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[[東京ヤクルトスワローズ|国鉄スワローズ]](現・東京ヤクルトスワローズ)と[[読売ジャイアンツ]]で活躍し、[[日本プロ野球]]史上唯一の通算「'''400勝投手'''」である。

[[東京ヤクルトスワローズ|国鉄スワローズ]](現・東京ヤクルトスワローズ)と[[読売ジャイアンツ]]で活躍し、[[日本プロ野球]]史上唯一の通算「'''400勝投手'''」である。




'''298'''[[]]'''4490''''''365''''''55262/3''''''22078''''''1808'''20'''14''''''641/3''''''14'''100'''16'''NPBNPB200[[]]NPB[[ ()|]]102[[]]331956 - 1958

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引退後は[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]](現・千葉ロッテマリーンズ)監督や[[日本プロ野球名球会]]初代会長を務めた。

引退後は[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]](現・千葉ロッテマリーンズ)監督や[[日本プロ野球名球会]]初代会長を務めた。

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=== 引退後 ===

=== 引退後 ===

==== 第一次ロッテ監督時代 ====

==== 第一次ロッテ監督時代 ====


退[[|]]1970 - {{by|1972}}[[]]1972[[|]]<ref name="1974 ">[[]] 2007 (7) 1974 P82-P83</ref><ref name="">[[]]202311271972111758-59</ref>1972[[1117]]<ref name="" />2400<ref name="" />[[西]]1300<ref name="" />調<ref name="" /><ref name="" /><ref name="" />2[[]]531<ref name="" />[[ ()|]]<ref name="" />[[]]<ref name="" />19使{{by|1974}}

引退後は[[日本テレビ放送網|日本テレビ]](1970年 - {{by|1972年}})・[[ニッポン放送]](1972年)で[[野球解説者|解説者]]を務める傍ら、タレントとしても活動していた<ref name="1974 ロッテオリオンズ">[[ベースボールマガジン]] 2007年春季号 伝説の名チーム名鑑復刻版(7) 1974ロッテオリオンズ P82-P83</ref>。同時に実業家で会社を経営する経営者でもあった<ref name="崩壊寸前だったパリーグに救世主、現わる。人気者・カネやんがロッテの監督に">[[週刊ベースボール]]2023年11月27日号、1972年11月17日、崩壊寸前だったパリーグに救世主、現わる。人気者・カネやんがロッテの監督に、58-59頁</ref>。1972年[[11月17日]]、ロッテの監督に就任<ref name="崩壊寸前だったパリーグに救世主、現わる。人気者・カネやんがロッテの監督に" />。年俸は2400万円で巨人・川上哲治に次ぐ金額で新人監督として異例の好条件であった<ref name="崩壊寸前だったパリーグに救世主、現わる。人気者・カネやんがロッテの監督に" />。「新人監督なのに年俸が高すぎる」という関係者もいた(阪急で黄金時代を築いていた阪急の[[西本幸雄]]監督の年俸は1300万円だった。)<ref name="崩壊寸前だったパリーグに救世主、現わる。人気者・カネやんがロッテの監督に" />。しかし金田は「順調だった仕事をなげうってまで監督を引き受け引き受けようとしてるんやで。ワシの今までの働きからすれば安いもんや」と一蹴<ref name="崩壊寸前だったパリーグに救世主、現わる。人気者・カネやんがロッテの監督に" />。また現役時代「天皇」と呼ばれたほどのワンマンだった金田が監督業が務まるのかという危惧にも「名選手必ずしも名監督あらず、というのはことわざや。野球界に金田旋風を起こすつもりや。」と意に介さなかった<ref name="崩壊寸前だったパリーグに救世主、現わる。人気者・カネやんがロッテの監督に" />。当時のロッテの状況は取り巻くほどひっ迫していた<ref name="崩壊寸前だったパリーグに救世主、現わる。人気者・カネやんがロッテの監督に" />。2軍監督は金田の高校の先輩[[高木公男]]が就任。この年に5位に沈んだロッテは観客動員がわずか31万人で閑古鳥が鳴いていた<ref name="崩壊寸前だったパリーグに救世主、現わる。人気者・カネやんがロッテの監督に" />。[[黒い霧事件 (日本プロ野球)|黒い霧事件]]もあり観客動員が大幅に激減していた<ref name="崩壊寸前だったパリーグに救世主、現わる。人気者・カネやんがロッテの監督に" />。金田は「ワシが野球界に戻そうとしているのはロッテだけの再建やないで、日本の野球界再建の為や。」、「ピンチの[[パリーグ]]のお客さんを呼ばなきゃいかん。」、「お客さんを呼ぶためにはワシは球場で逆立ちしてもええ。」<ref name="崩壊寸前だったパリーグに救世主、現わる。人気者・カネやんがロッテの監督に" />と述べた。金田就任からチームが千葉ロッテマリーンズになるまで19シーズンにわたって使用されたユニフォームは金田がデザインし、軽量化にも拘った。{{by|1974年}}にはチームをリーグ優勝・日本一に導く。



注目度は高く{{by|1973年}}のロッテの鹿児島キャンプの観客数は巨人に次ぐ2位<ref name="崩壊寸前だったパリーグに救世主、現わる。人気者・カネやんがロッテの監督に" />。選手たちをまるで陸上部からと思わせるほどの徹底的な走り込みを課し体力強化に努め12球団と言われた豪華な食事を準備しトレーナーの数を増員するなどアフターケアも欠かさなかった<ref name="崩壊寸前だったパリーグに救世主、現わる。人気者・カネやんがロッテの監督に" />。本拠地を失い地方ゲームが増えたというハンディを乗り越え3位に浮上した<ref name="崩壊寸前だったパリーグに救世主、現わる。人気者・カネやんがロッテの監督に" />。同年のリーグ最小失点も記録し、防御率ベストテンに3人([[成田文男]]・[[八木沢荘六]]・[[木樽正明]])もランクイン。特に成田は21勝で最多勝を獲得。[[弘田澄男]]を中堅手のレギュラーに抜擢した<ref>【完全保存版】ロッテ70年史 1950-2019 ~記憶に残るオリオンズ&マリーンズ全史~ (B.B.MOOK1450) 弘田澄男「カネやんロッテの斬り込み隊長」、40-41頁、[[ベースボール・マガジン社]]、</ref>。[[三井雅晴]]は一軍に上がった当初は[[打撃投手]]だったがそこでの投球が金田に評価され主力投手になった<ref>『週刊プロ野球データファイル』2012年46号、ベースボール・マガジン社、24頁</ref>。観客動員は対前年比3倍増94万6500人(当時の球団記録)、その効果はパリーグにも波及し、総観客動員数が前年の253万9800人から406万200人に激増し理由は全て金田人気によるものだったわけではないにせよ金田の果たした役割が大きかった<ref name="崩壊寸前だったパリーグに救世主、現わる。人気者・カネやんがロッテの監督に" />。この頃、大映倒産に伴う[[東京スタジアム (野球場)|東京スタジアム]]の経営権問題が勃発、金田が球場の狭さを嫌がったこともあり、暫定的に経営権を所有していた[[国際興業]]社主の[[小佐野賢治]]が球場の廃業と閉鎖を決めてしまう。そのため、同年からは[[宮城球場]]を本拠地としながら各地で主催試合を行うことになり、「'''[[ジプシー・ロッテ]]'''」と揶揄された。そんな中で金田は行く先々で大人気となり、前期優勝のかかった[[明治神宮野球場|神宮球場]]の試合にはファンが殺到。入場しきれないファンが球場を取り巻き、テレビ局も急遽中継するほどのフィーバーぶりであった。[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]と[[野村収]]との交換トレードで弟・留広を獲得。

注目度は高く{{by|1973年}}のロッテの鹿児島キャンプの観客数は巨人に次ぐ2位<ref name="崩壊寸前だったパリーグに救世主、現わる。人気者・カネやんがロッテの監督に" />。選手たちをまるで陸上部からと思わせるほどの徹底的な走り込みを課し体力強化に努め12球団と言われた豪華な食事を準備しトレーナーの数を増員するなどアフターケアも欠かさなかった<ref name="崩壊寸前だったパリーグに救世主、現わる。人気者・カネやんがロッテの監督に" />。本拠地を失い地方ゲームが増えたというハンディを乗り越え3位に浮上した<ref name="崩壊寸前だったパリーグに救世主、現わる。人気者・カネやんがロッテの監督に" />。同年のリーグ最小失点も記録し、防御率ベストテンに3人([[成田文男]]・[[八木沢荘六]]・[[木樽正明]])もランクイン。特に成田は21勝で最多勝を獲得。[[弘田澄男]]を中堅手のレギュラーに抜擢した<ref>【完全保存版】ロッテ70年史 1950-2019 ~記憶に残るオリオンズ&マリーンズ全史~ (B.B.MOOK1450) 弘田澄男「カネやんロッテの斬り込み隊長」、40-41頁、[[ベースボール・マガジン社]]、</ref>。[[三井雅晴]]は一軍に上がった当初は[[打撃投手]]だったがそこでの投球が金田に評価され主力投手になった<ref>『週刊プロ野球データファイル』2012年46号、ベースボール・マガジン社、24頁</ref>。観客動員は対前年比3倍増94万6500人(当時の球団記録)、その効果はパリーグにも波及し、総観客動員数が前年の253万9800人から406万200人に激増し理由は全て金田人気によるものだったわけではないにせよ金田の果たした役割が大きかった<ref name="崩壊寸前だったパリーグに救世主、現わる。人気者・カネやんがロッテの監督に" />。この頃、大映倒産に伴う[[東京スタジアム (野球場)|東京スタジアム]]の経営権問題が勃発、金田が球場の狭さを嫌がったこともあり、暫定的に経営権を所有していた[[国際興業]]社主の[[小佐野賢治]]が球場の廃業と閉鎖を決めてしまう。そのため、同年からは[[宮城球場]]を本拠地としながら各地で主催試合を行うことになり、「'''[[ジプシー・ロッテ]]'''」と揶揄された。そんな中で金田は行く先々で大人気となり、前期優勝のかかった[[明治神宮野球場|神宮球場]]の試合にはファンが殺到。入場しきれないファンが球場を取り巻き、テレビ局も急遽中継するほどのフィーバーぶりであった。[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]と[[野村収]]との交換トレードで弟・留広を獲得。

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* [[]][[]]<ref name="Sponichi 20191006">{{Cite news2 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/10/06/kiji/20191006s00001173461000c.html|title=!|pages=1|newspaper= Sponichi ANNEX |date= 2019-10-06 |agency=|accessdate= 2019-10-07}}</ref><ref name="Sponichi 20191006"/>

* [[]][[]]<ref name="Sponichi 20191006">{{Cite news2 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/10/06/kiji/20191006s00001173461000c.html|title=!|pages=1|newspaper= Sponichi ANNEX |date= 2019-10-06 |agency=|accessdate= 2019-10-07}}</ref><ref name="Sponichi 20191006"/>

* ヒゲを剃るときも、指先を切る恐れのある[[剃刀]]は使わず、[[電気シェーバー]]を使用。外出時にも、つま先を剥き出しにする[[サンダル]]は絶対に履かないなど、普段の生活からケガの防止には人一倍気を遣っていた。

* を剃るときも、指先を切る恐れのある[[剃刀]]は使わず、[[電気シェーバー]]を使用。外出時にも、先を剥き出しにする[[サンダル]]は絶対に履かないなど、普段の生活からケガの防止には人一倍気を遣っていた。


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* シーズンオフの休養の重要性を晩年まで説いていた。金田自身、オフは完全に休養に充ててコンディションを整えている。1958年のオフに父親の死去であまり休養が取れなかった時は、それが祟って以後3年間ベストコンディションに戻らなかったという。この3年間も毎年20勝していたが、1960年と{{by|1961年}}はちょうど20勝で止まった。1959年は6月25日に13勝目を挙げたものの、そこから2か月勝ち星が無く8連敗を喫し、1960年は残り4試合でようやく20勝目を挙げたものの7年振りに勝率が5割を切り、1961年には途中11連敗を喫して2か月以上勝星から遠ざかるなど苦しいシーズンを送った。

* シーズンオフの休養の重要性を晩年まで説いていた。金田自身、オフは完全に休養に充ててコンディションを整えている。1958年のオフに父親の死去であまり休養が取れなかった時は、それが祟って以後3年間ベストコンディションに戻らなかったという。この3年間も毎年20勝していたが、1960年と{{by|1961年}}はちょうど20勝で止まった。1959年は6月25日に13勝目を挙げたものの、そこから2か月勝ち星が無く8連敗を喫し、1960年は残り4試合でようやく20勝目を挙げたものの7年振りに勝率が5割を切り、1961年には途中11連敗を喫して2か月以上勝星から遠ざかるなど苦しいシーズンを送った。


2024年6月13日 (木) 11:51時点における版

金田 正一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県稲沢市
生年月日 (1933-08-01) 1933年8月1日
没年月日 (2019-10-06) 2019年10月6日(86歳没)
身長
体重
184 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1950年
初出場 1950年8月23日
最終出場 1969年10月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

選手歴

監督歴

野球殿堂(日本)

殿堂表彰者

選出年 1988年
選出方法 競技者表彰

金田 正一(かねだ まさいち、1933年8月1日 - 2019年10月6日[1])は、愛知県稲沢市生まれ、名古屋市北区出身のプロ野球選手投手)・監督解説者評論家実業家タレント

概要


400

298449036555262/32207818082014641/31410016NPBNPB200NPB10NPB21331956 - 1958

退

概説


[2][3]

400退1973 - 1978, 1990 - 199119742009123200911

1

19697191退1969退

経歴

プロ入り前


19332[4][5][6][7][8][9]14[10]1990西221931[11]

[12]

21949

195033西1-2退退

現役時代

国鉄時代

(柿沼 1958)長嶋茂雄デビュー戦を4打席4三振に封じ込めたと報じる新聞記事

1950823391788

195110744951835221420

19522

19533

195488退[13]

1955411958400130623734182728

19565

1957821調94323[14]NPB1 2

1958454444[15]519647.313186520024612705120920213210.57641/38303114[16]1.301.297NPB[17]63113

19594112219646.2831311964177

19608

19629535091959調2019551958

19636303111309

196414203536513538372101221B10使15退1962[ 1][18]

巨人時代


641[18]31224[19]70002000[18]

47951319651967196841965196769

196541026[20]4122退66調398751120141.843調194[21][22]2

1966調3[23]4196717162.284196910104001130退344

退400退CS400400

退使退[ 2]

197042退

引退後

第一次ロッテ監督時代


退1970 - 19721972[24][25]19721117[25]2400[25]西1300[25]調[25][25][25]2531[25][25][25]19使1974

1973鹿2[25]12[25]3[25]321[26][27]39465002539800406200[25]

197423[28]V10[29]20019871130退

197542355[30]62614951-4241023[31][32] [33]241691[31]

197631977[34]退19782211退[25]155822[35]930102退[36]退OB19811986[37]400[38][25]1979 - 19811979 - 19831981 - 1989197819811988殿

第二次ロッテ監督時代


19891027212330100102510133[39]4西退8

19914100115[40]退1991西西[41]

監督退任後


200841113/1965410

2000OB2008200020062300[42][43]

2009退2010退[44]

2012111436[45]

2015625×3640?180[46]退

2019711退[47][48]

2019106438[1][49]86[50]20181028TBS113BS-TBS[51]

2020121500[52]21[53]

プレースタイル

投球


20

[54] 

-

退使[55][56][57] [58] 使20

()8[59]

球速






150 km/h160 km/h

350160km/h[60]320160km/h150km/h[61][62]

?!!1942[ 3]

カーブ




使





52105退調1



19731彿[64]

記録




19578200012000

40044901MLB4875

320615226735383342%3143201

400使[ 4]200[ 5]25090%353901777630607328451

4005114173400400363

4008482退退83[65]821/4231-011-00-12110-291-2171-00-120[66]

400132[67]353114使2761081938918775121021511212

1951196414203002001957195819633

19528913130198219501141101952197311955831-5[68] [69]

打撃


361238111950西172[70]

8[ 6]19624[ 7]19678198[ 8]741[71]



94410531962821

存在感


1510

[72]

1960102014510200退

930520調調[73]

[74] 196018201[75]姿[76]退



12810010[77]

1953調[78]

トレーニング法・コンディショニング理論

スポーツ医学などが発達していなかった当時、自身の経験と知識を元に体作りに関する独自の思想をまとめ上げていたことは有名であり[79]、金田本人にとっても、その後のスポーツ医学の先駆者になっていることは誇りであったという。

コンディション管理


[80]

[80]

[81]1[80]







[82][82]

使使



195833201960196120195962513281960420751961112

[83][84][85][86]

トレーニング


[87][88][89]

[ 9]

1[90]



[91][92]

53030[93]

[94][95][96][97]

食事


[98]使3[99][100]

[101]12[102][103]

調2003116NANDA!?[]1050

逸話

プロ入りに関する逸話


西西[104]西1950[105][105]

対戦相手に関する逸話


195531962

9234141[66]

196481921321

[106].267661953 - 1969.310819575288[107]1960 - 19656196383110-1[107]退OB[108]

監督時代


1973[ 10]

[24]CM

1973101012[110]

使[111]

使1991519[ 11]

1990623西西[ 12]7退退10030

19915108116退[112][112][ 13]8退[ 14]2005529

91西9西209[113] 4西[114] 

[115]1989宿

4

19908524192

退

343416234411974

8退6[116]

球界に対するスタンス


退OB2007611V92008

OB1987使2001殿OB[ 15]OBNPO2009116OB524

1989OBOB20201212[52]



41WBC400

家族


19553退19601961196382

351960退2020121227[117][118]89

1980CM1984CM

交友関係


[119][120][121][122]

57202042015?2018122︿[123]2019106SNS[124][125][126][127]

秘宝

金田正一が何よりも大事にしていたのは、1969年に引退した直後に詩人のサトウハチローから贈られた『金田正一を讃える詩』であったという。金田自身は「ワシのことをこんなにしっかり見ていてくれたのか」とハチローの詩に感激し、「この詩はどんなトロフィーや記念品よりもワシにとって価値あるものだ」と終生語っていた[128]

影響


28()

133退退退!



Q[129]

3434[ 16][ 17]

34199525

196511966 - 19671968 - 1970199431984 - 19932024

341744

34216西2020[130]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1950 国鉄 30 20 9 1 0 8 12 -- -- .400 727 164.2 132 12 127 -- 1 143 1 3 93 72 3.94 1.57
1951 56 44 25 4 0 22 21 -- -- .512 1488 350.0 257 22 190 -- 8 233 3 3 159 110 2.83 1.28
1952 64 41 23 7 0 24 25 -- -- .490 1527 358.0 280 17 197 -- 10 269 8 2 149 126 3.17 1.33
1953 47 33 24 6 1 23 13 -- -- .639 1233 303.2 222 10 135 -- 8 229 1 0 90 80 2.37 1.18
1954 53 39 28 2 7 23 23 -- -- .500 1435 345.2 290 19 114 -- 6 269 2 1 128 101 2.63 1.17
1955 62 37 34 9 3 29 20 -- -- .592 1565 400.0 279 19 101 2 8 350 2 1 91 79 1.78 0.95
1956 68 29 24 5 2 25 20 -- -- .556 1393 367.1 222 20 81 3 2 316 5 0 86 71 1.74 0.82
1957 61 35 25 5 3 28 16 -- -- .636 1378 353.0 256 17 93 9 2 306 1 0 88 64 1.63 0.99
1958 56 31 22 11 6 31 14 -- -- .689 1252 332.1 216 16 60 4 3 311 4 0 63 48 1.30 0.83
1959 58 25 14 4 1 21 19 -- -- .525 1187 304.1 222 26 79 5 3 313 0 0 96 86 2.54 0.99
1960 57 31 22 4 2 20 22 -- -- .476 1253 320.1 238 27 94 16 1 284 3 1 97 92 2.58 1.04
1961 57 32 23 6 1 20 16 -- -- .556 1292 330.1 257 27 81 9 2 262 3 0 88 78 2.13 1.02
1962 48 30 24 1 1 22 17 -- -- .564 1342 343.1 265 25 80 10 8 262 5 0 78 66 1.73 1.00
1963 53 30 25 9 4 30 17 -- -- .638 1308 337.0 234 20 83 4 1 287 2 0 83 74 1.98 0.94
1964 44 31 22 4 2 27 12 -- -- .692 1221 310.0 250 36 69 5 3 231 3 0 100 96 2.79 1.03
1965 巨人 28 17 9 3 5 11 6 -- -- .647 542 141.2 95 12 36 4 0 100 1 0 38 29 1.84 0.92
1966 19 12 1 0 0 4 6 -- -- .400 341 84.1 72 12 25 3 3 58 2 0 36 32 3.42 1.15
1967 33 22 6 1 1 16 5 -- -- .762 698 170.0 146 13 57 7 3 132 3 0 47 43 2.28 1.19
1968 32 19 4 0 0 11 10 -- -- .524 585 138.1 122 21 71 3 0 87 3 0 57 53 3.45 1.40
1969 18 11 1 0 0 5 4 -- -- .556 311 72.1 65 8 35 1 0 48 3 0 39 34 4.23 1.38
通算:20年 944 569 365 82 39 400 298 -- -- .573 22078 5526.2 4120 379 1808 85 72 4490 55 11 1706 1434 2.34 1.07
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はNPB記録

通算打撃成績





























O
P
S
通算[131] 1053 2054 160 406 53 8 38 589 177 7 3 57 11 99 8 12 367 39 .198 .238 .287 .525

年度別監督成績

年度 球団 順位 試合 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差 チーム
本塁打
チーム
打率
チーム
防御率
年齢
1973年 ロッテ 3位 130 70 49 11 .588 2位・2位 139 .264 3.43 40歳
1974年 1位 130 69 50 11 .580 2位・1位 114 .265 3.18 41歳
1975年 4位 130 59 65 6 .476 6位・2位 108 .259 3.33 42歳
1976年 3位 130 63 56 11 .529 3位・3位 99 .258 2.96 43歳
1977年 3位 130 60 57 13 .513 5位・1位 111 .270 3.17 44歳
1978年 4位 130 53 62 15 .461 5位・3位 115 .269 4.01 45歳
1990年 5位 130 57 71 2 .445 25.0 132 .262 4.22 57歳
1991年 6位 130 48 77 5 .384 33.5 89 .260 4.23 58歳
通算:8年 1011 471 468 72 .502 Aクラス4回、Bクラス4回

1

2 19731982

3 19731996130

4 197542355

5 199062472330

6

タイトル


3 1957195819632

3 195719581965222

101951 - 1953195519561958 - 196019631964 1991322

表彰


3 1956 - 195831956

3 195719581963

殿1988

1 1968

1 1956

MVP2 1960 21964 1

 1 1969[132]

  1991

記録


NPB

400

4490

5526.2

365

298

1808

2014141951 - 1964NPB

64.11958430 - 1958527

20024309

14104

100161950 - 1965[133]



569

82

4120

1706

1434

341955

1971952

116196767

1101950114



1 19587
5

171951 - 19641967 - 1969

2
195195 1835 17

1 1957821 4

1000196879131

退82005529

3319556222 2[134]

7195468[135]

背番号

  • 34 (1950年 - 1969年、1973年 - 1978年、1990年 - 1991年)

読売ジャイアンツ(1965-1969年)では、永久欠番(1970年4月2日認定)になっている。

関連情報

出演番組

出演映画

CM








 Q

 

 1983

1984

AC

退



KING

 CM 199241995

著書

  • 『やったるで!』(報知新聞社)、1965年
  • 『やったるで! 20年』(報知新聞社)、1970年
  • 『カネやんの八方破れ人生論 やる、やったれ、やったるで』(徳間書店、1973年)
  • 『大物はつらいよ』(太陽企画出版、1993年)

金田正一を演じた俳優

参考文献

  • 柿沼 (1958年4月6日). “長島、金田に4三振 町田3ラン、巨人を攻略”. 毎日新聞: p. 7 
  • 近藤唯之『プロ野球トレード光と陰』新潮文庫、1991年
  • 宇佐美徹也『プロ野球記録大鑑 〈昭和11年‐平成4年〉』講談社、1993年
  • 宇佐美徹也『宇佐美徹也の記録 巨人軍65年』説話社、2000年

脚注

注釈



(一)^ 196419654510

(二)^ 2004NHK17退

(三)^ [63]

(四)^ 31使退

(五)^ 19506

(六)^ 7

(七)^ 4131

(八)^ 寿

(九)^ 

(十)^ [109]

(11)^ 

(12)^ !

(13)^ 退[112]

(14)^ 1991退

(15)^ 19661970

(16)^ 1978~1983620

(17)^ 1981~1994

出典



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(三)^  1958.

(四)^ 862.  . 201910132023316

(五)^  .  . 2023316

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(七)^ .  . 2023316

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(九)^ . 2014828 - 

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(15)^  & 1958-04-06.

(16)^ 824

(17)^ https://npb.jp/bis/history/ssp_era.html

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(19)^ 3731

(20)^  65132

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(134)^  ︿1141993688

(135)^ 西2014823

(136)^  KINENOTE

(137)^  com

(138)^  com

(139)^  com

関連項目

外部リンク