私の信条 豊島与志雄

 今日は、豊島与志雄の「私の信条」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは作家で翻訳家の豊島与志雄が、個人的な自由のことを語っている随筆です。もとからひとりっ子で1人の時間が長く、他人と約束をして時間の進行が固定されることに慣れていない、そういう作家の人生が描かれています。時間の余裕とお金の余裕はじつは繋がっていないことが、よくあると思います。お金は無いけど時間だけある人も居れば、一生分の貯金はあっても時間の余剰は少ない人もいる。近代文学のたいていは、時間が豊富にある人の話が多いと思います。与謝野晶子と漱石と鴎外が、時間の無いところを豊かに生きたんだと思います。豊島与志雄のこの文章がすてきでした。
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 打ち明けたところを言えば、仕事の実践よりも、それ以前の瞑想の方が遙かに楽しいのである。原稿紙に向っての文字による造形には、一つの決定的なものが要請されるが、その一歩手前の瞑想には、無限の可能性が含まれる。この可能性の中を、私は自由に逍遙したいのである。仕事に怠惰であっても、瞑想に勤勉だと、自惚れている始末だ。quomark end - 私の信条 豊島与志雄
 

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 言葉にされることのない詩心や、記されることのなかった偉人、ということについて考えるのが文学なのでは、と思いました。
 

馬鈴薯からトマト迄 石川三四郎

 今日は、石川三四郎の「馬鈴薯からトマト迄」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これはフランスで農業を5年ほどやっていた作家の随筆です。本文こうです。
quomark03 - 馬鈴薯からトマト迄 石川三四郎
 実際、百姓をし始めて、自分の無智に驚いた時ほど、私は自分の学問の無価値を痛感したことは無い。学校の先生の口を通じて聞いた智識、書斎の学者のペンを通じて読んだ理論、其れが絶対に無価値だとは勿論言へないが、併し私達の生活には余り効能の多くないものである。殊に平生室内にばかり引込み勝ちであつた私は、自然に対して無智、無感興であつたことに驚かされたのである。quomark end - 馬鈴薯からトマト迄 石川三四郎
 
 石川三四郎は、フランスでじゃがいもを栽培し、遊びにきたマダムにどうしてジャガイモを収穫しないのですかと言われる。知らぬ間に育ちきったそれを地中から取りだして石川さんはびっくりするんですが、じゃがいもが地中でこんなに育ちきるなんて、まったくの想定外で知らなかった、と言って喜びます。それをみたフランス人のマダムは大いに笑ったのでした。フランスではじゃがいもを「地中の林檎」と言うのでした。
 フランスの農業は100年前も今もずっと豊かで、とくにブドウ畑の記載がすてきでした。
 

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追記
終盤の、ジャガイモとトマトがかけあわさることにかんしては、ネットにも「ポマト」のページにちょっとした記載がありました。百年千年も残る豊かなブドウ畑と、残らない変容トマトには、なんだか差があって、ちょっともの悲しいのでした。

  

亡び行く国土 中谷宇吉郎

 今日は、中谷宇吉郎の「亡び行く国土」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 科学者の中谷宇吉郎が、戦後の日本の文化と文明を見渡して、日本の重大な公害が生じる数十年前に、自然界と工業の組み合わせの危険性を考察している作品です。おもに水害と電力問題を論じています。日本の四大公害病、という言葉がまだ生じてくる前に、治水と科学に関する問題を中心にして、自然界を無視して人類が行動し始めていることを憂慮しています。原発は津波や地震や老朽化を無視して建てられないわけで、その科学的考察が権益によってないがしろにされたのがまずかった。中谷宇吉郎のように科学的考察を重んじる人が権力を有していたら、原発が50数基あって核の公害で年間20ミリシーベルトを越える汚染が生じて立ち入り禁止区域ができてしまう日本というのとは、ちがう未来というのが生じただろうと思いました。本文こうです。
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 世の中に、金さえあれば出来るというものは滅多にない。金がなければもちろん出来ないが、そうかといって、金だけあっても出来ないというものの方が大部分である。対人間の問題は、たいてい金だけで片づくであろうが、自然を直接相手にした場合には、金だけで解決される問題というものは非常に少ない。このことはよく頭に入れておく必要がある。quomark end - 亡び行く国土 中谷宇吉郎
 
 科学で自然界の力を読み説いたり、科学で未来の公害を予測して政治に活かすことはちゃんとやらなかった。こういう失敗は現代でもあり得るんだろうなあと思いながら、中谷宇吉郎の熟考された治水論を読んでみました。
 

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答えがある状態で読んでいる読者のぼくと、未来の災害という答えのない問いを問うている中谷宇吉郎とで、ずいぶん思慮深さに差があるなあとか、思いました……。

道楽と職業 夏目漱石

 今日は、夏目漱石の「道楽と職業」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 漱石はこんかい善い道楽というのがあり得るかどうかまずは考えてみて「道楽と職業というものは、どういうように関係して、どういうように食い違っているか」を論じてみる、と告げるところから話しが始まります。秀才なのに就職できない、という人が漱石の時代には多いことをまず問題にしています。
 漱石の「三四郎」や「それから」に描きだされる、仕事や結婚をどうするのか、という問題には、漱石の今回のような論述や、正岡子規との親交が深く関わっていると思います。漱石の本は、読者を学生のように捉えて書いているところがあって、それで読者としてはずいぶん親身な先生が書いた本として読めるところがあるんだと思います。
「着物を自分で織って、このえりを自分でこしらえて、すべて自分だけで用を弁じて、何も人のお世話にならないという」太古の時代があった。「そういう時期こそ本当の独立独行という言葉の適当に使える時期」だと漱石は言います。
 私たちは「太古の人を一面には理想として生きているのである。けれども事実やむをえない、仕方がないからまず衣物を着る時には呉服屋の厄介に」なって社会生活をしている。「己のためにする仕事の分量は人のためにする仕事の分量と同じであるという方程式が立つ」と漱石は言います。自分の中で適性や技術がある箇所を伸ばして、仕事をしている。それで得たお金を使ってべんりにものを手に入れて生活する。
 漱石の言う、自給自足をしつづける太古の独立した人間や、交換で経済活動をする人間たちの話しを読んでいて、デジタルデトックスというのを連想しました。ケータイやPCをまったく使わない日をつくってみる、というのが最近よく言われていて、じぶんもそういう日を作ってみることにしたんですけど、漱石は原始的な暮らしというのと、文明的な暮らしをまず比較することで、仕事の考え方の根本的なところを見直してみるということを試みています。
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 人のためになる仕事を余計すればするほど、それだけ己のためになるのもまた明かな因縁いんねんであります。quomark end - 道楽と職業 夏目漱石
 
という中盤の一文が印象に残ります。漱石は「人のために」動く、という言葉の意味を、まずは軽い意味でとらえてくれと述べています。ちょっと他人の「ごきげんをとる」というだけでも人のために動いたことになる、と漱石は言います。
 やや不道徳なかんじで仕事をしていても、しっかり儲けていてエライ人が居るでしょう、と漱石は言います。現代的に言うと、ハメを外して面白いことをするYouTuberみたいな人のことだと思います。道徳や倫理の視点から見たらなんだかヤバイ奴であっても「おおくの他人のごきげんをとっている」という点において、人のために動いているから、本人もぜいたくに生きられる。「道徳問題じゃない、事実問題である」と漱石は指摘します。漱石は人気のYouTuberを論じてみたりするんだなと思っておもしろかったです。
 ピューディパイと比べてみると、漱石は「私は今ここにニッケルの時計しか持っておらぬ」ので資産と人気で見劣りしてしまう。どうも金銀ダイヤモンドに囲まれたピューディパイと比べると「人の気に入らない事」を漱石はやっているからこうなっているのだと、漱石は自己分析します。「いくら学問があっても徳の無い人間、人に好かれない人間というものは、ニッケルの時計ぐらい持って我慢しているよりほか仕方がない」ので、漱石も正岡子規も、安泰の人生というわけではなかったようなんです。
 「何でもかでも人に歓迎される」ようなそういう仕事はたしかにあると。安価なのに良い効果がある化粧品とかを売っている仕事とかです。
「職業上における己のため人のため」ということの意味は、まずはこういう意味であると、漱石は言います。そうして職業は専門化して特化して先鋭化してゆく点…「職業の分化錯綜さくそうから我々の受ける影響は種々ありましょうが、そのうちに見逃す事のできない」妙なことを引きおこします。それは「お隣りの事がかいもく分らなくなってしまう」と言うんです。
 明治の終わりの近代文明は完全な人間を日に日に不都合な人間にしてしまう、と漱石は指摘します。これは現代でも起きていることのように思います。
 職業が細分化して特化しつづけると「今の学者は自分の研究以外には何も知らない」というような状況が起きます。専門化がきわまってゆくと、実に突飛なものになってしまう。と漱石は警告します。これはべつに高給取りや秀才に限らないんだと、漱石は言います。どうしてかというと、専門家のことを必要以上に信用しすぎているからで、疫学専門家の警笛を真に受けてしまってコロナが心配で親交も恋愛も結婚も出来なくなってしまったとか、ゲーム実況動画がおもしろいのでそればっかり見てしまって仕事と学問を疎かにしてしまった場合は、専門家を重んじすぎているのが原因かと思われます。
「自分の専門にしていることにかけては」「非常に深いかも知れぬが、その代り一般的の事物については、大変に知識が欠乏した妙な変人ばかりできつつある」と漱石は警告します。
 後半で漱石は、文学の作用についてこう述べています。
quomark03 - 道楽と職業 夏目漱石
  文学上の書物は専門的の述作ではない、多く一般の人間に共通な点について批評なり叙述なり試みた者であるから、職業のいかんにかかわらず、階級のいかんにかかわらず赤裸々せきららの人間を赤裸々に結びつけて、そうしてすべての他の墻壁しょうへきを打破するquomark end - 道楽と職業 夏目漱石 
 
 ですから漱石は、現代の専門家になろうとしている人々にこそ、漱石文学を読んでもらいたい、ということになります。職業は「他人本位」のものであって、道楽は「自己本位」のものなんです。稼ぎ頭のYouTuberの方針を決めているのは、視聴者ぜんたいの動きによるところが大きい。じゃあ文学はどうなのか? 終盤での漱石の文学創作論は、こうなっています。
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  私が文学を職業とするのは、人のためにするすなわち己を捨てて世間のごきげんを取り得た結果として職業としていると見るよりは、己のためにする結果すなわち自然なる芸術的心術の発現の結果が偶然人のためになって、人の気に入っただけの報酬が物質的に自分に反響して来たのだと見るのが本当だろうと思います。
 (略)いくら考えても偶然の結果である。この偶然が壊れた日にはどっち本位にするかというと、私は私を本位にしなければ作物が自分から見て物にならない。(略)私ばかりではないすべての芸術家科学者哲学者はみなそうだろうと思う。彼らは一も二もなく道楽本位に生活する人間だからである。大変わがままのようであるけれども、事実そうなのである。したがって(略)科学者でも哲学者でも政府の保護か個人の保護がなければまあ昔の禅僧ぐらいの生活を標準として暮さなければならないはずである。quomark end - 道楽と職業 夏目漱石
 
 漱石は自己本位に生きても他人に害悪をもたらさないわけで、論語で言うところの「七十にして矩を踰えず」の仙人みたいな境地で自己本位だったわけで、高度なことを論じているなあと思いました……。
 「職業の性質やら特色について」のべ、それが「社会に及ぼす影響を」論じ、「最後に職業と道楽の関係を説き、その末段に道楽的職業というような」作家について考え、どこまで職業であって、どこから道楽なのかを理解してもらった、という話しで締めくくられていました。くわしくは本文をご覧ください。

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愛は神秘な修道場 宮本百合子

 今日は、宮本百合子の「愛は神秘な修道場」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 百年前の恋愛論なんですが、これは……普通に読むと読めないんです。百年前は自由恋愛が生じがたく、あらゆる人の自由が、国家から奪われていて、主体的な恋愛が成立しがたかったのでは、とSF的な虚構の設定を付け加えながら読みました。いまから百年後に、宮本百合子の言うような厳しい社会になっているのかもしれない、とか思いながら読みました。以下の文章が印象に残りました。
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  人間は生れるときから死ぬまで恋愛ばかりに没頭しているのではありません。又、他人の恋愛問題と自分のそれとは全然個々独立したもので、それぞれ違った価値と内容運命とを持っている筈のものです。quomark end - 愛は神秘な修道場 宮本百合子
 
 最後の一文で、女同士の親交について考えながら書いたのでは、と思いました。
 

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新しい読書法2

明かりの本は、0円オーディオブックを100冊以上公開しています。iphoneで「明かりの本」のオーディオブック機能を使う方法を説明します。3つの行程で使えます。慣れてしまえばとてもかんたんな読書法です。なおこれは、青空文庫やkindleアプリでも使える方法です。
  
■ 行程1
ケータイで「明かりの本」akarinohon.comにアクセスし、装画をクリックして縦書きの本文を表示します。

■ 行程2
人差し指と中指の二本指を「閉じたピース」状態(閉じたチョキ)にして、画面のいちばん上から下にスワイプします。そうするとAIの自動音声読み上げが開始されます。
くわしい「スマホの読み上げ」の操作手順は、こちらのAbroader氏の解説動画を見てください。「読み上げ」がはじまらない場合はスマホの設定を変更します。(設定方法が分からない場合はこちら

howtoip01 - 新しい読書法2

本文以外を読み上げてしまう場合は、画面中央のsankakuip01 - 新しい読書法2ボタンを数回(2回〜5回)押すと、本文の読み上げが始まります。

■ 行程3
人工知能が、「明かりの本」の電子書籍を青色でつぎつぎにマークアップしながら全文を読み上げてくれます。ときおり画面の左下あたりをクリックしながらページをめくり、さいごまで耳で聞き進めることができます。イヤフォンかAirPodsを使ってみてください。タブレットもオススメです。iPadがいちばん使いやすいです。

(明かりの本の下部がしっかり表示されない場合は、ケータイをクルッと2回転するとちゃんと表示されます)

Androidケータイを使っている人も、同様の方法で「明かりの本」オーディオブックを楽しめます。PCだけを使ってオーディオブック機能を使いたい方は、こちらをご覧ください。ケータイのゲームやSNSに飽きてしまったら、ぜひ「明かりの本」の0円オーディオブックを楽しんでみてください。
以上でiPhone読書術の解説を終わります。

howtoipart02 - 新しい読書法2

『kindle アンリミテッド』を使って古典や名作を読む方法は、こちらをご覧ください。