今日は、夏目漱石の「虞美人草」その4を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
哲学的な日記を書く「甲野さん」という男と、クレオパトラか清姫みたいになりたい「甲野藤尾」という女性の、この2人の関連性がまだあんまり描かれていないのですが、今回は甲野さんの哲学的な思考が記されてゆきます。また友人の小野さんという男がどのように生きているのかということも記されていました。
本文こうです。

小野さんは水底の藻であった。
京都では孤堂先生の世話になった。先生から絣の着物をこしらえて貰った。年に二十円の月謝も出して貰った。書物も時々教わった。祇園の桜をぐるぐる周る事を知った。知恩院の勅額を見上げて高いものだと悟った。御飯も一人前は食うようになった。水底の藻は土を離れてようやく浮かび出す。
小野さんは考えずに進んで行く。進んで行ったら陛下から銀時計を賜わった。浮かび出した藻もは水面で白い花をもつ。根のない事には気がつかぬ。
博士の傍には金時計が天から懸っている。時計の下には赤い柘榴石が心臓の焔となって揺れている。その側に黒い眼の藤尾さんが繊い腕を出して手招ぎをしている。すべてが美くしい画である。詩人の理想はこの画の中の人物となるにある。
小野さんはもともとはいじめられっ子だったんですが、たいへん優れた学力と学識があって、これから学者になろうとしています。それで将来有望な小野さんにたいして、妖女伝説が好きな甲野藤尾という女性と、恩師の娘の小夜という女性の二人が近づいてきているという状態のようです。
銀の鎖と、金の鎖というのが印象的に描かれているように思いました。
作中のタンタラスというのはギリシャ神話のタンタロスのことです。
装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約15頁 ロード時間/約3秒)
「虞美人草」の一から十九まで、全文を読む。(原稿用紙換算584枚)
夏目漱石『夢十夜』を全文読む。 『草枕』を読む。
※AIがまとめた要約はこちら。クリックで表示されます。
第四章 あらすじ(AIがまとめて、人間が書き直しました)
甲野の日記によれば、小野は「色を見て世を過ごす男」であり、「色の世界」に住んでいる。彼にとって世界は色で出来ており、形は色の残りものである。物の本当の姿や道理を論じるようなことに、小野はほとんど関わらない。小野はただ鮮やかな色だけを味わって生きている。
小野は暗い境遇に生まれた。私生児だと言う者もあり、子供の頃からいじめられ、犬に吠えられ、父が亡くなって家も失った。水底の藻のように、ただ波のままに漂うだけの人生だった。しかし京都で孤堂先生に引き取られ、着物や学費を出してもらい、ようやく藻が水底から浮かび上がるように生きられるようになった。そして東京へ出ると、周りが秀才だと褒め、教授が有望だと言い、そのまま流れに乗って進み、ついには陛下から銀時計まで賜わった。根のない藻が水面で白い花を咲かせたように、彼は成功の色を鮮やかに見せている。
普通、人は華やかな子供時代から次第に落ち着いた大人へと変わっていくものだ。しかし小野はその順序を逆にたどり、暗い土の中から明るい水辺へと、二十七年かけてやっと漂着してきた。東京に来たばかりの頃は、京都にいた頃のほのかな「紅」の色を恋しく思い、よく過去を振り返ったものだが、今ではその紅い点も遠く色あせ、彼は過去を見ることをしなくなった。今の彼はまるで薔薇のつぼみだ。未来を思い描けば、「博士」という金色の文字、天からぶら下がる金時計、赤い宝石の炎、そして黒い瞳の藤尾さんが手を招く、美しい絵が浮かぶ。しかし同時に、いくら近づいても水や果物が逃げていくタルタロスのように、すべてが壊れて消える不安な未来も思い描いてしまう。詩人である小野は、そうした明るい未来と暗い未来の間で揺れている。
ある日、机の前で悪い未来のことを考えていると、お手伝いさんが孤堂先生からの手紙を届ける。表書きを見ただけで小野ははっとし、事実を知るのが怖くて、首を出したら打たれる亀のように封を切るのをためらう。しかし意を決して封を切ると、恩師が家を売り払い、娘の小夜を連れて東京へ引っ越してくるという知らせだった。小夜は以前東京で学校に通っていたので上京を望んでおり、琴だけは自分の希望で持ってくるという。先生は手紙の中で「小夜の将来については、おおむねあなたも同じ考えだろうと思うので、ここでは書きません。東京で会ってからよく話し合いましょう」と書いている。
手紙を読み終えると、小野の目の前から美しい未来の絵は消え、代わりに手紙からは古びた過去の匂いが立ち上ってくる。彼はこれまで幸運にも過去に背を向けて未来だけを見て生きてこられた。しかし今、忘れようとした過去が、暗い夜に提灯の火が揺れるように、はっきりと自分に向かって迫ってくる。小野は部屋の中を落ち着かずに歩き回る。
そこへ京都時代の友人である浅井がやって来る。浅井は「井上孤堂先生の小夜さんが東京へ来るんだってな。いよいよ結婚するんだろ」と何気なく尋ねる。小野は「いや、そこにはいろいろ深い事情があってね。向こうが一人で決めてしまっているらしいし」と、はっきりしない答えでごまかす。浅井が恩賜の時計を羨ましがりながら帰った後、小野は迷いながらも自分の足で甲野の家へと向かっていく。
■ 主要登場人物
小野(優れた学者のたまご。惑っているところがある)
甲野さん(哲学的な日記を書く男)
甲野藤尾(妖艶な伝説にあこがれる美女)
小夜(井上孤堂の娘で、小野と結婚したい)
追記 漱石の本の中でいちばん、くりかえし読める本はこの「虞美人草」なのでは、というように思えてきました。小野さんがどうなるのか、というのがこの小説の中心にあるようです。