牛鍋 森鴎外

 今日は、森鴎外の「牛鍋」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 森鴎外の物語は、歴史の記録そのものを目的にしていたり、文体が難解で難読書になっていることが多いのですが、今回の話しはすんなり最後まで読める作品でした……が、やはり読み終えてみて、これはいったいなにを書こうとしたのか分からなくて、3回くらい同じ文章を読み直してしまいました。
 明治初期の日本では、牛は食用では無かったので、これがなにか、現代で言うところの愛玩動物かそれ以上の存在であって、それを食う人間の醜悪さというのを自然界や哺乳類と比較しつつ記してありました。
 作中に「本能」という言葉が幾度か記してあってこれが印象に残ります。森鴎外は獣の争いについて念入りに描きつつ「本能は存外醜悪でない」と記すのです。森鴎外の軍医時代には、兵士たちが脚気によってあまたに倒れてしまうという惨害が起きていて、森鴎外の憂慮しているのは人間が起こす犠牲の問題で、それがこの短編にも少し記されているように思いました。
 

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追記  物語の筋としては「七つか八つ位の娘」をやむを得ずあずかって育てることになった「三十前後」の男は、意味も無く、牛鍋の牛肉を「すばしこい箸」で独占している……。「娘はおとなしく箸を持った手を引っ込めて」肉を食べさせてもらえるまで待とうとしている。「もう好い頃だと思って箸を出すと」そのたびごとに「そりゃあ煮えていねえ」と男に言われて、黙って従うしかない。「その目の中には怨も怒もない。ただ驚がある。」
どうしてこんなに奇妙な夕食なのかというと「死んだ友達の一人娘」を貧しい世相の只中にあって、いったいどうやって育てるのか、男としては方針が上手く定まっていないからなのだろうか……というように思いました。