道は次第に狭し 北大路魯山人

 今日は、北大路魯山人の「道は次第に狭し」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 魯山人が、美味い飯についてさんざん論じている随筆です。魯山人はこう書きます。
「夏場の刺身として、例えばすずきやかれいの洗いがある。」「私はふつうの刺身ほど厚くは切らぬが、極端に薄くしないで、よく洗う」「こうすることによって中身はエキス抜きにならないから、噛むと魚の好味が出て、歯ごたえもあり、至極美味い。」
「しかし、このごろ、別の考えが起こって来ている。」「極薄な味のないところが、却ってよいのではないか。中から味が出るとか出ないとか言うには及ばない。ただ、さらっとした涼味だけでよいのではないか。そういう考えが起こって来ている。 長年やってみての上で、ようやくそんな気もしてきたというわけだ。こんなことが体験数十年もたった今ようやく分ってきた。むずかしいものである。」
 今回、魯山人は料理の話しや芸術論について記しつつ、孔子の中庸について論じていました。原文ではこの箇所なんです。
 
子曰、
道之不行也、我知之矣。
知者過之、愚者不及也。
道之不明也、我知之矣。
賢者過之、不肖者不及也。
人莫不飲食也。鮮能知味也。
 
孔子はこう述べた。
「道が実践されない理由は、私にはわかっている。
知者はそれを越えすぎ、愚者はそれに達しないからである。
道が明らかにされない理由も、私にはわかっている。
賢者はそれを越えすぎ、不肖者はそれに達しないからである。
(このように中庸の道は難しい。)人はだれしも飲食する(というごく日常的な行為ではあるが)、その(中庸という)真味を知る者はまれなのである。」
(※ 上記はdeepseek翻訳に修正を加えたものです)
 

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