細雪(86)谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その86を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 あと十数回でこの長編小説は完結しますので、こんご細雪の全巻を通読する予定の方は、本文の第一章から読むことをお薦めします。
 死期さえ感じるほどの恐ろしい病状だった妙子だったのですが、もう既に、回復の兆しが見えてきたのでした。まさか主人公級の人物が死ぬはずは無いとは思っていたのですが、谷崎は驚く展開を書くのが特徴の作家だと思うので、これは不味いのではと思いながら読んでいました。本文はこうです。
quomark03 - 細雪(86)谷崎潤一郎
 病人の容態は、病院へ移した二三日後から眼に見えて快方に赴いて行った。あの日の気味の悪い死相などは、不思議なことにわずか一日だけの現象に過ぎなかったものと見えて、もう入院した翌日には、あの顔に漂っていた不吉な幻影のようなものはさっぱりと消え去っていた。quomark end - 細雪(86)谷崎潤一郎
 
 妙子が危篤である、という一報を東京の大姉の鶴子に送ったのですが、それがすぐに回復したという知らせを聞いて、今までほとんど感情をあらわしてこなかった大姉も、感情を露わにした手紙を書き送ってきたのでした。細雪は四人姉妹の物語なのですが、大姉の鶴子だけはほんとうにまったく登場してこなかったんです。その理由もなんだか見えてくる、奇妙な内容の手紙でした。「災厄さいやくから自分たち一家を守ることにのみ汲々きゅうきゅうとしていることを、不用意のうちに曝露ばくろしている」という記載が印象にのこりました。戦中の不和と疑心暗鬼とぎすぎすした人間関係が見えてくるような、なにか暗い章に思いました。日本では谷崎潤一郎だけが、戦中戦後を貫いて大長編小説をリアルタイムで書いたわけで、戦中には軍部の監視があってどうしても書けなかったことが後編のここにきていくつか書かれるようになってきたのでは、と思いました。
 姉の幸子がいだく、病人妙子への心情としてはこう記されていました。「地位も名誉も捨ててかかった恋の相手に死なれてしまったり、全く彼女一人だけが、平穏無事な姉たちの夢にも知らない苦労の数々をし抜いて来ている」
 この妙子の婚約者だった米やん(板倉)に致命的な嫌がらせをしていたのが窃盗者の奥畑啓坊で、妙子はけっきょくはこの不自由な男と結ばれる可能性があり、なんとも奇妙なバランスの人間関係だなあと思いながら読みました。奥畑啓坊はロミオとジュリエットでも無いのに、無理やりにヒロイン妙子の病室に侵入していったのでした。
「地獄の一丁目まで行って来た」妙子としては、やっと生きる希望が出てきたところにとつぜん秘密の病室に闖入してきた奥畑啓坊と、やっぱり縁があるのかも、しれないなあ、と思いました。
 妙子のことを「地獄の一丁目まで」行かせた主因はどうにも、不倫者で窃盗者の奥畑啓坊の不誠実な暮らしの影響だと思えるわけなのですが。
 

0000 - 細雪(86)谷崎潤一郎

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約20頁 ロード時間/約3秒)
当サイトでは『細雪 中巻一』を通し番号で『細雪 三十』と記載しています。下巻の最終章は通し番号で『細雪 百一』と表記しています。
「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。
  
■登場人物
蒔岡4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)