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熊本城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
使
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熊本城
熊本県
熊本城外観復元天守(2022年10月)
熊本城外観復元天守(2022年10月)
別名 千葉城(出田氏)、六実城、隈本城(鹿子木氏、菊池氏、城氏、佐々氏、加藤氏半国期)、銀杏城
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 連結式望楼型3重6階地下1階(非現存・1600年築)
外観復元(RC造 1960年再)
築城主 出田秀信(千葉城)、鹿子木親員(隈本城)
築城年 1469年(文明元年)
主な改修者 加藤清正
主な城主 加藤氏、細川氏
廃城年 1874年(明治7年)
遺構 櫓・門・塀、石垣、堀
指定文化財 国の重要文化財:櫓11棟、門1棟、塀1棟
国の特別史跡:熊本城跡
再建造物 外観復元:大小天守、平櫓
木造復元:西大手門、数奇屋丸二階広間、南大手門、西出丸戌亥櫓、未申櫓、元太鼓櫓、飯田丸五階櫓、馬具櫓、本丸御殿大広間
位置 北緯32度48分21.7秒 東経130度42分21.23秒 / 北緯32.806028度 東経130.7058972度 / 32.806028; 130.7058972 (熊本城)座標: 北緯32度48分21.7秒 東経130度42分21.23秒 / 北緯32.806028度 東経130.7058972度 / 32.806028; 130.7058972 (熊本城)
地図
熊本城の位置(熊本市内)
熊本城

熊本城

熊本城の位置(熊本県内)
熊本城

熊本城

熊本城の位置(日本内)
熊本城

熊本城

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西西殿[2] 131111

殿
西



西西殿188922姿2012512,300.52

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201135 

2020 1 4535717 [8]

熊本地震以降

地震後の熊本城の様子。手前の平左衛門丸石垣や大小天守の屋根瓦の一部が崩落、鯱も失われている。
本震から1年後の熊本城の様子。大天守に修復中の足場となる鉄骨が貫かれている。
今後復元が期待される「数寄屋丸」

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西

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宇土櫓、二階櫓を含む続櫓が連なる。左に、大天守・小天守を望む。
宇土櫓、二階櫓を含む続櫓が連なる。左に、大天守・小天守を望む。
  • 平左衛門丸から望んだ宇土櫓。最下部に石蔵を設けていることが判る。
    平左衛門丸から望んだ宇土櫓。最下部に石蔵を設けていることが判る。
  • 角度によっては、大天守(右)、宇土櫓(中)、小天守(左)が立ち並ぶ。
    角度によっては、大天守(右)、宇土櫓(中)、小天守(左)が立ち並ぶ。
  • 宇土櫓に連なる続櫓は水平でなく、微妙に上方に傾斜がついていることが判る一枚。
    宇土櫓に連なる続櫓は水平でなく、微妙に上方に傾斜がついていることが判る一枚。
  • 西竹之丸脇五階櫓
    西竹之丸脇五階櫓(にしたけのまるわきごかいやぐら)は別名「独立櫓」ともいわれる[31]。現在の櫓台の石垣は郭から孤立しており入口階段がないが、往時は、札櫓門の三階を通じて塩櫓・飯田丸三階櫓と繋がっていた。防衛面で見ると竹之丸から飯田丸へのS字型の連続枡形虎口中心部にあり、通路を櫓の南・西・北面に通し飯田丸三階櫓と挟撃し札櫓門で侵入を防ぐ南側の重要拠点であった。櫓周辺は当櫓以外にも多層櫓や多層櫓門が狭い区域に重なり全体像が分かる古写真が無い。西南戦争の罹災を免れていたが、その戦後にまとめて陸軍により破却されている。
    飯田丸五階櫓
    西L2005
    飯田丸五階櫓(いいだまるごかいやぐら)は、飯田丸の南西隅にあった櫓である。櫓台の石垣は2段に築かれており、かつては1段目にL字型の要人櫓を配し、より立体的に攻撃できるようになっていた。なお、石垣は元々段差がなく、後に五階櫓の櫓台に1段目を被せるように造ってある。この痕跡は元札櫓門へのクランク左側の石垣に旧石垣の反りを確認できる。防衛面では竹の丸門(現、櫨方門)周辺と西出丸へと続く南坂への攻撃や指揮所として役割があった。西南戦争前に陸軍により破却されていたが、平成17年(2005年)に木造復元によって再建されている。
  • 五階櫓直下の高石垣。写真左端の下段には、L字型の平櫓(要人櫓)があった。
    五階櫓直下の高石垣。写真左端の下段には、L字型の平櫓(要人櫓)があった。
  • 飯田丸五階櫓が三層櫓であることが判る一枚。
    飯田丸五階櫓が三層櫓であることが判る一枚。
  •  



    1231西西便



    西18×10西


    西923
    小広間西三階櫓
    小広間西三階櫓(こひろまにしさんがいやぐら)は本丸南西隅にあった櫓である。他の三階櫓と異なり、唯一3重3階の造りになっている。上記の熊本城略図に記載がなく、細川忠利入部時に増設された石垣の上(二様の石垣)に建てられており細川氏が新設した可能性がある。櫓の形状は小広間二階櫓の西端に望楼部を増設したような一体構造となっており、本丸御殿とは東西2棟の続櫓で繋がっていた。明治期に西南戦争で焼失するまでは鎮台司令部が置いてあり、内部は御殿造りであったようである。
    月見櫓
    月見櫓(つきみやぐら)は本丸南東端にあった櫓である。内部2階の櫓に望楼を乗せた造りであった。望楼部は宝形造の屋根を持つ正方形で、総塗込めに大きい窓を備えるなど、名称の通り観月に適した軍事色の低い櫓である。本丸御殿には南北2棟の続櫓で繋がっていた。西南戦争で焼失している。
    本丸東三階櫓
    本丸東三階櫓(ほんまるひがしさんがいやぐら)は本丸東端にあった櫓である。享保19年(1734年)に作成された「肥州録」には三之門五階櫓と記されているが、明和6年(1769年)の「城内御絵図」には三階御櫓と記されている。この35年の内に三階櫓へと改築されたようであるが、現時点では改築の理由や正確な年月については不明である。東竹之丸より本丸東口の防衛拠点であり他の櫓から独立していたが本丸御殿とは三之櫓門三階で繋がっていた。西南戦争時の火災で焼失している。
    飯田丸三階櫓
    飯田丸三階櫓(いいだまるさんがいやぐら)飯田丸の南口にあった櫓である。竹之丸から天守方面を望むと天守正面に位置するところに建っており、札櫓門を通じて塩櫓・西竹之丸脇五階櫓と繋がる南側の重要拠点であった。西南戦争の罹災を免れていたが、その戦後にまとめて陸軍により破却されている。
    長櫓上三階櫓
    長櫓上三階櫓(ながやぐらうえさんがいやぐら)は数寄屋丸の西面にあった櫓である。数寄屋丸五階櫓から数奇屋丸櫓門への多聞櫓上に、望楼部を増設したような一体構造となっていた。南大手門を攻撃する敵を横撃する位置にたっており宇土櫓と並び本丸西面の重要防衛拠点であった。鎮西鎮台が城内に司令部を置いた後、数寄屋丸五階櫓と一緒に他の櫓に先駆けて破却されている。
    戌亥櫓
    戌亥櫓(いぬいやぐら)は西出丸北西隅にあった櫓である。構造は未申櫓と同一で、同時期に建設されたものと思われる。安永8年(1779年)に修復が行われた際に、棟札に慶長7年(1602年)完成、当時の名称は「大黒矢倉」と記載されてあったとの記録が残っている。鎮西鎮台が城内に入った後、司令であった桐野利秋の指示により西出丸は石垣ごと取り崩され、戌亥櫓も破却されている。平成15年に未申櫓と一緒に木造で復元された。
    元太鼓櫓(左奥・復元) 未申櫓(右手前・復元)
    未申櫓
    未申櫓(ひつじさるやぐら)は西出丸南西隅にあった櫓である。構造は戌亥櫓と同一で、同時期に建設されたものと思われる。鎮西鎮台が城内に入った後、司令であった桐野利秋の指示により西出丸は石垣ごと取り崩され、未申櫓も破却されている。平成15年に戌亥櫓と一緒に木造で復元された。
    櫨方三階櫓
    櫨方三階櫓(はぜかたさんがいやぐら)は西出丸北東隅にあった櫓である。西出丸の他の三階櫓と異なりL字型の櫓の中心部に望楼を載せた形状となっている。名称は、細川藩政期に西出丸の当櫓のある一角に、櫨方会所(藩の専売品である蝋を取扱う部署)が置かれたことに由来する。西南戦争前に鎮台により破却されている。
    森本櫓
    森本櫓(もりもとやぐら)は三の丸北西にあった櫓である。本丸からは最も離れたところにある多重櫓で、西に向かって広い熊本城のほぼ西端にある重要拠点である。名称は加藤清正重臣の森本一久の森本家(子孫が細川家に仕え歴代当主の通称が義太夫)に由来し、古くには「森本義太夫預かり三階櫓」と呼ばれていた。明和7年(1770年)に城下からの火災に類焼し、その後は再建されずに明治を迎えた。

    遺構

    東竹之丸の櫓群 手前から源之進櫓(L字形平面)、四間櫓、十四間櫓
    東十八間櫓
    東十八間櫓
    十四間櫓(右は七間櫓)
    十四間櫓(右は七間櫓)
    田子櫓(右)、七間櫓(左)
    田子櫓(右)、七間櫓(左)
    源之進櫓
    源之進櫓

    242m13

    西19200740012殿2008420

    201620182018[32]


    13






























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    [37]


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    20164

    2016427[40] 

    2016614[41] [42] 

    2016811212[43]


    [44]

    195110113

    195971962332213[45]

    熊本城の位置(熊本市内)
    熊本城

    熊本城

    熊本駅

    熊本駅

    熊本城の位置(熊本市)

    一口城主


    199810201628318[46][47]

    201628111[46]
















     

     - 西

     - 

     - 西



    - NHK

    vs - 

     - 

    NHK - 

     - 

    ︿19773ISBN 978-4-16-713511-9  - 

      -  (2020)

     KADOKAWA - 

    2024 - 




     - 

     - 西

     - 西

     - Category:Kumamoto Castle

     - 

     - 171

     - 415000

     - 

    注釈

    1. ^ 1607年(慶長12年)に隈本から熊本へと改名。「角川日本地名大辞典43 熊本県」
    2. ^ 国宝保存法における「国宝」(「旧国宝」)と文化財保護法における「重要文化財」とは同等のものである。
    3. ^ 御殿などの落成で2008年度の入場者数は、全国第1位(約222万人)となった。2009年8月にガイド本『名城をゆく1 熊本城』が、小学館ビジュアル新書で刊行され、細川家当主細川護熙も寄稿している。

    出典



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    関連項目

    外部リンク