細雪(1) 谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その1を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回から百回くらいかけて谷崎の細雪を読んでゆこうと思います。ぼくは「陰翳礼賛」と「痴人の愛」と「卍」は読んだんですが、これははじめて読むのでとても楽しみです。この小説は上巻中巻下巻の3冊あります。今回は全巻を通読してゆけるようにまとめてみました。
 ぜんぶで百章ちょっとあってぼくはまだ第一章しか読めていません。鶴子・幸子・雪子・妙子の4姉妹の物語だそうです。悦ちゃんというのは幸子の娘です。
 4姉妹のおもな呼び名や属性は、鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)というようになっています。三女の雪子がどのようなひとと結婚をするのか、というのから物語が始まります。
「なあ、こいさん、雪子ちゃんの話、又一つあるねんで」
 ということで、どういう結婚がありえるのか、4姉妹でいろいろ話してゆくようなんです。近い未来について何度もはなす、いろいろうわさをする、そういうところも話しとして展開してゆくようです。
 これは1936年からの約5年間を描いた作品で、当時の物価は1円でいまの1000円くらいの貨幣価値がありました。
 そういえば文豪ゲーテは色彩論や美学論を記しています。谷崎の「陰翳礼賛」は日本の美学を読み説いた随筆で、本作でも谷崎潤一郎の美のまなざしを堪能できるのでは、と思います。
 一番年下の妙子(こいさん)というのがヤンチャで大人ぶっていてなんだか魅力的です。
 作中のほとんどが関西弁なんですけど、谷崎潤一郎はじつは関西弁は話さなかったそうです。それなのにこんなにきれいな関西弁を書けるというのがすごいと思います。
 会社員のしっかりした稼ぎの男が見合い相手らしいのですが、フランス系の会社に勤めているので、結婚したらフランス語を教えてもらえるかも、ということを話しています。
 最初のほうからビタミンBの注射をする、という奇妙な話が出てきます。医者の手を借りずに、姉妹同士でこの美容法をやっている。現代ではビタミンのサプリメントを飲みたがる人がいて、そういうイメージなのかと思いますが、血も針もでてくるのでなんだか、秘蔵の美容法みたいで謎めいています。注射ごっこではなく、ほんとに姉妹で注射をしている……。次回に続きます。全三巻の全文をいっきょに通読することもできますので、好きなところを読んでみてください。
 

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「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。

死せる魂 ゴーゴリ(1)

 今日は、ニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」第1章を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回から十一回かけて、ゴーゴリの長編文学「死せる魂」を読んでみようと思います。大長編なんですが、下記リンクから全章を読むことが出来ますよ。この「死せる魂」はウクライナ生まれのゴーゴリが、ロシアでの貧しい青年時代を経て、ローマを長らく旅している時に書き記した文学作品です。「神曲」の作者ダンテにならい、生まれた国の権力者から逃れるようにしてイタリア半島を遍歴しつつ、物語を記したようです。
 「死せる魂」の第一章では、宿屋に現れた紳士を描写するところから、物語が始まります。
 この紳士の名前はチチコフといって、六等官の地主で、いま旅をしている最中なんです……。
 ちょっと気になるのは、チチコフは宿屋の給仕をつかまえて、お役人について妙にことこまかに質問しつづける、警察官にも役人がどこに住んでいるのかなんども聞いている……というところで、この紳士チチコフが、宿屋に長期的に泊まる理由はなんなのか、そこが気になりながら読んでゆきます。「とにかくこの旅人は、訪問ということにかけて異常な活躍を示した」と記されています。
「こうした有力者たちとの談合のあいだに、彼は実に手際よく、その一人々々に取り入ってしまった。」というところあたりから、このチチコフの奇妙な人間性が見えはじめてきます。
 この地は「まるで天国」のようだとか、お役人にたいして「絶大な賞讃に値する」とほのめかしたり、副知事にたいして『閣下』と言いまちがえてみたり、なんとも妙なんです。
 180年前のロシアが活写されていて、それを小説をとおしてかいま見るのも興味深いように思いました。知事の邸宅は「まるで舞踏会でもあるように煌々と灯りがついていた」「大広間へ足を踏み入れると、ランプや、蝋燭や、婦人連の衣裳が余りにもキラキラと光り輝いていた」というのもなんだか妙で、チチコフが怪しげなだけではなく、彼が謁見する有力者の暮らしぶりも、かなり謎めいています。
 まったく見知らぬ余所者であるはずのチチコフなのですが、有力者に取り入るのが妙に上手くて「みな、チチコフを古い知合いのように歓迎した」……。いったいチチコフはこの地でなにをするつもりなのか、というのを知りたくて読みすすめます。
 チチコフは、有力者たちにたいして、農地と農奴をどのくらい持っているのか、これを盛んに知りたがります。
 チチコフの話術はちょっとすごいもので、あまたの金持ちと、初対面なのに上手く打ち解けてしまうんです。
「役人たちはこの新らしい人物の出現に、一人残らず好感を抱いた。」「とても優しくて、愛想のいい方」というように思われる。
 商人や遊び人と初対面で打ち解ける人は、世の中に多いと思うんですが、権力者たちと初対面で仲よくなるというのはちょっと尋常ではないと思います。
 第一章の終わりのところで、この物語全体のネタバレというか骨子が明記されます。名作はネタバレをしてもおもしろい、というのがあると思うのですが、この典型例のような、オチの展開を最初のほうで示唆する記載がありました。チチコフの「奇怪な本性と、企らみというか、それとも田舎でよくいう『やまこ』というやつが、殆んど全市を疑惑のどん底へ突き落とす」とゴーゴリは書き記します。
 やまこ、というのは闇屋仲間というか、闇取引を業とする者という意味だと辞書の大辞泉には記されていました。チチコフはどうも大きな詐欺をやってやろうと、しているようです。次回に続きます。
 

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ゴーゴリの「死せる魂」第一章から第十一章まで全部読む
 
ゴーゴリの「外套」を読む

惑い(1) 伊藤野枝

 今日は、伊藤野枝の「惑い」その1を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回から9回かけて、この作品を読んでみようと思います。いっきに全文を読むことも出来るはずなんですけど、ぼくは数カ月かけて読んでみる予定です。
 伊藤野枝は近代において女性解放運動を行った文人で、小説をいくつも書いています。平塚らいてうの青鞜社に入って文学活動をし、ダダイストの辻潤との結婚生活を送り、当時は英語教師だった大杉栄と共に生きた、著名な作家です。ぼくは伊藤野枝の小説を今回はじめて読むので楽しみにして読んでみました。世界的な不景気が深刻になってきたこのコロナ禍に、近代文学者の個人的な貧乏話を読むのは、ふつうに共感できるというかおもしろいように思いました。
 まず冒頭に、3人の親子が記されています。主人公の逸子と、母親、それと息子の谷という青年。谷は母とえんえん親子げんかをしています。それを黙って聞いている逸子。親子げんかの台詞がみごとで、ほんとにあったことを聞き書きしたみたいに記されています。母親は神田にお出かけをしたいけれどもお金がない。お金が無いと近所づきあいもできない。息子の谷にお金を工面してくれと言うのですが、息子は、遊びにいくためのお金は用意できないというんです。「お母さんももういゝ加減にあんな下だらない交際は止めて仕舞っちやどうだい?」と述べると、母親は怒りはじめます。「何だい本当に、親に散々苦労をさして、一人前になりながら、たった一人の親を楽にさす事も知らないで、大きな顔をおしでないよ」と言い返します。谷はお金をかけてまで、下らない人に会いに行くのは辞めるべきだと考えている。母親は、寄り合いにどうしても行きたい。
「下だらない奴から何んとか彼とか云われ」てしまっては恥だと考えている。息子は貧乏なんだし「下だらない奴の云う事なら、何も一々気にする必要はないじゃないか」と言ってお金を工面したくない。金も無しに寄り合いに行ったら肩身が狭くて恥をかくと母は主張します。
「もっと私の肩身の広いようにしてお呉れ」と言うんです。それで息子の谷はあきれかえってもうなにも言わない。その親子ゲンカの間にすわっていたのが逸子で、彼女はこう思います。
  
quomark03 - 惑い(1) 伊藤野枝
 逸子は黙って聞いていた。母親の愚痴は、直ぐ前に座っている谷よりは、間に隔てゝ聞いている逸子の胸へ却ってピシピシと当った。quomark end - 惑い(1) 伊藤野枝
 
しかたがないので逸子は竜一のところでお金をもらってこようと思っている。けれどもそういった無心は心苦しい……次回に続きます。

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こころ 夏目漱石(上巻)

 今日は、夏目漱石の「こころ」上巻を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 ぼくはこの小説を1回だけ通読したことがあるんですけれども、今回「こころ」を再読してみて、いちばんはじめの記載が印象に残りました。
quomark03 - こころ 夏目漱石(上巻)
  私がすぐ先生を見付け出したのは、先生が一人の西洋人をれていたからである。
(略)最初いっしょに来た西洋人はその後まるで姿を見せなかった。先生はいつでも一人であった。quomark end - こころ 夏目漱石(上巻)
   
 漱石はラフカディオハーン先生のあとを継ぐように文学の先生になった。漱石は自分の体験談をそのまま私小説的には書かない、登場人物の設定を非現実的にしたりとくべつにこだわって作り込むのが特徴だと思うんですが、こんかいの「先生」というのは、漱石の一部としても読める可能性はある、と思いました。というか作中では先生という職業人が存在しないのに「先生」と呼ばれているんです。
「先生の亡くなった今日」という記載が出てくるのは、序盤のほんの10%あたりのところなんです。それから中盤で主人公「私」が父の危篤で田舎に帰る、その暗喩的事態がじつは物語の最初の頁に書き記されています。「友達」が家族の危篤で田舎に帰る、という描写があります。
 先生がお墓参りをするときの、お墓の描写も不思議なところがあります。イザベラと神僕ロギンとアンドレの墓があって、その近くに親友の墓がある。国際都市となっていた明治時代のお墓でも、こういう風景は非常にまれであるはずなんです。しかも外国人はこのあとまるで出てこなくなるんです。
 現実では、親友の正岡子規が病で亡くなるころに、漱石はひとりイギリスで文学を学んでいて、イギリス人だけに囲まれていた。そこでこころの調子を崩して日本に帰国して、漱石はとつぜん子規の文学活動を追うように、英語教師や文学研究者では無くって小説家になった。
 この物語は、現実世界の相似形を活写したものというよりも、漱石の夢の中に立ち現れてくる世界に近いところがあるのでは、と思いました。現実としては先生をしていない無職の男に対して「先生」「先生」というのはどうもおかしいわけで、あまりにも長すぎる遺書というのも現実的では無いです。漱石の小説の中でもけっこう不思議な仕組みの小説に思います。
 原発でもなんでも、ものごとを捨ててゆくからには、いろんな論述をしなければならない。それは長大になって然るべきです。漱石が廃炉にしたかったものの集大成が、この作品なのでは、と思いました。漱石の中で先生が消える。主人公の「私」は「先生」にやたら興味があって、いろいろ聞こうとする。先生はいつも墓参りをする。これをみて「私」は誰だか知らない墓を参ろうとする。先生は2人で墓参りはぜったいにしないという。じゃあ2人で墓参りのついでに散歩をしましょうという。先生は、墓参りは散歩じゃないという。本文こうです。
quomark03 - こころ 夏目漱石(上巻)
 私には墓参と散歩との区別がほとんど無意味のように思われたquomark end - こころ 夏目漱石(上巻)
 
 本の読み方にも似ている討論だと思います。漱石の「こころ」は、真面目に読んで然るべき本であって、父の死や親友の死について考えたいというときに、読んでみるべき本かと思います。ところが「坊っちゃん」という痛快な小説を読んだついでに流れで「こころ」を読むことも出来てしまいます。主人公「私」のように「散歩」する感覚で「こころ」を読むことが出来る。
 この小説の魅力は、主人公「私」が脳天気で上すべりなところにあると思うんです。物語の中心には長い長い遺書があるわけで、漱石文学にしては特別な暗さがあると思うんです。そこに立っている「私」はそうとう若くてマヌケなところがある。
 だいたい先生という職業をやっていない男のことを「先生」と言ってしまう、言いつづけるのもだいぶ変ですよ。
 仕事の付きあいでもない近所づきあいでもない学業の付きあいでもない、もともと何の縁も無い年上の男と、懇意になろうとする、主人公の「私」はなかなか無神経でそこが良いんです。鈍感力がすごい主人公なんです。
 先生が淋しさについて論じているときも、平然と「私はちっとも淋しくはありません」と言ってしまう。
 全体の10%あたりから、主人公「私」は先生の謎について解き明かそうとしはじめます。
 上巻十六章(全体の15%)からちょっと推理小説でよくある、謎の館を訪れる「私」みたいになる。尊敬する先生が所用で家を空けた。もの静かで好意的で笑顔のすてきな奥さんと、そこで留守番してくれと言われるんです。
 こういうのが現実に起きたら、興味深いだろうという状況になる。さらに「私」は過去の悲劇と一人の死者について考察している。「変死」についても語られますし「先生が」「変化」したことについても論じられます。漱石は「探偵」という言葉をものすごく嫌っていたわけで、推理小説もきっと軽薄だから嫌いなんだろうと思うんですけど、そういう軽薄な読み方もできる、重層的な構造の小説になっていると思います。
 漱石にとっては育ての父や血族の父よりも、文学の先師のごとき海外作家や、亡くなった正岡子規のほうが重大だったのだろうと、思うシーンがありました。
メメント・モリを通して学ぶ青年の物語で 「先生」の謎を追ううちに、この主人公「私」は少しずつ思慮深くなってゆくように思いました。そういえば、キリスト教では血族よりも思想信条を重大視している……。
quomark03 - こころ 夏目漱石(上巻)
 平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです。quomark end - こころ 夏目漱石(上巻)
 
と漱石は「先生」に言わせていて、印象に残りました。漱石は一流の職業人でもあると思うんです。英語の研究も当時の日本の代表的存在で、イギリス文学の研究も当時最前線だった。新聞社からも篤い待遇を受けましたし、最高学府の教師でもあった。ところが作中では、なぜか職を断たれたような人間が中心に居ることがほんとに多いんです。やはり病のために仕事と伴侶を得られなくなっていった正岡子規のことがもっとも漱石にとって重大だったんだろうなあ、と思いました。
 

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吉野葛 谷崎潤一郎(1)

 今日は、谷崎潤一郎の「吉野葛」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今日から6回に分けて、この小説を読んでゆこうと思います。谷崎潤一郎と言えば「痴人の愛」とまんじがぼくは大好きなんですが、今回の小説はちょっとけっこう難解なことが書いてあって、ようするにある小説家が、奈良は吉野の南北朝時代に生きた「自天王」と五鬼のことを調査している。吉野の側からみた南北朝時代における伝説についていろいろ論じている。
 ところでぼくは知らなかったのですが、五鬼継という家系は今もあって、wikipediaにも掲載されているのでした。
奈良は生駒に鬼取町という村があって、そこでかつて捕らえられた五鬼の子孫……というのが吉野に生きてきたと……。
 古い本に書かれた鬼というのはモンスターのことでは無く、人のことをどうも書いているようです。じゃあ古事記の黄泉の国にいる鬼はなんだったんだ、とか思いました。
 

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野分(1) 夏目漱石

 今日は、夏目漱石の「野分」その(1)を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これから12回にわけて、漱石の野分を読んでゆこうと思います。数カ月くらいかかると思います。下記リンクから全文を読むことも出来ますので、そちらもご利用ください。ぼくは漱石の長編を5つくらい読んだんですけど、この「野分」ははじめて読みます。これちょっとすごい作品で、「坊っちゃん」の迫力と、「私の個人主義」といった漱石のじっさいの思想とが、入り混じったような構成で始まります。漱石と言えば、作者と主人公とがずいぶんかけ離れているところにその小説の魅力があって、なにせ処女作は、主人公がどこにでも入りこむ小さな猫だったわけで、それからプー太郎いまでいうニートを主人公にして物語を描くこともあります。今回は、主要登場人物と漱石はかなり近しい人物像に思います。どちらも文学者で……次回に続きます。
 

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