カメラをさげて 寺田寅彦

 今日は、寺田寅彦の「カメラをさげて」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 寺田寅彦の随筆は、どれを読んでも楽しいのですが、ぼくはとくにこの随筆が好きになりました。寺田が趣味のカメラについて記しています。
 古いものと新しいものが混じりあった都市の風景のことを「仲よくにぎやかに一九三一年らしい東京ジャズを奏している」と記します。寺田寅彦がカメラのファインダーを通して異国の文化の歴史にまで思いを馳せるところが印象に残りました。
 
 日本人は他国と比べて、風景に深いこだわりを持っている、という指摘は、たとえば道路の密度が世界1位だったりする事実とも関わりがあるようで、日本は住めないほどの急勾配の山岳が多い土地柄の中で、地形と住み家の絡み合いがどこの国よりも色濃いから、みんな風景を念入りに見たがるのではないだろうかと思いました。
 寺田寅彦は、近代の日本の観光客は「山水の美の中から日本人らしい詩を拾って歩く」というんです。すてきな随筆だなあと思いました。
 またシベリアの人々にとっては「どこまで行っても同じような景色ばかり」なので「風景という言葉は存在理由がないはずである」と言っているのですが、まさにドストエフスキーの長編文学の特徴は、風景描写を徹底的に廃して人間だけを書くところにあって、寺田寅彦は鋭い指摘をしているように思いました。
 あと、寺田寅彦の手にしているカメラはモノクロの原始的なカメラなんですから、いちょうの並木の美しさがカメラに納められない、ということを書くわけです。「いくらとっても写真にはあの美しさは出しようがない。」という指摘が面白いと思いました。寺田寅彦は近代に誕生した、原初のモノについて熟考して語ってくれているので、機械の致命的な欠点が端的に述べられていて、現代社会を見るときに見落としがちなことを指摘してくれるのが興味深いんだと思いました。

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