学問のすすめ(13)福沢諭吉

 今日は、福沢諭吉の「学問のすすめ」その13を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 こんかいは怨望について論じていました。後半でこの問題をまとめた箇所があってそれは「人間最大の禍は怨望にありて、怨望の源は窮より生ずるもの」ということで人類でいちばんの不幸は怨みをつのらせることで、これは閉鎖的な状況によって作り出される。だから他人の言論の自由は重要だし、他人の経済的な自由も重要になる。不幸が起きている現場では、この経済的自由と言論の自由が壊されている。中世日本で言うところの、殿様の御殿に囲われた女中たちが直面した、不合理な賞罰制度と不自由と、そこから生ずる怨みのことが例示されていました。福沢諭吉の、怨望の解決案としては、言論の自由と経済の自由を拡張する、ということを述べていました。本文こうです。
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  自由に言わしめ、自由に働かしめ、富貴も貧賤もただ本人のみずから取るにまかして、他よりこれを妨ぐべからざるなり。quomark end - 学問のすすめ(13)福沢諭吉
  
 凶悪な犯罪の場合は、壊れた発言と壊れた金力というのが中心にあるようにも思うんですが、他人の言論の自由を豊かにしてゆく、というのがどうも重要なんだろうと、思いました。
  

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★ 『学問のすすめ』第一編(初編)から第一七編まで全文を通読する
 
追記  現代のAI到来時代にも通用することを、福沢諭吉は論じているように思いました。福沢諭吉は「人間最大の災いは怨みにある、怨みの源は窮から生ずる」と述べています。AIが進化して労働者が減ってゆく現代に、あらゆる人の「自由に言わしめ、自由に働かしめ」ということを実現するには、運輸業をすべてAIが担当するころに、1%の超富裕者層からの税金を使ってベーシックインカム制度を導入する必要があるのでは、と思いました。

人生三つの愉しみ 坂口安吾

 今日は、坂口安吾の「人生三つの愉しみ」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 大酒飲みの坂口安吾が、禁酒と酩酊について書いた随筆なんです。けっきょく禁酒できるかどうかは、本人が酒を減らす意識があるかどうかだけが重要なんだそうです。ぼくは禁煙だけは実現したことがあるんですが、禁煙中にガムを食べすぎて奥歯が虫歯になって壊れて、それから甘いものと煙草が嫌いになって痩せすぎた、という経験があります。
 医者の本を読むと、酒に強い人が禁酒してもあんまり意味が無い、酒を飲めない人が上司から無理やり飲まされるのだけは辞めたほうが良い、みたいなことが書いてありました。
 ローマ帝国の風呂は、快楽と共にあった、帝国の滅びと共に、ヨーロッパの大風呂は減退していった、という話しがおもしろかったです。楽しい酒なら辞めなくていい、楽しくない行為だけは減らしたら良い、というようなことも書いていて、坂口安吾の説く幸福論としても読める本でした。
  

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学問のすすめ(12)福沢諭吉

 今日は、福沢諭吉の「学問のすすめ」その12を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回はスピーチの価値について論じています。まったく同じ内容であっても複製した断片だけでは伝わりにくいのに、優れた人が詩をスピーチすれば「わかりやすく」「人を感ぜしむるもの」となって「限りなき風致を生じて衆心を感動」させる。「ゆえに一人の」意見を「衆人に」速やかに伝えられるかどうかは「これを伝うる方法に」よるところが大きい。
 福沢諭吉は、学問を活用して機能させることを重視していて「活用なき学問は無学に等し」いというように書いています。
 読書をして、心の働きに変化が生まれて、これを活用して学を実践にうつす。観察をして推論をして、新しい考えを作り、人と話して知見を交換し、本を出して演説をして知を広める。学問の実践には、人との交流が重要になってゆく。
 学問をほんとうにする人は、談話や演説をすることが、大切になる。独自に一人で学究をするということと、人と交流して知を広めるという「外の務め」というのをしっかりやってはじめて、ほんとうの学者である、と福沢諭吉は説きます。
 知識量が多く人とも多く交流しても、定見を持っていない学者というのがいるのもまずい、とも書きます。
 学問をする者は、高尚な見識というものを持つべきだけれども、「医者の不養生」とか「論語読みの論語知らず」となってはいけない。実行力とか結果とかが、ともなわない学者が多いとマズい、というように福沢諭吉は書くのでした。酒でも遊びでも淫蕩なところに至るとかいうのは駄目だ、風紀や風俗のことで喧々諤々の言い争いをするというのは愚かだ、という指摘もあってこれは荘子が述べているように、優れた学者の「交りは淡きこと水のごとし」というのが理想、ということなのかと思いました。
 学校や学の評価というのは、風紀や風俗をやたらと取り締まっていて全体的に見た目が整っている、というところでは判断できない。学校の価値は「学科の高尚なると、その教法の巧みなると、その人物の品行高くして、議論の賤しからざるとによる」と福沢諭吉は書きます。これは、大組織や政府にも言えることだ、と書いていました。
 今回は、19世紀後半のインド政府がおちいった困難について論じていました。この国家的危機を学問の力で改善していったのが、ガンディーの思想と実践だったというように思いました。
 

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高きへ憧れる心 与謝野晶子

 今日は、与謝野晶子の「高きへ憧れる心」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 与謝野晶子が、アニミズムや山への畏敬について記しています。じっさいの登山での実感もふまえ、古典文学と山との関連も記していて、読んでいて魅了される随筆でした。
 与謝野晶子は、大陸横断鉄道に乗ってヨーロッパへ旅をしたり、子どもを十三人も産んでいて、さらに中国の千山にも登っているのだそうです。
 高野山や吉野山に住んだ西行の、山での心情について書いているのが印象に残りました。本文こうです。 
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 或る日数以上、山に滞在すると寂しくてならない。山上の視野がひろいのに対して、人間の余りに孤小なことさえ感ぜられて寂しくなる。山には早く秋が来るので、八月の末頃まで山にいると、夜など泣きたいような心もちを覚える。高野山や吉野山に住んだ西行がしばしば京に帰って来たのも、こう云う人間思慕の心からではなかったか。 
 山から帰る心は浄められている。quomark end - 高きへ憧れる心 与謝野晶子
 

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緒方氏を殺した者 太宰治

 今日は、太宰治の「緒方氏を殺した者」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これはごく短い、ほんの一頁の随筆です。本文で記されている緒方氏というのは1905年生まれの緒方隆士という作家仲間のことです。太宰治は、緒方隆士の小説を愛読していて「病弱を美しいと思い」「敗北に享楽し」「不遇を尊敬した」緒方氏の作家性と、近代の無力さについて論じ、緒方隆士への哀惜の念を記していました。
  

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追記  1938年の昭和13年8月「日本浪曼派」に掲載されたものです。

ステッキ 寺田寅彦

 今日は、寺田寅彦の「ステッキ」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 杖のさまざまな使われ方と、その社会背景について書いている随筆です。田舎の貧しい暮らしや、羊飼いが使う杖はどういった用途なのかとか、いろんなことを書いていました。「蛭を売る」という習慣があった村というのは、現代では聞いたことが無いように思って引き込まれました。調べてみると現代では、養殖の蛭をつかって血を吸わせて治療をするという医術があるんだそうです。
 百年前の近代都市でしか存在しなかった、ファッション要素としてのみ用いる若者のステッキというのは、これはもう現代ではどのような都市でも見られないものだろう、と思いました。百年前の若者は、人が溢れる埃まみれの東京都心で、ヒノキの剣みたいな武器代わりの杖を、持ち歩きたいという願望があったのでは、とか思いました。
   

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