些細な事件 魯迅

 今日は、魯迅の「些細な事件」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
「わたし」はある日、人力車にのって急いで仕事場に向かっているときに、おばあさんとこの車夫がぶつかってしまった。この小さい事件を追った、魯迅の短編小説です。
  

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追記  はやく仕事場に向かってほしいとしか思っていなかった「わたし」を放置して、車夫は自分でこの老婦人をひいてしまったことの責任をとろうとして、倒れたおばあさんを助け起こして、交番に向かってしまった。「わたし」は1人、車の中に取りのこされてしまった。
 このミスをしたはずの車夫の、もの言わぬ背中が、急に、なによりも大きく山のようにそびえ立っているように見えた。本文こうです。
quomark03 - 些細な事件 魯迅
  全身砂埃を浴びた彼の後影が、刹那に高く大きくなり、その上行けば行くほど大きくなり、仰向いてようやく見えるくらいであった。quomark end - 些細な事件 魯迅
「わたし」は思わず、巡査に向かって、おばあさんを助けたあの車夫に銅貨を渡しておいてください、とお願いをして立ち去ってしまいます。「論語」の言葉はなにも思い出せないのだが、この小さな事件の記憶だけはいつも「わたし」のなかで蘇ってくる、と記していました。「論語」ではおもに、こう説いています。「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」間違っておいて改めない、というのがほんとうの過ちである。「学びて思わざれば則ち罔し」ただ暗記するだけで思い巡らすことが無かったら、何も見えてこない。「わたし」は作中で、こういった論語の言葉をどこかで学んだはずなのに、すっかり忘れ去ってしまって1文字も思い出せないで、いるのでした。

 

十年 中島敦

 今日は、中島敦の「十年」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 中島敦といえば中国やアジアを舞台とした文学作品が代表的かと思うのですが、今回はフランスのことを記した作品でした。
 「十六歳の少年の僕は」草原で青空を見上げながら、将来どんな大人になろうかと考えていた。そのころはありとあらゆる可能性を感じていて……「大文豪、結構。大金持、それもいい。総理大臣、ちょっとわるくないな。全くこの中のどれにでも直になれそうな気でいたんだから大したものです。」という記載から始まり、若いころに憧れたフランス文化について、永井荷風や上田敏の作品を引用しつつ、海の向こうへの思いを描きだした、おおよそ百年後のいま読んでみても、なんだか魅了されるエッセーでした。
 

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作中で、中島敦がヴェルレーヌを引用しています。この詩の全文はこうです。
  
秋の歌   ポール・ヴェルレーヌ
 
秋のバイオリンの
長く切ないすすり泣きが
僕の心に
静かな傷を残す
 
灰色の空 息もできず
遠くで 時計が鳴れば
思い出す あの日々を
目の奥が熱くなる
 
僕は歩く 冷たい風に
どこへともなく 運ばれて
右へ 左へ さまよいながら
枯れ葉のごとく
漂いゆく
(上記の詩はAI翻訳に修正を加えたものです。)
いっぽうで上田敏訳ではこうなんです。
 
落葉   ポオル・ヴェルレエヌ
 
秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。
 
鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。
 
げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。
 

感覚と科学 寺田寅彦

 今日は、寺田寅彦の「感覚と科学」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 近代の物理科学は、五感や人間的感性をなるべく関わらせずに、自然界を観測できる方法を作った、というように寺田氏はまず説明しています。それは「anthropomorphism からの解放」つまり「擬人観からの脱却」を意味すると、書いています。
 科学小説で、火星生物がタコだったり、火星人が赤い人間っぽかったりするのを見ると「ぜんぜん科学の小説じゃ無い、ただの夢小説だなあ」と思うわけですが……近代の科学とは「擬人観から解放されている」のである、と寺田寅彦は指摘しています。同時に寺田氏は、観測者の眼や耳や指先を切り取って、はたして客観的観察というのがほんとうにできるのか、それが実験科学として意味を持っているのか、という考察をしています。五感の能力を重んじることによって、科学の重要ななにかが構築されたのでは、というように思いました。
 進歩した科学的観測装置よりも、じつは人間の五感は優れている可能性が高い。たとえば食事が腐っているのかどうかも、人間の舌はまずいものを不味いと、一瞬で判別できてしまうのですが、成分分析はものすごく時間がかかるし、写真解析やAIでは食べ物が腐っているかどうかはどうも判別できない場合が多い。機械的な数値よりも、自分の舌を信用したほうが良い。
 眼が見えない人は、その指先でお皿を水洗いすることによって、食器の汚れを正確に感知することが出来るし、偽札と紙幣をしっかり指先で見分けられるのでした。
 

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追記  寺田寅彦は、本論の後半で、五感を上手く利用しつつ、心理的なものによって観測を見誤らないよう、注意喚起をしていました。
 

ごわごわごむ靴 櫻間中庸

 今日は、櫻間中庸さくらまちゅうようの「ごわごわごむ靴」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
これは、ゴム靴が想定外のところに収まってしまう物語で、100年後に読むとなんだが妙にリアルな童話でした。川底の観察がみごとな、児童文学でした。

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昔を今に 宮本百合子

 今日は、宮本百合子の「昔を今に」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 戦中の1940年春の食糧不足の中、自宅の側に空き地のある世帯には、十坪以内で自給自足するための、馬鈴薯の種を配給するという新聞記事が載っていたことについて、庭いじりをしながら、都市の行く末と近代家庭の世相を読み解いた、宮本百合子の掌編でした。
 

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追記 短いですけれども、名随筆という印象の作品でした。このあと8年近く、近代でもっとも飢餓が深刻だった時代が来ると思って読むと、宮本百合子の言葉が響いてくるように、思いました。宮本百合子は〔昭和一五年〕と書かずに〔一九四〇年〕と書いたところにさえ、なにか無意味に感心してしまう作品でした。あるいは当時の編者が末尾に西暦を入れたのかもしれないとか、なんだかいろいろ空想してしまう随筆でした。
 

戯れ アントン・チェーホフ

 今日は、アントン・チェーホフの「たわむれ」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 梶井基次郎はこのチェーホフの「悪戯たわむれ」を、以下のような文体で一部翻訳しています。
 
「乗せてあげよう」
少年が少女をそりに誘う。二人は汗を出して長い傾斜をいてあがった。そこから滑り降りるのだ。――橇はだんだん速力を増す。首巻がハタハタはためきはじめる。風がビュビュと耳を過ぎる。
「ぼくはおまえを愛している」
ふと少女はそんなささやきを風のなかに聞いた。胸がドキドキした。しかし速力が緩み、風のうなりが消え、なだらかに橇が止まる頃には、それが空耳だったという疑惑が立める。
「どうだったい」
晴ばれとした少年の顔からは、彼女はいずれとも決めかねた。
「もう一度」
少女は確かめたいばかりに、また汗を流して傾斜をのぼる。――首巻がはためき出した。ビュビュ、風が唸って過ぎた。胸がドキドキする。
「ぼくはおまえを愛している」
少女は溜息をついた。
「どうだったい」
「もう一度! もう一度よ」と少女は悲しい声を出した。今度こそ。今度こそ。
(梶井基次郎「雪後」より)
 
 この全文を、新たな訳文で電子書籍化してみました。チェーホフの名作の中でも、とくに児童文学として優れた作品である、というように思います。二人の子どもたちのみずみずしい情感が、チェーホフによって描きだされています。
 

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追記 これは、インターネットでは日本語で無料公開されていなかったチェーホフの名作文学です。ロシア語の原文を調べてみて、deepseekに翻訳してもらい、人間の眼で確認して文体を調整した、0円配信としては本邦初公開の名作なんです。ソリで遊ぶ少年と少女の美しい物語で、終盤の、老いた主人公のまなざしが印象に残る文学作品です。