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Baudanbau20 (会話 | 投稿記録) m →満洲事変 |
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日本の[[満洲国]]建国に前後して、[[国際連盟]]はイギリスの[[ヴィクター・ブルワー=リットン]]率いる[[リットン調査団]]を派遣し、その調査結果に基づいて、[[1933年]](昭和8年)、日本の撤退勧告案を42対1<ref>反対は日本のみ、ほかに[[タイ王国|シャム(タイ)]]のみが棄権</ref> で可決した。日本は2月20日の閣議で同勧告案が可決された場合の脱退を決めていたので[[松岡洋右]]代表は退場(2月24日)し、3月27日には国際連盟脱退を通告した。このことにより日本は国際的に決定的に孤立の道を歩んでいくこととなる。 |
日本の[[満洲国]]建国に前後して、[[国際連盟]]はイギリスの[[ヴィクター・ブルワー=リットン]]率いる[[リットン調査団]]を派遣し、その調査結果に基づいて、[[1933年]](昭和8年)、日本の撤退勧告案を42対1<ref>反対は日本のみ、ほかに[[タイ王国|シャム(タイ)]]のみが棄権</ref> で可決した。日本は2月20日の閣議で同勧告案が可決された場合の脱退を決めていたので[[松岡洋右]]代表は退場(2月24日)し、3月27日には国際連盟脱退を通告した。このことにより日本は国際的に決定的に孤立の道を歩んでいくこととなる。 |
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また[[1932年]]︵昭和7年︶2月9日、[[第18回衆議院議員総選挙]]戦中に民政党の[[井上準之助]]︵前蔵相︶が選挙応援中に射殺され、[[3月5日]]には[[団琢磨]]︵三井合名理事長︶が[[三井銀行]]本店の入り口で[[射殺]]された。いわゆる[[血盟団事件]]である。続いて5月には海軍将校らが[[犬養毅]]首相を射殺した[[五・一五事件]]が起こり、[[犬養内閣]]総辞職の後、5月26日に[[齋藤内閣|斎藤内閣]]︵ |
また[[1932年]](昭和7年)2月9日、[[第18回衆議院議員総選挙]]戦中に民政党の[[井上準之助]](前蔵相)が選挙応援中に射殺され、[[3月5日]]には[[団琢磨]](三井合名理事長)が[[三井銀行]]本店の入り口で[[射殺]]された。いわゆる[[血盟団事件]]である。続いて5月には海軍将校らが[[犬養毅]]首相を射殺した[[五・一五事件]]が起こり、[[犬養内閣]]総辞職の後、5月26日に[[齋藤内閣|斎藤内閣]](斎藤実首相)が成立したが、[[帝人事件]]の贈収賄容疑が閣内に波及したため、[[1934年]](昭和9年)[[7月3日]]に総辞職し、[[7月8日]]に[[岡田内閣]]([[岡田啓介]]首相)が成立した。[[軍部]][[急進派]]や[[右翼団体]]を中心に、[[明治維新]]の精神の復興、[[天皇親政]]を求める「[[昭和維新]]」を[[スローガン]]とする[[右翼]]思想が唱えられ、この影響で[[1936年]](昭和11年)には[[皇道派]]の青年将校が斎藤実内大臣や高橋蔵相らを射殺した[[二・二六事件]]が起こった。[[1936年]](昭和11年)[[2月28日]]に岡田内閣は総辞職し、[[政党内閣]]は終焉に至った。 |
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その後、同年3月9日に成立した[[廣田内閣|広田内閣]]([[広田弘毅]]首相)は、二・二六事件に対する措置として大規模な粛軍を実行した一方で実質廃止となっていた[[軍部大臣現役武官制]]を復活させた。しかし、その制度は軍の協力なしでは組閣が難航する問題を内包しており、復活とともに軍部の政治介入と政治的優位が確立したため、後に議会はその役割を事実上停止する。8月7日、首相・外相・蔵相・陸相・海相の[[五相会議]]が開かれ、対外問題を中心にする重要国策(国策の基準)を決定した。内容は公表されなかったが、戦争政策の見取図・計画書であった。また、同月五相会議は「第二次北支処理要綱」を決定した。「陸軍は国防充実12か年計画<ref>飛行機、戦車、火砲などの近代装備の大幅な充実</ref>、海軍は第二次補充計画<ref>武蔵、大和などの世界最大の戦艦や航空母艦の建艦</ref> を立てた<ref>遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 135-137ページ</ref>。 |
その後、同年3月9日に成立した[[廣田内閣|広田内閣]]([[広田弘毅]]首相)は、二・二六事件に対する措置として大規模な粛軍を実行した一方で実質廃止となっていた[[軍部大臣現役武官制]]を復活させた。しかし、その制度は軍の協力なしでは組閣が難航する問題を内包しており、復活とともに軍部の政治介入と政治的優位が確立したため、後に議会はその役割を事実上停止する。8月7日、首相・外相・蔵相・陸相・海相の[[五相会議]]が開かれ、対外問題を中心にする重要国策(国策の基準)を決定した。内容は公表されなかったが、戦争政策の見取図・計画書であった。また、同月五相会議は「第二次北支処理要綱」を決定した。「陸軍は国防充実12か年計画<ref>飛行機、戦車、火砲などの近代装備の大幅な充実</ref>、海軍は第二次補充計画<ref>武蔵、大和などの世界最大の戦艦や航空母艦の建艦</ref> を立てた<ref>遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 135-137ページ</ref>。 |
2024年5月19日 (日) 04:52時点における版
日本の歴史 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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Category:日本のテーマ史 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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概説
大正天皇の崩御に伴い、皇太子裕仁親王が皇位を継承し、即日「昭和」と改元された。昭和天皇(裕仁親王)の崩御に伴い、皇太子明仁親王(現上皇)が皇位を継承し、「平成」と改元されることとなって幕を閉じた。
最も長く続いた日本の元号で64年を数えるが、「元年」と「64年」は共に7日間しか使用されなかったため実際の期間は62年と14日となる。外国のものを含めても最長の元号であり、歴史上60年以上を数えた元号は、昭和の他には、清の康熙(61年)と乾隆(60年)しかない。
最長の元号である上、この期間は第二次世界大戦(太平洋戦争)が終結した1945年(昭和20年)9月2日や終戦記念日の同年8月15日を境に、それ以前の約19年間は戦前(および戦中)、以後の43年余は戦後と、社会の価値観・諸制度や政治体制が大きく異なる時代に分かれ、世界史上の時代区分もそれぞれ近代・現代と別になっており、一体的に捉えることは難しい。
改元
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開始
終了
1989年(昭和64年)1月7日午前6時33分、昭和天皇が崩御。
第一次世界大戦後
急速な技術進歩を続ける20世紀は、2度の世界大戦に象徴されるように、それまでの時代と異なり、国土そのものを破壊する大規模近代戦争を伴う動乱の時代でもあった。 日本は国内的には立憲君主制の体裁を取り、当初の藩閥政治を脱して1920年代には政党が内閣を構成するようになり、大正デモクラシーの風潮を受け継ぐ形での政党政治が行われた。 しかし、政党政治がその一面で見せた腐敗は相次ぐ不況下で困窮する国民の不信と怒りを買い、大陸侵略による事態の打開と国家改造を志向する勢力の台頭を招く。1920年代末から独立性を強めた軍部は、1930年︵昭和5年︶以降は政府の意思に反した軍事活動や戦闘を多数引き起こし、相次ぐ軍事クーデターにより、ついには政党政治を葬り去った。金融恐慌
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田中内閣と山東出兵
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普通選挙
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満洲事変
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日中戦争
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第二次世界大戦
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太平洋戦争前夜
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太平洋戦争
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原子爆弾の投下と終戦
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戦後のGHQによる占領時代(1945-1952)
概観
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太平洋戦争後、1952年(昭和27年)4月28日の日本国との平和条約発効まで連合国軍の軍事占領下に置かれたが、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ / SCAP) の軍政は布かれず、アメリカ政府による直接的な統治があった沖縄・奄美群島・トカラ列島の下7島・歯舞群島・小笠原諸島と、ソ連によって占領された歯舞群島・千島列島・南樺太を除き日本国政府が行う間接統治が行われた。出版停止やプレスコードと称される言論統制・検閲などを通じて軍国主義・反米・反連合国とGHQにみなされたものは報道できなかった。
GHQによる占領
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d4/Macarthur_hirohito.jpg/200px-Macarthur_hirohito.jpg)
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日本社会党政権による社会主義政策
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生活保護
1946年︵昭和21年︶生活保護法を成立させて、1950年︵昭和25年︶に全面改正。同年生活保護制度の運用を開始するなどの政策が行われた[33]。部落解放運動
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労働運動の興隆と沈滞
東宝争議では、社長が2つの赤︵赤字と赤旗︶の追放を目標とした人員整理を実施したところ、三船敏郎、池部良、久我美子らの映画スターを含む社員が街頭に出て、反対運動を行った[34]。しかし戦後混乱期の頃は、1949年︵昭和24年︶の国鉄三大ミステリー事件︵下山事件、三鷹事件、松川事件︶などの怪事件が次々と起こり[35]、それらが労働運動によって起こされたと宣伝された。同時期にレッドパージが行われ[36]、小中高および大学の共産主義教員が追放されるに至った。それは、アメリカで吹き荒んだマッカーシー旋風︵赤狩り︶に似ていた。騒乱事件
1948年︵昭和23年︶4月に阪神教育事件、独立回復後の1952年︵昭和27年︶には5月1日に血のメーデー事件、同年6月に吹田事件、続く7月には大須事件があった[37]。講和後・高度経済成長期
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戦後経済史の流れ
(一)神武景気。1954年︵昭和29年︶12月から〜1957年︵昭和32年︶6月までの好景気を指す。 (二)なべ底不況。1957年︵昭和32年︶7月から〜1958年︵昭和33年︶6月までの不況を指す。 (三)岩戸景気。1958年︵昭和33年︶7月から〜1961年︵昭和36年︶12月までの好景気を指す。 (四)所得倍増計画。1961年︵昭和36年︶から〜1971年︵昭和46年︶までの経済計画を指す。 (五)オリンピック景気。1962年︵昭和37年︶11月から〜1964年︵昭和39年︶10月までの好景気を指す。 (六)証券不況︵構造不況︶。1964年︵昭和39年︶11月から〜1965年︵昭和40年︶10月までの不況の時代。 (七)いざなぎ景気。1965年︵昭和40年︶11月から〜1970年︵昭和45年︶7月までの好景気を指す。 (八)日本万国博覧会は1970年︵昭和45年︶の出来事で通称は大阪万博である。 (九)ニクソン・ショック︵円切上げ︶ は1971年︵昭和46年︶の経済ショックを指す。 (十)日本列島改造論︵列島改造景気︶によって1972年︵昭和47年︶に大型公共事業とインフレーション︵物価上昇︶があった[41]。家電ブーム
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昭和元禄文化
昭和元禄[45] と呼ばれ、週刊誌や月刊誌の創刊が目立った。手塚治虫・石ノ森章太郎・藤子不二雄・長谷川町子・水木しげる・赤塚不二夫などの漫画を原作としたアニメなどの作品[46] や黒澤明・円谷英二が映画監督となった邦画などの昭和文化や大衆文化が生まれた。流行歌が普及して美空ひばり・藤山一郎などの歌手や石原裕次郎[47] や渥美清などの俳優がスターとなり芸能界で活躍した。漫画・映画と並んでテレビ放送も普及した。昭和40年代はプロ野球のV9時代であり、大相撲は昭和30年代から昭和50年代にかけて、力道山がプロレスで活躍するなど格闘技人気があった。﹁巨人・大鵬・卵焼き﹂などの流行語が[48][49] 誕生した。東海道新幹線開業︵1964年︹昭和39年︺︶名神高速道路開通︵1963年︹昭和38年︺︶東京オリンピックの開催︵1964年︹昭和39年︺︶[50]日本万国博覧会︵1970年︹昭和45年︺の大阪万博︶の成功によって最高潮を迎えたが、中東戦争がもたらしたオイルショックによって成長が終わる。防衛問題
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食事
若者の農家離れによって、農民︵特に青壮年の男性︶が農家から会社員になるようになり、﹁母ちゃん、爺ちゃん、婆ちゃん﹂のいわゆる﹁三ちゃん農業﹂が急増して、機械化が進んで専業農家より兼業農家の方が多くなった。学校給食がパン食になって育った戦後世代の主食が米からパンとなり、米余りになると減反政策を行い、転作によって小麦の輸入が増加し、その結果日本の食料自給率が低下した。戦後期は捕鯨が盛んで鯨肉が主流の肉食であったが、昭和50年代以降、IWC︵国際捕鯨委員会︶で商業捕鯨が禁止されたことによって牛肉・豚肉・鶏肉が主流の肉食となった[51]。高度経済成長期に調理の熱源が薪や炭から電気・ガスに変わった。昭和30年に東京芝浦電気が電気炊飯器を発売したことが発端となり、竈などを使用する炊飯方法から炊飯器を使用したものに変化した(当時は電気炊飯器とガス炊飯器がほぼ互角だった)[52][53]。炊飯の調理から副食中心の料理に主婦の仕事が変化した。ガスコンロの普及で洋食や中華料理の調理が容易となった。昭和40年代の冷蔵庫の普及で生鮮食品が登場した。昭和35年ごろから米の消費量が減少してパン・麺類・肉・乳製品・魚介類・野菜の消費量が増加した。[54]昭和42年から米余りになり昭和45年から米の生産調整が実施された、昭和40年頃に日清食品のインスタントラーメンなどインスタント食品が多数開発された。昭和43年には初のレトルト食品、昭和46年にはカップ麺が開発された。昭和45年以降ファーストフード店やファミリーレストランやコンビニエンスストアが普及した。[55]ラーメンやコーヒーやコロッケやハンバーグが国民食となった。住宅医療などの生活問題
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女性史
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金の卵の時代
急速な高度経済成長に合わせて高齢化の進行と乳児死亡率など病死の減少が進み、都市の人口の急増が進んで日本の人口はさらに増加した。戦後すぐの第1次ベビーブームを経て[62]、昭和40年代には日本の総人口がついに1億人を超えた。ベビーブームで生まれた世代は団塊の世代と呼ばれ、戦争を知らず、その膨大な世代人口の中で勝ち残るための競争に身を捧げることになり、自己主張はどの世代よりも激しくなった。地方出身者は口減らしのために都市部へ集団で送り込まれ︵集団就職︶、彼らは﹁金の卵﹂と呼ばれ、集団就職列車も運行された。都市部の中小企業に就職したかれらの豊富な労働力が日本経済を支えた[63]。左翼運動
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社会問題(公害・福祉・交通戦争)
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日本復帰
臨時北部南西諸島政庁が設置されていた南西諸島地域は、1952年︵昭和27年︶2月10日にトカラ列島が、奄美群島が1953年︵昭和28年︶に12月25日アメリカから日本に返還された。1968年︵昭和43年︶6月28日に南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定により小笠原諸島が返還された。1972年︵昭和47年︶5月15日に、琉球政府が設置されていた沖縄県が日本に復帰した[71]。県民の祖国復帰運動が実った結果だが、沖縄のアメリカ軍基地がそのまま残されたことは後に禍根を残した。エネルギー問題
高度経済成長の進展とともに燃料が石炭から石油へ転換するエネルギー革命が開始されて、これまで有力産業の一つであった炭鉱業界の合理化が迫られて1959年︵昭和34年︶〜1960年︵昭和35年︶に三井三池争議があった[72]。1973年︵昭和48年︶の第一次オイルショック︵石油危機︶に伴い、狂乱物価抑制のための総需要抑制策が執行されて、高度経済成長は終焉することとなった。田中角栄内閣は石油や天然ガスなど海外からの資源に依存する火力発電から脱却して原子力発電を推進するために、電源開発促進税法・特別会計に関する法律・発電用施設周辺地域整備法の電源三法を成立させた[73]。安定成長期とその後のバブル景気(1973-1989)
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公共事業によるケインズ政策の実施
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派閥政治と保革の対立
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芸能史
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教育問題
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新自由主義への移行とバブル時代
鈴木内閣から中曽根内閣時代に行政改革が叫ばれて臨調が設置された。中曽根内閣の行革路線を皮切りに、老人医療の無料化制度を廃止するなどの福祉の縮小が行われた。三公社民営化︵日本専売公社 → 日本たばこ産業 。日本国有鉄道 → 日本国有鉄道清算事業団とJRグループ。日本電信電話公社 → NTTグループ︶と消費税導入計画が構想されて[80]、野党の猛反対があったが、1988年︵昭和63年︶に消費税法案が可決した。福祉国家路線は見直されて新自由主義路線へと舵が切られた。イギリスのサッチャリズム、アメリカのレーガノミクス、東側諸国のペレストロイカや改革開放政策、そしてアジアNIEs諸国の躍進などの世界経済の大転換期の中で、日本の経済はプラザ合意を発端とする円高の進行で日本銀行による円高不況対策が行われて内需拡大が続くバブル景気に突入した[81][82][83][84][85]。1986年︵昭和61年︶に男女雇用機会均等法が執行されて、昭和60年代に女性の社会進出が進んだ[58]。学生は就職売り手市場でありバブル世代と呼ばれた。好景気の中、昭和の時代は平成へと移り変わり、冷戦の終結を迎える。略年表
昭和初期から終戦まで
- 1926年︵大正15年/昭和元年︶ 12月25日に大正天皇が崩御したことを受けて、裕仁親王が践祚、12月25日から昭和と改元。 1927年︵昭和2年︶ 昭和金融恐慌勃発。南京事件。第1次若槻内閣総辞職。田中義一内閣︵政友会内閣︶成立。緊急勅令で金銭債務の支払延期等公布施行︵モラトリアム︶。金融恐慌対策のため第53回臨時議会招集。山東出兵#第一次出兵。東方会議。岩波文庫刊行開始。12月30日、上野・浅草間に日本最初の地下鉄が開通。 1928年︵昭和3年︶ 最初の男子普通選挙︵第16回衆議院議員総選挙︶が実施される[注 8]。三・一五事件‥1道3府27県に共産党・労農党・評議会・無産青年同盟の関係者など千数百名を治安維持法違反容疑で検挙する。第55回帝国特別議会にて治安維持法の改正案を提出して審議未了となる。閣議で第2次山東出兵を決定。済南事件。張作霖爆殺事件・満洲某重大事件。緊急勅令で治安維持法改正公布施行︵死刑罪・目的遂行罪追加︶。アムステルダムオリンピックで織田幹雄︵三段跳び︶・鶴田義行︵水泳200メートル平泳ぎ︶が日本選手初めての金メダル、女子では人見絹枝が800メートルで銀メダルを獲得し女子初のメダリストとなる。昭和天皇即位の礼。 1929年︵昭和4年︶ 世界恐慌の発生。田中義一内閣総辞職、浜口雄幸内閣︵民政党内閣︶成立。 1930年︵昭和5年︶ 昭和恐慌。金輸出解禁。ロンドン海軍軍縮会議開催。第17回衆議院議員総選挙[注 9]。婦人に公民権を認める市制・町村制改正案、衆議院で可決、貴族院で審議未了。10月、霧社事件。11月、濱口首相遭難事件。 1931年︵昭和6年︶ 中村大尉事件。柳条湖事件、満洲事変勃発。金輸出再禁止。三月事件。十月事件。第2次若槻内閣成立。犬養内閣成立。 1932年︵昭和7年︶ 血盟団事件。第18回衆議院議員総選挙[注 10]。リットン調査団来日。3月1日、満洲国建国宣言。五・一五事件。犬養内閣総辞職。齋藤内閣成立。日満議定書締結、満洲国承認。第一次上海事変。 1933年︵昭和8年︶ ヨーヨーが流行。東京音頭がヒット。昭和三陸地震発生。12月23日に継宮明仁親王︵生まれながらの皇太子となり、後に第125代天皇︶が誕生した。3月国際連盟脱退。5月滝川事件、塘沽停戦協定︵柳条湖事件に始まる満洲事変の軍事的衝突停止︶。7月神兵隊事件。 1934年︵昭和9年︶ 室戸台風襲来。ベーブ・ルースら米大リーグ選抜チームが来日。陸軍士官学校事件。帝人事件、斎藤内閣総辞職。7月岡田内閣成立。 1935年︵昭和10年︶ 天皇機関説事件。相沢事件。吉川英治﹃宮本武蔵﹄連載開始︵同14年に完結︶。 1936年︵昭和11年︶ 1月15日、日本全権、ロンドン軍縮会議からの脱退を通告。第19回衆議院議員総選挙[注 11]。二・二六事件。岡田啓介内閣総辞職。広田弘毅に組閣命令下る。軍部大臣現役武官制が復活。日独防共協定締結。綏遠事件。西安事件。 1937年︵昭和12年︶ 広田内閣閣内不統一のため総辞職。林銑十郎内閣成立。第20回衆議院議員総選挙[注 12]。林内閣総辞職。第1次近衛内閣成立。7月7日、盧溝橋事件、日中戦争︵支那事変︶勃発。7月11日、現地停戦協定成立。政府河北派兵を声明。7月28日、日本軍、河北で総攻撃開始。8月13日、上海で日中両軍交戦︵第二次上海事変︶。8月15日、全面戦争に突入。9月﹁挙国一致・尽人報國・堅忍持久・八紘一宇﹂をスローガンに国民の戦争協力を促す国民精神総動員運動が始まる。10月6日、国際連盟総会、日本の行動非難の決定を採決。11月20日、大本営設置。11月日独伊防共協定締結。政府、朝鮮で皇国臣民ノ誓詞を配布する。内閣情報部が国民歌募集、﹁愛国行進曲﹂演奏発表会、レコード100万枚売れる。白白教事件。日本無産党が治安維持法により結社禁止︵第一次人民戦線事件︶。12月13日、日本軍が南京を占領。南京事件。 1938年︵昭和13年︶ 近衛声明。4月国家総動員法制定。徐州会戦。7月、満洲国東南端で張鼓峰事件勃発。1940年東京オリンピックの中止決定。8月武漢作戦。 1939年︵昭和14年︶ 1月平沼内閣成立。重慶爆撃。5月ソ連・モンゴル連合軍と満蒙国境付近で軍事衝突、日本側大敗︵ノモンハン事件︶。7月国民徴用令制定。8月独ソ不可侵条約制定によって広田内閣以来の親独政策の根拠を失い、平沼は﹁欧州情勢は複雑怪奇﹂という言葉を残して総辞職。9月1日、ドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦始まる。阿部内閣成立。賃金統制令・価格等統制令︵九・一八停止令︶公布。 1940年︵昭和15年︶ 米内内閣成立。紀元2600年記念祝典。3月汪兆銘政権成立︵11月日華基本条約で政権を承認︶。7月第二次近衛内閣成立。9月日独伊三国軍事同盟締結、北部仏印進駐。10月大政翼賛会結成。11月大日本産業報国会結成。 1941年︵昭和16年︶ ゾルゲ事件。4月日ソ中立条約締結、日米交渉開始。7月、第三次近衛内閣成立、南部仏印進駐。ABCD包囲網によって対日石油輸出全面禁止。御前会議で帝国国策遂行要領決定。10月東條内閣成立。ハル・ノートが提示される。12月8日、南方作戦︵マレー作戦・真珠湾攻撃︶、太平洋戦争開戦。マレー沖海戦。戦艦大和竣工。言論、出版、集会、結社等臨時取締法公布、施行。「太平洋戦争の年表」も参照1942年︵昭和17年︶ シンガポールの戦い、フィリピンの戦い。4月18日、ドーリットル空襲で米陸軍機が東京府東京市、神奈川県川崎市、横須賀市、愛知県名古屋市、三重県四日市市、兵庫県神戸市を初空襲する。第21回衆議院議員総選挙[注 13]。6月4日、ミッドウェー海戦。 7月1日、関門鉄道トンネル開業︵貨物列車のみ︶。戦艦武蔵竣工。ガダルカナル島の戦い。 1943年︵昭和18年︶ 山本五十六戦死(海軍甲事件)。東京市と東京府が廃止、東京都が設置。日本軍ガダルカナル島撤退。アッツ島の戦い。ソロモン諸島の戦い。学徒出陣。 1944年︵昭和19年︶ 大陸打通作戦、インパール作戦、マリアナ沖海戦、グアムの戦い、レイテ島の戦い、フィリピンの戦い (1944-1945年)。サイパン島陥落。小磯内閣成立。対馬丸事件。学童疎開。昭和東南海地震。B-29による東京への空襲が始まる。 1945年︵昭和20年︶ ヤルタ会談。硫黄島の戦い、占守島の戦い。地方総監府を設置して本土決戦に備える。終戦まで各地で大規模な空襲が行われる。 3月9日-10日 東京大空襲 3月 名古屋大空襲、大阪大空襲、神戸大空襲 4月1日 米軍が沖縄本島に上陸して地上戦となる︵沖縄戦︶。 4月7日 鈴木貫太郎内閣成立。 5月 横浜大空襲 6月 静岡大空襲 6月23日 沖縄で日本軍の組織的戦闘が終わる︵慰霊の日︶。 7月 北海道空襲 8月 富山大空襲 8月6日 広島市への原子爆弾投下 8月8日 ソ連が日ソ中立条約を破棄して日本に宣戦布告。千島列島・樺太に侵攻。 8月9日 長崎市への原子爆弾投下 8月10日 ポツダム宣言受諾の決定 8月14日 ポツダム宣言受諾 8月15日 宮城事件。玉音放送により国民に終戦が告げられる︵終戦の日︶。 9月2日 降伏文書調印 9月17日被爆地の広島市などを中心に枕崎台風襲来
昭和中期︵終戦後と高度経済成長期まで︶の年表
1946年︵昭和21年︶ 1月1日に天皇が人間宣言。通化事件。食糧メーデー。[86]11月3日、日本国憲法公布。農地改革。公職追放。12月21日、昭和南海地震。 1947年︵昭和22年︶ 二・一ゼネスト︵中止︶。5月3日、日本国憲法施行。皇室典範及び皇室経済法施行、旧皇族の11宮家51人が皇籍離脱。地方自治法成立。伊豆諸島が本土復帰。 1948年︵昭和23年︶ 昭和電工事件。朝鮮の済州島で大量虐殺︵済州島四・三事件︶、島民が日本に多数流入。阪神教育事件。福井地震発生。帝銀事件。巣鴨拘置所で東条英機、広田弘毅ら7名の死刑執行。 1949年︵昭和24年︶ ドッジ・ライン実施。下山事件。三鷹事件。松川事件が相次いで発生。[87] 韓国から対馬返還要求[88]。湯川秀樹が日本人初のノーベル賞を受賞。 1950年︵昭和25年︶ 朝鮮戦争勃発。海上保安庁掃海部隊を朝鮮半島近海に派遣する[89]。日本は朝鮮特需により経済復興が加速。警察予備隊︵現・陸上自衛隊︶発足。 1951年︵昭和26年︶ サンフランシスコ講和条約、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約調印。ラジオの民間放送が開始。 1952年︵昭和27年︶ トカラ列島が本土復帰。日米行政協定が締結される。李承晩ラインが引かれる。4月28日に日本国との平和条約が発効、主権回復。インドと平和回復︵後にインドネシア・ビルマも平和条約締結︶。 1953年︵昭和28年︶ テレビ本放送開始。力道山らが日本プロレスを設立、プロレスブーム到来。奄美群島が本土復帰。韓国に竹島が占拠される。 1954年︵昭和29年︶ 1月2日二重橋事件。3月1日にビキニ環礁で水爆実験が行われ、第五福竜丸の乗組員が被曝。洞爺丸事故。自衛隊創設。 1955年︵昭和30年︶ 自由党と日本民主党が合同して自由民主党、右派と左派が合併した日本社会党の成立︵55年体制、保守合同[90]・社会党再統一︶。神武景気。原子力基本法成立。紫雲丸事故。トヨタ・クラウン発売開始。 1956年︵昭和31年︶ 原子力委員会設置。日本原子力研究所設置。ソビエト連邦と国交回復、日ソ共同宣言。国際連合加入。 1957年︵昭和32年︶ なべ底不況。科学技術庁設置。五千円紙幣#C号券発行。 1958年︵昭和33年︶ 岩戸景気。東京タワーが竣工。長嶋茂雄が読売巨人軍へ入団。一万円紙幣#C号券発行。南海丸遭難事故。チキンラーメン発売開始。スバル・360発売。 1959年︵昭和34年︶ 4月10日に皇太子明仁親王︵後の第125代天皇︶が正田美智子と結婚︵ミッチー・ブーム︶。王貞治が読売巨人軍に入団。伊勢湾台風発生。新潟日赤センター爆破未遂事件。 1960年︵昭和35年︶ 2月23日に浩宮徳仁親王︵後の天皇︶誕生。6月19日に︵新︶日米安全保障条約改定発効。その反対勢力による安保闘争起こる。7月19日、池田勇人内閣発足し﹃所得倍増計画﹄を打ち出す。浅沼稲次郎暗殺事件。 1961年︵昭和36年︶ 農業基本法制定。嶋中事件。 1962年︵昭和37年︶ オリンピック景気。三河島事故。司馬遼太郎﹃竜馬がゆく﹄連載開始︵同41年完結︶。 1963年︵昭和38年︶ 日本初の原子力発電所、東海発電所稼働。日本初の30分テレビアニメシリーズ[注 14]﹃鉄腕アトム﹄の放映開始。 1964年︵昭和39年︶ 名神高速道路・首都高速道路、そして世界初の高速鉄道である東海道新幹線開通。10月10日-10月24日、東京オリンピック開催。 1965年︵昭和40年︶ 日韓基本条約調印。証券不況︵構造不況︶。朝永振一郎がノーベル物理学賞受賞。 1966年︵昭和41年︶ 日本の総人口が1億人を突破。いざなぎ景気。ビートルズ来日︵前座をザ・ドリフターズが務める︶。三里塚闘争開始。 1967年︵昭和42年︶ 初の建国記念の日の適用。公害対策基本法公布。四日市ぜんそく裁判が提訴される。 1968年︵昭和43年︶革新政党などの反対の中、佐世保基地にエンタープライズが直航、佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争発生。イタイイタイ病が公害病として認定。小笠原返還協定により、小笠原諸島などの南方諸島が返還される。川端康成が日本人初のノーベル文学賞受賞。東京都府中市で、三億円事件発生。漫画﹃ゴルゴ13﹄の連載開始。1969年︵昭和44年︶ テレビアニメ﹃サザエさん﹄の放映開始。お笑い番組﹃8時だョ!全員集合﹄の放送開始。東名高速道路全線開通。東大安田講堂事件発生。日本の佐藤栄作首相とアメリカのリチャード・ニクソン大統領が面会。 1970年︵昭和45年︶ 3月14日-9月13日に日本万国博覧会︵大阪万博︶開催。よど号ハイジャック事件。三島事件。昭和後期︵ポスト高度経済成長期からバブルまで︶の年表
1971年︵昭和46年︶ 7月1日に環境庁設置。ニクソン・ショック。カップヌードル発売。円が変動相場制になり、日本の好景気に一時的な不況をもたらす。 1972年︵昭和47年︶ 札幌オリンピック開催。あさま山荘事件。山陽新幹線の新大阪駅-岡山駅間が開通。テルアビブ空港乱射事件。千日デパート火災。沖縄返還協定により、沖縄︵琉球諸島及び大東諸島︶の施政権がアメリカ合衆国から日本に復帰する︵沖縄返還︶。奈良県明日香村にある高松塚古墳で、極彩色の壁画が発見される。 ●1973年: 日本がG5︵現在のG7︶の一部となる。日本列島改造論。日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明︵日中共同声明、台湾断交︶。アントニオ猪木が新日本プロレスを、ジャイアント馬場が全日本プロレスをそれぞれ設立。 1973年︵昭和48年︶ 中東戦争による第一次オイルショック。金大中事件。大洋デパート火災。 1974年︵昭和49年︶ 連続企業爆破事件。田中金脈問題。セブン-イレブン日本第1号店開店。 1975年︵昭和50年︶ 3月10日に山陽新幹線の岡山駅-博多駅間が開通。沖縄国際海洋博覧会開催。 1976年︵昭和51年︶ ロッキード事件。王貞治がベーブ・ルースの本塁打記録を抜く。 1977年︵昭和52年︶ 北朝鮮による日本人拉致問題が盛んになる。王貞治#本塁打‥ハンク・アーロンの本塁打記録を抜き世界一となる。ダッカ日航機ハイジャック事件。 1978年︵昭和53年︶ 日中平和友好条約調印。新東京国際空港︵現・成田国際空港︶開港。第一回隅田川花火大会。 1979年︵昭和54年︶ イランイスラム革命による第二次オイルショック。テレビアニメ﹃ドラえもん﹄︵第2期︶の放送開始。東京サミット。インベーダーゲームが流行[91]。日本坂トンネル火災事故。元号法成立。 1980年︵昭和55年︶ ハプニング解散。大平正芳が急死。原宿で竹の子族が出現[92]。新宿西口バス放火事件。年間自動車生産数が千万台を超え、日本がアメリカに次ぐ自動車生産国となる。読売ジャイアンツの王貞治引退。 1981年︵昭和56年︶ 中国残留孤児が初来日する。建築基準法の施行令改正︵新しい耐震基準︶。神戸ポートアイランド博覧会。福井謙一がアジア人初のノーベル化学賞受賞。テレビアニメ﹃Dr.スランプ アラレちゃん﹄放送開始。高視聴率をマーク。﹁んちゃ﹂などの﹃アラレ語﹄や、関連商品が大流行・大ヒットする。 1982年︵昭和57年︶ ホテルニュージャパン火災。東北新幹線︵大宮駅-盛岡駅間︶、上越新幹線︵大宮駅-新潟駅間︶開通。3月18日に川崎公害裁判が開始。 1983年︵昭和58年︶ 東京ディズニーランド開園。日本海中部地震発生。おしんブーム。任天堂のテレビゲーム機﹁ファミリーコンピュータ﹂誕生。三宅島の雄山が噴火。奈良県明日香村にあるキトラ古墳の石室内の彩色壁画に玄武が発見される。ロッキード事件の裁判で、田中角栄元首相に対し、懲役4年、追徴金5億円の有罪判決が下る。 1984年︵昭和59年︶ グリコ・森永事件が発生。新しい紙幣が発表され、一万円札の表面は福沢諭吉、 五千円札の表面は新渡戸稲造、そして千円札の表面は夏目漱石に変更された。高円宮家創設。 1985年︵昭和60年︶ AIDSの患者が初めて公的に認知される。東北新幹線と上越新幹線・大宮駅-上野駅間が開通。4月1日、日本電信電話公社・日本専売公社が民営化されて、日本電信電話︵NTT︶・日本たばこ産業︵JT︶が発足。つくば科学博開催。8月12日、日本航空123便墜落事故が発生し、乗客乗員524人中520人死亡で、単独機の航空事故の死亡者数として世界最多を記録。G5でプラザ合意︵昭和60年の円高不況︶。任天堂ゲームソフト﹃スーパーマリオブラザーズ﹄発売、爆発的なヒットとなる。 1986年︵昭和61年︶ 男女雇用機会均等法執行。東京サミット開催。日本社会党の土井たか子が議会政党としては日本初の女性党首に就任。伊豆大島の三原山が噴火したが、住民は先に避難していた。 1987年︵昭和62年︶ バブル景気︵平成景気︶が本格化。国鉄分割民営化で国鉄が民営化し、JRグループが発足され、JRとして七つの会社に分かれる。石原裕次郎死去。 1988年︵昭和63年︶ 青函トンネル、瀬戸大橋が開業。リクルート事件が問題化。テレビアニメ﹃それいけ!アンパンマン﹄の放映開始。海上自衛隊のなだしお潜水艦が、遊漁船の第一富士丸と衝突し、遊漁船が沈没︵なだしお事件︶。 1989年︵昭和64年/平成元年︶ 女子高生コンクリート詰め殺人事件︵発覚は1989年 (平成元年)3月︶。1月7日に昭和天皇が崩御し、皇太子明仁親王の第125代天皇即位に伴い、翌8日に平成と改元される。(戦後初の改元)西暦との対照表
昭和 元年 2年 3年 4年 5年 6年 7年 8年 9年 10年 西暦 1926年 1927年 1928年 1929年 1930年 1931年 1932年 1933年 1934年 1935年 干支 丙寅 丁卯 戊辰 己巳 庚午 辛未 壬申 癸酉 甲戌 乙亥 昭和 11年 12年 13年 14年 15年 16年 17年 18年 19年 20年 西暦 1936年 1937年 1938年 1939年 1940年 1941年 1942年 1943年 1944年 1945年 干支 丙子 丁丑 戊寅 己卯 庚辰 辛巳 壬午 癸未 甲申 乙酉 昭和 21年 22年 23年 24年 25年 26年 27年 28年 29年 30年 西暦 1946年 1947年 1948年 1949年 1950年 1951年 1952年 1953年 1954年 1955年 干支 丙戌 丁亥 戊子 己丑 庚寅 辛卯 壬辰 癸巳 甲午 乙未 昭和 31年 32年 33年 34年 35年 36年 37年 38年 39年 40年 西暦 1956年 1957年 1958年 1959年 1960年 1961年 1962年 1963年 1964年 1965年 干支 丙申 丁酉 戊戌 己亥 庚子 辛丑 壬寅 癸卯 甲辰 乙巳 昭和 41年 42年 43年 44年 45年 46年 47年 48年 49年 50年 西暦 1966年 1967年 1968年 1969年 1970年 1971年 1972年 1973年 1974年 1975年 干支 丙午 丁未 戊申 己酉 庚戌 辛亥 壬子 癸丑 甲寅 乙卯 昭和 51年 52年 53年 54年 55年 56年 57年 58年 59年 60年 西暦 1976年 1977年 1978年 1979年 1980年 1981年 1982年 1983年 1984年 1985年 干支 丙辰 丁巳 戊午 己未 庚申 辛酉 壬戌 癸亥 甲子 乙丑 昭和 61年 62年 63年 64年 西暦 1986年 1987年 1988年 1989年 干支 丙寅 丁卯 戊辰 己巳 - 元年と最終年の期間
- 昭和元年(1926年): 12月25日〜12月31日〈7日間〉
- 昭和64年(1989年): 1月1日〜1月7日〈7日間〉
現代における昭和
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昭和を冠するもの
企業・団体
●昭和電力 - 昭和と改元された2日後︵1926年︵昭和元年︶12月27日︶発足。 ●昭和産業 ●昭和電工 - レゾナックホールディングスの旧社名。 ●昭和電線電纜 - SWCCの旧社名。 ●昭和飛行機工業 ●ショーワ ●昭和シェル石油 - 現在の出光興産の前身の一つ。 ●昭和プロダクション - 大阪市を本拠とする芸能事務所。 ●昭和自動車 - 佐賀県唐津市に本社を置く路線バス事業者。 ●昭和リース ●ショウワノート ●昭和信用金庫 ●昭和被服総業 - 岡山市東区西大寺にある老舗アパレルメーカー。 ●昭和食堂 - なつかし処をモチーフとする東海地方を中心に愛知県名古屋市を拠点する居酒屋チェーン。 ●昭和アルミニウム ●新昭和 ●大昭和製紙 - 現在の日本製紙の前身の一つ。 ●昭和無線工業 - SMKの旧社名。教育・学校
地名
●昭和基地 ●愛知県名古屋市昭和区 ●北海道函館市昭和、昭和町 ●広島県呉市昭和町 ●山梨県中巨摩郡昭和町 ●秋田県南秋田郡昭和町 - 現在の潟上市 ●山形県新庄市昭和地区 ●徳島県徳島市昭和町 ●福島県大沼郡昭和村 ●群馬県利根郡昭和村 ●栃木県宇都宮市昭和 ●岐阜県高山市昭和町 ●香川県さぬき市昭和 ●福岡県北九州市八幡東区昭和 ●佐賀県武雄市昭和 ●東京都昭島市 - 昭和町と拝島村が合併して成立 ●昭和島︵東京都ほか︶ ●昭和新山 他にも昭和町という地名は日本全国の至る所に存在している。交通
●昭和駅︵JR東日本鶴見線︶ ●昭和停留場 ●現‥昭和駅︵上記︶ ●現‥南大町駅︵JR東日本大糸線︶ ●西鉄北九州線に1992年まで存在した停留場 - 西鉄北九州線#電停一覧を参照。 ●昭和駅︵廃止、留萠鉄道︶ ●昭和町駅︵大阪市高速電気軌道︵Osaka Metro︶御堂筋線︶ ●昭和町駅︵JR四国高徳線︶ ●昭和町駅︵名古屋臨海鉄道昭和町線の貨物駅︶ - 以前は近傍に名古屋市電大江線の昭和町停留場が存在 ●土佐昭和駅︵JR四国予土線︶ ●雄鉄昭和駅︵廃止、雄別鉄道︶ ●昭和通り︵東京都ほか︶ ●昭和橋︵利根川ほか︶ ●昭和大橋 (桑折町) ●昭和大橋 (新潟市)公園
●昭和公園︵北海道函館市︶ ●昭和の森公園︵千葉県ほか︶ ●国営昭和記念公園︵東京都立川市、昭島市︶ ●日本昭和村-現在のぎふ清流里山公園の旧称︵岐阜県美濃加茂市︶曲
●昭和おんなブルース︵青江三奈のシングル、1970年︶ ●昭和枯れすゝき︵さくらと一郎のシングル、1974年︶ ●昭和ブルース︵天知茂のシングル、1974年︶ ●昭和北前船︵鳥羽一郎のシングル、1987年︶ ●昭和舟歌︵小林旭のシングル、1988年︶ ●昭和︵長渕剛のアルバム﹃昭和﹄収録、1989年︶ ●昭和夢つばめ︵石川さゆりのシングル、1996年︶ ●昭和残照︵杉良太郎のシングル、1999年︶ ●昭和最後の秋のこと︵森進一・桂銀淑の競作シングル、ともに1999年︶ ●昭和レジデンス︵クレイジーケンバンドのアルバム﹃グランツーリズモ﹄収録、2002年︶ ●昭和の階段 Vol.1︵工藤静香のアルバム名、2002年︶ ●昭和︵レミオロメンのシングル﹁雨上がり﹂、アルバム﹃朝顔﹄収録、2003年︶ ●昭和モダン︵山崎まさよし、﹃服部良一 〜生誕100周年記念トリビュート・アルバム〜﹄収録、2007年︶ ●昭和の歌など聴きながら︵八代亜紀のシングル、2008年︶ ●ギリ昭和︵キュウソネコカミのアルバム﹃ギリ平成﹄収録、2018年︶その他昭和に関する事柄
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