幻の塔 坂口安吾

 今日は、坂口安吾の「幻の塔」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これはなんだか暗い事件が起きる小説で、ネタバレ禁止の内容だと思うので、近日中に読み終える予定のかたは、先に本文を読むことをお勧めします。廃仏毀釈が激しい時代に、仏像を買い集めては売り歩き、さらに仏像を彫って大金を得た「ベク助」、このベク助というのが危険な男なんです。かつては「人殺しと牢破り」を行った、背中には天下一品の「ガマと自雷也」の入れ墨を彫っている極悪人で、この男が牢破りののちに熊に襲われて人相が変わって、ベク助という名前の、大工として生きていた。
 いっぽうで勝海舟の家の近くに「島田幾之進という武芸者が住んでいた」のですが「白頭山の馬賊の頭目」だとか「海賊」だとか言われた人たちがここに道場をひらいた。島田一族は「黄金の延棒が百三十本ほどつまって」いる大袋を手に、この新設の道場にやって来た。
 ものすごい武芸者が修業をしているこの「島田道場」には奇怪な秘密があって、この道場を建てるときに、忍者屋敷のような「縁の下から抜け道をつけてもらいたい」ので、秘密を守れる大工というのを特別に呼びよせたのでした。中盤からベク助は素性を偽って、この島田道場に耳の不自由な大工として雇われて、島田一門の秘密を暴くことにしたのでした。
 どうも、素性を偽っている怪しい人間は他にもいろいろいる。仏師や大工としての才覚があるベク助は、「怪物」の島田幾之進に頼まれて、道場に秘密の仕掛けのある「小さな別宅」をつくりあげた。
 ベク助はこれで島田道場から離れていったのですが、秘密裡に、この道場の秘密を探っていたんです。
 この島田道場での「婚礼の夜」に、誰もが酔いつぶれていて「誰にも明確な記憶がない」という状況で「怪物の邸内で奇怪な」事件が起きてしまった。「お紺の父の三休と兄の五忘」が「密室殺人」で亡くなってしまい……警察と、隣家の勝海舟と、その親友の探偵である「結城新十郎」がやって来ます。
「父と兄が麻の袋をぶら下げてい」たという証言があった。かつて「島田幾之進」は、この新道場にやって来たときに「革の行嚢に金の延棒を百三十本ほどつめこんでぶらさげて来た」ということだったが、この金の延べ棒がどこに行ったのか分からない。
 真相としては……犯人は召使の金三で、「金三はベク助が三休、五忘の命令で縁の下に抜け道の細工を施したのを見ぬいていました。金三は忍びこむ五忘らを地下の密室で殺す必要があった。(略)それは当家に犯人の汚名をきせるためと、たぶん、金の延棒の発見、没収を策すためでしたろう」ということを探偵が暴くのでした。それで「金の延棒の隠し場所」はじつは「皆さん一番よく見ていたもの。あんまりハッキリ見えすぎるので、気がつかなかった」「まぼろしの塔」とも言いえる、道場の特殊なつくりなのでした。見えすぎていて見えない、という仕掛けがあったのでした。「道場の土間の敷石をごらんなさい。それがみんな金の延棒なのです」というオチでした。
 この島田一門の正体というのは、冒頭に記載されているように「白頭山の馬賊の頭目」で「シナ海を荒した海賊」で、事件後しばらくして、また何処かへと去っていったのでした。
 

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踊る時計 坂口安吾

 今日は、坂口安吾の「踊る時計」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 時信家の全作という男は、考古学と骨董を学んで、この商売で大金を得た。それからひどい家をもうけて、妻をいびり倒して過労死させてしまい、次の妻も娘も、誰もが父の全作を呪っていて、晩年は、ひどい家の様相になった。食いっぱぐれた親族も集まってきて、不和が積み重なっている。富豪の全作が寝込むようになると、何人かの看護婦が付き添うようになった。そこで諍いと殺人が起きてしまう。いったい全作は誰に殺されたのか……。
 

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追記  ここからはネタバレですので、近日中に読み終える予定の方は、本文を先に読むことをお勧めします。看護婦を呼ぶためのオルゴールと、全作の部屋の鍵と、ここに立ち入る人間たちが、細かく描写されてゆきます。
 あやしげな神のお告げのとおりに、全作は殺されてしまった。翌日に警察が捜査にやってきてから、だんだん事態が明らかになってゆきます。
 3人が同時に、全作の遺体を目撃したとき、どうも行員の「川田」という男の真剣な行動と観察眼が「異様」で「にわかに川田に威厳がこもって彼自身が妖気を放つ一人の偉人の如くに見えた」と記してありました。
 そのあと、探偵役の新十郎がやってきて、現場を調査します。
 ここから、全作が絡んでいた、掘り起こされた古墳の財宝の、この極端な高額さと、この古墳での窃盗事件が語られてゆきます。骨董で稼ぎまくっていた全作も、この事件での盗品を扱っていたらしい。100カラット以上のダイヤという宝玉をたずさえた黄金の仏像という骨董を、盗賊から買い取って、全作が秘蔵していたようです。
 終盤ののこり5頁あたりのところで、書き手の坂口安吾本人が「犯人を当てて」みろというように記しています。安吾の推理小説は、叙述トリックは用いずに、読者に対しても不義理をしないので、当てようと思えば犯人を当てられそうに思うんですが、僕はほぼまったく分からなかったです。精読する読者と、流し読みだけをしている自分の、読解力の差異を感じて、なんだか呆然として読み終えました。
 トリックとしては、事件は想定よりももっとはやい時間に起きていて、呼び出し用のオルゴールに仕掛けをして、全作の死後に自動で鳴るように細工をして、入口の鍵がなくて部屋に入れない看護婦がオロオロするときに、自分のアリバイを作っておいた犯人がいた、ということなのでした。ここから消去法で、時信大伍が犯人であったと判明するのでした。犯人は遺産をほぼもらえないのにも関わらず、全作を殺めてしまっていたのでした。

雲の小径 久生十蘭

 今日は、久生十蘭の「雲の小径」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは飛行機に乗る男を描きだすところからはじまる小説で……「この三年、白川幸次郎は、月に三回、旅客機で東京と大阪をいそがしく往復している」
 ある日、白川のところに病院から電話がかかってきて、長らく親交があった「妻の香世子」のことで妙なことを言われるんです。白川は「私には家内なんかありません」と事実を答えるのですが、とにかく病院で手続きをすることとなった。その体験があって、白川は霊との交信に深い興味を持つようになってしまった。作中に記載されているように「西洋の降霊術」を参照して書かれた作品なのでした。
 

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追記   あまりにもリアルな幻視体験のために、ある男がこの「霊の友会」の悪影響を受け、霊にひっぱられるかたちで、事件が起きてしまった。「霊の友会」はこの事件によって解散となった。それから白川は飛行機で東京と大阪を行き来するようになった。ある日、香世子と仲の悪かった柚子と偶然にも飛行機内で出会ってしまう。このあと、事件の真相究明編が、柚子によって解き明かされてゆくのでした。柚子はとつぜん姿が変貌して香世子になる、という幻視の描写がありました。白川はやっともともとの霊媒を見つけ出して、香世子の霊と話し込むのでした。香世子は死後もまだ犠牲者を求めていた。「おれは死にたくないのだ、助けてくれと叫んだところで、ふっと現実にたちかえった。」で終わる、読後感の悪い小説でした。

小さいアルバム 太宰治

 今日は、太宰治の「小さいアルバム」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 太宰治というと聖書を読み込んでいて、イスカリオテのユダについての物語を書いている、というのがもっとも印象に残っているんですが、氏は、罪や罰についての告白を虚実入り混じらせて書くことが多く、近代のふつうの私小説となにか仕組みが、まったくちがうように思います。
 深刻な吐露なのか、作中にあるような「軽薄才士とでもいったところ」の告白なのか、読んでいて判別できない。作家になる前と晩期には、道化とは言えないような事件も起こしているので、作中にあるような「軽薄に、ニヤリと笑っている」「不謹慎」な「掏摸の親方になれなかったばかりか、いやもう、みっともない失敗の連続」の作家とは思えない、難読の近代文学を数多に残した作家のように思います。
 太宰治の筆名なんですが、本人は万葉集からとってきたとさらっと言いのこしています。太宰治の発言はこうで……「太宰権帥大伴の何とかつて云ふ人が、酒の歌を詠つてゐたので、酒が好きだから、これがいいつていふわけで、太宰。修治は、どちらも、おさめるで、二つはいらないといふので太宰治としたのです」と書いているんです。太宰治はペンネームがじつは5つくらいあって、そのなかで太宰治をいちばん使った主因のひとつは、「治」が本名の一部だからというがあると思います。
 ただ、太宰帥の太宰というのはどうも妙なんです。大伴旅人の酒の歌が好きだから、というので「64歳頃に太宰権帥になった大伴旅人」の名前から大伴とか旅人を拝借せずに、「福岡県太宰市」とかいう意味でしかない「太宰」をとる、というのはちょっとあまりにも無理がある言い分のように思います。「酒の歌」と「太宰市」は意味がかけ離れています。それよりも”DAZAI”という言葉の響きを重視して、これを選んだのでは、と、井伏鱒二が太宰治の筆名を評した短文から連想しました。
 ちょっと調べてみると、太宰治はダンテの神曲地獄篇を読解していてこれを代表作で引用しているんです。ダンテの神曲地獄篇は、聖書にある地獄を重厚な文学にした物語で、この地獄篇の最終段では、太宰治も熱心に記した「イスカリオテのユダ」が魔王に永劫に噛み砕かれています。
 こういう宗教的物語がじつは日本にもあって、そこには”DAZAI”という言葉が記されています。八大地獄の閻魔に責めさいなまれる、この危機に陥った鵜飼の老翁「無間の底に堕罪すべかつし」地獄の責め苦に苦しみつつ幽霊となって現世に舞い戻り、旅僧をもてなした功を積んだことによって地獄の底の底から脱することができた。これが能の謡曲『鵜飼』のあらすじなんです。鵜飼の老翁は、地獄の底から脱出した。ダンテ地獄篇と共通項のある物語なんです。太宰治の”DAZAI”には「無間の底に堕罪すべかつし」ところ「これを修め、治めた」という言葉が隠されている……かもしれない、という仮説を立ててちょっと文献を調べてみました。じっさいに文献として明らかなことは、太宰治は万葉集の大伴旅人の歌が好き、ということだけかなと思います。本文と関係が無いんですが、令和元年の「令和」も大伴旅人の書いた「初春の令月にして、気く風やわらぐ」からとられて「令和」という元号が出来たそうです。
 今回、太宰治は「笑いとは、地球上で一番苦しんでいる動物が発明したものである。」という言葉を残したニーチェの考えを引用しつつ、この笑いながら厳粛な事を語るという、小説の創作の軸を構築して、これを書き終えたようです。
 

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十年後のラジオ界 海野十三

 今日は、海野十三の「十年後のラジオ界」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 海野十三は、未来のラジオがどうなるかということを考えていて、世界中がすべてラジオの構造に支配されて、死せる恋人とラジオで交信をするのでは、という謎めいた幻想を記していて、この技術の記載も妙にリアルで、さすが日本でいちばんはじめに有名なSF作家になった人だ……というように思いました。最後は落語と仏の話みたいになっていて唸りました。
  

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追記  本作「十年後のラジオ界」のラジオという文字をすべて「AI」という文字に入れ替えて読むと、ちょっとあまりにもディストピアな小説になっていて驚く内容でした。
 

二人の友 森鴎外

 今日は、森鴎外の「二人の友」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 明治時代に、ドイツ留学をしてドイツ語を学んでいた「私」と、ドイツ語に堪能な「F君」と、ドイツ哲学を読解したい僧侶の「安国寺さん」の物語です。
 森鴎外にそっくりな「私」が小倉時代に出会った、2人の友のことを記した小説です。小倉に赴任していた数年間と、そのご東京に帰った数年を描いています。
 F君はお金に無頓着で、ドイツ語の研究は日本随一なくらい優れていて、ドイツ語をさらに学ぶために「私」にドイツ語を個人教授してもらおうと、無一文で小倉にまで押しかけてきた。
 「私」はこの青年をおもしろく思って、彼にドイツ語教師の仕事をやってもらうように手配し、近くの宿に泊まれるようにしてやった。ドイツ語の話しで盛りあがって、何日も交流していたところ、F君はどうも異性交遊をしたことが無く、学問にだけ夢中になっていることが分かってきた。
 F君は、語法をむずかしく教えるので、生徒はみな参ってしまう。このF君からもドイツ語を学んでいた僧侶の安国寺さんは、かなり苦悶してドイツ哲学を読解していた。
 芸者の女性の口説き文句の嘘を真に受けたりしているドイツ語教師のF君が、数年たってから女学生と親しくなった。本文こうです。「F君は女学生と秘密に好い中になっていたが、とうとう人に隠されぬ状況になったので、正式に結婚しようとした」ところが、四国の親ごさんがこれを認めない。しかたが無いので、友人で生徒さんでもある僧侶の安国寺さんに相談して、親御さんを説得してもらうことになった。
「安国寺さんを縁談の使者に立てたとすると、F君はお大名だな」と私は言うのでした。本文こうです。
「無遠慮な Egoist たるF君と、学徳があって世情にうとく、赤子の心を持っている安国寺さんとの間でなくては、そう云うことは成り立たぬと思ったのである。」
 二人とも、人生は順調に進んで、もともとの仕事を続けていった。学問は終わりなくずっとやるもんなんだ、というのが見えてくる、小説でした。
 森鴎外は前期作品と後期作品の間に十数年間ほどの休止期間があるんですが、その期間に起きた出来事を書いているように思いました。
  

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