今日は、リルケの「マルテ・ロオリッツ・ブリッゲの手記」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
原民喜が、戦時中に愛読した本がこの堀辰雄訳の「マルテの手記」の抄訳だということで、はじめてこれを読んでみました。これは世界的な名作で、ナボコフや画家パウル・クレーがこのリルケ文学に深い影響を受けたのでした。
デンマークに生まれて、パリで詩人になろうと孤軍奮闘している青年のマルテは、日記のような形式で、散文詩をしたためているのでした。病院の周縁から世界を見てゆく青年マルテのようすが描かれます。本作は抄訳なんですが、いつか「マルテの手記」の全訳も読んでみたい、と思う、みごとな短編化でした。
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追記 「ヨオドフォルムの匂、揚林檎の油の匂」の歪な匂いに恐怖を感じ、街の人々が、顔を付けかえながら生きていて、自分は過去の自分と切り離されてしまって、今や手紙を書こうと思っても、新しい「私」のことを理解している人は一人もおらず、手紙を書く意味そのものを見失ってしまうのでした。
さらに、所有をするということにさえ疑問を抱き、ほんとうは、誰もなにも持っていないのではというように考えはじめます。「人は何物をも、又何人をも所有して居らぬ。」そうして「せめて思ひ出だけなりと持つてゐられたなら! が、そんなものを誰が持つてゐよう?」と思い出さえもじつは、埋没してしまって、探しだせないでいるのが人間なのだというように考え始めるのでした。
作中でマルテは、病院の周縁にある町を歩いてゆきながら、死というものがさまざまな様相を持っていて、それぞれ唯一の存在としてあることを論じてゆくのでした。私的な世界が溶け崩れていってから、秋の朝日の光が織りなす神秘的な街並みを眩く見つめて、「愉快で愉快でしやうがないらし」い「松葉杖を突いて」いる男を目撃し「何んとまあ、あの小さな月にこんな大した魔力があるのだらう!」と讃嘆し、自動オルガンが奏でる音と、「緑色の晴着をきた小さな娘が舞踏をし、ときどきタムバリンを、窓の方へ差し上げながら、叩いて」いるその町なかの音楽に魅せられている、マルテの姿を描きだすのでした。この終盤の詩的な気配に感銘を受ける名作でした。







