庭をつくる人 室生犀星

 今日は、室生犀星の「庭をつくる人」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 室生犀星が、庭のことについて語っているのですが、今では社寺の庭園でしか見られないような、庭の池や小川のことを語っていて、すてきな随筆でした。室生犀星はこう記します。
quomark03 - 庭をつくる人 室生犀星
  燈籠が木と木との隙から木の葉の蒼みより最もっと深い蒼みで、すれすれに姿をかくしているのは清幽限り無きものである。quomark end - 庭をつくる人 室生犀星
 

縦書き文庫の装画

装画をクリックするか、こちらから全文をお読みください。 (使い方はこちら)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約10秒)
 

必要以上のもの 豊島与志雄

 今日は、豊島与志雄の「必要以上のもの」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは、翻訳家の豊島与志雄の随筆です。豊島与志雄は不思議な随筆を書くんです。ほとんど面識が無かったB君との思い出を語っていて、B君が言っていた妙なことを書き記したり、あるいは人生に於いて「必要なもの」と「必要以上のもの」について論じている。ある時期に渇望していたものというのが、じつは人生でまったく役に立たないものだったりする。豊島与志雄はこう書きます。
quomark03 - 必要以上のもの 豊島与志雄
 私の経験から云えば、最大級に最も欲しかったものは、或る時は、不吉な因縁話のからんでいる小式部人形だったし、或る時は、四五尺の大きさの梟の剥製だったし、或る時は、幽霊が出ると云う青江の妖刀だったし、或る時は、ちょっと奇異な形をした丈余の自然石だった。つまらないものばかり欲しがってる…………quomark end - 必要以上のもの 豊島与志雄
 
 当時は貧しかったから、ほんとうなら現金が必要だったはずなのに、意味の無いものを渇望してしまった、「それは単なる人形や剥製や刀や石でなく、無限の拡がりを持ち得る或物だったのである」のだそうです。豊島与志雄は、奇妙な「石」のことが好きでしょうがなかった。B君と話した思い出の中にも、石について論じあったことを書き記していました。このあと、B君の恋愛について描いているのですけれども、みごとな描写でした。この一文が印象に残りました。
quomark03 - 必要以上のもの 豊島与志雄
 必要ではなかったが必要以上のものであったろうquomark end - 必要以上のもの 豊島与志雄
 

縦書き文庫の装画

装画をクリックするか、こちらから全文をお読みください。 (使い方はこちら)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約10秒)
 

自己の肯定と否定と 和辻哲郎

 今日は、和辻哲郎の「自己の肯定と否定と」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 ぼくは哲学者のウィトゲンシュタインのことが好きで、氏の哲学と思想と、それから日記と伝記にすごく興味があって、これを少しずつ調べて読んでいってるんですけれども、その中で気になったのが、ウィトゲンシュタインが独我論である、というところで、なぜウィトゲンシュタインが独我論だったのか、ウィトゲンシュタインの生活は独善的なところもないし、利他的な生き方の多い人生だったんです。収入や社会的地位はしっかりしていて恋愛や家庭に興味もあったはずなのに結婚もせず子孫も残さなかった(ウィトゲンシュタインが同性愛者でもあったという記録は氏の日記にちょっとだけ残ってるんですが)、不思議な人生の哲学者なんですけど、そのウィトゲンシュタインの前期哲学は独我論で結ばれている箇所がある。どうしてウィトゲンシュタインが独我論なのか、そこのところをもっとちゃんと知りたいなあと思って、日記や伝記を読んでいるんですけれども、この和辻哲郎の随筆に、独我主義のことが書いていて、おもしろかったです。同時代の哲学者でも考え方がまったくちがう。ウィトゲンシュタインだったらこの問題はこう考えるんじゃないかとか、むだな空想をしながら読んでみました。
 和辻哲郎はこの随筆で、自己に対する否定と肯定の、観念と作用について論じてから、急に「顔」という具体性を持つものごとについて論じるところが興味深かったです。
 ぼくは近代文学を読む意義は、別の時代の生き方を知ってみると、現代人から不当に左右されたりしない、そういう知力がつく、というところがちょっとはあるんじゃないかと思ってるんですけど、和辻哲郎が戦前戦中に作っていった哲学は、自分にはあまりにも問題が大きすぎて難解で、理解がむつかしいなーと思いながら、この随筆を、読んでみました。
 自己否定をすることについて、和辻は本論でこう語っています。
quomark03 - 自己の肯定と否定と 和辻哲郎
  この要求は自分の個性の建立、自己の完成の道途の上に、正しい方向を与えてくれる。quomark end - 自己の肯定と否定と 和辻哲郎
 

縦書き文庫の装画

装画をクリックするか、こちらから全文をお読みください。 (使い方はこちら)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約10秒)
 

ゴッホについて 三好十郎

 今日は、三好十郎の「ゴッホについて」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 東京と大阪でゴッホの展覧会をするそうです。今日は、この随筆を読んでみました。
 三好十郎は「ゴッホの人間及び仕事を支えていた三本の大きな柱」があると考え、一つに「純粋な創造的な性格」の激しかったこと。二つめに「貧乏人の画家」であったこと。三つめに「キリスト教」の影響のことを書いています。
 ぼくはほとんど読めていないのですが、ゴッホが自ら執筆した本を読むと、キリスト教のことを中心にして書いているので、キリスト教の影響が色濃いことは明らかです。ゴッホの絵を見ていると、キリスト教のとくに教会からの影響はいっさい感じられない。これがすごく不思議で、昔は理解できなかったのですが、この箇所について、三好氏はこういう面白い指摘をしていました。ゴッホは「キリスト教の教師の家に生れ育って青年時代に宣教師になって後しばらくしてキリスト教を捨てている」のですが、そのあとにこう書いています。
quomark03 - ゴッホについて 三好十郎
   私の言うのは、キリスト教を彼が捨ててからさえも、彼の血肉の中に生き残りつづけた宗教性のことである。(略)ゴッホの人間には終生を通じてキリスト教的血肉を除外しては理解出来ないものの在るのを私は感じる。quomark end - ゴッホについて 三好十郎
 
 この指摘を読んでから、「ゴッホ ~最期の手紙~」「炎の人ゴッホ」という二本の映画のことを思いだしてみると、なんだか今まで分からなかったゴッホが見えたような気がしました。
 

縦書き文庫の装画「ゴッホについて 三好十郎」

装画をクリックするか、こちらから全文をお読みください。 (使い方はこちら)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約10秒)
 

東京に生れて 芥川龍之介

 今日は、芥川龍之介の「東京に生れて」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。 
 芥川龍之介がおおよそ100年前の東京の、風景について語っているのですけれども、今の東京とぜんぜんまったくちがう街のことが描かれています。けれどもなんだか、関東全域とか、現代の東日本全体のことと比べてみると、なんだか今の時代と通底しているところがあるように思いました。
 古い東京は、このさき二度と未来永劫出現しない都市なわけで、ずいぶん不思議な風物をちょっと見せてもらったような気がしました。芥川龍之介って、ふだんはこの随筆に書いているような話しを、友だちとしていたのかもなあ、と思う作品でした。
 

縦書き文庫の装画

装画をクリックするか、こちらから全文をお読みください。 (使い方はこちら)
(総ページ数/約5頁 ロード時間/約10秒)