かのように 森鴎外

 今日は、森鴎外の「かのように」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 小倉百人一首と天皇家の関係性を読解した戦後小説家の随筆がおもしろくて、なぜ学者よりもくわしく書けるんだろうか、と不思議に思ったことがあるんですが、森鴎外は今回、近代日本人の宗教性について、秀麿という若い青年を登場させて論じさせています。若者の好奇心と学者の研究意欲の両面を併せもつのが作家なのでは、と思いました。
 神道はそういえば、文字に頼らない方針なのか、神道の本というのがとても少ないように思います。物語論や大衆論から宗教を読み説く、森鴎外の言説が興味深かったです。
 漱石も記した、高等遊民である主人公が、ものを思ってものを言う。「かのように」という言葉は後半の70%あたりから30回ほど登場します。友人の綾小路にたいして、主人公の秀麿はこう述べます。
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  人間の智識、学問はさて置き、宗教でもなんでも、その根本を調べて見ると、事実として証拠立てられない或る物を建立している。即ちかのようにが土台に横わっている
 (略)
 君がさっきから怪物々々と云っている、その、かのようにだがね。あれは決して怪物ではない。かのようにがなくては、学問もなければ、芸術もない、宗教もない。人生のあらゆる価値のあるものは、かのようにを中心にしている。昔の人が人格のある単数の神や、複数の神の存在を信じて、その前に頭を屈めたように、僕はかのようにの前に敬虔に頭を屈める。quomark end - かのように 森鴎外
 
 真面目であるがゆえに八方塞がりの状況を感じている、青年たちの語り合いがなんだか、若き日の漱石と鴎外の対話のようで印象に残る、すてきな小説でした。
  

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