦 ︶ 。 関 東 の 軍 需 工 場 が 標 的 。
● 1 9 4 5 年 2 月 16 日 、 大 森 区 、 渋 谷 区 、 中 野 区 、 杉 並 区 、 蒲 田 区 、 板 橋 区 、 世 田 谷 区 、 葛 飾 区 、 牛 込 区 、 目 黒 区 、 北 多 摩 郡 調 布 町 、 八 丈 島 空 襲 、 死 者 3 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 2 月 17 日 、 赤 坂 区 、 大 森 区 、 淀 橋 区 、 中 野 区 、 杉 並 区 、 蒲 田 区 、 城 東 区 、 深 川 区 、 立 川 市 、 北 多 摩 郡 武 蔵 野 町 、 三 鷹 町 、 保 谷 町 、 神 代 町 、 大 和 村 、 砂 川 村 、 南 多 摩 郡 日 野 町 、 由 木 村 、 堺 村 、 西 多 摩 郡 五 日 市 町 空 襲 、 死 者 1 9 6 人 [ 2 6 ] 。 城 東 区 、 深 川 区 で は 死 者 15 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 2 月 19 日 、 神 田 区 、 京 橋 区 、 赤 坂 区 、 四 谷 区 、 本 郷 区 、 本 所 区 、 深 川 区 、 蒲 田 区 、 江 戸 川 区 、 荒 川 区 、 王 子 区 、 板 橋 区 、 世 田 谷 区 、 足 立 区 、 渋 谷 区 、 城 東 区 、 葛 飾 区 、 北 多 摩 郡 谷 保 村 、 神 代 村 、 西 府 村 空 襲 、 死 者 1 6 3 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 2 月 24 日 、 浅 草 区 、 下 谷 区 、 神 田 区 空 襲 、 死 者 1 0 2 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 2 月 25 日 、 ミ ー テ ィ ン グ ハ ウ ス 1 号 作 戦 。
● 1 9 4 5 年 2 月 26 日 、 荒 川 区 、 足 立 区 空 襲 [ 2 6 ]
● 1 9 4 5 年 3 月 4 日 、 豊 島 区 、 滝 野 川 区 、 城 東 区 、 向 島 区 、 杉 並 区 、 本 郷 区 、 葛 飾 区 、 足 立 区 、 深 川 区 、 荒 川 区 、 下 谷 区 、 江 戸 川 区 、 北 多 摩 郡 田 無 町 、 保 谷 町 、 府 中 町 、 久 留 米 村 空 襲 。 死 者 6 5 0 人 、 被 害 家 屋 4 0 8 5 戸 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 3 月 5 日 、 江 戸 川 区 、 城 東 区 、 目 黒 区 、 蒲 田 区 空 襲 。 死 者 2 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 3 月 7 日 、 八 丈 島 空 襲 、 死 者 1 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 3 月 10 日 、 ミ ー テ ィ ン グ ハ ウ ス 2 号 作 戦
( 東 京 大 空 襲 ・ 下 町 空 襲 ) 。 死 者 10 万 人 。 負 傷 者 1 0 0 万 人 。
1 9 4 5 年 の 戸 越 公 園 駅 。 空 襲 で 周 囲 が 焼 け 野 原 と 化 し て い る
● 1 9 4 5 年 3 月 14 日 、 新 島 空 襲 、 死 者 7 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 3 月 18 日 、 浅 草 区 空 襲 、 死 者 2 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 3 月 30 日 、 深 川 区 空 襲 、 死 者 6 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 3 月 31 日 、 四 谷 区 、 牛 込 区 空 襲 、 死 者 19 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 4 月 1 日 、 淀 橋 区 、 豊 島 区 空 襲 、 死 者 17 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 4 月 2 日 、 北 多 摩 郡 武 蔵 野 町 、 板 橋 区 、 杉 並 区 空 襲 、 死 者 2 2 0 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 4 月 4 日 、 淀 橋 区 、 下 谷 区 、 芝 区 、 向 島 区 、 深 川 区 、 品 川 区 、 大 森 区 、 荏 原 区 、 蒲 田 区 、 江 戸 川 区 、 世 田 谷 区 、 立 川 市 、 北 多 摩 郡 府 中 町 、 武 蔵 野 町 、 田 無 町 、 東 村 山 町 、 小 平 町 、 清 瀬 村 、 保 谷 村 、 久 留 米 村 、 拝 島 村 、 村 山 村 、 国 分 寺 町 、 三 鷹 町 、 昭 和 町 、 南 多 摩 郡 日 野 町 、 加 住 村 、 川 口 村 、 西 多 摩 郡 福 生 村 、 西 秋 留 村 空 襲 、 死 者 7 1 0 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 4 月 7 日 、 新 島 、 杉 並 区 、 四 谷 区 、 大 森 区 、 蒲 田 区 、 板 橋 区 、 世 田 谷 区 、 北 多 摩 郡 調 布 町 、 武 蔵 野 町 空 襲 。 死 者 44 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 4 月 12 日 、 杉 並 区 、 板 橋 区 、 荒 川 区 、 滝 野 川 区 、 北 多 摩 郡 武 蔵 野 町 、 大 和 村 、 保 谷 町 、 田 無 町 、 南 多 摩 郡 七 生 町 、 新 島 、 空 襲 。 死 者 94 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 4 月 13 日 - 4 月 14 日 、 城 北 大 空 襲 [ 1 8 3 ] 。 B 2 9 は 3 3 0 機 。 神 田 区 、 豊 島 区 ・ 渋 谷 区 ・ 向 島 区 ・ 深 川 区 、 淀 橋 区 、 小 石 川 区 、 四 谷 区 、 麹 町 区 、 滝 野 川 区 、 赤 坂 区 、 牛 込 区 、 荒 川 区 、 板 橋 区 、 中 野 区 、 王 子 区 ︵ 現 在 の 北 区 北 部 ︶ 、 足 立 区 、 本 郷 区 、 下 谷 区 、 葛 飾 区 、 日 本 橋 区 、 杉 並 区 、 江 戸 川 区 、 城 東 区 、 浅 草 区 空 襲 。 死 者 2 4 5 9 人 、 焼 失 17 万 1 3 7 0 戸 [ 2 6 ] 。 宮 城 御 所 も 被 害 に あ う [ 2 8 ] 。
● 1 9 4 5 年 4 月 15 日 - 4 月 16 日 、 八 丈 島 、 荏 原 区 、 大 森 区 、 品 川 区 、 目 黒 区 、 蒲 田 区 、 芝 区 、 麻 布 区 、 世 田 谷 区 、 渋 谷 区 、 向 島 区 、 日 本 橋 区 、 江 戸 川 区 空 襲 [ 2 6 ] 。 B 2 9 ・ 2 0 2 機 。 死 者 8 4 1 名 。 焼 失 5 万 8 7 4 戸 [ 2 6 ] 。 主 と し て 羽 田 ・ 大 森 ・ 荏 原 ・ 蒲 田 方 面 。 隣 接 し て い る 川 崎 市 も 同 時 に 空 襲 を 受 け た ︵ 城 南 京 浜 大 空 襲 ︶ 。 空 襲 ・ 機 銃 掃 射 を 受 け 死 傷 者 4 0 0 4 人 、 約 22 万 戸 も の 家 屋 を 焼 失 し た 。
● 1 9 4 5 年 4 月 18 日 、 北 多 摩 郡 府 中 町 空 襲 [ 2 6 ]
● 1 9 4 5 年 4 月 19 日 、 荏 原 区 、 目 黒 区 、 大 森 区 、 渋 谷 区 、 杉 並 区 、 世 田 谷 区 、 立 川 市 、 北 多 摩 郡 府 中 町 、 昭 和 町 、 大 和 村 、 三 鷹 町 、 小 平 町 空 襲 。 死 者 8 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 4 月 24 日 、 立 川 市 、 北 多 摩 郡 大 和 村 、 砂 川 村 、 小 平 町 、 東 村 山 町 、 昭 和 町 、 西 多 摩 郡 三 田 村 、 古 里 村 空 襲 。 死 者 2 4 6 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 4 月 25 日 、 北 多 摩 郡 砂 川 村 空 襲 [ 2 6 ]
● 1 9 4 5 年 4 月 28 日 - 4 月 29 日 、 北 多 摩 郡 昭 和 町 空 襲 [ 2 6 ]
● 1 9 4 5 年 4 月 30 日 、 立 川 市 、 北 多 摩 郡 昭 和 町 、 大 和 村 、 南 多 摩 郡 由 井 村 、 神 津 島 空 襲 [ 2 6 ]
1 9 4 5 年 5 月 25 日 の 空 襲 で 焼 失 し た 明 治 宮 殿
明 治 宮 殿 豊 明 殿 。 跡 地 に は 1 9 6 8 年 現 在 の 宮 殿 が 建 設 さ れ た 。
1 9 4 5 年 5 月 25 日 の 空 襲 を 受 け た 東 京 駅
東 京 駅 の プ ラ ッ ト ホ ー ム の 屋 根 も 焼 失 し た 。
● 1 9 4 5 年 5 月 1 日 、 八 丈 島 、 三 宅 島 空 襲 [ 2 6 ]
● 1 9 4 5 年 5 月 7 日 、 足 立 区 、 王 子 区 空 襲 [ 2 6 ]
● 1 9 4 5 年 5 月 12 日 、 足 立 区 空 襲 。 死 者 3 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 5 月 19 日 、 浅 草 区 、 荒 川 区 、 向 島 区 空 襲 。 死 者 10 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 5 月 20 日 、 東 京 湾 羽 田 沖
● 1 9 4 5 年 5 月 23 日 、 浅 草 区 、 麻 布 区
● 1 9 4 5 年 5 月 24 日 、 B 2 9 ・ 5 2 5 機 。 死 者 7 6 2 名 。 焼 失 6 万 5 千 戸 。 主 と し て 麹 町 ・ 麻 布 ・ 牛 込 ・ 本 郷 方 面 。 日 本 橋 区 、 浅 草 区 、 麹 町 区 、 麻 布 区 、 牛 込 区 、 本 郷 区 、 品 川 区 、 中 野 区 、 板 橋 区 、 四 谷 区 、 江 戸 川 区 、 京 橋 区 、 豊 島 区 、 蒲 田 区 、 荏 原 区 、 渋 谷 区 、 杉 並 区 、 赤 坂 区 、 世 田 谷 区 、 目 黒 区 、 芝 区 、 大 森 区 、 淀 橋 区 空 襲 [ 2 6 ] 。 死 者 7 6 2 人 、 被 害 家 屋 6 4 , 4 8 7 戸 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 5 月 25 日 、 山 の 手 に 4 7 0 機 も の B 2 9 が 来 襲 ︵ 山 の 手 大 空 襲 ︶ 。 死 者 3 6 5 1 名 。 焼 失 16 万 6 千 戸 。 主 と し て 中 野 ・ 四 谷 ・ 牛 込 ・ 麹 町 ・ 赤 坂 ・ 麻 布 、 芝 、 世 田 谷 、 渋 谷 区 、 青 山 通 り 方 面 。 目 黒 区 、 杉 並 区 、 小 石 川 区 、 本 郷 区 、 大 森 区 、 品 川 区 、 城 東 区 、 深 川 区 、 浅 草 区 、 葛 飾 区 、 荒 川 区 、 江 戸 川 区 、 滝 野 川 区 、 下 谷 区 、 京 橋 区 、 淀 橋 区 、 足 立 区 、 神 田 区 、 荏 原 区 、 豊 島 区 、 日 本 橋 区 、 王 子 区 、 板 橋 区 、 向 島 区 、 立 川 市 、 北 多 摩 郡 国 分 寺 町 、 調 布 町 、 三 鷹 町 、 田 無 町 、 小 平 町 、 谷 保 村 、 昭 和 町 、 砂 川 村 、 村 山 村 、 狛 江 村 、 多 磨 村 、 南 多 摩 郡 町 田 町 、 忠 生 村 、 鶴 川 村 、 稲 城 村 、 浅 川 町 、 西 多 摩 郡 大 久 野 村 、 平 井 村 、 西 多 摩 村 、 瑞 穂 町 、 調 布 村 空 襲 [ 2 6 ] 。 死 者 3 2 4 2 人 、 被 害 家 屋 1 5 6 , 4 3 0 戸 [ 2 6 ] 。 国 会 議 事 堂 周 辺 や 東 京 駅 、 皇 居 も 被 災 し 明 治 宮 殿 が 焼 失 し た [ 2 8 ] 。 御 文 庫 に 避 難 し て い た 昭 和 天 皇 と 香 淳 皇 后 は 無 事 だ っ た 。 死 傷 者 は 7 4 1 5 人 [ 要 出 典 ] と な っ た 。 ま た 東 京 陸 軍 刑 務 所 に 収 容 さ れ て い た 62 人 の ア メ リ カ 人 捕 虜 が 焼 死 し た ︵ 東 京 陸 軍 刑 務 所 飛 行 士 焼 死 事 件 ︶ 。
● 1 9 4 5 年 5 月 29 日 、 大 森 区 、 蒲 田 区 、 芝 区 、 品 川 区 、 目 黒 区 、 四 谷 区 、 牛 込 区 空 襲 で 死 者 41 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 5 月 31 日 、 大 島 空 襲 [ 2 6 ]
● 1 9 4 5 年 6 月 5 日 、 新 島 空 襲 [ 2 6 ] 。 6 月 9 日 、 八 丈 島 空 襲 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 6 月 10 日 、 板 橋 区 、 立 川 市 、 北 多 摩 郡 大 和 村 、 村 山 村 、 国 分 寺 町 空 襲 [ 2 6 ] 。 死 者 2 9 1 人 [ 2 6 ] 。 同 日 の 八 丈 島 空 襲 で は 死 者 2 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 6 月 11 日 、 杉 並 区 、 世 田 谷 区 、 北 多 摩 郡 昭 和 町 、 大 和 村 、 八 王 子 市 、 西 多 摩 郡 西 多 摩 村 空 襲 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 6 月 12 日 、 6 月 15 日 神 津 島 空 襲 、 6 月 19 日 神 津 島 と 式 根 島 空 襲 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 6 月 20 日 、 八 丈 島 空 襲 [ 2 6 ]
● 1 9 4 5 年 7 月 1 日 ︵ 死 者 5 人 ︶ 、 7 月 3 日 、 7 月 5 日 ︵ 死 者 3 人 ︶ 、 八 丈 島 空 襲 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 7 月 6 日 、 八 王 子 市 、 南 多 摩 郡 加 住 村 、 元 八 王 子 村 、 北 多 摩 郡 村 山 村 空 襲 [ 2 6 ] 。 死 者 4 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 7 月 8 日 、 板 橋 区 、 立 川 市 、 北 多 摩 郡 久 留 米 村 、 保 谷 村 、 昭 和 町 、 谷 保 村 、 南 多 摩 郡 元 八 王 子 村 、 浅 川 町 空 襲 [ 2 6 ] 。 死 者 4 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 7 月 9 日 、 北 多 摩 郡 空 襲 [ 2 6 ]
● 1 9 4 5 年 7 月 10 日 、 下 谷 区 、 板 橋 区 、 立 川 市 、 北 多 摩 郡 東 村 山 町 、 多 磨 村 、 調 布 町 、 西 多 摩 郡 福 生 町 、 新 島 空 襲 [ 2 6 ] 。 死 者 6 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 7 月 12 日 - 7 月 13 日 、 蒲 田 区 空 襲 [ 2 6 ] 。 死 者 16 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 7 月 13 日 、 新 島 空 襲 [ 2 6 ] 。 死 者 2 人 [ 2 6 ] 。
● ︵ 1 9 4 5 年 7 月 16 日 、 米 国 ニ ュ ー メ キ シ コ で 最 初 の 核 実 験 成 功 [ 1 8 4 ] ︶
● 1 9 4 5 年 7 月 19 日 、 江 戸 川 区 、 新 島 空 襲 [ 2 6 ] 。 死 者 1 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 7 月 20 日 、 東 京 駅 東 側 空 襲 [ 2 6 ] 。 死 者 1 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 7 月 27 日 、 新 島 空 襲 [ 2 6 ]
● 1 9 4 5 年 7 月 28 日 、 板 橋 区 、 渋 谷 区 、 城 東 区 、 三 鷹 町 、 南 多 摩 郡 横 山 村 、 元 八 王 子 村 、 西 多 摩 郡 西 秋 留 村 、 東 秋 留 村 、 霞 村 空 襲 [ 2 6 ] 。 死 者 4 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 7 月 29 日 、 北 多 摩 郡 保 谷 村 空 襲 [ 2 6 ] 。 死 者 3 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 7 月 30 日 、 西 多 摩 郡 西 秋 留 村 、 新 島 空 襲 [ 2 6 ] 。 死 者 1 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 8 月 1 日 - 8 月 2 日 、 八 王 子 空 襲 B 2 9 ・ 1 6 9 機 。 死 者 2 2 5 [ 2 6 ] - 4 7 3 人 [ 1 8 5 ] 。 焼 失 家 屋 1 4 , 1 4 7 戸 [ 2 6 ] 。 八 王 子 市 、 立 川 市 、 北 多 摩 郡 昭 和 町 、 砂 川 村 、 西 多 摩 郡 福 生 町 、 南 多 摩 郡 日 野 町 、 浅 川 町 、 横 山 村 、 元 八 王 子 村 、 川 口 村 、 恩 方 村 、 由 井 村 、 江 戸 川 区 空 襲 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 8 月 3 日 、 杉 並 区 、 滝 野 川 区 、 王 子 区 、 板 橋 区 空 襲 [ 2 6 ] 。 死 者 2 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 8 月 5 日 、 八 王 子 空 襲 [ 2 6 ] 。 死 者 52 人 [ 2 6 ] 。 P - 5 1 戦 闘 機 が 新 宿 発 長 野 行 き の 下 り 4 1 9 列 車 に 機 銃 掃 射 を か け 、 多 数 の 被 害 者 が 出 た 湯 の 花 ト ン ネ ル 列 車 銃 撃 事 件 が 発 生 。
● 1 9 4 5 年 8 月 7 日 、 大 島 空 襲 [ 2 6 ]
● 1 9 4 5 年 8 月 8 日 、 足 立 区 、 板 橋 区 、 北 多 摩 郡 武 蔵 野 町 、 新 島 空 襲 [ 2 6 ] 。 死 者 72 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 8 月 10 日 、 板 橋 区 、 王 子 区 、 滝 野 川 区 、 足 立 区 、 西 多 摩 郡 霞 村 、 多 西 村 空 襲 [ 2 6 ] 。 死 者 1 9 5 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 8 月 13 日 、 京 橋 区 、 蒲 田 区 、 大 森 区 、 品 川 区 、 荏 原 区 、 芝 区 、 下 谷 区 空 襲 [ 2 6 ] 。 死 者 29 人 [ 2 6 ] 。
● 1 9 4 5 年 8 月 15 日 、 西 多 摩 郡 青 梅 町 空 襲 [ 2 6 ]
死 傷 者 数 [ 編 集 ]
空 襲 に よ る 被 害 者 の 総 数 は 不 明 で あ る が 、 1 9 9 5 年 の 東 京 新 聞 調 査 で は 全 国 で 55 万 9 1 9 7 人 、 東 京 で 11 万 6 9 5 9 人 で あ っ た 。 8 万 3 7 9 3 名 が 死 亡 し た と す る 説 も あ る [ 1 8 6 ] [ 1 8 7 ] 。
死 亡 し た 著 名 人 [ 編 集 ]
1 9 4 5 年 5 月 25 日 の 空 襲 で 焼 失 し た 東 京 府 庁 舎 ︵ 1 9 3 0 年 代 ︶ 。 妻 木 頼 黄 設 計 で 1 8 9 4 年 完 工 。
空 襲 で 焼 失 し た 大 日 本 帝 国 陸 軍 参 謀 本 部 ︵ 明 治 末 期 撮 影
● 3 月 10 日 の 下 町 大 空 襲
● 太 田 仲 三 郎 ︵ 実 業 家 ︶
● 立 花 家 扇 遊 ︵ 色 物 芸 人 ︶
● 豊 嶌 雅 男 ︵ 大 相 撲 力 士 ︶
● 古 屋 慶 隆 ︵ 衆 議 院 議 員 ・ 元 内 務 省 政 務 次 官 ︶
● 枩 浦 潟 達 也 † ︵ 大 相 撲 力 士 ︶
● 琴 ヶ 浦 善 治 郎 ︵ 元 大 相 撲 力 士 ・ 世 話 人 ︶
● 西 岩 成 吉 ︵ 大 相 撲 年 寄 ︶
● 吉 村 操 ︵ 映 画 監 督 ︶
● 徳 三 宝 ︵ 柔 道 家 ︶
● 増 田 勇 ︵ 医 師 ・ ハ ン セ ン 病 先 覚 者 ︶
● 六 代 目 一 龍 斎 貞 山 ︵ 講 釈 師 ︶
● 初 代 吉 慶 堂 李 彩 ︵ 奇 術 師 ︶
● 天 野 喜 久 代 [ 要 出 典 ] ︵ 歌 手 ・ 女 優 ︶
● 山 岸 荷 葉 ︵ 小 説 家 ・ 書 家 ︶
● 河 井 荃 廬 ︵ 篆 刻 家 ︶
● 増 地 庸 治 郎 ︵ 経 営 学 者 ・ 東 京 商 科 大 学 教 授 兼 東 京 帝 国 大 学 教 授 ︶ [ 1 8 8 ]
● 寿 家 岩 て こ ︵ 大 神 楽 ・ 漫 才 師 ︶
● 柳 亭 左 喬 ︵ 落 語 家 ・ 漫 才 師 ︶
● 5 月 25 日 の 山 手 大 空 襲
● 石 井 菊 次 郎 † ︵ 元 外 務 大 臣 ︶
● 織 田 萬 ︵ 法 学 者 ︶
● 四 代 目 柳 家 枝 太 郎 ︵ 音 曲 師 ︶
● 柳 瀬 正 夢 ︵ 画 家 ︶
● 谷 口 恒 二 ︵ 前 大 蔵 次 官 , 日 本 銀 行 副 総 裁 ︶
● 安 藤 照 ︵ 彫 刻 家 ︶
● 加 藤 雄 策 ︵ 実 業 家 ・ 馬 主 空 襲 被 害 の 翌 日 に 死 去 ︶
● 野 村 無 名 庵 ︵ 演 芸 ・ 落 語 評 論 家 ︶
† 行 方 不 明 ︵ 死 亡 認 定 ︶
建 造 物 [ 編 集 ]
1 9 4 5 年 5 月 25 日 の 空 襲 で 焼 失 し た 東 京 駅 の 全 景 ︵ 1 9 4 5 年 撮 影 ︶
御 所 ・ 御 殿
● 宮 城 ︵ 1 9 4 5 年 4 月 13 日 空 襲 [ 2 8 ] ︶
● 賢 所 参 集 所 ︵ 1 9 4 5 年 4 月 13 日 空 襲 で 焼 失 [ 2 8 ] ︶
● 賢 所 仮 殿 ︵ 1 9 4 5 年 4 月 13 日 空 襲 で 焼 失 [ 2 8 ] ︶
● 御 羽 車 舎 ︵ 1 9 4 5 年 4 月 13 日 空 襲 で 焼 失 [ 2 8 ] ︶
● 進 修 館 ︵ 1 9 4 5 年 4 月 13 日 空 襲 で 焼 失 [ 2 8 ] ︶
● 明 治 宮 殿 ︵ 1 9 4 5 年 5 月 25 日 空 襲 [ 2 8 ] ︶
● 主 馬 寮 厩 仕 合 宿 所 ︵ 1 9 4 5 年 2 月 25 日 空 襲 [ 2 8 ] ︶
● 赤 坂 御 用 地 内 に あ る 各 宮 邸
● 大 宮 御 所 ︵ 1 9 4 5 年 2 月 25 日 、 5 月 25 日 空 襲 [ 2 8 ] ︶
● 秩 父 宮 御 殿 ︵ 1 9 4 5 年 2 月 25 日 、 5 月 25 日 空 襲 [ 2 8 ] ︶
● 東 宮 御 所 ︵ 1 9 4 5 年 5 月 25 日 空 襲 [ 2 8 ] ︶
● 青 山 御 殿 ︵ 1 9 4 5 年 5 月 25 日 空 襲 [ 2 8 ] ︶
● 三 笠 宮 御 殿 ︵ 1 9 4 5 年 5 月 25 日 空 襲 [ 2 8 ] ︶
● 伏 見 宮 御 殿 ︵ 1 9 4 5 年 5 月 25 日 空 襲 [ 2 8 ] ︶
● 閑 院 宮 御 殿 ︵ 1 9 4 5 年 5 月 25 日 空 襲 [ 2 8 ] ︶
● 梨 本 宮 御 殿 ︵ 1 9 4 5 年 5 月 25 日 空 襲 [ 2 8 ] ︶
● 霞 ヶ 関 離 宮 ︵ 1 9 4 5 年 5 月 25 日 空 襲 [ 2 8 ] ︶
官 公 署
● 参 謀 本 部 庁 舎
● 海 軍 省 ・ 軍 令 部 合 同 庁 舎
● 外 務 省 庁 舎
● 司 法 省 庁 舎
● 大 審 院
● 駐 日 ド イ ツ 国 大 使 館
● 東 京 府 庁 舎 ︵ 1 9 4 5 年 5 月 25 日 の 空 襲 で 焼 失 ︶
鉄 道 施 設
● 東 京 駅 - 丸 の 内 赤 レ ン ガ 駅 舎
● 帝 都 高 速 度 交 通 営 団 ( 現 在 の 東 京 メ ト ロ 銀 座 線 )
宗 教 施 設
空 襲 で 焼 失 し た 徳 川 家 継 霊 廟 有 章 院 霊 廟
東 京 都 内 神 社 2 3 6 〜 3 2 6 社 が 被 災 し た と さ れ る [ 1 8 9 ] 。
空襲で焼失した戦国時代 に大名 結城晴朝 が作らせた御手杵 (復元)。全長約3.8m、重量は6貫 (22.5kg) あったという。
戦 災 で 焼 失 し た も の は 国 の 指 定 文 化 財 だ け で も 1 7 0 点 に 上 る [ 2 0 6 ] 。
● 松 岡 映 丘 ﹃ 間 宮 林 蔵 肖 像 画 ﹄
● 堀 内 唯 生 ﹃ 郊 外 早 春 ﹄ ﹃ 秋 景 ﹄ ﹃ 横 浜 湾 を 望 む ﹄
● 下 岡 蓮 杖 撮 影 に よ る 風 景 写 真 の 乾 板
● 虎 徹 ﹃ 燈 籠 斬 ﹄
● 御 手 杵 ︵ 天 下 三 名 槍 の 一 つ ︶
● 池 上 本 門 寺 本 尊 ︵ 一 尊 四 菩 薩 像 鎌 倉 時 代 作 、 四 天 王 像 江 戸 時 代 作 、 法 華 経 7 巻 平 安 時 代 作 う ち 1 巻 は 現 存 、 文 化 財 未 指 定 ︶
空 襲 を 免 れ た 地 区 [ 編 集 ]
東 京 の 市 街 地 で も 空 襲 を 免 れ た 区 域 が あ る ︵ 上 図 ﹁ 戦 災 概 況 図 ﹂ 参 照 [ 1 ] ︶ 。 周 囲 が 空 襲 で 甚 大 な 被 害 を 受 け な が ら も 奇 跡 的 に 延 焼 を 免 れ た 地 域 と し て は 、 神 田 区 須 田 町 ︵ 現 在 の 千 代 田 区 神 田 須 田 町 ︶ や 向 島 区 ︵ 現 在 の 墨 田 区 京 島 ︶ が 挙 げ ら れ る 。 須 田 町 で は 神 田 川 が 、 向 島 区 で は 東 武 亀 戸 線 沿 い を 流 れ て い た 小 川 が そ れ ぞ れ 防 火 線 と な り 、 住 民 が 川 の 泥 や 豆 腐 な ど を 投 じ て ま で 懸 命 な 防 火 活 動 に あ た っ た こ と か ら 、 被 害 を 免 れ た 。 ま た こ の 地 区 に も 焼 夷 弾 が 落 ち た が 、 空 中 で 分 解 さ れ ず に そ の ま ま 落 下 し た た め 不 発 弾 と な っ て 軟 弱 な 土 中 に 深 く 埋 ま っ て し ま い [ 注 4 ] 、 そ の た め 亀 戸 線 で 限 ら れ た 地 域 が 焼 け 残 っ た 。 こ の 両 地 域 は 空 襲 以 前 に も 関 東 大 震 災 の 際 に も 延 焼 を 免 れ 、 ほ ぼ 大 正 初 期 の 路 地 構 成 や 建 物 の 面 影 を 今 に 残 す 、 下 町 一 帯 の 中 で は 希 有 な 地 域 で あ る 。 た だ し 、 ﹁ 生 き 残 っ た ﹂ こ と に よ り 、 自 動 車 も 通 れ な い 明 治 大 正 期 の 極 狭 路 地 が 迷 路 の よ う に 走 る 同 地 帯 は 、 現 在 で は 防 災 面 で 深 刻 な 問 題 の あ る 地 域 と し て 懸 念 さ れ 、 現 在 に 至 る ま で さ ま ざ ま な 防 災 に 関 す る ま ち づ く り 、 取 り 組 み が 行 わ れ て い る が [ 2 0 7 ] 、 自 動 車 が 通 れ な い が ゆ え に 重 大 な 交 通 事 故 の 発 生 を 大 幅 に 防 ぐ こ と が で き て い る と い う 実 態 も あ る 。 中 央 区 の 佃 島 ・ 月 島 地 区 も 晴 海 運 河 が 延 焼 を 食 い 止 め た こ と か ら 戦 火 を 免 れ 、 現 在 も 戦 前 か ら の 古 い 木 造 長 屋 が 残 っ て い る 。 3 月 10 日 の 下 町 空 襲 で 壊 滅 状 態 と な っ た 対 岸 部 の 深 川 区 ︵ 現 在 の 江 東 区 ︶ と は 、 明 暗 が 分 か れ た 形 と な っ た 。
丸 の 内 ・ 有 楽 町 付 近 で は 東 京 府 庁 と 東 京 駅 が 空 襲 を 受 け 全 半 壊 し た も の の 、 内 堀 通 り 一 帯 の 第 一 生 命 館 や 明 治 生 命 館 な ど が 立 ち 並 ん で い た 界 隈 は 空 襲 を 免 れ て い る 。 こ れ は 、 占 領 後 の 軍 施 設 に 使 用 す る こ と を 想 定 し て い た と 言 わ れ て い る 。 宮 城 は 対 象 か ら 外 さ れ て い た が 、 5 月 25 日 の 空 襲 で は 類 焼 [ 要 出 典 ] に よ り 明 治 宮 殿 が 炎 上 し た 。 こ の た め 、 松 平 恒 雄 宮 内 大 臣 が 責 任 を 取 っ て 辞 任 し て い る 。
東 京 帝 国 大 学 付 近 は ロ ッ ク フ ェ ラ ー 財 団 の 寄 付 で 建 て ら れ た 図 書 館 が あ っ た こ と か ら 空 襲 の 被 害 は 軽 微 だ っ た が 、 懐 徳 館 を 焼 失 し て い る 。
ま た 築 地 や 神 田 神 保 町 一 帯 が 空 襲 さ れ な か っ た の も 、 ア メ リ カ 聖 公 会 の 建 て た 聖 路 加 国 際 病 院 や 救 世 軍 本 営 [ 要 出 典 ] が あ っ た か ら と も 言 わ れ る が 定 か で は な い 。 築 地 に は 木 村 屋 總 本 店 の パ ン 工 場 が あ り 、 戦 後 の 占 領 ・ 駐 留 を 見 越 し て 、 食 糧 調 達 の た め 爆 撃 の 対 象 か ら 外 し た と さ れ る [ 2 0 8 ] 。 神 保 町 を 空 襲 し な か っ た 理 由 に 古 書 店 街 の 蔵 書 の 焼 失 を 恐 れ た た め と い う 俗 説 も あ る が 、 ア メ リ カ 軍 は 5 月 14 日 の 名 古 屋 大 空 襲 で 国 宝 名 古 屋 城 を 焼 い た り 、 ド イ ツ の ド レ ス デ ン 爆 撃 な ど で 文 化 財 の 破 壊 を 容 赦 な く 行 っ て い る こ と か ら 信 憑 性 は 低 い 。 な お 、 日 本 正 教 会 の ニ コ ラ イ 堂 ︵ 東 京 復 活 大 聖 堂 ︶ お よ び そ の 関 連 施 設 も 空 襲 を 免 れ 、 現 代 に 残 っ て い る 。 遺 体 の 収 容 場 所 が 足 り な く な っ た こ と に よ る 本 郷 の 町 会 の 要 請 に よ り 、 大 聖 堂 に は 一 時 的 に 遺 体 が 収 容 さ れ た [ 2 0 9 ] 。
3 月 10 日 の 空 襲 の 惨 状 は 、 警 視 総 監 よ り 撮 影 の 任 務 を 受 け た 、 警 視 庁 の 石 川 光 陽 に よ っ て 、 33 枚 の 写 真 が 残 さ れ た ︵ 上 の 画 像 参 照 ︶ 。 そ れ ら は 戦 後 、 連 合 国 軍 最 高 司 令 官 総 司 令 部 ( G H Q ) か ら ネ ガ を 引 き 渡 す よ う 命 令 が 下 る が 、 石 川 は こ れ を 拒 否 し 、 ネ ガ の 代 わ り に プ リ ン ト を 提 出 す る こ と で 追 求 を 逃 れ る 一 方 、 ネ ガ を 自 宅 の 庭 に 埋 め て 守 り 保 管 し た と い う 。 こ の 33 枚 の 写 真 は 、 東 京 大 空 襲 の 悲 惨 さ を 伝 え る 貴 重 な 資 料 と な っ て い る が 、 石 川 自 身 は 本 当 は こ の よ う な 写 真 は 撮 り た く な い と 言 っ て い る 。 な お 、 石 川 は ほ か に も 1 9 4 2 年 の ド ー リ ッ ト ル 空 襲 か ら 1 9 4 5 年 5 月 25 日 の 空 襲 ま で 記 録 写 真 を 撮 影 し て お り 、 東 京 の 空 襲 全 体 で は 撮 影 枚 数 は 6 0 0 枚 を 越 え る 。
東 京 都 江 戸 東 京 博 物 館 や す み だ 郷 土 文 化 資 料 館 に は 東 京 大 空 襲 に 関 す る 展 示 が あ る 。 2 0 0 1 年 開 館 を 目 指 し て 東 京 都 平 和 祈 念 館 の 建 設 も 計 画 さ れ た が 、 実 現 し て い な い 。
東 京 大 空 襲 の 描 写 が 登 場 す る 作 品 [ 編 集 ]
映 像
● N H K 特 集 ﹁ 東 京 大 空 襲 ﹂ ︵ N H K 制 作 ︶ 1 9 7 8 年 3 月 9 日 放 送 [ 2 1 0 ] 。
● ﹁ 3 月 10 日 東 京 大 空 襲 語 ら れ な か っ た 33 枚 の 真 実 ﹂ ︵ T B S 制 作 ︶ 、 2 0 0 8 年 3 月 10 日 放 送 。
● 1 9 4 5 年 3 月 10 日 の 空 襲 ︵ ミ ー テ ィ ン グ ハ ウ ス 2 号 作 戦 ︶ に お い て 初 弾 が 投 下 さ れ た 4 カ 所 の 地 域 ︵ 現 在 の 地 域 ︶ に つ い て は 、 1 9 7 8 年 の N H K 特 集 で は 、 深 川 区 は 現 在 の 江 東 区 深 川 木 場 、 本 所 区 は 墨 田 区 本 所 、 浅 草 区 は 台 東 区 浅 草 、 日 本 橋 区 は 中 央 区 日 本 橋 と 紹 介 さ れ 、 2 0 0 8 年 の T B S 番 組 で は 、 そ れ ぞ れ 江 東 区 白 河 4 丁 目 、 墨 田 区 本 所 3 丁 目 、 台 東 区 西 浅 草 か っ ぱ 橋 道 具 街 、 中 央 区 日 本 橋 小 網 町 と さ れ た 。
小 説
● う し ろ の 正 面 だ あ れ - 海 老 名 香 葉 子 の 自 伝 的 児 童 書 お よ び 、 劇 場 版 ア ニ メ ー シ ョ ン 作 品
● ガ ラ ス の う さ ぎ - 高 木 敏 子 の 児 童 文 学 お よ び 、 実 写 映 画 、 テ レ ビ ド ラ マ 、 劇 場 版 ア ニ メ ー シ ョ ン 作 品
● 終 り に 見 た 街 - 脚 本 家 山 田 太 一 の 小 説 お よ び 、 テ レ ビ ド ラ マ 化 作 品 。 主 人 公 一 家 が 第 二 次 世 界 大 戦 時 、 昭 和 19 年 ︵ 1 9 4 4 年 ︶ の 東 京 に タ イ ム ス リ ッ プ す る 。
● 戦 争 と 青 春 - 早 乙 女 勝 元 の 小 説 お よ び 、 映 画 化 作 品 。
● ス ト ッ ク ホ ル ム の 密 使 - 佐 々 木 譲 の 小 説 。 劇 中 で 山 脇 順 三 、 真 理 子 夫 妻 が 東 京 大 空 襲 に 遭 遇 す る 。
ラ ジ オ ド ラ マ
● 君 の 名 は - 1 9 5 2 年 に 放 送 さ れ た ラ ジ オ ド ラ マ 、 お よ び 、 そ れ を 原 作 と し た 映 画 、 舞 台 、 テ レ ビ ド ラ マ 作 品 。 序 盤 で 東 京 大 空 襲 が 起 こ り 、 ヒ ロ イ ン の 氏 家 真 知 子 と 後 宮 春 樹 が 出 会 う 。
映 画
● 君 の 名 は - 1 9 5 3 - 1 9 5 4 年 、 大 庭 秀 雄 監 督 。 詳 細 は 上 記 を 参 照 。
● 東 京 大 空 襲 ガ ラ ス の う さ ぎ - 1 9 7 9 年 、 橘 祐 典 監 督 。 詳 細 は 上 記 を 参 照 。
● 戦 争 と 青 春 - 1 9 9 1 年 、 今 井 正 監 督 。 詳 細 は 上 記 を 参 照 。
● 海 賊 と よ ば れ た 男 - 2 0 1 6 年 、 山 崎 貴 監 督 。 百 田 尚 樹 原 作 小 説 の 映 画 化 、 序 盤 の 1 9 4 5 年 5 月 の 東 京 大 空 襲 の シ ー ン で 登 場 、 日 本 軍 の 夜 間 戦 闘 機 月 光 が 迎 撃 す る も 返 り 討 ち に あ っ て 全 滅 し て い る 。 し か し 実 際 に は 、 月 光 が 迎 撃 に 出 撃 し た 5 月 25 日 の 夜 間 空 襲 に お い て 、 横 須 賀 海 軍 航 空 隊 の 夜 間 戦 闘 機 隊 黒 鳥 四 朗 少 尉 と 倉 本 十 三 飛 曹 長 が 搭 乗 す る 月 光 が B - 2 9 を 5 機 撃 墜 、 1 機 撃 破 の 戦 果 を 挙 げ て 無 事 に 帰 投 し て い る 。
● あ の 日 の オ ル ガ ン - 2 0 1 8 年 、 平 松 恵 美 子 監 督
テ レ ビ ド ラ マ
● 君 の 名 は - 1 9 6 2 年 、 フ ジ テ レ ビ 、 詳 細 は 上 記 を 参 照
● 君 の 名 は - 1 9 6 6 年 、 日 本 テ レ ビ 、 詳 細 は 上 記 を 参 照
● 君 の 名 は - 1 9 7 6 年 、 N E T テ レ ビ 、 詳 細 は 上 記 を 参 照
● ガ ラ ス の う さ ぎ - 1 9 8 0 年 、 N H K 、 詳 細 は 上 記 を 参 照
● 終 り に 見 た 街 - 1 9 8 2 年 、 テ レ ビ 朝 日 、 詳 細 は 上 記 を 参 照
● N H K 連 続 テ レ ビ 小 説
● 君 の 名 は ︵ 1 9 9 1 年 放 映 ︶ - 詳 細 は 上 記 を 参 照 。
● お し ん 主 人 公 お し ん の 家 は 焼 失 を 免 れ る も の の 、 工 場 が 焼 失 。 そ の 後 満 州 か ら 引 き 揚 げ て き た 家 主 に よ っ て お し ん 一 家 は 家 を 失 っ て し ま う 。
● す ず ら ん ︵ 1 9 9 9 年 放 映 ︶ - 萌 が 母 親 探 し の た め 、 生 ま れ 故 郷 を 離 れ 上 京 す る が 、 東 京 大 空 襲 に 遭 遇 す る ︵ そ の 後 、 長 男 ・ 光 太 郎 を 連 れ て 、 北 海 道 に 疎 開 す る ︶ 。
● 純 情 き ら り ︵ 2 0 0 6 年 放 映 ︶ - 劇 中 で 佳 境 に 差 し 掛 か っ た 頃 に 東 京 大 空 襲 が 起 こ る 。
● お ひ さ ま ︵ 2 0 1 1 年 放 映 ︶ - 主 人 公 の 親 友 が 東 京 大 空 襲 に 罹 災 、 戦 火 の 中 で 命 の 恩 人 に 恋 を す る シ ー ン が 描 か れ て い る 。
● 花 子 と ア ン ︵ 2 0 1 4 年 放 映 ︶ - 第 1 話 序 盤 及 び 第 24 週 後 半 で 、 1 9 4 5 年 4 月 15 日 の 東 京 大 空 襲 に 遭 い 大 森 の 自 宅 兼 印 刷 会 社 が 焼 失 。
● な つ ぞ ら ︵ 2 0 1 9 年 放 映 ︶ - 第 1 話 序 盤 で 主 人 公 ・ な つ が 母 と と も に 東 京 大 空 襲 の 戦 火 か ら 逃 げ る も 母 と は ぐ れ 、 幼 馴 染 に 導 か れ て 一 緒 に 学 校 の プ ー ル に 飛 び 込 み 命 拾 い し た シ ー ン が 、 実 写 と ア ニ メ で 描 か れ て い る 。
● 終 り に 見 た 街 - 2 0 0 5 年 、 テ レ ビ 朝 日 、 詳 細 は 上 記 を 参 照
● 東 京 大 空 襲 - 2 0 0 8 年 、 日 本 テ レ ビ 。 監 修 海 老 名 香 葉 子 。
● 3 月 10 日 東 京 大 空 襲 語 ら れ な か っ た 33 枚 の 真 実 - 2 0 0 8 年 、 T B S
● オ リ ン ピ ッ ク の 身 代 金 - 2 0 1 3 年 、 テ レ ビ 朝 日 、 奥 田 英 朗 原 作 。 主 人 公 の 落 合 昌 夫 が 15 歳 の 時 に 、 妹 の 有 美 と 共 に 東 京 大 空 襲 に 遭 遇 し 、 母 が 亡 く な る と い う 回 想 場 面 が 存 在 す る ︵ ち な み に こ の エ ピ ソ ー ド は ド ラ マ オ リ ジ ナ ル 要 素 で あ り 、 原 作 で は 落 合 昌 夫 の 過 去 に つ い て 言 及 さ れ て い な い ︶ 。
● 東 京 が 戦 場 に な っ た 日 - 2 0 1 4 年 、 N H K
ア ニ メ
● ふ た つ の 胡 桃 - 2 0 0 7 年 、 テ レ ビ 朝 日
絵 本
● せ ん そ う ・ 1 9 4 5 年 3 月 10 日 東 京 大 空 襲 の こ と ︵ 2 0 1 4 年 東 京 書 籍 / 塚 本 千 恵 子 / 文 ・ 塚 本 や す し / 作 ・ 絵 ︶
漫 画
● 3 月 の ラ イ オ ン 昭 和 異 聞 灼 熱 の 時 代 ︵ 白 泉 社 / 西 川 秀 明 / 原 案 ・ 監 修 ‥ 羽 海 野 チ カ ︶ - 第 3 巻 ︵ 2 0 1 6 年 10 月 5 日 発 行 ︶ の 回 想 シ ー ン に 、 1 9 4 5 年 ︵ 昭 和 20 年 ︶ 3 月 10 日 の 夜 間 空 襲 ︵ 下 町 空 襲 ︶ の 描 写 が あ る 。
(一) ^ 確 認 さ れ た 死 者 の 遺 体 数 は 約 10 万 5 4 0 0 人 で あ る [ 2 ] 。
(二) ^ 疎 開 な ど に よ る 住 民 避 難 な ど が 始 ま る 前 の 、 1 9 4 0 年 時 点 で の 東 京 市 の 人 口 は 約 6 8 0 万 人 で あ る [ 3 ] 。
(三) ^ ﹃ 昭 和 37 年 警 視 庁 史 昭 和 前 編 ﹄ の 記 録 で 、 死 者 は 8 万 4 千 人 に 及 ん だ と さ れ る [ 8 ] 。
(四) ^ 二 発 が 不 発 弾 と な っ た こ と は 確 実 で 、 更 に 一 発 が 不 発 弾 と な っ た と 言 わ れ て い る が 確 定 的 で は な い 。
(一) ^ a b “ 戦 災 概 況 図 東 京 ” . 2 0 1 9 年 9 月 17 日 閲 覧 。
(二) ^ “ 東 京 大 空 襲 と は ” . 東 京 大 空 襲 ・ 戦 災 資 料 セ ン タ ー . 2 0 2 0 年 11 月 29 日 閲 覧 。
(三) ^ “ 35 区 の 人 口 1 9 0 8 年 ~ 1 9 4 5 年 ” . 東 京 都 総 務 局 . 2 0 2 0 年 11 月 29 日 閲 覧 。
(四) ^ a b 水 間 2 0 1 3 , p p . 1 4 2 – 1 4 6 .
(五) ^ 内 田 百 閒 ﹃ 東 京 焼 盡 ﹄ 11 月 24 日 、 12 月 6 日 分 。 筑 摩 書 房 ︿ ち く ま 文 庫 、 内 田 百 閒 集 成 22 ﹀ 、 2 0 0 4 年 、 19 ペ ー ジ 、 23 ペ ー ジ 。
(六) ^ 奥 住 善 重 ・ 早 乙 女 勝 元 ﹃ 東 京 を 爆 撃 せ よ - 作 戦 任 務 報 告 書 は 語 る - < 三 省 堂 新 書 1 5 7 > ﹄ 三 省 堂 、 1 9 9 0 年 6 月 20 日 第 1 刷 発 行 、 I S B N 4 - 3 8 5 - 4 3 1 5 7 - 4 、 57 頁 。
(七) ^ R o n a l d S c h a f f e r , W i n g s o f J u d g m e n t - A m e r i c a n B o m b i n g i n W o r l d W a r I I , 1 9 8 8 , O x f o r d U n i v e r s i t y P r e s s , I S B N 0 - 1 9 - 5 0 5 6 4 0 - X ( P B K . ) , p . 2 3 8 , R e p o r t o f O p e r a t i o n s 1 0 M a r c h 1 9 4 5 ( L e M a y t o C o m m a n d i n g G e n e r a l T w e n t i e t h A i r f o r c e , A p r . 1 5 , 1 9 4 5 ) , f o l d e r M e e t i n g h o u s e 2 , M i s s i o n 4 0 , T o k y o U r b a n A r e a , R G 1 8 , N A .
(八) ^ “ 東 京 都 に お け る 戦 災 の 状 況 ︵ 東 京 ︶ ” . 総 務 省 . 2 0 2 0 年 11 月 29 日 閲 覧 。
(九) ^ 奥 住 ︵ 1 9 9 0 年 ︶ 、 58 頁 。
(十) ^ a b c d e f 内 藤 光 博 2 0 0 9 .
(11) ^ “ H e l l f i r e o n E a r t h : O p e r a t i o n M E E T I N G H O U S E ” . T h e N a t i o n a l W W I I M u s e u m ( 2 0 2 0 年 3 月 8 日 ) . 2 0 2 1 年 3 月 8 日 閲 覧 。
(12) ^ a b c d “ 東 京 大 空 襲 と は ” . 東 京 大 空 襲 ・ 戦 災 資 料 セ ン タ ー . 2 0 2 3 年 7 月 15 日 閲 覧 。
(13) ^ a b c 今 井 清 一 ﹁ 戦 略 爆 撃 と 日 本 ﹂ 日 本 ペ ン ク ラ ブ 電 子 文 藝 館 編 輯 室 、 2 0 0 7 年 。 2 0 1 4 . 1 0 . 2 7 閲 覧
(14) ^ E ・ バ ー ト レ ッ ト ・ カ ー ﹃ 戦 略 ・ 東 京 大 空 爆 ﹄ 大 谷 勲 訳 、 光 人 社 、 1 9 9 4 年
(15) ^ a b c d 米 国 戦 略 爆 撃 調 査 団 1 9 9 6 , p . 2 1 8 .
(16) ^ a b 米 国 戦 略 爆 撃 調 査 団 1 9 9 6 , p . 2 1 9 .
(17) ^ a b 平 塚 市 博 物 館 公 式 ペ ー ジ ひ ら つ か 歴 史 紀 行 ﹃ 第 38 回 平 塚 空 襲 そ の 2 ︵ 平 塚 空 襲 に 投 下 さ れ た 焼 夷 弾 ︶ ﹄
(18) ^ a b 米 国 戦 略 爆 撃 調 査 団 1 9 9 6 , p . 2 2 1 .
(19) ^ a b 米 国 戦 略 爆 撃 調 査 団 1 9 9 6 , p . 2 2 0 .
(20) ^ ル メ イ 1 9 9 1 , p . 2 0 0 .
(21) ^ “ N a p a l m i n W a r ” . G l o b a l S e c u r i t y . o r g . 2 0 2 2 年 2 月 16 日 閲 覧 。
(22) ^ B r i t a i n c o n s i d e r e d c h e m i c a l a t t a c k o n T o k y o i n 1 9 4 4 T i m e s J u n e 2 6 , 2 0 0 9
(23) ^ ア レ ン & ボ ー マ ー 1 9 9 5 , p . 2 4 9 .
(24) ^ ア レ ン & ボ ー マ ー 1 9 9 5 , p . 2 5 1 .
(25) ^ ア レ ン & ボ ー マ ー 1 9 9 5 , p . 2 5 7 .
(26) ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd ce cf cg ch ci cj ck cl cm cn co cp cq cr cs ct cu cv cw cx cy cz da db dc dd de df dg dh di dj dk dl dm dn do dp ﹁ 東 京 都 戦 災 史 戦 災 日 誌 ﹂ 昭 和 28 年 。 リ ー フ レ ッ ト ﹁ 東 京 空 襲 犠 牲 者 を 追 悼 し 平 和 を 記 念 す る 碑 ﹂ 東 京 都 生 活 文 化 局 文 化 振 興 部 文 化 事 業 課 、 平 成 25 年 3 月 。
(27) ^ 水 間 2 0 1 3 , p p . 9 4 – 9 5 .
(28) ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 小 倉 庫 次 侍 従 日 記 ﹃ 文 藝 春 秋 ﹄ 2 0 0 7 年 4 月 号
(29) ^ 荒 井 信 一 2 0 0 8 , p . 1 0 8 .
(30) ^ 荒 井 信 一 2 0 0 8 , p . 1 3 3 - 1 3 4 .
(31) ^ a b 米 国 戦 略 爆 撃 調 査 団 1 9 9 6 , p . 2 0 8 .
(32) ^ a b 吉 田 裕 ﹁ ア ジ ア 太 平 洋 戦 争 ﹂ 岩 波 書 店 2 0 0 7 , p 1 5 4 - 5 .
(33) ^ カ ー ル ・ バ ー カ ー 1 9 7 1 , p . 1 4 3 .
(34) ^ 米 国 戦 略 爆 撃 調 査 団 1 9 9 6 , p . 2 0 9 .
(35) ^ 渡 辺 1 9 8 2 , p . 2 0 2 .
(36) ^ 戦 史 叢 書 1 9 1 9 6 8 , p . 4 0 3 .
(37) ^ 米 国 戦 略 爆 撃 調 査 団 1 9 9 6 , p . 2 1 0 .
(38) ^ カ ー ル ・ バ ー カ ー 1 9 7 1 , p . 1 4 6 .
(39) ^ a b 奥 住 & 早 乙 女 2 0 1 7 , p . 1 6 9 .
(40) ^ デ イ ビ ッ ド 1 9 8 3 , p . 1 0 6 .
(41) ^ a b ﹁ な ぜ 日 本 は 焼 き 尽 く さ れ た の か ~ 米 空 軍 幹 部 が 語 っ た “ 真 相 ” ﹂
(42) ^ a b c 戦 史 叢 書 1 9 1 9 6 8 , p . 4 1 3 .
(43) ^ 渡 辺 1 9 8 2 , p . 2 1 9 .
(44) ^ マ ー シ ャ ル 2 0 0 1 , p . 1 0 0 .
(45) ^ a b カ ー ル ・ バ ー カ ー 1 9 7 1 , p . 1 4 8 .
(46) ^ 米 国 戦 略 爆 撃 調 査 団 1 9 9 6 , p . 2 1 1 .
(47) ^ 戦 史 叢 書 1 9 1 9 6 8 , p . 4 1 7 .
(48) ^ 小 山 2 0 1 8 , p . 1 9 .
(49) ^ 小 山 2 0 1 8 , p . 2 1 .
(50) ^ カ ー ル ・ バ ー カ ー 1 9 7 1 , p . 1 5 0 .
(51) ^ 小 山 2 0 1 8 , p . 2 2 .
(52) ^ カ ー ル ・ バ ー カ ー 1 9 7 1 , p . 1 5 3 .
(53) ^ " T h e U S F i r e b o m b i n g o f W u h a n "
(54) ^ カ ー ル ・ バ ー カ ー 1 9 7 1 , p . 1 5 2 .
(55) ^ 柏 木 1 9 7 2 , p . 8 9 .
(56) ^ a b c カ ー ル ・ バ ー カ ー 1 9 7 1 , p . 1 5 4 .
(57) ^ 米 国 戦 略 爆 撃 調 査 団 1 9 9 6 , p . 2 1 7 .
(58) ^ ル メ イ 1 9 9 1 , p . 1 7 8 .
(59) ^ 米 国 戦 略 爆 撃 調 査 団 1 9 9 6 , p . 2 1 6 .
(60) ^ a b ル メ イ 1 9 9 1 , p . 1 7 9 .
(61) ^ a b 東 京 都 板 橋 区 ﹃ 板 橋 区 平 和 祈 念 マ ッ プ ﹄ 2 0 1 7 年 4 月
(62) ^ 荒 井 信 一 2 0 0 8 , p . 1 2 8 - 1 2 9 .
(63) ^ a b c d 奥 住 ︵ 1 9 9 0 年 ︶ 、 1 6 8 - 1 6 9 頁 。
(64) ^ 戦 史 叢 書 1 9 1 9 6 8 , p . 4 1 2 .
(65) ^ 奥 住 & 早 乙 女 2 0 1 7 , p . 1 6 8 .
(66) ^ 奥 住 & 早 乙 女 2 0 1 7 , p . 3 2 .
(67) ^ a b 奥 住 ︵ 1 9 9 0 年 ︶ 、 33 頁 。
(68) ^ 奥 住 & 早 乙 女 2 0 1 7 , p . 3 7 .
(69) ^ 奥 住 & 早 乙 女 2 0 1 7 , p . 5 6 .
(70) ^ マ ー シ ャ ル 2 0 0 1 , p . 2 0 0 .
(71) ^ 奥 住 & 早 乙 女 2 0 1 7 , p . 5 3 .
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