デカダン文学論 坂口安吾

 今日は、坂口安吾の「デカダン文学論」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 坂口安吾は戦後になってから、特攻隊だった男たちにかんして繰り返し論考した、というのが特徴的だと思うんです。これはどうしてそういうことを重大視したのか、まだあまり読めていないぼくにはわからなかったのですが、今回の論考で「破滅」と「健全」の対比が記されていて、少しだけ理解ができました。批評や哲学は、今まで誰も否定しなかったような根本的な事柄を覆して、新しい考えを提示することがあると思うんですけど、そういう批評というか、近代文学への批判を坂口安吾が行っています。坂口安吾の本を読むとまいかい思うのですが、安吾は序盤の記載が読みにくく、後半になるにしたがっておもしろくなるという独特な文体になっていると思います。
 藤村の罪の喧伝に関する欺瞞……「藤村はポーズを崩す怖れなしにかなり自由に又自然にポーズから情慾へ移行することが出来易かつたのだ」という箇所に於ける批判や、漱石の自死描写にかんする不誠実さへの批判が印象に残りました。とくに漱石に近しく漱石文学を敬愛した近代文学者は不幸な死に方が多かったので、安吾の批判は戦中戦後の日本文学の最大の問題を正確に指摘しているように思いました。それにしても漱石や藤村が文学に関して欺瞞に満ちているのなら、欺瞞を排した人はほとんど一人も居ないことになるのでは、と思いました。
 中盤で安吾はこう記します。
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  美しいもの、楽しいことを愛すのは人間の自然であり、ゼイタクや豪奢を愛し、成金は俗悪な大邸宅をつくつて大いに成金趣味を発揮するが、それが万人の本性であつて、毫も軽蔑すべきところはない。そして人間は、美しいもの、楽しいこと、ゼイタクを愛するやうに、正しいことをも愛するのである。人間が正しいもの、正義を愛す、といふことは、同時にそれが美しいもの楽しいものゼイタクを愛し、男が美女を愛し、女が美男を愛することなどと並立して存する故に意味があるので、悪いことをも欲する心と並び存する故に意味があるので、人間の倫理の根元はこゝにあるのだ、と私は思ふ。quomark end - デカダン文学論 坂口安吾

終盤の記載がすごいと思いました……。

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