上野 永井荷風

 今日は、永井荷風の「上野」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 上野の桜と不忍池について、永井荷風がその歴史を記しています。吉野の山からもらってきた桜の種で、上野に桜を咲かせた人々が居たようです。ほかにも枝垂桜や八重咲の桜のある社寺について記しています。永井荷風は漢詩人の森春濤の墓参りをしている。森春濤についてはwikipediaにも記されていました。しだれ桜の美麗さがもっとも良いと、永井荷風が記しています。グーグルでこれを眺めながら、百年前の散歩について想像をめぐらせました。
 永井荷風は、根津遊郭についていろいろ記しているので自分でも調べてみたのですが、wikipediaにはこう記されていました。
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  東大生だった文豪の坪内逍遥は根津で見染めた遊女・花紫を後に妻に迎えているquomark end - 上野 永井荷風
 
 百数十年前と今では文化がずいぶんちがったように思いました。松本清張がこのことを取材して小説にしているらしいです。連続ドラマかなにかで、このことをもっとちゃんと知りたいなあと思いました。本文こうです。
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 根津の遊里は斯くの如く一時繁栄を極めたが、明治二十一年六月三十日を限りとして取払われ、深川洲崎の埋立地に移転を命ぜられた。quomark end - 上野 永井荷風
 
 これらの遊郭は戦後にもいちおうは残っていたようですがwikiを調べると1958年(昭和33年)ごろの法律改正によってほぼ無くなっていったようです。永井荷風と坪内逍遥は、遊里と深い関わりのある人生だったんだなあと、改めて思いました。
 政府によって移転を命じられて、ごく一般的な温泉街に変化していった遊里がおおかったようです。いま、コロナ禍で世界中の業態が大きく変化している最中であると思うので、この遊里の変貌についての記載は印象深かったです。
 駅の停車場が公園に近すぎて景観が損なわれている、上野公園の風趣について永井荷風がいくつかの問題点を指摘しています。昭和2年の随筆でした。
 

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