立春の卵 中谷宇吉郎

 今日は、中谷宇吉郎の「立春の卵」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これはちょっと奇妙な随筆で、日付も珍しいもので1947年の4月1日の作品なんです。なんだか大がかりな話しで、ニューヨークと上海と東京で集団的に論じられ実験がおこなわれた「立春に卵は立つ」ということにかんするエッセーです。
 戦争が終わって1年ちょっと経った春の話しです。立春というと2月4日で、4月1日はエイプリルフールで、そこで永続的に倒れない、屹立した卵が出現した、という話しが記されている。魔法かなにかで卵が立つのか? という印象からはじまる不思議な話です。
 中谷宇吉郎というと博学な科学者であってその随筆は、ものごとと考えが整頓された、すてきなエッセーばかりなんですけれども、これはちょっとちがうんです。卵はくたっと転がるのが当然で、それがコロンブスでもないのに立ってしまう、ということについて書いています。「コロンブスの卵」の逸話ではふつうにやればけっして立たないことになっています。
 なぜ卵が立つのか、卵は立たないだろ、というのに、立った立ったという話が繰り返される。中国の古い文献には、立春にだけ卵が立つらしいのです。卵が立ったのならその裏側にトリックか科学的根拠があるはずだと言うことで、この卵が立つのかという平和な謎を、やたら深追いして論じているんです。
 底にちょっとした凹凸があって立ちやすい卵というのがどうもあるようです。カメラを三脚で立てるみたいに、タマゴの底の凸凹がちょうどうまいこと三脚みたいになっている生卵ならけっこうかんたんに立つようです。論理的に考えたらよほど不安定なものでもないかぎり、無風なら立つ可能性はあるんですけど、現実に立つかどうかは分からない。この分からないことについて、科学的に論じていて興味深いエッセーでした。最後の数ページがほんとにみごとなんです。推論と実験と検証、これを繰り返していった中谷宇吉郎の人生全体をもうすこし知りたいと思いました。
 中谷宇吉郎はほんの一文しか記していないんですけど、人類が核エネルギーを作ってしまったのちの、持続的な平和について思念しつつ、なんということもない卵について論じている、というところに戦争が終わった1年のちの世界を夢想させる力があるように思いました。

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