「日本初の一覧」の版間の差分
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'''日本初の一覧'''は、現存の是非にかかわらず、日本で(あるいは日本人による)初めてのことがらの[[一覧の一覧|一覧]]である。 |
'''日本初の一覧'''(にほんはつのいちらん)は、現存の是非にかかわらず、日本で(あるいは日本人による)初めてのことがらの[[一覧の一覧|一覧]]である。 |
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<!-- 日本で最初に作られた一覧、ではない。--> |
<!-- 日本で最初に作られた一覧、ではない。--> |
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* 日本固有の文化や行事は除外する。これらは各記事を参照すること。 |
* 日本固有の文化や行事は除外する。これらは各記事を参照すること。 |
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* 日本で一番早いという意味で、[[日本一の一覧]]のサブカテゴリーである。 |
* 日本で一番早いという意味で、[[日本一の一覧]]のサブカテゴリーである。 |
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== はじめに == |
== はじめに == |
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[[日付]]を詳しく表す場合の決め事として、[[グレゴリオ暦#明治改暦|新暦導入]]以前︵[[1872年]]以前︶の日付は[[和暦]]による[[旧暦]]を主とし、丸括弧内に[[西暦]]︵[[1581年]]以前は[[ユリウス暦]]、[[1582年]]以降は[[グレゴリオ暦]]︶を添える︵※あくまで原則で、[[建国記念の日]]のように慣例がこれに当てはまらない場合もある︶。同年4月︵4月︶は旧暦4月︵[[新暦]]4月︶、同年4月︵4月か5月︶は旧暦4月︵新暦では5月の可能性もあり︶を意味する。<!--※西暦と和暦の月日は一致しませんので﹁1600年︵慶長5年︶10月21日﹂等の記述は誤記︵誤読誘引︶ということです。-->
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== 建造物 == |
== 建造物 == |
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* 大脇潔「王権・仏教・官寺創建 百済大寺跡発見とその意義」p.20、『週刊朝日百科 日本の国宝別冊 国宝と歴史の旅1 飛鳥のほとけ 天平のほとけ』所収、朝日新聞社、1999</ref> |
* 大脇潔「王権・仏教・官寺創建 百済大寺跡発見とその意義」p.20、『週刊朝日百科 日本の国宝別冊 国宝と歴史の旅1 飛鳥のほとけ 天平のほとけ』所収、朝日新聞社、1999</ref> |
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<!--* [[密教]]道場 - [[能福寺]] ([[神戸市]]) [[805年]] |
<!--* [[密教]]道場 - [[能福寺]] ([[神戸市]]) [[805年]] |
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: 最澄の年譜を見ると、左記寺院の805年最澄創建説は史実とは考えがたい。--> |
*: 最澄の年譜を見ると、左記寺院の805年最澄創建説は史実とは考えがたい。--> |
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* [[念仏]]道場 - [[大念仏寺]] (大阪市) [[1127年]] |
* [[念仏]]道場 - [[大念仏寺]] (大阪市) [[1127年]] |
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* 西洋式[[ホテル]] - [[横浜ホテル]] [[1860年]] |
* 西洋式[[ホテル]] - [[横浜ホテル]] [[1860年]] |
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* 西洋式[[城郭]] - [[五稜郭]] (フランス築城方式) (函館市) [[1866年]] |
* 西洋式[[城郭]] - [[五稜郭]] (フランス築城方式) (函館市) [[1866年]] |
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* 10階以上の建物 - [[凌雲閣]] (12階建て、[[東京都]][[浅草]]) [[1890年]] |
* 10階以上の建物 - [[凌雲閣]] (12階建て、[[東京都]][[浅草]]) [[1890年]] |
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: なお、大阪[[茶屋町]]にも同名の凌雲閣が1889年に開業しているが、こちらは9階建てである。 |
*: なお、大阪[[茶屋町]]にも同名の凌雲閣が1889年に開業しているが、こちらは9階建てである。 |
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* [[女子修道院]] - [[トラピスチヌ修道院]] [[1898年]] |
* [[女子修道院]] - [[トラピスチヌ修道院]] [[1898年]] |
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* 西洋式[[劇場]](本格的なもの) - [[帝国劇場]] ([[東京都]][[千代田区]]) [[1911年]] |
* 西洋式[[劇場]](本格的なもの) - [[帝国劇場]] ([[東京都]][[千代田区]]) [[1911年]] |
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<!--旧暦時代:年号(西暦)、新暦時代:西暦(年号)--> |
<!--旧暦時代:年号(西暦)、新暦時代:西暦(年号)--> |
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* [[公共]][[医療]][[施設]]の設営 - 記録上の最古は、[[天平]]2年([[730年]])の[[施薬院]] |
* [[公共]][[医療]][[施設]]の設営 - 記録上の最古は、[[天平]]2年([[730年]])の[[施薬院]] |
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: [[光明皇后]]が設置。なお、伝説上での最古は、[[聖徳太子]]が[[推古天皇]]元年︵[[593年]]︶に設置したという、[[四天王寺#四箇院|四箇院]]の一部施設としての[[施薬院]]と[[療病院]]。
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*: [[光明皇后]]が設置。なお、伝説上での最古は、[[聖徳太子]]が[[推古天皇]]元年︵[[593年]]︶に設置したという、[[四天王寺#四箇院|四箇院]]の一部施設としての[[施薬院]]と[[療病院]]。
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* [[西洋医学]]の[[医師]] - ≪未編集≫ :免許制の導入は[[1874年]]([[明治]]7年)。 |
* [[西洋医学]]の[[医師]] - ≪未編集≫ :免許制の導入は[[1874年]]([[明治]]7年)。 |
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** 西洋医学の[[女医]] - [[1885年]](明治18年)、[[荻野吟子]]の開業 |
** 西洋医学の[[女医]] - [[1885年]](明治18年)、[[荻野吟子]]の開業 |
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* 公共[[科学]]医療施設の設営 - ≪未編集≫<!--科学医療の事始め--> |
* 公共[[科学]]医療施設の設営 - ≪未編集≫<!--科学医療の事始め--> |
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* 全身[[麻酔]]による[[手術]] - [[文化 (元号)|文化]]元年([[1804年]])、[[華岡青洲]]による |
* 全身[[麻酔]]による[[手術]] - [[文化 (元号)|文化]]元年([[1804年]])、[[華岡青洲]]による |
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: 史実と確認できるものでは世界初。 |
*: 史実と確認できるものでは世界初。 |
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* [[種痘]]術 - [[文政]]7年([[1824年]])、[[中川五郎治]]による |
* [[種痘]]術 - [[文政]]7年([[1824年]])、[[中川五郎治]]による |
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* [[性転換]]者 - [[1950年]]から[[1951年]]([[昭和]]25年から26年)にかけて日本国内で数回の手術を受けた、[[永井明子]] (MTF) |
* [[性転換]]者 - [[1950年]]から[[1951年]]([[昭和]]25年から26年)にかけて日本国内で数回の手術を受けた、[[永井明子]] (MTF) |
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* [[後天性免疫不全症候群|エイズ]]患者の認定 - [[1985年]](昭和60年)[[3月21日]] |
* [[後天性免疫不全症候群|エイズ]]患者の認定 - [[1985年]](昭和60年)[[3月21日]] |
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=== 人間以外の疫病・医療 === |
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* [[牛海綿状脳症|BSE]]牛 - [[2001年]](平成13年)[[9月21日]]に[[千葉県]]で確認された[[個体]] :9月10日に疑陽性と[[農林水産省]]が発表し、のちに確定した。 |
* [[牛海綿状脳症|BSE]]牛 - [[2001年]](平成13年)[[9月21日]]に[[千葉県]]で確認された[[個体]] :9月10日に疑陽性と[[農林水産省]]が発表し、のちに確定した。 |
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* サイフォン - [[馬頭サイフォン]](佐賀県) [[1611年]] |
* サイフォン - [[馬頭サイフォン]](佐賀県) [[1611年]] |
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* [[ストーブ]] - 「カッヘル」([[1856年]]) |
* [[ストーブ]] - 「カッヘル」([[1856年]]) |
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: [[箱館奉行]]の命で[[武田斐三郎]]が設計。イギリス船にあったものを模して作られた。 |
*: [[箱館奉行]]の命で[[武田斐三郎]]が設計。イギリス船にあったものを模して作られた。 |
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* [[ガス灯]] - [[仙巌園]]の[[石灯籠]]([[鹿児島市]]) ([[1857年]]) |
* [[ガス灯]] - [[仙巌園]]の[[石灯籠]]([[鹿児島市]]) ([[1857年]]) |
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: 記録に残る最古のものは、[[南部藩]]の医師であった島立甫の製作。([[1855年]]以前) |
*: 記録に残る最古のものは、[[南部藩]]の医師であった島立甫の製作。([[1855年]]以前) |
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* 西洋式の本格的なガス灯 - [[大阪]]の[[造幣局 (日本)|造幣局]]周辺の[[街路灯]]。([[1871年]]) |
* 西洋式の本格的なガス灯 - [[大阪]]の[[造幣局 (日本)|造幣局]]周辺の[[街路灯]]。([[1871年]]) |
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: 事業としては[[横浜市|横浜]]の[[外国人居留地]]の一部([[1872年]])<!--※注:主語述語が不備で何とでも解釈できる曖昧さあり(どこにどう掛かっているのか読み取れない)。-->。 |
*: 事業としては[[横浜市|横浜]]の[[外国人居留地]]の一部([[1872年]])<!--※注:主語述語が不備で何とでも解釈できる曖昧さあり(どこにどう掛かっているのか読み取れない)。-->。 |
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* [[アーク灯]] - [[工部大学校]]内に設置([[1878年]][[3月25日]]) |
* [[アーク灯]] - [[工部大学校]]内に設置([[1878年]][[3月25日]]) |
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: 点灯された3月25日は「[[電気記念日]]」とされる。 |
*: 点灯された3月25日は「[[電気記念日]]」とされる。 |
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* [[イルミネーション]] - 第5回内国勧業博覧会での建物のライトアップ (1903年) |
* [[イルミネーション]] - 第5回内国勧業博覧会での建物のライトアップ (1903年) |
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* 電動式[[エレベーター]] - 浅草の[[凌雲閣]] (1890年[[11月10日]]) |
* 電動式[[エレベーター]] - 浅草の[[凌雲閣]] (1890年[[11月10日]]) |
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: 安全面に問題があり、すぐに撤去された。11月10日は[[エレベータの日]]とされる。 |
*: 安全面に問題があり、すぐに撤去された。11月10日は[[エレベータの日]]とされる。 |
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* 乗客用[[エレベーター]] - かつて大阪市浪速区にあった[[ルナパーク]]のエレベーター。([[1912年]]7月) |
* 乗客用[[エレベーター]] - かつて大阪市浪速区にあった[[ルナパーク]]のエレベーター。([[1912年]]7月) |
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=== 宇宙探査機 === |
=== 宇宙探査機 === |
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* 惑星間[[探査機]] - [[さきがけ (探査機)|さきがけ]](1985年1月8日打ち上げ) |
* 惑星間[[探査機]] - [[さきがけ (探査機)|さきがけ]](1985年1月8日打ち上げ) |
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: 日本初の[[宇宙探査機]]。ハレー彗星を探査する [[すいせい]]の試験探査機。 |
*: 日本初の[[宇宙探査機]]。ハレー彗星を探査する [[すいせい]]の試験探査機。 |
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* [[月探査機]] - [[ひてん]](1990年1月24日打ち上げ) |
* [[月探査機]] - [[ひてん]](1990年1月24日打ち上げ) |
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* [[火星探査機]] - [[のぞみ (探査機)|のぞみ]](1998年打ち上げ) |
* [[火星探査機]] - [[のぞみ (探査機)|のぞみ]](1998年打ち上げ) |
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=== 人工衛星 === |
=== 人工衛星 === |
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* [[人工衛星]] - [[おおすみ]]([[1970年]][[2月11日]]打ち上げ)※世界4ヶ国目 |
* [[人工衛星]] - [[おおすみ]]([[1970年]][[2月11日]]打ち上げ)※世界4ヶ国目 |
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: [[ラムダロケット|ラムダ]] [[L-4Sロケット|L-4S]] は、人工衛星を打ち上げ軌道投入させた日本開発による初の発射体となった。 |
*: [[ラムダロケット|ラムダ]] [[L-4Sロケット|L-4S]] は、人工衛星を打ち上げ軌道投入させた日本開発による初の発射体となった。 |
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* [[科学衛星]] - [[しんせい (人工衛星)|しんせい]] ([[1971年]][[9月28日]]打ち上げ)※太陽電池パネルを搭載した日本初の衛星でもある |
* [[科学衛星]] - [[しんせい (人工衛星)|しんせい]] ([[1971年]][[9月28日]]打ち上げ)※太陽電池パネルを搭載した日本初の衛星でもある |
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* [[静止衛星]] - [[きく2号]] ([[1977年]][[2月23日]]打ち上げ)※世界3ヶ国目 |
* [[静止衛星]] - [[きく2号]] ([[1977年]][[2月23日]]打ち上げ)※世界3ヶ国目 |
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* 学生が設計・開発に携わった人工衛星 - [[鯨生態観測衛星]] 観太くん([[千葉工業大学]]) (2002年打ち上げ) |
* 学生が設計・開発に携わった人工衛星 - [[鯨生態観測衛星]] 観太くん([[千葉工業大学]]) (2002年打ち上げ) |
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: 観太くんは日本で初めて民生部品を使用した人工衛星でもある。 |
*: 観太くんは日本で初めて民生部品を使用した人工衛星でもある。 |
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* 学生だけで設計・開発した人工衛星 - [[小型人工衛星]]、[[XI (人工衛星)|XI-IV]]([[東京大学]])・[[CUTE (人工衛星)|CUTE-I]]([[東京工業大学]]) (2003年打ち上げ) |
* 学生だけで設計・開発した人工衛星 - [[小型人工衛星]]、[[XI (人工衛星)|XI-IV]]([[東京大学]])・[[CUTE (人工衛星)|CUTE-I]]([[東京工業大学]]) (2003年打ち上げ) |
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: XIとCUTE-Iは日本初の[[CubeSat]]の打ち上げケースでもある。 |
*: XIとCUTE-Iは日本初の[[CubeSat]]の打ち上げケースでもある。 |
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=== 観測機器 === |
=== 観測機器 === |
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* [[反射望遠鏡]] - [[国友一貫斎]]によるグレゴリー式反射望遠鏡。 ([[1820年]]頃) |
* [[反射望遠鏡]] - [[国友一貫斎]]によるグレゴリー式反射望遠鏡。 ([[1820年]]頃) |
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⚫ | *: [[屈折望遠鏡]]はそれ以前にヨーロッパから日本に伝わっていた。最も古い国産のものは、[[岩橋善兵衛]]の窺天鏡([[1793年]])が代表としてある。 |
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* [[反射望遠鏡]] - [[国友一貫斎]]による倍率約50倍のグレゴリー式反射望遠鏡。 ([[1833年]]) |
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⚫ | : [[屈折望遠鏡]]はそれ以前にヨーロッパから日本に伝わっていた。最も古い国産のものは、[[岩橋善兵衛]]の窺天鏡([[1793年]])が代表としてある。 |
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* [[宇宙望遠鏡]] - 不明 |
* [[宇宙望遠鏡]] - 不明 |
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* 国産[[顕微鏡]](本格的なもの) - M・KATERA([[エム・カテラ]]) 松本福松・加藤嘉吉・神藤新吉・寺田新太郎 ([[1914年]]) |
* 国産[[顕微鏡]](本格的なもの) - M・KATERA([[エム・カテラ]]) 松本福松・加藤嘉吉・神藤新吉・寺田新太郎 ([[1914年]]) |
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: 最も古いと考えられている国産顕微鏡は江戸時代のものがある。木製フレームのカルペッパー型顕微鏡などが現存している。 |
*: 最も古いと考えられている国産顕微鏡は江戸時代のものがある。木製フレームのカルペッパー型顕微鏡などが現存している。 |
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* 国産[[電子顕微鏡]] - [[菅田榮治]]による倍率一万倍のもの。 ([[1940年]]) |
* 国産[[電子顕微鏡]] - [[菅田榮治]]による倍率一万倍のもの。 ([[1940年]]) |
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* [[サイクロトロン]] - [[理化学研究所]]の小型サイクロトロン ([[1937年]]) |
* [[サイクロトロン]] - [[理化学研究所]]の小型サイクロトロン ([[1937年]]) |
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=== 音響・映像・通信 === |
=== 音響・映像・通信 === |
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* [[電信機]] - [[佐久間象山]]による指針型電信機 ([[1849年]]) |
* [[電信機]] - [[佐久間象山]]による指針型電信機 ([[1849年]]) |
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: オランダ語の書籍を参考に、[[松代藩]]の客館から鐘撞堂まで約70mの[[電線]]を架設して、電信実験に成功した。 |
*: オランダ語の書籍を参考に、[[松代藩]]の客館から鐘撞堂まで約70mの[[電線]]を架設して、電信実験に成功した。 |
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* [[無線通信|無線電信機]] - [[松代松之助]]が無線通信の実験に成功 ([[1897年]]) |
* [[無線通信|無線電信機]] - [[松代松之助]]が無線通信の実験に成功 ([[1897年]]) |
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* [[電波]]の活用 - 浜地常康の[[アマチュア無線局]] ([[1923年]]) |
* [[電波]]の活用 - 浜地常康の[[アマチュア無線局]] ([[1923年]]) |
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: 政府によるもの(社団法人東京放送局、現在の[[NHKラジオ第1放送]])に先んずる事3年。 |
*: 政府によるもの(社団法人東京放送局、現在の[[NHKラジオ第1放送]])に先んずる事3年。 |
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* [[短波]]アマチュア無線局 - 有坂磐雄 (JLYB) 楠本哲秀 (JLZB) ([[1927年]]) |
* [[短波]]アマチュア無線局 - 有坂磐雄 (JLYB) 楠本哲秀 (JLZB) ([[1927年]]) |
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: ただし、楠本は逓信官吏で、言わば監視局でもあり、アマチュアとは認めないという意見もある。 |
*: ただし、楠本は逓信官吏で、言わば監視局でもあり、アマチュアとは認めないという意見もある。 |
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* 電信サービス(有線) - 公衆電報が東京-横浜間で開始された。 ([[1869年]]) |
* 電信サービス(有線) - 公衆電報が東京-横浜間で開始された。 ([[1869年]]) |
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* 国際[[電信]] - 長崎居留地(長崎市) ([[1871年]][[8月12日]]) |
* 国際[[電信]] - 長崎居留地(長崎市) ([[1871年]][[8月12日]]) |
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* [[カメラ]] - [[ダゲレオタイプカメラ]] ([[1848年]]) |
* [[カメラ]] - [[ダゲレオタイプカメラ]] ([[1848年]]) |
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: オランダ船によってもたらされ、[[島津藩]]の御用商人であった上野俊之丞が購入、 藩主の[[島津斉彬]]に献上した。 |
*: オランダ船によってもたらされ、[[島津藩]]の御用商人であった上野俊之丞が購入、 藩主の[[島津斉彬]]に献上した。 |
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* [[写真]] - 島津斉彬の[[銀板写真]] ([[1857年]]) |
* [[写真]] - 島津斉彬の[[銀板写真]] ([[1857年]]) |
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: 撮影日とされる[[6月1日]]は[[写真の日]]となっている。 |
*: 撮影日とされる[[6月1日]]は[[写真の日]]となっている。 |
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* 国産の市販[[カメラ]] - [[チェリー手堤用暗函]] 小西本店(現[[コニカミノルタホールディングス|コニカミノルタ]]) ([[1903年]]) |
* 国産の市販[[カメラ]] - [[チェリー手堤用暗函]] 小西本店(現[[コニカミノルタホールディングス|コニカミノルタ]]) ([[1903年]]) |
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** 国産[[印画紙]] - 同じく小西本店製 ([[1903年]]) |
** 国産[[印画紙]] - 同じく小西本店製 ([[1903年]]) |
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** 国産電話 - ベル式電話1号機を[[田中久重]]、[[田中精助]]、[[沖牙太郎]]が作成 ([[1878年]]) |
** 国産電話 - ベル式電話1号機を[[田中久重]]、[[田中精助]]、[[沖牙太郎]]が作成 ([[1878年]]) |
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* 電話サービス - 東京-横浜間 ([[1890年]]) |
* 電話サービス - 東京-横浜間 ([[1890年]]) |
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: 1889年に一年間、東京-熱海間で商用実験。 |
*: 1889年に一年間、東京-熱海間で商用実験。 |
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* [[公衆電話]] - [[上野駅]]と[[新橋駅]]に設置(1900年) |
* [[公衆電話]] - [[上野駅]]と[[新橋駅]]に設置(1900年) |
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* [[電話ボックス]] - [[京橋 (東京都中央区)|京橋]]に設置(1901年) |
* [[電話ボックス]] - [[京橋 (東京都中央区)|京橋]]に設置(1901年) |
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* [[オフィスコンピュータ]] - 「[[電算テレビ]]」 [[奈良総一郎]]が製作。([[1978年]]) |
* [[オフィスコンピュータ]] - 「[[電算テレビ]]」 [[奈良総一郎]]が製作。([[1978年]]) |
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: [[インテル]]の[[8080マシン]]に8インチ[[フロッピーディスクドライブ]]と[[バーコードリーダー]]を接続したもの。 |
*: [[インテル]]の[[8080マシン]]に8インチ[[フロッピーディスクドライブ]]と[[バーコードリーダー]]を接続したもの。 |
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* [[パーソナルコンピュータ]] - 「[[TK-80]]」 ただし組み立てキット。なお日本初のマイコンキットではない。([[1976年]]) |
* [[パーソナルコンピュータ]] - 「[[TK-80]]」 ただし組み立てキット。なお日本初のマイコンキットではない。([[1976年]]) |
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: 入出力装置を備えた完成品として販売されたものは、精工舎(現・[[セイコーエプソン]])の「SEIKO-5700」。([[1977年]]) |
*: 入出力装置を備えた完成品として販売されたものは、精工舎(現・[[セイコーエプソン]])の「SEIKO-5700」。([[1977年]]) |
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* 日本語[[ワードプロセッサ]]専用機 - 「[[JW-10]]」 [[東芝]]製 ([[1978年]]) |
* 日本語[[ワードプロセッサ]]専用機 - 「[[JW-10]]」 [[東芝]]製 ([[1978年]]) |
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* [[インターネット]] - 「[[JUNET]]」 ([[1984年]][[9月]]) |
* [[インターネット]] - 「[[JUNET]]」 ([[1984年]][[9月]]) |
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: 村井純が慶應義塾大学と東京工業大学を接続。同年10月に東京大学が接続され日本におけるインターネットの起源となる。 |
*: 村井純が慶應義塾大学と東京工業大学を接続。同年10月に東京大学が接続され日本におけるインターネットの起源となる。 |
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* [[CD-ROM]][[ソフトウェア]] - 「最新科学技術用語辞典」 [[三修社]] ([[1985年]][[10月1日]])<ref>[http://www.jepa.or./ronkou/syuppanshi1994.php 電子出版関連年表(1985~1994年)]、[[日本電子出版協会]]。(2010/12/19閲覧)</ref> |
* [[CD-ROM]][[ソフトウェア]] - 「最新科学技術用語辞典」 [[三修社]] ([[1985年]][[10月1日]])<ref>[http://www.jepa.or./ronkou/syuppanshi1994.php 電子出版関連年表(1985~1994年)]、[[日本電子出版協会]]。(2010/12/19閲覧)</ref> |
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* [[Webページ]] - [[高エネルギー加速器研究機構]]の[http://www.ibarakiken.gr.jp/www/first/kek.html サイト]([[1992年]][[9月30日]]) |
* [[Webページ]] - [[高エネルギー加速器研究機構]]の[http://www.ibarakiken.gr.jp/www/first/kek.html サイト]([[1992年]][[9月30日]]) |
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=== プラント === |
=== プラント === |
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* 機械式製糸工場 - [[富岡製糸場]] ([[富岡市]]) ([[1872年]]操業開始) |
* 機械式製糸工場 - [[富岡製糸場]] ([[富岡市]]) ([[1872年]]操業開始) |
||
: 日本初の[[官営工場]]でもある。 |
*: 日本初の[[官営工場]]でもある。 |
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* 近代[[高炉]] - [[大島高任]]らが設計・操業の大橋[[高炉]] ([[釜石市]])([[1857年]][[11月26日]]火入れ、[[12月1日]]初出銑) |
* 近代[[高炉]] - [[大島高任]]らが設計・操業の大橋[[高炉]] ([[釜石市]])([[1857年]][[11月26日]]火入れ、[[12月1日]]初出銑) |
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: 12月1日は[[鉄の記念日]]とされる。 |
*: 12月1日は[[鉄の記念日]]とされる。 |
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* 官営製鉄所 - [[新日鐵住金釜石製鐵所|釜石製鉄所]] ([[1880年]][[9月13日]]操業を開始するが98日目で停止、1983年廃止が決定) |
* 官営製鉄所 - [[新日鐵住金釜石製鐵所|釜石製鉄所]] ([[1880年]][[9月13日]]操業を開始するが98日目で停止、1983年廃止が決定) |
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* 民間製鉄所 - [[釜石鉱山田中製鉄所|釜石鉱山田中製鐵所]] ([[1887年]][[7月]]設立、日本の近代製鉄業始まる) |
* 民間製鉄所 - [[釜石鉱山田中製鉄所|釜石鉱山田中製鐵所]] ([[1887年]][[7月]]設立、日本の近代製鉄業始まる) |
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* [[水力発電所]] - [[間藤水力発電所]]([[栃木県]][[日光市]]) [[1890年]] ※世界2ヶ国目 |
* [[水力発電所]] - [[間藤水力発電所]]([[栃木県]][[日光市]]) [[1890年]] ※世界2ヶ国目 |
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: [[足尾銅山]]操業の動力として、ドイツ人技師の勧めで導入。 |
*: [[足尾銅山]]操業の動力として、ドイツ人技師の勧めで導入。 |
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* [[水力発電所]] - [[三居沢発電所]] ([[1888年]]) ※世界2ヶ国目 |
* [[水力発電所]] - [[三居沢発電所]] ([[1888年]]) ※世界2ヶ国目 |
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: [[宮城紡績所]]の自家用水力発電所。 |
*: [[宮城紡績所]]の自家用水力発電所。 |
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* 重力式コンクリート[[ダム]] - [[布引五本松ダム]](布引貯水池) (神戸市) [[1900年]] |
* 重力式コンクリート[[ダム]] - [[布引五本松ダム]](布引貯水池) (神戸市) [[1900年]] |
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* [[バットレスダム]] - [[笹流ダム]] [[1923年]] |
* [[バットレスダム]] - [[笹流ダム]] [[1923年]] |
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* [[原子力発電所]] - 実験炉JPDR [[1963年]][[10月26日]]初発電 |
* [[原子力発電所]] - 実験炉JPDR [[1963年]][[10月26日]]初発電 |
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* 商用原子力発電所 - [[東海発電所]] (1966年7月25日稼働) |
* 商用原子力発電所 - [[東海発電所]] (1966年7月25日稼働) |
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: イギリスから輸入された出力16万6千キロワットのコールダーホール型。 |
*: イギリスから輸入された出力16万6千キロワットのコールダーホール型。 |
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* 洋上風力発電 - 風海鳥(かざみどり)([[せたな町]]) [[2004年]][[4月1日]]本格稼動 |
* 洋上風力発電 - 風海鳥(かざみどり)([[せたな町]]) [[2004年]][[4月1日]]本格稼動 |
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== 地理 == |
== 地理 == |
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* [[金鉱山]] - [[天平]]時代の[[陸奥国]]小田郡(現・[[宮城県]][[遠田郡]])の金山 |
* [[金鉱山]] - [[天平]]時代の[[陸奥国]]小田郡(現・[[宮城県]][[遠田郡]])の金山 |
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: [[天平]]19年([[747年]])頃に発見されたと推定される。詳しくは「[[日本初の一覧#政治・軍事、ほか]]」の「金鉱山の発見」を参照のこと。 |
*: [[天平]]19年([[747年]])頃に発見されたと推定される。詳しくは「[[日本初の一覧#政治・軍事、ほか]]」の「金鉱山の発見」を参照のこと。 |
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* [[平仮名]]のみの[[地方公共団体]]名 - [[長野県]][[諏訪郡]]ちの町 |
* [[平仮名]]のみの[[地方公共団体]]名 - [[長野県]][[諏訪郡]]ちの町 |
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: [[1948年]](昭和23年)5月3日、[[町村制|町制]]施行と同時に改称。現在の[[茅野市]]ちの。 |
*: [[1948年]](昭和23年)5月3日、[[町村制|町制]]施行と同時に改称。現在の[[茅野市]]ちの。 |
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* [[片仮名]]のみの地方公共団体名 - [[滋賀県]][[高島郡 (滋賀県)|高島郡]][[マキノ町]] |
* [[片仮名]]のみの地方公共団体名 - [[滋賀県]][[高島郡 (滋賀県)|高島郡]][[マキノ町]] |
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: [[1955年]](昭和30年)1月1日、[[日本の市町村の廃置分合|市町村合併]]によって成立した。現在の[[高島市]]マキノ町地区。 |
*: [[1955年]](昭和30年)1月1日、[[日本の市町村の廃置分合|市町村合併]]によって成立した。現在の[[高島市]]マキノ町地区。 |
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<!---* 片仮名の地名 消します。詳細はノート---> |
<!---* 片仮名の地名 消します。詳細はノート---> |
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* 平仮名のみの[[市#地方自治法の市|市]] - [[青森県]][[むつ市]] |
* 平仮名のみの[[市#地方自治法の市|市]] - [[青森県]][[むつ市]] |
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: [[1960年]](昭和35年)8月1日、大湊田名部市から改称。 |
*: [[1960年]](昭和35年)8月1日、大湊田名部市から改称。 |
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* 片仮名のみの市 - [[沖縄県]][[コザ市]] |
* 片仮名のみの市 - [[沖縄県]][[コザ市]] |
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: [[1956年]](昭和31年)7月1日、[[市制]]施行。現在の[[沖縄市]]越来。 |
*: [[1956年]](昭和31年)7月1日、[[市制]]施行。現在の[[沖縄市]]越来。 |
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== {{Anchors|政治|軍事}}政治・軍事、ほか == |
== {{Anchors|政治|軍事}}政治・軍事、ほか == |
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* 毘沙門天 - [[神峯山寺]] |
* 毘沙門天 - [[神峯山寺]] |
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: [[大阪府]][[高槻市]]の仏教寺院。697年に日本で最初に[[毘沙門天]]が安置されたことが「神峯山寺秘密縁起」に記されている。 |
*: [[大阪府]][[高槻市]]の仏教寺院。697年に日本で最初に[[毘沙門天]]が安置されたことが「神峯山寺秘密縁起」に記されている。 |
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* 歴史上の人物 - 倭奴国([[倭]]の[[奴国]]か)の[[大夫]] |
* 歴史上の人物 - 倭奴国([[倭]]の[[奴国]]か)の[[大夫]] |
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: 紀元[[57年]]、[[後漢]]に[[朝貢]]して[[光武帝]]から印綬︵[[漢委奴国王印]]︶を授けられた人物。[[日本の歴史|日本史]]上、その活動を︵外国[[史書]]に︶記された最初の人物。大夫は自称であるが、個人名は伝わっていない。
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*: 紀元[[57年]]、[[後漢]]に[[朝貢]]して[[光武帝]]から印綬︵[[漢委奴国王印]]︶を授けられた人物。[[日本の歴史|日本史]]上、その活動を︵外国[[史書]]に︶記された最初の人物。大夫は自称であるが、個人名は伝わっていない。
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* 歴史上の人名 - [[帥升]] |
* 歴史上の人名 - [[帥升]] |
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: [[弥生時代]]中期から後期にかけての時代に属する、[[倭国]]の[[王]]の一人で、日本史上、個人名が判る︵外国史書に記された︶最初の人物。ただし、実名たる[[日本語]]名は不明。
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*: [[弥生時代]]中期から後期にかけての時代に属する、[[倭国]]の[[王]]の一人で、日本史上、個人名が判る︵外国史書に記された︶最初の人物。ただし、実名たる[[日本語]]名は不明。
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* 確認される為政者 - [[帥升]] |
* 確認される為政者 - [[帥升]] |
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: 史実として確認される最古の為政者であり、王。詳しくは上述。※当然ながら、さらに古い時代にも為政者は存在しており、ただ確認されていないにすぎない。
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*: 史実として確認される最古の為政者であり、王。詳しくは上述。※当然ながら、さらに古い時代にも為政者は存在しており、ただ確認されていないにすぎない。
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* 確認される女性為政者 - [[卑弥呼]] |
* 確認される女性為政者 - [[卑弥呼]] |
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: 史実として確認される最古の女性為政者であり、[[女王]]。[[173年]]頃より以前に即位。ただし、実名たる日本語名は不明。※確認されないだけで、さらに古い時代にも女性為政者が存在した可能性は十分にある。
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*: 史実として確認される最古の女性為政者であり、[[女王]]。[[173年]]頃より以前に即位。ただし、実名たる日本語名は不明。※確認されないだけで、さらに古い時代にも女性為政者が存在した可能性は十分にある。
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* [[大王 (ヤマト王権)|大王]] / [[天皇]] - [[神武天皇]] |
* [[大王 (ヤマト王権)|大王]] / [[天皇]] - [[神武天皇]] |
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: 後の世に天皇と呼び換えられる大王の血統にあると伝えられる、神話的な最古の大王。[[日本神話]]では[[辛酉]]年︵神武天皇元年︶[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]︵[[ユリウス暦]][[紀元前660年]][[2月18日]]、[[グレゴリオ暦]]紀元前660年[[2月11日]]︶の即位とされるが、初期の天皇の実在は確定されていない。
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*: 後の世に天皇と呼び換えられる大王の血統にあると伝えられる、神話的な最古の大王。[[日本神話]]では[[辛酉]]年︵神武天皇元年︶[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]︵[[ユリウス暦]][[紀元前660年]][[2月18日]]、[[グレゴリオ暦]]紀元前660年[[2月11日]]︶の即位とされるが、初期の天皇の実在は確定されていない。
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: 当時の呼称として「天皇」は存在せず、後付けである(後述の「『天皇』号の使用」を参照)。 |
*: 当時の呼称として「天皇」は存在せず、後付けである(後述の「『天皇』号の使用」を参照)。 |
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* 実在が確実視される大王 / 天皇 - 一説に第15代・[[応神天皇]]([[3世紀]]頃)、一説に第26代・[[継体天皇]]([[5世紀]]頃) |
* 実在が確実視される大王 / 天皇 - 一説に第15代・[[応神天皇]]([[3世紀]]頃)、一説に第26代・[[継体天皇]]([[5世紀]]頃) |
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: 上記の有力な2説のほかにも諸説あり。詳しくは別項「[[天皇の一覧#初期天皇の実在性]]」を参照のこと。 |
*: 上記の有力な2説のほかにも諸説あり。詳しくは別項「[[天皇の一覧#初期天皇の実在性]]」を参照のこと。 |
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* [[女性天皇]] - [[推古天皇]] |
* [[女性天皇]] - [[推古天皇]] |
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: [[崇峻天皇]]5年([[592年]])に即位した、第33代天皇。 |
*: [[崇峻天皇]]5年([[592年]])に即位した、第33代天皇。 |
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* 「[[天皇]]」号の使用 - 一説に[[天武天皇]]の頃、他説では[[推古天皇]]の頃 |
* 「[[天皇]]」号の使用 - 一説に[[天武天皇]]の頃、他説では[[推古天皇]]の頃 |
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: 「天皇(明治以前の発音は、てんおう)」を使用し始めたのは、天武天皇([[舒明天皇]]3年[[[631年]]]頃即位)時代と見る説が優勢であるが、さらに古く推古天皇([[崇峻天皇]]5年[[[592年]]]即位)の時代とする説もある。 |
*: 「天皇(明治以前の発音は、てんおう)」を使用し始めたのは、天武天皇([[舒明天皇]]3年[[[631年]]]頃即位)時代と見る説が優勢であるが、さらに古く推古天皇([[崇峻天皇]]5年[[[592年]]]即位)の時代とする説もある。 |
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* [[皇族]]外出身の[[皇后]] - [[光明皇后]] |
* [[皇族]]外出身の[[皇后]] - [[光明皇后]] |
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: [[天平]]元年([[729年]])、[[藤原不比等]]の三女・光明子が[[聖武天皇]]皇后に即位。 |
*: [[天平]]元年([[729年]])、[[藤原不比等]]の三女・光明子が[[聖武天皇]]皇后に即位。 |
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* 女性[[皇太子]] - 安倍内親王(のちの[[孝謙天皇]]) |
* 女性[[皇太子]] - 安倍内親王(のちの[[孝謙天皇]]) |
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: 天平10年([[738年]])、立太子。 |
*: 天平10年([[738年]])、立太子。 |
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* 歴史上の[[戦争]] - [[倭国大乱]] |
* 歴史上の[[戦争]] - [[倭国大乱]] |
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: [[2世紀]]後半に倭国のどこかで起こったとされ、中国の複数の史書に記述が見られる。''cf.'' [[日本の合戦一覧]]。 |
*: [[2世紀]]後半に倭国のどこかで起こったとされ、中国の複数の史書に記述が見られる。''cf.'' [[日本の合戦一覧]]。 |
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* 詳細の明らかな戦争 - [[磐井の乱]] |
* 詳細の明らかな戦争 - [[磐井の乱]] |
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: 実行者や状況が分かる戦争で最も古いもの。[[継体天皇]]21年([[527年]])に勃発した内乱( - [[528年]])。 |
*: 実行者や状況が分かる戦争で最も古いもの。[[継体天皇]]21年([[527年]])に勃発した内乱( - [[528年]])。 |
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* 海外の国家との国家間戦争 - 不明 |
* 海外の国家との国家間戦争 - 不明 |
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: [[倭人]]が国軍を海外に送り出した最初の国家間戦争は、[[白村江の戦い]]([[天智天皇]]2年[[[663年]]])以前にも想定されるが、記録に残るものでは白村江の戦いが最古である。 |
*: [[倭人]]が国軍を海外に送り出した最初の国家間戦争は、[[白村江の戦い]]([[天智天皇]]2年[[[663年]]])以前にも想定されるが、記録に残るものでは白村江の戦いが最古である。 |
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* [[近代]]的国家間戦争 - [[日清戦争]] |
* [[近代]]的国家間戦争 - [[日清戦争]] |
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: 近代装備([[産業革命]]以降の軍備)を整えた日本国軍が海外へ出兵した最初の国家間戦争。[[1894年]](明治27年)開戦(- [[1895年]])。 |
*: 近代装備([[産業革命]]以降の軍備)を整えた日本国軍が海外へ出兵した最初の国家間戦争。[[1894年]](明治27年)開戦(- [[1895年]])。 |
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* [[将軍]] - [[四道将軍]]([[大彦命]]、[[武渟川別命]]、[[吉備津彦命]]、[[丹波道主命]]) |
* [[将軍]] - [[四道将軍]]([[大彦命]]、[[武渟川別命]]、[[吉備津彦命]]、[[丹波道主命]]) |
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* [[東夷#日本での用法|東夷]][[征伐|征討]]を任とする将軍([[征夷大将軍]]の前身) - [[巨勢麻呂]] |
* [[東夷#日本での用法|東夷]][[征伐|征討]]を任とする将軍([[征夷大将軍]]の前身) - [[巨勢麻呂]] |
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: 和銅2年([[709年]])、[[陸奥国|陸奥]]鎮東将軍に在職。 |
*: 和銅2年([[709年]])、[[陸奥国|陸奥]]鎮東将軍に在職。 |
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* [[征夷大将軍]] - [[大伴弟麻呂]] |
* [[征夷大将軍]] - [[大伴弟麻呂]] |
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: [[延暦]]12年([[793年]])に就任し、これが史料における「征夷大将軍」の初出とされる。 |
*: [[延暦]]12年([[793年]])に就任し、これが史料における「征夷大将軍」の初出とされる。 |
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* [[武家政権]] - [[平氏政権]] |
* [[武家政権]] - [[平氏政権]] |
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: [[平清盛]]らにより、平安時代末期([[1160年代]])に成立。 |
*: [[平清盛]]らにより、平安時代末期([[1160年代]])に成立。 |
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* [[幕府]] - [[鎌倉幕府]] |
* [[幕府]] - [[鎌倉幕府]] |
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: [[源頼朝]]により、元暦2年([[1185年]])もしくは建久3年([[1192年]])に成立。そもそも歴史学における「幕府」の定義が明確でない上、頼朝が諸国に守護・地頭を置く事が出来た年であれば1192年ではなくその7年前になる。 |
*: [[源頼朝]]により、元暦2年([[1185年]])もしくは建久3年([[1192年]])に成立。そもそも歴史学における「幕府」の定義が明確でない上、頼朝が諸国に守護・地頭を置く事が出来た年であれば1192年ではなくその7年前になる。 |
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* [[元号|元号 / 年号]] - [[大化]] |
* [[元号|元号 / 年号]] - [[大化]] |
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: [[皇極天皇]]5年(大化元年)[[6月19日 (旧暦)|6月19日]](西暦[[645年]][[7月17日]])、[[大化の改新]]の一環として元号の使用を始め、「大化」を年号と定める。 |
*: [[皇極天皇]]5年(大化元年)[[6月19日 (旧暦)|6月19日]](西暦[[645年]][[7月17日]])、[[大化の改新]]の一環として元号の使用を始め、「大化」を年号と定める。 |
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* [[一世一元の制]]の元号 - [[明治]] |
* [[一世一元の制]]の元号 - [[明治]] |
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: [[明治元年]]([[1868年]])、[[明治維新]]の一環として一世一元の制が成立し、「明治」を年号と定める。 |
*: [[明治元年]]([[1868年]])、[[明治維新]]の一環として一世一元の制が成立し、「明治」を年号と定める。 |
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* 確認される[[戸籍]] - [[渡来人]]に関する戸籍 |
* 確認される[[戸籍]] - [[渡来人]]に関する戸籍 |
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: [[欽明天皇]]元年([[540年]])の頃より渡来人を支配するために用いられていた戸籍が、史書で存在を確認できる最古の戸籍である。 |
*: [[欽明天皇]]元年([[540年]])の頃より渡来人を支配するために用いられていた戸籍が、史書で存在を確認できる最古の戸籍である。 |
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* 全国規模の戸籍 - [[古代日本の戸籍制度#庚午(こうご)の年籍|庚午年籍]] |
* 全国規模の戸籍 - [[古代日本の戸籍制度#庚午(こうご)の年籍|庚午年籍]] |
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: [[天智天皇]]9年([[670年]])に全国規模で作られた(あるいは、造籍を図られた)最初の戸籍。 |
*: [[天智天皇]]9年([[670年]])に全国規模で作られた(あるいは、造籍を図られた)最初の戸籍。 |
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* [[選挙]] - [[参議]]の選出 |
* [[選挙]] - [[参議]]の選出 |
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: 天平3年([[731年]])に制度として成立。 |
*: 天平3年([[731年]])に制度として成立。 |
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* 近代[[政党]] - [[自由党 (日本 1881-1884)|自由党]]([[1881年|1881]]- [[1884年]]) |
* 近代[[政党]] - [[自由党 (日本 1881-1884)|自由党]]([[1881年|1881]]- [[1884年]]) |
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: [[板垣退助]]らが[[1880年]]︵明治13年︶に結成し、翌年に成立した自由党。[[1874年]]︵明治7年︶に結成された[[結社|政治結社]]である[[愛国公党]]を起源とする。なお、20世紀に存在した﹁[[自由党#日本の自由党|自由党]]﹂はいずれも無関係である。
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*: [[板垣退助]]らが[[1880年]]︵明治13年︶に結成し、翌年に成立した自由党。[[1874年]]︵明治7年︶に結成された[[結社|政治結社]]である[[愛国公党]]を起源とする。なお、20世紀に存在した﹁[[自由党#日本の自由党|自由党]]﹂はいずれも無関係である。
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* [[県議会]] - [[千葉県議会]] |
* [[県議会]] - [[千葉県議会]] |
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: [[1873年]]︵明治6年︶2月に議事則が制定され、各大区2人ずつ計32人の代議人が[[選挙#公選|公選]]され、同年10月に[[千葉町]]の[[光明寺 (千葉市)|光明寺]]で第1回千葉県議会が開催された。
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*: [[1873年]]︵明治6年︶2月に議事則が制定され、各大区2人ずつ計32人の代議人が[[選挙#公選|公選]]され、同年10月に[[千葉町]]の[[光明寺 (千葉市)|光明寺]]で第1回千葉県議会が開催された。
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* [[議員報酬]]の[[日当]]制 - [[福島県]][[矢祭町]] |
* [[議員報酬]]の[[日当]]制 - [[福島県]][[矢祭町]] |
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: [[2008年]](平成20年)3月31日以降の矢祭町議会から適用。 |
*: [[2008年]](平成20年)3月31日以降の矢祭町議会から適用。 |
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* [[福祉|公共福祉]]施設の設営 - 記録上の最古は、[[養老]]7年([[723年]])の[[悲田院]] |
* [[福祉|公共福祉]]施設の設営 - 記録上の最古は、[[養老]]7年([[723年]])の[[悲田院]] |
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: この年、[[皇太子妃]]時代の[[光明皇后]]が設置。なお、伝説上での最古は、[[聖徳太子]]が[[推古天皇]]元年︵[[593年]]︶に設置したという、[[四天王寺#四箇院|四箇院]]の一部施設としての悲田院・[[施薬院]]・[[療病院]]。
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*: この年、[[皇太子妃]]時代の[[光明皇后]]が設置。なお、伝説上での最古は、[[聖徳太子]]が[[推古天皇]]元年︵[[593年]]︶に設置したという、[[四天王寺#四箇院|四箇院]]の一部施設としての悲田院・[[施薬院]]・[[療病院]]。
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* [[年金]]制度 - [[寛文]]3年([[1663年]]) <ref name="ReferenceDb">{{Cite web |title=会津藩主保科正之が寛文3年(1663)に創設した老齢年金制度はいつまで続けられたのか。|url=http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000065571 |work=レファレンス協同データベース(公式ウェブサイト)|publisher=[[国立国会図書館]] |date=2010年3月24日 |accessdate=2011年10月28日}}</ref> |
* [[年金]]制度 - [[寛文]]3年([[1663年]]) <ref name="ReferenceDb">{{Cite web |title=会津藩主保科正之が寛文3年(1663)に創設した老齢年金制度はいつまで続けられたのか。|url=http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000065571 |work=レファレンス協同データベース(公式ウェブサイト)|publisher=[[国立国会図書館]] |date=2010年3月24日 |accessdate=2011年10月28日}}</ref> |
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: [[保科正之]]治世下の[[会津藩]]で施行された養老扶持の一つ<ref name="ReferenceDb" /><ref name="南房総市">{{Cite web |author=南房総市観光協会 |title=社会福祉 |url=http://www.mboso-etoko.jp/dictionary/article.php?flg=2&code=1543 |work=南房総資源辞典(公式ウェブサイト)|publisher=[[南房総市]] |date= |accessdate=2011年10月28日}}</ref>。身分および男女の別を問わず、領内の[[数え年]]90歳以上の老人(初年155名)に終生一人[[扶持]](1日あたり[[玄米]]5[[合]])を支給するというもの<ref name="ReferenceDb" /><ref name="南房総市" />。[[弘化]]元年[[12月24日 (旧暦)|12月24日]]([[1845年]]1月19日)に[[江戸幕府|幕府]]より養老扶持の廃止が通達されたが、[[会津藩]]では藩米をもってその後も変わらず続けられた<ref name="ReferenceDb" />。 |
*: [[保科正之]]治世下の[[会津藩]]で施行された養老扶持の一つ<ref name="ReferenceDb" /><ref name="南房総市">{{Cite web |author=南房総市観光協会 |title=社会福祉 |url=http://www.mboso-etoko.jp/dictionary/article.php?flg=2&code=1543 |work=南房総資源辞典(公式ウェブサイト)|publisher=[[南房総市]] |date= |accessdate=2011年10月28日}}</ref>。身分および男女の別を問わず、領内の[[数え年]]90歳以上の老人(初年155名)に終生一人[[扶持]](1日あたり[[玄米]]5[[合]])を支給するというもの<ref name="ReferenceDb" /><ref name="南房総市" />。[[弘化]]元年[[12月24日 (旧暦)|12月24日]]([[1845年]]1月19日)に[[江戸幕府|幕府]]より養老扶持の廃止が通達されたが、[[会津藩]]では藩米をもってその後も変わらず続けられた<ref name="ReferenceDb" />。 |
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*[[朝鮮人]]の郡長 - [[666年]]、[[高句麗]]王族の若光が[[神奈川県]][[大磯]]の郡長となる<ref>http://frypan.asablo.jp/blog/2009/03/01/4147038 第119弾 のむけはえぐすり 古代の帰化人 高句麗滅亡</ref>。 |
*[[朝鮮人]]の郡長 - [[666年]]、[[高句麗]]王族の若光が[[神奈川県]][[大磯]]の郡長となる<ref>http://frypan.asablo.jp/blog/2009/03/01/4147038 第119弾 のむけはえぐすり 古代の帰化人 高句麗滅亡</ref>。 |
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* [[警察官]] - [[1871年]](明治4年)の[[東京府]]に設置された邏卒(らそつ) :のち「[[巡査]]」に改称。''cf.'' 「[[日本の警察官]]」 |
* [[警察官]] - [[1871年]](明治4年)の[[東京府]]に設置された邏卒(らそつ) :のち「[[巡査]]」に改称。''cf.'' 「[[日本の警察官]]」 |
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** [[女性警察官]] - [[1946年]](昭和21年)採用の婦人警察官(婦警) :[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の指示による。 |
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* [[バスガイド]] - 東京周遊バス :[[1925年]](大正14年)12月に始まる。''cf.'' 「[[バスガイド#歴史]]」 |
* [[バスガイド]] - 東京周遊バス :[[1925年]](大正14年)12月に始まる。''cf.'' 「[[バスガイド#歴史]]」 |
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** 女性バスガイド - 亀の井自動車(現・[[亀の井バス]]) :[[1928年]](昭和3年)に[[別府地獄めぐり]]遊覧バスで活用開始。 |
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* [[航空機]]乗務員 |
* [[航空機]]乗務員 |
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** [[客室乗務員|フライトアテンダント]](航空機客室乗務員) - 東京航空輸送(後に[[大日本航空]]が吸収合併) |
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**: [[1931年]](昭和6年)、[[東京]]―[[下田]]―[[清水]]間の定期旅客路線で活用開始。 |
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** 女性[[機長]] - [[JALエクスプレス]]の[[藤明里]] ‥[[2010年]]︵平成22年︶7月9日発令。<ref>{{Cite news |date=2010-07-09 |title=国内初の女性機長が誕生 |url=http://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/20100709-OYT8T00740.htm |work=[[YOMIURI ONLINE|Yomiuri Online]] |publisher=[[読売新聞社]] |accessdate=2012-10-22}}{{リンク切れ|date=2012年10月}}</ref>
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[[ファイル:Suehiro Hiroko.jpg|thumb|right|180px|[[末弘ヒロ子]]<br />日本のミスコン優勝者第一号。]] |
[[ファイル:Suehiro Hiroko.jpg|thumb|right|180px|[[末弘ヒロ子]]<br />日本のミスコン優勝者第一号。]] |
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* [[軍人]]および[[自衛隊員]] |
* [[軍人]]および[[自衛隊員]] |
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** 女性自衛隊員 - |
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**: [[1952年]](昭和27年)[[11月]]、[[保安隊]](自衛隊の前身)において現役の看護婦([[看護師]])らが採用され、婦人保安官として正式に採用となった<ref>ホビージャパン『エリートフォーセス 陸上自衛隊編[Part1]』p151 ISBN 4-89425-360-7</ref>。 |
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** [[アメリカ海兵隊|アメリカ海兵隊員]] - 高梨公利(たかなし きみとし) |
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**: 1988年に親戚を頼って[[アメリカ合衆国]]の[[永住権]]を取得し、[[1990年]]︵平成2年︶に23歳で入隊した、広島県出身の男性。1998年に除隊し、2010年時︵取材時︶は会社員。<ref>{{Cite news |date=2010-05-23 |title=県民への挑戦だ 普天間代替自衛隊共用 市民﹁差別﹂と抗議 |url=http://article.okinawatimes.co.jp/article/2010-05-23_6694 |work=[[沖縄タイムス]] |publisher=沖縄タイムス社 |accessdate=2012-10-22}}</ref>
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* [[ミス・コンテスト|美人コンテスト]]<ref>既婚女性や男性を含む「[[美人]]」コンテスト(「ミス・コンテスト」より広義)。</ref>入賞者 |
* [[ミス・コンテスト|美人コンテスト]]<ref>既婚女性や男性を含む「[[美人]]」コンテスト(「ミス・コンテスト」より広義)。</ref>入賞者 |
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** 国内大会優勝者 - ≪未編集≫ |
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** 全国大会優勝者 - [[末弘ヒロ子]] |
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**: [[1908年]](明治41年)3月、[[学習院]]女学部三年生(16歳)のとき、日本初の全国規模の[[ミス・コンテスト]]となった[[時事新報|時事新報社]]主催「日本美人写真募集(良家の淑女写真コンクール)」において第1位となり、「日本のミスコン優勝者第一号」とされる。 |
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** 国際大会優勝者 - [[児島明子]] |
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**: [[1959年]](昭和34年)7月に開催された第8回[[ミス・ユニバース]]世界大会でグランプリを受賞し、[[日本人]]・[[有色人種]](※当時の概念)・アジア人(※今で言う[[アジア系民族]])として初めての優勝者となる。 |
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== 非営利サービス == |
== 非営利サービス == |
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=== 貨幣 === |
=== 貨幣 === |
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* [[官銭]] - [[和同開珎]]([[708年]]) |
* [[官銭]] - [[和同開珎]]([[708年]]) |
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: 流通していたかどうか判明していない[[富本銭]]([[683年]]頃)や私銭の[[無文銀銭]]([[660年]]頃)も存在していた。 |
*: 流通していたかどうか判明していない[[富本銭]]([[683年]]頃)や私銭の[[無文銀銭]]([[660年]]頃)も存在していた。 |
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* [[金貨]] - [[開基勝宝]]([[760年]]) |
* [[金貨]] - [[開基勝宝]]([[760年]]) |
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* [[紙幣]] - 山田羽書([[1603年]]) |
* [[紙幣]] - 山田羽書([[1603年]]) |
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=== {{Anchor|サービス|}}営利サービス === |
=== {{Anchor|サービス|}}営利サービス === |
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* [[朱座]] - [[蜷川親世]]の『[[蜷川親俊日記]]』「天文十二年三月二十六日条」に記された朱座 |
* [[朱座]] - [[蜷川親世]]の『[[蜷川親俊日記]]』「天文十二年三月二十六日条」に記された朱座 |
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*: [[天文 (元号)|天文]]11年[[3月26日 (旧暦)|3月26日]](ユリウス暦[[1542年]][[4月11日]])に成立。 |
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* [[銀座 (歴史)|銀座]] - [[銀座 (歴史)#伏見・銀座町|伏見銀座]] :[[慶長]]6年5月(グレゴリオ暦[[1601年]]の5月か6月)に成立。 |
* [[銀座 (歴史)|銀座]] - [[銀座 (歴史)#伏見・銀座町|伏見銀座]] :[[慶長]]6年5月(グレゴリオ暦[[1601年]]の5月か6月)に成立。 |
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* [[先物取引]]([[差金決済取引|差金決済]]を含む先物取引) - [[大阪]]の[[堂島米会所]]で行われた[[帳合取引|帳合米取引]] |
* [[先物取引]]([[差金決済取引|差金決済]]を含む先物取引) - [[大阪]]の[[堂島米会所]]で行われた[[帳合取引|帳合米取引]] |
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*: [[享保]]15年([[1730年]])。世界初でもある。 |
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* [[ガソリンスタンド]] - スタンダード・オイル・ニューヨーク社(現・[[エクソンモービル]])が横浜に設置。 |
* [[ガソリンスタンド]] - スタンダード・オイル・ニューヨーク社(現・[[エクソンモービル]])が横浜に設置。 |
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** ビジブル式ガソリンスタンド - 奥田友三郎商店 :[[1919年]](大正8年)。 |
** ビジブル式ガソリンスタンド - 奥田友三郎商店 :[[1919年]](大正8年)。 |
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=== {{Anchors|特許|商標|意匠登録|}}特許・商標等 === |
=== {{Anchors|特許|商標|意匠登録|}}特許・商標等 === |
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==== 特許 ==== |
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* [[日本人]]初の[[特許]]取得 - [[平山甚太]]による "Daylight Fireworks" |
* [[日本人]]初の[[特許]]取得 - [[平山甚太]]による "Daylight Fireworks" |
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*: ﹁昼花火﹂とも﹁昼間の煙火﹂とも訳される煙火︵[[花火]]の一種︶であり、[[1883年]]︵明治16年︶、日本人で初めて[[アメリカ合衆国]][[ニューヨーク]]で特許を取得した。<ref>{{Cite web |title=日本人として初めて米国特許を得た男の話 〜平山甚太 ふたたび〜 |url=http://www.tokugikon.jp/gikonshi/247bridge2.pdf |format=PDF |work=特技懇︵ウェブサイト︶|publisher= |date=2007年11月14日 |accessdate=2011年11月6日}}</ref>
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* 国内初の特許取得 - [[堀田瑞松]]([[東京府]]の木竹[[彫刻家]])による「堀田式[[防錆剤|錆止め]][[塗料]]及びその塗法」 |
* 国内初の特許取得 - [[堀田瑞松]]([[東京府]]の木竹[[彫刻家]])による「堀田式[[防錆剤|錆止め]][[塗料]]及びその塗法」 |
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*: [[1885年]]︵明治18年︶7月1日出願、同年[[8月14日]]登録︵※のち、この日をもって﹁[[専売特許の日]]﹂とする︶。[[漆]]や[[柿渋]]・[[ショウガ|生姜]]等を使った防錆塗料と塗法で、鉄製船舶の船底が海水に[[腐食]]されることを防ぐためのもの。アメリカ合衆国でも特許取得。
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==== 商標登録・意匠登録 ==== |
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* 国内初の[[商標]]登録 - [[平井祐喜]]([[京都府]]の[[ドラッグストア|薬店]]経営者)による[[軟膏剤|膏薬]](こうやく)[[丸剤|丸薬]] |
* 国内初の[[商標]]登録 - [[平井祐喜]]([[京都府]]の[[ドラッグストア|薬店]]経営者)による[[軟膏剤|膏薬]](こうやく)[[丸剤|丸薬]] |
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*: [[1884年]]︵明治17年︶10月1日出願、[[1885年]]︵明治18年︶[[6月2日]]登録。<ref>{{Cite web |title=商標とは? |url=http://www.shohyotorokushutsugan.net/cont1/index.html |work=商標登録出願.net︵公式ウェブサイト︶|publisher=児島特許事務所[http://www.kojimatokkyojimusho.net/] |accessdate=2011年11月6日}}
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</ref><ref name="制度史, JPO" /> |
</ref><ref name="制度史, JPO" /> |
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** 国内初の[[水産物]]の商標登録 |
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**: 佐賀関町漁業協同組合(現・[[大分県漁業協同組合]]佐賀関支店)による「[[関あじ]]」と「[[関さば]]」 |
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**: [[1996年]](平成8年)10月、同時に[[地域団体商標]]登録された。 |
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* 国内初の[[意匠権#意匠の登録|意匠登録]] - 8代目[[須永由兵衛]](栃木県[[足利市]]の[[織物]]業者)による「雲井織」 |
* 国内初の[[意匠権#意匠の登録|意匠登録]] - 8代目[[須永由兵衛]](栃木県[[足利市]]の[[織物]]業者)による「雲井織」 |
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*: [[1889年]]︵明治22年︶5月に登録された、織物縞の意匠。<ref name="制度史, JPO">{{Cite web |title=産業財産権制度の歴史 |url=http://www.jpo.go.jp/cgi/link.cgi?url=/seido/rekishi/rekisi.htm |work=︵公式ウェブサイト︶|publisher=[[特許庁]] |date= |accessdate=2011年11月6日}}</ref>
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== 学問 == |
== 学問 == |
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=== 全般 === |
=== 全般 === |
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==== 総記 ==== |
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* [[百科事典]] - [[西周 (啓蒙家)|西周]]による『[[百学連環]]』 :[[1870年]](明治2年)頃。 |
* [[百科事典]] - [[西周 (啓蒙家)|西周]]による『[[百学連環]]』 :[[1870年]](明治2年)頃。 |
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==== 言語 ==== |
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* 和字(日本独自の[[文字]]) - [[万葉仮名]] :早ければ[[5世紀]]([[古墳時代]])、遅くとも[[7世紀]]中頃([[平安時代]])には成立。 |
* 和字(日本独自の[[文字]]) - [[万葉仮名]] :早ければ[[5世紀]]([[古墳時代]])、遅くとも[[7世紀]]中頃([[平安時代]])には成立。 |
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==== 地球科学 ==== |
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* 日本の[[植物]]に[[学名]]を命名 - [[ヤマトグサ]] :[[1889年]](明治22年)、[[牧野富太郎]]が新種として学術誌に記載(命名)。 |
* 日本の[[植物]]に[[学名]]を命名 - [[ヤマトグサ]] :[[1889年]](明治22年)、[[牧野富太郎]]が新種として学術誌に記載(命名)。 |
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* 日本領内での[[恐竜]][[化石]]の発見 - [[ニッポノサウルス|ニッポノサウルス・サハリネンシス]] |
* 日本領内での[[恐竜]][[化石]]の発見 - [[ニッポノサウルス|ニッポノサウルス・サハリネンシス]] |
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*: [[1934年]](昭和9年)、当時日本領であった[[樺太]](現・[[ロシア]]、[[サハリン州]]南部)にあった[[豊栄郡]][[川上村 (樺太)|川上村]]の上部[[白亜紀]][[地層]]から発見された。 |
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** [[第二次世界大戦]]終了以降の日本領内での恐竜化石の発見 - [[モシリュウ]] |
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**: [[1978年]](昭和53年)、[[岩手県]][[下閉伊郡]][[岩泉町]]茂師の下部白亜紀地層から発見された。「[[日本列島]]での恐竜化石の発見」とも言い換え可能。いまだ[[学名]]は無い。 |
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* 日本領内での[[首長竜]]化石の発見、新種首長竜化石の発見 - [[フタバスズキリュウ|フタバサウルス・スズキイ(フタバスズキリュウ)]] |
* 日本領内での[[首長竜]]化石の発見、新種首長竜化石の発見 - [[フタバスズキリュウ|フタバサウルス・スズキイ(フタバスズキリュウ)]] |
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*: [[1968年]](昭和43年)に[[福島県]]の[[大久川]]河岸の上部白亜紀地層から発見され、新属新種の首長竜と判明した[[2006年]](平成18年)に学名が正式に[[記載]]された。 |
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* 恐竜の足跡化石<!--○「足跡化石」x「足跡」-->の発見 - [[1985年]](昭和60年)4月3日、[[群馬県]][[多野郡]][[中里村 (群馬県)|中里村]](現・[[神流町]]の[[恐竜王国中里]]) |
* 恐竜の足跡化石<!--○「足跡化石」x「足跡」-->の発見 - [[1985年]](昭和60年)4月3日、[[群馬県]][[多野郡]][[中里村 (群馬県)|中里村]](現・[[神流町]]の[[恐竜王国中里]]) |
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* [[打製石器]]([[旧石器時代#道具|旧石器]])の発見 - [[1949年]](昭和24年)7月、[[岩宿遺跡]] :[[相沢忠洋]]による。 ''cf.'' 「[[日本列島の旧石器時代]]」 |
* [[打製石器]]([[旧石器時代#道具|旧石器]])の発見 - [[1949年]](昭和24年)7月、[[岩宿遺跡]] :[[相沢忠洋]]による。 ''cf.'' 「[[日本列島の旧石器時代]]」 |
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* 天然[[ダイヤモンド]]の発見 - [[2007年]](平成19年)、[[愛媛県]] |
* 天然[[ダイヤモンド]]の発見 - [[2007年]](平成19年)、[[愛媛県]] |
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*: [[水上知行]]が岩石の中から1000分の1[[ミリメートル]]の天然ダイヤモンドを発見。 |
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=== 受賞 === |
=== 受賞 === |
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* [[ノーベル賞]]受賞 - [[1949年]](昭和24年)<!--×10月→○12月10日=授賞式-->、[[湯川秀樹]] :物理学賞。 ''cf.'' 「[[日本人のノーベル賞受賞者]]」 |
* [[ノーベル賞]]受賞 - [[1949年]](昭和24年)<!--×10月→○12月10日=授賞式-->、[[湯川秀樹]] :物理学賞。 ''cf.'' 「[[日本人のノーベル賞受賞者]]」 |
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** [[ノーベル物理学賞|物理学賞]] - 上に同じ |
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** [[ノーベル化学賞|化学賞]] - [[1981年]](昭和56年)、[[福井謙一]] |
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** [[ノーベル医学生理学賞|医学生理学賞]] - [[1987年]](昭和62年)、[[利根川進]] |
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** [[ノーベル文学賞|文学賞]] - [[1968年]](昭和43年)、[[川端康成]] |
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** [[ノーベル平和賞|平和賞]] - [[1974年]](昭和49年)、[[佐藤栄作]] :唯一の受賞(<small>2012年受賞者発表時点</small>)。 |
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* [[アルバート・ラスカー医学研究賞]]受賞 - [[1982年]](昭和57年)、[[花房秀三郎]] :基礎医学研究賞。 |
* [[アルバート・ラスカー医学研究賞]]受賞 - [[1982年]](昭和57年)、[[花房秀三郎]] :基礎医学研究賞。 |
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* [[ルイザ・グロス・ホロウィッツ賞]]受賞 - 1982年(昭和57年)、[[利根川進]] :唯一の受賞(<small>2012年受賞者発表時点</small>)。 |
* [[ルイザ・グロス・ホロウィッツ賞]]受賞 - 1982年(昭和57年)、[[利根川進]] :唯一の受賞(<small>2012年受賞者発表時点</small>)。 |
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{{Main2|文化・教育関連建築物の現存最古|日本最古の一覧#文化・教育施設}} |
{{Main2|文化・教育関連建築物の現存最古|日本最古の一覧#文化・教育施設}} |
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{{Main2|教育機関の現存最古|日本最古の一覧#教育機関}} |
{{Main2|教育機関の現存最古|日本最古の一覧#教育機関}} |
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* [[学校]] |
* [[学校]]{{main|学校に関する日本初の一覧}} |
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{{main|学校に関する日本初の一覧}} |
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* [[天文台]] - [[天武天皇]]4年[[1月5日 (旧暦)|1月5日]](<small>[[ユリウス暦]]</small>[[675年]][[2月8日]])に天皇自らが開設した占星台([[占星術]]天文観測所)が確認可能な最古。 |
* [[天文台]] - [[天武天皇]]4年[[1月5日 (旧暦)|1月5日]](<small>[[ユリウス暦]]</small>[[675年]][[2月8日]])に天皇自らが開設した占星台([[占星術]]天文観測所)が確認可能な最古。 |
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* [[図書館]] - [[芸亭]] :[[8世紀]]前半([[奈良時代]]後期)、[[石上宅嗣]]によって[[平城京]]に設置された公開図書館。 |
* [[図書館]] - [[芸亭]] :[[8世紀]]前半([[奈良時代]]後期)、[[石上宅嗣]]によって[[平城京]]に設置された公開図書館。 |
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** [[公共図書館]] - [[青柳文庫]] :[[天保]]2年([[1831年]])、[[仙台藩]]が開設。 |
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* [[博物館]] - 文部省博物館(現・[[東京国立博物館]]) :[[1872年]](明治4年)開設。 |
* [[博物館]] - 文部省博物館(現・[[東京国立博物館]]) :[[1872年]](明治4年)開設。 |
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* 臨海[[実験所]] - [[江ノ島臨海実験所]] |
* 臨海[[実験所]] - [[江ノ島臨海実験所]] |
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*: [[1877年]](明治10年)[[7月17日]]、[[エドワード・モース]]が東洋初の臨海実験所を[[江の島]]に開設し、海洋生物の研究を行った。当地は[[海洋生物学]]発祥の地。 |
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* 高所[[気象台]]、山岳[[測候所]] - 山階宮筑波山測候所(現・[[筑波山気象観測ステーション]])<ref>[[茨城新聞社]] 編『茨城県大百科事典』茨城新聞社、1981年10月8日、1099pp.(719ページより)</ref> :[[1902年]](明治35年)1月1日開設(通年観測の開始)<ref>筑波町史編纂専門委員会 編『[[筑波町]]史 下巻』つくば市長 倉田弘 発行、平成2年3月25日、697pp.(253ページより)</ref>。 |
* 高所[[気象台]]、山岳[[測候所]] - 山階宮筑波山測候所(現・[[筑波山気象観測ステーション]])<ref>[[茨城新聞社]] 編『茨城県大百科事典』茨城新聞社、1981年10月8日、1099pp.(719ページより)</ref> :[[1902年]](明治35年)1月1日開設(通年観測の開始)<ref>筑波町史編纂専門委員会 編『[[筑波町]]史 下巻』つくば市長 倉田弘 発行、平成2年3月25日、697pp.(253ページより)</ref>。 |
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* [[科学館]] - [[大阪市立電気科学館]] (現・[[大阪市立科学館]]) :[[1937年]](昭和12年)開設。 |
* [[科学館]] - [[大阪市立電気科学館]] (現・[[大阪市立科学館]]) :[[1937年]](昭和12年)開設。 |
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* [[ラジオ体操]] - [[1928年]](昭和3年)[[8月1日]]、社団法人[[日本放送協会]]関西支部(旧・社団法人日本放送協会大阪中央放送局、現・[[NHK大阪放送局]])が放送開始<ref>{{Cite book|和書 |
* [[ラジオ体操]] - [[1928年]](昭和3年)[[8月1日]]、社団法人[[日本放送協会]]関西支部(旧・社団法人日本放送協会大阪中央放送局、現・[[NHK大阪放送局]])が放送開始<ref>{{Cite book|和書 |
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|author=黒田勇 |date=1999-11-30 |title=ラジオ体操の誕生 |series=青弓社ライブラリー |volume=︿4﹀|publisher=[[青弓社]] |isbn=978-4-7872-3165-9 |pages=11-12頁}}</ref>。
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|author=黒田勇 |date=1999-11-30 |title=ラジオ体操の誕生 |series=青弓社ライブラリー |volume=︿4﹀|publisher=[[青弓社]] |isbn=978-4-7872-3165-9 |pages=11-12頁}}</ref>。
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*: 世界初は[[1922年]]4月、アメリカ合衆国[[マサチューセッツ州]][[ボストン]]の放送局WGIによる。 |
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== エンターテインメント == |
== エンターテインメント == |
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<!--日本初=世界初・諸説紛々・不明確な情報ありの場合はコメントアウト--> |
<!--日本初=世界初・諸説紛々・不明確な情報ありの場合はコメントアウト--> |
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=== 音楽 === |
=== 音楽 === |
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==== メディア ==== |
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* [[レコード]]への録音 - [[川上音二郎]]の『[[オッペケペー節]]』 [[1900年]] |
* [[レコード]]への録音 - [[川上音二郎]]の『[[オッペケペー節]]』 [[1900年]] |
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* 音楽用[[コンパクトディスク|CD]]のアーティスト - [[ビリー・ジョエル]]と[[大瀧詠一]] [[1982年]] |
* 音楽用[[コンパクトディスク|CD]]のアーティスト - [[ビリー・ジョエル]]と[[大瀧詠一]] [[1982年]] |
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* [[着うた]] - [[CHEMISTRY]]の「[[My Gift to You]]」 [[2002年]][[12月]] |
* [[着うた]] - [[CHEMISTRY]]の「[[My Gift to You]]」 [[2002年]][[12月]] |
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==== ヒットチャート ==== |
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* 売上枚数100万枚を突破した[[アルバム]] - [[井上陽水]]の『[[氷の世界 (井上陽水のアルバム)|氷の世界]]』 [[1975年]] |
* 売上枚数100万枚を突破した[[アルバム]] - [[井上陽水]]の『[[氷の世界 (井上陽水のアルバム)|氷の世界]]』 [[1975年]] |
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* 10代での連続アルバム(3作連続)ミリオンセラー達成 - [[宇多田ヒカル]] |
* 10代での連続アルバム(3作連続)ミリオンセラー達成 - [[宇多田ヒカル]] |
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* [[着うたフル]]ダウンロード件数100万件を突破した楽曲 - [[GReeeeN]]の『[[愛唄]]』 [[2007年]][[8月3日]] |
* [[着うたフル]]ダウンロード件数100万件を突破した楽曲 - [[GReeeeN]]の『[[愛唄]]』 [[2007年]][[8月3日]] |
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* 音楽チャート主要6部門完全制覇アーティスト - [[ORANGE RANGE]] |
* 音楽チャート主要6部門完全制覇アーティスト - [[ORANGE RANGE]] |
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: シングル、アルバム、配信、カラオケ、有線、音楽DVDの6冠<ref>[http://www.daily.co.jp/gossip/2007/06/14/0000386387.shtml コブクロ 新DVDオリコン1位確実]、[[デイリースポーツ]]、2007年6月14日</ref>。
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*: シングル、アルバム、配信、カラオケ、有線、音楽DVDの6冠<ref>[http://www.daily.co.jp/gossip/2007/06/14/0000386387.shtml コブクロ 新DVDオリコン1位確実]、[[デイリースポーツ]]、2007年6月14日</ref>。
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* アメリカ音楽ヒットチャート1位を獲得したシングル - [[坂本九]]の『[[上を向いて歩こう]]』 [[1963年]] |
* アメリカ音楽ヒットチャート1位を獲得したシングル - [[坂本九]]の『[[上を向いて歩こう]]』 [[1963年]] |
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: [[ビルボード]]誌、[[キャッシュボックス]]誌ともに1位を獲得。 |
*: [[ビルボード]]誌、[[キャッシュボックス]]誌ともに1位を獲得。 |
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* アメリカで売上枚数100万枚を突破したシングル - 坂本九の『上を向いて歩こう』 [[1964年]] |
* アメリカで売上枚数100万枚を突破したシングル - 坂本九の『上を向いて歩こう』 [[1964年]] |
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* アメリカで[[ビルボード]]のアルバムチャート100位以内にランクインしたアルバム - ソロシンガーでは坂本九の『[[:en:Sukiyaki And Other Japanese Hits|Sukiyaki And Other Japanese Hits]]』 [[1963年]]、最高14位。グループでは[[LOUDNESS]]の『[[THUNDER IN THE EAST]]』 [[1985年]]、最高74位。 |
* アメリカで[[ビルボード]]のアルバムチャート100位以内にランクインしたアルバム - ソロシンガーでは坂本九の『[[:en:Sukiyaki And Other Japanese Hits|Sukiyaki And Other Japanese Hits]]』 [[1963年]]、最高14位。グループでは[[LOUDNESS]]の『[[THUNDER IN THE EAST]]』 [[1985年]]、最高74位。 |
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: 2010年6月現在、日本のミュージシャンによるランキング最高位は更新されていない。 |
*: 2010年6月現在、日本のミュージシャンによるランキング最高位は更新されていない。 |
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==== コンクール ==== |
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* 国際コンクール参加及び入選 - [[井上園子]]([[1933年]]) :[[ウィーン国際音楽コンクール]]ピアノ部門に入選。 |
* 国際コンクール参加及び入選 - [[井上園子]]([[1933年]]) :[[ウィーン国際音楽コンクール]]ピアノ部門に入選。 |
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* 国際コンクール受賞者 - [[原智恵子]]([[1937年]]) :[[ショパン国際ピアノコンクール]]入選・特別聴衆賞。 |
* 国際コンクール受賞者 - [[原智恵子]]([[1937年]]) :[[ショパン国際ピアノコンクール]]入選・特別聴衆賞。 |
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* 国際コンクール最高位獲得 - [[田中希代子]]([[1952年]]) |
* 国際コンクール最高位獲得 - [[田中希代子]]([[1952年]]) |
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: [[ジュネーヴ国際音楽コンクール]]ピアノ部門に1位無しの2位特賞。日本初の国際コンクール正規入賞でもある。 |
*: [[ジュネーヴ国際音楽コンクール]]ピアノ部門に1位無しの2位特賞。日本初の国際コンクール正規入賞でもある。 |
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* 国際コンクール優勝 - [[高野耀子]]([[1954年]]) :[[ヴィオッティ国際音楽コンクール]]ピアノ部門。 |
* 国際コンクール優勝 - [[高野耀子]]([[1954年]]) :[[ヴィオッティ国際音楽コンクール]]ピアノ部門。 |
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==== 作曲・演奏 ==== |
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* [[オーケストラ]] - [[宮内省]][[雅楽課]]の有志により創設([[1879年]]) |
* [[オーケストラ]] - [[宮内省]][[雅楽課]]の有志により創設([[1879年]]) |
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* 民間オーケストラ - [[東京フィルハーモニーの会]]管弦楽部([[1915年]]) :東京フィルハーモニーの会は[[1909年]]に設立。 |
* 民間オーケストラ - [[東京フィルハーモニーの会]]管弦楽部([[1915年]]) :東京フィルハーモニーの会は[[1909年]]に設立。 |
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* プロ和太鼓集団 - [[王将太鼓]](大阪市) [[1966年]]2月22日結成 ※世界初でもある |
* プロ和太鼓集団 - [[王将太鼓]](大阪市) [[1966年]]2月22日結成 ※世界初でもある |
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* 演奏された「和太鼓と[[金管楽器]]・[[洋楽]]」の[[セッション]] - 高山正行(越前龍天太鼓) |
* 演奏された「和太鼓と[[金管楽器]]・[[洋楽]]」の[[セッション]] - 高山正行(越前龍天太鼓) |
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: [[1978年]]8月2日、[[福井市|福井県福井市]]で開催された「75万人のための吹奏楽”夢のドリルショー”」(主催:福井市)における。世界初でもある。 |
*: [[1978年]]8月2日、[[福井市|福井県福井市]]で開催された「75万人のための吹奏楽”夢のドリルショー”」(主催:福井市)における。世界初でもある。 |
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* アマチュア和太鼓チームの非営利団体 - [[福井県太鼓協会]] [[1981年]]2月 ※世界初でもある |
* アマチュア和太鼓チームの非営利団体 - [[福井県太鼓協会]] [[1981年]]2月 ※世界初でもある |
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=== テレビ === |
=== テレビ === |
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==== インフラ ==== |
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* [[テレビ]]実験放送 - [[1940年]][[4月13日]] |
* [[テレビ]]実験放送 - [[1940年]][[4月13日]] |
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* テレビ放送 - [[日本放送協会|NHK]]が[[1953年]][[2月1日]]に開始 |
* テレビ放送 - [[日本放送協会|NHK]]が[[1953年]][[2月1日]]に開始 |
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589行目: | 580行目: | ||
* 地上波マルチメディア放送 - [[NOTTV]] :[[2012年]]4月1日開始。 |
* 地上波マルチメディア放送 - [[NOTTV]] :[[2012年]]4月1日開始。 |
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* [[放送持株会社]] - [[フジ・メディア・ホールディングス]] :[[2008年]]10月1日の[[フジテレビジョン]]分社化に伴い移行。 |
* [[放送持株会社]] - [[フジ・メディア・ホールディングス]] :[[2008年]]10月1日の[[フジテレビジョン]]分社化に伴い移行。 |
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==== コンテンツ ==== |
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* [[コマーシャル|テレビコマーシャル]] - 日本テレビが[[1953年]][[8月28日]]に放映した精工舎(現[[セイコーホールディングス|セイコー]])の時報コマーシャル。フィルムを裏返しで回してしまったため音声が出力されず、'''日本初の[[放送事故]]'''まで引き起こしたのは有名。 |
* [[コマーシャル|テレビコマーシャル]] - 日本テレビが[[1953年]][[8月28日]]に放映した精工舎(現[[セイコーホールディングス|セイコー]])の時報コマーシャル。フィルムを裏返しで回してしまったため音声が出力されず、'''日本初の[[放送事故]]'''まで引き起こしたのは有名。 |
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* 国産テレビドラマ - 『[[夕餉前]]』 :[[1940年]]放送(実験放送)。 |
* 国産テレビドラマ - 『[[夕餉前]]』 :[[1940年]]放送(実験放送)。 |
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* 24時間ニュース専門チャンネル - NNN24(現・[[日テレNEWS24]]) |
* 24時間ニュース専門チャンネル - NNN24(現・[[日テレNEWS24]]) |
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* 3Dが使用された番組 - 『[[オズの魔法使い]]』 |
* 3Dが使用された番組 - 『[[オズの魔法使い]]』 |
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: デジタル放送における3D放送は『[[3D立体革命]]』 |
*: デジタル放送における3D放送は『[[3D立体革命]]』 |
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: 地上デジタル放送では『[[驚きの嵐!世紀の実験 学者も予測不可能SP|驚きの嵐!世紀の実験 学者も予測不可能SP&奇跡を呼ぶ実験的生ライブ!!]]』 |
*: 地上デジタル放送では『[[驚きの嵐!世紀の実験 学者も予測不可能SP|驚きの嵐!世紀の実験 学者も予測不可能SP&奇跡を呼ぶ実験的生ライブ!!]]』 |
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* スポーツ実況中継 - [[後楽園球場]]でのパシフィック・リーグ大映対近鉄、毎日対東急:[[1951年]](実験放送) |
* スポーツ実況中継 - [[後楽園球場]]でのパシフィック・リーグ大映対近鉄、毎日対東急:[[1951年]](実験放送) |
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* 著名人の[[結婚披露宴]]生中継 - [[三浦友和]]・[[山口百恵]] |
* 著名人の[[結婚披露宴]]生中継 - [[三浦友和]]・[[山口百恵]] |
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* 地上波による[[プロ野球中継|中継]]がなかった試合のある[[日本シリーズ]] - [[2010年]](巨人が進出していれば第1・2・5戦は[[日本テレビ放送網]]が権利を取るはずだった) |
* 地上波による[[プロ野球中継|中継]]がなかった試合のある[[日本シリーズ]] - [[2010年]](巨人が進出していれば第1・2・5戦は[[日本テレビ放送網]]が権利を取るはずだった) |
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=== ラジオ === |
=== ラジオ === |
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* [[放送局]] - 社団法人東京放送局(現・[[日本放送協会]]の[[NHKラジオ第1放送]]) |
* [[放送局]] - 社団法人東京放送局(現・[[日本放送協会]]の[[NHKラジオ第1放送]]) |
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: [[1924年]]11月29日開局。[[1925年]][[3月22日]]午前9時30分、本放送開始。京田武男アナウンサーによる第一声は、﹁アーアー、聞こえますか。︵間︶JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。こんにち只今より放送を開始致します﹂。[[3月22日]]は[[放送記念日]]とされる。
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*: [[1924年]]11月29日開局。[[1925年]][[3月22日]]午前9時30分、本放送開始。京田武男アナウンサーによる第一声は、﹁アーアー、聞こえますか。︵間︶JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。こんにち只今より放送を開始致します﹂。[[3月22日]]は[[放送記念日]]とされる。
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* [[有線ラジオ放送|有線放送]] - [[新潟県]][[東頸城郡]]牧村(現・[[上越市]])にて :[[1937年]] |
* [[有線ラジオ放送|有線放送]] - [[新潟県]][[東頸城郡]]牧村(現・[[上越市]])にて :[[1937年]] |
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* [[民間放送]]局 - [[中部日本放送]]([[CBCラジオ]]) |
* [[民間放送]]局 - [[中部日本放送]]([[CBCラジオ]]) |
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: [[1951年]][[9月1日]]開局。[[毎日放送]]︵[[MBSラジオ]]。当時は新日本放送︶も同日に開局したが放送送出はCBCの方が早かった。逆に試験電波の発射は新日本放送の方が先。
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*: [[1951年]][[9月1日]]開局。[[毎日放送]]︵[[MBSラジオ]]。当時は新日本放送︶も同日に開局したが放送送出はCBCの方が早かった。逆に試験電波の発射は新日本放送の方が先。
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* [[FM放送|FM放送局]] - [[東海大学]]の実用化試験局[[FM東海]] |
* [[FM放送|FM放送局]] - [[東海大学]]の実用化試験局[[FM東海]] |
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: [[1958年]][[12月31日]]開局。現在の[[エフエム東京|TOKYO FM]]の前身。 |
*: [[1958年]][[12月31日]]開局。現在の[[エフエム東京|TOKYO FM]]の前身。 |
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: 企業が事業の一環として開設した[[エフエム愛知|FM愛知]]を“日本初の民放FM”とする意見もある(東海大学は営利目的でない法人のため)。 |
*: 企業が事業の一環として開設した[[エフエム愛知|FM愛知]]を“日本初の民放FM”とする意見もある(東海大学は営利目的でない法人のため)。 |
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: 一方、[[NHK-FM放送|NHK-FM]]については開局こそ1957年であるが、本放送は[[1969年]]である。 |
*: 一方、[[NHK-FM放送|NHK-FM]]については開局こそ1957年であるが、本放送は[[1969年]]である。 |
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* 衛星ラジオかつ[[デジタルラジオ]]放送 - [[セント・ギガ]] |
* 衛星ラジオかつ[[デジタルラジオ]]放送 - [[セント・ギガ]] |
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: [[1991年]][[3月30日]]。衛星デジタルラジオとしては世界初でもある。 |
*: [[1991年]][[3月30日]]。衛星デジタルラジオとしては世界初でもある。 |
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* [[CS-PCM音声放送]] - ピーシーエムジャパン :[[1992年]][[6月15日]] |
* [[CS-PCM音声放送]] - ピーシーエムジャパン :[[1992年]][[6月15日]] |
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* [[コミュニティ放送]] - [[FMいるか]] :1992年[[12月24日]]。 |
* [[コミュニティ放送]] - [[FMいるか]] :1992年[[12月24日]]。 |
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* 文字多重放送 - TOKYO FM「見えるラジオ」 :[[1994年]][[10月1日]]開始。 |
* 文字多重放送 - TOKYO FM「見えるラジオ」 :[[1994年]][[10月1日]]開始。 |
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* 放送局の破綻 - 近畿放送(現・[[京都放送]]) :[[イトマン事件]]に巻き込まれた。 |
* 放送局の破綻 - 近畿放送(現・[[京都放送]]) :[[イトマン事件]]に巻き込まれた。 |
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*: ちなみに、ラジオ単営局(FM放送)での破綻例はエフエム九州(旧社、現・[[CROSS FM]])が日本初。 |
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* 地上波放送局の閉局 - [[エフエムこんぴら]] :[[1998年]][[11月30日]]。移行や合併などを除いた、いわゆる完全廃止。 |
* 地上波放送局の閉局 - [[エフエムこんぴら]] :[[1998年]][[11月30日]]。移行や合併などを除いた、いわゆる完全廃止。 |
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* 県域放送局の閉局 - [[愛知国際放送]] :[[2010年]][[9月30日]]。 |
* 県域放送局の閉局 - [[愛知国際放送]] :[[2010年]][[9月30日]]。 |
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* スポーツ実況中継 - [[1927年]][[8月13日]]に行われた第13回全国中等学校優勝野球大会(現・[[全国高等学校野球選手権大会]]、夏の大会)の試合 |
* スポーツ実況中継 - [[1927年]][[8月13日]]に行われた第13回全国中等学校優勝野球大会(現・[[全国高等学校野球選手権大会]]、夏の大会)の試合 |
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: 中継を担当したのは大阪放送局︵JOBK、現・[[NHK大阪放送局]]︶。[[魚谷忠]]アナウンサーが全21試合を実況した。第一声は﹁JOBK、こちらは大阪中央放送局甲子園臨時出張所であります﹂。
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*: 中継を担当したのは大阪放送局︵JOBK、現・[[NHK大阪放送局]]︶。[[魚谷忠]]アナウンサーが全21試合を実況した。第一声は﹁JOBK、こちらは大阪中央放送局甲子園臨時出張所であります﹂。
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* コマーシャル - 新日本放送([[毎日放送]])が[[1951年]][[9月1日]]に放送した「[[スモカ歯磨]]」のコマーシャル。 |
* コマーシャル - 新日本放送([[毎日放送]])が[[1951年]][[9月1日]]に放送した「[[スモカ歯磨]]」のコマーシャル。 |
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* FM放送局による[[ナイター]]中継 - [[エフエムナックファイブ|NACK5]]が放送 |
* FM放送局による[[ナイター]]中継 - [[エフエムナックファイブ|NACK5]]が放送 |
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: [[1989年]]。また、日本で初めてプロスポーツ中継を行なったFM局でもある(NHK-FMでプロ野球中継が行われた事はない)。 |
*: [[1989年]]。また、日本で初めてプロスポーツ中継を行なったFM局でもある(NHK-FMでプロ野球中継が行われた事はない)。 |
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* [[深夜放送]] - ラジオ東京([[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]])の「イングリッシュ・アワー」 :[[1952年]][[4月1日]]開始。 |
* [[深夜放送]] - ラジオ東京([[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]])の「イングリッシュ・アワー」 :[[1952年]][[4月1日]]開始。 |
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* [[終夜放送]] - ラジオ関東([[アール・エフ・ラジオ日本]])の「オールナイト・パートナー」 :[[1966年]][[10月3日]]開始。 |
* [[終夜放送]] - ラジオ関東([[アール・エフ・ラジオ日本]])の「オールナイト・パートナー」 :[[1966年]][[10月3日]]開始。 |
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* [[予想紙]] - 中島高級競馬號 :[[1924年]] |
* [[予想紙]] - 中島高級競馬號 :[[1924年]] |
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* [[スポーツ新聞]] - [[日刊スポーツ]] :[[1946年]][[3月6日]] |
* [[スポーツ新聞]] - [[日刊スポーツ]] :[[1946年]][[3月6日]] |
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: [[スポーツ報知]]の創刊は1872年7月15日だが、スポーツ新聞として新装刊されたのは[[1949年]][[12月30日]]。 |
*: [[スポーツ報知]]の創刊は1872年7月15日だが、スポーツ新聞として新装刊されたのは[[1949年]][[12月30日]]。 |
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=== 映画 === |
=== 映画 === |
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* 映画[[興行]] - 大阪市難波の[[南地演舞場]]、入場料一般席10銭、特別席20銭、フランスの[[リュミエール兄弟]]製作作品、[[1897年]][[2月15日]] |
* 映画[[興行]] - 大阪市難波の[[南地演舞場]]、入場料一般席10銭、特別席20銭、フランスの[[リュミエール兄弟]]製作作品、[[1897年]][[2月15日]] |
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* 国産映画 - ドキュメンタリー短篇映画『大坂道頓堀の図』『大坂舞子の踊り』『芸者の手踊り』、会場[[歌舞伎座]]、[[1899年]][[6月20日]] |
* 国産映画 - ドキュメンタリー短篇映画『大坂道頓堀の図』『大坂舞子の踊り』『芸者の手踊り』、会場[[歌舞伎座]]、[[1899年]][[6月20日]] |
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* 劇[[映画監督]] - [[現代劇]] : [[駒田好洋]]・[[柴田常吉]]『[[清水定吉#映画作品|ピストル強盗清水定吉]]』、1899年 |
* 劇[[映画監督]] - [[現代劇]] : [[駒田好洋]]・[[柴田常吉]]『[[清水定吉#映画作品|ピストル強盗清水定吉]]』、1899年 |
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** 女性映画監督 - [[坂根田鶴子]]『[[初姿]]』、1936年 |
** 女性映画監督 - [[坂根田鶴子]]『[[初姿]]』、1936年 |
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** 映画スター - [[尾上松之助]]、『[[碁盤忠信源氏礎]]』に主演、1909年 |
** 映画スター - [[尾上松之助]]、『[[碁盤忠信源氏礎]]』に主演、1909年 |
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** 学士俳優 - [[中村彰 (俳優)|中村彰]]、『女の街』、監督[[今井正]]、1940年 |
** 学士俳優 - [[中村彰 (俳優)|中村彰]]、『女の街』、監督[[今井正]]、1940年 |
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* [[映画館|映画専門館]] - [[電気館]] - [[浅草公園六区]]、[[吉沢商店]]、1903年 |
* [[映画館|映画専門館]] - [[電気館]] - [[浅草公園六区]]、[[吉沢商店]]、1903年 |
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* 鉄骨・鉄筋コンクリート建築の映画館 - [[大阪松竹座]](1994年取壊、現存せず)、設計[[木村得三郎]]、施工[[大林組]]、1923年5月17日開場。 |
* 鉄骨・鉄筋コンクリート建築の映画館 - [[大阪松竹座]](1994年取壊、現存せず)、設計[[木村得三郎]]、施工[[大林組]]、1923年5月17日開場。 |
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* 撮影所 - [[吉沢商店|吉沢商店目黒行人坂撮影所]]、1908年 |
* 撮影所 - [[吉沢商店|吉沢商店目黒行人坂撮影所]]、1908年 |
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* [[ロケーション撮影]] - [[千葉吉蔵]]撮影『[[己が罪#1908年版|己が罪]]』、[[片瀬 (藤沢市)|片瀬]]・[[江ノ島]]、吉沢商店、1908年 :当時は「出写し」と呼ばれた<ref>『日本映画発達史 1 活動写真時代』、[[田中純一郎]]、[[中央公論社]]、1968年、p.136-139。</ref> |
* [[ロケーション撮影]] - [[千葉吉蔵]]撮影『[[己が罪#1908年版|己が罪]]』、[[片瀬 (藤沢市)|片瀬]]・[[江ノ島]]、吉沢商店、1908年 :当時は「出写し」と呼ばれた<ref>『日本映画発達史 1 活動写真時代』、[[田中純一郎]]、[[中央公論社]]、1968年、p.136-139。</ref> |
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* [[キネマカラー]]映画 - 『[[義経千本桜]]』、監督[[吉野二郎]]、[[天然色活動写真]]、1914年 |
* [[キネマカラー]]映画 - 『[[義経千本桜]]』、監督[[吉野二郎]]、[[天然色活動写真]]、1914年 |
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* 国産[[アニメーション]]映画 - 短篇映画『[[芋川椋三玄関番の巻]]』、監督[[下川凹天]]、天然色活動写真、[[1917年]] |
* 国産[[アニメーション]]映画 - 短篇映画『[[芋川椋三玄関番の巻]]』、監督[[下川凹天]]、天然色活動写真、[[1917年]] |
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* 本格的[[シネマコンプレックス]] - [[ワーナー・マイカル・シネマズ|ワーナー・マイカル・シネマズ海老名]]、1993年 |
* 本格的[[シネマコンプレックス]] - [[ワーナー・マイカル・シネマズ|ワーナー・マイカル・シネマズ海老名]]、1993年 |
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: スクリーン数は3、しかも客席数も少ない[[ミニシアター]]であるが [[東京テアトル|キネカ大森]](1984年)はシネマコンプレックスのシステムを採用した日本におけるさきがけである。 |
*: スクリーン数は3、しかも客席数も少ない[[ミニシアター]]であるが [[東京テアトル|キネカ大森]](1984年)はシネマコンプレックスのシステムを採用した日本におけるさきがけである。 |
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* 本格的[[フィルム・コミッション]] - [[大阪ロケーション・サービス協議会]]、2000年2月23日設立 |
* 本格的[[フィルム・コミッション]] - [[大阪ロケーション・サービス協議会]]、2000年2月23日設立 |
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* [[漫画]] - |
* [[漫画]] - |
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=== 演芸 === |
=== 演芸 === |
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* [[歌舞伎]] - [[出雲阿国]]が[[北野天満宮]]にて興行([[1603年]]) |
* [[歌舞伎]] - [[出雲阿国]]が[[北野天満宮]]にて興行([[1603年]]) |
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== アミューズメント == |
== アミューズメント == |
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<!--娯楽の中で、本人が参加して楽しむことのできるもの。(wikipedia「エンターテイメント」参照)--> |
<!--娯楽の中で、本人が参加して楽しむことのできるもの。(wikipedia「エンターテイメント」参照)--> |
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=== アミューズメントパーク === |
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* 西洋式運動[[公園]] - 外国人居留遊園(現・[[東遊園地]])(神戸市)([[1868年]]) |
* 西洋式運動[[公園]] - 外国人居留遊園(現・[[東遊園地]])(神戸市)([[1868年]]) |
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** [[居留地]]の外国人専用であった。 |
** [[居留地]]の外国人専用であった。 |
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* [[ウォータースライダー]] - [[船橋ヘルスセンター]](1963年) |
* [[ウォータースライダー]] - [[船橋ヘルスセンター]](1963年) |
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=== ゲーム === |
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* [[コンピュータゲーム]] - [[セガ]]の「ポントロン」と[[タイトー]]の「エレポン」(1973年) |
* [[コンピュータゲーム]] - [[セガ]]の「ポントロン」と[[タイトー]]の「エレポン」(1973年) |
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* 家庭用[[ゲーム機|TVゲーム機]] - [[エポック社]]の「[[テレビテニス]]」([[1975年]]) |
* 家庭用[[ゲーム機|TVゲーム機]] - [[エポック社]]の「[[テレビテニス]]」([[1975年]]) |
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* 家庭用カセット交換式TVゲーム機 - [[ジーエル]]の「[[ビデオカセッティ ロック]]」([[1977年]]) |
* 家庭用カセット交換式TVゲーム機 - [[ジーエル]]の「[[ビデオカセッティ ロック]]」([[1977年]]) |
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=== 全般 === |
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* [[カラオケ]]機 - [[井上大佑]]が開発した「エイトジューク」([[1971年]]):世界初でもある。 |
* [[カラオケ]]機 - [[井上大佑]]が開発した「エイトジューク」([[1971年]]):世界初でもある。 |
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== {{Anchors|習俗|催事|イベント}}習俗、催事 == |
== {{Anchors|習俗|催事|イベント}}習俗、催事 == |
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※解説文の外にある出典は全体に係る。 |
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=== {{Anchors|祭事|宗教色催事}}祭事、宗教色のある催事 === |
=== {{Anchors|祭事|宗教色催事}}祭事、宗教色のある催事 === |
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* {{Anchor|釈迦生誕祭|}}[[釈迦]]の誕生日を祝う行事 - [[推古天皇]]14年([[606年]])に[[飛鳥寺]]で行われたとされる(第1回の)[[灌仏会]]か |
* {{Anchor|釈迦生誕祭|}}[[釈迦]]の誕生日を祝う行事 - [[推古天皇]]14年([[606年]])に[[飛鳥寺]]で行われたとされる(第1回の)[[灌仏会]]か |
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* {{Anchor|花見|}}[[花見]]会 - 特定不可能 |
* {{Anchor|花見|}}[[花見]]会 - 特定不可能 |
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*: 桜の花見が普及する以前は、[[中国]]文化の影響から[[ウメ|梅]]の花見が一般的であった。しかし、梅の花見が行われ始めた時期についての史料は無い。
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** [[サクラ|桜]]の花見会 - 記録に残るものでは、[[神泉苑]]にて[[嵯峨天皇]]が[[弘仁]]3年[[2月12日 (旧暦)|2月12日]]([[812年]][[3月28日]])に開いた「花宴の節」 |
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* {{Anchors|ミサ|クリスマス}}[[クリスマス]] - [[天文 (元号)|天文]]21年[[12月9日 (旧暦)|12月9日]]([[1552年]][[12月24日]])の[[降誕祭]]の[[ミサ]] |
* {{Anchors|ミサ|クリスマス}}[[クリスマス]] - [[天文 (元号)|天文]]21年[[12月9日 (旧暦)|12月9日]]([[1552年]][[12月24日]])の[[降誕祭]]の[[ミサ]] |
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*: [[大寧寺の変]]後の[[周防国]]山口(現・[[山口市]]滝町など)において、[[イエズス会]][[宣教師]][[コスメ・デ・トーレス]]らが司祭館に日本人信徒を招いて行った。 |
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* {{Anchor|雪祭り|}}[[雪祭り]] - 古来、行われてきた催事であり、日本初は特定不可能 |
* {{Anchor|雪祭り|}}[[雪祭り]] - 古来、行われてきた催事であり、日本初は特定不可能 |
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*: 下記のとおり、一定条件を課せば限定は可能である。なお、雪祭りは[[雪具]][[供養]]等の祭事の側面をもつ場合があり、宗教色の無い催事とは区別する。また、﹁雪まつり﹂と称し、[[地方公共団体]]等が開催する現代的なイベントだけを恣意的に過去の雪祭りと切り離して区別・定義することは辞典的でなく、ここでは避ける。
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** [[大会]]形式の近代的雪祭り<ref group="*">﹁大会形式﹂であり、個人的な遊びが大規模になっただけのものは含まない。﹁近代的﹂であり、昔から行われてきた雪遊びの延長線上のものは含まない。以下同様。</ref>
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*** [[一中雪戦会]] <ref name="一中雪戦会, 北区">{{Cite web |date= |title=73. 明治に既に雪まつりの原形が - 一中雪戦会 |url=http://www.city.sapporo.jp/kitaku/syoukai/rekishi/episode/073.html |work=みてきて北区(公式ウェブサイト)|publisher=札幌市[[北区 (札幌市)|北区]]役所 |accessdate=2012-02-02}}</ref><ref name="Q&A, 札幌雪祭">{{Cite web |title=歴史について - よくある質問 |url=http://www.snowfes.com/faq/answer.html |work=さっぽろ雪まつり(公式ウェブサイト)|publisher=さっぽろ雪まつり実行委員会 |accessdate=2012-02-02}}</ref> |
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***: 札幌尋常中学校︵旧・北海道庁立札幌第一中学校﹇札幌一中﹈、現・[[北海道札幌南高等学校]]の前身︶の雪戦会<ref name="一中雪戦会, 北区" />。[[雪像]]展なども行ったが、[[騎馬戦]]形式の[[雪合戦]]を主体とした雪祭りであり、[[1897年]]︵明治30年︶に第1回が開催され、1945年︵昭和20年︶終戦の年まで46回続いた<ref name="一中雪戦会, 北区" />。現代の[[さっぽろ雪まつり]]と相比される当時の日本の代表的な雪祭り<ref name="一中雪戦会, 北区" />。
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*** [[雪合戦]]を主とする、大会形式の近代的雪祭り |
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**** 一中雪戦会 :上に同じ。 |
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*** [[スケート]]を主とする、大会形式の近代的雪祭り |
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**** 中島遊園地(現・[[中島公園]])の氷上カーニバル |
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****: [[北海道]]札幌区の中島遊園地(現・北海道[[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]]の中島公園)で[[1925年]](大正14年)に始まった催事で、[[札幌市|札幌市民]]の[[仮装]]によるスケーティングを審査・表彰するもの。<ref name="Q&A, 札幌雪祭" /> |
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*** [[雪像]][[展覧会]]を主とする、大会形式の近代的雪祭り<ref group="*">興りが「住民主催」であったものだけでなく「[[法人]]主催」であったものも含む。</ref> |
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**** 小樽市北手宮尋常小学校(現・[[小樽市立北手宮小学校]])の雪祭り |
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****: ﹁現存する日本最古の、大会形式の近代的雪祭り﹂である。[[1935年]]︵昭和10年︶[[2月24日]]に第1回開催。同校は1988年︵昭和63年︶9月21日に﹁雪まつり発祥の地記念碑﹂を建立しているが、上述のとおり、実際は﹁雪像展覧会を主とする﹂等の限定条件付きである。<ref>{{Cite web |title=学校概要 |url=http://www.otaru.ed.jp/kitatemiya-ps/gaiyou.html |work=︵公式ウェブサイト︶|publisher=小樽市立北手宮小学校 |accessdate=2012-02-02}}</ref>
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****: [[住民]]主催で始まった、雪像展覧会を主とする、大会形式の近代的雪祭り<ref group="*">「住民主催」であり、学校等の法人主催は含まない。</ref> |
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**** [[十日町雪まつり]] <ref name="十日町雪祭">{{Cite web |title=十日町雪まつりとは |url=http://snowfes.jp/wp/?page_id=4 |work=十日町雪まつり(公式ウェブサイト)|publisher=十日町雪まつり実行委員会 |accessdate=2012-02-02}}</ref> |
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****: 第1回は[[1950年]](昭和25年)[[2月4日]]・5日、新潟県[[中魚沼郡]][[十日町]]の十日町文化協会が主催し、雪の芸術展や雪具供養の火の周りで十日町小唄を踊る雪中カーニバルやスキー駅伝大会などを主要イベントとして開催された<ref name="十日町雪祭" />。十日町は「現代雪まつり発祥の地」を宣言し、十日町雪まつりが「日本初の雪祭り」であると標榜していて<ref name="十日町雪祭" />、それが広く一般にも通用しているため、ここに記すが、上述のとおり、実際は「雪像展覧会を主とする」「住民主催で始まった」等の限定条件付きである。 |
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* {{Anchor|バレンタインデー|}}[[バレンタインデー]] - 諸説並立して、定説なし |
* {{Anchor|バレンタインデー|}}[[バレンタインデー]] - 諸説並立して、定説なし |
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*: 確認出来ている販売促進活動で最も早期に当たるものは、神戸モロゾフ製菓(現・[[モロゾフ]])による[[1936年]](昭和11年)2月12日起源説。詳しくは「[[バレンタインデー#日本のバレンタインデーの起源]]」を参照のこと。 |
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* [[ハロウィン]] - 不明 |
* [[ハロウィン]] - 不明 |
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== 探検・冒険 == |
== 探検・冒険 == |
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=== 地球 === |
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* [[世界一周]] - [[津太夫]]、儀兵衛(儀平とも)、左平、太十郎 |
* [[世界一周]] - [[津太夫]]、儀兵衛(儀平とも)、左平、太十郎 |
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: [[寛政]]5年11月︵[[1793年]]11月︶に[[仙台藩]]の[[石巻市|石巻]]湊︵''cf.'' [[石巻港]]<!--※同一にあらず。-->︶を出航し、[[漂流]]や[[ロシア]]滞在を経て、[[文化 (元号)|文化]]元年9月︵[[1804年]]の9月か10月︶、長崎湊︵[[長崎港]]<!--※同一。-->︶より帰国。 ''cf.'' [[世界一周#日本人による世界一周]]。
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*: [[寛政]]5年11月︵[[1793年]]11月︶に[[仙台藩]]の[[石巻市|石巻]]湊︵''cf.'' [[石巻港]]<!--※同一にあらず。-->︶を出航し、[[漂流]]や[[ロシア]]滞在を経て、[[文化 (元号)|文化]]元年9月︵[[1804年]]の9月か10月︶、長崎湊︵[[長崎港]]<!--※同一。-->︶より帰国。 ''cf.'' [[世界一周#日本人による世界一周]]。
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* [[南極]][[探検家]] - [[白瀬矗]] |
* [[南極]][[探検家]] - [[白瀬矗]] |
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: [[1912年]](明治45年)1月16日から2月4日までの間、[[南極大陸]]を探検。[[南極点]]には及ばなかったが、南緯80度5分に到達した。 |
*: [[1912年]](明治45年)1月16日から2月4日までの間、[[南極大陸]]を探検。[[南極点]]には及ばなかったが、南緯80度5分に到達した。 |
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* [[南極点]]到達 - [[村山雅美]] :[[1968年]](昭和43年)[[12月19日]]。 |
* [[南極点]]到達 - [[村山雅美]] :[[1968年]](昭和43年)[[12月19日]]。 |
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* 記録で確認できる、[[外国人]]による[[富士登山|富士山登頂]] |
* 記録で確認できる、[[外国人]]による[[富士登山|富士山登頂]] |
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*: [[ラザフォード・オールコック]]([[イギリス]]初代日本[[総領事]])一行 :[[万延]]元年[[7月27日 (旧暦)|7月27日]]([[1860年]][[9月11日]])。 |
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* [[マッターホルン]]登頂 - [[麻生武治]] :[[1923年]](大正12年)。 |
* [[マッターホルン]]登頂 - [[麻生武治]] :[[1923年]](大正12年)。 |
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* [[アコンカグア]]登頂 - [[早稲田大学]]山岳部遠征隊 :[[1953年]](昭和28年)[[1月26日]]。 |
* [[アコンカグア]]登頂 - [[早稲田大学]]山岳部遠征隊 :[[1953年]](昭和28年)[[1月26日]]。 |
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* [[キリマンジャロ]]登頂 - 早稲田大学山岳部遠征隊 :[[1957年]](昭和32年)。 |
* [[キリマンジャロ]]登頂 - 早稲田大学山岳部遠征隊 :[[1957年]](昭和32年)。 |
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* [[エベレスト]]登頂 - [[松浦輝男]]・[[植村直己]] :[[1970年]](昭和45年)[[5月11日]]。 |
* [[エベレスト]]登頂 - [[松浦輝男]]・[[植村直己]] :[[1970年]](昭和45年)[[5月11日]]。 |
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** エベレスト秋季登頂 - [[石黒久]]・[[加藤保男]] :[[1973年]](昭和48年)[[10月26日]]。世界初でもある。 |
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** 女性によるエベレスト登頂 - [[田部井淳子]] :[[1975年]](昭和50年)[[5月16日]]。世界初でもある。 |
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** エベレスト北壁登頂 - [[重広恒夫]]・[[尾崎隆]] :[[1980年]](昭和55年)[[5月10日]]。世界初でもある。 |
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** エベレスト冬季登頂 - 加藤保男 :[[1982年]](昭和57年)[[12月27日]]。帰路、遭難死。 |
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** エベレスト無酸素登頂 - [[川村晴一]]・[[鈴木昇己]]・[[遠藤晴行]]・[[吉野寛]]・[[禿博信]] |
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**: [[1983年]](昭和58年)[[10月8日]]。吉野と禿は帰路に遭難死。 |
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* [[デナリ]](マッキンリー)登頂 - [[植村直己]] :[[1970年]](昭和45年)[[8月30日]]。 |
* [[デナリ]](マッキンリー)登頂 - [[植村直己]] :[[1970年]](昭和45年)[[8月30日]]。 |
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* [[K2]]登頂 - [[重広恒夫]]・[[中村省爾]] :[[1977年]](昭和52年)[[8月8日]]。 |
* [[K2]]登頂 - [[重広恒夫]]・[[中村省爾]] :[[1977年]](昭和52年)[[8月8日]]。 |
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** 女性によるK2登頂 - [[小松由佳 (登山家)|小松由佳]] :[[2006年]](平成18年)[[8月1日]]。 |
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* [[アルプス山脈|アルプス]]三大北壁([[マッターホルン]]北壁、[[アイガー]]北壁、[[グランド・ジョラス]]北壁)登頂 |
* [[アルプス山脈|アルプス]]三大北壁([[マッターホルン]]北壁、[[アイガー]]北壁、[[グランド・ジョラス]]北壁)登頂 |
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*: [[高田光政]] :[[1967年]](昭和42年)[[7月22日]]に達成。 |
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** 女性によるアルプス三大北壁登頂 - [[今井通子]] :[[1971年]](昭和46年)[[7月17日]]に達成。 |
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* [[大陸#大陸の数|五大陸]][[最高峰]]登頂 - [[植村直己]] :1970年(昭和45年)8月30日に達成。世界初でもある。 |
* [[大陸#大陸の数|五大陸]][[最高峰]]登頂 - [[植村直己]] :1970年(昭和45年)8月30日に達成。世界初でもある。 |
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* [[七大陸最高峰]]登頂 - ≪未編集≫ |
* [[七大陸最高峰]]登頂 - ≪未編集≫ |
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** 女性による七大陸最高峰登頂 - [[田部井淳子]] :[[1992年]](平成4年)に達成。世界初でもある。 |
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* [[洞窟潜水]]探検 - [[太田正道]]と[[杉村昭弘]] :[[1962年]](昭和37年)3月21日と25日、[[秋吉台]]の[[秋芳洞]]で。 |
* [[洞窟潜水]]探検 - [[太田正道]]と[[杉村昭弘]] :[[1962年]](昭和37年)3月21日と25日、[[秋吉台]]の[[秋芳洞]]で。 |
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* 動力機による[[航空機]]の飛行 - [[日野熊蔵]] :[[1910年]](明治43年)[[12月14日]]。 |
* 動力機による[[航空機]]の飛行 - [[日野熊蔵]] :[[1910年]](明治43年)[[12月14日]]。 |
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** 日本が公認している、動力機による[[航空機]]の飛行 - [[徳川好敏]] |
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**: 1910年(明治43年)[[12月19日]]。ここで言う「日本公認」は「当時の[[日本陸軍]]の公認」を踏襲したもので、今日においても12月19日が「日本初飛行の日」とされている論拠である。 |
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* [[太平洋]]単独[[ヨット]]横断 - [[堀江謙一]] :[[1962年]](昭和37年)。 |
* [[太平洋]]単独[[ヨット]]横断 - [[堀江謙一]] :[[1962年]](昭和37年)。 |
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=== 宇宙 === |
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* [[宇宙飛行士]](選ばれた日基準) - [[毛利衛]]、[[向井千秋]]、[[土井隆雄]] :[[1985年]](昭和60年)に選ばれた。 |
* [[宇宙飛行士]](選ばれた日基準) - [[毛利衛]]、[[向井千秋]]、[[土井隆雄]] :[[1985年]](昭和60年)に選ばれた。 |
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** 女性宇宙飛行士 - 向井千秋 :1985年(昭和60年)に選ばれた。アジア人女性初でもある。 |
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** アストロノート([[アメリカ合衆国]]で宇宙飛行士訓練をした宇宙飛行士) - 毛利衛 :1985年(昭和60年)。 |
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** コスモノート([[ロシア]]で宇宙飛行士訓練をした宇宙飛行士) - [[秋山豊寛]] :[[1990年]](平成2年)。 |
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* 宇宙へ行った宇宙飛行士 - [[秋山豊寛]] |
* 宇宙へ行った宇宙飛行士 - [[秋山豊寛]] |
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*: [[1990年]](平成2年)[[12月2日]]、[[ソユーズTM-11]]による飛行。旧ソ連認定の宇宙飛行士資格を取得の上で民間企画によって挙行された。「世界初の商業宇宙飛行者」「世界で最初に宇宙へ行った[[ジャーナリスト]]」でもある。 |
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** [[日本政府]]の宇宙開発事業によって宇宙へ行った宇宙飛行士 - [[毛利衛]] |
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**: [[1992年]](平成4年)[[9月12日]]、[[スペースシャトル]]・[[エンデバー (オービタ)|エンデバー]]による飛行。 |
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** 宇宙へ行った女性宇宙飛行士 - [[向井千秋]] :[[1994年]](平成6年)[[7月8日]]。アジア人女性初でもある。 |
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*** 日本政府の宇宙開発事業によって宇宙へ行った女性宇宙飛行士 - 向井千秋 :上に同じ。 |
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* [[ロシア]]製[[宇宙船]]に搭乗した宇宙飛行士 - [[秋山豊寛]] :1990年(平成2年)12月2日。[[ソユーズ]]。 |
* [[ロシア]]製[[宇宙船]]に搭乗した宇宙飛行士 - [[秋山豊寛]] :1990年(平成2年)12月2日。[[ソユーズ]]。 |
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* [[アメリカ合衆国|アメリカ]]製宇宙船に搭乗した宇宙飛行士 - [[毛利衛]] :1992年(平成4年)9月12日。[[スペースシャトル]]。 |
* [[アメリカ合衆国|アメリカ]]製宇宙船に搭乗した宇宙飛行士 - [[毛利衛]] :1992年(平成4年)9月12日。[[スペースシャトル]]。 |
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* [[宇宙遊泳]](船外活動)をした宇宙飛行士 - [[土井隆雄]] |
* [[宇宙遊泳]](船外活動)をした宇宙飛行士 - [[土井隆雄]] |
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: [[1997年]](平成9年)[[11月19日]]から12月5日まで行われたスペースシャトル・[[コロンビア (オービタ)|コロンビア]]のミッション[[STS-87]] ([[:en:STS-87|en]]) 時。 |
*: [[1997年]](平成9年)[[11月19日]]から12月5日まで行われたスペースシャトル・[[コロンビア (オービタ)|コロンビア]]のミッション[[STS-87]] ([[:en:STS-87|en]]) 時。 |
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* 宇宙船搭乗科学技術者 - 毛利衛 |
* 宇宙船搭乗科学技術者 - 毛利衛 |
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: スペースシャトルの[[搭乗科学技術者]](ペイロードスペシャリスト)として1992年(平成4年)9月12日に飛行。 |
*: スペースシャトルの[[搭乗科学技術者]](ペイロードスペシャリスト)として1992年(平成4年)9月12日に飛行。 |
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* 宇宙船搭乗運用技術者 - [[若田光一]] |
* 宇宙船搭乗運用技術者 - [[若田光一]] |
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: スペースシャトルの[[搭乗運用技術者]](ミッションスペシャリスト)として[[1996年]](平成10年)[[1月11日]]に飛行。 |
*: スペースシャトルの[[搭乗運用技術者]](ミッションスペシャリスト)として[[1996年]](平成10年)[[1月11日]]に飛行。 |
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* 宇宙船操縦士 - [[野口聡一]] :[[ソユーズTMA-17]]の副操縦士として[[2009年]](平成21年)[[12月20日]]に飛行。 |
* 宇宙船操縦士 - [[野口聡一]] :[[ソユーズTMA-17]]の副操縦士として[[2009年]](平成21年)[[12月20日]]に飛行。 |
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* [[国際宇宙ステーション]]に長期滞在した宇宙飛行士 - 若田光一 :2009年(平成21年)[[3月15日]]に飛行。 |
* [[国際宇宙ステーション]]に長期滞在した宇宙飛行士 - 若田光一 :2009年(平成21年)[[3月15日]]に飛行。 |
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== その他 == |
== その他 == |
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* 評価物件 |
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* [[世界の記憶]] - 画家・[[山本作兵衛]]の手になる、[[筑豊]]の[[炭鉱]]画群 :[[2011年]](平成23年)[[5月27日]]。 |
** [[世界の記憶]] - 画家・[[山本作兵衛]]の手になる、[[筑豊]]の[[炭鉱]]画群 :[[2011年]](平成23年)[[5月27日]]。 |
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== 脚注・出典 == |
== 脚注・出典 == |
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* [http://www.interq.or.jp/tokyo/ohata/yuuenchi/04att/thrill/jet1history.htm ジェットコースター何でもNo.1(歴史的にNo.1!)] |
* [http://www.interq.or.jp/tokyo/ohata/yuuenchi/04att/thrill/jet1history.htm ジェットコースター何でもNo.1(歴史的にNo.1!)] |
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== 関連項目 == |
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2013年4月14日 (日) 06:17時点における版
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はじめに
日付を詳しく表す場合の決め事として、新暦導入以前︵1872年以前︶の日付は和暦による旧暦を主とし、丸括弧内に西暦︵1581年以前はユリウス暦、1582年以降はグレゴリオ暦︶を添える︵※あくまで原則で、建国記念の日のように慣例がこれに当てはまらない場合もある︶。同年4月︵4月︶は旧暦4月︵新暦4月︶、同年4月︵4月か5月︶は旧暦4月︵新暦では5月の可能性もあり︶を意味する。建造物
●交通に関する施設・構造物︵空港・鉄道・道路・港湾およびそれに付帯する構造物︶は﹁#交通﹂の項を参照。 ●発電所等プラントに関する施設・構造物は﹁#工業﹂の項を参照。 ●小売に関する施設・構造物︵ショッピングセンター等︶は﹁#経済﹂の項を参照。 ●食に関する施設・構造物︵レストラン等︶は﹁#食文化﹂の項を参照。 ●スポーツに関する施設・構造物は﹁#スポーツ﹂の項を参照。 ●アミューズメントに関する施設・構造物は﹁#アミューズメント﹂の項を参照。 ●教育・研究に関する施設・構造物は﹁#学問﹂の項を参照。建物
●神社 - 起源が特定できないため、諸説あり。 ●仏教寺院 - 飛鳥寺︵奈良県明日香村︶ 588年造営開始︵﹃日本書紀﹄︶ ●官寺 - 百済大寺︵奈良市・大安寺の前身︶ ︵奈良県桜井市︶ 639年[1] ●念仏道場 - 大念仏寺 ︵大阪市︶ 1127年 ●西洋式ホテル - 横浜ホテル 1860年 ●正教会 - 函館ハリストス正教会 ︵函館市︶ 1861年 ●西洋式城郭 - 五稜郭 ︵フランス築城方式︶ ︵函館市︶ 1866年 ●10階以上の建物 - 凌雲閣 ︵12階建て、東京都浅草︶ 1890年 なお、大阪茶屋町にも同名の凌雲閣が1889年に開業しているが、こちらは9階建てである。 ●女子修道院 - トラピスチヌ修道院 1898年 ●西洋式劇場︵本格的なもの︶ - 帝国劇場 ︵東京都千代田区︶ 1911年 ●コンクリート造り寺院 - 真宗大谷派函館別院 ︵函館市︶ 1915年 ●イスラム教モスク - 神戸モスク ︵神戸市︶ 1935年 ●駅ビル - 新京阪ビル︵大阪市︶1926年 ●絶対高さ制限︵住居地以外31m︶を超える建物 - 第一生命ビル︵軒高40.75m、最高高さ41.23m、日本初の12階建てビル、大阪市北区梅田︶ 1953年5月20日[2][3][4] ●官民合同ビル - 三重会館︵津市︶1956年[5] ●億ション︵高級マンション︶ - コープ・オリンピア︵東京都渋谷区神宮前︶ 1965年 ●超高層ビル︵100m以上︶ - 霞が関ビルディング ︵東京都千代田区︶ 1968年 ●ペンション - 綿貫ペンション ︵群馬県草津町︶ 1969年 ●ツインタワー︵本格的なもの︶ - TWIN21 ︵大阪市︶ 1986年 ●連結超高層ビル - 梅田スカイビル ︵大阪市︶ 1993年塔
●鉄塔 - 通天閣︵大阪市浪速区︶1912年7月3日 ●集約電波塔 - 名古屋テレビ塔 ︵名古屋市︶ 1954年都市
●本格的な中国風都城 - 藤原京 ︵橿原市︶ 694年 ●ニュータウン - 千里ニュータウン︵豊中市・吹田市︶ 1962年初入居交通
疫病・医療
●公共医療施設の設営 - 記録上の最古は、天平2年︵730年︶の施薬院 光明皇后が設置。なお、伝説上での最古は、聖徳太子が推古天皇元年︵593年︶に設置したという、四箇院の一部施設としての施薬院と療病院。 ●西洋医学の医師 - ≪未編集≫ ‥免許制の導入は1874年︵明治7年︶。 ●西洋医学の女医 - 1885年︵明治18年︶、荻野吟子の開業 ●公共科学医療施設の設営 - ≪未編集≫ ●全身麻酔による手術 - 文化元年︵1804年︶、華岡青洲による 史実と確認できるものでは世界初。 ●種痘術 - 文政7年︵1824年︶、中川五郎治による ●性転換者 - 1950年から1951年︵昭和25年から26年︶にかけて日本国内で数回の手術を受けた、永井明子 (MTF) ●臓器移植 ●腎臓移植 - 1956年︵昭和31年︶、新潟大学にて行われた ●心臓移植 - 1968年︵昭和43年︶、札幌医科大学で和田寿郎によって行われた ●臓器移植法に基づく移植手術 - 1999年︵平成11年︶に実施 ●授精・出産 ●人工授精︵非配偶者間人工授精︶による出産 - 1949年︵昭和24年︶、慶應義塾大学病院にて ●体外受精による出産︵試験管ベビー︶ - 1983年︵昭和58年︶、東北大学医学部付属病院にて ●エイズ患者の認定 - 1985年︵昭和60年︶3月21日人間以外の疫病・医療
●BSE牛 - 2001年︵平成13年︶9月21日に千葉県で確認された個体 ‥9月10日に疑陽性と農林水産省が発表し、のちに確定した。工業
全般
●国産の鉄砲 - 八板金兵衛清定が作った火縄銃︵1543年︶ ●サイフォン - 馬頭サイフォン︵佐賀県︶ 1611年 ●ストーブ - ﹁カッヘル﹂︵1856年︶ 箱館奉行の命で武田斐三郎が設計。イギリス船にあったものを模して作られた。 ●ガス灯 - 仙巌園の石灯籠︵鹿児島市︶ ︵1857年︶ ●西洋式の本格的なガス灯 - 大阪の造幣局周辺の街路灯。︵1871年︶ 事業としては横浜の外国人居留地の一部︵1872年︶。 ●アーク灯 - 工部大学校内に設置︵1878年3月25日︶ 点灯された3月25日は﹁電気記念日﹂とされる。 ●イルミネーション - 第5回内国勧業博覧会での建物のライトアップ ︵1903年︶ ●電動式エレベーター - 浅草の凌雲閣 ︵1890年11月10日︶ 安全面に問題があり、すぐに撤去された。11月10日はエレベータの日とされる。 ●エスカレーター - 大正博覧会で設置 ︵1914年︶ ●動く歩道 - 阪急梅田駅ムービングウォーク ︵1967年︶ ●冷蔵庫 - 三井物産がアメリカから輸入 ︵1923年︶ ●国産冷蔵庫 - 日立製作所の試作品 ︵1927年︶ ●国産白物家電 - 芝浦製作所︵現・東芝︶︵1930年から33年にかけて 電気炊飯器のみ1955年︶ ●電子レンジ - 東芝が1959年に開発。 ●腕時計 - 服部時計店︵現・セイコーホールディングス︶が1913年に製造販売した﹁ローレル﹂。 ●クォーツ腕時計 - セイコー﹁アストロン﹂︵1969年︶ ●化学繊維 - ナイロン6 東洋レーヨン︵現東レ︶︵1941年︶ ●ロボット - 学天則 ‥1928年、西村真琴︵大阪在住の生物学者︶が制作。 ●二足歩行ロボット - WAP-1 ‥1969年、加藤一郎︵早稲田大学のロボット研究者︶が開発。世界初でもある。宇宙探査機
●惑星間探査機 - さきがけ︵1985年1月8日打ち上げ︶ 日本初の宇宙探査機。ハレー彗星を探査する すいせいの試験探査機。 ●月探査機 - ひてん︵1990年1月24日打ち上げ︶ ●火星探査機 - のぞみ︵1998年打ち上げ︶ ●小惑星探査機 - はやぶさ︵2003年5月9日打ち上げ︶人工衛星
●人工衛星 - おおすみ︵1970年2月11日打ち上げ︶※世界4ヶ国目 ラムダ L-4S は、人工衛星を打ち上げ軌道投入させた日本開発による初の発射体となった。 ●科学衛星 - しんせい ︵1971年9月28日打ち上げ︶※太陽電池パネルを搭載した日本初の衛星でもある ●静止衛星 - きく2号 ︵1977年2月23日打ち上げ︶※世界3ヶ国目 ●学生が設計・開発に携わった人工衛星 - 鯨生態観測衛星 観太くん︵千葉工業大学︶ ︵2002年打ち上げ︶ 観太くんは日本で初めて民生部品を使用した人工衛星でもある。 ●学生だけで設計・開発した人工衛星 - 小型人工衛星、XI-IV︵東京大学︶・CUTE-I︵東京工業大学︶ ︵2003年打ち上げ︶ XIとCUTE-Iは日本初のCubeSatの打ち上げケースでもある。観測機器
●反射望遠鏡 - 国友一貫斎によるグレゴリー式反射望遠鏡。 ︵1820年頃︶ 屈折望遠鏡はそれ以前にヨーロッパから日本に伝わっていた。最も古い国産のものは、岩橋善兵衛の窺天鏡︵1793年︶が代表としてある。 ●宇宙望遠鏡 - 不明 ●国産顕微鏡︵本格的なもの︶ - M・KATERA︵エム・カテラ︶ 松本福松・加藤嘉吉・神藤新吉・寺田新太郎 ︵1914年︶ 最も古いと考えられている国産顕微鏡は江戸時代のものがある。木製フレームのカルペッパー型顕微鏡などが現存している。 ●国産電子顕微鏡 - 菅田榮治による倍率一万倍のもの。 ︵1940年︶ ●サイクロトロン - 理化学研究所の小型サイクロトロン ︵1937年︶ ●シンクロトロン - 東京大学原子核研究所の7億eV電子シンクロトロン ︵1961年︶音響・映像・通信
●電信機 - 佐久間象山による指針型電信機 ︵1849年︶ オランダ語の書籍を参考に、松代藩の客館から鐘撞堂まで約70mの電線を架設して、電信実験に成功した。 ●無線電信機 - 松代松之助が無線通信の実験に成功 ︵1897年︶ ●電波の活用 - 浜地常康のアマチュア無線局 ︵1923年︶ 政府によるもの︵社団法人東京放送局、現在のNHKラジオ第1放送︶に先んずる事3年。 ●短波アマチュア無線局 - 有坂磐雄 (JLYB) 楠本哲秀 (JLZB) ︵1927年︶ ただし、楠本は逓信官吏で、言わば監視局でもあり、アマチュアとは認めないという意見もある。 ●電信サービス︵有線︶ - 公衆電報が東京-横浜間で開始された。 ︵1869年︶ ●国際電信 - 長崎居留地︵長崎市︶ ︵1871年8月12日︶ ●カメラ - ダゲレオタイプカメラ ︵1848年︶ オランダ船によってもたらされ、島津藩の御用商人であった上野俊之丞が購入、 藩主の島津斉彬に献上した。 ●写真 - 島津斉彬の銀板写真 ︵1857年︶ 撮影日とされる6月1日は写真の日となっている。 ●国産の市販カメラ - チェリー手堤用暗函 小西本店︵現コニカミノルタ︶ ︵1903年︶ ●国産印画紙 - 同じく小西本店製 ︵1903年︶ ●国産カラーフィルム - ﹁さくら天然色フヰルム﹂ ︵1940年︶ ●国産一眼レフカメラ - 旭光学︵現ペンタックス︶が35mm一眼レフカメラを発売 ︵1952年︶ ●デジタルカメラ - ﹁FUJIX DS-1P﹂ 富士写真フイルム︵現富士フイルム︶ ︵1988年︶ ※市販用としては世界初でもある ●電話 - ベル電話機2台を金子堅太郎と伊沢修二がアメリカから輸入 ︵1877年︶ ●国産電話 - ベル式電話1号機を田中久重、田中精助、沖牙太郎が作成 ︵1878年︶ ●電話サービス - 東京-横浜間 ︵1890年︶ 1889年に一年間、東京-熱海間で商用実験。 ●公衆電話 - 上野駅と新橋駅に設置︵1900年︶ ●電話ボックス - 京橋に設置︵1901年︶ ●国産蓄音機 - ニッポノホン ︵1910年︶ ●国産ラジオ受信機︵鉱石ラジオ︶ - 早川電機工業︵現シャープ︶ ︵1925年︶ ●国産テレビ - 高柳健次郎がブラウン管テレビに実験で文字を表示 ︵1926年︶ ●国産市販テレビ - シャープが14型白黒テレビTV3|14Tを発売 ︵1953年︶ ●国産カラーテレビ - 東芝製 ︵1957年︶ ●国産デジタルテレビ - 三洋電機﹁HVC-36DZ1﹂ ︵2000年︶ ●国産テープレコーダー - 東京通信機工業︵現・ソニー︶ ︵1950年︶ ●国産ビデオテープレコーダ - ソニー ︵1958年︶ ●CDプレーヤー - 1982年に発売 ●DVDプレーヤー - 東芝製 ︵1996年︶ ●DVDレコーダー - パイオニア﹁DVR-1000﹂ ︵1999年︶ ●BDレコーダー - ソニー﹁BDZ-S77﹂ ︵2003年︶ ●携帯電話 - 日本万国博覧会に日本電信電話公社が出展 ︵1970年︶ ●デジタル携帯電話 - NTTドコモ﹁デジタル・ムーバ﹂ ︵1993年︶ ●スマートフォン - DataScopeDS-110 京セラ製 ︵1997年︶ ●カメラ付き携帯電話 - J-PHONE︵現ソフトバンクモバイル︶向け端末﹁J-SH04﹂ シャープ製 ︵2000年︶ ●PHSではDDIポケット︵現ウィルコム︶向け端末﹁VP-210﹂ 京セラ製 ︵1999年︶ ●テレビチューナー内蔵携帯電話 - ボーダフォン︵現ソフトバンクモバイル︶向け端末﹁V601N﹂ NEC製 ︵2003年︶ ●ワンセグチューナー内蔵携帯電話 - au ︵KDDI︶向け端末﹁W33SA﹂ 三洋電機製 ︵2005年︶ ●ラジオチューナー内蔵携帯電話 - au向け端末﹁A5503SA﹂ 三洋電機製 ︵2003年︶ ●PHSではアステル向け端末﹁AT-15﹂ 東芝製 ︵1997年︶ ●AMラジオチューナー内蔵携帯電話 - NTTドコモ向け端末﹁SO213iWR﹂ ソニーエリクソン製 ︵2005年︶ ●ハードディスク搭載携帯電話 - au向け端末﹁W41T﹂ 東芝製 ︵2006年︶コンピュータ関連
●機械式計算機 - ﹁自働算盤﹂ 矢頭良一が開発。四則演算ができる。 ︵1902年︶ ●リレーコンピュータ - ﹁ETL Mark I﹂ 通商産業省工業技術院電気試験所︵現:産業技術総合研究所︶が開発。 ︵1952年︶ ●電子式コンピュータ ︵真空管式︶- ﹁FUJIC﹂ 富士フイルムがレンズの設計用に開発。︵1956年︶ ●トランジスタコンピュータ - ﹁ETL Mark Ⅲ﹂ 通産省工業技術院電気試験所が開発。︵1956年︶※世界3番目 ●プログラミング言語 - ﹁SIP(Symbolic Assembly Program)﹂ 森口繁一が開発。 ︵1959年︶ ●オフィスコンピュータ - ﹁NEAC 1201﹂ 日本電気製電子会計機 ︵1961年︶ ●パーソナルコンピュータ - ﹁TK-80﹂ ただし組み立てキット。なお日本初のマイコンキットではない。︵1976年︶ 入出力装置を備えた完成品として販売されたものは、精工舎︵現・セイコーエプソン︶の﹁SEIKO-5700﹂。︵1977年︶ ●日本語ワードプロセッサ専用機 - ﹁JW-10﹂ 東芝製 ︵1978年︶ ●インターネット - ﹁JUNET﹂ ︵1984年9月︶ 村井純が慶應義塾大学と東京工業大学を接続。同年10月に東京大学が接続され日本におけるインターネットの起源となる。 ●CD-ROMソフトウェア - ﹁最新科学技術用語辞典﹂ 三修社 ︵1985年10月1日︶[6] ●Webページ - 高エネルギー加速器研究機構のサイト︵1992年9月30日︶プラント
●機械式製糸工場 - 富岡製糸場 ︵富岡市︶ ︵1872年操業開始︶ 日本初の官営工場でもある。 ●近代高炉 - 大島高任らが設計・操業の大橋高炉 ︵釜石市︶︵1857年11月26日火入れ、12月1日初出銑︶ 12月1日は鉄の記念日とされる。 ●官営製鉄所 - 釜石製鉄所 ︵1880年9月13日操業を開始するが98日目で停止、1983年廃止が決定︶ ●民間製鉄所 - 釜石鉱山田中製鐵所 ︵1887年7月設立、日本の近代製鉄業始まる︶ ●銑鋼一貫製鉄所 - 八幡製鐵所 ︵1901年操業開始[7]︶ ●火力発電所 - 東京電燈により、日本橋茅場町に設置。 ︵1887年︶ ●水力発電所 - 三居沢発電所 ︵1888年︶ ※世界2ヶ国目 宮城紡績所の自家用水力発電所。 ●重力式コンクリートダム - 布引五本松ダム︵布引貯水池︶ ︵神戸市︶ 1900年 ●バットレスダム - 笹流ダム 1923年 ●地熱発電所 - ︵別府市︶ 1925年 ●風力発電所 - 山田風車︵稚内市︶ 1938年 ●石油化学コンビナート - ︵四日市市︶ 1963年 ●原子力発電所 - 実験炉JPDR 1963年10月26日初発電 ●商用原子力発電所 - 東海発電所 ︵1966年7月25日稼働︶ イギリスから輸入された出力16万6千キロワットのコールダーホール型。 ●洋上風力発電 - 風海鳥︵かざみどり︶︵せたな町︶ 2004年4月1日本格稼動農業・漁業
地理
●金鉱山 - 天平時代の陸奥国小田郡︵現・宮城県遠田郡︶の金山 天平19年︵747年︶頃に発見されたと推定される。詳しくは﹁日本初の一覧#政治・軍事、ほか﹂の﹁金鉱山の発見﹂を参照のこと。 ●平仮名のみの地方公共団体名 - 長野県諏訪郡ちの町 1948年︵昭和23年︶5月3日、町制施行と同時に改称。現在の茅野市ちの。 ●片仮名のみの地方公共団体名 - 滋賀県高島郡マキノ町 1955年︵昭和30年︶1月1日、市町村合併によって成立した。現在の高島市マキノ町地区。 ●平仮名のみの市 - 青森県むつ市 1960年︵昭和35年︶8月1日、大湊田名部市から改称。 ●片仮名のみの市 - 沖縄県コザ市 1956年︵昭和31年︶7月1日、市制施行。現在の沖縄市越来。政治・軍事、ほか
●毘沙門天 - 神峯山寺 大阪府高槻市の仏教寺院。697年に日本で最初に毘沙門天が安置されたことが﹁神峯山寺秘密縁起﹂に記されている。 ●歴史上の人物 - 倭奴国︵倭の奴国か︶の大夫 紀元57年、後漢に朝貢して光武帝から印綬︵漢委奴国王印︶を授けられた人物。日本史上、その活動を︵外国史書に︶記された最初の人物。大夫は自称であるが、個人名は伝わっていない。 ●歴史上の人名 - 帥升 弥生時代中期から後期にかけての時代に属する、倭国の王の一人で、日本史上、個人名が判る︵外国史書に記された︶最初の人物。ただし、実名たる日本語名は不明。 ●確認される為政者 - 帥升 史実として確認される最古の為政者であり、王。詳しくは上述。※当然ながら、さらに古い時代にも為政者は存在しており、ただ確認されていないにすぎない。 ●確認される女性為政者 - 卑弥呼 史実として確認される最古の女性為政者であり、女王。173年頃より以前に即位。ただし、実名たる日本語名は不明。※確認されないだけで、さらに古い時代にも女性為政者が存在した可能性は十分にある。 ●大王 / 天皇 - 神武天皇 後の世に天皇と呼び換えられる大王の血統にあると伝えられる、神話的な最古の大王。日本神話では辛酉年︵神武天皇元年︶1月1日︵ユリウス暦紀元前660年2月18日、グレゴリオ暦紀元前660年2月11日︶の即位とされるが、初期の天皇の実在は確定されていない。 当時の呼称として﹁天皇﹂は存在せず、後付けである︵後述の﹁﹃天皇﹄号の使用﹂を参照︶。 ●実在が確実視される大王 / 天皇 - 一説に第15代・応神天皇︵3世紀頃︶、一説に第26代・継体天皇︵5世紀頃︶ 上記の有力な2説のほかにも諸説あり。詳しくは別項﹁天皇の一覧#初期天皇の実在性﹂を参照のこと。 ●女性天皇 - 推古天皇 崇峻天皇5年︵592年︶に即位した、第33代天皇。 ●﹁天皇﹂号の使用 - 一説に天武天皇の頃、他説では推古天皇の頃 ﹁天皇︵明治以前の発音は、てんおう︶﹂を使用し始めたのは、天武天皇︵舒明天皇3年﹇631年﹈頃即位︶時代と見る説が優勢であるが、さらに古く推古天皇︵崇峻天皇5年﹇592年﹈即位︶の時代とする説もある。 ●皇族外出身の皇后 - 光明皇后 天平元年︵729年︶、藤原不比等の三女・光明子が聖武天皇皇后に即位。 ●女性皇太子 - 安倍内親王︵のちの孝謙天皇︶ 天平10年︵738年︶、立太子。 ●歴史上の戦争 - 倭国大乱 2世紀後半に倭国のどこかで起こったとされ、中国の複数の史書に記述が見られる。cf. 日本の合戦一覧。 ●詳細の明らかな戦争 - 磐井の乱 実行者や状況が分かる戦争で最も古いもの。継体天皇21年︵527年︶に勃発した内乱︵ - 528年︶。 ●海外の国家との国家間戦争 - 不明 倭人が国軍を海外に送り出した最初の国家間戦争は、白村江の戦い︵天智天皇2年﹇663年﹈︶以前にも想定されるが、記録に残るものでは白村江の戦いが最古である。 ●近代的国家間戦争 - 日清戦争 近代装備︵産業革命以降の軍備︶を整えた日本国軍が海外へ出兵した最初の国家間戦争。1894年︵明治27年︶開戦︵- 1895年︶。 ●将軍 - 四道将軍︵大彦命、武渟川別命、吉備津彦命、丹波道主命︶ ●東夷征討を任とする将軍︵征夷大将軍の前身︶ - 巨勢麻呂 和銅2年︵709年︶、陸奥鎮東将軍に在職。 ●征夷大将軍 - 大伴弟麻呂 延暦12年︵793年︶に就任し、これが史料における﹁征夷大将軍﹂の初出とされる。 ●武家政権 - 平氏政権 平清盛らにより、平安時代末期︵1160年代︶に成立。 ●幕府 - 鎌倉幕府 源頼朝により、元暦2年︵1185年︶もしくは建久3年︵1192年︶に成立。そもそも歴史学における﹁幕府﹂の定義が明確でない上、頼朝が諸国に守護・地頭を置く事が出来た年であれば1192年ではなくその7年前になる。 ●元号 / 年号 - 大化 皇極天皇5年︵大化元年︶6月19日︵西暦645年7月17日︶、大化の改新の一環として元号の使用を始め、﹁大化﹂を年号と定める。 ●一世一元の制の元号 - 明治 明治元年︵1868年︶、明治維新の一環として一世一元の制が成立し、﹁明治﹂を年号と定める。 ●確認される戸籍 - 渡来人に関する戸籍 欽明天皇元年︵540年︶の頃より渡来人を支配するために用いられていた戸籍が、史書で存在を確認できる最古の戸籍である。 ●全国規模の戸籍 - 庚午年籍 天智天皇9年︵670年︶に全国規模で作られた︵あるいは、造籍を図られた︶最初の戸籍。 ●選挙 - 参議の選出 天平3年︵731年︶に制度として成立。 ●近代政党 - 自由党︵1881- 1884年︶ 板垣退助らが1880年︵明治13年︶に結成し、翌年に成立した自由党。1874年︵明治7年︶に結成された政治結社である愛国公党を起源とする。なお、20世紀に存在した﹁自由党﹂はいずれも無関係である。 ●県議会 - 千葉県議会 1873年︵明治6年︶2月に議事則が制定され、各大区2人ずつ計32人の代議人が公選され、同年10月に千葉町の光明寺で第1回千葉県議会が開催された。 ●議員報酬の日当制 - 福島県矢祭町 2008年︵平成20年︶3月31日以降の矢祭町議会から適用。 ●公共福祉施設の設営 - 記録上の最古は、養老7年︵723年︶の悲田院 この年、皇太子妃時代の光明皇后が設置。なお、伝説上での最古は、聖徳太子が推古天皇元年︵593年︶に設置したという、四箇院の一部施設としての悲田院・施薬院・療病院。 ●年金制度 - 寛文3年︵1663年︶ [8] 保科正之治世下の会津藩で施行された養老扶持の一つ[8][9]。身分および男女の別を問わず、領内の数え年90歳以上の老人︵初年155名︶に終生一人扶持︵1日あたり玄米5合︶を支給するというもの[8][9]。弘化元年12月24日︵1845年1月19日︶に幕府より養老扶持の廃止が通達されたが、会津藩では藩米をもってその後も変わらず続けられた[8]。 ●朝鮮人の郡長 - 666年、高句麗王族の若光が神奈川県大磯の郡長となる[10]。司法
●裁判員制度による事件 - 足立区女性整体師刺殺事件 ●裁判員制度による死刑求刑事件 - 新橋耳かき店員殺害事件 ‥判決は無期懲役。 ●裁判員制度による死刑判決事件 - 横浜港バラバラ殺人事件 ●裁判員制度による被告人が未成年の事件 - 石巻3人殺傷事件 ‥裁判員による初の未成年への死刑求刑事件でもある。 ●裁判員制度による性犯罪事件 - 十和田市2女性強盗強姦事件身分・職業・立場
●警察官 - 1871年︵明治4年︶の東京府に設置された邏卒︵らそつ︶ ‥のち﹁巡査﹂に改称。cf. ﹁日本の警察官﹂ ●女性警察官 - 1946年︵昭和21年︶採用の婦人警察官︵婦警︶ ‥GHQの指示による。 ●バスガイド - 東京周遊バス ‥1925年︵大正14年︶12月に始まる。cf. ﹁バスガイド#歴史﹂ ●女性バスガイド - 亀の井自動車︵現・亀の井バス︶ ‥1928年︵昭和3年︶に別府地獄めぐり遊覧バスで活用開始。 ●航空機乗務員 ●フライトアテンダント︵航空機客室乗務員︶ - 東京航空輸送︵後に大日本航空が吸収合併︶ 1931年︵昭和6年︶、東京―下田―清水間の定期旅客路線で活用開始。 ●女性機長 - JALエクスプレスの藤明里 ‥2010年︵平成22年︶7月9日発令。[11]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/68/Suehiro_Hiroko.jpg/180px-Suehiro_Hiroko.jpg)
非営利サービス
●近代科学に基づく天気予報 - 1875年︵明治8年︶6月1日、東京気象台による。[15] ●近代科学に基づく気象警報[16] - 暴風警報 ‥1883年︵明治16年︶5月26日発表。[15]経済
貨幣
●官銭 - 和同開珎︵708年︶ 流通していたかどうか判明していない富本銭︵683年頃︶や私銭の無文銀銭︵660年頃︶も存在していた。 ●金貨 - 開基勝宝︵760年︶ ●紙幣 - 山田羽書︵1603年︶ ●記念貨幣 - 東京オリンピック記念千円硬貨と百円硬貨︵1964年︶ ●色付き硬貨︵カラーコイン︶ - 第5回アジア冬季競技大会記念貨幣︵2003年︶ ●人物肖像が入る記念貨幣 - 坂本龍馬の千円硬貨︵地方自治法60周年記念︶︵2010年︶債券
●住民参加型市場公募地方債 - 愛県債︵現・ぐんま県民債︶ ‥2002年3月25日発行。営利サービス
●朱座 - 蜷川親世の﹃蜷川親俊日記﹄﹁天文十二年三月二十六日条﹂に記された朱座 天文11年3月26日︵ユリウス暦1542年4月11日︶に成立。 ●銀座 - 伏見銀座 ‥慶長6年5月︵グレゴリオ暦1601年の5月か6月︶に成立。 ●先物取引︵差金決済を含む先物取引︶ - 大阪の堂島米会所で行われた帳合米取引 享保15年︵1730年︶。世界初でもある。 ●ガソリンスタンド - スタンダード・オイル・ニューヨーク社︵現・エクソンモービル︶が横浜に設置。 ●ビジブル式ガソリンスタンド - 奥田友三郎商店 ‥1919年︵大正8年︶。 ●セルフ式ガソリンスタンド - 鈴与商事セルフ24‥1998年︵平成10年︶。 ●クレジットカード - 丸井が発行 ‥1960年︵昭和35年︶。 ●現金自動預け払い機 - 泉州銀行︵現・池田泉州銀行︶が設置 ‥1975年︵昭和50年︶。 ●宅配便 - 大和運輸︵現・ヤマト運輸︶が開始 ‥1976年︵昭和51年︶。 ●プリペイドカード - テレホンカード ‥1982年︵昭和57年︶小売施設
●デパート︵百貨店︶ - 三越︵現・日本橋三越本店︶︵東京・日本橋︶ 1904年[17] ●ターミナルデパート - 阪急百貨店︵現・うめだ本店︶ ︵大阪市︶ 1929年 ※世界初のターミナルデパート ●コンビニエンスストア - 諸説あり ●24時間営業のコンビニエンスストア - セブン-イレブン郡山虎丸店 1975年 ●スーパーマーケット - 紀ノ国屋︵東京・青山︶ 1953年 ●24時間営業のスーパーマーケット - 丸和︵本社福岡県北九州市︶小倉店 1979年 ●本格的なショッピングセンター︵ショッピングモール︶ - 玉川高島屋ショッピングセンター 1969年 ●公設市場 - 日用品供給場︵大阪市︶1918年 ●中央卸売市場 - 京都市中央卸売市場︵京都市︶ 1927年会社
●株式会社 - 海援隊︵1865年、現・三菱商事︶ ●石油会社 - 長野石炭油会社︵1871年︶ ●ガス会社 - 横浜瓦斯︵1872年、現・東京ガス︶ ●銀行 - 第一国立銀行︵1873年8月1日営業開始、現・みずほコーポレート銀行の前身の一つ︶ ●損害保険会社 - 東京海上保険︵1879年、現・東京海上日動火災保険︶ ●生命保険会社 - 明治生命︵1881年、現・明治安田生命保険︶ ●電力会社 - 東京電燈︵1883年、現・東京電力︶ ●製薬会社 - 大日本製薬合資会社︵1885年、現・大日本住友製薬︶ ●第三セクター企業 - 佐渡汽船︵1932年︶ ●民間シンクタンク - 電力中央研究所︵1951年︶ ●通信機器メーカー - 明工舎︵現沖電気︶︵1881年︶ ●インターネットサービスプロバイダ - インターネットイニシアティブ (IIJ) が鈴木幸一によって設立される。 ︵1992年︶ ●消費者対象インターネットサービスプロバイダ - ベッコアメ・インターネット ︵1994年︶ ●公益法人 - 社団法人報徳遠譲社第三分社船明東社︵1884年2月21日設立︶ ●特定非営利活動法人 - 日本ブラインドゴルフ振興協会︵2000年︶特許・商標等
特許
●日本人初の特許取得 - 平山甚太による "Daylight Fireworks" ﹁昼花火﹂とも﹁昼間の煙火﹂とも訳される煙火︵花火の一種︶であり、1883年︵明治16年︶、日本人で初めてアメリカ合衆国ニューヨークで特許を取得した。[18] ●国内初の特許取得 - 堀田瑞松︵東京府の木竹彫刻家︶による﹁堀田式錆止め塗料及びその塗法﹂ 1885年︵明治18年︶7月1日出願、同年8月14日登録︵※のち、この日をもって﹁専売特許の日﹂とする︶。漆や柿渋・生姜等を使った防錆塗料と塗法で、鉄製船舶の船底が海水に腐食されることを防ぐためのもの。アメリカ合衆国でも特許取得。商標登録・意匠登録
●国内初の商標登録 - 平井祐喜︵京都府の薬店経営者︶による膏薬︵こうやく︶丸薬 1884年︵明治17年︶10月1日出願、1885年︵明治18年︶6月2日登録。[19][20] ●国内初の水産物の商標登録 佐賀関町漁業協同組合︵現・大分県漁業協同組合佐賀関支店︶による﹁関あじ﹂と﹁関さば﹂ 1996年︵平成8年︶10月、同時に地域団体商標登録された。 ●国内初の意匠登録 - 8代目須永由兵衛︵栃木県足利市の織物業者︶による﹁雲井織﹂ 1889年︵明治22年︶5月に登録された、織物縞の意匠。[20]学問
全般
総記
●百科事典 - 西周による﹃百学連環﹄ ‥1870年︵明治2年︶頃。言語
●和字︵日本独自の文字︶ - 万葉仮名 ‥早ければ5世紀︵古墳時代︶、遅くとも7世紀中頃︵平安時代︶には成立。地球科学
●日本の植物に学名を命名 - ヤマトグサ ‥1889年︵明治22年︶、牧野富太郎が新種として学術誌に記載︵命名︶。 ●日本領内での恐竜化石の発見 - ニッポノサウルス・サハリネンシス 1934年︵昭和9年︶、当時日本領であった樺太︵現・ロシア、サハリン州南部︶にあった豊栄郡川上村の上部白亜紀地層から発見された。 ●第二次世界大戦終了以降の日本領内での恐竜化石の発見 - モシリュウ 1978年︵昭和53年︶、岩手県下閉伊郡岩泉町茂師の下部白亜紀地層から発見された。﹁日本列島での恐竜化石の発見﹂とも言い換え可能。いまだ学名は無い。 ●日本領内での首長竜化石の発見、新種首長竜化石の発見 - フタバサウルス・スズキイ︵フタバスズキリュウ︶ 1968年︵昭和43年︶に福島県の大久川河岸の上部白亜紀地層から発見され、新属新種の首長竜と判明した2006年︵平成18年︶に学名が正式に記載された。 ●恐竜の足跡化石の発見 - 1985年︵昭和60年︶4月3日、群馬県多野郡中里村︵現・神流町の恐竜王国中里︶ ●打製石器︵旧石器︶の発見 - 1949年︵昭和24年︶7月、岩宿遺跡 ‥相沢忠洋による。 cf. ﹁日本列島の旧石器時代﹂ ●天然ダイヤモンドの発見 - 2007年︵平成19年︶、愛媛県 水上知行が岩石の中から1000分の1ミリメートルの天然ダイヤモンドを発見。受賞
●ノーベル賞受賞 - 1949年︵昭和24年︶、湯川秀樹 ‥物理学賞。 cf. ﹁日本人のノーベル賞受賞者﹂ ●物理学賞 - 上に同じ ●化学賞 - 1981年︵昭和56年︶、福井謙一 ●医学生理学賞 - 1987年︵昭和62年︶、利根川進 ●文学賞 - 1968年︵昭和43年︶、川端康成 ●平和賞 - 1974年︵昭和49年︶、佐藤栄作 ‥唯一の受賞︵2012年受賞者発表時点︶。 ●アルバート・ラスカー医学研究賞受賞 - 1982年︵昭和57年︶、花房秀三郎 ‥基礎医学研究賞。 ●ルイザ・グロス・ホロウィッツ賞受賞 - 1982年︵昭和57年︶、利根川進 ‥唯一の受賞︵2012年受賞者発表時点︶。 ●ダーウィン・メダル受賞 - 1992年︵平成4年︶、木村資生 ‥唯一の受賞︵2012年受賞者発表時点︶。 ●フランクリン協会のベンジャミン・フランクリン・メダル 受賞 - 1999年︵平成11年︶、外村彰 ‥物理学賞。 ●アーベル賞受賞 - 受賞者不在 ●フィールズ賞受賞 - 1954年︵昭和29年︶、小平邦彦 ●プリツカー賞受賞 - 1987年︵昭和62年︶、丹下健三 ●ライト・ライブリフッド賞受賞 - 1989年︵平成元年︶、生活クラブ事業連合生活協同組合連合会 ‥名誉賞。唯一の受賞︵2012年受賞者発表時点︶。教育・研究施設
- 学校詳細は「学校に関する日本初の一覧」を参照・天文台 - 天武天皇4年1月5日︵ユリウス暦675年2月8日︶に天皇自らが開設した占星台︵占星術天文観測所︶が確認可能な最古。 ・図書館 - 芸亭 ‥8世紀前半︵奈良時代後期︶、石上宅嗣によって平城京に設置された公開図書館。 ●公共図書館 - 青柳文庫 ‥天保2年︵1831年︶、仙台藩が開設。 ・博物館 - 文部省博物館︵現・東京国立博物館︶ ‥1872年︵明治4年︶開設。 ・臨海実験所 - 江ノ島臨海実験所 1877年︵明治10年︶7月17日、エドワード・モースが東洋初の臨海実験所を江の島に開設し、海洋生物の研究を行った。当地は海洋生物学発祥の地。 ・高所気象台、山岳測候所 - 山階宮筑波山測候所︵現・筑波山気象観測ステーション︶[21] ‥1902年︵明治35年︶1月1日開設︵通年観測の開始︶[22]。 ・科学館 - 大阪市立電気科学館 ︵現・大阪市立科学館︶ ‥1937年︵昭和12年︶開設。 ・プラネタリウム - 大阪市立電気科学館に設置されたドイツ製のプラネタリウム﹁カールツアイスII型25号機﹂ ‥1937年︵昭和12年︶開設。アジア初でもある。 ・公民館 - 後藤新平記念公民館 ‥1941年︵昭和16年︶開設。奥州市水沢区に所在。 ・国立国際会議場 - 国立京都国際会館 ‥1966年︵昭和41年︶開設。
運動、スポーツ
この節の加筆が望まれています。武術・武道・格闘技、フィジカルトレーニング等々を含む運動全般、および、フィジカルスポーツ(マインドスポーツ[頭脳スポーツ]と区別される肉体スポーツ)全般に関する日本初。
スポーツについては「スポーツに関する日本初の一覧」を参照●ラジオ体操 - 1928年︵昭和3年︶8月1日、社団法人日本放送協会関西支部︵旧・社団法人日本放送協会大阪中央放送局、現・NHK大阪放送局︶が放送開始[23]。 世界初は1922年4月、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンの放送局WGIによる。エンターテインメント
音楽
メディア
●レコードへの録音 - 川上音二郎の﹃オッペケペー節﹄ 1900年 ●音楽用CDのアーティスト - ビリー・ジョエルと大瀧詠一 1982年 ●着うた - CHEMISTRYの﹁My Gift to You﹂ 2002年12月ヒットチャート
●売上枚数100万枚を突破したアルバム - 井上陽水の﹃氷の世界﹄ 1975年 ●10代での連続アルバム︵3作連続︶ミリオンセラー達成 - 宇多田ヒカル ●着うたダウンロード件数100万件を突破した楽曲 - 大塚愛の﹃さくらんぼ﹄ 2004年7月19日 ●着うたシングルでのダウンロード数1000万突破した楽曲 - 宇多田ヒカルの﹃Flavor Of Life﹄ ●着うたフルダウンロード件数100万件を突破した楽曲 - GReeeeNの﹃愛唄﹄ 2007年8月3日 ●音楽チャート主要6部門完全制覇アーティスト - ORANGE RANGE シングル、アルバム、配信、カラオケ、有線、音楽DVDの6冠[24]。 ●アメリカ音楽ヒットチャート1位を獲得したシングル - 坂本九の﹃上を向いて歩こう﹄ 1963年 ビルボード誌、キャッシュボックス誌ともに1位を獲得。 ●アメリカで売上枚数100万枚を突破したシングル - 坂本九の﹃上を向いて歩こう﹄ 1964年 ●アメリカでビルボードのアルバムチャート100位以内にランクインしたアルバム - ソロシンガーでは坂本九の﹃Sukiyaki And Other Japanese Hits﹄ 1963年、最高14位。グループではLOUDNESSの﹃THUNDER IN THE EAST﹄ 1985年、最高74位。 2010年6月現在、日本のミュージシャンによるランキング最高位は更新されていない。コンクール
●国際コンクール参加及び入選 - 井上園子︵1933年︶ ‥ウィーン国際音楽コンクールピアノ部門に入選。 ●国際コンクール受賞者 - 原智恵子︵1937年︶ ‥ショパン国際ピアノコンクール入選・特別聴衆賞。 ●国際コンクール最高位獲得 - 田中希代子︵1952年︶ ジュネーヴ国際音楽コンクールピアノ部門に1位無しの2位特賞。日本初の国際コンクール正規入賞でもある。 ●国際コンクール優勝 - 高野耀子︵1954年︶ ‥ヴィオッティ国際音楽コンクールピアノ部門。作曲・演奏
●オーケストラ - 宮内省雅楽課の有志により創設︵1879年︶ ●民間オーケストラ - 東京フィルハーモニーの会管弦楽部︵1915年︶ ‥東京フィルハーモニーの会は1909年に設立。 ●パーマネントオーケストラ - 新交響楽団︵現・NHK交響楽団︶︵1928年︶ ‥一時的な公演ではなく、継続的に活動を行った日本で最初のオーケストラ。 ●自治体直営オーケストラ - 京都市交響楽団 1956年 ●吹奏楽団 - 薩摩藩軍楽伝習隊 1869年 ●民間吹奏楽団 - 東京市中音楽会 1888年 ●ピアニスト - 久野久 ●プロバイオリニスト - 幸田延 1895年 ●ダンスバンド - ハタノ・オーケストラ 1915年 ●プロジャズバンド - ラッフィング・スター・ジャズバンド︵神戸市︶ 1925年 ●電子音楽 - 黛敏郎の﹃素数の比系列による正弦波の音楽﹄ 1955年 ●船上ライブ - 地洋丸にて 1912年 ●スタジアムライブを行ったアーティスト - 後楽園球場のザ・タイガース 1968年8月12日 ●ドーム球場ライブを行ったアーティスト - 東京ドームのTHE ALFEE 1988年 ●5大ドームツアー - SMAP ●路上ライブ - 新宿西口フォークゲリラ 1969年 ●滑走路ライブを行ったアーティスト - レミオロメン 2006年 ●武道館ライブを行ったソロアーティスト - 西城秀樹 ●武道館ライブを達成したソロロックアーティスト - 矢沢永吉 ●武道館ライブを達成したソロラッパー - KREVA ●引退興行 - ザ・ピーナッツ 1975年︵さよなら公演記事参照︶ ●野外フェスティバル - 全日本フォークジャンボリー 1969年 ●年越しコンサート - サザンオールスターズ 1984年テレビ
インフラ
●テレビ実験放送 - 1940年4月13日 ●テレビ放送 - NHKが1953年2月1日に開始 ●カラーテレビ実験放送 - 1956年12月より開始 ●カラーテレビ本放送 - 1960年9月10日に開始 ●民放テレビ局 - 日本テレビ 1953年8月28日開局。 ●ラジオ・テレビ兼営局 - ラジオ東京︵現・東京放送ホールディングス︶ 1955年4月1日テレビ放送︵現・TBSテレビ︶開始。 ●UHFテレビ局 - NHK東京・大阪UHF ●独立UHF局かつ親局UHFテレビ局 - 岐阜放送 ●ケーブルテレビ - 1955年6月10日に群馬県北群馬郡伊香保町に設置。 ●ステレオ放送 - 日本テレビが1978年に開始。 ●文字多重放送 - 1985年に開始。 ●衛星放送本放送 - NHKが1989年6月1日に開始。 ●ハイビジョン実験放送 - 1989年6月1日に開始。 ●ハイビジョン本放送 - 2000年12月1日に開始。 ●民放衛星放送かつ有料放送 - WOWOW ‥1990年11月1日開局。 ●通信衛星を利用した放送 - スカイポート ‥1992年4月開始。 ●データ放送 - セント・ギガ衛星データ放送 スーパーファミコンアワー ‥1995年4月23日開始。 ●地上波データ放送 - E-NEWS ‥1996年4月試験サービス開始。 ●双方向通信型データ放送 - ITビジョン ‥1996年10月開始。 ●デジタル放送 - パーフェクTV!︵現・スカパー!プレミアムサービス︶ ‥1996年9月30日開始。 ●サーバ型放送 - ep‥2002年7月開始。 ●地上デジタル放送 - 東名阪で2003年12月1日開始。 ●マルチメディア放送 - モバHO! ‥2004年10月20日開始。 ●移動体向け地上波放送 - ワンセグ ‥2006年4月1日開始。 ●地上波マルチメディア放送 - NOTTV ‥2012年4月1日開始。 ●放送持株会社 - フジ・メディア・ホールディングス ‥2008年10月1日のフジテレビジョン分社化に伴い移行。コンテンツ
●テレビコマーシャル - 日本テレビが1953年8月28日に放映した精工舎︵現セイコー︶の時報コマーシャル。フィルムを裏返しで回してしまったため音声が出力されず、日本初の放送事故まで引き起こしたのは有名。 ●国産テレビドラマ - ﹃夕餉前﹄ ‥1940年放送︵実験放送︶。 ●国産連続テレビドラマ - ﹃幸福への起伏﹄ ‥1953年放送。 ●国産カラーテレビドラマ - ﹃赤い陣羽織﹄ ‥1959年放送。 ●国産テレビアニメ - ﹃インスタント・ヒストリー﹄ ‥1962年放送。 ●国産1話30分のテレビアニメ - ﹃鉄腕アトム﹄ ‥1963年放送。 ●国産カラーテレビアニメ - ﹃ジャングル大帝﹄ ‥1965年放送。 ●テレビジョン放映されたCG - みんなのうた﹃算数チャチャチャ﹄ ●CGが使用された番組 - ﹃少年探偵団 (BD7)﹄ ●本編にCGが使われたアニメ - ﹃タイムボカン﹄ ●モザイク処理が使用された番組 - ﹃象印クイズ ヒントでピント﹄ ●音楽番組の歌詞テロップ使用 - ﹃夜のヒットスタジオ﹄のサザンオールスターズ ●本格的キャスターニュースショー - ﹃JNNニュースコープ﹄ ●ワイドショー - ﹃モーニングショー﹄ ●ゴンドラを使った番組 - ﹃アップダウンクイズ﹄ ●ベルトコンベアを使った番組 - ﹃巨泉まとめて百万円﹄ ●テレビショッピング - ﹃東京ホームジョッキー﹄ ●ローカルワイドニュース番組 - ﹃RABニュースレーダー﹄ ●長時間特別番組 - ﹃宮城まり子のチャリティーテレソン﹄ ●24時間ニュース専門チャンネル - NNN24︵現・日テレNEWS24︶ ●3Dが使用された番組 - ﹃オズの魔法使い﹄ デジタル放送における3D放送は﹃3D立体革命﹄ 地上デジタル放送では﹃驚きの嵐!世紀の実験 学者も予測不可能SP&奇跡を呼ぶ実験的生ライブ!!﹄ ●スポーツ実況中継 - 後楽園球場でのパシフィック・リーグ大映対近鉄、毎日対東急‥1951年︵実験放送︶ ●著名人の結婚披露宴生中継 - 三浦友和・山口百恵ラジオ
インフラ
●放送局 - 社団法人東京放送局︵現・日本放送協会のNHKラジオ第1放送︶ 1924年11月29日開局。1925年3月22日午前9時30分、本放送開始。京田武男アナウンサーによる第一声は、﹁アーアー、聞こえますか。︵間︶JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。こんにち只今より放送を開始致します﹂。3月22日は放送記念日とされる。 ●有線放送 - 新潟県東頸城郡牧村︵現・上越市︶にて ‥1937年 ●民間放送局 - 中部日本放送︵CBCラジオ︶ 1951年9月1日開局。毎日放送︵MBSラジオ。当時は新日本放送︶も同日に開局したが放送送出はCBCの方が早かった。逆に試験電波の発射は新日本放送の方が先。 ●FM放送局 - 東海大学の実用化試験局FM東海 1958年12月31日開局。現在のTOKYO FMの前身。 企業が事業の一環として開設したFM愛知を“日本初の民放FM”とする意見もある︵東海大学は営利目的でない法人のため︶。 一方、NHK-FMについては開局こそ1957年であるが、本放送は1969年である。 ●衛星ラジオかつデジタルラジオ放送 - セント・ギガ 1991年3月30日。衛星デジタルラジオとしては世界初でもある。 ●CS-PCM音声放送 - ピーシーエムジャパン ‥1992年6月15日 ●コミュニティ放送 - FMいるか ‥1992年12月24日。 ●外国語放送のFM放送局 - FM COCOLO ‥1995年10月16日。米軍放送を除く、国内向け外国語放送局。 ●ステレオ放送 - NHK東京 ‥1952年12月20日開始。 ●文字多重放送 - TOKYO FM﹁見えるラジオ﹂ ‥1994年10月1日開始。 ●放送局の破綻 - 近畿放送︵現・京都放送︶ ‥イトマン事件に巻き込まれた。 ちなみに、ラジオ単営局︵FM放送︶での破綻例はエフエム九州︵旧社、現・CROSS FM︶が日本初。 ●地上波放送局の閉局 - エフエムこんぴら ‥1998年11月30日。移行や合併などを除いた、いわゆる完全廃止。 ●県域放送局の閉局 - 愛知国際放送 ‥2010年9月30日。コンテンツ
●スポーツ実況中継 - 1927年8月13日に行われた第13回全国中等学校優勝野球大会︵現・全国高等学校野球選手権大会、夏の大会︶の試合 中継を担当したのは大阪放送局︵JOBK、現・NHK大阪放送局︶。魚谷忠アナウンサーが全21試合を実況した。第一声は﹁JOBK、こちらは大阪中央放送局甲子園臨時出張所であります﹂。 ●コマーシャル - 新日本放送︵毎日放送︶が1951年9月1日に放送した﹁スモカ歯磨﹂のコマーシャル。 ●FM放送局によるナイター中継 - NACK5が放送 1989年。また、日本で初めてプロスポーツ中継を行なったFM局でもある︵NHK-FMでプロ野球中継が行われた事はない︶。 ●深夜放送 - ラジオ東京︵TBSラジオ︶の﹁イングリッシュ・アワー﹂ ‥1952年4月1日開始。 ●終夜放送 - ラジオ関東︵アール・エフ・ラジオ日本︶の﹁オールナイト・パートナー﹂ ‥1966年10月3日開始。 ●電話リクエスト - ラジオ関西 ‥1952年12月25日に放送。 ●サテライトスタジオ - ニッポン放送 ‥1962年11月、小田急百貨店新宿店内に開設。 ●FAXリクエスト - エフエム大阪 ‥1980年に放送。新聞
●日本語の日刊新聞 - 横浜毎日新聞 ‥1871年1月28日 ●夕刊紙 - 東京毎夕 ‥1877年11月12日 ●タブロイド紙 - 萬朝報 ‥1892年11月1日 ●予想紙 - 中島高級競馬號 ‥1924年 ●スポーツ新聞 - 日刊スポーツ ‥1946年3月6日 スポーツ報知の創刊は1872年7月15日だが、スポーツ新聞として新装刊されたのは1949年12月30日。映画
●映画上映 - 神戸市の神港倶楽部でキネトスコープ上映、1896年11月25日 ●活動弁士 - 上田布袋軒、1896年11月25日 ●映画興行 - 大阪市難波の南地演舞場、入場料一般席10銭、特別席20銭、フランスのリュミエール兄弟製作作品、1897年2月15日 ●国産映画 - ドキュメンタリー短篇映画﹃大坂道頓堀の図﹄﹃大坂舞子の踊り﹄﹃芸者の手踊り﹄、会場歌舞伎座、1899年6月20日 ●劇映画監督 - 現代劇 : 駒田好洋・柴田常吉﹃ピストル強盗清水定吉﹄、1899年 ●女性映画監督 - 坂根田鶴子﹃初姿﹄、1936年 ●時代劇映画監督 - 牧野省三﹃本能寺合戦﹄、1908年 ●脚本家 - ≪未編集≫ ●女性脚本家 - 水島あやめ﹃落葉の唄﹄、監督小笠原明峰、1924年 ●映画俳優 - 横山運平﹃ピストル強盗清水定吉﹄、1899年 ●映画女優 - 花柳はるみ﹃深山の乙女﹄﹃生の輝き﹄、監督帰山教正、1919年 ●時代劇映画俳優 - 中村福之助、嵐璃徳﹃本能寺合戦﹄、1908年 ●映画スター - 尾上松之助、﹃碁盤忠信源氏礎﹄に主演、1909年 ●学士俳優 - 中村彰、﹃女の街﹄、監督今井正、1940年 ●映画専門館 - 電気館 - 浅草公園六区、吉沢商店、1903年 ●鉄骨・鉄筋コンクリート建築の映画館 - 大阪松竹座︵1994年取壊、現存せず︶、設計木村得三郎、施工大林組、1923年5月17日開場。 ●撮影所 - 吉沢商店目黒行人坂撮影所、1908年 ●ロケーション撮影 - 千葉吉蔵撮影﹃己が罪﹄、片瀬・江ノ島、吉沢商店、1908年 ‥当時は﹁出写し﹂と呼ばれた[25] ●キネマカラー映画 - ﹃義経千本桜﹄、監督吉野二郎、天然色活動写真、1914年 ●国産アニメーション映画 - 短篇映画﹃芋川椋三玄関番の巻﹄、監督下川凹天、天然色活動写真、1917年 ●特撮映画 - ﹃豪傑児雷也﹄、監督牧野省三、1921年 ●怪獣映画 - ﹃ゴジラ﹄、監督本多猪四郎、1954年 ●トーキー上映 - アメリカ映画﹃進軍﹄﹃南国の唄﹄、新宿武蔵野館、1929年5月9日 ●ディスク式トーキー映画 - ﹃戻橋﹄、監督マキノ正博、1929年7月5日公開 ●字幕入り外国語映画 - ﹃モロッコ﹄、監督ジョセフ・フォン・スタンバーグ、製作・本国公開 1930年、日本公開 1931年2月[26] ●トーキー映画 - ﹃マダムと女房﹄、監督五所平之助、1931年 ●短篇カラー映画 - ﹃千人針﹄、監督三枝源次郎、大日本天然色映画、1937年 - 戦後不完全欠損版が、ロシアで発見された。 ●国際合作映画 ●日独合作映画 - ﹃新しき土﹄、監督アーノルド・ファンク、1937年 ●日米合作映画 - ﹃東京ファイル212﹄、1951年 ●潜水艦映画 - ﹃潜水艦1号﹄、監督伊賀山正徳、1941年 ●国産長篇アニメーション映画 - ﹃桃太郎の海鷲﹄、監督瀬尾光世、1943年 ●長篇カラー映画 - ドキュメンタリー映画﹃寺子屋﹄、監督マキノ正博、1950年 ●長篇カラー映画 - 劇映画﹃カルメン故郷に帰る﹄、監督木下惠介、1951年 ●シネマスコープ映画 - ﹃鳳城の花嫁﹄、監督松田定次、東映、1957年4月2日 ●長篇カラーアニメーション映画 - ﹃白蛇伝﹄、1958年 ●70mm映画 - ﹃釈迦﹄、監督三隅研次、大映、1961年 ●3D映画 - ﹃侍戦隊シンケンジャー 銀幕版 天下分け目の戦﹄、東映、2009年8月8日公開 ●本格的シネマコンプレックス - ワーナー・マイカル・シネマズ海老名、1993年 ●本格的フィルム・コミッション - 大阪ロケーション・サービス協議会、2000年2月23日設立 ●海外コンクール受賞 - ﹃五人の斥候兵﹄、1938年ヴェネツィア国際映画祭イタリア民衆文化大臣賞受賞出版
●本格的な雑誌 - 西洋雑誌 1867年10月 ●総合雑誌 - 明六雑誌 1874年4月2日 ●週刊誌 - 團團珍聞 1877年3月24日 ●社内誌 - カネボウの﹃兵庫の汽笛﹄ 1904年 ●本格的なフリーペーパー - フジサンケイリビングニュース 1971年6月演芸
●歌舞伎 - 出雲阿国が北野天満宮にて興行︵1603年︶ ●本格的な寄席 - 初代三笑亭可楽が下谷神社にて興行︵1798年︶ ●サーカス - ﹁アメリカ・リズリー・サーカス﹂により横浜で興行︵1864年︶アミューズメント
アミューズメントパーク
●西洋式運動公園 - 外国人居留遊園︵現・東遊園地︶︵神戸市︶︵1868年︶ ●居留地の外国人専用であった。 ●営造物公園 - 公園#日本における近現代公園史より、東京の金龍山浅草寺、東叡山寛永寺境内、京都の八坂神社、清水寺境内、嵐山など、これまでの庶民の物見遊山の場所で高外除地︵所有権の存在しない免税地︶を公園として法律により初めて定めた。︵1873年1月15日︶ ●国立公園 - 瀬戸内海国立公園、雲仙国立公園︵現・雲仙天草国立公園︶、霧島国立公園︵現・霧島屋久国立公園︶︵1934年3月16日︶ ●世界遺産 - 法隆寺地域の仏教建造物、姫路城、屋久島、白神山地︵1993年12月︶ ●近代的動物園 - 恩賜上野動物園 ︵1882年︶ ●動物園における大型肉食獣無柵式放飼場 - 東山動物園 ︵1937年︶ ●水族館 - 第2回水産博覧会での和楽園水族館︵神戸市︶︵1897年︶ ●順路のない水族館 - 鳥羽水族館 ‥世界初でもある ●遊園地 - 浅草花やしき ︵1853年︶ ●屋上遊園地 - 松屋浅草の屋上にあったプレイランド︵1931年︶ ●メリーゴーラウンド - 第5回内国勧業博覧会︵大阪︶︵1903年︶ ●観覧車 - 日露戦争戦捷紀念博覧会 ︵大阪市︶︵1906年5月︶ ●コースター - 宝塚新温泉のウェーブコースター︵1952年︶ ●ジェットコースター - 後楽園ゆうえんちのジェットコースター︵1955年︶ ●宙返りするジェットコースター - 谷津遊園のコークスクリュー︵1977年︶ ●流れるプール - 豊島園 ︵東京都練馬区︶︵1965年︶ ●ウォータースライダー - 船橋ヘルスセンター︵1963年︶ゲーム
●コンピュータゲーム - セガの﹁ポントロン﹂とタイトーの﹁エレポン﹂︵1973年︶ ●家庭用TVゲーム機 - エポック社の﹁テレビテニス﹂︵1975年︶ ●家庭用カセット交換式TVゲーム機 - ジーエルの﹁ビデオカセッティ ロック﹂︵1977年︶全般
●カラオケ機 - 井上大佑が開発した﹁エイトジューク﹂︵1971年︶‥世界初でもある。習俗、催事
※解説文の外にある出典は全体に係る。祭事、宗教色のある催事
祭事︵宗教的年中行事等︶と宗教行事風の娯楽催事︵イベント︶︵両者の境目ははっきりしない︶。 ●釈迦の誕生日を祝う行事 - 推古天皇14年︵606年︶に飛鳥寺で行われたとされる︵第1回の︶灌仏会か ●花見会 - 特定不可能 桜の花見が普及する以前は、中国文化の影響から梅の花見が一般的であった。しかし、梅の花見が行われ始めた時期についての史料は無い。 ●桜の花見会 - 記録に残るものでは、神泉苑にて嵯峨天皇が弘仁3年2月12日︵812年3月28日︶に開いた﹁花宴の節﹂ ●クリスマス - 天文21年12月9日︵1552年12月24日︶の降誕祭のミサ 大寧寺の変後の周防国山口︵現・山口市滝町など︶において、イエズス会宣教師コスメ・デ・トーレスらが司祭館に日本人信徒を招いて行った。 ●雪祭り - 古来、行われてきた催事であり、日本初は特定不可能 下記のとおり、一定条件を課せば限定は可能である。なお、雪祭りは雪具供養等の祭事の側面をもつ場合があり、宗教色の無い催事とは区別する。また、﹁雪まつり﹂と称し、地方公共団体等が開催する現代的なイベントだけを恣意的に過去の雪祭りと切り離して区別・定義することは辞典的でなく、ここでは避ける。 ●大会形式の近代的雪祭り[* 1] ●一中雪戦会 [27][28] 札幌尋常中学校︵旧・北海道庁立札幌第一中学校﹇札幌一中﹈、現・北海道札幌南高等学校の前身︶の雪戦会[27]。雪像展なども行ったが、騎馬戦形式の雪合戦を主体とした雪祭りであり、1897年︵明治30年︶に第1回が開催され、1945年︵昭和20年︶終戦の年まで46回続いた[27]。現代のさっぽろ雪まつりと相比される当時の日本の代表的な雪祭り[27]。 ●雪合戦を主とする、大会形式の近代的雪祭り ●一中雪戦会 ‥上に同じ。 ●スケートを主とする、大会形式の近代的雪祭り ●中島遊園地︵現・中島公園︶の氷上カーニバル 北海道札幌区の中島遊園地︵現・北海道札幌市中央区の中島公園︶で1925年︵大正14年︶に始まった催事で、札幌市民の仮装によるスケーティングを審査・表彰するもの。[28] ●雪像展覧会を主とする、大会形式の近代的雪祭り[* 2] ●小樽市北手宮尋常小学校︵現・小樽市立北手宮小学校︶の雪祭り ﹁現存する日本最古の、大会形式の近代的雪祭り﹂である。1935年︵昭和10年︶2月24日に第1回開催。同校は1988年︵昭和63年︶9月21日に﹁雪まつり発祥の地記念碑﹂を建立しているが、上述のとおり、実際は﹁雪像展覧会を主とする﹂等の限定条件付きである。[29] 住民主催で始まった、雪像展覧会を主とする、大会形式の近代的雪祭り[* 3] ●十日町雪まつり [30] 第1回は1950年︵昭和25年︶2月4日・5日、新潟県中魚沼郡十日町の十日町文化協会が主催し、雪の芸術展や雪具供養の火の周りで十日町小唄を踊る雪中カーニバルやスキー駅伝大会などを主要イベントとして開催された[30]。十日町は﹁現代雪まつり発祥の地﹂を宣言し、十日町雪まつりが﹁日本初の雪祭り﹂であると標榜していて[30]、それが広く一般にも通用しているため、ここに記すが、上述のとおり、実際は﹁雪像展覧会を主とする﹂﹁住民主催で始まった﹂等の限定条件付きである。 ●バレンタインデー - 諸説並立して、定説なし 確認出来ている販売促進活動で最も早期に当たるものは、神戸モロゾフ製菓︵現・モロゾフ︶による1936年︵昭和11年︶2月12日起源説。詳しくは﹁バレンタインデー#日本のバレンタインデーの起源﹂を参照のこと。 ●ハロウィン - 不明宗教色のない催事
商業イベントなど、宗教色が全く無い催事。この節の加筆が望まれています。探検・冒険
地球
●世界一周 - 津太夫、儀兵衛︵儀平とも︶、左平、太十郎 寛政5年11月︵1793年11月︶に仙台藩の石巻湊︵cf. 石巻港︶を出航し、漂流やロシア滞在を経て、文化元年9月︵1804年の9月か10月︶、長崎湊︵長崎港︶より帰国。 cf. 世界一周#日本人による世界一周。 ●南極探検家 - 白瀬矗 1912年︵明治45年︶1月16日から2月4日までの間、南極大陸を探検。南極点には及ばなかったが、南緯80度5分に到達した。 ●南極点到達 - 村山雅美 ‥1968年︵昭和43年︶12月19日。 ●記録で確認できる、外国人による富士山登頂 ラザフォード・オールコック︵イギリス初代日本総領事︶一行 ‥万延元年7月27日︵1860年9月11日︶。 ●マッターホルン登頂 - 麻生武治 ‥1923年︵大正12年︶。 ●アコンカグア登頂 - 早稲田大学山岳部遠征隊 ‥1953年︵昭和28年︶1月26日。 ●キリマンジャロ登頂 - 早稲田大学山岳部遠征隊 ‥1957年︵昭和32年︶。 ●エベレスト登頂 - 松浦輝男・植村直己 ‥1970年︵昭和45年︶5月11日。 ●エベレスト秋季登頂 - 石黒久・加藤保男 ‥1973年︵昭和48年︶10月26日。世界初でもある。 ●女性によるエベレスト登頂 - 田部井淳子 ‥1975年︵昭和50年︶5月16日。世界初でもある。 ●エベレスト北壁登頂 - 重広恒夫・尾崎隆 ‥1980年︵昭和55年︶5月10日。世界初でもある。 ●エベレスト冬季登頂 - 加藤保男 ‥1982年︵昭和57年︶12月27日。帰路、遭難死。 ●エベレスト無酸素登頂 - 川村晴一・鈴木昇己・遠藤晴行・吉野寛・禿博信 1983年︵昭和58年︶10月8日。吉野と禿は帰路に遭難死。 ●デナリ︵マッキンリー︶登頂 - 植村直己 ‥1970年︵昭和45年︶8月30日。 ●K2登頂 - 重広恒夫・中村省爾 ‥1977年︵昭和52年︶8月8日。 ●女性によるK2登頂 - 小松由佳 ‥2006年︵平成18年︶8月1日。 ●アルプス三大北壁︵マッターホルン北壁、アイガー北壁、グランド・ジョラス北壁︶登頂 高田光政 ‥1967年︵昭和42年︶7月22日に達成。 ●女性によるアルプス三大北壁登頂 - 今井通子 ‥1971年︵昭和46年︶7月17日に達成。 ●五大陸最高峰登頂 - 植村直己 ‥1970年︵昭和45年︶8月30日に達成。世界初でもある。 ●七大陸最高峰登頂 - ≪未編集≫ ●女性による七大陸最高峰登頂 - 田部井淳子 ‥1992年︵平成4年︶に達成。世界初でもある。 ●洞窟潜水探検 - 太田正道と杉村昭弘 ‥1962年︵昭和37年︶3月21日と25日、秋吉台の秋芳洞で。 ●動力機による航空機の飛行 - 日野熊蔵 ‥1910年︵明治43年︶12月14日。 ●日本が公認している、動力機による航空機の飛行 - 徳川好敏 1910年︵明治43年︶12月19日。ここで言う﹁日本公認﹂は﹁当時の日本陸軍の公認﹂を踏襲したもので、今日においても12月19日が﹁日本初飛行の日﹂とされている論拠である。 ●太平洋単独ヨット横断 - 堀江謙一 ‥1962年︵昭和37年︶。宇宙
●宇宙飛行士︵選ばれた日基準︶ - 毛利衛、向井千秋、土井隆雄 ‥1985年︵昭和60年︶に選ばれた。 ●女性宇宙飛行士 - 向井千秋 ‥1985年︵昭和60年︶に選ばれた。アジア人女性初でもある。 ●アストロノート︵アメリカ合衆国で宇宙飛行士訓練をした宇宙飛行士︶ - 毛利衛 ‥1985年︵昭和60年︶。 ●コスモノート︵ロシアで宇宙飛行士訓練をした宇宙飛行士︶ - 秋山豊寛 ‥1990年︵平成2年︶。 ●宇宙へ行った宇宙飛行士 - 秋山豊寛 1990年︵平成2年︶12月2日、ソユーズTM-11による飛行。旧ソ連認定の宇宙飛行士資格を取得の上で民間企画によって挙行された。﹁世界初の商業宇宙飛行者﹂﹁世界で最初に宇宙へ行ったジャーナリスト﹂でもある。 ●日本政府の宇宙開発事業によって宇宙へ行った宇宙飛行士 - 毛利衛 1992年︵平成4年︶9月12日、スペースシャトル・エンデバーによる飛行。 ●宇宙へ行った女性宇宙飛行士 - 向井千秋 ‥1994年︵平成6年︶7月8日。アジア人女性初でもある。 ●日本政府の宇宙開発事業によって宇宙へ行った女性宇宙飛行士 - 向井千秋 ‥上に同じ。 ●ロシア製宇宙船に搭乗した宇宙飛行士 - 秋山豊寛 ‥1990年︵平成2年︶12月2日。ソユーズ。 ●アメリカ製宇宙船に搭乗した宇宙飛行士 - 毛利衛 ‥1992年︵平成4年︶9月12日。スペースシャトル。 ●宇宙遊泳︵船外活動︶をした宇宙飛行士 - 土井隆雄 1997年︵平成9年︶11月19日から12月5日まで行われたスペースシャトル・コロンビアのミッションSTS-87 (en) 時。 ●宇宙船搭乗科学技術者 - 毛利衛 スペースシャトルの搭乗科学技術者︵ペイロードスペシャリスト︶として1992年︵平成4年︶9月12日に飛行。 ●宇宙船搭乗運用技術者 - 若田光一 スペースシャトルの搭乗運用技術者︵ミッションスペシャリスト︶として1996年︵平成10年︶1月11日に飛行。 ●宇宙船操縦士 - 野口聡一 ‥ソユーズTMA-17の副操縦士として2009年︵平成21年︶12月20日に飛行。 ●国際宇宙ステーションに長期滞在した宇宙飛行士 - 若田光一 ‥2009年︵平成21年︶3月15日に飛行。 ●宇宙へ行った日本の動物 - ニホンアマガエル ‥秋山豊寛の1990年︵平成2年︶12月2日の飛行に伴う。食文化
詳細は「日本の食文化の発祥地一覧」を参照ファッション
●西洋理髪店 - ヘアー・ドレッシング・アンド・ シェイビング・サロン ‥文久3年/元治元年︵1864年︶、ファーガソンが横浜ホテルで開業。 ●洋服店 - 横浜に開業したイギリス人ピアソン夫人のサムエル・クリフト支店 ‥文久3年︵1863年︶11月27日。 ●パーマネントウエーブ - ﹁オリエンタルホテル理髪部﹂︵神戸市︶ ‥1923年︵大正12年︶。事故・犯罪事件関連
●ハイジャック事件 - よど号ハイジャック事件 ‥1970年︵昭和45年︶3月31日発生。 ●銀行強盗事件 - 赤色ギャング事件 ‥1932年︵昭和7年︶10月6日発生。 ●航空機の強取等の処罰に関する法律第2条︵致死罪︶適用 - 全日空61便ハイジャック事件‥2005年︵平成17年︶3月23日発生。 ●﹁良心の囚人﹂の認定 - 立川反戦ビラ配布事件の3被告 ‥2004年︵平成16年︶12月16日に判決が下る。その他
●評価物件 ●世界の記憶 - 画家・山本作兵衛の手になる、筑豊の炭鉱画群 ‥2011年︵平成23年︶5月27日。脚注・出典
(一)^ 百済大寺が天皇家の発願による最初の官寺とされ、桜井市の吉備池廃寺が寺跡に比定される。以下の文献を参照。 ●狩野久﹁飛鳥寺と斑鳩寺﹂︵井上光貞・門脇禎二編﹃古代を考える 飛鳥﹄、吉川弘文館、1987所載︶、p.115 ●田辺征夫﹁都城の大寺 大官大寺と薬師寺﹂︵狩野久編﹃古代を考える 古代寺院﹄、吉川弘文館、1999所載︶、p.166 ●木下正史﹃飛鳥幻の寺、大官大寺の謎﹄︵角川選書369︶、角川書店、2005、p.231 ●大脇潔﹁王権・仏教・官寺創建 百済大寺跡発見とその意義﹂p.20、﹃週刊朝日百科 日本の国宝別冊 国宝と歴史の旅1飛鳥のほとけ 天平のほとけ﹄所収、朝日新聞社、1999 (二)^ 建物高さの歴史的変遷︵その1︶―日本における建物の高さと高層化について― 土地総合研究2008年春号 (三)^ 鉄道ファン2011年10月号 p135 (四)^ 昭和毎日 昭和のニュース 大阪・梅田に12階建てビル 毎日新聞. (1953年05月20日) (五)^ 三重交通株式会社創立50周年記念事業推進委員会 編﹃三重交通50年のあゆみ﹄三重交通株式会社、平成6年3月1日、302pp.︵74ページより︶ (六)^ 電子出版関連年表︵1985~1994年︶、日本電子出版協会。︵2010/12/19閲覧︶ (七)^ 八幡製鐵所は1901年操業開始だが、当初状態が不安定だったため、翌年1902年に稼動を停止。本格的に稼動したのは2年後の1904年から。その際には釜石鉱山田中製鐵所の元顧問・野呂景義の協力を仰いでいる。釜石鉱山田中製鐵所は1887年に操業開始、1903年より銑鋼一貫製鉄所として稼動してる。 (八)^ abcd“会津藩主保科正之が寛文3年︵1663︶に創設した老齢年金制度はいつまで続けられたのか。”. レファレンス協同データベース︵公式ウェブサイト︶. 国立国会図書館 (2010年3月24日). 2011年10月28日閲覧。 (九)^ ab南房総市観光協会. “社会福祉”. 南房総資源辞典︵公式ウェブサイト︶. 南房総市. 2011年10月28日閲覧。 (十)^ http://frypan.asablo.jp/blog/2009/03/01/4147038 第119弾 のむけはえぐすり 古代の帰化人 高句麗滅亡 (11)^ “国内初の女性機長が誕生”. Yomiuri Online (読売新聞社). (2010年7月9日) 2012年10月22日閲覧。[リンク切れ] (12)^ ホビージャパン﹃エリートフォーセス 陸上自衛隊編[Part1]﹄p151 ISBN 4-89425-360-7 (13)^ “県民への挑戦だ 普天間代替自衛隊共用 市民﹁差別﹂と抗議”. 沖縄タイムス (沖縄タイムス社). (2010年5月23日) 2012年10月22日閲覧。 (14)^ 既婚女性や男性を含む﹁美人﹂コンテスト︵﹁ミス・コンテスト﹂より広義︶。 (15)^ ab“日本最初の天気予報”. バイオウェザー・お天気豆知識︵ウェブサイト︶. いであ株式会社 (2003年6月). 2011年7月14日閲覧。 (16)^ 現代日本の法令上は単に﹁警報﹂と呼ぶが、日本の全史に視点を置く本項では﹁近代科学に基づく、気象警報﹂と限定する。 (17)^ 三越呉服店︵現・三越︶が日本初の百貨店として﹁デパートメントストア宣言﹂。 (18)^ “日本人として初めて米国特許を得た男の話 〜平山甚太 ふたたび〜” (PDF). 特技懇︵ウェブサイト︶ (2007年11月14日). 2011年11月6日閲覧。 (19)^ “商標とは?”. 商標登録出願.net︵公式ウェブサイト︶. 児島特許事務所[1]. 2011年11月6日閲覧。 (20)^ ab“産業財産権制度の歴史”. ︵公式ウェブサイト︶. 特許庁. 2011年11月6日閲覧。 (21)^ 茨城新聞社 編﹃茨城県大百科事典﹄茨城新聞社、1981年10月8日、1099pp.︵719ページより︶ (22)^ 筑波町史編纂専門委員会 編﹃筑波町史 下巻﹄つくば市長 倉田弘 発行、平成2年3月25日、697pp.︵253ページより︶ (23)^ 黒田勇﹃ラジオ体操の誕生﹄ ︿4﹀、青弓社︿青弓社ライブラリー﹀、1999年11月30日、11-12頁頁。ISBN 978-4-7872-3165-9。 (24)^ コブクロ 新DVDオリコン1位確実、デイリースポーツ、2007年6月14日 (25)^ ﹃日本映画発達史1活動写真時代﹄、田中純一郎、中央公論社、1968年、p.136-139。 (26)^ エラー: subst: がありません。Movielink ではなく subst:Movielink としてください。, 2009年11月27日閲覧。 (27)^ abcd“73. 明治に既に雪まつりの原形が - 一中雪戦会”. みてきて北区︵公式ウェブサイト︶. 札幌市北区役所. 2012年2月2日閲覧。 (28)^ ab“歴史について - よくある質問”. さっぽろ雪まつり︵公式ウェブサイト︶. さっぽろ雪まつり実行委員会. 2012年2月2日閲覧。 (29)^ “学校概要”. ︵公式ウェブサイト︶. 小樽市立北手宮小学校. 2012年2月2日閲覧。 (30)^ abc“十日町雪まつりとは”. 十日町雪まつり︵公式ウェブサイト︶. 十日町雪まつり実行委員会. 2012年2月2日閲覧。注釈
(一)^ ﹁大会形式﹂であり、個人的な遊びが大規模になっただけのものは含まない。﹁近代的﹂であり、昔から行われてきた雪遊びの延長線上のものは含まない。以下同様。 (二)^ 興りが﹁住民主催﹂であったものだけでなく﹁法人主催﹂であったものも含む。 (三)^ ﹁住民主催﹂であり、学校等の法人主催は含まない。外部リンク
●神戸が発祥物語 ●横浜が発祥地 ●ものの始まりなんでも堺 ●歴史のはなし︵長崎︶ ●京都発 日本初 ●種子島は一番 ●いばらき・もの知り情報 ●千葉市発祥じまん ●ジェットコースター何でもNo.1︵歴史的にNo.1!︶