雲の小径 久生十蘭

 今日は、久生十蘭の「雲の小径」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは飛行機に乗る男を描きだすところからはじまる小説で……「この三年、白川幸次郎は、月に三回、旅客機で東京と大阪をいそがしく往復している」
 ある日、白川のところに病院から電話がかかってきて、長らく親交があった「妻の香世子」のことで妙なことを言われるんです。白川は「私には家内なんかありません」と事実を答えるのですが、とにかく病院で手続きをすることとなった。その体験があって、白川は霊との交信に深い興味を持つようになってしまった。作中に記載されているように「西洋の降霊術」を参照して書かれた作品なのでした。
 

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追記   あまりにもリアルな幻視体験のために、ある男がこの「霊の友会」の悪影響を受け、霊にひっぱられるかたちで、事件が起きてしまった。「霊の友会」はこの事件によって解散となった。それから白川は飛行機で東京と大阪を行き来するようになった。ある日、香世子と仲の悪かった柚子と偶然にも飛行機内で出会ってしまう。このあと、事件の真相究明編が、柚子によって解き明かされてゆくのでした。柚子はとつぜん姿が変貌して香世子になる、という幻視の描写がありました。白川はやっともともとの霊媒を見つけ出して、香世子の霊と話し込むのでした。香世子は死後もまだ犠牲者を求めていた。「おれは死にたくないのだ、助けてくれと叫んだところで、ふっと現実にたちかえった。」で終わる、読後感の悪い小説でした。

小さいアルバム 太宰治

 今日は、太宰治の「小さいアルバム」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 太宰治というと聖書を読み込んでいて、イスカリオテのユダについての物語を書いている、というのがもっとも印象に残っているんですが、氏は、罪や罰についての告白を虚実入り混じらせて書くことが多く、近代のふつうの私小説となにか仕組みが、まったくちがうように思います。
 深刻な吐露なのか、作中にあるような「軽薄才士とでもいったところ」の告白なのか、読んでいて判別できない。作家になる前と晩期には、道化とは言えないような事件も起こしているので、作中にあるような「軽薄に、ニヤリと笑っている」「不謹慎」な「掏摸の親方になれなかったばかりか、いやもう、みっともない失敗の連続」の作家とは思えない、難読の近代文学を数多に残した作家のように思います。
 太宰治の筆名なんですが、本人は万葉集からとってきたとさらっと言いのこしています。太宰治の発言はこうで……「太宰権帥大伴の何とかつて云ふ人が、酒の歌を詠つてゐたので、酒が好きだから、これがいいつていふわけで、太宰。修治は、どちらも、おさめるで、二つはいらないといふので太宰治としたのです」と書いているんです。太宰治はペンネームがじつは5つくらいあって、そのなかで太宰治をいちばん使った主因のひとつは、「治」が本名の一部だからというがあると思います。
 ただ、太宰帥の太宰というのはどうも妙なんです。大伴旅人の酒の歌が好きだから、というので「64歳頃に太宰権帥になった大伴旅人」の名前から大伴とか旅人を拝借せずに、「福岡県太宰市」とかいう意味でしかない「太宰」をとる、というのはちょっとあまりにも無理がある言い分のように思います。「酒の歌」と「太宰市」は意味がかけ離れています。それよりも”DAZAI”という言葉の響きを重視して、これを選んだのでは、と、井伏鱒二が太宰治の筆名を評した短文から連想しました。
 ちょっと調べてみると、太宰治はダンテの神曲地獄篇を読解していてこれを代表作で引用しているんです。ダンテの神曲地獄篇は、聖書にある地獄を重厚な文学にした物語で、この地獄篇の最終段では、太宰治も熱心に記した「イスカリオテのユダ」が魔王に永劫に噛み砕かれています。
 こういう宗教的物語がじつは日本にもあって、そこには”DAZAI”という言葉が記されています。八大地獄の閻魔に責めさいなまれる、この危機に陥った鵜飼の老翁「無間の底に堕罪すべかつし」地獄の責め苦に苦しみつつ幽霊となって現世に舞い戻り、旅僧をもてなした功を積んだことによって地獄の底の底から脱することができた。これが能の謡曲『鵜飼』のあらすじなんです。鵜飼の老翁は、地獄の底から脱出した。ダンテ地獄篇と共通項のある物語なんです。太宰治の”DAZAI”には「無間の底に堕罪すべかつし」ところ「これを修め、治めた」という言葉が隠されている……かもしれない、という仮説を立ててちょっと文献を調べてみました。じっさいに文献として明らかなことは、太宰治は万葉集の大伴旅人の歌が好き、ということだけかなと思います。本文と関係が無いんですが、令和元年の「令和」も大伴旅人の書いた「初春の令月にして、気く風やわらぐ」からとられて「令和」という元号が出来たそうです。
 今回、太宰治は「笑いとは、地球上で一番苦しんでいる動物が発明したものである。」という言葉を残したニーチェの考えを引用しつつ、この笑いながら厳粛な事を語るという、小説の創作の軸を構築して、これを書き終えたようです。
 

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十年後のラジオ界 海野十三

 今日は、海野十三の「十年後のラジオ界」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 海野十三は、未来のラジオがどうなるかということを考えていて、世界中がすべてラジオの構造に支配されて、死せる恋人とラジオで交信をするのでは、という謎めいた幻想を記していて、この技術の記載も妙にリアルで、さすが日本でいちばんはじめに有名なSF作家になった人だ……というように思いました。最後は落語と仏の話みたいになっていて唸りました。
  

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追記  本作「十年後のラジオ界」のラジオという文字をすべて「AI」という文字に入れ替えて読むと、ちょっとあまりにもディストピアな小説になっていて驚く内容でした。
 

二人の友 森鴎外

 今日は、森鴎外の「二人の友」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 明治時代に、ドイツ留学をしてドイツ語を学んでいた「私」と、ドイツ語に堪能な「F君」と、ドイツ哲学を読解したい僧侶の「安国寺さん」の物語です。
 森鴎外にそっくりな「私」が小倉時代に出会った、2人の友のことを記した小説です。小倉に赴任していた数年間と、そのご東京に帰った数年を描いています。
 F君はお金に無頓着で、ドイツ語の研究は日本随一なくらい優れていて、ドイツ語をさらに学ぶために「私」にドイツ語を個人教授してもらおうと、無一文で小倉にまで押しかけてきた。
 「私」はこの青年をおもしろく思って、彼にドイツ語教師の仕事をやってもらうように手配し、近くの宿に泊まれるようにしてやった。ドイツ語の話しで盛りあがって、何日も交流していたところ、F君はどうも異性交遊をしたことが無く、学問にだけ夢中になっていることが分かってきた。
 F君は、語法をむずかしく教えるので、生徒はみな参ってしまう。このF君からもドイツ語を学んでいた僧侶の安国寺さんは、かなり苦悶してドイツ哲学を読解していた。
 芸者の女性の口説き文句の嘘を真に受けたりしているドイツ語教師のF君が、数年たってから女学生と親しくなった。本文こうです。「F君は女学生と秘密に好い中になっていたが、とうとう人に隠されぬ状況になったので、正式に結婚しようとした」ところが、四国の親ごさんがこれを認めない。しかたが無いので、友人で生徒さんでもある僧侶の安国寺さんに相談して、親御さんを説得してもらうことになった。
「安国寺さんを縁談の使者に立てたとすると、F君はお大名だな」と私は言うのでした。本文こうです。
「無遠慮な Egoist たるF君と、学徳があって世情にうとく、赤子の心を持っている安国寺さんとの間でなくては、そう云うことは成り立たぬと思ったのである。」
 二人とも、人生は順調に進んで、もともとの仕事を続けていった。学問は終わりなくずっとやるもんなんだ、というのが見えてくる、小説でした。
 森鴎外は前期作品と後期作品の間に十数年間ほどの休止期間があるんですが、その期間に起きた出来事を書いているように思いました。
  

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ある崖上の感情 梶井基次郎

 今日は、梶井基次郎の「ある崖上の感情」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 梶井基次郎は、主人公の「私」が街を放浪し軽妙な幻想に耽ってゆく、一人称の小説が多いと思うんですが、今回は2人の青年を描きだす三人称の記載の短編小説でした。
 2人の感覚の相違について、カフェで話し込むところが序盤に展開されます。梶井基次郎は二人の男を描くんですが、どうもたった1人の「俺」のなかに何もかもが収束してゆくように思えるんです。漱石の「吾輩は猫である」の場合は逆に「吾輩」である猫はほとんど物語の全体を俯瞰する眼になっていってけっきょくは三人称のような鳥瞰図を描きだしていって、街で起きるさまざまな事態を観覧するという展開になって一人称に集約できない世界観になると思うんですが、梶井基次郎は三人称で記しても、「檸檬」の全篇をおおう「私」のような一人の人間が立ち現れてくるように思いました。
 好きなことを夢中でやってしまったので、自分は家を持てないのでは……未来の家族を養えるだけの財力が生じないのでは、といったような焦燥が、物語をおおっているように思えました。梶井基次郎と言えば「檸檬」「器楽的幻覚」がおすすめなんです。本文の、こういう箇所が印象に残りました。
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  ……ある一つの窓ではレシーヴァを耳に当てて一心にラジオを聴いている人の姿が見えた。その一心な姿を見ていると、彼自身の耳の中でもそのラジオの小さい音がきこえて来るようにさえ思われるのだった。quomark end - ある崖上の感情 梶井基次郎
   
 本作では、崖の上からみえる多くの窓をとおして、人々をじっと覗き見ることは、白いベッドで恋人と戯れるよりももっと蠱惑的な事態であると、男が述べるんです。さらにこれを昇華した空想を描いていました。「朝餉の膳」の箇所が、梶井基次郎の家族愛を感じさせる描写なんです。あまたの窓が記されてその中に生きる人間の姿が活写されて、なんだか十数もの掌編小説を蒐集した本を読み終えたような気持ちになる小説でした。
   

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津軽の虫の巣 宮本百合子

 今日は、宮本百合子の「津軽の虫の巣」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 1690年ごろ元禄時代の松前矩広が、大船に乗って津軽の海を渡るところから、この歴史小説は始まるんですが、おもに2つの事柄が主題になっていました。ひどい混乱を生んだ生類憐れみの令と、津軽の宝石のことが描かれるんです。
 「津軽の虫の巣」というのは「青紫の円い小珠」の宝石のことで、なぜ虫の巣というのかというと、その宝石には、小虫が入り込めそうな「小さい白い泡沫」がいくつかあって「名も知れぬ小虫が、はて知らぬ蝦夷の海の底深く、珊瑚の根元にでも構えた巣の様に思われる」これが珍宝として松前藩に献上された。矩広と家老の蠣崎が、これを吟味した。
 これがもしほんとうに瑠璃色の虫の巣である場合は、虫の巣を奪い去ったということで、生類憐れみの令に抵触して、松前藩が罰せられるかも知れない。だが、ただの泡沫をはらんだ宝石であるかもしれない。分からないので、火で炙ってこの宝石を浄化しよう、ということを家老が提案した。火で焼いてみると、珍宝はあっけなく砕け……。
 

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追記  生類憐れみの令は、幼子や病者の人権を尊重するという優れたところもあったのに、その運用を誤って死罪や流刑が頻発した、罰則のとりきめがまちがっていたのでは、と思いました。