日本語
元暦校本万葉集 日本語の表記体系に沿って日本語という語を記した例 | ||||
発音 |
IPA: [nʲiho̞ŋːo̞][1] [nʲiho̞ŋɡo̞][2] [nʲip̚po̞ŋːo̞](まれ)[3] [nʲip̚po̞ŋɡo̞](まれ)[2] | |||
話される国 | 日本 | |||
地域 |
パラオ -アンガウル州 | |||
民族 | 日本人(大和民族、アイヌ、琉球民族を含む) | |||
話者数 |
約1億2,500万人[4] または 約1億2,700万人[注釈 1] | |||
言語系統 | ||||
初期形式 | ||||
標準語 | ||||
方言 | 日本語の方言 | |||
表記体系 |
仮名( 漢字 点字 | |||
公的地位 | ||||
公用語 |
日本(事実上) パラオ[注釈 2] | |||
統制機関 | 文化庁 文化審議会 国語分科会(事実上) | |||
言語コード | ||||
ISO 639-1 |
ja | |||
ISO 639-2 |
jpn | |||
ISO 639-3 |
jpn | |||
Glottolog |
nucl1643 (八丈方言を除く)[9] | |||
Linguasphere |
45-CAA-a | |||
|
特徴[編集]
日本語の音韻は、﹁っ﹂﹁ん﹂を除いて母音で終わる開音節言語の性格が強く、また標準語︵共通語︶を含め多くの方言がモーラを持つ。アクセントは高低アクセントである。 なお元来の古い大和言葉では、原則として ●﹁ら行﹂音が語頭に立たない︵しりとりで﹃ら行﹄で始まる言葉が見つけにくいのはこのため。﹃らく︵楽︶﹄﹃らっぱ﹄﹃りんご﹄﹃れい︵礼︶﹄などは大和言葉でない︶ ●濁音が語頭に立たない︵﹃だ︵抱︶く﹄﹃どれ﹄﹃ば︵場︶﹄﹃ばら︵薔薇︶﹄などは後世の変化︶ ●同一語根内に母音が連続しない︵﹃あ お︵青︶﹄﹃かい︵貝︶﹄は古くは﹃あを /awo/﹄, ﹃かひ /kapi/﹄︶ などの特徴があった︵﹁系統﹂および﹁音韻﹂の節参照︶。 文は、﹁主語・修飾語・述語﹂の語順で構成される。修飾語は被修飾語の前に位置する。また、名詞の格を示すためには、語順や語尾を変化させるのでなく、文法的な機能を示す機能語︵助詞︶を後ろに付け加える︵膠着させる︶。これらのことから、言語類型論上は、語順の点ではSOV型の言語に、形態の点では膠着語に分類される︵﹁文法﹂の節参照︶。 語彙は、古来の大和言葉︵和語︶のほか、漢語︵字音語︶、外来語、および、それらの混ざった混種語に分けられる。字音語︵漢字の音読みに由来する語の意、一般に﹁漢語﹂と称する︶は現代の語彙の一部分を占めている。また、﹁絵/画︵ゑ︶﹂など、もともと音であるが和語と認識されているものもある。さらに近代以降には西洋由来の語を中心とする外来語が増大している︵﹁語種﹂の節参照︶。 待遇表現の面では、文法的・語彙的に発達した敬語体系があり、叙述される人物どうしの微妙な関係を表現する︵﹁待遇表現﹂の節参照︶。 日本語は地方ごとに多様な方言があり、とりわけ琉球諸島で方言差が著しい︵﹁方言﹂の節参照︶。近世中期までは京都方言が中央語の地位にあったが、近世後期には江戸方言が地位を高め、明治以降の現代日本語では東京山の手の中流階級以上の方言︵山の手言葉︶を基盤に標準語︵共通語︶が形成された︵﹁標準語﹂参照︶。 表記体系はほかの諸言語と比べて極めて複雑かつ柔軟性の高さが特徴である。漢字︵国字を含む。音読みおよび訓読みで用いられる︶と平仮名、片仮名が日本語の主要な文字であり、常にこの3種類の文字を組み合わせて表記する︵﹁字種﹂の節参照︶[注釈 5]。表音文字で表記体系を複数持つため、当て字をせずに外来語を表記することが可能だが、ラテン文字︵ローマ字︶やギリシャ文字︵医学・科学用語に多用︶などもしばしば用いられる。また、縦書きと横書きのどちらでも表記することが可能である︵表記体系の詳細については﹁日本語の表記体系﹂参照︶。 音韻は﹁子音+母音﹂音節を基本とし、母音は5種類しかないなど、分かりやすい構造を持つ一方、直音と拗音の対立、﹁1音節2モーラ﹂の存在、無声化母音、語の組み立てに伴って移動する高さアクセントなどの特徴がある︵﹁音韻﹂の節参照︶。分布[編集]
系統[編集]
「日本語」の範囲を本土方言のみとした場合、琉球語が日本語と同系統の言語になり両者は日琉語族を形成する。
琉球列島(旧琉球王国領域)の言葉は、日本語と系統を同じくする別言語(琉球語ないしは琉球諸語)とし、日本語とまとめて日琉語族とされている。共通点が多いので「日本語の一方言(琉球方言)」とする場合もあり、このような場合は日本語は「孤立した言語」という位置づけにされる。
アルタイ諸語との関係[編集]
朝鮮語との関係[編集]
朝鮮語とは語順や文法構造で類似点が非常に多い。音韻の面でも、固有語において語頭に流音が立たないこと、一種の母音調和が見られることなど、共通の類似点がある(その結果、日本語も朝鮮語もアルタイ諸語と分類される場合がある)。世界の諸言語の広く比較した場合、広く「朝鮮語は日本語と最も近い言語」とされている。ただし、閉音節や子音連結が存在する、有声・無声の区別が無い、といった相違もある。基礎語彙は、共通点もあるが、かなり相違する面もある。
半島日本語との関係[編集]
紀元8世紀までに記録された朝鮮半島の地名(「高句麗地名」を指す)の中には、満州南部を含む朝鮮半島中部以北に、意味や音韻で日本語と類似した地名を複数見いだせる[33]。これを論拠として、古代の朝鮮半島では朝鮮語とともに日本語と近縁の言語である「半島日本語」が話されていたと考えられている[34][35]。
原語 | 訓釈 | 上代日本語 | ||
---|---|---|---|---|
漢字 | 中古音[注釈 11] | 中期朝鮮漢字音[注釈 12] | ||
密 | mit | mil | 三 | mi₁[36][37] |
于次 | hju-tshijH | wucha | 五 | itu[36][37] |
難隱 | nan-ʔɨnX | nanun | 七 | nana[36][37] |
德 | tok | tek | 十 | to₂wo[36][37] |
旦 | tanH | tan | 谷 | tani[36][37] |
頓 | twon | twon | ||
吞 | then | thon | ||
烏斯含 | ʔu-sje-hom | wosaham | 兔 | usagi₁[36][37] |
那勿 | na-mjut | namwul | 鉛 | namari[36][37] |
買 | mɛX | may | 水 | mi₁(du) <*me [36][37][38] |
美 | mijX | may | ||
彌 | mjieX | mi |
中国語との関係[編集]
中国語との関係に関しては、日本語は中国の漢字を借用語として広範囲に取り入れており、語彙のうち漢字を用いたものに関して、影響を受けている。だが語順も文法も音韻も大きく異なるので、系統論的には別系統の言語とされる。
アイヌ語との関係[編集]
その他[編集]
南方系のオーストロネシア語族とは、音韻体系や語彙に関する類似も指摘されているが、これは偶然一致したものであり、互いに関係があるという根拠はない[49][注釈 14]。
ドラヴィダ語族との関係を主張する説もあるが、これを認める研究者は少ない。大野晋は日本語が語彙・文法などの点でタミル語と共通点を持つとの説を唱える[注釈 15]が、比較言語学の方法上の問題から批判が多い[注釈 16]
また、レプチャ語・ヘブライ語などとの同系論も過去に存在したが、これに関してはほとんど疑似科学の範疇に収まる[47]。
音韻[編集]
音韻体系[編集]
\ | 直音 | 拗音 | 清濁 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
母音 | あ | い | う | え | お | ―― | |||
子音+母音 | か | き | く | け | こ | きゃ | きゅ | きょ | (清音) |
さ | し | す | せ | そ | しゃ | しゅ | しょ | (清音) | |
た | ち | つ | て | と | ちゃ | ちゅ | ちょ | (清音) | |
な | に | ぬ | ね | の | にゃ | にゅ | にょ | ―― | |
は | ひ | ふ | へ | ほ | ひゃ | ひゅ | ひょ | (清音) | |
ま | み | む | め | も | みゃ | みゅ | みょ | ―― | |
ら | り | る | れ | ろ | りゃ | りゅ | りょ | ―― | |
が | ぎ | ぐ | げ | ご | ぎゃ | ぎゅ | ぎょ | (濁音) | |
か゚ | き゚ | く゚ | け゚ | こ゚ | き゚ゃ | き゚ゅ | き゚ょ | (鼻濁音) | |
ざ | じ | ず | ぜ | ぞ | じゃ | じゅ | じょ | (濁音) | |
だ | ぢ | づ | で | ど | (濁音) | ||||
ば | び | ぶ | べ | ぼ | びゃ | びゅ | びょ | (濁音) | |
ぱ | ぴ | ぷ | ぺ | ぽ | ぴゃ | ぴゅ | ぴょ | (半濁音) | |
半子音+母音 | や | ゆ | よ | ―― | |||||
わ | を | ―― |
特殊モーラ | ん | (撥音) |
---|---|---|
っ | (促音) | |
ー | (長音) |
母音体系[編集]
子音体系[編集]
子音は、音韻論上区別されているものとしては、現在の主流学説によれば﹁か・さ・た・な・は・ま・や・ら・わ行﹂の子音、濁音﹁が・ざ・だ・ば行﹂の子音、半濁音﹁ぱ行﹂の子音である。音素記号では以下のように記される。ワ行とヤ行の語頭子音は、音素uと音素iの音節内の位置に応じた変音であるとする解釈もある。特殊モーラの﹁ん﹂と﹁っ﹂は、音韻上独立の音素であるという説と、﹁ん﹂はナ行語頭子音nの音節内の位置に応じた変音、﹁っ﹂は単なる二重子音化であるとして音韻上独立の音素ではないという説の両方がある。 ●/k/, /s/, /t/, /h/︵清音︶ ●/ɡ/, /z/, /d/, /b/︵濁音︶ ●/p/︵半濁音︶ ●/n/, /m/, /r/ ●/j/, /w/︵半母音とも呼ばれる︶ 一方、音声学上は、子音体系はいっそう複雑な様相を呈する。主に用いられる子音を以下に示す︵後述する口蓋化音は省略︶。唇音 | 舌頂音 | 舌背音 | 咽喉音 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
両唇音 | 歯茎音 | そり 舌音 |
硬口 蓋音 |
軟口 蓋音 |
口蓋 垂音 |
声門音 | ||
破裂音 | p b | t d | k ɡ | |||||
鼻音 | m | n | ɲ | ŋ | ɴ | |||
はじき音 | ɾ | ɽ | ||||||
摩擦音 | ɸ | s z | ç | ɣ | h | |||
接近音 | (β̞) | j | ɰ | |||||
側面音 | はじき音 | ɺ | ||||||
側面接近音 | l |
ɕ ʑ | 歯茎硬口蓋摩擦音 |
---|
歯茎音 | 歯茎硬口蓋音 | |
---|---|---|
無声音 | t͡s | t͡ɕ |
有声音 | d͡z | d͡ʑ |
アクセント[編集]
文法[編集]
日本語は膠着語の性質を持ち、主語+目的語+動詞︵SOV)を語順とする構成的言語である。言語分類学上、日本語はほとんどのヨーロッパ言語とはかけ離れた文法構造をしており、句では主要部終端型、複文では左枝分かれの構造をしている。このような言語は多く存在するが、ヨーロッパでは希少である。主題優勢言語である。文の構造[編集]
題述構造[編集]
また、日本語文では、主述構造とは別に、﹁題目‐述部﹂からなる﹁題述構造﹂を採ることがきわめて多い。題目とは、話のテーマ︵主題︶を明示するものである︵三上章は﹁what we are talking about﹂と説明する[63]︶。よく主語と混同されるが、別概念である。主語は多く﹁が﹂によって表され、動作や作用の主体を表すものであるが、題目は多く﹁は﹂によって表され、その文が﹁これから何について述べるのか﹂を明らかにするものである。主語に﹁は﹂が付いているように見える文も多いが、それはその文が動作や作用の主体について述べる文、すなわち題目が同時に主語でもある文だからである。そのような文では、題目に﹁は﹂が付くことにより結果的に主語に﹁は﹂が付く。一方、動作や作用の客体について述べる文、すなわち題目が同時に目的語でもある文では、題目に﹁は﹂が付くことにより結果的に目的語に﹁は﹂が付く。たとえば、 ●4. 象は 大きい。 ●5. 象は おりに入れた。 ●6. 象は えさをやった。 ●7. 象は 鼻が長い。 などの文では、﹁象は﹂はいずれも題目を示している。4の﹁象は﹂は﹁象が﹂に言い換えられるもので、事実上は文の主語を兼ねる。しかし、5以下は﹁象が﹂には言い換えられない。5は﹁象を﹂のことであり、6は﹁象に﹂のことである。さらに、7の﹁象は﹂は何とも言い換えられないものである︵﹁象の﹂に言い換えられるともいう[64]︶。これらの﹁象は﹂という題目は、﹁が﹂﹁に﹂﹁を﹂などの特定の格を表すものではなく、﹁私は象について述べる﹂ということだけをまず明示する役目を持つものである。 これらの文では、題目﹁象は﹂に続く部分全体が﹁述部﹂である[注釈 19]。 大野晋は、﹁が﹂と﹁は﹂はそれぞれ未知と既知を表すと主張した。たとえば ●私が佐藤です ●私は佐藤です においては、前者は﹁佐藤はどの人物かと言えば︵それまで未知であった︶私が佐藤です﹂を意味し、後者は﹁︵すでに既知である︶私は誰かと言えば︵田中ではなく︶佐藤です﹂となる。したがって﹁何﹂﹁どこ﹂﹁いつ﹂などの疑問詞は常に未知を意味するから﹁何が﹂﹁どこが﹂﹁いつが﹂となり、﹁何は﹂﹁どこは﹂﹁いつは﹂とは言えない。語順‥主要部終端型+左分岐[編集]
ジョーゼフ・グリーンバーグによる構成素順︵﹁語順﹂︶の現代理論は、言語によって、句が何種類か存在することを認識している。それぞれの句には主要部があり、場合によっては修飾語が同句に含まれる。句の主要部は、修飾語の前︵主要部先導型︶か後ろ︵主要部終端型︶に位置する。英語での句の構成を例示すると以下のようになる︵太字はそれぞれの句の主要部︶。 ●属句︵例‥他の名詞によって修飾された名詞︶― "the cover of the book"、"the book's cover"など ●接置詞に支配された名詞 ― "on the table"、"underneath the table" ●比較 ー "[X is] bigger than Y"、例‥"compared to Y, X is big" ●形容詞によって修飾された名詞 ― "black cat" 主要部先導型と主要部終端型の混合によって、構成素順が不規則である言語も存在する。例えば、上記の句のリストを見ると、英語では大抵が主要部先導型であるが、名詞は修飾する形容詞後の後に位置している。しかも、属句では主要部先導型と主要部終端型のいずれも存在し得る。これとは対照的に、日本語は主要部終端型言語の典型である。 ●属句:﹁猫の色﹂ ●接置詞に支配された名詞‥﹁日本に﹂ ●比較:﹁Yより大きい﹂ ●形容詞によって修飾された名詞: ﹁黒い猫﹂ 日本語の主要部終端型の性質は、複文などの文章単位での構成においても見られる。文章を構成素とした文章では、従属節が常に先行する。これは、従属節が修飾部であり、修飾する文が統語的に句の主要部を擁しているからである。例えば、英語と比較した場合、次の英文﹁the man who was walking down the street ﹂を日本語に訳す時、英語の従属節︵関係代名詞節︶である ﹁(who) was walking down the street﹂を主要部である ﹁the man﹂ の前に位置させなければ、自然な日本語の文章にはならない。 また、主要部終端型の性質は重文でも見られる。他言語では、一般的に重文構造において、構成節の繰り返しを避ける傾向にある。例えば、英語の場合、﹁Bob bought his mother some flowers and bought his father a tie﹂の文を2番目の﹁bought﹂を省略し、﹁Bob bought his mother some flowers and his father a tie﹂とすることが一般的である。しかし、日本語では、﹁ボブはお母さんに花を買い、お父さんにネクタイを買いました﹂であるところを﹁ボブはお母さんに花を、お父さんにネクタイを買いました﹂というように初めの動詞を省略する傾向にある。これは、日本語の文章が常に動詞で終わる性質を持つからである。︵倒置文や考えた後での後付け文などは除く。︶主語廃止論[編集]
文の成分[編集]
種類とその役割[編集]
以下、学校文法の区分に従いつつ、それぞれの文の成分の種類と役割とについて述べる。主語・述語[編集]
文を成り立たせる基本的な成分である。ことに述語は、文をまとめる重要な役割を果たす。﹁雨が降る。﹂﹁本が多い。﹂﹁私は学生だ。﹂などは、いずれも主語・述語から成り立っている。教科書によっては、述語を文のまとめ役として最も重視する一方、主語については修飾語と併せて説明するものもある︵前節﹁主語廃止論﹂参照︶。連用修飾語[編集]
用言に係る修飾語である︵用言については﹁自立語﹂の節を参照︶。﹁兄が弟に算数を教える。﹂という文で﹁弟に﹂﹁算数を﹂など格を表す部分は、述語の動詞﹁教える﹂にかかる連用修飾語ということになる。また、﹁算数をみっちり教える。﹂﹁算数を熱心に教える。﹂という文の﹁みっちり﹂﹁熱心に﹂なども、﹁教える﹂にかかる連用修飾語である。ただし、﹁弟に﹂﹁算数を﹂などの成分を欠くと、基本的な事実関係が伝わらないのに対し、﹁みっちり﹂﹁熱心に﹂などの成分は、欠いてもそれほど事実の伝達に支障がない。ここから、前者は文の根幹をなすとして補充成分と称し、後者に限って修飾成分と称する説もある[66]。国語教科書でもこの2者を区別して説明するものがある。連体修飾語[編集]
体言に係る修飾語である︵体言については﹁自立語﹂の節を参照︶。﹁私の本﹂﹁動く歩道﹂﹁赤い髪飾り﹂﹁大きな瞳﹂の﹁私の﹂﹁動く﹂﹁赤い﹂﹁大きな﹂は連体修飾語である。鈴木重幸・鈴木康之・高橋太郎・鈴木泰らは、ものを表す文の成分に特徴を付与し、そのものがどんなものであるかを規定︵限定︶する文の成分であるとして、連体修飾語を﹁規定語﹂︵または﹁連体規定語﹂︶と呼んでいる。接続語[編集]
﹁疲れたので、動けない。﹂﹁買いたいが、金がない。﹂の﹁疲れたので﹂﹁買いたいが﹂のように、あとの部分との論理関係を示すものである。また、﹁今日は晴れた。だから、ピクニックに行こう。﹂﹁君は若い。なのに、なぜ絶望するのか。﹂における﹁だから﹂﹁なのに﹂のように、前の文とその文とをつなぐ成分も接続語である。品詞分類では、常に接続語となる品詞を接続詞とする。独立語[編集]
﹁はい、分かりました。﹂﹁姉さん、どこへ行くの。﹂﹁新鮮、それが命です。﹂の﹁はい﹂﹁姉さん﹂﹁新鮮﹂のように、他の部分に係ったり、他の部分を受けたりすることがないものである。係り受けの観点から定義すると、結果的に、独立語には感動・呼びかけ・応答・提示などを表す語が該当することになる。品詞分類では、独立語としてのみ用いられる品詞は感動詞とされる。名詞や形容動詞語幹なども独立語として用いられる。並立語[編集]
﹁ミカンとリンゴを買う。﹂﹁琵琶湖の冬は冷たく厳しい。﹂の﹁ミカンとリンゴを﹂や、﹁冷たく厳しい。﹂のように並立関係でまとまっている成分である。全体としての働きは、﹁ミカンとリンゴを﹂の場合は連用修飾部に相当し、﹁冷たく厳しい。﹂は述部に相当する。目的語と補語[編集]
現行の学校文法では、英語にあるような﹁目的語﹂﹁補語﹂などの成分はないとする。英語文法では﹁I read a book.﹂の﹁a book﹂はSVO文型の一部をなす目的語であり、また﹁I go to the library.﹂の﹁the library﹂は前置詞とともに付け加えられた修飾語と考えられる。一方、日本語では、 ●私は本を読む。 ●私は図書館へ行く。 のように、﹁本を﹂﹁図書館へ﹂はどちらも﹁名詞+格助詞﹂で表現されるのであって、その限りでは区別がない。これらは、文の成分としてはいずれも﹁連用修飾語﹂とされる。ここから、学校文法に従えば、﹁私は本を読む。﹂は、﹁主語‐目的語‐動詞﹂(SOV) 文型というよりは、﹁主語‐修飾語‐述語﹂文型であると解釈される。対象語︵補語︶[編集]
鈴木重幸・鈴木康之らは、﹁連用修飾語﹂のうち、﹁目的語﹂に当たる語は、述語の表す動きや状態の成立に加わる対象を表す﹁対象語﹂であるとし、文の基本成分として認めている。高橋太郎・鈴木泰・工藤真由美らは﹁対象語﹂と同じ文の成分を、主語・述語が表す事柄の組み立てを明示するために、その成り立ちに参加する物を補うという文中における機能の観点から、﹁補語﹂と呼んでいる。状況語[編集]
﹁明日、学校で運動会がある。﹂の﹁明日﹂﹁学校で﹂など、出来事や有様の成り立つ状況を述べるために時や場所、原因や目的︵﹁雨だから﹂︵﹁体力向上のために﹂など︶を示す文の成分のことを﹁状況語﹂とも言う[注釈 21]。学校文法では﹁連用修飾語﹂に含んでいるが、︵連用︶修飾語が、述語の表す内的な属性を表すのに対して、状況語は外的状況を表す﹁とりまき﹂ないしは﹁額縁﹂の役目を果たしている。状況語は、出来事や有様を表す部分の前に置かれるのが普通であり、主語の前に置かれることもある。なお、﹁状況語﹂という用語はロシア語・スペイン語・中国語︵中国語では﹁状語﹂と言う︶などにもあるが、日本語の﹁状況語﹂と必ずしも概念が一致しているわけではなく、修飾語を含んだ概念である。修飾語の特徴[編集]
日本語では、修飾語はつねに被修飾語の前に位置する。﹁ぐんぐん進む﹂﹁白い雲﹂の﹁ぐんぐん﹂﹁白い﹂はそれぞれ﹁進む﹂﹁雲﹂の修飾語である。修飾語が長大になっても位置関係は同じで、たとえば、 ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲品詞体系[編集]
自立語[編集]
付属語[編集]
付属語も、活用のないものと、活用のあるものとに分けられる。 付属語で活用のないものを助詞と称する。﹁春が来た﹂﹁買ってくる﹂﹁やるしかない﹂﹁分かったか﹂などの太字部分はすべて助詞である。助詞は、名詞について述語との関係︵格関係︶を表す格助詞︵﹁名詞の格﹂の節参照︶、活用する語について後続部分との接続関係を表す接続助詞、種々の語について、程度や限定などの意味を添えつつ後続の用言などを修飾する副助詞、文の終わりに来て疑問や詠嘆・感動・禁止といった気分や意図を表す終助詞に分けられる。鈴木重幸・高橋太郎他・鈴木康之らは助詞を単語とは認めず、付属辞︵﹁くっつき﹂︶として、単語の一部とする。︵格助詞・並立助詞・係助詞・副助詞・終助詞の全部および接続助詞のうち﹁し﹂﹁が﹂﹁けれども﹂﹁から﹂﹁ので﹂﹁のに﹂について︶または語尾︵接続助詞のうち﹁て︵で︶﹂、条件の形の﹁ば﹂、並べ立てるときの﹁たり︵だり︶﹂について︶。 付属語で活用のあるものを助動詞と称する。﹁気を引かれる﹂﹁私は泣かない﹂﹁花が笑った﹂﹁さあ、出かけよう﹂﹁今日は来ないそうだ﹂﹁もうすぐ春です﹂などの太字部分はすべて助動詞である。助動詞の最も主要な役割は、動詞︵および助動詞︶に付属して以下のような情報を加えることである。すなわち、動詞の態︵特に受け身・使役・可能など。ヴォイス︶・極性︵肯定・否定の決定。ポラリティ︶・時制︵テンス︶・相︵アスペクト︶・法︵推量・断定・意志など。ムード︶などを示す役割を持つ。山田孝雄は、助動詞を認めず、動詞から分出される語尾︵複語尾︶と見なしている[71]。また時枝誠記は、﹁れる︵られる︶﹂﹁せる︵させる︶﹂を助動詞とせず、動詞の接尾語としている[70]。鈴木重幸・鈴木康之・高橋太郎らは大部分の助動詞を単語とは認めない。﹁た︵だ︶﹂﹁う︵よう︶は、動詞の語尾であるとし、﹁ない﹂﹁よう﹂﹁ます﹂﹁れる﹂﹁られる﹂﹁せる﹂﹁させる﹂﹁たい﹂﹁そうだ﹂﹁ようだ﹂は、接尾辞であるとして、単語の一部とする。︵﹁ようだ﹂﹁らしい﹂﹁そうだ﹂に関しては、﹁むすび﹂または﹁コピュラ﹂﹁繋辞﹂であるとする。︶名詞の格[編集]
名詞および動詞・形容詞・形容動詞は、それが文中でどのような成分を担っているかを特別の形式によって表示する。 名詞の場合、﹁が﹂﹁を﹂﹁に﹂などの格助詞を後置することで動詞との関係︵格︶を示す。語順によって格を示す言語ではないため、日本語は語順が比較的自由である。すなわち、 ●桃太郎が 犬に きびだんごを やりました。 ●犬に 桃太郎が きびだんごを やりました。 ●きびだんごを 桃太郎が 犬に やりました。 などは、強調される語は異なるが、いずれも同一の内容を表す文で、しかも正しい文である。 主な格助詞とその典型的な機能は次の通りである。助詞 | 機能 | 使用例 |
---|---|---|
が | 動作・作用の主体を表す。 | 例:「空が青い」、「犬がいる」 |
の | 連体修飾を表す。 | 「私の本」、「理想の家庭」 |
を | 動作・作用の対象を表す。 | 「本を読む」、「人を教える」 |
に | 動作・作用の到達点を表す。 | 「駅に着く」、「人に教える」 |
へ | 動作・作用の及ぶ方向を表す。 | 「駅へ向かう」、「学校へ出かける」 |
と | 動作・作用をともに行う相手を表す。 | 「友人と帰る」、「車とぶつかる」 |
から | 動作・作用の起点を表す。 | 「旅先から戻る」、「6時から始める」 |
より | 動作・作用の起点や、比較の対象を表す。 | 「旅先より戻る」、「花より美しい」 |
で | 動作・作用の行われる場所を表す。 | 「川で洗濯する」、「風呂で寝る」 |
無題の文 | 題述構造の文 |
---|---|
空が青い。 | 空は青い。 |
本を読む。 | 本は読む。 |
学校に行く。 | 学校は行く。(学校には行く。) |
駅へ向かう。 | 駅へは向かう。 |
友人と帰る。 | 友人とは帰る。 |
旅先から戻る。 | 旅先からは戻る。 |
川で洗濯する。 | 川では洗濯する。 |
格助詞は、下に来る動詞が何であるかに応じて、必要とされる種類と数が変わってくる。たとえば、「走る」という動詞で終わる文に必要なのは「が」格であり、「馬が走る。」とすれば完全な文になる。ところが、「教える」の場合は、「が」格を加えて「兄が教えています。」としただけでは不完全な文である。さらに「で」格を加え、「兄が小学校で教えています(=教壇に立っています)。」とすれば完全になる。つまり、「教える」は、「が・で」格が必要である。
ところが、「兄が部屋で教えています。」という文の場合、「が・で」格があるにもかかわらず、なお完全な文という感じがしない。「兄が部屋で弟に算数を教えています。」のように「が・に・を」格が必要である。むしろ、「で」格はなくとも文は不完全な印象はない。
すなわち、同じ「教える」でも、「教壇に立つ」という意味の「教える」は「が・で」格が必要であり、「説明して分かるようにさせる」という意味の「教える」では「が・に・を」格が必要である。このように、それぞれの文を成り立たせるのに必要な格を「必須格」という。
活用形と種類[編集]
名詞が格助詞を伴ってさまざまな格を示すのに対し、用言(動詞・形容詞・形容動詞)および助動詞は、語尾を変化させることによって、文中のどの成分を担っているかを示したり、時制・相などの情報や文の切れ続きの別などを示したりする。この語尾変化を「活用」といい、活用する語を総称して「活用語」という。
学校文法では、口語の活用語について、6つの活用形を認めている。以下、動詞・形容詞・形容動詞の活用形を例に挙げる(太字部分)。
活用形 | 動詞 | 形容詞 | 形容動詞 |
---|---|---|---|
未然形 | 打たない 打とう |
強かろう | 勇敢だろう |
連用形 | 打ちます 打った |
強かった 強くなる 強うございます |
勇敢だった 勇敢である 勇敢になる |
終止形 | 打つ。 | 強い。 | 勇敢だ。 |
連体形 | 打つこと | 強いこと | 勇敢なこと |
仮定形 | 打てば | 強ければ | 勇敢ならば |
命令形 | 打て。 | ○ | ○ |
動詞の種類 | 特徴 | 例 |
---|---|---|
五段動詞 | 未然形活用語尾が「あ段音」で終わるもの | 「買う」「畳む」 |
上一段動詞 | 未然形活用語尾が「い段音」で終わるもの | 「見る」「借りる」 |
下一段動詞 | 未然形活用語尾が「え段音」で終わるもの | 「出る」「受ける」 |
カ変動詞 | 「来る」および「来る」を語末要素とするもの | 「来る」 |
サ変動詞 | 「する」および「する」を語末要素とするもの | 「する」 |
語彙[編集]
分野ごとの語彙量[編集]
人称語彙[編集]
日本語の人称はあまり固定化していない。現代語・標準語の範疇としては、一人称は﹁わたくし・わたし・あたし・ぼく・おれ・うち・自分・我々﹂など、二人称は﹁あなた・あんた・おまえ・おめえ・てめえ・きみ﹂などが用いられる。方言・近代語・古語まで含めるとこの限りではなく、文献上では他にも﹁あたくし・あたい・わし・わい・わて・我が輩・おれ様・おいら・われ・わー・わん・朕・わっし・こちとら・てまえ・小生・それがし・拙者・おら﹂などの一人称、﹁おまえさん・てめえ・貴様・おのれ・われ・お宅・なんじ・おぬし・その方・貴君・貴兄・貴下・足下・貴公・貴女・貴殿・貴方︵きほう︶﹂などの二人称が見つかる[75]。 上の事実は、現代英語の一人称・二人称代名詞がほぼ "I" と "you" のみであり、フランス語の一人称代名詞が "je"、二人称代名詞が "tu" "vous" のみ、またドイツ語の一人称代名詞が"ich"、二人称代名詞が"du" "Sie" "ihr"のみであることと比較すれば、特徴的ということができる。もっとも、日本語においても、本来の人称代名詞は、一人称に﹁ワ︵レ︶﹂﹁ア︵レ︶﹂、二人称に﹁ナ︵レ︶﹂があるのみである︵但し﹃ナ﹄はもと一人称とも見られ、後述のこととも関係があるが︶。今日、一・二人称同様に用いられる語は、その大部分が一般名詞からの転用である[76]。一人称を示す﹁ぼく﹂や三人称を示す﹁彼女﹂などを、﹁ぼく、何歳?﹂﹁彼女、どこ行くの?﹂のように二人称に転用することが可能であるのも、日本語の人称語彙が一般名詞的であることの現れである。 なお、敬意表現の観点から、目上に対しては二人称代名詞の使用が避けられる傾向がある。たとえば、﹁あなたは何時に出かけますか﹂とは言わず、﹁何時にいらっしゃいますか﹂のように言うことが普通である。 ﹁親族語彙の体系﹂の節も参照。音象徴語彙︵オノマトペ︶[編集]
また、音象徴語、いわゆるオノマトペの語彙量も日本語には豊富である︵オノマトペの定義は一定しないが、ここでは、擬声語・擬音語のように耳に聞こえるものを写した語と、擬態語のように耳に聞こえない状態・様子などを写した語の総称として用いる︶。 擬声語は、人や動物が立てる声を写したものである︵例、おぎゃあ・がおう・げらげら・にゃあにゃあ︶。擬音語は、物音を写したものである︵例、がたがた・がんがん・ばんばん・どんどん︶。擬態語は、ものごとの様子や心理の動きなどを表したものである︵例、きょろきょろ・すいすい・いらいら・わくわく︶。擬態語の中で、心理を表す語を特に擬情語と称することもある。 オノマトペ自体は多くの言語に存在する。たとえば猫の鳴き声は、英語で﹁mew﹂、ドイツ語で﹁miau﹂、フランス語で ﹁miaou﹂、ロシア語で﹁мяу﹂[注釈 23]、中国語で﹁喵喵﹂[注釈 24]、朝鮮語で﹁야옹야옹﹂[注釈 25]などである[77]。しかしながら、その語彙量は言語によって異なる。日本語のオノマトペは欧米語や中国語の3倍から5倍存在するといわれる[78]。英語などと比べると、とりわけ擬態語が多く使われるとされる[79]。 新たなオノマトペが作られることもある。﹁︵心臓が︶ばくばく﹂﹁がっつり︵食べる︶﹂などは、近年に作られた︵広まった︶オノマトペの例である。 漫画などの媒体では、とりわけ自由にオノマトペが作られる。漫画家の手塚治虫は、漫画を英訳してもらったところ、﹁ドギューン﹂﹁シーン﹂などの語に翻訳者が﹁お手あげになってしまった﹂と記している[80]。また、漫画出版社社長の堀淵清治も、アメリカで日本漫画を売るに当たり、独特の擬音を訳すのにスタッフが悩んだことを述べている[81]。品詞ごとの語彙量[編集]
日本語の語彙を品詞ごとにみると、圧倒的に多いものは名詞である。その残りのうちで比較的多いものは動詞である。﹃新選国語辞典﹄の収録語の場合、名詞が82.37%、動詞が9.09%、副詞が2.46%、形容動詞が2.02%、形容詞が1.24%となっている[82]。 このうち、とりわけ目を引くのは形容詞・形容動詞の少なさである。かつて柳田國男はこの点を指摘して﹁形容詞饑饉﹂と称した[83]。英語の場合、﹃オックスフォード英語辞典﹄第2版では、半分以上が名詞、約4分の1が形容詞、約7分の1が動詞ということであり[84]、英語との比較の上からは、日本語の形容詞が僅少であることは特徴的といえる。 ただし、これは日本語で物事を形容することが難しいことを意味するものではなく、他の形式による形容表現が多く存在する。例えば﹁初歩︵の︶﹂﹁酸性︵の︶﹂など﹁名詞︵+の︶﹂の形式、﹁目立つ︵色︶﹂﹁とがった︵針︶﹂﹁はやっている︵店︶﹂など動詞を基にした形式、﹁つまらない﹂﹁にえきらない﹂など否定助動詞﹁ない﹂を伴う形式などが形容表現に用いられる。 もともと少ない形容詞を補う主要な形式は形容動詞である。漢語・外来語の輸入によって、﹁正確だ﹂﹁スマートだ﹂のような、漢語・外来語+﹁だ﹂の形式の形容動詞が増大した。上掲の﹃新選国語辞典﹄で名詞扱いになっている漢語・外来語のうちにも、形容動詞の用法を含むものが多数存在する。現代の二字漢語︵﹁世界﹂﹁研究﹂﹁豊富﹂など︶約2万1千語を調査した結果によれば、全体の63.7%が事物類︵名詞に相当︶、29.9%が動態類︵動詞に相当︶、7.3%が様態類︵形容動詞に相当︶、1.1%が副用類︵副詞に相当︶であり[85]、二字漢語の7%程度が形容動詞として用いられていることが分かる。 ﹁語彙の増加と品詞﹂の節も参照。語彙体系[編集]
それぞれの語は、ばらばらに存在しているのではなく、意味・用法などの点で互いに関連をもったグループを形成している。これを語彙体系と称する[86]。日本語の語彙自体、一つの大きな語彙体系といえるが、その中にはさらに無数の語彙体系が含まれている。 以下、体系をなす語彙の典型的な例として、指示語・色彩語彙・親族語彙を取り上げて論じる。指示語の体系[編集]
日本語では、ものを指示するために用いる語彙は、一般に﹁こそあど﹂と呼ばれる4系列をなしている。これらの指示語︵指示詞︶は、主として名詞︵﹁これ・ここ・こなた・こっち﹂など︶であるため、概説書の類では名詞︵代名詞︶の説明のなかで扱われている場合も多い。しかし、実際には副詞︵﹁こう﹂など︶・連体詞︵﹁この﹂など︶・形容動詞︵﹁こんなだ﹂など︶にまたがるため、ここでは語彙体系の問題として論じる。 ﹁こそあど﹂の体系は、伝統的には﹁近称・中称・遠称・不定︵ふじょう、ふてい︶称﹂の名で呼ばれた。明治時代に、大槻文彦は以下のような表を示している[87]。\ | 近称 | 中称 | 遠称 | 不定称 |
---|---|---|---|---|
事物 | これ こ | それ そ | あれ あ かれ か |
いづれ(どれ) なに |
地位 | ここ | そこ | あしこ あそこ かしこ |
いづこ(どこ) いづく |
方向 | こなた | そなた | あなた かなた |
いづかた(どなた) |
こち | そち | あち | いづち(どち) |
\ | 指示されるもの | |
---|---|---|
対話者の層 | 所属事物の層 | |
話し手 | (話し手自身) ワタクシ ワタシ |
(話し手所属のもの) コ系 |
相手 | (話しかけの目標) アナタ オマエ |
(相手所属のもの) ソ系 |
はたの 人 もの |
(第三者)(アノヒト) | (はたのもの) ア系 |
不定 | ドナタ ダレ | ド系 |
色彩語彙の体系[編集]
日本語で色彩を表す語彙︵色彩語彙︶は、古来、﹁アカ﹂﹁シロ﹂﹁アヲ﹂﹁クロ﹂の4語が基礎となっている[89]。﹁アカ﹂は明るい色︵明しの語源か︶、﹁シロ﹂は顕︵あき︶らかな色︵白しの語源か︶、﹁アヲ﹂は漠然とした色︵淡しの語源か︶、﹁クロ﹂は暗い色︵暗しの語源か︶を総称した。今日でもこの体系は基本的に変わっていない。葉の色・空の色・顔色などをいずれも﹁アオ﹂と表現するのはここに理由がある[90]。 文化人類学者のバーリンとケイの研究によれば、種々の言語で最も広範に用いられている基礎的な色彩語彙は﹁白﹂と﹁黒﹂であり、以下、﹁赤﹂﹁緑﹂が順次加わるという[91]。日本語の色彩語彙もほぼこの法則に合っているといってよい。 このことは、日本語を話す人々が4色しか識別しないということではない。特別の色を表す場合には、﹁黄色︵語源は﹁木﹂かという[92]︶﹂﹁紫色﹂﹁茶色﹂﹁蘇芳色﹂﹁浅葱色﹂など、植物その他の一般名称を必要に応じて転用する。ただし、これらは基礎的な色彩語彙ではない。親族語彙の体系[編集]
日本語の親族語彙[93][94]は、比較的単純な体系をなしている。英語の基礎語彙で、同じ親から生まれた者を﹁brother﹂﹁sister﹂の2語のみで区別するのに比べれば、日本語では、男女・長幼によって﹁アニ﹂﹁アネ﹂﹁オトウト﹂﹁イモウト﹂の4語を区別し、より詳しい体系であるといえる︵古代には、年上のみ﹁アニ﹂﹁アネ﹂と区別し、年下は﹁オト﹂と一括した[93]︶。しかしながら、たとえば中国語の親族語彙と比較すれば、はるかに単純である。中国語では、父親の父母を﹁祖父﹂﹁祖母﹂、母親の父母を﹁外祖父﹂﹁外祖母﹂と呼び分けるが、日本語では﹁ジジ﹂﹁ババ﹂の区別しかない。中国語では父の兄弟を﹁伯﹂﹁叔﹂、父の姉妹を﹁姑﹂、母の兄弟を﹁舅﹂、母の姉妹を﹁姨﹂などというが、日本語では﹁オジ﹂﹁オバ﹂のみである。﹁オジ﹂﹁オバ﹂の子はいずれも﹁イトコ﹂の名で呼ばれる。日本語でも、﹁伯父︵はくふ︶﹂﹁叔父︵しゅくふ︶﹂﹁従兄︵じゅうけい︶﹂﹁従姉︵じゅうし︶﹂などの語を文章語として用いることもあるが、これらは中国語からの借用語である。 親族語彙を他人に転用する虚構的用法[注釈 26]が多くの言語に存在する。例えば、朝鮮語︵﹁아버님﹂お父様︶・モンゴル語︵﹁aab﹂父︶では尊敬する年配男性に用いる。英語でも議会などの長老やカトリック教会の神父を﹁father︵父︶﹂、寮母を﹁mother︵母︶﹂、男の親友や同一宗派の男性を﹁brother︵兄弟︶﹂、女の親友や修道女や見知らぬ女性を﹁sister﹂︵姉妹︶と呼ぶ。中国語では見知らぬ若い男性・女性に﹁老兄﹂︵お兄さん︶﹁大姐﹂︵お姉さん︶と呼びかける、そして年長者では男性・女性に﹁大爺﹂︵旦那さん︶﹁大媽﹂︵伯母さん︶と呼びかける。日本語にもこの用法があり、赤の他人を﹁お父さん﹂﹁お母さん﹂と呼ぶことがある。たとえば、店員が中年の男性客に﹁お父さん、さあ買ってください﹂のように言う。フランス語・イタリア語・デンマーク語・チェコ語などのヨーロッパの言語で他人である男性をこのように呼ぶことは、日本語で赤の他人を﹁お父さん﹂と呼ぶのが失礼になりうるのと同じく、失礼にさえなるという。 一族内で一番若い世代から見た名称で自分や他者を呼ぶことがあるのも各国語に見られる用法である。例えば、父親が自分自身を指して﹁お父さん﹂と言ったり︵﹁お父さんがやってあげよう﹂︶、自分の母を子から見た名称で﹁おばあちゃん﹂と呼んだりする用法である。この用法は、中国語・朝鮮語・モンゴル語・英語・フランス語・イタリア語・デンマーク語・チェコ語などを含め諸言語にある。語種[編集]
単純語と複合語[編集]
表記[編集]
現代の日本語は、平仮名(ひらがな)・片仮名(カタカナ)・漢字を用いて、現代仮名遣い・常用漢字に基づいて表記されることが一般的である。アラビア数字やローマ字(ラテン文字)なども必要に応じて併用される。
正書法の必要性を説く主張[101]や、その反論[102]がしばしば交わされてきた。
字種[編集]
平仮名・片仮名は、2017年9月現在では以下の46字ずつが使われる。
名称 | 字形 |
---|---|
平仮名 | あ い う え お か き く け こ さ し す せ そ た ち つ て と な に ぬ ね の は ひ ふ へ ほ ま み む め も や ゆ よ ら り る れ ろ わ を ん |
片仮名 | ア イ ウ エ オ カ キ ク ケ コ サ シ ス セ ソ タ チ ツ テ ト ナ ニ ヌ ネ ノ ハ ヒ フ ヘ ホ マ ミ ム メ モ ヤ ユ ヨ ラ リ ル レ ロ ワ ヲ ン |
方言と表記[編集]
日本語の表記体系は中央語を書き表すために発達したものであり、方言の音韻を表記するためには必ずしも適していない。たとえば、東北地方では﹁柿﹂を [kagɨ]、﹁鍵﹂を [kãŋɨ] のように発音するが[106]、この両語を通常の仮名では書き分けられない︵アクセント辞典などで用いる表記によって近似的に記せば、﹁カギ﹂と﹁カンキ゚﹂のようになる︶。そのため、方言を正確に文字に書き表すことができず、方言を書き言葉として用いることが少なくなっている。 岩手県気仙方言︵ケセン語︶について、山浦玄嗣により、文法形式を踏まえた正書法が試みられているというような例もある[107]。ただし、これは実用のためのものというよりは、学術的な試みのひとつである。 琉球語︵﹁系統﹂参照︶の表記体系もそれを準用している。たとえば、琉歌﹁てんさごの花﹂︵てぃんさぐぬ花︶は、伝統的な表記法では次のように記す。 てんさごの花や 爪先に染めて 親の寄せごとや 肝に染めれ文体[編集]
文は、目的や場面などに応じて、さまざまな異なった様式を採る。この様式のことを、書き言葉︵文章︶では﹁文体﹂と称し、話し言葉︵談話︶では﹁話体﹂[110]と称する。 日本語では、とりわけ文末の助動詞・助詞などに文体差が顕著に現れる。このことは、﹁ですます体﹂﹁でございます体﹂﹁だ体﹂﹁である体﹂﹁ありんす言葉﹂︵江戸・新吉原の遊女の言葉︶﹁てよだわ言葉﹂︵明治中期から流行した若い女性の言葉︶などの名称に典型的に表れている。それぞれの文体・話体の差は大きいが、日本語話者は、複数の文体・話体を常に切り替えながら使用している。 なお、﹁文体﹂の用語は、書かれた文章だけではなく談話についても適用されるため[111]、以下では﹁文体﹂に﹁話体﹂も含めて述べる。また、文語文・口語文などについては﹁文体史﹂の節に譲る。普通体・丁寧体[編集]
日本語の文体は、大きく普通体︵常体︶および丁寧体︵敬体︶の2種類に分かれる。日本語話者は日常生活で両文体を適宜使い分ける。日本語学習者は、初めに丁寧体を、次に普通体を順次学習することが一般的である。普通体は相手を意識しないかのような文体であるため独語体と称し、丁寧体は相手を意識する文体であるため対話体と称することもある[112]。 普通体と丁寧体の違いは次のように現れる。\ | 普通体 | 丁寧体 |
---|---|---|
名詞文 | もうすぐ春だ(春である)。 | もうすぐ春です。 |
形容動詞文 | ここは静かだ(静かである)。 | ここは静かです。 |
形容詞文 | 野山の花が美しい。 | (野山の花が美しいです。) |
動詞文 | 鳥が空を飛ぶ。 | 鳥が空を飛びます。 |
文体の位相差[編集]
談話の文体︵話体︶は、話し手の性別・年齢・職業・場面など、位相の違いによって左右される部分が大きい。﹁ごはんを食べてきました﹂という丁寧体は、話し手の属性によって、たとえば、次のような変容がある。 ●ごはん食べてきたよ。︵子どもや一般人のくだけた文体︶ ●めし食ってきたぜ。︵SNSや学生の粗野な文体︶ ●食事を取ってまいりました。︵成人の改まった文体︶ このように異なる言葉遣いのそれぞれを位相語と言い、それぞれの差を位相差という。 物語作品やメディアにおいて、位相が極端にステレオタイプ化されて現実と乖離したり、あるいは書き手などが仮想的︵バーチャル︶な位相を意図的に作り出したりする場合がある。このような言葉遣いを﹁役割語﹂と称することがある[113]。例えば以下の文体は、実際の性別・博士・令嬢・地方出身者などの一般的な位相を反映したものではないものの、小説・漫画・アニメ・ドラマなどで、仮想的にそれらしい感じを与える文体として広く観察される。これは現代に始まったものではなく、近世や近代の文献にも役割語の例が認められる︵仮名垣魯文﹃西洋道中膝栗毛﹄に現れる外国人らしい言葉遣いなど︶。待遇表現[編集]
敬語体系[編集]
日本語の敬語体系は、一般に、大きく尊敬語・謙譲語・丁寧語に分類される。文化審議会国語分科会は、2007年2月に﹁敬語の指針﹂を答申し、これに丁重語および美化語を含めた5分類を示している[116]。尊敬語[編集]
尊敬語は、動作の主体を高めることで、主体への敬意を表す言い方である。動詞に﹁お︵ご︶〜になる﹂を付けた形、また、助動詞﹁︵ら︶れる﹂を付けた形などが用いられる。たとえば、動詞﹁取る﹂の尊敬形として、﹁︵先生が︶お取りになる﹂﹁︵先生が︶取られる﹂などが用いられる。 語によっては、特定の尊敬語が対応するものもある。たとえば、﹁言う﹂の尊敬語は﹁おっしゃる﹂、﹁食べる﹂の尊敬語は﹁召し上がる﹂、﹁行く・来る・いる﹂の尊敬語は﹁いらっしゃる﹂である。謙譲語[編集]
謙譲語は、古代から基本的に動作の客体への敬意を表す言い方であり、現代では﹁動作の主体を低める﹂と解釈するほうがよい場合がある。動詞に﹁お〜する﹂﹁お〜いたします﹂︵謙譲語+丁寧語︶をつけた形などが用いられる。たとえば、﹁取る﹂の謙譲形として、﹁お取りする﹂などが用いられる。 語によっては、特定の謙譲語が対応するものもある。たとえば、﹁言う﹂の謙譲語は﹁申し上げる﹂、﹁食べる﹂の謙譲語は﹁いただく﹂、﹁︵相手の所に︶行く﹂の謙譲語は﹁伺う﹂﹁参上する﹂﹁まいる﹂である。 なお、﹁夜も更けてまいりました﹂の﹁まいり﹂など、謙譲表現のようでありながら、誰かを低めているわけではない表現がある。これは、﹁夜も更けてきた﹂という話題を丁重に表現することによって、聞き手への敬意を表すものである。宮地裕は、この表現に使われる語を、特に﹁丁重語﹂と称している[117][118]。丁重語にはほかに﹁いたし︵マス︶﹂﹁申し︵マス︶﹂﹁存じ︵マス︶﹂﹁小生﹂﹁小社﹂﹁弊社﹂などがある。文化審議会の﹁敬語の指針﹂でも、﹁明日から海外へまいります﹂の﹁まいり﹂のように、相手とは関りのない自分側の動作を表現する言い方を丁重語としている。丁寧語[編集]
丁寧語は、文末を丁寧にすることで、聞き手への敬意を表すものである。動詞・形容詞の終止形で終わる常体に対して、名詞・形容動詞語幹などに﹁です﹂を付けた形︵﹁学生です﹂﹁きれいです﹂︶や、動詞に﹁ます﹂をつけた形︵﹁行きます﹂﹁分かりました﹂︶等の丁寧語を用いた文体を敬体という。 一般に、目上の人には丁寧語を用い、同等・目下の人には丁寧語を用いないといわれる。しかし、実際の言語生活に照らして考えれば、これは事実ではない。母が子を叱るとき、﹁お母さんはもう知りませんよ﹂と丁寧語を用いる場合もある。丁寧語が用いられる多くの場合は、敬意や謝意の表現とされるが、稀に一歩引いた心理的な距離をとろうとする場合もある。 ﹁お弁当﹂﹁ご飯﹂などの﹁お﹂﹁ご﹂も、広い意味では丁寧語に含まれるが、宮地裕は特に﹁美化語﹂と称して区別する[117][118]。相手への丁寧の意を示すというよりは、話し手が自分の言葉遣いに配慮した表現である。したがって、﹁お弁当食べようよ。﹂のように、丁寧体でない文でも美化語を用いることがある。文化審議会の﹁敬語の指針﹂でも﹁美化語﹂を設けている。敬意表現[編集]
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
方言[編集]
相互理解可能性[編集]
1967年の相互理解可能性の調査より、関東地方出身者に最も理解しにくい方言は︵琉球諸語と東北方言を除く︶、富山県氷見方言︵正解率4.1%︶、長野県木曽方言︵正解率13.3%︶、鹿児島方言︵正解率17.6%︶、岡山県真庭方言︵正解率24.7%︶だった。[121]この調査は、12〜20秒の長さ、135〜244の音素の老人の録音に基づいており、42名若者が聞いて翻訳した。受験者は関東地方で育った慶應大学の学生であった。[121]方言 | 大阪市 | 京都市 | 愛知県立田村 | 長野県木曽町新開 | 富山県氷見市 | 岡山県勝山町 | 高知県大方町 | 島根県雲城村 | 熊本市 | 鹿児島市 |
正解率 | 26.4% | 67.1% | 44.5% | 13.3% | 4.1% | 24.7% | 45.5% | 24.8% | 38.6% | 17.6% |
方言区画[編集]
東西の文法[編集]
アクセント[編集]
音声・音韻[編集]
歴史[編集]
音韻史[編集]
母音・子音[編集]
母音の数は、奈良時代およびそれ以前には現在よりも多かったと考えられる。橋本進吉は、江戸時代の上代特殊仮名遣の研究を再評価し[134]、記紀や﹃万葉集﹄などの万葉仮名において﹁き・ひ・み・け・へ・め・こ・そ・と・の・も・よ・ろ﹂の表記に2種類の仮名が存在することを指摘した︵甲類・乙類と称する。﹁も﹂は﹃古事記﹄のみで区別される︶。橋本は、これらの仮名の区別は音韻上の区別に基づくもので、特に母音の差によるものと考えた[135]。橋本の説は、後続の研究者らによって、﹁母音の数がアイウエオ五つでなく、合計八を数えるもの[136]﹂という8母音説と受け取られ、定説化した[注釈 32]。8母音の区別は平安時代にはなくなり、現在のように5母音になったとみられる。なお、上代日本語の語彙では、母音の出現の仕方がウラル語族やアルタイ語族の母音調和の法則に類似しているとされる[30]。 ﹁は行﹂の子音は、奈良時代以前には [p] であったとみられる[59]。すなわち、﹁はな︵花︶﹂は [pana]︵パナ︶のように発音された可能性がある。[p] は遅くとも平安時代初期には無声両唇摩擦音 [ɸ] に変化していた[137]。すなわち、﹁はな﹂は [ɸana]︵ファナ︶となっていた。中世末期に、ローマ字で当時の日本語を記述したキリシタン資料が多く残されているが、そこでは﹁は行﹂の文字が﹁fa, fi, fu, fe, fo﹂で転写されており、当時の﹁は行﹂は﹁ファ、フィ、フ、フェ、フォ﹂に近い発音であったことが分かる。中世末期から江戸時代にかけて、﹁は行﹂の子音は [ɸ] から [h] へ移行した。ただし、﹁ふ﹂は [ɸ] のままに、﹁ひ﹂は [çi] になった[138]。現代でも引き続きこのように発音されている。 平安時代以降、語中・語尾の﹁は行﹂音が﹁わ行﹂音に変化するハ行転呼が起こった[139]。たとえば、﹁かは︵川︶﹂﹁かひ︵貝︶﹂﹁かふ︵買︶﹂﹁かへ︵替︶﹂﹁かほ︵顔︶﹂は、それまで [kaɸa] [kaɸi] [kaɸu] [kaɸe] [kaɸo] であったものが、[kawa] [kawi] [kau] [kawe] [kawo] になった。﹁はは︵母︶﹂も、キリシタン資料では﹁faua﹂︵ハワ︶と記された例があるなど、他の語と同様にハ行転呼が起こっていたことが知られる。音便現象[編集]
連音上の現象[編集]
鎌倉時代・室町時代には連声︵れんじょう︶の傾向が盛んになった。撥音または促音の次に来た母音・半母音が﹁な行﹂音・﹁ま行﹂音・﹁た行﹂音に変わる現象で、たとえば、銀杏は﹁ギン﹂+﹁アン﹂で﹁ギンナン﹂、雪隠は﹁セッ﹂+﹁イン﹂で﹁セッチン﹂となる。助詞﹁は﹂︵ワ︶と前の部分とが連声を起こすと、﹁人間は﹂→﹁ニンゲンナ﹂、﹁今日は﹂→﹁コンニッタ﹂となった。 また、この時代には、﹁中央﹂の﹁央﹂など﹁アウ﹂ [au] の音が合して長母音 [ɔː] になり、﹁応対﹂の﹁応﹂など﹁オウ﹂ [ou] の音が [oː] になった︵﹁カウ﹂﹁コウ﹂など頭子音が付いた場合も同様︶[140]。口をやや開ける前者を開音、口をすぼめる後者を合音と呼ぶ。また、﹁イウ﹂ [iu]、﹁エウ﹂ [eu] などの二重母音は、[juː]、[joː] という拗長音に変化した。﹁開合﹂の区別は次第に乱れ、江戸時代には合一して今日の [oː]︵オー︶になった。京都では、一般の話し言葉では17世紀に開合の区別は失われた[140]。しかし方言によっては今も開合の区別が残っているものもある[57]。外来の音韻[編集]
漢語が日本で用いられるようになると、古来の日本に無かった合拗音﹁クヮ・グヮ﹂﹁クヰ・グヰ﹂﹁クヱ・グヱ﹂の音が発音されるようになった[140]。これらは [kwa] [ɡwe] などという発音であり、﹁キクヮイ︵奇怪︶﹂﹁ホングヮン︵本願︶﹂﹁ヘングヱ︵変化︶﹂のように用いられた。当初は外来音の意識が強かったが、平安時代以降は普段の日本語に用いられるようになったとみられる[144]。ただし﹁クヰ・グヰ﹂﹁クヱ・グヱ﹂の寿命は短く、13世紀には﹁キ・ギ﹂﹁ケ・ゲ﹂に統合された。﹁クヮ﹂﹁グヮ﹂は中世を通じて使われていたが、室町時代にはすでに﹁カ・ガ﹂との間で混同が始まっていた。江戸時代には混同が進んでいき、江戸では18世紀中頃には直音の﹁カ・ガ﹂が一般化した。ただし一部の方言には今も残っている[57]。 漢語は平安時代頃までは原語である中国語に近く発音され、日本語の音韻体系とは別個のものと意識されていた。入声韻尾の [-k], [-t], [-p], 鼻音韻尾の [-m], [-n], [-ŋ] なども原音にかなり忠実に発音されていたと見られる。鎌倉時代には漢字音の日本語化が進行し、[ŋ] はウに統合され、韻尾の [-m] と [-n] の混同も13世紀に一般化し、撥音の /ɴ/ に統合された。入声韻尾の [-k] は開音節化してキ、クと発音されるようになり、[-p] も [-ɸu]︵フ︶を経てウで発音されるようになった。[-t] は開音節化したチ、ツの形も現れたが、子音終わりの [-t] の形も17世紀末まで並存して使われていた。室町時代末期のキリシタン資料には、﹁butmet﹂︵仏滅︶、﹁bat﹂︵罰︶などの語形が記録されている。江戸時代に入ると開音節の形が完全に一般化した。 近代以降には、外国語︵特に英語︶の音の影響で新しい音が使われ始めた。比較的一般化した﹁シェ・チェ・ツァ・ツェ・ツォ・ティ・ファ・フィ・フェ・フォ・ジェ・ディ・デュ﹂などの音に加え、場合によっては、﹁イェ・ウィ・ウェ・ウォ・クァ・クィ・クェ・クォ・ツィ・トゥ・グァ・ドゥ・テュ・フュ﹂などの音も使われる[145]。これらは、子音・母音のそれぞれを取ってみれば、従来の日本語にあったものである。﹁ヴァ・ヴィ・ヴ・ヴェ・ヴォ・ヴュ﹂のように、これまで無かった音は、書き言葉では書き分けても、実際に発音されることは少ない。文法史[編集]
活用の変化[編集]
動詞の活用種類は、平安時代には9種類であった。すなわち、四段・上一段・上二段・下一段・下二段・カ変・サ変・ナ変・ラ変に分かれていた。これが時代とともに統合され、江戸時代には5種類に減った。上二段は上一段に、下二段は下一段にそれぞれ統合され、ナ変︵﹁死ぬ﹂など︶・ラ変︵﹁有り﹂など︶は四段に統合された。これらの変化は、古代から中世にかけて個別的に起こった例もあるが、顕著になったのは江戸時代に入ってからのことである。ただし、ナ変は近代に入ってもなお使用されることがあった。 このうち、最も規模の大きな変化は二段活用の一段化である。二段→一段の統合は、室町時代末期の京阪地方では、まだまれであった︵関東では比較的早く完了した︶。それでも、江戸時代前期には京阪でも見られるようになり、後期には一般化した[146]。すなわち、今日の﹁起きる﹂は、平安時代には﹁き・き・く・くる・くれ・きよ﹂のように﹁き・く﹂の2段に活用したが、江戸時代には﹁き・き・きる・きる・きれ・きよ︵きろ︶﹂のように﹁き﹂の1段だけで活用するようになった。また、今日の﹁明ける﹂は、平安時代には﹁け・く﹂の2段に活用したが、江戸時代には﹁け﹂の1段だけで活用するようになった。しかも、この変化の過程では、終止・連体形の合一が起こっているため、鎌倉・室町時代頃には、前後の時代とは異なった活用の仕方になっている。次に時代ごとの活用を対照した表を掲げる。現代の語形 | 時代 | 語幹 | 未然 | 連用 | 終止 | 連体 | 已然 | 命令 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
起きる | 平安 | お | き | き | く | くる | くれ | きよ |
室町 | き | き | くる | くる | くれ | きよ | ||
江戸 | き | き | きる | きる | きれ | きよ(きろ) | ||
明ける | 平安 | あ | け | け | く | くる | くれ | けよ |
室町 | け | け | くる | くる | くれ | けよ | ||
江戸 | け | け | ける | ける | けれ | けよ(けろ) | ||
死ぬ | 平安 | し | な | に | ぬ | ぬる | ぬれ | ね |
室町 〜 近代 |
な | に | ぬる | ぬる | ぬれ | ね | ||
な | に | ぬ | ぬ | ね | ね | |||
有る | 平安 | あ | ら | り | り | る | れ | れ |
室町 | ら | り | る | る | れ | れ | ||
江戸 | ら | り | る | る | れ | れ |
形容詞は、平安時代には「く・く・し・き・けれ(から・かり・かる・かれ)」のように活用したク活用と、「しく・しく・し・しき・しけれ(しから・しかり・しかる・しかれ)」のシク活用が存在した。この区別は、終止・連体形の合一とともに消滅し、形容詞の活用種類は一つになった。
今日では、文法用語の上で、四段活用が五段活用(実質的には同じ)と称され、已然形が仮定形と称されるようになったものの、活用の種類および活用形は基本的に江戸時代と同様である。
係り結びとその崩壊[編集]
終止・連体形の合一[編集]
活用語のうち、四段活用以外の動詞・形容詞・形容動詞および多くの助動詞は、平安時代には、終止形と連体形とが異なる形態を採っていた。たとえば、動詞は﹁対面す。﹂︵終止形︶と﹁対面する︵とき︶﹂︵連体形︶のようであった。ところが、係り結びの形式化とともに、上に係助詞がないのに文末を連体形止め︵﹁対面する。﹂︶にする例が多く見られるようになった。たとえば、﹃源氏物語﹄には、 すこし立ち出でつつ見わたしたまへば、高き所にて、ここかしこ、僧坊どもあらはに見おろさるる。可能動詞[編集]
今日、﹁漢字が書ける﹂﹁酒が飲める﹂などと用いる、いわゆる可能動詞は、室町時代には発生していた。この時期には、﹁読む﹂から﹁読むる﹂︵=読むことができる︶が、﹁持つ﹂から﹁持つる﹂︵=持つことができる︶が作られるなど、四段活用の動詞を元にして、可能を表す下二段活用の動詞が作られ始めた。これらの動詞は、やがて一段化して、﹁読める﹂﹁持てる﹂のような語形で用いられるようになった[注釈 33]。これらの可能動詞は、江戸時代前期の上方でも用いられ、後期の江戸では普通に使われるようになった[148]。 従来の日本語にも、﹁︵刀を︶抜く時﹂に対して﹁︵刀が自然に︶抜くる時︵抜ける時︶﹂のように、四段動詞の﹁抜く﹂と下二段動詞の﹁抜く﹂︵抜ける︶とが対応する例は多く存在した。この場合、後者は、﹁自然にそうなる﹂という自然生起︵自発︶を表した。そこから類推した結果、﹁文字を読む﹂に対して﹁文字が読むる︵読める︶﹂などの可能動詞が出来上がったものと考えられる。 近代以降、とりわけ大正時代以降には、この語法を四段動詞のみならず一段動詞にも及ぼす、いわゆる﹁ら抜き言葉﹂が広がり始めた[注釈 34]。﹁見られる﹂を﹁見れる﹂、﹁食べられる﹂を﹁食べれる﹂、﹁来られる﹂を﹁来れる﹂、﹁居︵い︶られる﹂を﹁居︵い︶れる﹂という類である。この語法は、地方によっては早く一般化し、第二次世界大戦後には全国的に顕著になっている。受け身表現[編集]
受け身の表現において、人物以外が主語になる例は、近代以前には乏しい。もともと、日本語の受け身表現は、自分の意志ではどうにもならない﹁自然生起﹂の用法の一種であった[149]。したがって、物が受け身表現の主語になることはほとんどなかった。﹃枕草子﹄の﹁にくきもの﹂に すずりに髪の入りてすられたる。︵すずりに髪が入ってすられている︶とある例などは、受け身表現と解することもできるが、むしろ自然の状態を観察して述べたものというべきものである。一方、「この橋は多くの人々によって造られた」「源氏物語は紫式部によって書かれた」のような言い方は、古くは存在しなかったと見られる。これらの受け身は、状態を表すものではなく、事物が人から働き掛けを受けたことを表すものである。
「この橋は多くの人々によって造られた」式の受け身は、英語などの欧文脈を取り入れる中で広く用いられるようになったと見られる[151]。明治時代には
民子の墓の周囲には野菊が一面に植えられた。
語彙史[編集]
漢字の使用[編集]
漢字︵中国語の語彙︶が日本語の中に入り始めたのはかなり古く、文献の時代にさかのぼると考えられる。今日和語と扱われる﹁ウメ︵梅︶﹂﹁ウマ︵馬︶﹂なども、元々は漢語からの借用語であった可能性もあるが、上古漢字の場合、馬と梅の発音は違う。異民族が中国をよく支配してから漢語の発音は変わっていた[28]。 中国の文物・思想の流入や仏教の普及などにつれて、漢語は徐々に一般の日本語に取り入れられていった。鎌倉時代最末期の﹃徒然草﹄では、漢語及び混種語︵漢語と和語の混交︶は、異なり語数︵文中の同一語を一度しかカウントしない︶で全体の31%を占めるに至っている。ただし、延べ語数︵同一語を何度でもカウントする︶では13%に過ぎず、語彙の大多数は和語が占める[152]。幕末の和英辞典﹃和英語林集成﹄の見出し語でも、漢語はなお25%ほどに止まっている[153]。 漢字がよく使われるようになったのは幕末から明治時代にかけてである。﹁電信﹂﹁鉄道﹂﹁政党﹂﹁主義﹂﹁哲学﹂その他、西洋の文物を漢語により翻訳した︵新漢語。古典中国語にない語を特に和製漢語という︶。幕末の﹃都鄙新聞﹄の記事によれば、京都祇園の芸者も漢語を好み、﹁霖雨ニ盆池ノ金魚ガ脱走シ、火鉢ガ因循シテヰル﹂︵長雨で池があふれて金魚がどこかへ行った、火鉢の火がなかなかつかない︶などと言っていたという[154]。 漢字は今も多く使われている。雑誌調査では、延べ語数・異なり語数ともに和語を上回り、全体の半数近くに及ぶまでになっている[155][156]︵﹁語種﹂参照︶。外来語の使用[編集]
漢字を除き、他言語の語彙を借用することは、古代にはそれほど多くなかった。このうち、梵語の語彙は、多く漢語に取り入れられた後に、仏教と共に日本に伝えられた。﹁娑婆﹂﹁檀那﹂﹁曼荼羅﹂などがその例である。また、今日では和語と扱われる﹁ほとけ︵仏︶﹂﹁かわら︵瓦︶﹂なども梵語由来であるとされる[151]。 西洋語が輸入され始めたのは、中世にキリシタン宣教師が来日した時期以降である。室町時代には、ポルトガル語から﹁カステラ﹂﹁コンペイトウ﹂﹁サラサ﹂﹁ジュバン﹂﹁タバコ﹂﹁バテレン﹂﹁ビロード﹂などの語が取り入れられた。﹁メリヤス﹂など一部スペイン語も用いられた。江戸時代にも、﹁カッパ︵合羽︶﹂﹁カルタ﹂﹁チョッキ﹂﹁パン﹂﹁ボタン﹂などのポルトガル語、﹁エニシダ﹂などのスペイン語が用いられるようになった。 また、江戸時代には、蘭学などの興隆とともに、﹁アルコール﹂﹁エレキ﹂﹁ガラス﹂﹁コーヒー﹂﹁ソーダ﹂﹁ドンタク﹂などのオランダ語が伝えられた[157]。 幕末から明治時代以後には、英語を中心とする外来語が急増した。﹁ステンション︵駅︶﹂﹁テレガラフ︵電信︶﹂など、今日では普通使われない語で、当時一般に使われていたものもあった。坪内逍遥﹃当世書生気質﹄(1885) には書生のせりふの中に﹁我輩の時計︵ウオツチ︶ではまだ十分︵テンミニツ︶位あるから、急いて行きよつたら、大丈夫ぢゃらう﹂﹁想ふに又貸とは遁辞︵プレテキスト︶で、七︵セブン︶︹=質屋︺へ典︵ポウン︶した歟︵か︶、売︵セル︶したに相違ない﹂などという英語が多く出てくる。このような語のうち、日本語として定着した語も多い。 第二次世界大戦が激しくなるにつれて、外来語を禁止または自粛する風潮も起こったが、戦後はアメリカ発の外来語が爆発的に多くなった。現在では、報道・交通機関・通信技術の発達により、新しい外来語が瞬時に広まる状況が生まれている。雑誌調査では、異なり語数で外来語が30%を超えるという結果が出ており[156]、現代語彙の中で欠くことのできない存在となっている︵﹁語種﹂参照︶。語彙の増加と品詞[編集]
表記史[編集]
仮名の誕生[編集]
元来、日本に文字と呼べるものはなく、言葉を表記するためには中国渡来の漢字を用いた︵いわゆる神代文字は後世の偽作とされている[161]︶。漢字の記された遺物の例としては、1世紀のものとされる福岡市出土の﹁漢委奴国王印﹂などもあるが、本格的に使用されたのはより後年とみられる。﹃古事記﹄によれば、応神天皇の時代に百済の学者王仁が﹁論語十巻、千字文一巻﹂を携えて来日したとある。稲荷山古墳出土の鉄剣銘︵5世紀︶には、雄略天皇と目される人名を含む漢字が刻まれている。﹁隅田八幡神社鏡銘﹂︵6世紀︶は純漢文で記されている。このような史料から、大和政権の勢力伸長とともに漢字使用域も拡大されたことが推測される。6世紀〜7世紀になると儒教、仏教、道教などについて漢文を読む必要が出てきたため識字層が広がった[162]。 漢字で和歌などの大和言葉を記す際、﹁波都波流能︵はつはるの︶﹂のように日本語の1音1音を漢字の音︵または訓︶を借りて写すことがあった。この表記方式を用いた資料の代表が﹃万葉集﹄︵8世紀︶であるため、この表記のことを﹁万葉仮名﹂という︵すでに7世紀中頃の木簡に例が見られる[注釈 36]︶。 9世紀には万葉仮名の字体をより崩した﹁草仮名﹂が生まれ︵﹃讃岐国戸籍帳﹄の﹁藤原有年申文﹂など︶、さらに、草仮名をより崩した平仮名の誕生をみるに至った。これによって、初めて日本語を自由に記すことが可能になった。平仮名を自在に操った王朝文学は、10世紀初頭の﹃古今和歌集﹄などに始まり、11世紀の﹃源氏物語﹄などの物語作品群で頂点を迎えた。 僧侶や学者らが漢文を訓読する際には、漢字の隅に点を打ち、その位置によって﹁て﹂﹁に﹂﹁を﹂﹁は﹂などの助詞その他を表すことがあった︵ヲコト点︶。しかし、次第に万葉仮名を添えて助詞などを示すことが一般化した。やがて、それらは、字画の省かれた簡略な片仮名になった。 平仮名も、片仮名も、発生当初から、1つの音価に対して複数の文字が使われていた。たとえば、/ha/︵当時の発音は [ɸa]︶に当たる平仮名としては、﹁波﹂﹁者﹂﹁八﹂などを字源とするものがあった。1900年︵明治33年︶に﹁小学校令施行規則﹂が出され、小学校で教える仮名は1字1音に整理された。これ以降使われなくなった仮名を、今日では変体仮名と呼んでいる。変体仮名は、現在でも料理屋の名などに使われることがある。仮名遣い問題の発生[編集]
平安時代までは、発音と仮名はほぼ一致していた。その後、発音の変化に伴って、発音と仮名とが1対1の対応をしなくなった。たとえば、﹁はな︵花︶﹂の﹁は﹂と﹁かは︵川︶﹂の﹁は﹂の発音は、平安時代初期にはいずれも﹁ファ﹂([ɸa]) であったとみられるが、平安時代に起こったハ行転呼により、﹁かは︵川︶﹂など語中語尾の﹁は﹂は﹁ワ﹂と発音するようになった。ところが、﹁ワ﹂と読む文字には別に﹁わ﹂もあるため、﹁カワ﹂という発音を表記するとき、﹁かわ﹂﹁かは﹂のいずれにすべきか、判断の基準が不明になってしまった。ここに、仮名をどう使うかという仮名遣いの問題が発生した。 その時々の知識人は、仮名遣いについての規範を示すこともあったが︵藤原定家﹃下官集﹄など︶、必ずしも古い仮名遣いに忠実なものばかりではなかった︵﹁日本語研究史﹂の節参照︶。また、従う者も、歌人、国学者など、ある種のグループに限られていた。万人に用いられる仮名遣い規範は、明治に学校教育が始まるまで待たなければならなかった。漢字・仮名遣いの改定[編集]
漢字の字数・字体および仮名遣いについては、近代以降、たびたび改定が議論され、また実施に移されてきた[105]。 仮名遣いについては、早く小学校令施行規則︵1900年︶において、﹁にんぎやう︵人形︶﹂を﹁にんぎょー﹂とするなど、漢字音を発音通りにする、いわゆる﹁棒引き仮名遣い﹂が採用されたことがあった。1904年から使用の﹃尋常小学読本﹄︵第1期︶はこの棒引き仮名遣いに従った。しかし、これは評判が悪く、規則の改正とともに、次期1910年の教科書から元の仮名遣いに戻った。 第二次世界大戦後の1946年には、﹁当用漢字表﹂﹁現代かなづかい﹂が内閣告示された。これに伴い、一部の漢字の字体に略字体が採用され、それまでの歴史的仮名遣いによる学校教育は廃止された。 1946年および1950年の米教育使節団報告書では、国字のローマ字化について勧告および示唆が行われ[注釈 37]、国語審議会でも議論されたが、実現しなかった。1948年には、GHQの民間情報教育局 (CIE) の指示による読み書き能力調査が行われた。漢字が日本人の識字率を抑えているとの考え方に基づく調査であったが、その結果は、調査者の予想に反して日本人の識字率は高水準であったことが判明した[163]。 1981年には、当用漢字表・現代かなづかいの制限色を薄めた﹁常用漢字表﹂および改訂﹁現代仮名遣い﹂が内閣告示された。また、送り仮名に関しては、数次にわたる議論を経て、1973年に﹁送り仮名の付け方﹂が内閣告示され、今日に至っている。戦後の国語政策は、必ずしも定見に支えられていたとはいえず、今に至るまで議論が続いている。文体史[編集]
和漢混淆文の誕生[編集]
平安時代までは、朝廷で用いる公の書き言葉は漢文であった。これはベトナム・朝鮮半島などと同様である。当初漢文は中国語音で読まれたとみられるが、日本語と中国語の音韻体系は相違が大きいため、この方法はやがて廃れ、日本語の文法・語彙を当てはめて訓読されるようになった。いわば、漢文を日本語に直訳しながら読むものであった。 漢文訓読の習慣に伴い、漢文に日本語特有の﹁賜﹂︵…たまふ︶や﹁坐﹂︵…ます︶のような語句を混ぜたり、一部を日本語の語順で記したりした﹁和化漢文﹂というべきものが生じた︵6世紀の法隆寺薬師仏光背銘などに見られる︶。さらには﹁王等臣等乃中尓﹂︵﹃続日本紀﹄︶のように、﹁乃︵の︶﹂﹁尓︵に︶﹂といった助詞などを小書きにして添える文体が現れた。この文体は祝詞︵のりと︶・宣命︵せんみょう︶などに見られるため、﹁宣命書き﹂と呼ばれる。 漢文の読み添えには片仮名が用いられるようになり、やがてこれが本文中に進出して、漢文訓読体を元にした﹁漢字片仮名交じり文﹂を形成した。最古の例は﹃東大寺諷誦文稿﹄︵9世紀︶とされる。漢字片仮名交じり文では、漢語が多用されるばかりでなく、言い回しも﹁甚︵はなは︶ダ広クシテ﹂﹁何︵なん︶ゾ言ハザル﹂のように、漢文訓読に用いられるものが多いことが特徴である。 一方、平安時代の宮廷文学の文体︵和文︶は、基本的に和語を用いるものであって、漢語は少ない。また、漢文訓読に使う言い回しもあまりない。たとえば、漢文訓読ふうの﹁甚ダ広クシテ﹂﹁何ゾ言ハザル﹂は、和文では﹁いと広う﹂﹁などかのたまはぬ﹂となる。和文は、表記法から見れば、平仮名にところどころ漢字の交じる﹁平仮名漢字交じり文﹂である。﹁春はあけぼの。やうやうしろく成行山ぎはすこしあかりて……﹂で始まる﹃枕草子﹄の文体は典型例の一つである。 両者の文体は、やがて合わさり、﹃平家物語﹄に見られるような和漢混淆文が完成した。 強呉︵きゃうご︶忽︵たちまち︶にほろびて、姑蘇台︵こそたい︶の露荊棘︵けいきょく︶にうつり、暴秦︵ぼうしん︶すでに衰へて、咸陽宮︵かんやうきう︶の煙埤堄︵へいけい︶を隠しけんも、かくやとおぼえて哀れなり。ここでは、「強呉」「荊棘」といった漢語、「すでに」といった漢文訓読の言い回しがある一方、「かくやとおぼえて哀れなり」といった和文の語彙・言い回しも使われている。
今日、最も普通に用いられる文章は、和語と漢語を適度に交えた一種の和漢混淆文である。「先日、友人と同道して郊外を散策した」というような漢語の多い文章と、「この間、友だちと連れだって町はずれをぶらぶら歩いた」というような和語の多い文章とを、適宜混ぜ合わせ、あるいは使い分けながら文章を綴っている。
文語文と口語文[編集]
話し言葉は、時代と共にきわめて大きな変化を遂げるが、それに比べて、書き言葉は変化の度合いが少ない。そのため、何百年という間には、話し言葉と書き言葉の差が生まれる。
日本語の書き言葉がひとまず成熟したのは平安時代中期であり、その頃は書き言葉・話し言葉の差は大きくなかったと考えられる。しかしながら、中世のキリシタン資料のうち、語り口調で書かれているものを見ると、書き言葉と話し言葉とにはすでに大きな開きが生まれていたことが窺える。江戸時代の洒落本・滑稽本の類では、会話部分は当時の話し言葉が強く反映され、地の部分の書き言葉では古来の文法に従おうとした文体が用いられている。両者の違いは明らかである。
明治時代の書き言葉は、依然として古典文法に従おうとしていたが、単語には日常語を用いた文章も現れた。こうした書き言葉は、一般に「普通文」と称された。普通文は、以下のように小学校の読本でも用いられた。
ワガ国ノ人ハ、手ヲ用フル工業ニ、タクミナレバ、ソノ製作品ノ精巧ナルコト、他ニ、クラブベキ国少シ。
—『国定読本』第1期 1904
方言史[編集]
古代・中世・近世[編集]
近代[編集]
明治政府の成立後は、政治的・社会的に全国的な統一を図るため、また、近代国家として外国に対するため、言葉の統一・標準化が求められるようになった[166]。学校教育では﹁東京の中流社会﹂の言葉が採用され[注釈 39]、放送でも同様の言葉が﹁共通用語﹂︵共通語︶とされた[注釈 40]。こうして標準語の規範意識が確立していくにつれ、方言を矯正しようとする動きが広がった。教育家の伊沢修二は、教員向けに書物を著して東北方言の矯正法を説いた[168]。地方の学校では方言を話した者に首から﹁方言札﹂を下げさせるなどの罰則も行われた[注釈 41]。軍隊では命令伝達に支障を来さないよう、初等教育の段階で共通語の使用が指導された[注釈 42]。 一方、戦後になると各地の方言が失われつつあることが危惧されるようになった。NHK放送文化研究所は、︵昭和20年代の時点で︶各地の純粋な方言は80歳以上の老人の間でのみ使われているにすぎないとして、1953年から5年計画で全国の方言の録音を行った。この録音調査には、柳田邦夫、東条操、岩淵悦太郎、金田一春彦など言語学者らが指導にあたった[169]。 ただし、戦後しばらくは共通語の取得に力点を置いた国語教育が初等教育の現場で続き、昭和22年︵1947年︶の学習指導要領国語科編︵試案︶では、﹁なるべく、方言や、なまり、舌のもつれをなおして、標準語に近づける﹂﹁できるだけ、語法の正しいことばをつかい、俗語または方言をさけるようにする﹂との記載が見られる[170]。また、昭和33年︵1958年︶の小学校学習指導要領でも、﹁小学校の第六学年を終了するまでに, どのような地域においても, 全国に通用することばで, 一応聞いたり話したりすることができるようにする﹂との記述がある[171]。 また、経済成長とともに地方から都市への人口流入が始まると、標準語と方言の軋轢が顕在化した。1950年代後半から、地方出身者が自分の言葉を笑われたことによる自殺・事件が相次いだ[注釈 43]。このような情勢を受けて、方言の矯正教育もなお続けられた。鎌倉市立腰越小学校では、1960年代に、﹁ネサヨ運動﹂と称して、語尾に﹁〜ね﹂﹁〜さ﹂﹁〜よ﹂など関東方言特有の語尾をつけないようにしようとする運動が始められた[173]。同趣の運動は全国に広がった。現代[編集]
高度成長後になると、方言に対する意識に変化が見られるようになった。1980年代初めのアンケート調査では、﹁方言を残しておきたい﹂と回答する者が90%以上に達する結果が出ている[174]。方言の共通語化が進むとともに、いわゆる﹁方言コンプレックス﹂が解消に向かい、方言を大切にしようという気運が盛り上がった。 1990年代以降は、若者が言葉遊びの感覚で方言を使うことに注目が集まるようになった。1995年にはラップ﹁DA.YO.NE﹂の関西版﹁SO.YA.NA﹂などの方言替え歌が話題を呼び、報道記事にも取り上げられた[175]。首都圏出身の都内大学生を対象とした調査では、東京の若者の間にも関西方言が浸透していることが観察されるという[176]。2005年頃には、東京の女子高生たちの間でも﹁でら︵とても︶かわいいー!﹂﹁いくべ﹂などと各地の方言を会話に織り交ぜて使うことが流行し始め[177]、女子高生のための方言参考書の類も現れた[178]。﹁超おもしろい﹂など﹁超﹂の新用法も、もともと静岡県で発生して東京に入ったとされるが[179]、若者言葉や新語の発信地が東京に限らない状況になっている︵﹁方言由来の若者言葉﹂を参照︶。 方言学の世界では、かつては、標準語の確立に資するための研究が盛んであったが[注釈 44]、今日の方言研究は、必ずしもそのような視点のみによって行われてはいない。中央語の古形が方言に残ることは多く、方言研究が中央語の史的研究に資することはいうまでもない[注釈 45]。しかし、それにとどまらず、個々の方言の研究は、それ自体、独立した学問と捉えることができる。山浦玄嗣の﹁ケセン語﹂研究に見られるように[107]、研究者が自らの方言に誇りを持ち、日本語とは別個の言語として研究するという立場も生まれている。研究史[編集]
江戸時代以前[編集]
江戸時代以前の日本語研究の流れは、大きく分けて3分野あった。中国語︵漢語︶学者による研究、悉曇学者による研究、歌学者による研究である[184]。 中国語との接触、すなわち漢字の音節構造について学習することにより、日本語の相対的な特徴が意識されるようになった。﹃古事記﹄には﹁淤能碁呂嶋自淤以下四字以音﹂︵オノゴロ嶋︿淤より以下の四字は音を以ゐよ﹀︶のような音注がしばしば付けられているが、これは漢字を借字として用い、中国語で表せない日本語の固有語を1音節ずつ漢字で表記したものである。こうした表記法を通じて、日本語の音節構造が自覚されるようになったと考えられる。また漢文の訓読により、中国語にない助詞・助動詞の要素が意識されるようになり、漢文を読み下す際に必要な﹁て﹂﹁に﹂﹁を﹂﹁は﹂などの要素は、当初は点を漢字に添えることで表現していたのが︵ヲコト点︶、後に借字、さらに片仮名が用いられるようになった。これらの要素は﹁てにをは﹂の名で一括され、後に一つの研究分野となった。 日本語の1音1音を借字で記すようになった当初は、音韻組織全体に対する意識はまだ弱かったが、後にあらゆる仮名を1回ずつ集めて誦文にしたものが成立している。平安時代初期に﹁天地の詞﹂が、平安時代中期には﹁いろは歌﹂が現れた。これらはほんらい漢字音のアクセント習得のために使われたとみられるが[185]、のちにいろは歌は文脈があって内容を覚えやすいことから、﹃色葉字類抄﹄︵12世紀︶など物の順番を示す﹁いろは順﹂として用いられ、また仮名の手本としても人々の間に一般化している。 一方、悉曇学の研究により、梵語︵サンスクリット︶に整然とした音韻組織が存在することが知られるようになった。平安時代末期に成立したと見られる﹁五十音図﹂は、﹁あ・か・さ・た・な……﹂の行の並び方が梵語の悉曇章︵字母表︶の順に酷似しており、悉曇学を通じて日本語の音韻組織の研究が進んだことをうかがわせる。もっとも、五十音図作成の目的は、一方では、中国音韻学の反切を理解するためでもあった。当初、その配列はかなり自由であった︵ほぼ現在に近い配列が定着したのは室町時代以後︶。最古の五十音図は、平安時代末期の悉曇学者明覚の﹃反音作法﹄に見られる。明覚はまた、﹃悉曇要訣﹄において、梵語の発音を説明するために日本語の例を多く引用し、日本語の音韻組織への関心を見せている。 歌学は平安時代以降、大いに興隆した。和歌の実作および批評のための学問であったが、正当な語彙・語法を使用することへの要求から、日本語の古語に関する研究や、﹁てにをは﹂の研究、さらに仮名遣いへの研究に繋がった[186]。 このうち、古語の研究では、語と語の関係を音韻論的に説明することが試みられた。たとえば、顕昭の﹃袖中抄﹄では、﹁七夕つ女︵たなばたつめ︶﹂の語源は﹁たなばたつま﹂だとして︵これ自体は誤り︶、﹁﹃ま﹄と﹃め﹄とは同じ五音︵=五十音の同じ行︶なる故也﹂[187]と説明している。このように、﹁五音相通︵五十音の同じ行で音が相通ずること︶﹂や﹁同韻相通︵五十音の同じ段で音が相通ずること︶﹂などの説明が多用されるようになった[188]。 ﹁てにをは﹂の本格的研究は、鎌倉時代末期から室町時代初期に成立した﹃手爾葉大概抄﹄という短い文章によって端緒が付けられた。この文章では﹁名詞・動詞などの自立語︵詞︶が寺社であるとすれば、﹃てにをは﹄はその荘厳さに相当するものだ﹂と規定した上で、係助詞﹁ぞ﹂﹁こそ﹂とその結びの関係を論じるなど、﹁てにをは﹂についてごく概略的に述べている[189]。また、室町時代には﹃姉小路式﹄が著され、係助詞﹁ぞ﹂﹁こそ﹂﹁や﹂﹁か﹂のほか終助詞﹁かな﹂などの﹁てにをは﹂の用法をより詳細に論じている[189]。 仮名遣いについては、鎌倉時代の初め頃に藤原定家がこれを問題とし、定家はその著作﹃下官集﹄において、仮名遣いの基準を前代の平安時代末期の草子類の仮名表記に求め、規範を示そうとした[188]。ところが﹁お﹂と﹁を﹂の区別については、平安時代末期にはすでにいずれも[wo]の音となり発音上の区別が無くなっていたことにより、相当な表記の揺れがあり、格助詞の﹁を﹂を除き前例による基準を見出すことができなかった。そこで﹃下官集﹄ではアクセントが高い言葉を﹁を﹂で、アクセントが低い言葉を﹁お﹂で記しているが、このアクセントの高低により﹁を﹂と﹁お﹂の使い分けをすることは、すでに﹃色葉字類抄﹄にも見られる。南北朝時代には行阿がこれを増補して﹃仮名文字遣﹄を著し、これが後に﹁定家仮名遣﹂と呼ばれる[188]。行阿の姿勢も基準を古書に求めるというもので、﹁お﹂と﹁を﹂の区別についても定家仮名遣の原則を踏襲している。しかし行阿が﹃仮名文字遣﹄を著した頃、日本語にアクセントの一大変化があり、[wo]の音を含む語彙に関しても定家の時代とはアクセントの高低が異なってしまった。その結果﹁お﹂と﹁を﹂の仮名遣いについては、定家が示したものとは齟齬を生じている。 なお、﹁お﹂と﹁を﹂の発音上の区別が無くなっていたことで、五十音図においても鎌倉時代以来﹁お﹂と﹁を﹂とは位置が逆転した誤った図が用いられていた︵すなわち、﹁あいうえを﹂﹁わゐうゑお﹂となっていた︶。これが正されるのは、江戸時代に本居宣長が登場してからのことである。 外国人による日本語研究も、中世末期から近世前期にかけて多く行われた。イエズス会では日本語とポルトガル語の辞書﹃日葡辞書﹄︵1603年︶が編纂され、同会のロドリゲスによる文法書﹃日本大文典﹄︵1608年︶および﹃日本小文典﹄︵1620年︶は、ラテン語の文法書の伝統に基づいて日本語を分析したもので、いずれも価値が高い[190][191]。一方、中国では﹃日本館訳語﹄︵1549年頃︶、李氏朝鮮では﹃捷解新語﹄︵1676年︶といった日本語学習書が編纂された[192]。江戸時代[編集]
近代以降[編集]
江戸時代後期から明治時代にかけて、西洋の言語学が紹介され、日本語研究は新たな段階を迎えた。もっとも、西洋の言語に当てはまる理論を無批判に日本語に応用することで、かえってこれまでの蓄積を損なうような研究も少なくなかった[207][208]。 こうした中で、古来の日本語研究と西洋言語学とを吟味して文法をまとめたのが大槻文彦であった。大槻は﹃言海﹄の中で文法論﹁語法指南﹂を記し︵1889年︶、後にこれを独立、増補して﹃広日本文典﹄︵1897年︶とした[209]。 その後、高等教育の普及とともに、日本語研究者の数は増大した。1897年には東京帝国大学に国語研究室が置かれ、ドイツ帰りの上田萬年が初代主任教授として指導的役割を果たした[210]。日本国外の日本語[編集]
近代以降、台湾や朝鮮半島などを併合・統治した日本は、現地民の台湾人・朝鮮民族への皇民化政策を推進するため、学校教育で日本語を国語として採用した。満州国︵現在の中国東北部︶にも日本人が数多く移住した結果、日本語が広く使用され、また、日本語は中国語とともに公用語とされた。日本語を解さない主に漢民族や満州族には簡易的な日本語である協和語が用いられていたこともあった。現在の台湾︵中華民国︶や朝鮮半島︵北朝鮮・韓国︶などでは、現在でも高齢者の中に日本語を解する人もいる。 一方、明治・大正から昭和戦前期にかけて、日本人がアメリカ・カナダ・メキシコ・ブラジル・ペルーなどに多数移民し、日系人社会が築かれた。これらの地域コミュニティでは日本語が使用されたが、世代が若年になるにしたがって、日本語を解さない人が増えている。 1990年代以降、日本国外から日本への渡航者数が増加し、かつまた、日本企業で勤務する外国人労働者︵日本の外国人︶も飛躍的に増大しているため、国内外に日本語教育が広がっている。国・地域によっては、日本語を第2外国語など選択教科の一つとしている国もあり、日本国外で日本語が学習される機会は増えつつある[211][212]。 とりわけ、1990年代以降、﹁クールジャパン﹂といわれるように日本国外でアニメーションやゲーム、小説、ライトノベル、映画、テレビドラマ、J-POP︵邦楽︶に代表される音楽、漫画などに代表させる日本の現代サブカルチャーを﹁カッコいい﹂と感じる若者が増え[213]、その結果、彼らの日本語に触れる機会が増えつつあるという[注釈 47][214]。2021年9月に、単語検索ツールWordtipsが世界各国で語学学習をするに当たり、どの言語が最も人気があるかをGoogleキーワードプランナーを利用し調査したところ、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドといった英語圏を中心に、日本語が最も学びたい言語に選ばれた[215]。 日本人が訪問することの多い日本国外の観光地などでは、現地の広告や商業施設店舗の従業員との会話に日本語が使用されることもある[216]。このような場で目に触れる日本語のうち、新奇で注意を引く例は、雑誌・書籍などで紹介されることも多い[217]。日本語話者の意識[編集]
変化に対する意識[編集]
若者の日本語[編集]
若者特有の用法は批判の的になってきた。近代以降の若者言葉批判の例として、小説家・尾崎紅葉が1888年に女性徒の間で流行していた﹁てよだわ体﹂[注釈 48]を批判するなど、1900年前後に﹁てよだわ体﹂は批判の的となった[222]。1980年代ごろから単なる言葉の乱れとしてではなく、研究者の記述の対象としても扱われるようにもなった[注釈 49]。若者言葉[編集]
いわゆる﹁若者言葉﹂は種々の意味で用いられ、必ずしも定義は一定していない。井上史雄の分類[223]に即して述べると、若者言葉と称されるものは以下のように分類される。 (一)一時的流行語。ある時代の若い世代が使う言葉。戦後の﹁アジャパー﹂や1970年代の﹁チカレタビー﹂など。 (二)コーホート語︵同世代語︶。流行語が生き残り、その世代が年齢を重ねてからも使う言葉。次世代の若者は流行遅れと意識し、使わない。 (三)若者世代語。どの世代の人も、若い間だけ使う言葉。﹁ドイ語﹂︵ドイツ語︶や﹁代返﹂などの学生言葉︵キャンパス用語︶を含む。 (四)言語変化。若い世代が年齢を重ねてからも使い、次世代の若者も使うもの。結果的に、世代を超えて変化が定着する。ら抜き言葉・鼻濁音の衰退など。 上記は、いずれも批判にさらされうるという点では同様であるが、1 - 4の順で、次第に言葉の定着率は高くなるため、それだけ﹁言葉の乱れ﹂の例として意識されやすくなる。 上記の分類のうち﹁一時的流行語﹂ないし﹁若者世代語﹂に相当する言葉の発生要因に関し、米川明彦は心理・社会・歴史の面に分けて指摘している[224]。その指摘は、およそ以下のように総合できる。すなわち、成長期にある若者は、自己や他者への興味が強まるだけでなく、従来の言葉の規範からの自由を求める。日本経済の成熟とともに﹁まじめ﹂という価値観が崩壊し、若者が﹁ノリ﹂によって会話するようになった。とりわけ、1990年代以降は﹁ノリ﹂を楽しむ世代が低年齢化し、消費・娯楽社会の産物として若者言葉が生産されているというものである。また、2007年頃からマスメディアが﹁場の空気﹂の文化を取り上げるようになってきてから、言葉で伝えるより、察し合って心を通わせることを重んじる者が増えた[225]。これに対し、文化庁は、空気読めない (KY) と言われることを恐れ、場の空気に合わせようとする風潮の現れではないかと指摘している[226]。若者の表記[編集]
若者の日本語は、表記の面でも独自性を持つ。年代によりさまざまな日本語の表記が行われている。
- 丸文字
- ギャル文字
携帯メールやインターネットの普及に伴い、ギャルと呼ばれる少女たちを中心に、デジタル文字の表記に独特の文字や記号を用いるようになった。「さようなら」を「±∋ぅTょら」と書く類で、「ギャル文字」としてマスコミにも取り上げられた[231]。このギャル文字を練習するための本も現れた[232]。
- 顔文字
コンピュータの普及と、コンピュータを使用したパソコン通信などの始まりにより、日本語の約物に似た扱いとして顔文字が用いられるようになった。これは、コンピュータの文字としてコミュニケーションを行うときに、文章の後や単独で記号などを組み合わせた「(^_^)」のような顔文字を入れることにより感情などを表現する手法である。1980年代後半に使用が開始された顔文字は、若者へのコンピュータの普及により広く使用されるようになった。
- 絵文字
携帯電話に絵文字が実装されたことにより、絵文字文化と呼ばれるさまざまな絵文字を利用したコミュニケーションが行われるようになった。漢字や仮名と同じように日本語の文字として扱われ、約物のような利用方法にとどまらず、単語や文章の置き換えとしても用いられるようになった[233]。
- 小文字
日本語ブーム[編集]
人々の日本語に寄せる関心は、第二次世界大戦後に特に顕著になったといえる[235]。1947年10月からNHKラジオで﹁ことばの研究室﹂が始まり、1951年には雑誌﹃言語生活﹄が創刊された。 日本語関係書籍の出版点数も増大した。敬語をテーマとした本の場合、1960年代以前は解説書5点、実用書2点であったものが、1970年代から1994年の25年間に解説書約10点、実用書約40点が出たという[236]。 戦後、最初の日本語ブームが起こったのは1957年のことで、金田一春彦﹃日本語﹄︵岩波新書、旧版︶が77万部、大野晋﹃日本語の起源﹄︵岩波新書、旧版︶が36万部出版された。1974年には丸谷才一﹃日本語のために﹄︵新潮社︶が50万部、大野晋﹃日本語をさかのぼる﹄︵岩波新書︶が50万部出版された[注釈 50]。 その後、1999年の大野晋﹃日本語練習帳﹄︵岩波新書︶は190万部を超えるベストセラーとなった︵2008年時点︶[237]。さらに、2001年に齋藤孝﹃声に出して読みたい日本語﹄︵草思社︶が140万部出版された頃から、出版界では空前の日本語ブームという状況になり、おびただしい種類と数の一般向けの日本語関係書籍が出た[238]。 2004年には北原保雄編﹃問題な日本語﹄︵大修館書店︶が、当時よく問題にされた語彙・語法を一般向けに説明した。翌2005年から2006年にかけては、テレビでも日本語をテーマとした番組が多く放送され、大半の番組で日本語学者がコメンテーターや監修に迎えられた。﹁タモリのジャポニカロゴス﹂︵フジテレビ 2005〜2008︶、﹁クイズ!日本語王﹂︵TBS 2005〜2006︶、﹁三宅式こくごドリル﹂︵テレビ東京 2005〜2006︶、﹁Matthew's Best Hit TV+・なまり亭﹂︵テレビ朝日2005〜2006。方言を扱う︶、﹁合格!日本語ボーダーライン﹂︵テレビ朝日 2005︶、﹁ことばおじさんのナットク日本語塾﹂︵NHK 2006〜2010︶など種々の番組があった。日本語特殊論[編集]
﹁複雑な表記体系﹂﹁SOV構造﹂﹁音節文字﹂﹁敬語﹂﹁男言葉と女言葉﹂﹁擬態語が豊富﹂﹁曖昧表現が多い﹂﹁母音の数が少ない﹂などを根拠に日本語特殊論がとなえられることがある。 もっとも、日本語が印欧語との相違点を多く持つことは事実である。そのため、対照言語学の上では、印欧語とのよい比較対象となる。また、日本語成立由来という観点からの研究も存在する︵﹃日本語の起源﹄を参照︶。肯定的な意見[編集]
日本語特殊論は、近代以降しばしば提起されている。極端な例ではあるが、戦後、志賀直哉が﹁日本の国語程、不完全で不便なものはないと思ふ﹂として、フランス語を国語に採用することを主張した[239]︵国語外国語化論︶。また、1988年には、国立国語研究所所長・野元菊雄が、外国人への日本語教育のため、文法を単純化した﹁簡約日本語﹂の必要性を説き、論議を呼んだ[注釈 51]。 動詞が最後に来ることを理由に日本語を曖昧、不合理と断ずる議論もある。例えばかつてジャーナリスト森恭三は、日本語の語順では﹁思想を表現するのに一番大切な動詞は、文章の最後にくる﹂ため、文末の動詞の部分に行くまでに疲れて、﹁もはや動詞︹部分で︺の議論などはできない﹂と記している[240]。 複雑な文字体系を理由に、日本語を特殊とする議論もある。計算機科学者の村島定行は、古くから日本人が文字文化に親しみ、庶民階級の識字率も比較的高水準であったのは、日本語は表意文字︵漢字︶と表音文字︵仮名︶の2つの文字体系を使用していたからだと主張する[103]。ただし、表意・表音文字の二重使用は、他に漢字文化圏では韓文漢字や女真文字など[241]、漢字文化圏以外でもマヤ文字やヒエログリフなどの例がある。一方で、カナモジカイのように、数種類の文字体系を使い分けることの不便さを主張する意見も存在する。 日本語における語順や音韻論、もしくは表記体系などを取り上げて、それらを日本人の文化や思想的背景と関連付け、日本語の特殊性を論じる例は多い。しかし、大体においてそれらの説は、手近な英語や中国語などの言語との差異を牧歌的に列挙するにとどまり、言語学的根拠に乏しいものが多い︵サピア=ウォーフの仮説も参照︶。一方、近年では日本文化の特殊性を論する文脈であっても、出来るだけ多くの文化圏を俯瞰し、総合的な視点に立った主張が多く見られるという[242]。 日本語を劣等もしくは難解、非合理的とする考え方の背景として、近代化の過程で広まった欧米中心主義があると指摘される[243][244]。戦後は、消極的な見方ばかりでなく、﹁日本語は個性的である﹂と積極的に評価する見方も多くなった。その変化の時期はおよそ1980年代であるという[244]。いずれにしても、日本語は特殊であるとの前提に立っている点で両者の見方は共通する。 日本語特殊論は日本国外でも論じられる。E. ライシャワーによれば、日本語の知識が乏しいまま、日本語は明晰でも論理的でもないと不満を漏らす外国人は多いという。ライシャワー自身はこれに反論し、あらゆる言語には曖昧・不明晰になる余地があり、日本語も同様だが、簡潔・明晰・論理的に述べることを阻む要素は日本語にないという[245]。共通点の少なさゆえに印欧系言語話者には習得が難しいとされ、学習に関わる様々なジョークが存在するバスク語について、フランスのバイヨンヌにあるバスク博物館では、﹁かつて悪魔サタンは日本にいた。それがバスクの土地にやってきたのである﹂と挿絵入りの歴史が描かれているものが飾られている。これは同じく印欧系言語話者からみて習得の難しいバスク語と日本語を重ね合わせているとされる[246]。否定的な意見[編集]
今日の言語学において、日本語が特殊であるという見方自体が否定的である。例えば、日本語に5母音しかないことが特殊だと言われることがあるが、クラザーズの研究によれば、209の言語のうち、日本語のように5母音を持つ言語は55あり、類型として最も多いという。また語順に関しては、日本語のように SOV構造を採る言語が約45%であって最も多いのに対して、英語のようにSVO構造を採る言語は30%強である︵ウルタン、スティール、グリーンバーグらの調査結果より︶。この点から、日本語はごく普通の言語であるという結論が導かれるとされる[243]。また言語学者の角田太作は語順を含め19の特徴について130の言語を比較し、﹁日本語は特殊な言語ではない。しかし、英語は特殊な言語だ﹂と結論している[247]。 村山七郎は、﹁外国語を知ることが少ないほど日本語の特色が多くなる﹂という﹁反比例法則﹂を主張したという[248]。日本人自らが日本語を特殊と考える原因としては、身近な他言語︵英語など︶が少ないことも挙げられる。辞書[編集]
古代から中近世[編集]
近現代[編集]
明治時代に入り、1889年から大槻文彦編の小型辞書﹃言海﹄が刊行された[181]。これは、古典語・日常語を網羅し、五十音順に見出しを並べて、品詞・漢字表記・語釈を付した初の近代的な日本語辞書であった[261]。﹃言海﹄は、後の辞書の模範的存在となり、後に増補版の﹃大言海﹄も刊行された[262]。 その後、広く使われた小型の日本語辞書としては、金沢庄三郎編﹃辞林﹄のほか[263]、新村出編﹃辞苑﹄などがある[264]。第二次世界大戦中から戦後にかけては金田一京助編﹃明解国語辞典﹄がよく用いられ[注釈 52]、今日の﹃三省堂国語辞典﹄﹃新明解国語辞典﹄に引き継がれている[266]。 中型辞書としては、第二次世界大戦前は﹃大言海﹄のほか[262]、松井簡治・上田万年編﹃大日本国語辞典﹄などが刊行された[267]。戦後は新村出編﹃広辞苑﹄などが広く受け入れられている[268]。現在では松村明編﹃大辞林﹄をはじめ[269]、数種の中型辞書が加わっているほか、唯一にして最大の大型辞書﹃日本国語大辞典﹄︵約50万語︶がある[270]。脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
図書[編集]
単著[編集]
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●W.A.グロータース 著、柴田武 訳﹃私は日本人になりたい‥知りつくして愛した日本文化のオモテとウラ﹄大和出版、1984年10月。ISBN 4804720561。論文[編集]
論文集[編集]
●橋本進吉﹁国語法要説﹂﹃國語科學講座6‥國語法﹄明治書院、1934年12月。 ●服部四郎 著﹁原始日本語のアクセント﹂、寺川喜四男・金田一春彦・稲垣正幸 編﹃國語アクセント論叢﹄法政大学出版局、1951年12月。 ●土井忠生 著﹁鎌倉、室町時代の国語﹂、土井忠生 編﹃日本語の歴史‥改訂版﹄至文堂、1957年6月。 ●金田一春彦 著﹁私の方言区画﹂、日本方言研究会 編﹃日本の方言区画﹄東京堂出版、1964年11月。 ●宮島達夫 著﹁現代語いの形成﹂、国立国語研究所 編﹃国立国語研究所論集3‥ことばの研究﹄秀英出版、1967年8月、1-50頁。 ●奥村三雄 著﹁所謂二段活用の一段化について‥方言的事実から史的考察へ﹂、近代語学会 編﹃近代語研究2﹄武蔵野書院、1968年1月。ISBN 4838600852。 ●宮地裕 著﹁現代の敬語﹂、辻村敏樹 編﹃講座国語史5‥敬語史﹄大修館書店、1971年11月。 ●宮地裕 著﹁待遇表現﹂、国立国語研究所 編﹃日本語と日本語教育‥文字・表現編﹄大蔵省印刷局︿国語シリーズ別冊4﹀、1976年3月。ISBN 4173108044。 ●梅棹忠夫 著﹁現代日本文字の問題点﹂、梅棹忠夫・多田道太郎 編﹃日本文化と世界﹄講談社︿講談社現代新書280﹀、1972年6月。ISBN 4061156802。 ●外山映次 著﹁近代の音韻﹂、中田祝夫 編﹃講座国語史2‥音韻史・文字史﹄大修館書店、1972年9月。 ●林巨樹・斎藤正人・飯田晴巳 著﹁古今形容詞一覧﹂、鈴木一彦・林巨樹 編﹃品詞別日本文法講座4‥形容詞・形容動詞﹄明治書院、1973年3月。ISBN 4625521203。 ●J・V・ネウストプニー 著﹁世界の敬語‥敬語は日本語だけのものではない﹂、林四郎・南不二男 編﹃敬語講座8‥世界の敬語﹄明治書院、1974年2月。ISBN 462552153X。 ●佐佐木隆 著﹁日本語の系統論史﹂、大野晋・柴田武 編﹃岩波講座日本語12‥日本語の系統と歴史﹄岩波書店、1978年1月。ISBN 4124017367。 ●大江孝男 著﹁アルタイ諸語﹂、北村甫 編﹃講座言語6‥世界の言語﹄大修館書店、1981年7月。ISBN 4469110566。 ●北条忠雄 著﹁東北方言の概説﹂、飯豊毅一・日野資純・佐藤亮一 編﹃講座方言学4‥北海道・東北地方の方言﹄国書刊行会、1982年9月。ISBN 4336019754。 ●岩田麻里 著﹁現代日本語における漢字の機能﹂、丸谷才一 編﹃日本語の世界16‥国語改革を批判する﹄中央公論社、1983年5月。ISBN 4124017367。 ●石神照雄 著﹁副詞の原理﹂、渡辺実 編﹃副用語の研究﹄明治書院、1983年10月。ISBN 4625420369。 ●吉田則夫 著﹁方言調査法﹂、飯豊毅一・日野資純・佐藤亮一 編﹃講座方言学2‥方言研究法﹄国書刊行会、1984年10月。ISBN 4336019738。 ●都竹通年雄 著﹁文法概説﹂、飯豊毅一・日野資純・佐藤亮一 編﹃講座方言学1‥方言概説﹄国書刊行会、1986年5月。ISBN 433601972X。 ●上野善道 著﹁日本語のアクセント﹂、杉藤美代子 編﹃講座日本語と日本語教育2‥日本語の音声・音韻︵上︶﹄明治書院、1989年5月。ISBN 9784625521027。 ●本堂寛 著﹁ブラジル日系人の日本語についての意識と実態‥ハワイ調査との対比から﹂、平山輝男博士米寿記念会 編﹃日本語研究諸領域の視点・上﹄明治書院、1996年10月、774-789頁。ISBN 9784625421006。 ●野村雅昭﹁現代漢語の品詞性﹂﹃東京大学国語研究室創設百周年記念国語研究論集﹄汲古書院、1998年2月、128-144頁。ISBN 4762934135。 ●真田信治 著﹁ポナペ語における日本語からの借用語の位相‥ミクロネシアでの現地調査から﹂、佐藤喜代治 編﹃国語論究9‥現代の位相研究﹄明治書院、2002年1月、33-57頁。ISBN 4625433126。 ●山口幸洋 著﹁﹁伊吹島﹂アクセントの背景‥社会言語学的事情と比較言語学的理論﹂、近代語学会 編﹃近代語研究11﹄武蔵野書院、2002年12月、409-424頁。ISBN 4838602057。 ●松森晶子﹁アクセント研究の動向と展望2(現代語中心)﹂﹃朝倉日本語講座3‥音声・音韻﹄朝倉書店、2003年6月、261-277頁。 ●板橋義三 著﹁高句麗の地名から高句麗語と朝鮮語・日本語との史的関係をさぐる﹂、長田俊樹 編﹃日本語系統論の現在﹄国際日本文化研究センター、2003年12月、131-185頁。 ●山本真吾 著﹁国語学史﹂、木田章義 編﹃国語史を学ぶ人のために﹄世界思想社、2013年4月、261-285頁。ISBN 9784790715962。 ●山東功 著﹁日本語学史﹂、衣畑智秀 編﹃基礎日本語学﹄ひつじ書房、2019年2月、284-309頁。ISBN 9784894769465。︵第2版、2023年3月。ISBN 9784823411953︶ ●長田俊樹 著﹁日本言語学史序説‥日本語の起源はどのように論じられてきたか﹂、長田俊樹 編﹃日本語﹁起源﹂論の歴史と展望‥日本語の起源はどのように論じられてきたか﹄三省堂、2020年3月、315-334頁。ISBN 9784385365084。 ●伊藤英人 著﹁朝鮮半島における言語接触と大陸倭語﹂、日本言語学会 編﹃日本言語学会第163回大会論文集﹄日本言語学会、2021年11月、354-359頁。雑誌[編集]
●藤岡勝二﹁日本語の位置﹂﹃國學院雜誌﹄第14巻第8号、1908年8月、1-9頁。 ●藤岡勝二﹁日本語の位置(二)﹂﹃國學院雜誌﹄第14巻第10号、1908年10月、14-23頁。 ●藤岡勝二﹁日本語の位置(三)﹂﹃國學院雜誌﹄第14巻第11号、1908年11月、12-20頁。 ●有坂秀世﹁国語にあらはれる一種の母音交替について﹂﹃音声の研究﹄第4号、1931年。 ●橋本進吉﹁国語音韻の変遷﹂﹃国語と国文学﹄第15巻第10号、1938年10月。 ●金田一春彦﹁﹁五億﹂と﹁業苦﹂‥引き音節の提唱﹂﹃国語と国文学﹄第27巻第1号、1950年1月。 ●金田一春彦﹁東西両アクセントのちがいが出来るまで﹂﹃文学﹄第22巻第8号、岩波書店、1954年8月。 ●金田一春彦﹁日本語は乱れていない‥紫式部、近松、芭蕉などは典型的な悪文家だった﹂﹃文芸春秋﹄第42巻第12号、文芸春秋、1964年12月。 ●金田一春彦﹁泣いて明治の文豪を斬る‥続日本語は乱れていない﹂﹃文芸春秋﹄第43巻第4号、文芸春秋、1965年4月。 ●服部四郎﹁Phoneme, Phone, and Compound Phone﹂﹃言語研究﹄第16号、日本言語学会、1950年8月。 ●泉井久之助﹁日本語と南島諸語‥系譜関係か寄与の関係か﹂﹃民族学研究﹄第17巻第2号、1953年3月。 ●佐竹昭広﹁古代日本語における色名の性格﹂﹃国語国文﹄第24巻第6号、1955年6月。 ●奥村三雄﹁東西アクセント分離の時期‥外来語のアクセント﹂﹃国語国文﹄第24巻第12号、1955年12月。 ●亀井孝﹁﹁音韻﹂の概念は日本語に有用なりや﹂﹃国文学攷﹄第15号、1956年3月。 ●鈴木一彦﹁副詞の整理﹂﹃国語と国文学﹄第36巻第12号、1959年12月。 ●石黒修﹁方言の悲劇﹂﹃言語生活﹄第108号、筑摩書房、1960年9月。 ●見坊豪紀﹁アメリカの邦字新聞を読む﹂﹃言語生活﹄第157号、筑摩書房、1964年10月。 ●和田実﹁第一次アクセントの発見‥伊吹島﹂﹃国語研究﹄第22号、國學院大學、1966年5月。 ●桜井茂治﹁形容詞音便の一考察‥源氏物語を中心として﹂﹃立教大学日本文学﹄第16号、1966年6月。 ●柴田武﹁語彙体系としての親族名称‥トルコ語・朝鮮語・日本語﹂﹃アジア・アフリカ言語文化研究﹄第1号、東京外国語大学、1968年2月。 ●坂梨隆三﹁いわゆる可能動詞の成立について﹂﹃国語と国文学﹄第46巻第11号、1969年11月。 ●井上史雄﹁ハワイ日系人の日本語と英語﹂﹃言語生活﹄第236号、筑摩書房、1971年5月。 ●大久保正﹁︿書評﹀足立巻一著﹁やちまた﹂上・下﹂﹃國文學﹄第20巻第3号、学燈社、1975年3月、29頁。 ●田辺正男﹁︿わたしの読んだ本﹀足立巻一著﹁やちまた﹂上・下﹂﹃言語生活﹄第284号、筑摩書房、1975年5月、91-92頁。 ●野口武彦﹁言霊のありか‥足立巻一﹁やちまた﹂をめぐって﹂﹃すばる﹄第20号、集英社、1975年6月、196-203頁。 ●福島邦道﹁︿紹介﹀足立巻一著﹁やちまた﹂﹂﹃国語学﹄第104号、国語学会、1976年3月、121-123頁。 ●野元菊雄﹁﹁簡約日本語﹂のすすめ‥日本語が世界語になるために﹂﹃言語﹄第8巻第3号、大修館書店、1979年3月。 ●中野洋﹁﹃分類語彙表﹄の語数﹂﹃計量国語学﹄第12巻第8号、計量国語学会、1981年3月。 ●柴谷方良﹁日本語は特異な言語か?‥類型論から見た日本語﹂﹃言語﹄第10巻第12号、大修館書店、1981年12月。 ●加藤正信﹁方言コンプレックスの現状﹂﹃言語生活﹄第377号、筑摩書房、1983年5月。 ●松崎寛﹁外来語音と現代日本語音韻体系﹂﹃日本語と日本文学﹄第18号、筑波大学、1993年8月、22-30頁。 ●松村一登﹁世界の中の日本語‥日本語は特異な言語か﹂﹃アジア・アフリカ言語文化研究所通信﹄第84号、アジア・アフリカ言語文化研究所、1995年7月。 ●家本太郎・児玉望・山下博司・長田俊樹﹁﹁日本語=タミル語同系説﹂を検証する‥大野晋﹃日本語の起源 新版﹄をめぐって﹂﹃日本研究︵国際文化研究センター紀要︶﹄第13号、1996年3月、248-169頁。 ●大野晋﹁﹁タミル語=日本語同系説に対する批判﹂を検証する﹂﹃日本研究︵国際文化研究センター紀要︶﹄第15号、1996年12月、247-186頁。 ●山下博司﹁大野晋氏のご批判に答えて‥﹁日本語=タミル語同系説﹂の手法を考える﹂﹃日本研究︵国際文化研究センター紀要︶﹄第17号、1998年2月、372-342頁。 ●田野村忠温﹁日本語の話者数順位について‥日本語は世界第六位の言語か?﹂﹃国語学﹄189集、1997年6月、37-41頁。 ●田野村忠温﹁中国の日本語﹂﹃日本語学﹄第22巻第12号、明治書院、2003年11月、6-15頁。 ●陳力衛﹁和製漢語と語構成﹂﹃日本語学﹄第20巻第9号、明治書院、2001年8月、40-49頁。 ●安田尚道﹁石塚龍麿と橋本進吉‥上代特殊仮名遣の研究史を再検討する﹂﹃國語學﹄第54巻第2号、2003年4月、1-14頁。 ●安田尚道﹁橋本進吉は何を発見しどう呼んだのか‥上代特殊仮名遣の研究史を再検討する﹂﹃國語と國文學﹄第81巻第3号、2004年3月、1-15頁。 ●橋本典尚﹁﹁ネサヨ運動﹂と﹁ネハイ運動﹂﹂﹃東洋大学大学院紀要﹄第40号、2004年3月、250-237頁。 ●中川裕﹁アイヌ語にくわわった日本語﹂﹃国文学・解釈と鑑賞﹄第70巻第1号、至文堂、2005年1月、96-104頁。 ●真田信治、簡月真﹁台湾における日本語クレオールについて﹂﹃日本語の研究﹄第4巻第2号、日本語学会、2008年4月。 ●飯間浩明﹁﹁日本語ブーム﹂はあったのか、そしてあるのか﹂﹃日本語学﹄第29巻第5号、明治書院、2010年5月、4-15頁。 ●杉田昌彦﹁︿書評﹀足立巻一﹃やちまた﹄(中公文庫版)の読後に﹂﹃鈴屋学会報﹄第32号、鈴屋学会、2015年12月、70-77頁。 ●白勢彩子﹁学習指導要領における﹁方言﹂を辿る﹂﹃東京学芸大学紀要. 人文社会科学系. I﹄第70巻、2019年1月、15–22頁。 ●伊藤英人﹁﹁高句麗地名﹂中の倭語と韓語﹂﹃専修人文論集﹄第105巻、2019年11月、365-421頁。 ●伊藤英人﹁濊倭同系論﹂﹃KOTONOHA﹄第224号、古代文字資料館、2021年7月、1-70頁。辞書類[編集]
●国立国語研究所 編﹃沖繩語辞典﹄大蔵省印刷局︿国立国語研究所資料集5﹀、1963年4月。 ●国立国語研究所 編﹃分類語彙表﹄秀英出版︿国立国語研究所資料集6﹀、1964年3月。 ●浅野鶴子 編﹃擬音語・擬態語辞典﹄角川書店︿角川小辞典﹀、1978年4月。ISBN 4040612000。 ●徳川宗賢 編﹃日本方言大辞典﹄小学館、1989年3月。ISBN 4095082011。 ●亀井孝、河野六郎、千野栄一 編﹃言語学大辞典6‥術語編﹄三省堂、1996年1月。ISBN 9784385152189。 ●井上史雄、鑓水兼貴 編﹃辞典︿新しい日本語﹀﹄東洋書林、2002年6月。ISBN 4887215320。 ●柴田武、山田進 編﹃類語大辞典﹄講談社、2002年11月。ISBN 4061232908。 ●山口仲美 編﹃暮らしのことば擬音・擬態語辞典﹄講談社、2003年11月。ISBN 4062653303。 ●飛田良文 編﹃日本語学研究事典﹄明治書院、2007年1月。ISBN 9784625603068。 ●沖森卓也 編﹃図説日本の辞書100冊﹄武蔵野書院、2023年9月。ISBN 9784838606603。関連項目[編集]
- 日本語の表記体系
- 日本語の一人称代名詞
- 日本語の二人称代名詞
- 日本語の方言
- 国語教育 - 日本語教育
- 日本語帝国主義
- 日本語能力試験 - 日本留学試験 - 日本語検定 - 日本語文章能力検定 - 日本語ワープロ検定 - BJTビジネス日本語能力テスト
- やさしい日本語
- 日本語教室
- 日本語学校 - 日本語教師 - 日本語教育能力検定試験
- 日本語学科
- 日本語世代
- 日本語放送
- 日本語字幕
- 日本語ロック
- 日本語訳
- 日本語入力システム
- 日本語入力コンソーシアム
- 日本語の世界
- 日本語が亡びるとき
- 文語体
- ウィキペディア日本語版
外部リンク[編集]
- 国語施策・日本語教育 - 文化庁
- 国立国語研究所(日本語)
- 日本語研究・日本語教育文献データベース
- 日本語学会(日本語)
- 日本語教育学会(日本語)
- 日本語 - 東京外国語大学言語モジュール(日本語)
- Ethnologue report for language codejpn - 国際SIL(英語)
- 『日本語』 - コトバンク