わが町 織田作之助

 今日は、織田作之助の「わが町」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回は、日本が帝国主義と植民地政策を行っていた時代の、マニラに生きた人びとの物語です。バギオやバターンという地名が出てくるのですが、日本の帝国主義が終局に於いてもたらしたものは「バターン死の行進」日本軍の餓死者というような事態の連続だったのですが……織田作之助はその数十年前の状況を描いています。植民地政策の時代の日本人がどうやって暮らして、どのような不幸があって、なにを考えて生きていったかを丁寧に描いてゆくんです。明治三十七年(一九〇四年)から昭和にかけてのマニラと日本の出来事です。
 日本からマニラへの移民は、はじめは農民や炭鉱労働者などが主体で、開拓の仕事をやるために行ったんです。それが織田作之助が書くように「移民というよりは」「避難民めいた」状況で、「すべては約束とちがっていた」「脚気のために死んだ者が九十三人であった。マラリヤ、コレラ、赤痢」などの病で次々に亡くなっていった。
 二輪車で「客を拾って、他吉が走りだすと、君枝はよちよち随いて来た」。「マニラで死んだこの娘の父親がいまこの娘と一しょに走っているのだという気持」で祖父の他吉は、孫娘の君枝を育てていた。
 貧困と事故の問題が、現代の物語よりも深く考察されているように思いました。君枝という主人公の活発な生き方の描写がみごとで、これはおそらく、織田作之助の家族が実際に明るいから、ここまでリアルに描けるのだろうと思いました。終盤に、船の引き揚げの仕事をしているのですが、夫婦で働く姿の描写がすごかったです。この「わが町」という作品は新藤兼人監督のお師匠である溝口健二がつくった映画を小説にした作品なのだそうです。
 

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