サニンの態度 伊藤野枝

 今日は、伊藤野枝の「サニンの態度」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 良い男というのはどういうものか、というのを伊藤野枝が論じています。19世紀生まれの作家の中でもっとも自由に生きた、伊藤野枝が考える、理想の男性像のことを書いています。それはミハイル・ペトローヴィチ・アルツィバーシェフが描いた『サーニン』という男こそがすごいんだと言うのでした。伊藤野枝によれば、男の粋なところは、かたちに現れるのではなくて、態度に現れるんだ、という指摘が印象に残りました。

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追記  伊藤野枝の破天荒な思いがさんざん記された、一篇の随筆でした。作中の「アルツィバーシェフのサニン」というのは、かの文豪トルストイを批判的に捉えた、快楽主義的怪作ということで有名らしいです。こんどAI翻訳でロシア語のСанин (1907)を読んでみたい、なあと思いました。ぼくは伊藤野枝の作品が無闇に好きなんですが、その伊藤野枝がもっとも推薦する本は、この「アルツィバーシェフのサニン」という本なんだろうと思いました。
 

秋の瞳(50)八木重吉

 今日は、八木重吉の「秋の瞳」その50を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 風や沼といった自然界のみについて描きだした近代詩らしい詩に思いました。
 

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追記  ドロドロの沼はもう今は都市から消えたのだ……というような感じがしました。大河や海については今後千年以上は難しいことがあるとは思うんですが。この数百年で、沼に惑わされる町というのだけは消えていったのではと思いました。賢治や八木重吉の時代は、町のそばにどうにもならない沼というのがあり得たのでは、と思いました。

真夏日の散歩 原民喜

 今日は、原民喜の「真夏日の散歩」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 「八月の熱と光が街を包んでゐる」という一文が印象に残る、原民喜の短編を読んでみました。
 原民喜は平穏な作品も含めて、どれを読んでも唸ってしまう、すごい作家だと思うんですが、今回のは掌編というのか超短編です。
「八月の熱と光が街を包んで到る処の空間が軽い脳貧血を呈して」いる。「彼は見えない一つの糸に牽かれて、死にかかった身体を無理にひきずって歩いてゐた。」と書かれています。おそらく1946年かそののちに書かれた短編だと思います。

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★ 原民喜の代表作「夏の花」を読む。
 
追記  「顔が仮面のやうになってしまって、毀れものを運ぶやうにおづおづと身体を動かして」いる男のことを描きだした文学作品です。酷い苦の中にあっても、平穏無事に煙草を吸っていたころの記憶をたどって男は煙草を一本、吸ってみたいと思い、友人の「私」に煙草をもらいます。彼は「たった一本の煙草をさも重たげに指に挟むと、非常な努力を以て、それを吸はうとするのだった」と記されて、ありました。なぜこの小説は、あまりにも短くなってしまったのか、分からないので調べてみたのですが、執筆時期も発表年も分からず仕舞いでした。
 
原民喜の本をはじめて読む場合は「広島文学資料室」の原民喜の頁をまずご覧になることをお勧めします。

遊びの藝術 相馬御風

 今日は、相馬御風の「遊びの藝術」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは短歌について記したものなんですが短歌論というよりも芸術論というのか人生論というのか、壮大なことを含めて、思いのままに記されていった随筆でした。梁塵秘抄にも記されている「遊びをせんとや生まれけむ」における「遊び」ということが主題になったエッセーでした。
 

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追記はこちら。クリックで表示されます。

『幼少年時代の人間にとりては、遊ぶこと即ち生きることであるほどそれほど遊ぶことが重大な意義を持つてゐる。子どもばかりではない、すべての人間から遊ぶといふことを奪つて見たらどうなるであらう、「遊び」のない人生などは私達には想像することも出來ない。』という文章が印象に残る掌編でした。ドストエフスキーの長編文学とドストエフスキーのギャンブル狂いについて連想させられるもので、遊びと文学が融合した作品を、探し求めたくなる随筆でした。

細雪(98)谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その97を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 
 『細雪』は第101回で完結します。どうもあと数回で大波乱に至って暗い事態に突入するというようなことは、たぶん無いようです。物語の全体を振り返りつつ、次の暮らしへと進んでゆく姉妹たちを描きだすようです。谷崎は今回の物語で「それから数年後」というような、文学や映画ではよくある、時間の省略をしなかったのが、なんだかすごいなと思いました。
 戦争が終わったあとにその記憶を描くのと、現実の戦時中に戦時の緊迫した場面を描くのでは、ずいぶん雰囲気が違う、と思う箇所がありました。
quomark03 - 細雪(98)谷崎潤一郎
  カタリナから九月に出した手紙が先日来ましたが、自分の家は倫敦の郊外で、独逸ドイツの飛行機が飛んで来る通路に当っているので、毎日毎晩爆撃機の編隊が通り、盛んに爆弾を落すけれども、非常に深い完備した防空壕ぼうくうごうがあるので、そこに電燈をカンカンつけて、ダンスレコードをジャンジャン鳴らして、コクテルを飲んではダンスしている、戦争なんてとても愉快で、恐いことなんかちっともないって云って来ました、だから皆さんに心配しないように云って下さい、と、そう仰っしゃって笑って行っておしまいになりました、と云うのであった。quomark end - 細雪(98)谷崎潤一郎
 
 戦時中にこうは書かなかったのでは、と思いました。戦中に発禁処分を受けた『細雪』がその後どのように書かれていったのか、その裏事情はこうだったのではないか、というのが、雪子の縁談に関わっている国嶋氏の発言の箇所にあるように思いました。本文こうです。「こんな時代がそんなに長く続くものとは信じられないし、仮りに相当続いたとしたところで、その間の食いつなぎぐらい、何とでもなろうではないか」これが谷崎潤一郎の戦中戦後すぐの生きかただったのでは、と思いました。
 

※以下は物語の結末を含みます。クリックすると表示されます。

 妙子こいさんは、三好との子どもを安全に出産するために少し遠いところで一人暮らしをして静かにしており、お手伝いさんの「お春」が2つの安産お守りを届け、その様子をうかがいにゆくのですが、これはもう無事に子供が生まれるのだろうというようにしか思えない雰囲気でした。また雪子のフィアンセ候補である御牧も、裕福なんですが今後の仕事ぶりだけは少し心配があるのですが、そのあたりは念入りに相談しつつ、ぶじ結婚に至るのでは、という感じで物語が進んでゆきました。次回に続きます。

 

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当サイトでは『細雪 中巻一』を通し番号で『細雪 三十』と記載しています。下巻の最終章は通し番号で『細雪 百一』と表記しています。
「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。
  
■登場人物
蒔岡4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)
 

苦悩の年鑑 太宰治

 今日は、太宰治の「苦悩の年鑑」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 「時代は少しも変らないと思う。一種の、あほらしい感じである。」という文章から始まる、太宰治の小説を読んでみました。太宰治が敗戦後しばらく経ったのち、世相について論じながら、世間に対する思いを記してゆく小説でした。太宰治の数奇な文学人生の謎がすこし解けるような記載がありました。「曾祖父は養子であった。祖父も養子であった。父も養子であった。女が勢いのある家系であった。」これはいっけん事実っぽい記載なんですが、一部だけ事実で、他は小説の中での仮想の設定です。どうも父と子というところに繋がりを感じがたい太宰治の苦悩が描きだされているのでは、と思いました。
 

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追記  聖書とキリストについて深い考察を描きだすのが太宰治の諸作の特徴だと思います。苦悩を減じるという仏教的な思考が太宰治にはほとんど見うけられないのがなんだか危ういのではと思わせる、1946年の小説でした。