旅の仲間 アンデルセン

 今日は、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの「旅の仲間」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 ヨハンネスは父を亡くし天涯孤独になってしまうのですが、新たに生きるため旅をはじめる、という童話でした。父親からもらったお金は、貧しい人にあげてしまう。以下の箇所が印象に残りました。本文こうです。
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  お墓には、きれいに砂がもってあって、そのうえ、花まで飾ってあるではありませんか。これは、よその人たちが、しておいてくれたのです。というのは、死んだおとうさんは、みんなにたいそう好かれていたからでした。quomark end - 旅の仲間 アンデルセン
 
 良いことをした人のゆく天国、というはなしが序盤に描きだされてゆきます。これは……幸福に生きつづけて晩期を迎え、その良い生き方の印象と影響は、死後であってもはっきりと残りつづける、ということでもあるんだなあと、思いながら読みました。物語には、なんだが偶然のように「旅の仲間」とめぐりあって2人で旅をして、不思議なお姫さまと、死んでいったフィアンセ候補たちが記されてゆきます。お姫さまが今どんなことを考えているかを、3回も言いあてなければ、魔女の命令で倒されてしまう、というルールなんです。お姫さまは悪い魔女に洗脳されているんです。心やさしいヨハンネスは、お姫さまの美しさを信じようとします。けれども背後には死を司る魔女がいます。本文とは無関係なんですが、かの極北の帝王の娘が小さな幸福をつかむには、アンデルセンのこの物語のような危険な賭けを経て、人間的になるしかないのだろうと、思いました。ただの脇役のように見えた「旅の仲間」という男が、秘密裡に、さかんに活躍します。
 いやー、これはすさまじい、とうなるような幻想小説の描写もあります。最後の最後に、ある人物の正体が記されます。みごとに劇的な童話でした。
 

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亡び行く国土 中谷宇吉郎

 今日は、中谷宇吉郎の「亡び行く国土」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 科学者の中谷宇吉郎が、戦後の日本の文化と文明を見渡して、日本の重大な公害が生じる数十年前に、自然界と工業の組み合わせの危険性を考察している作品です。おもに水害と電力問題を論じています。日本の四大公害病、という言葉がまだ生じてくる前に、治水と科学に関する問題を中心にして、自然界を無視して人類が行動し始めていることを憂慮しています。原発は津波や地震や老朽化を無視して建てられないわけで、その科学的考察が権益によってないがしろにされたのがまずかった。中谷宇吉郎のように科学的考察を重んじる人が権力を有していたら、原発が50数基あって核の公害で年間20ミリシーベルトを越える汚染が生じて立ち入り禁止区域ができてしまう日本というのとは、ちがう未来というのが生じただろうと思いました。本文こうです。
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 世の中に、金さえあれば出来るというものは滅多にない。金がなければもちろん出来ないが、そうかといって、金だけあっても出来ないというものの方が大部分である。対人間の問題は、たいてい金だけで片づくであろうが、自然を直接相手にした場合には、金だけで解決される問題というものは非常に少ない。このことはよく頭に入れておく必要がある。quomark end - 亡び行く国土 中谷宇吉郎
 
 科学で自然界の力を読み説いたり、科学で未来の公害を予測して政治に活かすことはちゃんとやらなかった。こういう失敗は現代でもあり得るんだろうなあと思いながら、中谷宇吉郎の熟考された治水論を読んでみました。
 

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答えがある状態で読んでいる読者のぼくと、未来の災害という答えのない問いを問うている中谷宇吉郎とで、ずいぶん思慮深さに差があるなあとか、思いました……。

死せる魂 ゴーゴリ(5)

 今日は、ニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」第5章を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 前回、ギャンブル狂のノズドゥリョフにだまされてリンチされそうになったところ、ぎりぎりで逃亡できた主人公チチコフは、次の村へと馬を走らせています。馬車には従者もいます。
 日本人とロシア人の特徴的な違いのわかる描写があったんです。道で激しくぶつかってしまった、そのときに……「ロシア人の癖でこちらが悪かったと他人の前へ頭をさげることが出来ず」虚勢をはるんだそうです。日本人はとにかく「ごめんください」から「すみません」からお辞儀から謝罪会見に土下座と、謝罪がとにかく好きだというのがあると思うんです。ロシアでは強気に出て、問題がこんがらがりがちのようです。
 ぶつかって転がってしまった二つの馬車なんですが、御者二人は口論になる。向こう側には若い娘が乗っていました。本文こうです。
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 吃驚びっくりして軽く開けたままぼんやりしている口つきといい、涙ぐんだ眼もとといい——何もかもがまたなく可愛らしく見えたので、我等の主人公は、馬や馭者たちの間に起こった悶著もんちゃくなどはすっかり他所よそにして、しばらくはうっとりと娘に見惚れていた。quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(5)
 
 今回、なぜゴーゴリが、この農村の牧歌的なところのある物語をダンテ神曲地獄篇に匹敵する、悪行と苦果の書として記そうとしたのか、その謎のヒントが記されていると思いました。
チチコフは、幻のように去っていった無垢な少女に見とれ……その少女が成長してゆく姿を空想するんです。本文こうです。
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 いつの間にか威張ったり気取ったりすることを覚えこみ、聴き覚えの教訓にしたがって身を振舞い、誰とどんな話を、どの位したらよいかとか、誰をどんな風に見たらいいかというようなことばかりに工風くふうを凝らして頭を悩ましたり、自分が少しでも余計なことをしゃべりはしないかと、しょっちゅう、そんなことが心配になるのだ。そして挙句の果にはすっかり自分でこんぐらがってしまい、とどのつまりは一生涯嘘をついてまわるばかりの、何ともはや得体の知れぬ代物になってしまうのだ!quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(5)
 
 ゴーゴリは、ウソというのが可愛らしいものだったり方便だったり、そういうように考えていないようで、ウソが最大の悪徳だと考えているようなんです。そういえばダンテ神曲地獄篇でも、下層に行くほど罪深い罪人が現れていって第七圏の暴力者の地獄などが恐ろしく描かれていたんですが、さらに最下層の第八圏や第九圏ではなぜか詐欺師や裏切り者という、ウソを悪用する人間がもっとも罪深く描かれているわけで、ゴーゴリはその詐欺師と裏切りについて、描こうとしているんだなと思いました。
 ウクライナの近現代史でも、権力者のウソというのが人々に致命的な害をもたらしていったわけで、文学でいうと『1984』でも大規模な権力がとんでもないウソを作り出すところを描きだしています。
 少女や従者や詩人のウソというのはなんだか面白いものだと思うんですが、権力者のウソというのは致命的な害をもたらしかねない。
 ゴーゴリは死せる魂を買い取るという詐欺を行いつづけるチチコフを通して、権力とウソのおそろしさを描こうとしているのか……と思いました。ロシアでは都合の悪いことがあると、悪事を強引に正義にすり替えようとする。日本の場合は謝罪の過程で大きいウソが入り混じる、という特徴があるのでは、と思いました。
 いよいよ詐欺師チチコフは、大地主のソバケーヴィッチのところへ辿りつきます。ソバケーヴィッチは売れるはずの無い鬼籍の魂を、幾らで買うのか、幾らで買うのかと、議論を繰り返し、金はどれだけ出せるのかという話しをえんえんやるのでした。ようやっと買い取れてから、チチコフは流行病で亡くなった村人の住み家へと、身をひそめながらゆくのでした。ハエのたかるおぞましい世界で、こんなひどいハイエナのようなことをしてまで、個人的幸福をつかまなければならないのかと……衝撃を受けつつ読みすすめました。次回に続きます。
 

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ゴーゴリの「死せる魂」第一章から第十一章まで全部読む
 
ゴーゴリの「外套」を読む

牛女 小川未明

 今日は、小川未明の「牛女」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 山と母が、印象的に描きだされる、美しい童話でした。
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 子供こどもは、母親ははおやこいしくなると、むらはずれにって、かなたのやまました。すると、天気てんきのいいれたには、いつでも母親ははおやくろ姿すがたをありありとることができたのです。ちょうど母親ははおやは、だまって、じっとこちらをつめて、うえ見守みまもっているようにおもわれたのでありました。quomark end - 牛女 小川未明
 

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 菅原道真を祀る、ということでもそうだと思うのですが、日本では、よき人であるのに不憫な事態に陥ってしまったことについて、空想を交えながらくりかえし丁寧に描くことがあるんだと思いました。

道楽と職業 夏目漱石

 今日は、夏目漱石の「道楽と職業」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 漱石はこんかい善い道楽というのがあり得るかどうかまずは考えてみて「道楽と職業というものは、どういうように関係して、どういうように食い違っているか」を論じてみる、と告げるところから話しが始まります。秀才なのに就職できない、という人が漱石の時代には多いことをまず問題にしています。
 漱石の「三四郎」や「それから」に描きだされる、仕事や結婚をどうするのか、という問題には、漱石の今回のような論述や、正岡子規との親交が深く関わっていると思います。漱石の本は、読者を学生のように捉えて書いているところがあって、それで読者としてはずいぶん親身な先生が書いた本として読めるところがあるんだと思います。
「着物を自分で織って、このえりを自分でこしらえて、すべて自分だけで用を弁じて、何も人のお世話にならないという」太古の時代があった。「そういう時期こそ本当の独立独行という言葉の適当に使える時期」だと漱石は言います。
 私たちは「太古の人を一面には理想として生きているのである。けれども事実やむをえない、仕方がないからまず衣物を着る時には呉服屋の厄介に」なって社会生活をしている。「己のためにする仕事の分量は人のためにする仕事の分量と同じであるという方程式が立つ」と漱石は言います。自分の中で適性や技術がある箇所を伸ばして、仕事をしている。それで得たお金を使ってべんりにものを手に入れて生活する。
 漱石の言う、自給自足をしつづける太古の独立した人間や、交換で経済活動をする人間たちの話しを読んでいて、デジタルデトックスというのを連想しました。ケータイやPCをまったく使わない日をつくってみる、というのが最近よく言われていて、じぶんもそういう日を作ってみることにしたんですけど、漱石は原始的な暮らしというのと、文明的な暮らしをまず比較することで、仕事の考え方の根本的なところを見直してみるということを試みています。
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 人のためになる仕事を余計すればするほど、それだけ己のためになるのもまた明かな因縁いんねんであります。quomark end - 道楽と職業 夏目漱石
 
という中盤の一文が印象に残ります。漱石は「人のために」動く、という言葉の意味を、まずは軽い意味でとらえてくれと述べています。ちょっと他人の「ごきげんをとる」というだけでも人のために動いたことになる、と漱石は言います。
 やや不道徳なかんじで仕事をしていても、しっかり儲けていてエライ人が居るでしょう、と漱石は言います。現代的に言うと、ハメを外して面白いことをするYouTuberみたいな人のことだと思います。道徳や倫理の視点から見たらなんだかヤバイ奴であっても「おおくの他人のごきげんをとっている」という点において、人のために動いているから、本人もぜいたくに生きられる。「道徳問題じゃない、事実問題である」と漱石は指摘します。漱石は人気のYouTuberを論じてみたりするんだなと思っておもしろかったです。
 ピューディパイと比べてみると、漱石は「私は今ここにニッケルの時計しか持っておらぬ」ので資産と人気で見劣りしてしまう。どうも金銀ダイヤモンドに囲まれたピューディパイと比べると「人の気に入らない事」を漱石はやっているからこうなっているのだと、漱石は自己分析します。「いくら学問があっても徳の無い人間、人に好かれない人間というものは、ニッケルの時計ぐらい持って我慢しているよりほか仕方がない」ので、漱石も正岡子規も、安泰の人生というわけではなかったようなんです。
 「何でもかでも人に歓迎される」ようなそういう仕事はたしかにあると。安価なのに良い効果がある化粧品とかを売っている仕事とかです。
「職業上における己のため人のため」ということの意味は、まずはこういう意味であると、漱石は言います。そうして職業は専門化して特化して先鋭化してゆく点…「職業の分化錯綜さくそうから我々の受ける影響は種々ありましょうが、そのうちに見逃す事のできない」妙なことを引きおこします。それは「お隣りの事がかいもく分らなくなってしまう」と言うんです。
 明治の終わりの近代文明は完全な人間を日に日に不都合な人間にしてしまう、と漱石は指摘します。これは現代でも起きていることのように思います。
 職業が細分化して特化しつづけると「今の学者は自分の研究以外には何も知らない」というような状況が起きます。専門化がきわまってゆくと、実に突飛なものになってしまう。と漱石は警告します。これはべつに高給取りや秀才に限らないんだと、漱石は言います。どうしてかというと、専門家のことを必要以上に信用しすぎているからで、疫学専門家の警笛を真に受けてしまってコロナが心配で親交も恋愛も結婚も出来なくなってしまったとか、ゲーム実況動画がおもしろいのでそればっかり見てしまって仕事と学問を疎かにしてしまった場合は、専門家を重んじすぎているのが原因かと思われます。
「自分の専門にしていることにかけては」「非常に深いかも知れぬが、その代り一般的の事物については、大変に知識が欠乏した妙な変人ばかりできつつある」と漱石は警告します。
 後半で漱石は、文学の作用についてこう述べています。
quomark03 - 道楽と職業 夏目漱石
  文学上の書物は専門的の述作ではない、多く一般の人間に共通な点について批評なり叙述なり試みた者であるから、職業のいかんにかかわらず、階級のいかんにかかわらず赤裸々せきららの人間を赤裸々に結びつけて、そうしてすべての他の墻壁しょうへきを打破するquomark end - 道楽と職業 夏目漱石 
 
 ですから漱石は、現代の専門家になろうとしている人々にこそ、漱石文学を読んでもらいたい、ということになります。職業は「他人本位」のものであって、道楽は「自己本位」のものなんです。稼ぎ頭のYouTuberの方針を決めているのは、視聴者ぜんたいの動きによるところが大きい。じゃあ文学はどうなのか? 終盤での漱石の文学創作論は、こうなっています。
quomark03 - 道楽と職業 夏目漱石
  私が文学を職業とするのは、人のためにするすなわち己を捨てて世間のごきげんを取り得た結果として職業としていると見るよりは、己のためにする結果すなわち自然なる芸術的心術の発現の結果が偶然人のためになって、人の気に入っただけの報酬が物質的に自分に反響して来たのだと見るのが本当だろうと思います。
 (略)いくら考えても偶然の結果である。この偶然が壊れた日にはどっち本位にするかというと、私は私を本位にしなければ作物が自分から見て物にならない。(略)私ばかりではないすべての芸術家科学者哲学者はみなそうだろうと思う。彼らは一も二もなく道楽本位に生活する人間だからである。大変わがままのようであるけれども、事実そうなのである。したがって(略)科学者でも哲学者でも政府の保護か個人の保護がなければまあ昔の禅僧ぐらいの生活を標準として暮さなければならないはずである。quomark end - 道楽と職業 夏目漱石
 
 漱石は自己本位に生きても他人に害悪をもたらさないわけで、論語で言うところの「七十にして矩を踰えず」の仙人みたいな境地で自己本位だったわけで、高度なことを論じているなあと思いました……。
 「職業の性質やら特色について」のべ、それが「社会に及ぼす影響を」論じ、「最後に職業と道楽の関係を説き、その末段に道楽的職業というような」作家について考え、どこまで職業であって、どこから道楽なのかを理解してもらった、という話しで締めくくられていました。くわしくは本文をご覧ください。

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ゲーテ詩集(14)

 今日は「ゲーテ詩集」その14を配信します。縦書き表示で読めますよ。
 ゲーテは祖国のゲルマン神話を現代文学に甦らせることを辞めることにして、ギリシャ神話を文学にとりいれる、ということを熱心にやった作家で、今回はその洒脱な技法が詩になっていました。
 いま生きている「若紳士」と、神話のパリスが二重写しになっているのが洒脱に思いました。
 

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