門 夏目漱石

 今日は、夏目漱石の「門」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは漱石の代表的な三部作「三四郎」「それから」「門」のなかの、最後の作品にあたる本なのですが、これから読みはじめてもまったく問題ない、独立した物語です。
 ぼくはこの本を一日一章、二十日間ほどかけて読んだんですけど、主人公の宗助は崖の下に住んでいて、七章から八章あたりで、崖の上の裕福な家に泥棒が入る、という展開があって、この地味だけど奇妙な事件が印象に残りました。
 「門」ではモノやヒトの、不可思議な移動というのが象徴的に描かれているような気がしました。そのひとつとして泥棒のエピソードがあるのではなかろうか、とか思いました。作中で、主人公と妻の二人に関する描写で、こういう一文があります。
quomark03 - 門 夏目漱石
  そうして二人が黙って向き合っていると、いつの間にか、自分達は自分達のこしらえた、過去という暗い大きなあなの中に落ちている。quomark end - 門 夏目漱石
 
 このように閉塞した心理から、どのように考えて次に進んでゆくのか、というのを追ってゆくのが興味深かったです。
 

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(総ページ数/約10頁 ロード時間/約3秒)
 

それから 夏目漱石

 今日は、夏目漱石の「それから」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは漱石の前期三部作のうちの一つです。「三四郎」「それから」「門」という三つの長編作品があって、ぼくはこれが近代文学でいちばん読みやすくて格調高い純文学だと思いました。
 三四郎とはべつの、代助という名前の青年が中心になって描かれた物語なんですけれども、前作と共通しているところもあって、主人公は将来の生き方が決まっていない。
 漱石は、養子として育てられて、家を取り替えられて子どもの頃をすごしたそうですけど、そういう経験が、この小説の主人公に反映されているように思いました。学生時代に、正岡子規と一緒にメシを食いにいったり野球をしたりした、そういう漱石の人生のいくつかが物語に反映されているように思いました。
 

0000 - それから 夏目漱石

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三四郎 夏目漱石

 今日は、夏目漱石の「三四郎」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 漱石が描いた作品の中でもとくに、この三四郎という主人公はかなりの、うっかり者なんです。はじめに、旅のさなかで見知らぬ女にずいぶん失礼なことをしてしまう。女はほとんど気にしていないんですけれど、こんなミスはめったにない。
 三四郎のいろいろな失敗に注目しつつ読むと、なんだか楽しいような気がしました。
 序盤にだけ現れる、名前の無い女というのが、この物語でなんだかものすごく重大な存在のように思えたんですけど、どうなんでしょうか。
 作中に記されたストレイシープ、という言葉は、マタイによる福音書の第18章に書かれていました。漱石は、聖書のこの部分を100%読んでいたわけで、ここに着想を得て、三四郎を書くことにしたようなんです。ちょっと長いですけど、wikisourceから引用してみます。
quomark03 - 三四郎 夏目漱石
 マタイによる福音書 第18章
そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。
すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、
「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。
(略)
あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである。〔人の子は、滅びる者を救うためにきたのである。〕
あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。
もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。quomark end - 三四郎 夏目漱石
マタイによる福音書『口語 新約聖書』日本聖書協会 1954年 wikisourceより
 
 

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ゴリオ爺さん バルザック

 今日は、バルザックの「ゴリオ爺さん」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これはかなり長大な文学作品で、あまたの登場人物が出てきます。
 
■主要登場人物
・ウージェーヌ・ラスチニャック………うぶで野心家の学生。主人公。
・ゴリオじいさん………娘たちを愛するあまり破産した。
・レストー夫人………ウージェーヌが一目惚れした美女で、ゴリオじいさんの実の娘。
・デルフィーヌ・ド・ニュシンゲン夫人………銀行家の妻で、ゴリオじいさんのもう一人の娘。
・ヴォートラン………謎のお尋ね者。
・ボーセアン夫人………ウージェーヌの遠い親戚のお金持ち。
・ヴィクトリーヌ・タイユフェール嬢………主人公たちとおなじマンションに住む、かつて孤児だった悲しげな目の美少女。母は亡くなり、父とずっと会えぬまま生きてきた。
 
 ヴォートランという謎の男がかっこいいです。主人公は成り上がりのお金持ちを目指していて、3人の美女と恋愛をする。この青年のマヌケなところが読んでいてほんとうにおもしろかったです。たぐいまれな喜劇だと思うんですけど、倫理的な人間性の描写に感銘を受けて、そこがバルザックの最大の魅力のように思いました。
 

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痴人の愛 谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「痴人の愛」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは年下の恋人に翻弄される男の物語なんです。ぼくはこれを十数日間にわけて読んだのですが、序盤から終盤までずいぶん楽しんで読めました。文体が現代のものとほぼ同じ、洗練されたものなのですが、内容はやっぱり鹿鳴館とか文明開化の気配が残っていて、その世界から出ていって古い日本でも無い西洋の複製でもない新しい自己を作らんとする生き方が興味深かったんです。後半になるともう、主人公の心情の描写がしっちゃかめっちゃかになっていて、悪友と浮気性のナオミが次々に問題を引きおこし、まるで狂騒の坩堝に放り込まれたような熱のある展開で、その密度の濃い事件の描写がまた谷崎文学の醍醐味になっていると思います。
 なおみ、という名前は現代ではごく普通の女性名なんですけど、じつは欧米のNAOMIという名前をローマ字読みしたものをもらってきて、日本人の名前として定着した(ようだ……たぶん)というのを知って驚きました。直美とか菜緒美とか良く聞く自然な名前だと思うんですけど、近代以前にはほぼ存在しない名前だったようです。あと辞書で語源を調べると、縁起の良い言葉なんですよ。
 
 

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破戒 島崎藤村

 今日は、島崎藤村の「破戒」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 この小説は、文章は優しい言葉で記されていて読みやすいのですが、内容が難しく、登場人物も多いですので、wikipediaの文学解説と同時に読み進めてみてください。ぼくは藤村の「若菜集」が好きで、その作者がドストエフスキーのような群像小説を書いたということで、読んでみたいと思っていました。
 四年前に、ある選書リストにマーティン・ルーサー・キングの著書『黒人はなぜ待てないか』という書籍と同時にこの、藤村の『破戒』のことが紹介されていて、それでこの小説を読みはじめました。難読書ですので一気に読み終えることはできないかと思いますが、ぼくは一日に一章読むことにして、二十日間かけて読んでみました。
 古い話しなんですけど、後半でアメリカに渡り移民として生きる可能性について少し記されていたり、主人公丑松の、父とは異なる思想を持った猪子先生への思いの描写があったり、新しい時代にも通底している普遍的な描写がさまざまにありました。「坊っちゃん」や「こころ」を書いた夏目漱石も、この「破戒」を高く評価していて、近代の代表的な文学であるように思います。
 島崎藤村はこの本を自費出版で出している。僕が印象に残ったのは、主人公の丑松が古里でつくってもらった、竹の皮につつまれたおにぎりの描写なんですけど、近代の魅力は、貧しさにも豊かさにも深く関わった作家がいるところではないだろうか、と思いました。
 

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