おせい 葛西善藏

 今日は、葛西善藏の「おせい」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 近代文学は放蕩のかぎりを尽くす中毒者たちが描きだす、不良文学である、という話をむかし聞いて、じっさいに近代作品を読んでみるようになって、あまりそういうものを発見できなかったのですが、これこそまさに、「貧乏、病氣」に塗れ「癇癪、怒罵」を愛人に「浴びせかけ」る「慘めな」「エゴイスト」の小説だ、と思える近代小説らしい鬱屈した作品でした。
 

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追記  おせいという女性を気に入った「私」は妻があるのにこの若い女性と酒浸りの日々をすごして、不摂生が原因で病気になっては看病してもらい、おせいから借金をし続け、仕事も子育て資金もまったく無いのに、おせいに無茶苦茶なことを述べていて……そのうえ「私」はチェーホフの主人公になったような気分で夢うつつなので、ありました。
 

牛鍋 森鴎外

 今日は、森鴎外の「牛鍋」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 森鴎外の物語は、歴史の記録そのものを目的にしていたり、文体が難解で難読書になっていることが多いのですが、今回の話しはすんなり最後まで読める作品でした……が、やはり読み終えてみて、これはいったいなにを書こうとしたのか分からなくて、3回くらい同じ文章を読み直してしまいました。
 明治初期の日本では、牛は食用では無かったので、これがなにか、現代で言うところの愛玩動物かそれ以上の存在であって、それを食う人間の醜悪さというのを自然界や哺乳類と比較しつつ記してありました。
 作中に「本能」という言葉が幾度か記してあってこれが印象に残ります。森鴎外は獣の争いについて念入りに描きつつ「本能は存外醜悪でない」と記すのです。森鴎外の軍医時代には、兵士たちが脚気によってあまたに倒れてしまうという惨害が起きていて、森鴎外の憂慮しているのは人間が起こす犠牲の問題で、それがこの短編にも少し記されているように思いました。
 

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追記  物語の筋としては「七つか八つ位の娘」をやむを得ずあずかって育てることになった「三十前後」の男は、意味も無く、牛鍋の牛肉を「すばしこい箸」で独占している……。「娘はおとなしく箸を持った手を引っ込めて」肉を食べさせてもらえるまで待とうとしている。「もう好い頃だと思って箸を出すと」そのたびごとに「そりゃあ煮えていねえ」と男に言われて、黙って従うしかない。「その目の中には怨も怒もない。ただ驚がある。」
どうしてこんなに奇妙な夕食なのかというと「死んだ友達の一人娘」を貧しい世相の只中にあって、いったいどうやって育てるのか、男としては方針が上手く定まっていないからなのだろうか……というように思いました。

秋の瞳(38)八木重吉

 今日は、八木重吉の「秋の瞳」その38を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
  神曲の天堂篇のように荘厳で超然とした詩を書いた、八木重吉の果てしない詩の、代表的なものに思う「真珠の空」の一篇でした。
 

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ひすいの玉 小川未明

 今日は、小川未明の「ひすいの玉」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 戦後の貧しい世相と、骨董屋のおじさんを描きだす、静かな物語でした。小川未明のおすすめの童話は「赤い蝋燭と人魚」で、おもに1920年代から30年代に書かれたものが有名です。戦後の作品では1950年代の「時計と窓の話」「遠い北国のはなし」「くちまねするとりとおひめさま」などがあります。
 

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能とは何か 夢野久作

 今日は、夢野久作の「能とは何か」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは夢野久作とその若い友人が作った能の芸術論です。
 スイス近辺のエスペランティスト(エスペラント語使用者)の外国人青年が夢野久作のところへやって来て、能について議論をし、その対談をもとに原稿にしたものなんです。読んでみると大半が、夢野久作の考察に思えますが、聞き手というのか問いを立てているのは、エスペランティストの青年であるように思います。
 夢野久作は、能の魅力について「何だか解からないが幻妙不可思議な」作品で「面白くないところが何ともいえず面白く」感じられてくるのであると書いています。夢野久作によれば、日本人の9割以上が能を嫌っている、と前半に記しています。その理由は「シン気臭い」し「退屈で見ていられない」もので「能というものは要するに封建時代の芸術の名残りである」し「進歩も発達もない空虚なもの」ということなんです。ところが、外国の研究者や、能に関わった日本人は、能の芸術の魅力を大いに見いだしているのでした。
 本文こうです。
quomark03 - 能とは何か 夢野久作
  能ぎらいの人々の中の百人に一人か、千人に一人かが、どうかした因縁で、少しばかりの舞か、謡か、囃子かを習ったとする。そうすると不思議な現象が起る。
 その人は今まで攻撃していた「能楽」の面白くないところが何ともいえず面白くなる。よくてたまらず、有り難くてたまらないようになる。あの単調な謡の節の一つ一つに云い知れぬ芸術的の魅力を含んでいる事がわかる。あのノロノロした張り合いのないように見えた舞の手ぶりが、非常な変化のスピードを持ち、深長な表現作用をあらわすものであると同時に、心の奥底にある表現慾をたまらなくそそる作用を持っている事が理解されて来る。どうしてこのよさが解らないだろうと思いながら誰にでも謡って聞かせたくなる。quomark end - 能とは何か 夢野久作
 
 また熊の一種で「四ツの手足が無い」「能」という獣が居る、手足が無いのに「物の真似がトテモ上手で世界中のありとあらゆるものの真似をする」その能というけだものと、舞台芸術の能は、通底している……という架空の獣の話しが印象にのこりました。
 中盤からは、真面目に能の芸術性を論じて、後生への伝承のしかたについて書いています。
quomark03 - 能とは何か 夢野久作
 能とは要するに、人間の表現慾の極致、芸術的良心の精髄を、色にも型にも残らぬ型というものによって伝えて行くものである。……quomark end - 能とは何か 夢野久作
 

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追記  おわりに、蝶の美と、能の美の共通項について論じているのが印象にのこりました。これが夢野久作の芸術論であり美学論なのだろうと思いました。
「蝶のあの美しい姿は開闢かいびゃく以来、あらゆる進化の道程を経て、あの姿にまで洗練されて来たものである。」「蝶の舞いぶり、鳥の唄いぶりが、人間のそれと比べて甚しく無意味であるだけそれだけ、春の日の心と調和し、且つその心を高潮させて行くものである事は皆人の直感するところであろう。」「人間の世界は有意味の世界である。大自然の無意味に対して、人間はする事なす事有意味でなければ承知しない。芸術でも、宗教でも、道徳でも、スポーツでも」「能はこの有意味ずくめの世界から人間を誘い出して、無意味の舞と、謡と、囃子との世界の陶酔へ導くべく一切が出来上っている。」

細雪(86)谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その86を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 あと十数回でこの長編小説は完結しますので、こんご細雪の全巻を通読する予定の方は、本文の第一章から読むことをお薦めします。
 死期さえ感じるほどの恐ろしい病状だった妙子だったのですが、もう既に、回復の兆しが見えてきたのでした。まさか主人公級の人物が死ぬはずは無いとは思っていたのですが、谷崎は驚く展開を書くのが特徴の作家だと思うので、これは不味いのではと思いながら読んでいました。本文はこうです。
quomark03 - 細雪(86)谷崎潤一郎
 病人の容態は、病院へ移した二三日後から眼に見えて快方に赴いて行った。あの日の気味の悪い死相などは、不思議なことにわずか一日だけの現象に過ぎなかったものと見えて、もう入院した翌日には、あの顔に漂っていた不吉な幻影のようなものはさっぱりと消え去っていた。quomark end - 細雪(86)谷崎潤一郎
 
 妙子が危篤である、という一報を東京の大姉の鶴子に送ったのですが、それがすぐに回復したという知らせを聞いて、今までほとんど感情をあらわしてこなかった大姉も、感情を露わにした手紙を書き送ってきたのでした。細雪は四人姉妹の物語なのですが、大姉の鶴子だけはほんとうにまったく登場してこなかったんです。その理由もなんだか見えてくる、奇妙な内容の手紙でした。「災厄さいやくから自分たち一家を守ることにのみ汲々きゅうきゅうとしていることを、不用意のうちに曝露ばくろしている」という記載が印象にのこりました。戦中の不和と疑心暗鬼とぎすぎすした人間関係が見えてくるような、なにか暗い章に思いました。日本では谷崎潤一郎だけが、戦中戦後を貫いて大長編小説をリアルタイムで書いたわけで、戦中には軍部の監視があってどうしても書けなかったことが後編のここにきていくつか書かれるようになってきたのでは、と思いました。
 姉の幸子がいだく、病人妙子への心情としてはこう記されていました。「地位も名誉も捨ててかかった恋の相手に死なれてしまったり、全く彼女一人だけが、平穏無事な姉たちの夢にも知らない苦労の数々をし抜いて来ている」
 この妙子の婚約者だった米やん(板倉)に致命的な嫌がらせをしていたのが窃盗者の奥畑啓坊で、妙子はけっきょくはこの不自由な男と結ばれる可能性があり、なんとも奇妙なバランスの人間関係だなあと思いながら読みました。奥畑啓坊はロミオとジュリエットでも無いのに、無理やりにヒロイン妙子の病室に侵入していったのでした。
「地獄の一丁目まで行って来た」妙子としては、やっと生きる希望が出てきたところにとつぜん秘密の病室に闖入してきた奥畑啓坊と、やっぱり縁があるのかも、しれないなあ、と思いました。
 妙子のことを「地獄の一丁目まで」行かせた主因はどうにも、不倫者で窃盗者の奥畑啓坊の不誠実な暮らしの影響だと思えるわけなのですが。
 

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当サイトでは『細雪 中巻一』を通し番号で『細雪 三十』と記載しています。下巻の最終章は通し番号で『細雪 百一』と表記しています。
「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。
  
■登場人物
蒔岡4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)