狂気の山脈にて H. P. ラヴクラフト

 今日は、H.P.ラヴクラフトの「狂気の山脈にて」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 南極の大陸に、古代生物の化石を探しもとめに行った数十人の調査隊の物語なんですが、序盤は本物のドキュメンタリー番組みたいに、事実にそっくりな南極の冒険が語られてゆきます。異変が起きていない時点ですでに、そうとう魅力的でした。ピーボディ型掘削装置で、南極と古代の謎を解き明かしてゆく。一九三〇年の十月に南極圏に突入する。「高々とそびえ立つ雪を戴いた途方もない山々の連なりが出現」し「恐ろしい南極の風が孤絶した山頂で間歇的に吹き荒れ」て「エレバス山」という地球最南端の活火山に至るんですけど、ここまではかなり事実に近い描写なんです。調査と研究は思いのほか順調に進行し、科学史に残る発見がつぎつぎに成されてゆく。その中で、調査隊員のレイクが、南極基地を遠く離れて、1万メートルを超える狂気の山脈に地層の調査に行くと主張しはじめ、多くの隊員と資材を費やして「五億年以上前の標本を採取」しに旅立っていった。そこでレイクとゲドニーは「新たに見いだされた地球内部への門、失われた悠久の昔への門」を開き、つまり「洞窟を掘り当てた」んです。永久凍土に閉ざされた大地には「初期の貝類、硬鱗類や板皮類の骨、迷歯類や槽歯類の遺残物、大型モササウルスの頭蓋骨の破片、恐竜の脊椎骨と装甲板、翼竜の歯と翼の骨」といったものがあまたに遺されていた。レイクは「少なくとも三千万年の間、現在のように乾燥して生物のいない状態のまま外部との交流を断っていたと結論」づけ「世界のこの部分では、三億年もの昔の生命からわずか三千万年前の生命にまで亘る、顕著かつ無二の連続性が存在してきた」古代生命史のなまなましい遺構を発見するんです。
 ここからだんだん、事態がおかしくなってゆきます。レイクが発見したものは、まだ生きているのではないかと思えるような、古代の生物たちです。「見かけこそ海星に似ているものの明らかにそれ以上の何かだった。部分的に植物だが四分の三は動物に本質的な構造を備えていた」んです。レイクはこの生きものを「旧支配者」と名付けます。無線連絡で、南極の基地に驚くべき発見の数々が伝えられます。皆が沸きかえります。しかし翌日から、レイクたち調査隊からの連絡が途絶えます。「私」は南極の最奥で行方不明となったレイクたちを探す捜索隊を結成して、レイクが立ち入った南極の深奥へ向かいます。本文こうです。
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 南極の赤い陽に照らされ虹色に光る細氷の雲を挑発的な背景としたそれらの姿は次第に奇妙な幻想的な感じになっていった。光景全体に消えることのない驚くべき秘跡と陰に潜む天啓の仄めかしが行き渡っており、あたかもこれら殺風景な悪夢の尖塔が、禁断の夢幻界へと、遠い時空と超次元の錯綜した淵へと至る恐怖の門口を示す目標塔となっているかのようだった。あれは邪悪だ、私は否応無しにそう感じた——狂える山脈だquomark end - 狂気の山脈にて H. P. ラヴクラフト
  
 ここからは完全にネタバレとなるので、未読の方は本文を先に読んでもらいたいのですが……。連絡が途絶えた調査隊の一行はやはり大事件に巻きこまれていた。「ゲドニー青年は行方不明」で「全てが風に裂かれて損傷し搬出するに適さない状態になって」いて、何が起きたのかまるで分からない。「生き残った隊員の中で本物の操縦士と呼べるのは四名——シャーマン、ダンフォース、マクタイ、及びロープス——だけだった」レイクが調査し報告してきたものの真偽については「我々が見つけ得たのは損傷した一体のみだったが、そこからレイクの説明が完全かつ感銘を受ける程に正確だったことが十分証明できた」と記しています。生き延びた調査隊員たちは、命からがら、米国に帰郷します。主人公「私」は、この世紀の大発見と南極での大惨事について、ごく一般的な報告だけは、新聞社や政府に対して詳細に述べたのですが、どうしても言えなかった狂気的な事態については、ダンフォースと共に、沈黙を守りつづけたんです。ところがあらたに、レイクに続けということで、さらなる南極調査隊が今まさに出航しようと準備を続けていることを知った「私」は、南極での狂気の事態について、告発するために、この「狂気の山脈にて」という本を書き記して広く世間に訴えかけることにしたんです。
 吹雪で死んだということになっていた探検隊について「私」はこう記します。「なにより異常だったのは、無論のこと、遺体の状態だった——人間だけでなく犬のも。それらは全て何らかの恐るべき闘争状態にあって、全く以て説明不能な悪魔めいた方法で切り裂かれずたずたになっていた。死因は全例とも絞殺ないし裂傷だった」「非人間的なやり方で切開され内部を抜き取られていたものがあったと。犬も人も関係なかった。健康でよく肥えていた者たちの死体は、四本足のも二本足のも、注意深い食肉解体処理作業員がするように殆どの固形臓器を切除され持ち去られていた」さらに「気違いじみた五芒星形の雪の塚の列」が存在していた。つまり南極でえいえいと生き延びてきた怪物にやられたとしか思えない状態だった。キャンプ隊が狂気におちいって自滅したのか、酷寒の自然界の内部から立ち現れたなにかによって滅ぼされたのか、そのどちらに判断すべきか分からないまま、物語は語られてゆきます。さらに現地の調査を進めて行くと、おそるべきものが立ち現れます。「蜂の巣状になった山脈の上に建つ大神殿」がそびえたち「都市は四方八方にどこまでも広がり、ほとんど疎らになる様子がなかった」レイクが発見したとおぼしき洞窟に「私」は立ち入ります。「アーチ形をした通廊の出口は巨大遺跡にしては驚くほど背が低かったが」、「先には途方もない大きさの円形空間が広が」っていたのです。そこにレイクの遺品と冷凍保存された行方不明者ゲドニー青年の遺体が転がっていた。「私」は「我々を取り巻く永劫の死都」に奇妙な声を聞きます。
 南極の最奥から脱出しようというときに、とつぜんごく普通の南極ペンギンが一羽ギャーギャー鳴いているのに気がつくんです。ずいぶん不思議な描写でした。どうも南極大陸の深奥にある巨大神殿の闇に生きる、未確認生物たちと、このなんでもないペンギンは意外と問題なく共存していたというのが明らかになる。この想定外の事態がおもしろかったです。
 その謎の生物は、軟体で粘液質で半透明の、意味不明な生物で、どうも原始的人類なみの知性があるようなんです。大きささえよく分からない。本文こうです。
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  悪夢めいた暗い虹色の可塑的な円柱が腐臭をまき散らしつつ直径五メートルの膿瘻いっぱいにじくじくと広がり不浄なる速度を加え進路上には再び募り行く青白い深淵の蒸気が螺旋を巻いていたのだ。いかなる地下鉄車両よりも大型な、名状し難い恐怖のもの——泡立つ原形質の形なき堆積、微かな自己発光を呈し、トンネルを埋め尽くす前面全体に数多の一時的な眼球が緑光を放つ膿疱の如くかつ消えかつ結び、半狂乱のペンギン達を押し潰し……quomark end - 狂気の山脈にて H. P. ラヴクラフト
 
 というようにのみ記されていて、怪物の全体像は明記されていないんです。霞の中に、一瞬見てしまった、怪物の姿、その姿が脳裏に焼きついて、ずっと恐怖をもたらしつづけている。ラヴクラフトはこう記します。「人類の平和と安寧のためには、地球の暗く死滅した片隅と底知れぬ深淵の一部をそっとしておかねば……」
 えんえん続いてゆく、狂気の深淵からの脱出の道のりを文章で辿るのが、いかにも怪奇小説の読書という感じで楽しめました……。
  

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