若き日の思い出 牧野富太郎

 今日は、牧野富太郎の「若き日の思い出」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 苦行だったはずの仕事が、やっているうちにだんだん苦痛では無くなっていって楽しめるようになるということならあると思うんですが、牧野富太郎氏は、仕事のはじめから最後まで、ずっと楽しかったと書くのでした。子どものころの遊びの植物採集が、だんだん仕事になっていって学者になったという内容なんです。どこまで行っても楽しい仕事というのは希有なのではというように思える……九十三歳で記された随想でした。最後の一文もなんだかすごいのでした。
 

0000 - 若き日の思い出 牧野富太郎

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
 
追記 夢は枯れ野をかけめぐる…という芭蕉の生涯を連想させるような、植物学者の随筆でした。

人間否定か社会肯定か 小川未明

 今日は、小川未明の「人間否定か社会肯定か」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 小川未明は児童文学の中に社会批評性をとりいれた特別な作家だと思うんですが、今回は完全に大人向けの評論を記していました。本文こうです。
quomark03 - 人間否定か社会肯定か 小川未明
 人間は、希望と光明を持てばこそ、はじめて、幾多の辛酸を凌いでも、前へ、前へと進んで来たのである。人間が、年若くして、人生を美しいと思った。その信念には、間違いがない筈であった。自然は美しく、大空はかくの如く自由であると考えた。quomark end - 人間否定か社会肯定か 小川未明
 
 現代社会や現代思想と比較するとどうも古めかしいところがあるのですが、氏の作品と共通項のある評論に思いました。
 

0000 - 人間否定か社会肯定か 小川未明

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
 
追記  小川未明は「人間性」を選択するか「社会性」を選択するかという二者択一をせまっているわけではありませんでした。人間的なことと社会的なことが対立してしまう状況を例にだし、どちらの必要性も説いている批評を展開していました。「社会が、人間を悪くするのであったら、いかにしてそれを改めなければならぬかについて考えなければならない。」という小川未明の指摘が印象に残る作品でした。

ジョン・ブル ワシントン・アーヴィング

 今日は、ワシントン・アーヴィングの「ジョン・ブル」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 ジョンブルというのは典型的イギリス人あるいは、古い英国の国家像を擬人化したものなんだそうです。
 そのジョンブルの滑稽さや、ジョンブルの老いたる生きざまのことを描きだした短編です。ジョンブルは……「外へ出て殿様ぶるのが少々好きだ。重い財布をひっぱり出して、拳闘の試合や、競馬や、闘鶏に金をふんだんにまきちらし」ているような男なのです。これが典型的なジョンブルの姿なんだそうです。本文こうです。
quomark03 - ジョン・ブル ワシントン・アーヴィング
 さまざまな奇妙な気性や頑固な偏見をもっているにもかかわらず、彼は心の清らかな老人である。彼は自分で思うほどすばらしく立派な男ではないかもしれないが、彼は近所の人が考えるよりは少くとも二倍ほど善良である。quomark end - ジョン・ブル ワシントン・アーヴィング

0000 - ジョン・ブル ワシントン・アーヴィング

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
 
追記  作者アーヴィングの考える、ジョンブルに対する主張はこうでした。「わたしがひたすらに望むのは、ジョンが現在の苦悩を経て、未来にはもっと慎重にしなければならないと知ることであり、彼が他人のことで心を悩ますのをやめることであり、棍棒の力で、近所の人の福利や、世界の平和と幸福とを促進しようなどという無益なこころみをやめることである。(略)昔栄えていた頃の楽しい情景を取りもどして父祖伝来の地で、すえながく、元気で、立派で、愉快な老年をたのしんでもらいたいのだ。」
 

真夏の夜の夢 宮本百合子

 今日は、宮本百合子の「真夏の夜の夢」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは戦後すぐのころ、シェイクスピアの「夏の夜の夢」の日本版の劇の内容について論じつつ、「日本での人間性の解放を具体的に考えるとき」には、当時の日本が「資本主義の悪徳にわずらわされてい」てさらに「貧寒な条件におかれているだけ、一方に世界の帝国主義的な段階の特質をつよくあらわして来た」という「この二重の影を二重に、同時的にうちひらいてゆく」よう、これらの暗い問題を、減少させる思想が必要である、ということを書いていました。
 

0000 - 真夏の夜の夢 宮本百合子

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
 
追記  「兇悪な日本の軍事的暴力のために」日本に住む「若い人々」は戦争の只中に置かれ「あれほどまでに愚弄された」のだというように書いていました。

汪士秀 蒲松齢

 今日は、蒲松齢の「汪士秀」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 17世紀の蒲松齢の記した中国の志怪小説を読んでみました。洞庭湖で見た深夜の怪異について雅な筆致で描いた小説でした。
  

0000 - 汪士秀 蒲松齢

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
 
追記  汪の父親は銭塘江で若いころに亡くなってしまっていて、数十年後になぜか900キロは離れた洞庭湖の闇の中に現れるのでした。「怪しい物」たちが、湖のうえを歩いてやってきます。魚の精が人間の姿に化けたもので、主人公の汪に襲いかかるのでした。この湖のうえで怪しげなことをするものたちの正体は「銭塘の神に罪を犯したから、この洞庭へ逃げている」魚の精なのでした。
 その怪異を蹴散らした汪士秀おうししゅうは、「わしはまだ死んではいない。」と告げる父との遭遇を喜ぶのでした。ただそのあとの然るべき記載が無く、先祖と主人公が、一緒になったまま終わってしまいます。ふつう西洋の幽霊や日本の幽霊だったら、夜明けとともに日常に帰った主人公の目の前から、霊体は消えていって、それで先祖の鎮魂のために墓参りをするといった終わりかただと思うんですが、古い中国の志怪小説では、不滅の先祖というのが現れてふつうに生きているように描かれるのが、不思議な印象を残すように思いました。

 

死のなかの風景 原民喜

 今日は、原民喜の「死のなかの風景」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 戦争が終わって5年以上経った、1951年の晩春に発表された、戦争文学です。これは1944年ごろの関東への空襲と、妻の病死と葬儀と、原爆の投下前の広島へ疎開するところを描きだしたもので、当時の作者とかなり近い、現実の世界を活写した小説であるように思います。氏は当時、関東の映画会社に勤務していて、そこでの交流も少しだけ記していました。千葉と東京と広島の3つを描いていますが、いずれも原民喜がじっさいに見たものと感じたことを記しているように思いました。作中の、この文章が印象に残りました。「部屋は彼が中学生の頃の勉強部屋だったし、彼が結婚式をあげてはじめて妻を迎えたのも、その部屋だった。ほのぼのとした生の感覚や、少年の日の夢想が、まだその部屋には残っているような心地もした。」肺結核で1944年の晩夏に亡くなった妻の貞恵のことについて、いくつも記してありました。
 

0000 - 死のなかの風景 原民喜

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)

原民喜の「夏の花」を全文読む。
 
追記  葬儀と空襲と疎開とによって「ぼうとしてしまってい」て「幽霊のよう」な表情になってしまった「彼」のことが描きだされます。作中にこう記していました。「眼の前にひろげているのは、アナトール・フランスの短篇集だった。読んで意味のわからないはずはなかった。だが意味は読むかたわらに消えて行って、それは心のなかに這入はいって来なかった。今、彼は自分の世界がおそろしく空洞くうどうになっているのに気づいた。」
 当時の原民喜が熱心に読んでいたのはリルケの「マルテの手記」だったのですが、このことについては、本作には記されていませんでした。