雪の女王 アンデルセン

 今日は、アンデルセンの「雪の女王」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 
 これは小学生が読むための童話で、7つの短編が連なった、連作になっています。おもに「雪の女王」と少年カイと少女ゲルダ、それから粉々にくだけた悪魔の鏡のことが描きだされる物語です。
  

0000 - 雪の女王 アンデルセン

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
  
追記  少年カイの身体に、砕けた悪魔の鏡のかけらが入りこんでしまって、子どもたちを凍えさせる雪の女王とカイの2人が、結びついてしまい、カイとゲルダは離ればなれになって生きることになるのでした。ガラスのかけらをどうやってカイから取り出すのか……というところが終盤での物語の要点となっていました。
 悪そうなことをいつもしている山賊の娘が、ゲルダやカイと深く関わってゆくところが魅力的に思いました。やっと家にたどりついたのちの、終盤の10行がなんともみごとな、美しい童話でした。
 

百姓日記 石川三四郎

 今日は、石川三四郎の「百姓日記」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これはヨーロッパで単身、農業を営んだ、石川三四郎の農地開拓の記録です。ちょうど100年ほど前の大正15年の農作について記しています。とにかくあらゆる野菜や果実を育てようと奮闘し、フランスの町中の「人々が来て、私の畠を、農事試験場の様だと評した」と記しています。6年ほどで、トマトやイチゴやメロンや、人参や茄子や林檎を育てたのですが、なぜか米と落花生は失敗に終わったんだそうです。これはフランス独特の温暖な気候が影響しているのでしょうか。
 石川氏はもともとは農法の素人で、素人が短い期間で林檎を育てるのは難しいし、そもそもリンゴは実がなるまで8年くらいかかって小型な種類なら5年くらいかかるはずだと思うのですが、これもやっぱり温暖だったら成功したのでしょうか。石川さんは、農業を営むフランスのおばあさんと交流をしていろいろ学んで、おばあさんのことをこう絶賛しています。「生きた婆さんの直覚的判断は、生きた自然とぴつたり一致して共に真実の創造的芸術が行はれる」
 後半は日記調で、1年間の天候と農作の変転について記していました。「一月の酷寒、二月のしけ、三月の風、四月の細雨、五月の朝露、六月の善い収穫、七月の好い麦打ち、八月の三度の雨、それはソロモン王の位よりも尊い」という記載が印象に残りました。
 

0000 - 百姓日記 石川三四郎

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
 
追記  豊かな風土と習俗の中でなら、農作は石川三四郎のようにみごとに成功するのでは、と思いました。

狐の嫁取といふこと 柳田國男

 今日は、柳田國男の「狐の嫁取といふこと」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは狐の嫁入り、について考察した小論です。
「女性の生活の一大激變たるべき婚姻と産育と二つの時が、最も狐神の信仰の發露し易い時」だったためこのような昔話が多く残った……。
「狐の昔話にはよく婚禮の行列を騙して、野路をさまよはせ、若くは本物より先に乘込んで料理を食つた」という作品がある。また「狐の産の床へ醫師産婆を招いたといふ不思議譚」がある。

0000 - 狐の嫁取といふこと 柳田國男

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
 
追記  狐は生態が謎めいていて美しいし、遠目に見れば野火に似ていて、嫁入りする白装束の女にも見えるのかなと、思いました。

丸善と三越 寺田寅彦

 今日は、寺田寅彦の「丸善と三越」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 100年前の丸善と、今の現実の丸善の存在感が、ほぼ変わらずにあり続けるというのがなんだか衝撃に思う、丸善という本屋への思いが、寺田寅彦によって描きだされている随筆でした。20世紀前半の本屋は、今より革新的で特別なものだったのでは、というように思う作品でした。
 文化や芸術に享楽的なところがあることを見出し、それが禁欲的な日本人にとって「こんなにおもしろくてもいいのかしらんと思って、なんだかそら恐ろしく」感じられることがある。
「音楽の享楽にふける事でさえ」音楽家が学びを深めるといった目的を有していない場合は「その人の人格をゆるめ弱めるという結果を生ずるだろう」これを避けるためには、その享楽ののちすぐに、なにか小さな善行をするよう習慣づければ良いのでは、と心理学者のウィリアム・ジェームスは告げています。
 寺田寅彦はこの問題について考えて、「美しい芸術が人の心に及ぼす影響はすぐその場で手っ取り早く具体的な自覚的行為に両替して、それで済まされるものだろうか。それではあまりに物足りない」と書き、たとえ無礼な人間であっても、文化や芸術に喜びを見出す経験をした場合、人生のある時期に、なにかしらの意義ある行動をする要素の一つになるのでは、というように記していました。 
  

0000 - 丸善と三越 寺田寅彦

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
 
追記  「丸善が精神の衣食住を供給しているならば三越は肉体の丸善であると言ってもいい」という記載をみて、じっ店舗が減ってネット販売が増えてゆく現代に読んでも、なんだか興味深い随筆に思いました。「三越にはピストルが売っていない」という「友人P」の考えも記されていて、日本でどうして銃規制が浸透して、海外では銃事件が増えつづけるのか、という問題についても、江戸から明治から昭和から令和にかけての日本人の考え方の例がちょっと記されていました。

偶然の産んだ駄洒落 九鬼周造

 今日は、九鬼周造の「偶然の産んだ駄洒落」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 百年前のダジャレについて書いてあるのかと思って読んだんですが、言いまちがいというか記憶まちがいからくる言葉の綾についてちょっと考察した、日記のような随筆でした。

0000 - 偶然の産んだ駄洒落 九鬼周造

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
 
オチがなんとも言えない、シャレにもなっていない、クッキーとクキ九鬼をもじったような妙な記載で終わっていました。

元八まん 永井荷風

 今日は、永井荷風の「元八まん」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 東京都江東区は東陽の十間川あたり、現代で言う東京都現代美術館の南のほうの川、このあたりから東京メトロ東西線と同じ方向に荒川への道のりを散歩していて、偶然にも鎌倉の元八幡宮の分社を見つけた、永井荷風の風景画でした。
 荒川に着く前の、葦が水溜まりに生い茂るところに荒れはてた元八幡宮を見つけ、荷風もたびたび訪れた娼館に関わりのありそうな人物とすれ違ってゆく。電車がやって来る場面が印象的でした。本文こうです。
quomark03 - 元八まん 永井荷風
 電車の窓に映るものは電柱につけた電燈ばかりなので、車から降りると、町の燈火とうかのあかるさと蓄音機のさわがしさは驚くばかりである。ふと見れば、枯蘆の中の小家から現れた女は、やはり早足にわたくしの先へ立って歩きながら、傍目わきめも触れず大門の方へ曲って行った。狐でもなく女給でもなく、公休日にでも外出した娼妓であったらしい。quomark end - 元八まん 永井荷風
  
 荒廃した元八まんは、ほんの1年後には建て替えられて新しい姿になっていた……。
 

0000 - 元八まん 永井荷風

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)