災難雑考 寺田寅彦

 今日は、寺田寅彦の「災難雑考」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは科学者の寺田寅彦が、天災と人災とを検討した随筆です。
 このミニコラムは2019年10月11日の21時10分に書いているのですが、台風19号による大規模な雨量が予想されるそうです。日本気象協会の専門家吉田氏が天気予報サイトに、こう書いていました。「予想雨量は800ミリ」で、「台風19号は12日(土)の夕方から夜に東海や関東に非常に強い勢力で上陸する見込み」で「自治体から出される避難情報に注意」……するよう呼びかけていました。くわしくはこちらをご覧ください。
 ……それで、百年前の寺田寅彦は、こう記します。
 
  「地震の現象」と「地震による災害」とは区別して考えなければならない。現象のほうは人間の力でどうにもならなくても「災害」のほうは注意次第でどんなにでも軽減されうる可能性があるのである。
 
 寺田寅彦は検証と改善が人災を防ぐ重要な要素だと指摘しています。百年後の現代に読んでも、重要なことが書いてあるように思いました。
 

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カメラをさげて 寺田寅彦

 今日は、寺田寅彦の「カメラをさげて」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 寺田寅彦の随筆は、どれを読んでも楽しいのですが、ぼくはとくにこの随筆が好きになりました。寺田が趣味のカメラについて記しています。
 古いものと新しいものが混じりあった都市の風景のことを「仲よくにぎやかに一九三一年らしい東京ジャズを奏している」と記します。寺田寅彦がカメラのファインダーを通して異国の文化の歴史にまで思いを馳せるところが印象に残りました。
 
 日本人は他国と比べて、風景に深いこだわりを持っている、という指摘は、たとえば道路の密度が世界1位だったりする事実とも関わりがあるようで、日本は住めないほどの急勾配の山岳が多い土地柄の中で、地形と住み家の絡み合いがどこの国よりも色濃いから、みんな風景を念入りに見たがるのではないだろうかと思いました。
 寺田寅彦は、近代の日本の観光客は「山水の美の中から日本人らしい詩を拾って歩く」というんです。すてきな随筆だなあと思いました。
 またシベリアの人々にとっては「どこまで行っても同じような景色ばかり」なので「風景という言葉は存在理由がないはずである」と言っているのですが、まさにドストエフスキーの長編文学の特徴は、風景描写を徹底的に廃して人間だけを書くところにあって、寺田寅彦は鋭い指摘をしているように思いました。
 あと、寺田寅彦の手にしているカメラはモノクロの原始的なカメラなんですから、いちょうの並木の美しさがカメラに納められない、ということを書くわけです。「いくらとっても写真にはあの美しさは出しようがない。」という指摘が面白いと思いました。寺田寅彦は近代に誕生した、原初のモノについて熟考して語ってくれているので、機械の致命的な欠点が端的に述べられていて、現代社会を見るときに見落としがちなことを指摘してくれるのが興味深いんだと思いました。

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陰翳礼讃 谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 谷崎潤一郎が、日本の美について記しています。電気や電灯が使われるようになった時代に、どういう生活の美があったかというのを書いています。江戸時代の和算のように、日本独自のモノが開発されていたなら……という想定がおもしろかったです。この随筆は昭和八年の一九三三年から翌年にかけて掲載された作品なのですが、その二十年後には哲学者のミシェルフーコーによってフランスに広く紹介された本なんです。
 豆腐の味噌汁と、白ごはんという、ごくありきたりなものであっても、谷崎潤一郎が描くとこれがすこぶる美しいんです。
 谷崎潤一郎は光と反射と質感、そして和室の空気感について詳細に述べるんです。暗闇でどうしてものが光るのか……。本文こうです。

   時とすると、たった今まで眠ったような鈍い反射をしていた梨地の金が、側面へ廻ると、燃え上るように耀やいているのを発見して、こんなに暗い所でどうしてこれだけの光線を集めることが出来たのかと、不思議に思う。それで私には昔の人が黄金を佛の像に塗ったり、貴人の起居する部屋の四壁へ張ったりした意味が、始めて頷けるのである。

 また文学についても記していて、作中で谷崎潤一郎は、漱石文学への思いを描きだしています。
 くわしくは本文をごらんください。

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