死せる魂 ゴーゴリ(6)

 今日は、ニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」第6章を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 第六章に入って、書き手である「私」の幼少時代が語られ始めるんです。「さて主人公のチチコフは……」という文章が来るまでは、作者の独白のように記されていて、他の物語部分とはずいぶん雰囲気がちがうんです。
ダンテ『神曲 地獄篇』にて描きだされた、主人公ダンテが地獄をすみずみまで遍歴する、という方法を、ゴーゴリがこの作品でコラージュしていて、描かれています。牧歌的なところのある農村をどうしてダンテの地獄に見立てたのか? というのが謎で、そのあたりを気にしながら読みすすめているところです。
 この物語の書き手である「私」が、この第六章ではじめて、ダンテ『神曲 地獄篇』に登場するダンテみたいに、物語内部に顔を見せました。そこで「私は旅行馬車から鼻を突き出すようにして」人々の貧しい暮らしをじっと観察していた。そうして、貧しさの中にある家族の暮らしを夢想し続けた。幼い私は、冷ややかさというものを持たなかった。情熱的に、見知らぬものへの空想を広げて、そのことを物語中盤になって、一五〇〇文字くらい使って脈絡も無くいきなり熱く語っているのでした。
 当時のロシアでは「死せる魂」というのは、死んだ農奴のことを「魂」という言葉として使っていたそうなんです。ロシア語の原文はМертвые души(Myortvye dushi)で直訳すると死んだ魂です。デッドソウルという題名なんです。dushiが魂で、たましいというのは当時の農奴を意味していたそうです。生きる糧をあまたに作る百姓で、そのことをたましい、と言いました。
 主人公のチチコフは、生きる糧をつくる暮らしとはとうてい無関係な、死んだ農奴の戸籍だけを買い集めていっています。どう生きたのかとかはどうでもよくて、数だけ欲しいんです。これ二〇〇年くらい前の物語としては、ちょっと現代的な話しで、主人公チチコフは、データでものを考えようとしているんです。もう物体としてはなにもないところのものに夢中になっている男なんです。人間の「鬼籍」のデジタル部分だけを手に入れようというわけなんです。完全な数値のみの「たましい」というか魂の抜け殻を欲していて、地獄のようなところを通りぬけて泥まみれになりながらこれを集めているのがチチコフなんです。
 チチコフがやっている詐欺はそのまま、権力者が貧者から税金という数字だけを吸いあげているさまとよく似ていて、合わせ鏡になっています。ゴーゴリの時代の百数十年後にはじっさい、ウクライナとロシアの間でホロドモールという国家主導の大飢饉が起きています。
 貧しさの中の苦なり、個々の生活の幸福のありさまをえんえん見ている権力者なら、緊急時には国庫から貧者に向けて適時、資金を配当するはずだと、思うんです。ゴーゴリは貧しさの中にある人々の俗な生きざまをとにかく描こうとします。
 チチコフはどうしてか、汚臭まみれの泥まみれのハエまみれになりながら、この「鬼籍の数だけ欲しい」ということを辞めないんです。しかも、彼はそのことをあまり意識していないし、ほとんど記されません。彼にとっては鬼籍の数を多めに集める、これが幸福に繋がるはずだという強い思いがあるようです。そんなことで幸福が生じるはずが無いんですけど、どうも盛んにこれを集めつづけています。
 ゴーゴリは当時、どういう影響の元で物語をつくっていたのかというと、この物語を書く手前に亡くなった大詩人プーシキンへの思いがある、というように伝記に記されていました。武人でもあったプーシキンは祖父の家が黒人奴隷だったそうで、奴隷が解放されて市民権を得てゆく過程の家系のなかにあって、詩人に育っていったそうです。
 ぼくはプーシキンのこともロシア語のことも、ゴーゴリの生まれ故郷である当時のウクライナのことも、ほとんどまったく知らずに五里霧中で、この小説を読んでいるところなんですけれども、ちょっとだけ調べてみて分かったのは、ロシア文学は、まずプーシキンがあってそれに影響を受けたゴーゴリが『外套』や『死せる魂』を書いて、そのすぐ次の世代がドストエフスキー・トルストイ・ツルゲーネフなんだそうです。
 近代ロシアといえばプーシキンが絶大に有名なんだそうです。プーシキンよりも前に、特別な文学者が居るかというと、それほど居ないらしいんです。コトバンクという辞書を見るとどうも、ロシア文学は、プーシキンから始まったみたいなんです。時代で言うと漱石の百年前くらいです。日本の場合は漱石が近代文学のはじまりあたりでいちばん有名ですけど、その五〇〇年前とか一〇〇〇年前に「源氏物語」や「万葉集」や「方丈記」というようにいろんなものがあると思うんですけど、どうもロシアの場合は、1800年ごろのプーシキンが文学の始祖みたいになっているようです。
 ダンテ『神曲・地獄篇』への思いと、偉大な詩人プーシキンへの思い。この2つの思いが混じりあって、詐欺師チチコフによる地獄の鬼籍の蒐集の旅、というものが描かれていったようです。
 地獄といっても、どうにも牧歌的で、ダンテ神曲地獄篇の世界観とぜんぜんちがっています。ゴーゴリは情景描写が詳細で、これを読んでゆくのが面白いんです。人間の仕事と大自然が混じりあって、人類と自然界の境界線がとけて消え去ったようなところも、記されてゆきます。本文こうです。
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 園のいちばんはずれには、他の樹木とは不釣合いに背の高い白楊はこやなぎが四五本、そのさやさやと揺らめくおのおのの梢に大きな鴉の巣をのせている。その白楊の中には、枝が引き裂けたまま、幹からすっかり離れもせずに、病葉わくらばと一緒にだらりと下へ垂れさがっているものもあった。一言にしていえば、何もかもが素晴らしかった。それは自然の風致も人工の妙趣もついに及ばず、ただその両者が結びついた時にのみ見られるさで、人間がああでもないこうでもないと、ややもすれば無意味な苦心を重ねた後に、自然が最後の仕上げの鑿をふるって、重苦しい塊まりを崩し、赤裸々な構図の見えすいている野暮な正しさや惨めな欠陥を除けて、きちんと寸法を測ったように清楚なだけが身上の血の気のない人工に、いみじき暖かさを添える時、初めて生まれる美しさである。quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(6)
 
 こういうところを通りぬけて、チチコフは、死んだ農奴の魂を買い取ろうと、死がもたらした荒廃の中へと分け入るんです。本文こうです。
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  我等の主人公はついに地主館の前へ出た。正面から見ると、それは一層いたましい姿であった。柵や門に使ってある古い木には、もうすっかり青苔がついていた。下人部屋だの、納屋だの、穴倉だのといった、明らかに老朽した建物の群れが前庭を満たしており、その両側には右と左に別の庭へ通ずる門が見えている。すべてが、この邸でかつては非常に盛大に農産経営が行われていたことを物語るだけで、今は何を見ても陰気くさいばかりだ。quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(6)
 
 主人公は、荒れ尽くしている館に立ち入って、死せる魂を買い取りたいと述べるのでした。ゴーゴリは、農村のさまざまなありさまを、ほんとうにこまごまと多様に、えんえん描写しつづけるんですよ。枝葉の生い茂りようが、すごいんです。この長大で、いっけん冗長な情景の連続が読んでいてほんとに、長詩だなと思いました。こういうのもまさに詩なんだと思いました。
 優れた映画と同じで、十秒間のダイジェスト版動画広告でもそのすごさは見えるわけですけれども、映画体験にはならないわけで、ゴーゴリの本を堪能するにはまず、氏の敬愛するプーシキンの主要作品を何冊も読んで、ロシアとウクライナの古いままのひとけのない農村のありさまをYouTubeでしっかり見ていって、ゴーゴリの「外套」を読んで、ついでに本作のモデルとなったダンテ神曲地獄篇を読んで、ゴーゴリの「死せる魂」の全文を全ページ読んでみると、これでゴーゴリの文学世界に耽溺したことになるんだろう、と思いました。ぼくはプーシキンもロシア語もまったく知らないまま読んでいるところなんです。どうしてこれがダンテ『神曲・地獄篇』に匹敵する地獄なのか、どういうことなのか、謎だなあと思って読んでいたことの内容がやっと中盤で見えてきたように思いました。
 詐欺師チチコフは、流行り病で亡くなった百二十人もの死せる魂を大地主のプリューシキンから買い取ろうと「災厄のために死んだ農奴全部に対する納税の義務をこの身に引受けたい」と言うのでした。チチコフには暗い秘密があるのですが、これは推理小説の設定上、主人公がこれについてなにも言わない、なにも思わない、物語のご都合主義でそういう仕組みになっているのかと思っていたのですが、どうもチチコフは、自分がいったいなにをしているのか、本人にも分からないで動いているようなんです。詐欺の内奥の真相をほとんど言語化できず、ほとんど考えることが出来ないまま、詐欺を行っているようなんです。
 美味しいリンゴを作る、それを売って健康と幸福をひとびとに分け与えて、作り手の農民も豊かになる。幸福を作って幸福を増やしている、そういう目に見える豊かな農村の世界とちがって、チチコフは五里霧中で、今いったいなにを儲けているのかもさっぱり見えず、悪事を悪事と気がつかずに行っているようなんです。
 儲からない仕事をしている自分としては、チチコフはどうにも強烈に印象深い存在に見えるんです。チチコフのようには生きてはならないと、思うんです。チチコフが問いかけると、大地主は、逃げだした農奴があまたに居るんだということを述べるんです。それもチチコフは欲しがって手に入れてしまう。もうほんとに外殻だけなんです……。
 次回に続きます。
  

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追記
地主から逃げていった農奴が何人もいて逃げるほどひどい人権の侵害があったはずなんですが、チチコフはまるで気にすることもなく、そのどこにも居ない農奴さえ買い取って喜んでしまう。”Dead Soul”の次に“No where man”を手に入れているんです。”Rubber Soul”をつくったBEATLESって、もしかしてゴーゴリの『死せる魂』を愛読したのかもしれないとか、いろいろ関係ないことを空想しました。
BEATLESの”Back In The U.S.S.R.”の歌詞を読んでみると、ウクライナの女の人たちについて歌っていて、奴隷差別撤廃の公民権運動も深く関わる「わが心のジョージア」をロシア人女性に聞いてほしいと言っているんですよ。これはもう明らかにかなりの高確率で、BEATLESの誰かがたぶんジョンレノンが、ゴーゴリの「死せる魂」を愛読していたんだと、ぼくには思えました。この目の前にあるこの本を、ジョンレノンが英語で読んだのでは……読んだかもしれないです……。