野分(11) 夏目漱石

 今日は、夏目漱石の「野分」その(11)を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
  「野分」は台風か、それに匹敵する強風のことを意味しているのですけれども、漱石はあんまりこの風のことを書かないんです。漱石の今回の物語は、なんだか舞台劇のような気配がする、会話が中心の物語に思います。読んでいてとてもおもしろいのですけれども、「夢十夜」や「草枕」と比べると、風景の美しさというのは、あまり表現されていません。そのなかでこういう表現が印象に残りました。
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  今日もまた風が吹く。汁気しるけのあるものをことごとく乾鮭からさけにするつもりで吹く。quomark end - 野分(11) 夏目漱石
 
 今回は、漱石の講演会にそっくりな、主人公白井先生の講演会が記されてゆきます。文学に生きるというのは、未来のために生きることだ、と説きます。尾崎紅葉や樋口一葉という「これらの人々は未来のために生きた」というように論じています。文化における、初期と中期と後期の違いのことを論じているのも興味深い内容でした。それから「自己に何らの理想なくして他を軽蔑するのは堕落である。」と白井道也先生が講演会で述べてゆきます。「奴隷の頭脳に雄大な理想の宿りようがない。西洋の理想に圧倒せられて眼がくらむ日本人はある程度において皆奴隷である。」というのも漱石の読書論として読めるように思いました。 「理想は諸君の内部からき出なければならぬ。諸君の学問見識が諸君の血となり肉となりついに諸君の魂となった時に諸君の理想は出来上るのである。付焼刃つけやきばは何にもならない」というように若者たちに語りかけてゆきます。
 「血を見ぬ修羅場は砲声剣光の修羅場よりも、より深刻に、より悲惨である」と作中に書くのですが、漱石と親友の子規は、創作中にかなりの苦心があったわけで、じっさいに短命の文学者だった。漱石の考えというのが、今回の作中に色濃く記されているように思いました。この第11話の講演の内容だけを読んでみるのも、じゅうぶん読み応えがあるように、思いました。
 
「学問をするものの理想は何であろうとも——金でない事だけはたしかである」と白井先生は言うんですけれども、こういう話も面白かったです。じっさいの大手出版社や著名作家がどうやって文学活動を維持しているのか調べてみると、たいていはマンガ週刊誌や学校経営で得た大きな収益を、文学者に分配して安定をもたらしている、というのが分かるんですよ。
 漱石の時代は学問が金になるはずの無い環境だったわけで、もっと昔になると、紫式部や清少納言のように、もはや金に困らないだけの地位や環境が無いと、文学は創作できなかったように思いますが、漱石もいちおうはそのように、先に教師としての労働を済ませてから、時間的経済的な余裕を持ったあとに、金のことを考えずに文学創作を始めたと思います。近代は、現代の複雑怪奇な社会構造とちがっていて、まだ仕組みが始まったばかりなので、これを読んでゆくと、社会の骨組みが理解しやすいように、ちょっと思えました。漱石はこう書きます。
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  一般の世人は労力と金の関係についてだいなる誤謬ごびゅうを有している。彼らは相応の学問をすれば相応の金がとれる見込のあるものだと思う。そんな条理は成立する訳がない。学問は金に遠ざかる器械である。quomark end - 野分(11) 夏目漱石
 
 現代では質の高い学を習熟すれば資本もしっかりついてくるように見えます。学歴の高い人がじっさいに収入が多いですし。そういうようにいっけん見えますけど、よく調べてみると、じっさいに儲かっているのは学問を究めた人じゃなくって、商売人であって、商売人と学者が、上手く協業しあっているのが現代社会に思います。近代にはそういう構造はまだなかった。そういう時代に、金力と学問の関係性を漱石が考察しています。いま読むと、もともとの社会ってこうなってたのか、骨組みが見えるなあ、と思うんですよ。
 エレベーターという完成品の内部に入って、白い天井やボタンをいくら見つめていても、どうやって動いているのかその仕組みがちっとも分からないですけど、井戸のつるべをみるとその仕組みが分かるわけで、近代の本を読むと、現代の構造がちょっと見えてくるように思いました。

「学問は金に遠ざかる器械である」という断定がなかなか現代人の言えるはずのないことで、おもしろいなあーと思いました。今回の第11回の内容はほんとにいろいろ考えさせられる内容なんです。ぼくの抜粋なんかよりもぜんぜん興味深い内容で、ショーペンハウアーの哲学みたいですし、漱石の本をちょっと読んでみたいという方は、この第11回の講演部分だけを読んでみるのも、お薦めできると思います。
 

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