今日は、芥川龍之介の「発句私見」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
芥川龍之介と言えば、短編小説がもっとも有名だと思うんですが、今回は俳句のことだけを記しています。芭蕉の時代の発句(今でいう俳句)について記している、文学論なんです。
連歌の書き出しである発句に着目し、芭蕉が発句をつくることを好み、発句だけで成立する地発句をあまたにつくりました。この芭蕉の5.7.5の発句の創作から、のちの明治時代に子規の俳句という文学世界が作られてゆきました。俳句の元祖のような発句に、どのような芸術性があるのかを、芥川龍之介が読み解いています。
発句と俳句のちがいとして、発句には、季節は必要無い場合がある。「しかし季題は無用にしても、詩語は決して無用ではない」詩心がつぎつぎに広がっていって連歌になってゆく、その出発点として発句がある。
だから芭蕉の発句集を読むと、詩心の色濃さというのを感じられる。
芥川龍之介は芭蕉が作ったこの発句の詩心について注目しています。
行春を近江の人と惜しみける 芭蕉
なにか思いがつぎつぎに連なってゆきそうな詩心というのが、芭蕉の発句から感じられるのでは、と思いました。
ちょっと調べてみると、芥川龍之介は、子規の俳句よりも、芭蕉の発句のほうを重んじて創作していたのでは、と思いました。以下は芥川の発句なんです。
ぢりぢりと向日葵枯るる残暑かな
或夜半の炭火かすかにくづれけり
凧三角、四角、六角、空、硝子
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