ガリバー旅行記(3) ジョナサン・スイフト

 今日は、ジョナサン・スイフトの「ガリバー旅行記」その3を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 前回は、小人の国や、巨人の国に迷い込んだガリバーだったのですが、今回は海賊に襲われて海を漂流してから、奇妙な島にたどりつくんです。「飛島」という、なんだか地動説で描かれた世界地図の絵画のような、巨大な島を目の当たりにするんです。深海魚の眼が奇妙になっているように「飛ぶ島」の生きものも、奇妙な姿をしているのでした。なんだか天国と地獄が一体化したような見かけにおどろく物語になっていました。
 深海の生物がすごい生態系になっているように、この国の生態系もまったく異質で、未知の文化を形成しているのでした。都市の構成としては、ふつうの文明では平面的に広がる世界だと思うんですが、この「飛ぶ島」では上下に移動する立体の都市なのでした。国王や貴族や「先生」が現れて、ガリバーにさまざまなことを教えてくれます。「飛ぶ島」ぜんたいは宇宙船のように、地球のいろんなところへ移動できる……動く半月の球、のようなものになっていて、あきらかに18世紀や現代の文明を超越しています。
 ダンテ『神曲』天堂篇のはじまりのところでは、こういう中空に浮く世界が美しく描かれていたわけですので、このあたりの古典文学が今回の『飛島』と似ているように思います。幾つかの資料を調べてみると、おそらくダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』と三部構成のダンテ『神曲』を合体させたら、この物語に近いものになるように、思いました。
 いっけん高度な文明が発達したようにみえる巨大宇宙船のごとき「飛島」なんですが、人々の暮らしぶりはそうとう無理のあるものになっていて、家もデコボコで、神話で言うところの『バベルの塔』の下層で生きるような暮らしになっているのでした。さらに太陽に近づきすぎたために熱線への恐れを抱いていたりして、三百年後の現代におけるオゾン層の崩壊によって太陽光に耐えられなくなる問題、について悩んでいる。まったくバベルの塔の滅びに似た問題を抱えているのでした。
 作中では、数学と音楽には秀でていて「飛島」をつくることに成功したのに、現実にはひどい国と暮らしになってしまっている、という悩みが描かれていました。都市生活をおくる現代人にもうまく響いてくる、寓意のみごとな物語に思いました。
 この「飛島」は磁力の仕組みで中空に浮かんでいるんです。王ののぞみは、数学を発展させることにしか興味がないようなんです。王は眼下にある国々から税金をしぼり取っていて、逆らう国には、上からおおいかぶさるようにして暗闇で包んでしまうのでした。「王の命令に従わないと、最後の手段を取ります。それは、この島を彼等の頭の上に落してしまうのです。」と書いていました。そうすると下の国はぜんぶ潰れてしまうわけですが「飛島」の円盤の部分もちょっと壊れて、揺らいでしまうので、この最終手段はほぼ使われていないというのでした。大国の悪行……十八世紀イギリス帝国主義への批判というように思えました。
「この国では、王も人民も、数学と音楽のことのほかは、何一つ知ろうとしない」ので話しも通じず、ガリバーはもうこの飛島に居るのがイヤになって、下にある国に、鎖をつたって降ろしてもらうことにしました。下にある国の「バルニバービ」では奇妙なことが起きていました。自然は豊かなのに、貧しさがはびこっているのでした。その理由は「飛島」の高度な数学に魅せられた人々がこの国にもあまたに居て、仕事をせずに研究だけに夢中になっていて、未来の壮大な計画だけを作りつづけて、だれも働かなくなってしまったのでした。のちのちは豊かな楽園になるはずの「計画」はあまたにあるんですが、現実には誰もちゃんと仕事が出来なくなっているんです。
 これも現代イギリスや先進国で見られる文化的な若者たちに共通する悩みが描かれているように、感じました。「計画」だけが進歩しつづけて、現実には仕事がちっとも出来なくなってしまう。これが「飛島」の数学研究の発展しつくした世界なのでした。AIにほとんど全ての仕事を任せたあとの、人類の世界のようにも思えました。本文こうです。
quomark03 - ガリバー旅行記(3) ジョナサン・スイフト
  残念なのは、これらの計画が、まだどれも、ほんとに出来上ってはいないことです。だから、それが出来上るまでは、国中が荒れ放題になり、家は破れ、人民は不自由をつづけます。quomark end - ガリバー旅行記(3) ジョナサン・スイフト
 
 中盤で記される、おかしな発明家たちの研究心というのがすごくって、天才なのかバカなのか分からないようすが描きだされるのでした。ふつう家は土台からつくって最後に屋根を作るもんだと思うんですが、それとまったく逆に、ハチの巣のつくりかたと同じ方法で、上から下にむけて建物を作る計画を練っている男とか、蜘蛛を研究して新しい布を作る研究者とか、なんだか迫力のある人間が次々に現れるのでした。
 300年も前に、あらゆる学問の書を書ける人工知能の機械を作ろうと研究している学者が登場していて、すごい本だなと思いました。現代AIの元祖の機械についていちばんはじめに書いたのは、ジョナサンスイフトのこの本なのかも、とか思いました。
 今回の中盤の箇所は、不思議なことがいっぱい書いてあって、300年前の本とは思えない魅力を感じる児童文学に思いました。藤子F不二雄の「暗記パン」の原典は、ガリバー旅行記第三部の中盤に「暗記せんべい」として描かれているのでした。平和な世界の子どもたちに、ジョナサンスウィフトはこういう物語を届けたかったのか、と思う冒険譚でした。「飛ぶ島ラピュタ」の正体はじつはイギリスのグレートブリテン島に『バベルの塔』をくっつけたもののことなのでは、と思いました。話しのはしばしが知的好奇心を生み出すもので、アイルランドやロンドン文化のかっこよさを感じさせる物語でした。
 

0000 - ガリバー旅行記(3) ジョナサン・スイフト

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約3秒)
 
★ガリバー旅行記の第1部から第4部まで全文通読する

『一人の教授の意見では、悪徳や愚行に税金をかけるがいい、というのでした。ところが、もう一人の教授の意見では、人がその自惚れている長所に税金をかけたらいい、というのです。』とか、イギリスの政治や進化を夢想させる記載があまたにあって、こういうところにも魅力を感じました。
 中盤からガリバーは、魔法使いと幽霊の島というところを訪れ、それから日本経由でイギリスに帰ろうとしてバルニバービの「宮廷」の王を訪れて、ここで不気味な慣習を目の当たりにするのでした。このあたりの権力者のつくっている隠謀のしくみと、その稚拙さというのが描きだされるんですが、なんだかユーモラスでもあるんです。ふしぎな表現でした。
 後半の「死なない人間」と呼ばれる人々がじっさいにはどうやって生きるのか、ということを記していて、これは老いつづけて死ににくい人間という意味で、二百歳を越えたころにはもはや記憶も言葉もまったく失っていて意思疎通もできない、謎めいた人間になってしまうというのでした。なんとも哀れで壮大な生のことが描かれるのでした。
 ガリバーは第三部の終盤で、日本を経由してヨーロッパへと向かうのでした。いきなり日本の長崎の出島のことが描かれていてちょっと驚きました。当時の「踏み絵」のことも書かれていました。
 ガリバーはぶじ、三度目の冒険を終えて家族と再会するのでした。ガリバー旅行記は次回の第四部で、完結です。
 

舞姫 森鴎外

 今日は、森鴎外の「舞姫」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 この森鴎外の代表的な作品は、難解な文体で記されているので、wikipediaに記された解説と一緒に読むと、読みやすいかと思います。
 「余」は五年前にベトナムはセイゴン(サイゴン港)を通りすぎて、ドイツを訪れた。
 主人公はいまイタリアは「ブリンディジ」の港を出て二十日ほど経っていて、もうすぐ日本に帰りつく状態で、この舞姫のことを書きはじめたんです。
 知られざる恨みが「余」の心を悩ましている……。その恨みというのがなにかを「余」は書きはじめるんです。幼いころからシングルマザーの母に育てられて、母を喜ばせるために「余」は学問にはげんで、官僚になってベルリン留学を命じられた。
 ハイネも詩に描いた「ウンター・デン・リンデン」が舞台として描かれているんです。この近くで「余」は教会で泣くエリスという女性と出会って、このエリスを援助し交際します。
ハイネは「ウンター・デン・リンデン」についてこういう詩を書いています。
quomark03 - 舞姫 森鴎外
 友よ、このウンテル・デル・リンデンへ来い
ここでおまへは修養が出来る
ここでおまへは目のさめるやうな
女逹を見てたのしめる
みんな派手な着物のぱつとした
愛嬌のあるやさしさに
どつかの詩人は頭をふつて
さまよふ花だと名を附けた
…………
……quomark end - 舞姫 森鴎外
 
 鴎外の「舞姫」のモデルとなった世界観は、このハイネの詩なのかと思います。というのも「舞姫」の本文には「力の及ばん限り、ビヨルネよりは寧ろハイネを學びて思を構へ」と書いています。ビヨルネ(ルートヴィヒ・ベルネ)もハイネも、共通項があるんです。それはパリに亡命して移住者となっているんです。ユダヤ人でもあるハイネが、出会いの物語をつくって、その次の時代に離散の物語が現れた……。ディアスポラとなるか、故郷に帰るか、という問題について考える物語になっていました。
 国を出て世界をつくって、また日本に帰って2つの世界を行き来した。その2つの世界の、境界線のところに、ハイネや「舞姫」が拡げる文学性があるように思いました。
 文体が難しすぎて読めない、というかたは、「舞姫」現代語訳版がネット上にありましたので、検索して読んでみてください。2回読まないと、内容が判らない、むつかしい本でした。
 ハイネはウンター・デン・リンデンの「出会い」を描いて、鴎外がこの詩の続きであるかのような「別れ」を連歌のように描いたのでは、と思いました。エリスはさいご悲劇のヒロインとなっていて、終盤の数行は衝撃的なものでした。
 作中の中盤で「大學にては法科の講筵を餘所にして、歴史文學に心を寄せ、漸く蔗をむ境に入りぬ」と、法学をほっぽりだして歴史や文学に夢中になったと、こう書いているんですが、これは鴎外本人にそっくりなんです。架空の小説と自伝の混交した作品では、と思いました。
 出航と帰航、出会いと別れ、家族と孤立、援助と断絶、友情と愛情、ハイネと鴎外、移住と帰国、エリスと太田豊太郎、信頼と裏切り、開放と閉鎖、部分と全体……放浪と帰属の物語でした。
 

0000 - 舞姫 森鴎外

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約3秒)
 

大阪の憂鬱 織田作之助

 今日は、織田作之助の「大阪の憂鬱」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回の織田作之助は、はじまりの数頁でずいぶん奇妙なことを書いていて、眠る前に珈琲を飲まないと眠れない男がいる、というふつうとまったく逆のことを記してから、大阪の闇市のことを書きはじめるんです。戦争が終わっても、混乱はまだ治まっていないころに「食いだおれの大阪」と言われる大阪で食いものが不足するとどういうことが起きるのか、ということが記されていました。
 どうも妙な随筆で、「大阪の闇市にはなんでも売っている」という噂があるそうなんですが、これもどうもおかしいわけで、当時は食糧不足と物資不足と資産不足で、さらにとうじは配給制度がまだあったので、警察は食材を無断で売ることを禁じていて、何も買えなかったはずなんです。
 そのあとに、煙草を売る商人を警察が取り締まって、大乱闘になったという新聞記事のことが書かれています。織田作之助は前半で述べているように、当人も読者も、現実の疲弊ぶりに憂鬱になっているようなんです。闇市では、大規模な窃盗が相次いでいる。『京都から大阪へ行く。闇市場を歩く。何か圧倒的に迫って来る逞しい迫力が感じられるのだ。ぐいぐい迫って来る。襲われているといった感じだ。焼けなかった幸福な京都にはない感じだ。』
 この前後の記載がすごかったです。今はもうどうやっても誰もたどり着けない、戦後すぐの闇深い大阪が活写される、後半がみごとな随筆でした。以下の文章もなんだか印象に残りました。
quomark03 - 大阪の憂鬱 織田作之助
 いつか阿倍野橋の闇市場の食堂で、一人の痩せた青年が、飯を食っているところを目撃した。
 彼はまず、カレーライスを食い、天丼を食べた。そして、一寸考えて、オムライスを注文した。
 やがて、それを平げると、暫らく水を飲んでいたが、ふと給仕をよんで、再びカレーライスを注文した。十分後にはにぎり寿司を頬張っていた。
 私は彼の旺盛な食慾に感嘆した。その逞しさに畏敬の念すら抱いた。
「まるで大阪みたいな奴だ」quomark end - 大阪の憂鬱 織田作之助
  

0000 - 大阪の憂鬱 織田作之助

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約3秒)
 

ゲーテ詩集(52)

 今日は「ゲーテ詩集」その52を配信します。縦書き表示で読めますよ。
 わたしの心から湧きだす、幸運ななにかが底の底までわたしに知らしめる思想のほかには、わたしに持ちものは無い……。「幸運の手」が良い時期に私に知らしめてくれる思想。ゲーテがむつかしい文体を使っているのか、翻訳家の生田が難しい訳文を作ったのか分からないんですが、本文こうです。
quomark03 - ゲーテ詩集(52)
 わたしは知つてゐる、抑へも出来ず
わたしの心から湧き出して来る
また好運の手がいい折りを見て
底の底までわたしに味はさせる
この思想といふものを外にしては
わたしの所有物もちものはないことをquomark end - ゲーテ詩集(52)
 

0000 - ゲーテ詩集(52)

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約5頁 ロード時間/約3秒)
 
全文を読むにはこちらをクリック
 
 良い思想を持つことさえできれば、ほかに持ちものはそれほどいらないように思えてくる詩なのでした。ゲーテの言う「幸運の手」がもたらす思想は、いったいどういうものなんだろうと、思いました。

桃の伝説 折口信夫

 今日は、折口信夫の「桃の伝説」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 折口信夫は今回、古事記の桃について記しています。黄泉の国から生還するときに、桃をつかって生きのびた、ということをまず書いているんです。子どものころに病気になって治りかけの時に、母から缶詰の桃を食べさせてもらって美味しかったとか、病院食の味気ない食事が終わって退院後に自宅で果物を食べてやっと生きた心地がしたとか、お供え物に果物をそなえるとかいう体験は誰でもあると思うんです。古代における、こういった体験の集成の物語化が、古事記での黄泉の国での桃のエピソードに転化したように思えました。古事記では、黄泉の国からの追っ手に桃を投げつけて逃げおおせるの……です。
 ほかにも「桃太郎」の話しにそっくりな秦 河勝はたのかわかつの伝説の物語を読み解いています。「秦氏が帰化人であるごとく、話の根本も舶来種である」というように書いています。桃太郎の起源も、中国や朝鮮からの影響が色濃い可能性が高い。そもそも日本語は中国の漢字の文化から借りてきたのがはじまりで、日本の伝説も、大陸から輸入したところは多いはずなんです。本文こうです。
quomark03 - 桃の伝説 折口信夫
 朝鮮の神話の上の帝王の出生を説くものには、卵から出たものとする話が多い。其中には、河勝同然水に漂流した卵から生れたとするものもある。竹のの中にゐた赫耶カグヤ姫と、朝鮮の卵から出た王達キンタチとを並べて、河勝にひき較べてみると、却つて、外国の卵の話の方に近づいてゐる。此は恐らく、秦氏が伝へた混血種アヒノコダネの伝説であらうが、同じく桃太郎も、赫耶姫よりは河勝に似、或点却つて卵の王に似てゐる。quomark end - 桃の伝説 折口信夫
 
 千年以上前から、桃や果実をたいせつにする民間の習俗があって、日本で独自に、桃から生まれた桃太郎、というのが昔話になったようです。
quomark03 - 桃の伝説 折口信夫
  何故、桃太郎が甕からも瓜からも、乃至は卵からも出ないで、桃から出たか。其は恐らく、だんだん語りつたへられてゐる間に、桃から生れた人とするのが一番適当だ、といふ事情に左右せられて、さうなつたものと思はれる。quomark end - 桃の伝説 折口信夫
 

0000 - 桃の伝説 折口信夫

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約3秒)
 

岡の家 鈴木三重吉

 今日は、鈴木三重吉の「岡の家」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 児童文学者の鈴木三重吉の牧歌的な童話なんです。子どものための本なのでした。谷崎の言う「梨地の金」にも通底している、金色の秘密のことが、おとぎ話で描かれているのでした。
 

0000 - 岡の家 鈴木三重吉

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約3秒)
 
 
谷崎は『陰翳礼賛』でこう記しています。
quomark03 - 岡の家 鈴木三重吉
 時とすると、たった今まで眠ったような鈍い反射をしていた梨地の金が、側面へ廻ると、燃え上るように耀やいているのを発見して、こんなに暗い所でどうしてこれだけの光線を集めることが出来たのかと、不思議に思う。それで私には昔の人が黄金を佛の像に塗ったり、貴人の起居する部屋の四壁へ張ったりした意味が、始めて頷けるのである。現代の人は明るい家に住んでいるので、こう云う黄金の美しさを知らない。が、暗い家に住んでいた昔の人は、その美しい色に魅せられたばかりでなく、かねて実用的価値をも知っていたのであろう。quomark end - 岡の家 鈴木三重吉