発句私見 芥川龍之介

 今日は、芥川龍之介の「発句私見」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 芥川龍之介と言えば、短編小説がもっとも有名だと思うんですが、今回は俳句のことだけを記しています。芭蕉の時代の発句(今でいう俳句)について記している、文学論なんです。
 連歌の書き出しである発句に着目し、芭蕉が発句をつくることを好み、発句だけで成立する地発句をあまたにつくりました。この芭蕉の5.7.5の発句の創作から、のちの明治時代に子規の俳句という文学世界が作られてゆきました。俳句の元祖のような発句に、どのような芸術性があるのかを、芥川龍之介が読み解いています。
 発句と俳句のちがいとして、発句には、季節は必要無い場合がある。「しかし季題は無用にしても、詩語は決して無用ではない」詩心がつぎつぎに広がっていって連歌になってゆく、その出発点として発句がある。
 だから芭蕉の発句集を読むと、詩心の色濃さというのを感じられる。
 芥川龍之介は芭蕉が作ったこの発句の詩心について注目しています。
 
 行春を近江の人と惜しみける 芭蕉
 
 なにか思いがつぎつぎに連なってゆきそうな詩心というのが、芭蕉の発句から感じられるのでは、と思いました。
 ちょっと調べてみると、芥川龍之介は、子規の俳句よりも、芭蕉の発句のほうを重んじて創作していたのでは、と思いました。以下は芥川の発句なんです。
quomark03 - 発句私見 芥川龍之介
 ぢりぢりと向日葵枯るる残暑かな
 或夜半の炭火かすかにくづれけり
 凧三角、四角、六角、空、硝子quomark end - 発句私見 芥川龍之介
  

0000 - 発句私見 芥川龍之介

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
 

愛書癖 辰野隆

 今日は、辰野隆の「愛書癖」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 おおよそ百年前のパリの本屋のことから記しはじめている随筆です。調べてみると、100年後の今もセーヌ川左岸には古本屋が並んでいて多くの本好きが訪れているそうです。
 古今の珍書と読書狂のことをあまたに記していて、本を読むことよりも、珍しい本を買い集めることに熱中した男の話が書かれています。文化的な価値は無い誤植本を高値で蒐集し、複製が困難で写経が重大だった時代に、同じ本を探し出しては買い取ってすぐにそれを廃棄し、珍書の価値を高めてみたりという、常軌を逸したマニアについて書いていました。これが極まると、本泥棒になるのだ、という実例の記載になんだか笑いました。
 やっぱり本が貴重だった数百年前と今とでは、紙の書物に対する熱狂の度合いがちがうのでは、というように思いました。
 大英博物館にもルーブル美術館に実は盗品が展示されているという辰野隆の指摘もあり、興味を引かれました。
 

0000 - 愛書癖 辰野隆

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
 

細雪(63)谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その63を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 妙子の婚約者である板倉なんですが、板倉の手術が失敗してしまったようで「看護婦などは、この手術は院長先生の失敗です、ほんとうにお気の毒ですと云っている」……板倉は足が「痛い痛い」と云い続け、どうも「手術の時に何か悪性の黴菌ばいきんが這入って、その毒が脚の方へまわったものであるらしかった」という状態になっています。いろんな医者がやって来て、みんなどうにもできないということが分かってきてしまう。このページだけを読むと板倉は亡くなってしまう可能性がありそうで、緊急の手術がどうしても必要らしい。「母親は、どうせ助からないものならそんなむごたらしいことをしないで、満足な体で死なしてやりたい」と述べているところなのでした。
 原因としては、本文にはこう書いています。「櫛田医師の説では、耳の手術から黴菌が這入って四肢を侵すと云うようなことは、たとい一流の専門医が注意に注意して手がけても往々あり得る」
 ふたたび危険な手術をするのか、それとも痛みに耐えて自然治癒を重んじるのか、ということで親族でも意見が分かれてしまって、患者は苦しみ続けている、という状態が記されていました。事件らしい事件が起きない小説である細雪の中では、今回は急場が畳みかけられる展開になっていました。
 けっきょくは再び手術をして、足を切断するという結論に至り、安静にさせる注射を打って、病人は大病院へ運ばれていったのでした。
 次回で、細雪の上巻と中巻が完結し、物語は下巻へと展開してゆきます。
 

0000 - 細雪(63)谷崎潤一郎

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約20頁 ロード時間/約3秒)
当サイトでは『細雪 中巻一』を通し番号で『細雪 三十』と記載しています。『中巻三十五』は通し番号で『六十四』と表記しています。
「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。
  
■登場人物
蒔岡4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)
 

女類 太宰治

 今日は、太宰治の「女類」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 お酒でヘベレケになった作家の笠井氏が現れて、男女のことがらについてひどくまくしたてるという、短編小説でした。wikiに記されている太宰治の頁には、本稿に記されているような、男女間の出来事が記されています。これは虚構の物語で、作家の「笠井氏」が現れて、ひどいことを言って、殴られて地面に這い蹲る場面があるのですが、嘘の中にもなんだか太宰治の心情が、表出しているように思う箇所がありました。これは太宰治が戦後に記した、記憶の中に立ち現れる人々への、追悼の思いが色濃い創作なのではというように思いました。
 

0000 - 女類 太宰治

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
 

年とったカシワの木のさいごの夢 アンデルセン

 今日は、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの「年とったカシワの木のさいごの夢」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これはアンデルセンの代表的な童話で、題名どおりカシワの木が主人公で、生き物たちと話しこんだり、眠ったり、祈ったりする物語です。クリスマスの美しい情景とともに描きだされる、自然界のいのちのありさまを記す童話でした。
 

0000 - 年とったカシワの木のさいごの夢 アンデルセン

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
 
ぼくはこれをほとんど初見で読んで、アンデルセンの諸作の中でも、とくに優れた物語に思いました。子どもが読むための本なんですが、本作は大人が読める内容になっているように思いました。自然界の描写が現代人とは比べものにならないほど念入りに描かれていて、それが生きものの生老病死と繋がって記されるもので、秀逸な小説だというように思う作品でした。とくに前半に登場する、ほんの1日だけしか生きられないカゲロウと、数百年も生きるカシワの木の、心温まる会話劇がみごとであるように思いました。カゲロウの思いというのが、さいごのカシワの思いとも繋がっていて、作中の発言にあるように「わしの愛するものは、みんな、いっしょなのだ。小さいものも、大きいものも。みんな、いっしょなのだ」というところに印象深く響いてくる、クリスチャンの童話らしい童話というように思う作品でした。老いたアンデルセンがこの物語の中で生き生きと語っているような、童話に思いました。

秋の瞳(14)八木重吉

 今日は、八木重吉の「秋の瞳」その14を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回は、八木重吉のもっとも有名な詩「心よ」が記されていました。
quomark03 - 秋の瞳(14)八木重吉
 こころよ
 では いつておいで
 しかし
 また もどつておいでねquomark end - 秋の瞳(14)八木重吉
  
 作中に記された「いいのだに」という一文は、方言なのかと思ったのですが、調べてみると大辞泉という辞書では「いいのだからなあ」と「軽い感動の意を添える」という意味なのだそうです。または「いいのだから」という意味でも使われるそうです。
 

0000 - 秋の瞳(14)八木重吉

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)