今日は、夢野久作の「能とは何か」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
これは夢野久作とその若い友人が作った能の芸術論です。
スイス近辺のエスペランティスト(エスペラント語使用者)の外国人青年が夢野久作のところへやって来て、能について議論をし、その対談をもとに原稿にしたものなんです。読んでみると大半が、夢野久作の考察に思えますが、聞き手というのか問いを立てているのは、エスペランティストの青年であるように思います。
夢野久作は、能の魅力について「何だか解からないが幻妙不可思議な」作品で「面白くないところが何ともいえず面白く」感じられてくるのであると書いています。夢野久作によれば、日本人の9割以上が能を嫌っている、と前半に記しています。その理由は「シン気臭い」し「退屈で見ていられない」もので「能というものは要するに封建時代の芸術の名残りである」し「進歩も発達もない空虚なもの」ということなんです。ところが、外国の研究者や、能に関わった日本人は、能の芸術の魅力を大いに見いだしているのでした。
本文こうです。
能ぎらいの人々の中の百人に一人か、千人に一人かが、どうかした因縁で、少しばかりの舞か、謡か、囃子かを習ったとする。そうすると不思議な現象が起る。
その人は今まで攻撃していた「能楽」の面白くないところが何ともいえず面白くなる。よくてたまらず、有り難くてたまらないようになる。あの単調な謡の節の一つ一つに云い知れぬ芸術的の魅力を含んでいる事がわかる。あのノロノロした張り合いのないように見えた舞の手ぶりが、非常な変化のスピードを持ち、深長な表現作用をあらわすものであると同時に、心の奥底にある表現慾をたまらなくそそる作用を持っている事が理解されて来る。どうしてこのよさが解らないだろうと思いながら誰にでも謡って聞かせたくなる。
また熊の一種で「四ツの手足が無い」「能」という獣が居る、手足が無いのに「物の真似がトテモ上手で世界中のありとあらゆるものの真似をする」その能というけだものと、舞台芸術の能は、通底している……という架空の獣の話しが印象にのこりました。
中盤からは、真面目に能の芸術性を論じて、後生への伝承のしかたについて書いています。
能とは要するに、人間の表現慾の極致、芸術的良心の精髄を、色にも型にも残らぬ型というものによって伝えて行くものである。……
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追記 おわりに、蝶の美と、能の美の共通項について論じているのが印象にのこりました。これが夢野久作の芸術論であり美学論なのだろうと思いました。
「蝶のあの美しい姿は開闢以来、あらゆる進化の道程を経て、あの姿にまで洗練されて来たものである。」「蝶の舞いぶり、鳥の唄いぶりが、人間のそれと比べて甚しく無意味であるだけそれだけ、春の日の心と調和し、且つその心を高潮させて行くものである事は皆人の直感するところであろう。」「人間の世界は有意味の世界である。大自然の無意味に対して、人間はする事なす事有意味でなければ承知しない。芸術でも、宗教でも、道徳でも、スポーツでも」「能はこの有意味ずくめの世界から人間を誘い出して、無意味の舞と、謡と、囃子との世界の陶酔へ導くべく一切が出来上っている。」







