おいてけ堀 田中貢太郎

 今日は、田中貢太郎の「おいてけ堀」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 夏と言えば怪談なので、ちょっとそういうものをネットで探していて、Backroomsという映像作品を発見しました。これは16歳の映像作家が作った作品なんです。16歳でここまで完成させるってすごいと思います。Backroomというのは数十年前の1990年ごろに米国であまたの行方不明者が生じて、その人々が迷い込んだ空間……黄色い空間、なんだそうです。都市伝説とかいうやつです。正確な情報はwikipediaを読んでみてください。あるひとつの奇妙な画像から、広まっていった現代の怪談なんです。Backroomの広さは東京の山手線ぜんたいの2倍くらいある空間だそうです。くわしくは映像を見てください。これは……かつて見たことの無い恐怖心をかきたてるホラー映像という噂で、つい半年前に公開されたものなのに再生回数も尋常でないもので、Backroomsにかんしていろいろ映像が公開されている中で、ぼくはこれだけがいちばん怖かったというか、かつて見たどのホラー映画でも感じたことのない、根源的に怖い、わけのわからない未体験の恐怖というのを感じる映像でした。”Don’t Move”という文字が見えたあたりでちょっとほんとに怖くなってしまいました。
 Backroomsは突如、迷い込んでしまう空間なんです。backroomという言葉を辞書で調べると『奥の部屋、(主に戦時の)秘密研究室、(政治家などの)秘密会合の場所』(研究社 新英和中辞典)という意味でした。Backroomsには狭いすきまがあって、その奥に無限に広がっている無意味な通路が垣間見えるのがどうにもすごかったです。オチに納得がゆかないところがあるんですが、これをすごい制作陣で作り直して映画館で上映してほしいと思いました。ハリウッドのいちばん売れてる脚本家だったらこれをいったいどうリライトするんでしょうか。
 近代小説にこういう未知の恐怖をかきたてるものがないか、ちょっと調べてみたんですが、カフカの作品集に異変を描きだすすぐれた短編がありました。今回は田中貢太郎のちょっとした怪談を公開してみました。「おいてけ堀」は、すでに読んだことがある人にとっては、恐怖よりもちょっと荒唐無稽さが目立ってしまって呆れてしまうところがあるかと思うんですが、もし現実に起きてしまった場合は、たぶんBackrooms以上のおどろきを、感じる、はずだろうと思いました。現実にはありえないことなんですけれど。
   

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古街 漢那浪笛

 今日は、漢那浪笛の「古街」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 漢那浪笛かんなろうてき氏は1887年生まれ、沖縄の詩人で、ウィリアム・ワーズワースなどの海外詩の翻訳をした作家です。
古い街と共にある、「私」の心象を描いた詩でした。
 

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追記 古街と書くと、ふつうは「こちょう」とか「こまち」とか読むと思うんですけど、こんかいは「ふるまち」と読むそうです。

死せる魂 ゴーゴリ(11)

 今日は、ニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」第10章を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回は最終章について書きますので、本作を近日中に読み終える予定のかたは、先に名作の本文だけを読んでみてください。
 ついにこの物語の最終章になりました。チチコフはもう、詐欺の活動が行き詰まったので、ぜんぜんちがうところに逃げていってしまおうと考えます。ところが「何一つチチコフが予想したようにはゆかなかった」のでした。
 ついに、ゴーゴリは、チチコフの正体を、最終章で描くんです。作中には「実のところ作者は、こうして、ようやく自分の主人公の身の上話をする機会が得られて寧ろ嬉しいのである」と書きはじめます。彼チチコフの少年時代が、悪党の幼年期のように哀れに語られてゆくのです。「少年時代にも、彼には友達もなければ遊び仲間もなかった」そうして「支金庫の役人」になり「最後に税関吏の職にありついた」このころに、2人の役人だけで、密輸団とひそかに結託して、とほうもない悪事を行って大金を不正に稼ぎ出し、逮捕されて財産のほとんどを没収された、というのがこの小説が始まる何年か前に起きていた、この最終章まで隠され続けていた大事件なのでした。
 この物語の謎である、なぜチチコフが400人もの死せる農奴を買い取ったのか、その真相はこうなんです。むりやり一言でいうのなら、ロシア帝国の国庫という、いわば国の大金庫から、大金を詐欺で奪い去ってしまうため、やみくもに農奴の名簿を集めたのでした。死んだ農奴を生きている農奴に見せかけて、国庫から莫大な大金を借りてだまし取って逃げ去る、これがチチコフの狙いでした。特殊詐欺の大盗賊と言えば、想像しやすいと思います。彼は大事件を起こしてから、その地を去って、新天地で幸福に生きようと、いうのが記されざる狙いであったようです。帝国から重大なものを盗むのなら、もう新天地以外では生きられないかと思います。ちょうどドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」におけるミーチャのアメリカ亡命計画のようなものを、引きおこすのではないでしょうか。作中の記載から言っておそらく、大金を手中に入れてフランスかイタリアで生きはじめて、そこで妻子をもうけたいのだと思います……。
 ゴーゴリが詐欺師について批判を行っている箇所は、こうでした。
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 やたらに取込むこと——これがすべての悪因となり、そこからして、世間で余りかんばしく言わないようなことも仕でかされるのである。quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 
またゴーゴリはこの物語の終盤でこう告げています。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 どんな性格をも軽蔑することなく、じっとそれに観察眼をそそいで、裏の裏までそれを吟味検討することの出来る人は賢明である。quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 
 彼は蒐集したものごとを、莫大な裏金を稼ぐためにのみ費やして、あらゆる混乱を生んだわけです。ちょっとうっかりしているだけで、こういう悪は生じうる、とゴーゴリは警告します。このあたりの箴言は興味深いものでした。大詐欺師チチコフをのせた馬車は、誰も知らぬ大地へとかけてゆきます。本文こうです。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
  ああ、ロシアよ、お前もあの、どうしても追いつくことの出来ない三頭馬車トロイカのように、ずんずん走って行くのではないか? quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 
 ぼくには最後の文章が、90年後に起きたホロドモールのような事態を予見していたところがあるように思いました。ゴーゴリの物語を読んでいると、小さな詐欺の積み重ねというのが誰も望まない不幸をまねきうるのでは、というように思えました。
 ところでゴーゴリはたいへん有名な作家で、あの『外套』をみごとに描ききった作者ですから、ぼくはてっきり、ダンテ『神曲 三部作』やゲーテの『ファウスト』みたいに劇的に完結するもんだと思いこんでいたんですけど、これあきらかに完結していないんですよ。カフカの『城』とか、日本の大菩薩峠とか、漱石の『明暗』とかと同じで、完結できてないんです。第一部完、のはずなのに、ダンテ『新曲 地獄篇』のようには完結していません。広げた風呂敷が広がりっぱなしのまま終わるんです。
 こんな魅力的な文学を作っておいて、完結させないとはいったい何ごとなんだと思いました。
 ゴーゴリは、この『死せる魂』というのを、ダンテの『神曲 地獄篇』になぞらえて書いたものだから、『神曲 煉獄篇』をこのあと書くんだ、という意気込みがあったんです。読んだかたならご存じだと思うんですが、この二者の作家には決定的な違いがあるんです。ダンテの主人公は、正義のまなざしを持っていて、神の恩恵を受けた旅人みたいになってどんどん超然としていって最後のほうは完全に読者をも置き去りにしてゆくんですが、ゴーゴリのはもうまったく違うんです。主人公は人間的な失敗を繰り返し、どんどん致命的な状況を積み重ねて行き詰まっていきました。
 ゴーゴリ「死せる魂」の主人公はもはや100%の詐欺師で、正義心をなぜだかちっとも持ち合わせていないし不信心だし信じるものを持ちあわせていないんです。ただただ大量の死人を買い漁っていっただけです。さもしい権力者とそっくりなことをした、無名の貴族という感じで終わってしまいました。
 ダンテの地獄篇では、最下層へゆくほど、深い罪が記されていったんですけど、そうとうの深部の第八圏の第十嚢にこそ『虚偽や偽造の詐欺師』が位置づけられているんです。暴力者よりもじつは詐欺師のほうが罪が重いようにダンテは捉えているのでは、と思ったんです。
 ダンテ神曲では深奥にゆくほど「かつては聖人や知者や哲人のような存在でもあった人の罪」があきらかにされていって、最後の最後は人類最大の罪人とされる、キリストを裏切ったユダこそが最深部に居て、読者はこの究極の裁きを、まのあたりにしたわけです。
 いっぽうで本作チチコフは、買えないはずの死者の鬼籍を大量に集めることには成功しました。チチコフはいったいなにをしたかったのか、と思いました。なにを目的にして進んでいるのか、もはやまったく意味不明になってしまいました。
 チチコフは100%の軽度詐欺師だというのは第一章の最初から記されていたことです。じつは裏側ではもっと致命的な詐欺をしているのでは、ということを疑いながら読んでいったわけですけれども、詐欺の方針で物事を進めてゆくと、全体はこのように崩れ去ってゆくのだ、というのをまのあたりにしたように思いました。チチコフは目に見える悪人では無いんです。いっけん礼儀正しくて賢い人に見え、場面によっては人間的に見えます。彼の唯一の親友マニーロフから見れば、チチコフはほんとに悪気のなくて明るい、なんとも良いヤツなんです。
 ぼくは、このゴーゴリの『死せる魂』を読んでいる途中で、あの愛の画家シャガールが愛してやまなかった物語世界こそがこのゴーゴリ『死せる魂』だと知って、まさかゴーゴリが人類最大の悪について本作で描こうとしているとは夢にも思わなくなっていたんです。
 けれども、周辺情報や本作を読みすすめてゆくうちに、これはダンテ『神曲 地獄篇』の終盤と同じく、人類最大の悪のありさまを、見せてやろうというのが、ゴーゴリの最大の狙いだったのではと思うようになったんです。それで思ったのは、もしダンテ『神曲 地獄篇』で裁かれていたあのユダが、キリストを裏切らなかった場合、あるいは裏切る寸前までのユダを観察していて、このイスカリオテのユダこそが人類最大の悪を成すのだとは誰一人、気がつかないはずだと思ったんです。ユダは会計で軽い詐欺行為をしてはいます。けれどもたいした悪人には思えないですよ。そこはチチコフに似ています。いかにも粗暴で暴言だらけでつねに暴力に塗れている人だったら、パッと見て分かるんですけど。ユダを見て、この数千年間でいちばん悪いヤツはコイツだ、と分かる人はまあ居ないはずなんです。使徒で聖人で、よい活動に参画していて、罪を悔いたりもする。もっとも罪深い人間とは思えない。しかし聖書でも、ダンテの本でも、ユダがもっとも罪深いことになっています。ゴーゴリはこの『地獄篇』のことをそうとう意識して描いていたわけで……ユダにも似た、罪深さの深奥にいる中心人物として、本作のチチコフはずっと描かれてきた、ということなんだと思いました。
「チチコフはじつは、ふざけているユダなんだ」という仮説をもとにして読むと、なかなかおもしろいんです。「やれやれ、助かった!」「チチコフはそう思って、十字を切ったものだ」という記載も、裏切り者のユダが、十字架にかけられたキリストを安易に扱っている、その不信心なところに納得がゆくわけです。19世紀の逃走中のユダが、葬列をつくる役人たちから隠れようとするすがたも、興味深かったです。
 チチコフは詐欺師です。けれども努力しているし目標があるように見えました。詐欺師は「判断させない・検証させない・ほかの可能性を探究させない」という方針があります。他人の「検討」をどんどん壊すように動いてゆきます。チチコフは探究心がすごくて、とにかく目標達成のために村人たちの方針を探って研究熱心でした。チチコフ本人はけっこう文化的な教養を持っているヤツだと言えると思います。しかしチチコフは他人に研究心を起こさせようというような、持続的活動の方針は最後の最後まで現れませんでした。チチコフは殺人者や排外思想家とちがって、直接的にはなんの害ももたらさないんです。ですから、詐欺師なのかどうかの判別がしにくい、中間的でグレーゾーンの男でした。
 ゴーゴリの作品は、19世紀ロシアへの探究心を起こさせたり「あれ? この主人公の行動はいったいどういうこと?」と思わせて読者が検証をはじめるわけで、これが伝統的な名作の作用だと思うんです。チチコフは不思議なグレーゾーンの男なので、詐欺っぽいものと文化っぽいものの両面が生じているように思います。
 あの愛の画家シャガールが好んでユーモラスに描いたのが、このチチコフでもあるわけです。じつに不思議なことだと思います。
 ダンテ神曲みたいに、ユダを罰する魔王の背中をよじ登って世界が反転し、地獄の最奥から地上へいっきょに抜け出せる、というような大団円が訪れていない……という謎も感じました。チチコフがやったことは存在しない鬼籍を買い漁り続けただけで、ほんとに主人公が失敗に失敗を上塗りして、右往左往しているんです。作者がこれにどうも引きずられてしまったのでは、というように思いました。頓挫するべくして頓挫した物語のように思えます。
 ダンテの場合は、悪に対する怒りと裁きと告発というのを地獄の奥底へと進みながら『神曲 地獄篇』で描いていたと思うんですが、ゴーゴリの場合は、愛すべき農村世界の中で生じ続ける不正と不合理と不幸を主人公チチコフみずからが巻き起こし続けるという展開だったように思います。チチコフは盛大に行き詰まりました。この物語内部の作用が、作者にも影響を与えてしまって、悪から脱する長い道のりを描く『神曲 煉獄篇』を超克する物語を、ゴーゴリは書ききることができなくなってしまったのでは、と思いました。
 ゴーゴリは、作中のほとんどで、牧歌的な農村に生きる人々と、さまざまな失態を生み出すユーモラスな人間性を描くことに費やしました。
 そこが権力志向のダンテと、そうとうちがうように思います。ダンテ神曲では生活をいっさい描いておらず、失われた権力を思い、理想の権力体系を描きだし、唯一神に邂逅するための高みへ登る旅路を描ききりました。3部構成の3回もの大団円が衝撃的でした。
 いっぽうでゴーゴリの『死せる魂』は、あらゆる農村の人間的な生活と、地主という名の働かざる者たちの哀れな人間関係と、奴隷制度が終わりを告げつつある時代のさもしい権力者たちを描き続けた作品でした。しかしまさか、国家に対する最大の詐欺がこれからどうなるのか、その顛末もろくに記されずに、この複雑怪奇な詐欺師の物語が幕を閉じるとは想定外でした。
 チチコフが目に見えて「あっこいつは悪いヤツだ」と見えてくる場面がありました。前半30%の第三章で……とつぜん激怒したチチコフの発言はこうでした。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 私はね、ただキリスト教徒としての博愛心から、あんたのためを思って言い出したまでのことさ。可哀想な寡婦ごけさんが胸も潰れる思いをしながら、貧苦にあえいでいる有様を見かねてさ……。えい、もう構うこっちゃない、とっととくたばってしまうがいい、お前さんの持村むらも一緒に滅びてしまうがいいんだquomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 
 チチコフはいっさいキリスト教を信仰してないですよ、ここでも大ウソを言っているんです。チチコフはしっかり悪人なんです。ゴーゴリは本作で脇役のセリフとして「どいつもこいつもキリストを売る奴ばかりでな」というように記していて、ユダはあらゆるところに存在しうる、ということをほのめかし、さらに第十章では「チチコフはじつはナポレオンなのかもしれない」というような珍説もユーモラスに描きました。これによって「チチコフはじつはユダなのだ。死せる魂たちというのはじつはダンテ神曲の地獄や天堂と相似形なのだ」という読解を可能にするように書いているんです。ダンテはユダを地獄の最奥で容赦なく罰しつづけました。魔王に永劫にかみ砕かれつづけるユダを反転させ、人間的な存在に引き戻していったのが、まさにあの『外套』を描いたゴーゴリなんだと思います。
 どうしたってイスカリオテのユダを愛すべき人間としては描けないわけですが、チチコフは愛すべき哀れさを持ち備えているんです。
 ゴーゴリは1841年ごろに『死せる魂』第一部最終章を書きおえているんです。その約25年後(1867年ごろ)イタリアの偉大な作家ダンテに憧れてギュスターブドレがこの『神曲』のこの絵を描いているんです。
 この絵に描かれる『神曲』の壮大な魂たちの一群。詐欺師チチコフの抱えていた妄想は、おそらくこういう感じだったと思うんです。「死せる魂がいっぱいだ!」というかんじ。チチコフはこういう新世界を思い描いていたはずなんです。チチコフはじっさいには混乱と狂騒と不和以外はなにも生じさせなかったんですけれども。ぼくはどうしてチチコフがこんなに苦労して夢中になって、死せる魂を集めつづけたのか。いちおう表面上の目的は手に入るはずのない国庫の大金なのですが、その真相はようするに、このギュスターブドレの絵を見て「うわーすごい!」と思ったのとほとんどまったく同じ気持ちだけで、チチコフは動き続けたんじゃないか、と思ったんです。画家ギュスターブドレが、チチコフに関する謎について、もうぜんぶの答えを描いていた、というふうに思います。言語化するなら「どうして400もの蝶蝶を集めたんですか」と言われて「だって蝶蝶がすごかったから」という理由しかないのとほとんどまったく同じ理由で、チチコフはこの大長編の旅路で400人もの死んだ農奴のリストを作り上げてしまったんだと思います。
 そのチチコフの活動に「たましい」とか「奴隷制度問題」とか「税制の不備」とか「政治上の不正」とか、その他いろんな意味を見出してしまったのが、チチコフに疑問を抱いた人々なのでは、と思いました。
 ぼくは第9章あたりまでは、作者ゴーゴリは『神曲』を下敷きにこの『死せる魂』を描いたんだとロシアの評論家が書いているのに、いったいこの本のどこがダンテ『神曲 地獄篇』なんだ? とずっと思っていたんですが、ついに終盤に差しかかって、きゅうに物語全体が、ダンテ『神曲 地獄篇』と対を成す作品として立ち現れてきた、と思ったんです。
 今回、読んでいていちばん気になったのは、ゴーゴリの恩師で十歳年上のプーシキンのことです。ゴーゴリが当時いちばん考えていた「死せる魂」というのはおそらくこの恩師プーシキンのことのはずなんです。それはwikipediaに、このように記されています。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 彼は叙事詩、ロシア版のダンテ『神曲』を作り出すつもりだった。しかし、アレクサンドル・プーシキンの死が伝えられるとショックを受けて何も書けなくなり、イタリアに移ってから少しずつ執筆を再開した。quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 
 ロシア生まれの偉大な詩人プーシキンは黒人兵士のひ孫さんなんです。恩師には黒人奴隷の血が入っているんです。このことをゴーゴリはずいぶん考えたと思うんです。wikiにはプーシキンは『ピョートル1世に寵愛された黒人奴隷上がりのエリート軍人』のひ孫である、と書いています。ダンテが政治家連中から政治人生を滅ぼされてしまってから「神曲」を作ったように、文学の恩師プーシキンが奸計によって滅ぼされてしまった。wikiにはこう書いています。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
  プーシキンの進歩思想を嫌った宮廷貴族達は、フランス人のジョルジュ・ダンテスをたきつけ、ナターリアに言い寄らせる。やがて、プーシキンは妻に執拗に言い寄るダンテスに決闘を挑み、1837年1月27日、サンクトペテルブルク北郊のチョールナヤ・レチカで決闘を行った。この決闘で受けた傷がもとで、その2日後に息を引き取った。37歳没。政治的な騒動を恐れた政府は、親しい者だけを集めて密かに葬儀を執り行った。quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 
 このことを、ゴーゴリは本作でずっと「奴隷ってなんなんだ」「死せる魂ってなんだ」ということを考えながら書いていったと思うんです。いったいなにが悪いからこうなったんだろう、と考えて、ダンテが書いたように地獄の最奥にいる詐欺師たちの悪が、立ち現れてきたんだと思います。
 『死せる魂』発表の約20年後の1860年あたりに、ゴーゴリのふるさとでは「農奴解放令」が発令されます
 
 ゴーゴリは20年後あるいは100年後あるいは現代の、ロシアとウクライナの、進歩と哀惜をみごとに捉えていたように思うんです。
 シャガールが愛したのが、このゴーゴリの『死せる魂』という芸術なんです……。愛だけを描き続けたシャガールが描いたのは、地獄篇ではなくこの『死せる魂』なのでした。

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ゴーゴリの「死せる魂」第一章から第十一章まで全部読む
 
ゴーゴリの「外套」を読む
 
追記
またいつか、ゴーゴリが、古いウクライナの民話を集めておもしろく書いていった「ディカーニカ近郷夜話」も、数年後にでも読んでいってみようと思います。

原子爆弾雑話 中谷宇吉郎

 今日は、中谷宇吉郎の「原子爆弾雑話」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 科学者の中谷宇吉郎が、戦後になってから第二次大戦における戦乱と最新兵器にかかる諸事情について、分析をして書いている随筆です。日本でもじつはこれを研究をしていたのですが、とうてい完成できる段階では無かった。米国では宇宙線の強さを測る研究など、戦時中であっても戦争と関わりの無い研究もさかんに行っていた。いっけん無関係に思えることをいろんな人がやれる状態で、国力に明らかな差異があったことが分かります。原爆開発の危険性を考察し、論理的に自然科学の魅力と重要性を説く、終盤の記載に感銘を受けました。大戦中のナチスはいろんなものと人を追放して、そのなかには優れた科学者もあまたに居て、それが米国に生きてさかんに研究をしたのでした。けっきょくは追放されたものごとのほうが存在感が大きかったように思いました。
 

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死ね! 豊島与志雄

 今日は、豊島与志雄の「死ね!」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは不思議な短編小説で、題名と内容がどうも一致しない作品で……仕事と貧困と借金と創作の話しでした。『道化役』という短編集の最終話の1つ手前に掲載された掌編がこの作品なのです。作中の「彼」は作家なんです。「微笑」あるいは「卑怯」という記載があってもしかすると、太宰治について思案しながら書いたのかもしれないと思いながら読みました。
 今日のことはもう全部やめにして数日間は眠りたい、というのと永遠に眠りたい、というのはかなり違うわけで、この永劫といったん、というののそうとうな違いをどう考えたらいいだろうか、と思いながら読んでいたのですが、終盤で記される「社会の制度が重すぎるのではないか」という記載が印象に残りました。「自然にまかせるということ」というあたりの記載で、ガンジーの「明日死ぬかのように生きなさい。 永遠に生きるつもりで学びなさい」という言葉を思いだしました。さいごの一文がすてきでした。
   

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追記  「彼」の「真面目な仕事」という文章あたりから読み応えがありました。本文と関係が無いんですけれども、大戦中に最前線にいたウィトゲンシュタインの、従軍中の日記に「仕事をした」という記載があるんです。それは兵役や義務や雑用や労働とまったく関係が無い、哲学の思索を深め、のちのち出版するための本について、手帳にその小片を記載することができたことを意味している言葉なのでした。

ゲーテ詩集(20)

 今日は「ゲーテ詩集」その20を配信します。縦書き表示で読めますよ。
 今回は、詩人ゲーテの全体像と共鳴するような二つの詩でした。ゲーテの若さというのの尋常で無い持続性というのに、なにか衝撃を受ける二つの詩でした。「ファウスト」は若返って生き直す、という幻想的な物語でしたが、じっさいにゲーテは、最後の最後までこの物語を書き尽くし、さらに大団円を描ききって完結させているのでした……。紀元前とかの複数の書き手がいる架空の作家じゃないのに、どうしてそんなことが可能なのか、と思いました。
  

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