父の婚礼 上司小剣

 今日は、上司小剣の「父の婚礼」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 古い小説の魅力の一つに、現代人の生き方とはまるで異なる世界に接することができる、というのがあると思います。それで現実世界の隣人との付き合いとはちがって、俯瞰して落ちついて見ることが出来る、というのがあると思うんです。
 古い文学は現代と距離感があって、時代が変わっているのでいわば毒が抜けている……と思っていたのですけれども、この上司小剣という奇妙な名前の作家の本を読むと、まるで自分の家族が悪夢を訴えかけてくるくらい、ギョッとすることがいくつも書いているんです。百年前の世間が書かれているはずなのに、いま読んでも生々しいんです。これはいったいどういうことなんだと思って調べてみると、いまコレを純文学として読む一般的な読者というのはほとんど居ないみたいなんです。なんというか、戦中戦前だけの世界観ですし。それから田舎の古い習俗と世間に生きてきたこの上司小剣は、のちに読売新聞の編集局長にまでなった大人物なんだそうです。それで世間のことをものすごくよく知っていて、百年後のいま読んでも、空恐ろしいくらい生々しい小説になっているようです。
 四章で、平七の妻が主人公の少年にいたずらをするのですけれども、これもずいぶん露骨なんです。
 主人公の、母への想いの描写が、人情味のある描写でした。主人公の九歳年上の「お時さん」という人が、父親と結婚をすることになった。
 父の家族と、隣人の平七夫婦。良い気配と悪い気配、新しいことと古いこと、こういったものを交互にあざなえるように描くのが上手いんだと思いました。
 

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不連続殺人事件 坂口安吾

 今日は、坂口安吾の「不連続殺人事件」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは坂口安吾が戦後すぐに発表した娯楽小説なんです。安吾本人が作中に「附記」としてこう書いています。
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 作者の意図するところは、皆さんに、知的な娯楽を提供し、クソ面白くもない世の中に、何日、何時間か、たのしい休養のゲームを贈り物し、一つ無邪気にシカメッ面のシワの洗濯をやりましょう、という微意にほかなりません。quomark end - 不連続殺人事件 坂口安吾
 
 「不連続殺人事件」はかなり長い小説なんですけれども、前半は謎解きという感じはまったく無くて、奇態な人々が夏に、豪華な山荘に集まってきて、夜な夜な扇情的なパーティーをする物語が展開します。ここからはネタバレが含まれるので、未読の方は本文から先に読んでください。
 警察の対応がけっこうおもしろいんですよ。それなりに科学的手法をもって論理的に犯人さがしが行われる、けれどもそういった手法ではまったく犯人に辿りつかずに、事件は次々に起こってしまう。警官はちゃんと要所要所で見張りをしているんです。けれども犯行はその裏をついて行われてしまう。主人公「私」の友人の「巨勢博士」というニックネームの男が、この一連の事件の謎解きをするわけなんですけれども、読者であるぼくには犯人がまったく分かりませんでした。ちょっとあまりにも事件が込み入っていて、何をどう考えたら良いのかさっぱり判らない。
 けっこうエンターテイメントに徹していて、作中に「附記」として坂口安吾が出てきて、いろいろ書くのが面白かったです。太宰治まで出てくるんですよ。純文学者が娯楽を作ったら、こんなにすごいことになるのか、と驚きました。
「人間は五十年の命ですから、イヤな奴と和平の必要はないですよ」とか、作中でかっこ良いことがいろいろ書かれていて読んでいて楽しいんです。
 よく、連続殺人が起きていて犯人を捕まえられない警察は無能だとか、いうふうに思いがちなんですが、正しいことはたいてい後手後手で動いてゆくしかないわけで、こういう事件を物語の展開でみてゆくと、とてもじゃないけど、謎の犯人までたどりつけそうにない、と思いました。
 二十二章の終わりに、いよいよ、謎解きの本番が始まるのですけど、ぼくは今、ここまで読み終えて、装画を作っていって原稿をアップロードしているところです。しょうじき犯人は、まったく分からなかったです。賢い読者と流し読み読者で、たいそう差がついちゃうんだなあと、ちょっとショックでした。
 推理小説と言えば読者をミスリードさせている、というのが大前提だと思うんですけど、今回は事態があまりにも多すぎて、ぼくにはさっぱり判らなかったです。坂口安吾は二十二章で、こう書いています。
quomark03 - 不連続殺人事件 坂口安吾
 今回をもって、皆さんの解答をいただく順となりました。
 犯人の名前だけ当てたって、ダメですよ。法廷へ持ちだして、起訴することができるだけの、推理がなければ、いけません。quomark end - 不連続殺人事件 坂口安吾
 
 wikipediaによれば、江戸川乱歩がこの不連続殺人事件を絶賛していて「日本の純文学作家の探偵小説は谷崎潤一郎、佐藤春夫両氏の二三の作など極く少数の例外を除いて、見るに足るものがなく、(中略)見事にこの定説を破ってみせ、ある意味では我々探偵作家を瞠目せしめたと云っていい」、「トリックに於いては内外を通じて前例の無い新形式が考案されていた」と書いているんです。読み終えてみると、かなり正統な仕掛けでした。
 犯人は双子だったとか、同姓同名の人間が二人いたのだとか、じつは死人があらかじめ準備しておいた犯行を実現できてしまったのではないかとか、いろいろ奇抜な反則技について勘ぐってみたのですが、まったく状況を読み解けないまま、最後の事件が立ち現れてしまいました……。以下はネタバレなので、未読の方は読み飛ばしてください。(坂口安吾はあくまでも正統に推理小説を展開していて、トリックとしては、犯人像を心理的に誤認してしまう、屈強で野卑な男の犯行だろうと思い込んでしまう、被害者っぽさが誇張されていて容疑者から除外してしまう、そういう一般的な心理の間隙をついた、盲点のところに犯人が立っていた、というのが真相でした。)
 

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まぼろし 国木田独歩

 今日は、国木田独歩の「まぼろし」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 ぼくは今回はじめて、独歩のこの小説を読んでみました。wikipediaには独歩について、こう書いていました。
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  友人の田山花袋は、独歩の人生を一文字で表すなら「窮」であると……quomark end - まぼろし 国木田独歩
 
 おわりの五行が印象的でした。

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拷問の話 岡本綺堂

 今日は、岡本綺堂の「拷問の話」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 さいきん、同じ作家の本ばかり載せてしまってバランスの悪い更新になっているんですけど、ちょっと牢獄の本を立て続けにいま読んでいて、ついでにこの江戸時代の刑罰の物語を読んでみました。
 序盤の描写では、これがもし冤罪だったらどうするんだろうか、ということばかり思いました。罪人と記されているんですけれども、正確には容疑者なわけで、現代ではこんなことがあってはいけない事態なんです。今回の物語ではまあ吉五郎は罪人であることが明白で証拠が揃っていて、現代でも有罪で禁固刑になる事件なんですけれども……。この犯人の吉五郎はとある犯罪をしたことをけっして認めないんです。彼には彼の考え方がある。
 石川五右衛門の再来、という記述から先の描写が興味深かったです。理非の箍が外れた不気味な小説なんですけれども……菅原道真を祀るように、死者を描いていった作家たちが居たのだ、ということを連想しました。 
 むつかしい言葉を調べてみました。
 申口
 

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最後の胡弓弾き 新美南吉

 今日は、新美南吉の「最後の胡弓弾き」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 旧正月になると、木之助はいとこの松次郎と二人で、胡弓の演奏をしてお捻りをもらう、旅芸人のようなことをしていた。木之助は胡弓を弾くことが好きになって、これを毎年やっていた。味噌屋の主人がこの伝統的な芸をする少年を気に入って、毎年家に招きいれてごちそうをおごっていた。
 それが……年を経るにしたがって、旧正月に胡弓の演奏を聴く習慣が無くなっていった。相方の松次郎はもう辞めてしまった。木之助はそれでも一人で旧正月には胡弓を弾いて旅をした。本文こうです。
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  木之助は仕方がないので一人でゆくことにきめた。自分の身についた芸を、松次郎のように生かそうとしないことは木之助には解らなかった。quomark end - 最後の胡弓弾き 新美南吉
 
 このあとの展開を読んでゆくと、辞めるのにはそれなりの理由があるもんだと思いました。新美南吉と言えば、童話がもっとも有名だと思うんですが、今回のは完全に大人向けで、終盤がもの悲しいです。
 中国の二胡というのはほんとに音色が美しくて好きで、なんどか聞いたことがあったのですが、胡弓は日本の伝統楽器なのに、あまり聴く機会が無いんです。youtubeにもどうも胡弓の音楽は商業ベースの作品としては、ほとんど存在していないです。この胡弓の動画がなんだか音質がよかったです。
 

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わが町 織田作之助

 今日は、織田作之助の「わが町」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回は、日本が帝国主義と植民地政策を行っていた時代の、マニラに生きた人びとの物語です。バギオやバターンという地名が出てくるのですが、日本の帝国主義が終局に於いてもたらしたものは「バターン死の行進」日本軍の餓死者というような事態の連続だったのですが……織田作之助はその数十年前の状況を描いています。植民地政策の時代の日本人がどうやって暮らして、どのような不幸があって、なにを考えて生きていったかを丁寧に描いてゆくんです。明治三十七年(一九〇四年)から昭和にかけてのマニラと日本の出来事です。
 日本からマニラへの移民は、はじめは農民や炭鉱労働者などが主体で、開拓の仕事をやるために行ったんです。それが織田作之助が書くように「移民というよりは」「避難民めいた」状況で、「すべては約束とちがっていた」「脚気のために死んだ者が九十三人であった。マラリヤ、コレラ、赤痢」などの病で次々に亡くなっていった。
 二輪車で「客を拾って、他吉が走りだすと、君枝はよちよち随いて来た」。「マニラで死んだこの娘の父親がいまこの娘と一しょに走っているのだという気持」で祖父の他吉は、孫娘の君枝を育てていた。
 貧困と事故の問題が、現代の物語よりも深く考察されているように思いました。君枝という主人公の活発な生き方の描写がみごとで、これはおそらく、織田作之助の家族が実際に明るいから、ここまでリアルに描けるのだろうと思いました。終盤に、船の引き揚げの仕事をしているのですが、夫婦で働く姿の描写がすごかったです。この「わが町」という作品は新藤兼人監督のお師匠である溝口健二がつくった映画を小説にした作品なのだそうです。
 

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