政事と教育と分離すべし 福沢諭吉

 今日は、福沢諭吉の「政事と教育と分離すべし」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 福沢諭吉はこう述べています。
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 政治は人の肉体を制するものにして、教育はその心を養うものなり。ゆえに政治の働は急劇にして、教育の効は緩慢なり。quomark end - 政事と教育と分離すべし 福沢諭吉
 
 政治は、農業や産業といった、さまざまな業態を、状況にあわせて増やしたり減らしたりということをおこないます。「政治の働は、ただその当時に在りて効を呈するものと知るべき」と福沢諭吉は言います。人びとの動きを制御するわけですが、人がどう生きるのかというのは、心の問題であって、教育によるしかない。信号機は、道路にいる人の動きを停止させるわけですけど、人が道を進んでどこに行くのかは心が決めるわけで、それは教育によってゆるく変化させてゆくしかない。
 今まさに停止してもらうには、信号機や政治が必要だけど、長期的に見てどこに行くのかは、政府は関われない。教育ならこれは論じられる。
「心の運動変化は、はなはだ遅々たるを常とす」そして「人生の教育は生れて家風に教えられ、少しく長じて学校に教えられ、始めて心の体を成すは二十歳前後にあるものの如し」さらに「その実際は家にあるとき家風の教を第一として、長じて交わる所の朋友を第二とし、なおこれよりも広くして有力なるは社会全般の気風に」よるところが大きい。
家の考え、近しい友の考え、社会全体の考え、それと教育による考え、これで文武や芸がそれぞれの個人の中で形づくられる。けっきょくは、社会全体の考えというのが、人の心を教えて、強い影響を与える。
 今回の福沢の主張としては、戦国時代の終わりごろから文字の教育が成立していった、それまでは「文字の教育はまったく仏者の司どるところなりしが、徳川政府の初にあたりて主として林道春はやしどうしゅんを採用して始めて儒を重んずるの例を示し、これより儒者の道も次第に盛に」なった。
「全国の士人がまったく仏臭を脱して儒教の独立を得るまでは、およそ百年を費し」たそうです。
 教育の効果は、ひじょうにゆっくりとしていて遅いわけで「政事の性質は活溌にして教育の性質は緩慢なり」ということを述べ、その政治と教育が入り混じってしまうと「弊害」が生じる。緊急医療のように今すぐに効果を生じさせるのが政治で、急を要する政治というものを、教育と混ぜてしまうと、言ってみれば、緊急手術に必要な麻酔薬そのものを、日常の食事に繰り返し混ぜるような、異様なことになってしまう。
 福沢諭吉は「ただ政治上の方略に止まるべきのみにして、教育の範囲に立入るべからず」と記します。
 「政教分離」とか「文民統制」といった、wikipediaの頁と一緒に読んでみました……。
 僕は十代後半で技術系の学校に通っていたという自認があるんですが、じっさいに長期的に働くためには、なんらかの技術を身に付けたほうが人生がうまく進展するような気がします。福沢諭吉は、教育は、遅く作用するものを中心にすべきで、政治の要請に完全に従った急ごしらえの訓練形式の教育は、これは間違った教育だと、たぶん言うのだろうなあと、思いました。「数十百年を目的にする教育」が必要だと、述べていました。ゆっくり進展する教育……。
 福沢諭吉は、政治が廃刀令を出して士人の心が変化したというのはまあ、妥当な政策だったけれども、この廃刀というのを教育で、同じように短期間で実現しようとした場合、急激に教えることになって絶対に無理がある。政治がすべき行いと、教育がすべき行いは、まったくちがうと、書いています。ちょっと正確性を欠く記載なので、詳しくは本文をご覧ください。「実に政治は臨機応変の活動にして、到底、教育の如き緩慢なるものと歩をともにすべき限りに非ず」と福沢諭吉は言います。
「教育の即効を今年今月に見んとする」のは辞めたほうがいい。
「学校の教育と」「政事とを混一して」たいへん粗暴な状態になったことがある、という実例も書いていました。福沢諭吉の「目的とするところは学問の進歩と社会の安寧」であってそのためには「政教の二者を分離して各独立の地位を保た」せ「政事は政事にして教育は教育なり」とすることがだいじで「相近づかずして、はるかに相助け」よ、と告げています。
 

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追記   むかし、今すぐに改革すべき喫緊の問題に、教育者がほとんど関われないのは、いったいなぜなんだろうと思ったことがあったんですが、その謎がちょっと解けたように思いました。教育の効果は遅い……二十年後になって納得する助言をしてくれた人が、教育に聡い人だ、と言える気がしました。