今日は、宮本百合子の「芭蕉について」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
「枯枝に烏のとまりけり秋の暮」といった芭蕉の代表作をいくつか並べ「旅にやんで夢は枯野をかけ廻る」という句をつくるところまでの芭蕉の人生を、はじめのほうから考察する、文芸論のエッセーでした。
芭蕉の同時代の、談林派や西鶴や近松門左衛門の芸術性について論じつつ、芭蕉の創作の変化について書いた作品です。
芭蕉ははじめ「松尾宗房」という名前で「若殿の近侍であった」のですが、ある時期に一人で出奔して京大阪で暮らすようになります。そこでは、談林派と混じりあって、ことば遊びのような作風で俳句を作るようになったのですが、のちに考え方を変えて、李白の詩心に唸ったり、「十七世紀日本の寂しさ」を描きだすような俳句を作るようになってゆきました。以下の文章が印象に残りました。
西鶴も近松門左衛門も最もありあわせた仏教的なものに納まっている。しかし、芭蕉の芭蕉たるところは、哲学的にそういう支柱のある境地さえも自身の寂しさ一徹の直感でうちぬけて、飽くまでもその直感に立って眼目にふれる万象を詩的象徴と見たところにあるのだと思われる。
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追記 芭蕉の諸作には「芸術にとりくんだ魂魄の烈しさによって、今日と明日の芸術の建設のための鼓舞を感じる」と宮本百合子は記します。
「完成された芸術に屈服するな、今日の現実感覚に立て」「芭蕉こそ真の芸術家として、古典というものが再びそこにそのままの姿で住むことは出来ない民族芸術の故郷だからこそ価値の深いものであることを知りつくしていたと思う」という一文で終わる文芸論でした。


