細雪(94)谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その94を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 けっきょくは、裕福な家同士でお見合いが進行して、本人同士も気分よく相手を好みそうな気配です。これが果たして、細雪の雪子の、結末なのかどうか、まだ不明です。お見合いに始まってお見合いに終わる物語を94話も読んでしまった……と思っているところです。
 それよりも気になるのは、細雪の第一話から出てきた井谷さんが米国に行ったり東京で新店をだしたりするのだけれどもこれがいったい戦中と敗戦を通して数年後にどうなるのかとか、雪子が、幸子や悦子と離ればなれになるのかということに意識が向かっていて、どうもお見合いのことについてはほとんど要点になっていないように思える章でした。
 全体を通して、お見合いというのはいくつもあるのですけれども、問題はどうも、家族がどう生きてゆくのか、姉妹の幸福がどのように続いてゆくのか……裕福な家庭に於ける、戦中と敗戦という世相との兼ね合いはどのようなものか、というところが中心にあったように思います。
 新郎候補として前回から登場しはじめた「御牧さん」は、最初からずっとこの物語の片隅にいたような、違和感の無い交際をしているのでした。
 家族にならない相手と、家族になる人の違いが見えてきたのかも、と思いました。じっさいにはまた破談に至るのかもしれず、どういう展開になるのか、知らずに読んでいるところです。
 今回は細雪を全篇読まずに、拾い読みをしてみたい人にはおすすめできる、細雪らしい、とくになにも起きない、物語全篇の気配が俯瞰できる章であると思いました。
 

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(総ページ数/約20頁 ロード時間/約3秒)
当サイトでは『細雪 中巻一』を通し番号で『細雪 三十』と記載しています。下巻の最終章は通し番号で『細雪 百一』と表記しています。
「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。
  
■登場人物
蒔岡4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)
 
追記 なんだか気になるのは「細雪」はほとんど、関西の三姉妹の物語なんですが、この三姉妹には大姉の鶴子が居てじっさいには四姉妹なんです。その大姉の鶴子だけが東京を拠点にしていて、鶴子はほとんどまったく物語に出てきませんし、ほとんど感情をあらわしません。いっぽうで関西の三姉妹はよく一緒に居て、みんな感情を出して家族と関わっています。今回は幸子と雪子が東京の美容院でなんだか困ってしまい、大阪弁で喋ることもはばかられるという場面がありました。東京と、関西で、謎の対立が起きているのでは、という描写が今回もちょっと、ありました。

働く町 夢野久作

 今日は、夢野久作の「働く町」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 夢野久作の代表作は極端に異質で怖ろしい作品なんですが、今回のは短い童話です。あるすてきな町に、一流のお医者さんが訪れる、という話しなのですが……。
 

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(総ページ数/約2頁 ロード時間/約5秒)
 
追記  医者が荒れ地に水路を造って、ほんとうに医を実現した、という別の時代の作品のことを思いだしました。

親鸞 三木清

 今日は、三木清の「親鸞」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これはなんだかむずかしい本で……親鸞の『教行信証』は思索と体験とが渾然として一体をなした稀有の書である、というところから書きはじめる、親鸞の思想を論じた書物です。
 本文で三木清はこう書いていました。「親鸞の文章には到るところ懺悔さんげがある。同時にそこには到るところ讃歎がある。懺悔と讃歎と、讃歎と懺悔と、つねに相応じている。自己の告白、懺悔は内面性のしるしである。しかしながら単なる懺悔、讃歎の伴わない懺悔は真の懺悔ではない。懺悔は讃歎に移り、讃歎は懺悔に移る、そこに宗教的内面性がある。親鸞はすぐれて宗教的な人間であった。懺悔と讃歎とは宗教の両面の表現である。」
 親鸞は諸行無常という現実にのみ留まることなく、現実主義というのか、親鸞の「思想の特色は在家仏教に」あって「芸術的観照から哲学的観想に進」んでさらにこの両者の「非実践的である」ところを乗り越えて「親鸞の思想はむしろ倫理的であり、実践的である」これが親鸞の特徴なのだ、と書いてありました。
 親鸞がなぜ「すでに僧にあらず俗にあらず、このゆへに禿の字をもて姓とす」と自身のことを書いたのか、そのことも三木清によって詳細に解き明かされていました。
 親鸞の教えは、あらゆる人を対象としていたので、例外なく誰も「念仏」をする人になりえるとしたことで、平等な思想があって、知力や努力や善行の積み重ねも重大視していなくて、過去に悪行をなした人であっても良く、出家の必要も無いのでした。親鸞は「弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばず、ただ信心を要とすとしるべし」と記しています。
 親鸞や仏者の「真俗二諦の教え」というのがなんだかいちばん印象に残りました。世間での社会生活では法やルールや組織の教えをしっかり守りつつ、内面では他力を重んじて、ただひたすらに念仏して信心を深く持つ……。
 

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追記  以下の記載が印象に残りました。
「親鸞の思想の特色は、仏教を人間的にしたところにあるというようにしばしば考えられている。この見方は正しい」
「親鸞はつねに生の現実の上に立ち、体験を重んじた」
 三木清は親鸞についてこう解説するのでした。親鸞は「知的なものよりも情的なものが深く」それゆえに「親鸞の教えにおいて体験の意義を強調することからそれを単に「美的なもの」にしてしまっている例は決してすくなくはない」ので注意すべきである、と書いていました。単に美的なもの、文芸的なものではない、親鸞の思想の、実践的で論理的なところについて解析をしていました。
 
「本当の真心というものはまことに得がたい。うそいつわりのある私の身には、清らかな心など全くないのだ」という親鸞の「懺悔」と「讃嘆」の箇所が引用されていました。「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」と親鸞は述べたのでした。
  
そのほか、中盤から仏教の歴史の流れと、仏教者の思潮の遍歴を記していました。親鸞が、迷信や鬼神を斥ける教えを書くために、孔子の論語を引用している箇所もありました。

 

秋の瞳(45)八木重吉

 今日は、八木重吉の「秋の瞳」その45を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 八木重吉が長く生きたのなら、今回の詩に書きあらわされたものを原典として、幻想的な童話を書いたのかも、しれないのではと思えてくる、巨人の詩でした。
 

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追記  こんな短いほんの三十一文字だけでよくここまで独自な、神秘の世界を描けるものだと思いました。

春の鳥 国木田独歩

 今日は、国木田独歩の「春の鳥」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは1890年代を描きだした実話的な物語です。豊後佐伯町で暮らしていた幼子の六蔵は知的障害があり、数を十まで数えることが出来ません。その六蔵と「私」国木田独歩とのわずかな時間の交流と、中座した教育の試みと、それから墓前に佇む母親の心情について描いています。母親と親族と隣人たちの関係性が印象に残る作品に思いました。
 

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(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
 
追記 これは1960年代中ごろまでは教科書にも載っていた作品ですが、その後はまったく読まれなくなった近代小説です。現代では近代作品の研究目的でのみ読まれる小説になっています。本作は実話も含まれますが、国木田独歩によると、幼子は夭折しておらず、事件の描写は小説上の虚構であるそうです。知的障害児への教育が実践されはじめるよりも四十年以上も前に書かれたもので、その点では先進的な作品であったようです。

ねむい アントン・チェーホフ

 今日は、アントン・チェーホフの「ねむい」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 現在と過去、夢とうつつ、生死、苦と安寧、善と悪、といったものが混然一体となって混じりあった文学空間が、赤ん坊の揺りかごを揺らす少女ワーリカを中心に展開されます。
 

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(総ページ数/約15頁 ロード時間/約5秒)
 
追記 そういえば「眠る」というのは睡眠と逝去の2つの意味を持つわけで、これはロシア語であってもそうなんだろうと思いました。最後の頁の次の空白に記されたはずの展開を、空想させられるような、みごとな終末の数行でした。