可愛い女 アントン・チェーホフ

 今日は、アントン・チェーホフの「可愛いひと」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これはチェーホフの奇妙な名作で「オーレンカ」という少女が成長して、良人と暮らしはじめ、なにごとにも夢中になって、近しい人とどこまでも添い遂げようとする、けなげで可愛い姿が描きだされる、近代ロシアのみごとな物語なんです。
 

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追記  ここからはネタバレとなりますので、近日中に読了する予定の方は、先に本文を読むことをお勧めします。不幸つづきで二転三転あっても、オーレンカはずっと「可愛い女」のまま、新たな良人に熱い思いを抱きつづけるという不思議な生きかたを続けるさまが描きだされる物語でした。オーレンカは好きになった人に、すぐに影響を受けてしまうのでした。本文にはこう記されています。
「オーレンカはすっかり彼に恋してしまったのみか、それがまた一通りや二通りの慕いようではなく、その晩はまんじりともせずにまるで熱病にでもやられたように心を燃やし身を焦がし、朝になるのを待ちかねて……」
 中盤の、不幸なできごとからすっかり立ち直ってしまう展開があまりにもみごとで、惹きつけられました。
 おばあさんになっても、他人の子である「サーシャ」を自分の住まいから学校へと送りだすことに、熱中して夢中になっているという、かわいい性格が度を過ぎているオーレンカが描きだされる、チェーホフの魅力あふれる小説になっていました。

 

細雪(85)谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その85を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 あと十数回でこの長編小説は完結しますので、こんご細雪の全巻を通読する予定の方は、本文の第一章から読むことをお薦めします。
 世間体は気にしない、というのが作者の谷崎潤一郎と、自由奔放だったはずの妙子(こいさん)の考えだったはずなんですが、「細雪」の幸子によれば、物言えぬようになった病床の妙子は、今はほんとうに世間体を気にしているのだから理解して配慮してくれ、ということなのでした。この世間体の究極の形が、病床の悪夢の中に元婚約者の、亡き「米やん」が現れてしまうということが、前章で描かれたのでした。
 細雪の全篇を完読する予定はないけれども、谷崎文学には興味があるというかたなら、本章はお薦めの、読み応えのある章だと思います。
 細雪上巻の第一章と、この章さえ読めば、細雪の全篇はあるていど見えてくるのでは、というように思える、濃い内容の章でした。戦争が激化する前に記されて、敗戦間近にも秘密裡に書き継がれて、戦後に完結編を描こうとしているという、文豪の労苦の成果というのが垣間見えてくるように思いました。
 こいさんと、窃盗者の啓坊は、家から一時的に勘当されて、生活基盤が痩せ細った結果、戦時中の多くの人々と同じように、病にかかってしまって治るものも治らなくなってしまった、という状態が描かれるのでした。そこから幸子一家の尽力で、なんとか病院の片隅で赤痢の治療をするということになったのでした。おそらくこれは最終話までに治るはずなんですが、かなり死期の迫る描写があるのでした。細雪中巻の巻末では、妙子の愛した板倉勇作(米やん)が病院で身罷る場面描写があったのですが、これと本章の入院の描写が、不吉にも重ね合わせられるのでした。
 

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当サイトでは『細雪 中巻一』を通し番号で『細雪 三十』と記載しています。下巻の最終章は通し番号で『細雪 百一』と表記しています。
「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。
  
■登場人物
蒔岡4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)
 

木の子説法 泉鏡花

 今日は、泉鏡花の「木の子説法」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 能と狂言を見にゆく「私」が目撃した「お雪」と家族と詐欺師たちの、滅びの物語が描写されます。朽ちた大地にはえてくる毒々しいキノコの世界を描きだし、そこに人間の骸を重ね合わすように描写していて、人間たちの滅びと陰気な生命感が描きだされる、重厚な文学作品でした。困窮から抜け出すことが叶わなかった母子の物語と、歴史的な災禍と、朽ちた大地に立ち現れる毒茸の描写と、貧すれば鈍する詐欺師たちの破滅とが、能と狂言と小説の構成で描きだされる多層的な物語でした。

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追記  ハッピーエンドからほど遠い終わりかたをするのですが、なぜか人情や美が表出してくるところが、泉鏡花の独特な文学性なのでは、と思いました。泉鏡花は「綾鼓」がいちばん好きな能楽だったのでは?と思いました。
 

細雪(84)谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その84を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 あと十数回でこの長編小説は完結しますので、こんご細雪の全巻を通読する予定の方は、本文の第一章から読むことをお薦めします。
 仕事も恋愛も暮らしも行き詰まってしまい、不摂生が祟って重い病にかかった妙子だったのですが、それについて病人を見舞った雪子と幸子の考えていることが記されてゆきます。とくに雪子が妙子の不潔さをかねてから警戒していたことを描きだしたところが、仮想の物語とは思えない迫力のある描写で、衝撃を受けました。
 病床の妙子がうなされて、怖ろしい心理状態におちいっていることが描かれるのですが、もともと妙子(こいさん)の婚約者だった板倉勇作(よねやん)が亡くなってもうすぐ一周忌なんですが、板倉の死が原因で妙子は心の調子も崩してしまっていて、日ごろの不摂生がさらに危険なほうへとおちいってしまったようなのでした。本文はこうです。
quomark03 - 細雪(84)谷崎潤一郎
  板倉の死んだのは去年の五月であったから、そろそろ一周忌が廻って来る時分ではなかろうか。こいさんは、あの男の死に方が尋常でなかったので、それが余程気に懸っているらしく、未だに毎月岡山の田舎まで墓参りに行くのも、一つはそのためなのであろうと察しられるが、ちょうど折も折、あの男の一周忌が近づいた時に重い病気に取りかれて、而もあの男の恋敵であった啓坊の家で寝付くようになったと云うことは、神経に病まない筈はあるまい。quomark end - 細雪(84)谷崎潤一郎
 
 この幸子の考察を読んで、この「細雪」は、幸子の視点で描かれてきたんだなあと思いました。雪子と妙子の問題を描きだしているのは幸子の心情描写や思い出を挿むかたちで描かれることが多いんです。幸子の心情は三人称の小説であるにもかかわらず、さまざまに記されるのですが、雪子や妙子の深層心理はほぼ記されずに、外部の変化だけを捉えているところがあるんです。ですから、この三人称の物語の語り手と主人公というのは、どうも幸子のように思えます。いちばん谷崎潤一郎の人格に近いのも、たぶん既婚者で子育ても順調な幸子なのではと、思うんです。
 元婚約者の板倉への不義のことをどうにも気に病んで、悪夢でうなされるので、治る病気も治らなくなっている妙子なのです。いったん板倉と敵対していた奥畑啓坊の住み家から、病人の妙子を遠ざけてみて苦を緩和して、新たな病院で妙子の病を治すしかない、ということで幸子と雪子は、妙子を別の病床へと移すことにしたのでした。こんかいは妹思いの雪子の努力というのが見えて、いつまでたってもお見合いが進展しない雪子の、性格の良いところと悪いところが良く見える章に思いました。
 雪子は、人と隔絶しているところがあるし、男の思いを汲み取らないところがあって、もう半世紀ほど未来の社会でなら自立自存した人生を歩む人なんだろうなと思いました。
 

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当サイトでは『細雪 中巻一』を通し番号で『細雪 三十』と記載しています。下巻の最終章は通し番号で『細雪 百一』と表記しています。
「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。
  
■登場人物
蒔岡4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)
 

倫敦塔 夏目漱石

 今日は、夏目漱石の「倫敦塔」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 漱石のいちばんはじめの作品の代表的なのは「吾輩は猫である」と「倫敦塔」の2つなんです。漱石がじっさいに訪れたロンドンでの幻視を描いたもので、作中にあるように「兎が」突然ロンドンの都会のまんなかに「ほうり出されたような心もち」で、大都心の喧噪におびえる小動物のような心情を描くことから、この小説を書きはじめています。
 作中で「鬼」それから薔薇戦争の時代の「血の塔」と、聖書に記された幼子たちの哀れな覚悟のことと、奇妙なカラスのことが記されているのが印象に残りました。
 

0000 - 倫敦塔 夏目漱石

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(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
 
追記 「ボーシャン塔」の悲惨な歴史を描きだした箇所がありました。「壁上に」「冷やかなる鉄筆に無情の壁を彫って」囚人となった事実を呪った言葉がいくつも記されているのだそうです。本文こうです。
quomark03 - 倫敦塔 夏目漱石
 右の端に十字架を描いて心臓を飾りつけ、その脇に骸骨と紋章を彫り込んである。少し行くと盾の中に下のような句をかき入れたのが目につく。「運命は空しく我をして心なき風に訴えしむ。時も摧けよ。わが星は悲かれ、われにつれなかれ」。次には「すべての人を尊べ。衆生をいつくしめ。神を恐れよ。王を敬え」とある。
 こんなものを書く人の心の中はどのようであったろうと想像して見る。およそ世の中に何が苦しいと云って所在のないほどの苦しみはない。意識の内容に変化のないほどの苦しみはない。使える身体は目に見えぬ縄で縛られて動きのとれぬほどの苦しみはない。生きるというは活動しているという事であるに、生きながらこの活動を抑えらるるのは生という意味を奪われたると同じ事で、その奪われたを自覚するだけが死よりも一層の苦痛である。この壁の周囲をかくまでに塗抹した人々は皆この死よりも辛い苦痛を甞めたのである。忍ばるる限り堪えらるる限りはこの苦痛と戦った末、いても起ってもたまらなくなった時、始めて釘の折や鋭どき爪を利用して無事の内に仕事を求め、太平の裏に不平を洩らし、平地の上に波瀾を画いたものであろう。彼らが題せる一字一画は……
…………
……quomark end - 倫敦塔 夏目漱石
 まさにこれを漱石がロンドン塔で目撃していた当時に、漱石の親友の正岡子規は病床から抜け出せなくなり身罷ります。漱石文学のいちばんはじめの文学的苦悩は、この前後の箇所に凝縮されているというように思いました。子規に読んでほしかったことは、子規の没後、子規の文芸誌ホトトギスに掲載された「吾輩は猫である」と「倫敦塔」に書きあらわされているように思うのですが、とくにこの囚人を描いたところと、孔子とキリストを論じた箇所こそが、子規に手紙で書いて送りたかったのに手遅れで送れなかったものの内実であると、思いました。
 「倫敦塔」では、はじめに「兎」の比喩を記していて、最後に漱石が引用しているアン王妃を描きだした奇妙な英文の詩は、なんだかルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」の終盤に現れる王女の奇怪さと、どこか不思議に通底しているように思いました。
 
 
追記その弐  十数年間どうも最後まで読めなかった漱石の名作『倫敦塔』を、ついに通読できた! と思いました……。

迷い路 小川未明

 今日は、小川未明の「迷い路」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 夢の中でみた奇妙な道のりのとおりに、迷い道をたどって「ほんとうの母さんにいに」ゆく、幼子の物語なのですが、日本昔話によくある、怪談としてもみごとな、童話なのでした。
 

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追記  結末もみごとで、幼子への愛の溢れる物語でした。
 
 
追記2  数日間ほど旅先にいて、離席していたので更新がびみょうに滞っています。